2014年3月24日月曜日

元気な静岡の鉄道たち

今さらながら、感動! 東海道線

 東海道線は日本を代表する大幹線であると同時に、一級の絶景路線でもある。なかでも小田原以西は、箱根火山が太平洋に迫り出した絶壁に張り付くようにして険阻な道が拓かれている。
 断崖絶壁の上を鉄道が走り、そのわずか下をセンターラインもないような県道が取り付き、遥か下の海岸沿いを国道が走っている。人気の観光地だけに交通量は多く、場所によっては海の上に有料道路までが造られ、橋脚が波に洗われている。いずれも難工事だったことだろう。
根府川橋梁と相模湾 1981年

 グリーン車の2階席からは、前方の伊豆の山々に始まり後方の相模灘へと続く、大きな弧を描く雄大な風景が堪能できる。快晴の空のもと太平洋は深い青を湛えて、遥かかなたには伊豆大島が横たわっている。そこを在来線では最高規格の鉄路が敷かれているため、列車はそれほどスピードを落とすことなく疾走するのだから、快適以外の何ものでもない。普段は車窓になど関心のない人々も、ここだけはみんな風景に見入っている。
 その昔、東海道線のような大動脈は特甲線という規格でレールが敷かれた。甲乙丙の3ランクに収まらない特別な最高ランクの甲線というほどの意味だ。小田原・熱海間はさすがにカーブが多いために背の高いグリーン車2階席はローリングが気になるが、JR東海の熱海から先は実にすばらしい乗り心地だ。丹那トンネルに入ると、車両の揺れはほとんど収まっている。地方のローカル線などは、保線のしづらいトンネル内では乗り心地が悪くなりがちだが、ここではまったくそのようなことはない。新幹線で鍛えられた高度な技術がここでも活躍しているのだろう


 富岳観賞という点では案外東海道線はよろしくないと思う。歴史の古い路線のため、地上をひたすら走るので、どうしても美しい富士の前には無粋な電線が立ちはだかっているからである。気にならないという人もいるかもしれないが、車窓で富士を楽しむなら高架で見晴らしの良い新幹線が断然お勧めだ。
左富士 函南・三島間
関西方面に向かう列車の左車窓
に富士が望める場所   1982年
 富士の愛で方のひとつに「左富士」がある。東海道を京に向かう際、道中右側に聳える富岳が左側に見える珍しい場所が何カ所かあるのだが、その一つに由比がある。浮世絵で目にすることも多いのでご存知の方も多いに違いない。富士川を長大な橋梁で渡ると、東海道線は進路を大きく南に変え、それまで右側に見えていた富士が左後方に位置を変える。小田原・熱海間のようにここでも山塊が太平洋に迫り出していて、それを迂回するために鉄道と道路は海岸に寄り添うように走らなくてはならないのだが、その時左手後方に富岳が望めるのである。
313系近郊型電車

JR東海の主力電車。さまざまな種類
があるが、静岡地区はロングシート仕
様となっているのが玉にきず。    
 この辺りの線路脇には異様なほど分厚い年代物のコンクリート壁がずうっと続いている。昔は太平洋の荒波から鉄道を守らなければならなかったのである。その後海側に国道1号線が、更にその外側を東名高速道路が通るようになった。だから今では列車から海はほとんど見えないのだが、0メートル地帯であることに変わりはなく、よく台風接近の際に高潮で通行止めになる。東日本大震災以来、津波の恐ろしさを思い知らされているので、東南海トラフ起因の地震が起こったらひとたまりもないなと余計な思いが脳裏を過る。逃げ場がないのだ。しかしながら、過酷な自然は時として風景は絶景になる。浮世絵にも取り上げられる所以である。この浜を過ぎ、トンネルを抜ければ、清水や静岡は目前である。

 東海道線の魅力的な風景はこの先も続くが、今回は静岡の鉄道を楽しむ旅、ひとまず少し戻って吉原からのプチ旅行から始めよう。

製紙工場を支えた岳南鉄道

吉原駅にて
岳南とは富岳の南に位置するという意味だろう。吉原と岳南江尾の間約9キロを結ぶ小鉄道である。大小様々な製紙工場を縫うようにして走っている。今では貨物輸送は廃止されてしまったが、工場地帯とともに発展したので、風景は鶴見線に酷似している。
 それにしても工場地帯というのは実にシュールな景観だ。あたかも廃墟の中を走っているかのような錯覚に襲われる。稼働中の施設ばかりでなく、サビの浮いた巨大な休眠施設や放置された工場内線路がここかしこにある。しかもそのバックに世界文化遺産の富岳が見えるのは、もう凄いとしか言いようがない。
岳南江尾付近から見える富士山
 その中をちっちゃな電車がゴトゴトと走っている。岳南富士岡から先は雑然とした畑や民家に変わり、終点の岳南江尾には何か特別の物でもあるのかと思ったが、だだっ広い構内のはずれを新幹線が斜めに横切るという、観光とは無縁の無人駅だった。
点検後直ちに発車 岳南江尾にて

 それでも湘南電車型の風貌を持つ両運転台式の1両編成電車は、なぜか憎めない可愛らしさを持っている。いかにも俊足そうな流線型の電車が、路面電車のように両運転台式なのだから珍しい。
 
比奈で列車交換
 製紙工場は昔と比べて高度な排煙処理をしているので、あちこちから真っ白な煙が勢い良く排出されている。ただいくら白くても、煙は煙で、いかにも体には悪そうな感じがする。昔のような強烈な匂いこそないが、何となく漂白剤のような臭いが微かにする。富岳が自然遺産にならなかったのも、裾野に広がる工場地帯の影響もあるだろう。写真を撮ろうにも電線が邪魔をする。そんな中を、岳南鉄道は健気に走っている。


JR併走型地方鉄道の奮闘 静岡鉄道 

新清水駅にて
 住宅街からそろそろっと電車は現れた。静岡鉄道の終点・新清水駅の裏手は住宅が密集地する生活感あふれる所だ。2両連結の電車は、あっという間に人で埋まってしまいそうなほど狭いホームにゆっくりと停車した。 
 静鉄はJR東海道線の清水・静岡間を併走している。ただそれぞれの駅は微妙に東海道線から離れているため、新清水と新静岡というように「新」の冠が付いている。多くの場合、新がつく方は新参者の悲哀で、「本」駅に比べ寂れていることが多いものだが、静鉄の場合、確かに駅自体は小さいものの、人の多い町中を頻繁に電車が行き交い活気がある。路面電車が似合うような庶民的な土地柄である。でも、本格的な鉄道となっているのには事情がありそうだ。
 JRの清水・静岡間11.2キロには中間駅として草薙と東静岡の二駅がある。一方の静鉄は何と13駅、完全に地域密着型の鉄道なのである。電車はすべて二両編成、全線複線で駅は有人、日中でも毎時9本というフリークエントサービスの徹底した優良鉄道だ。頑張っているなあという感じがひしひしとする。
 静鉄がよくできてるなあと思うことの一つに、JR駅との絶妙な距離がある。静岡の町は、国道1号線(東海道)や東海道線に沿って広がっているから、人口の多い地域に鉄道を敷けばどうしても競合してしまう。静鉄はほぼJRと併走し、こまめに停車して乗客を獲得しながらも、JR駅との間に適当な距離があるので、乗り換えにくいのである。一番近い草薙駅でも100m以上離れている。JRと並行する京成電鉄が、船橋駅でJRにごそっと客を奪われているのとは大違いだ。
 新静岡駅はおしゃれな駅ビルの裏側に位置している。頻繁に出入りする電車からは乗客がたくさん降りてきて、JR静岡駅との間の都会的センスに満ちた繁華街へと吸い込まれていく。路面電車であればスピードも遅く、ここまで利用者は多くなかっただろう。わずか2両編成の電車がひっきりなしに行き来する静鉄は、利用者に優しい地方鉄道の優等生ではないだろうか。

文化財を巡る旅 天竜浜名湖鉄道


原谷での交換風景
日本の原風景に出逢う旅。

 天竜浜名湖鉄道のキャッチコピーだ。昭和の原風景といってもいい。掛川から沿線の中心地である天竜二俣までは、進行右側に茶畑、その先新所原までは左側に浜名湖が広がり、天浜線の見どころとなっている。更に天竜二俣の前後、遠州一宮から西鹿島あたりには、近年めっきり見かけなくなった藁葺き農家が点在している。全線ほのぼの感が漂う鉄道だ。
駅前に展示された 
遠方信号機(右)と
副本線用場内信号機

 それにしても天浜線とは言いにくい。思わず天玉と発音し立ち食い蕎麦のようで苦笑する。国鉄時代を知る者にとっては「二俣線」と呼びたいところだが、JR化で見捨てられ、第三セクターとして頑張っている天竜浜名湖鉄道にとっては、天浜線以外のなにものでもないだろう。これからは「テンハマセン」と噛まずに言えるようにしよう。
転車台

 さて、この昭和の原風景の主役は古い鉄道施設である。木造駅舎、単線での列車交換施設、橋梁等々が天浜線沿線の随所に散りばめられているのだが、何と言ってもその白眉は天竜二俣駅の構内施設である。

給水塔
水は井戸水を使用
 転車台と扇形機関庫、給水塔と井戸、駅舎、運転区や事務室などの鉄道施設が有形文化財として登録されている。しかも蒸気機関車が走らない今でも、かつて機関士たちが煤を洗い流すために使用した風呂以外は、いずれも現役として利用されているのだ。給水塔などは洗車機用として活躍している。運転区と事務室が建ち並ぶ一画を歩いていくと、青い作業服や軍手がたくさん干してある。使われていない湯船を見ると、今が蒸気機関車時代ではないことを改めて思い知らされるのだが、ここが今も現役の鉄道施設であることが感じられて、単なる保存展示とは次元の違う見学ができる。「すみません、見学させて頂きます」という思いを持つのと持たないのとでは、感動の質がちがうからである。ここを訪ねて本当に良かった。
かつては人力で回していた
転車台も今は電動式   
 係の人たちが転車台の実演をしてくれた。一人の係員が転車台をアイドリング中の気動車の位置にぴたりと合わせてロックをかけ、もう一人が気動車を載せる。気動車は転車台ほぼいっぱいの大きさなので位置合わせは難しそうだ。運転台の窓から体を大きく出して、慎重にかつ一発でぴたっと止める。慣れているとはいえ、見事なコンビネーションだ。昔は人力で回した転車台も今は電動式であり、我々にサービスで一回転してくれた。
現役の扇形機関庫
 また機関庫に併設された鉄道展示館内には、タブレット、腕木式信号機、鉄道電話、駅名表示板、改札業務用機器などが並べられ、ローカル線をテーマとした鉄道博物館になっている。すべて駅構内にあるため、毎日開かれる見学ツアーに参加することによって、誰もが昭和にタイムスリップ出来るようになっている。

タブレット閉塞機
緑色は珍しい?
赤色が多いのだが…

 このように鉄道の原風景満載の天浜線なのだが、惜しむらくは、ここで走っている気動車が余りにも今風で電車のように見えてしまうことだ。お世辞にも周りの風景に合っているとはいえない。なんとももったいないと思う。どうせ新車で大量に導入したのだから、もっとレトロな雰囲気を大切にしたデザインであって欲しかった。
 いすみ鉄道のように、国鉄の旧型気動車を購入して運行したらいかがか。天竜二俣駅の有形文化財に登録されたプラットフォームで、ディーゼル急行と普通列車がすれ違うシーンを演出したら、中高年の鉄道ファンが全国から集まるに違いない。やるなら徹底的にやるといい。お金を払ってでも見たい人は多いだろう。茶畑や浜名湖をバックにポスターを作り、新幹線で掛川まで来てもらい、昭和の鉄道で売り込む。ぜひ実現してもらいたいものだ。

 さて、天浜線の名前の由来となった天竜川は二俣本町の先で渡る。山が迫り丘陵地帯に囲まれているので、川は蛇行し荒々しい姿をしている。一方その先の浜名湖は広々と穏やかで、レジャーボートのマリーナも点在している。浜名湖が尽きれば、終点新所原は近い。




中核都市・浜松市を貫く遠州鉄道

 ルイ・ヴィトンやティファニーなどの高級ブランドショップの前を通ると、遠州鉄道新浜松駅がある。洗練された感じの駅で、エスカレータを上がると改札口があり、ホームは更にその上となる。対面式2線の高架ホーム向かい側には、湘南型の2両編成電車が止まっていた。乗ってみたいなと思ったが、車輪に手歯止めが噛ませてあるので、当分動かないのだろう。そのうちに綺麗な新車、西鹿島行が入線してきた。

 遠鉄は新浜松・西鹿島間17.8キロを赤電と呼ばれるインバーター制御回生ブレーキ付の高性能電車が結んでいる。全線単線だが、特筆すべきは全18駅中7駅が高架駅なのである。単線で38.9%の立体化率は驚くべき数字である。それだけ浜松市のモータリゼーションが進んでいるということだろうし、またこの地方の中核都市としてインフラが整備されているということでもある。単線でこれだけ連続高架(都市の象徴)があり、駅に着くたびに両開きの分岐器(ローカル線の象徴)があるというのは、とても珍しい風景だ。ここにはローカルな雰囲気など微塵もない。
上島駅で交換
 アーチを描いた駅屋根は東京でもおしゃれな小田急線を彷彿とさせるが、そこで列車交換があるところが遠鉄らしいところだろう。
 
浜北駅で交換
 自動車学校駅からは地上を走る。この駅名はいかにも地方鉄道らしいが、ローカル鉄道にありがちな高校名ではないところに利用者層の幅を感じる。次第に緑や畑が増えて、車窓には郊外の雰囲気が広がってくる。沿線の中核駅と思われる浜北で列車交換があるが、上りは夕方のラッシュに合わせて4両編成となっていた。また遠鉄で感心するのは保線状態がきわめて良いことだ。分岐器の枕木もガラス繊維を使った合成枕木で最新式のものを使用している。
 ほぼ終日12分ヘッドの各駅停車のみという完全なパターンダイアで運行し、新浜松・西鹿島を32分で結んでいる遠州鉄道は、経営的にも安定した理想の地方鉄道である。
 
天浜線から眺める天竜川
 終点の西鹿島は、天竜浜名湖線の乗換駅でもある。西鹿島から天竜二俣まではふた駅と近いが、間には天竜川が立ちふさがっている。その先は南アルプスへと続く里山である。二俣と結ぶには、橋梁とトンネルの掘削が必要だったので、ここを終点としたのだろう。電車を降りて、地下連絡道で寂れた天浜線ホームに行く。これで静岡の鉄道はすべて乗り尽くしたことになる。これから再び天浜線の旅を楽しみ、掛川からは「青春18きっぷ」を利用して東京まで各駅停車で帰ろうと思う。6時間弱の長旅となるが、鉄道愛好家にとってはそれもまた一興というものだ。