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2016年8月29日月曜日

四国乗り尽くしの旅ノート

初日 8月24日(水) 晴れ

京都上空
中央やや左下に
御所が見える 
  1. 7:25羽田発ANA531便高松空港行は昨日の台風の影響で機材が787から767-300に変更になった。787はバッテリー火災で曰わく付きの機材だが最新式に乗り損ねてガッカリ。
  2. 羽田32L からテイクオフ。大田区上空を左旋回し、羽田空港を見下ろしつつ木更津から三浦半島、伊豆半島、静岡、その後雲に覆われる。Jetstarと高速で擦れ違う。ちょっと興奮。左下に都会が見えてきた。古墳かな、違う、あれは御所だ。京都上空を飛んでいる。大阪を遠巻きにしながら瀬戸内海。淡路島、大鳴門橋が見え、四国に入る。高度が下がり、高松空港を眺めつつ、いったん通り過ぎて、左に180度旋回しタッチダウン。この席は大正解。
  3. 8:40高松空港にタッチダウン。リムジンバスで高松駅へ。途中琴電のターミナル瓦町を経由。
  4. 今回空路四国入りしたは、①新幹線代が高く、日中の移動は時間の無駄なため。②フリー切符「四国グリーン紀行」(4日間有効)が四国でしか買えないため。③宇多津三角線をすべて走破するには岡山から高知方面に抜ける必要があり、指定席指定を受けるにはフリー切符購入後でなければならないため。ということで、最初に目指すのは高知駅みどりの窓口だ。購入したもの、四国グリーン紀行。指定を受けたもの、南風(岡山→高知のグリーン席)、あしずり(高知→中村の指定席)、あしずり(中村→窪川の指定席)。それ以外は穴子めしとお茶。
  5. 四国最初の鉄道は、琴電。長尾線 屋島を眺め、白山の脇を抜けて長尾。直ぐ折り返し。瓦町下車。
  6. →高松琴平電気鉄道
  7. 瓦町始発の志度線に。海が綺麗。琴電志度は平賀源内の生まれた町だった。源内観光。凄い人だと思っていたが、案外普通に出来る人のように感じた。でも、この観光、面白かったのは、炎天下に誰もすれ違わない源内通りに旅を感じて癒やされたこと。高松築港に戻り、宇高フェリーへ。
  8. 宇高フェリーで連絡船を感じたかった。迫る島。横切る瀬戸内海定期航路。混雑した航路を巧みな操船ですり抜けていく面白さ。
  9. 宇野駅へ。当時の面影は全くなさそう。宇野線はいかにも本州の田舎の風景が広がっている。岡山から倉敷へ。時間が余っているので、おまけのツアー。
  10. 水島臨海鉄道。背の低い里山の間に工場と宅地が広がり、そこを走る工業貨物鉄道。やよいの手前から単線の高架となろが、ここからノロノロ運転。行きも帰りもだから、高架線が老朽化したからか。水島が実質的な終点。みなここで降りる。三菱自工までは二人。
  11. 三菱自工水島工場は燃費データ捏造事件のため休業中。閑散とした工業地帯を水島まで歩く。ここから岡山に戻り、東横インにチェックイン。夕食は駅の吾妻寿司で、ままかり、穴子等。
2日目 8月25日(木) 晴れ

阿波池田に虹が架かる
  1. 7:08岡山発南風1号高知行。グリーン席、進行右側は一人席。明け方に雨が降ったのか、虹が見える。茶屋町まではJR西日本。瀬戸大橋からの眺めは悪くない。宇多津の三角線はあっという間に過ぎる。高松方面の分岐と予讃線を確認しつつ、宇多津へ。多度津から土讃線が始まる。似た名前でこんがらがる。山が近づき、琴電の単線を越えて琴平到着。ここまでは電化されて、時々サンライズの終点となる。
  2. 次第に山深くなる。中央構造線が通る吉野川北側の山地をトンネルを抜けると、谷底にひっそりとスイッチバックの坪尻がある。普通列車が停車する無人駅をあっという間に通り過ぎる。シャッターを押したところピンぼけ写真が撮れた。
  3. 吉野川の手前でトンネルを抜けると、標高約180m。対岸の阿波池田は120mほど。1.4㎞ほどの距離を7㎞大回りして下っていく。このUカーブは土讃線の見どころの一つ。吉野川の上に綺麗な虹が架かっている。谷底は霧の名残、上空は晴天。感動的な風景だ。池田町を虹の円弧が飾っている。
  4. 列車は吉野川をさかのぼり、祖谷口から小歩危へと進む。ここからは車窓左側の景色が良い。後日また通るからと我慢。今日は大歩危が見たい。大歩危で停車。さあいよいよこちら側の景色が堪能できると思ったら、雪除けトンネル風の柱と柱の間から景色を断続的に眺めることに。これには若干興ざめ。列車のスピードが速く、のんびりと景色を楽しむことはできない。ここは車で訪れた方がいい。
  5. 新政からは高知市への下り坂となる。木々が生い茂り、見通しは今ひとつ。
  6. 9:39高知着。すぐにあしずり1号中村行に乗り換え。グリーン席はなく指定席へ。折角のグリーン紀行なのに残念。須崎付近で太平洋が見える。南国の海の色だが、曇りがちのため今ひとつ。窪川を越えて、前から来たかった川奥ループ。一瞬の出来事で良く確認できない。今日はあと2回通るので、写真はお預け。
  7. 土佐くろしお鉄道線内に入る。空が晴れてきて黒潮らしい海の風景が広がる。中村からは各駅停車。カラフルなラッピングが施されたSUKUMO号で終点宿毛を目指す。12:04宿毛着。
  8. 駅前で昼食。店内は満席。外は閑散としているのに。
  9. 12:50宿毛発。13:24中村発あしずり6号。南海トラフを震源とする大地震の際には津波が押し寄せるこの地域。無骨な足組がむき出しで五階建て位の高さの避難場所があちこちに設置されている。
  10. 窪川下車。予定外だが幸運にも、臨時のしまんトロッコ号宇和島行に乗ることができた。四万十川の渓流を楽しむ。
  11. →川奥ループと四万十川
  12. 宇和島着後、明日の宇和海2号(宇和島→伊予市)の指定席(またもやグリーン席なし)を確保。
  13. 宇和島オリエンタルホテルにチェックイン後、港まで散歩。そのあと、鯛めしを食べにぐるなびお薦めのかどやへいく。美味しい!

3日目 8月26日(金) 晴れ
大洲城
堰き止められて鏡のような肱川。
堰は右側奥にある。ベストポジシ
ョンまで行く時間的余裕し。  

  1. 宇和島始発の特急のなんと早いことよ。誰も乗車しない5:33発宇和島2号松山行。宇和島を出るとすぐに山登り。ミカン畑の間をうねるように登っていく。ところどころで宇和海の入り江が見え隠れする。入り組んだ地形はリアス式か。ミカンの熟する頃にもう一度訪れたいものだ。
  2. 6:03着の八幡浜で謎が解けた。高校生がどっと乗り込んでくる。松山(5:58着)まで通う生徒達だ。宇和島2号は高校生特急だった。
  3. 伊予大洲に近づく。肱川の鉄橋から大洲城が見える。肱川には堰が切ってあって、白く泡立つ川の上に城が美しく浮かんでいる様に見える。行ってみたくなった。
  4. 伊予大洲は長浜経由と内子経由の分岐点。特急はすべて内子線経由。内子線は新谷・内子間のわずか5.3㎞。それ以外は予讃線。
  5. 内子は、和ろうそくの町だったか、それとも和時計?
  6. 伊予市下車。駅前に伊予鉄道の郡中港がある。あとでまたここに来る。駅に戻って、長浜方面を通り再び伊予大洲へ。こうしないと予讃線の走破はできない。伊予長浜までは穏やかな伊予灘に沿って進む。伊予長浜からは肱川に沿って伊予大洲まで。こちらが本来の予讃線だが、内子経由の短絡線が出来てからは、ローカル線になった。
  7. 伊予大須駅での待ち時間はわずか40分。駅から大洲城まで大急ぎで往復する。往復2㎞なので計算上問題ないのだが、駅の階段上り下りも含めて、疲れた!
  8. 宇和島8号で松山まで、37分。
  9. 10:22〜16:12 伊予鉄めぐり。全線乗車! 一切観光なし、道後温泉もスルー。
  10. →松山の心くすぐる市内電車
  11. 松山16:28発、いしづち26号高松行。四国グリーン紀行を持ちながらグリーン車の設定がない特急が多すぎる。いしづちにもなし。ところが併合運転しているしおかぜ26号岡山行にはグリーン車がある。無念!
  12. 今治到着直前に瀬戸大橋、しまなみハイウェイが見えたが、距離遠く家々に阻まれ、写真撮影のベストポジションなし。駅近くのお城マンションは健在。駅そのものは高架になっていた。
  13. 宇多津三角線の予讃線側を通過、これでここは完乗!
  14. 18:54高松着。宿泊先はリーガホテルゼスト高松。リーガロイヤル系のビジネスホテル。ちょっと贅沢。街に出て讃岐うどんを食す。お疲れさま。
4日目 8月27日(土) 曇り時々雨、のち晴れ
ごめんなはり線  西分・夜須間

  1. 朝食はバイキング、久々のゆっくり出発。
  2. 8:23高松発うずしお3号徳島行にはグリーン車なし。やっぱり! 9:36徳島着、9:51発むろと1号牟岐行。天気も良くないためか、印象に薄い。
  3. 牟岐で海部行の各停に乗り換え。海部に着く頃から晴れてくる。山がないトンネルを越えて到着。徳島は地味な印象。海部駅は味も素っ気もない。ここでやってきたのが阿佐海岸鉄道のふうりん号。車内は奇妙な飾り付け。甲浦(かんのうら)は突然線路がなくなったという感じの終着駅。ここからは高知県。予算が尽きて、トンネルが掘れないから終点、みたいな。高架線路の下には、一応それらしい駅舎が建っている。ここに数名の旅行客が、室戸岬目指してバスを待つ。とにかく、公共交通機関を使って旅する人はほとんどいないのが現実。
  4. バスで室戸岬経由で奈半利まで。約2時間。
  5. 奈半利14:01発の土佐くろしお鉄道。青い空、深い色を湛えた青い海、白い波、どこまでも続く鉄路。この景色が見たかったのだ! 1時間の快適な旅。御免で下車。
  6. 御免から御免町まで徒歩1.2㎞。とさでんのLRT通過。シャッターチャンスを逃す。
  7. とさでん。専用軌道のような路面電車のような住み分け。はりまや橋のダイアモンドクロス。単線区間のタブレット。面白い路面電車だ。完乗!
  8. →「とでん」と言えば…
  9. 再び突然の雨。激しい雨。高知パレスホテルにチェックイン。夕食は、鰹のたたき三種盛り(かつお、塩鰹、鯨)。

5日目 8月28日(日) 曇り時々晴れ
金刀比羅宮奥社からの眺め
讃岐富士の向こうに瀬戸内海

  1. 高知→阿波池田。南風4号グリーン車。1時間11分間。進行右に席を取り、小歩危の景色を楽しむ。スピード早く、写真は撮れない。
  2. 池田高校確認。
  3. 吉野川下りは、徳島線の剣山4号で。グリーンなし。特段記すべきことなし。
  4. 徳島から鳴門へ。途中、レンコンばたけ?
  5. 池谷はデルタ駅。
  6. うずしお12号で高松へ。
  7. 四国最後の鉄道は、琴電琴平線。金比羅参り。讃岐富士を目指して走れ!
  8. →高松琴平電気鉄道
  9. 金刀比羅宮参り。階段は辛いが、折角来たのだからと、奥社まで行く。身体ふらふら。門前の讃岐きつねうどんが実に旨かった。どんぶりを覆い尽くす四角い油揚げ!
  10. 帰りは栗林公園下車。夕暮れの公園をすべて歩き回り見学終了。瓦町を通って、アーケード街を歩き尽くす。駅前でセルフのうどん屋に挑戦。缶ビールの注文で、自分で取らずに失敗!
  11. サンライズは21:16発車。駅の店は21:00には閉店。なんたること。入線したらすぐに乗車。出発前にシャワーも済ませてしまう。デラックスシングルは実に快適。ワインで祝杯。ほろ酔い気分でそのまま就寝。

6日目 8月29日(月) 晴れ? 

  1. 7:08東京着。四国全線走破の旅が終わった。総延長1113.1㎞を5日間でまわったことになる。達成感! 
  2. ただし鉄道の定義にもよるが、0.06%未乗路線がある。高松市の八栗山(五剣山)にある八栗ケーブル684mである。これは後日行きたいものだ。厳密にはこれを以て四国制覇とすべきだろうけれど、二度達成感を味わおうと思う次第。
  3. 祖谷温泉の露天風呂に降りるケーブルカーはどうする? これは、旅館内のエレベーター扱いとして記録からは除外できるかもしれない(乗りたいけれど)。長野県小諸市の菱野温泉常磐館には「登山電車」があり、こちらは途中で登りと下りが交換する本格的なケーブルカー仕様。でも、法規上はエレベーターだという。実際、ホールのドアと車両(?)のドアが連動して開閉し、乗った人は上下ボタンを押して移動する。まさに構造はエレベーターそのものだ。祖谷温泉のものは、一両が上下する、まさに斜めになったエレベーター。しかし、姿形は見事なまでにケーブルカーそのもの。番外として、乗らねばなるまい。
(2016/8/24〜8/29乗車)

2015年4月1日水曜日

ぐるっと紀伊半島ひとめぐり 補遺


ぐるっと紀伊半島ひとめぐり 旅のノート

 この旅を通して、参宮線・阪和線・紀勢本線・伊勢鉄道・関西本線を乗り尽くした。特に紀伊半島を一巡りした4月2日の旅は、「ぐるっと紀伊半島ひとめぐり」として掲載した。このノートはその前日の行動を記したものである。
  1. 2015年度初日のエイプリルフール。曇天、風はなく寒さを感じるほどでもない。東京の桜は既に満開。東京6時16分発のぞみ3号博多行、14号車10E席。東京からの乗客はまばら。品川が出来てわざわざ始発駅から乗る人はめっきり減った。東京駅構内の「駅弁屋 祭」で購入した丸政のカツサンドはねっとり感が足らず残念。静岡に入ると黒雲たれ込め雨模様となる。
  2. 名古屋8時10分発近鉄特急賢島行、名伊特急22000系に乗車。6号車8D席。木曽川・揖斐川(いびがわ)の大河を2つ渡る。「その手は桑名の焼き蛤」まで18分、三岐鉄道北勢線の乗換駅。近鉄から引き継いだ軌間762㎜のナローゲージ。近鉄富田からは三岐鉄道三岐線。これがナローゲージかと思ったが、こちらは狭軌。近鉄の広軌と比べるととても狭く感じる。
  3. 四日市からは湯の山温泉、あすなろ鉄道乗換。高架の大きな駅、例えば吉祥寺のようなところ。白子の手前で分岐したのは何線?高速通過で駅名わからず。〈伊勢若松駅かから分岐する近鉄鈴鹿線〉 白子はしろこと読む。中川行各停に接続、結構乗車。今にも振り出しそうな空模様。
  4. 快速みえ?と併走。あちらはいつの間にか非電化。間もなく津。JRの方は鄙びている。あちらは特急かも。<名古屋8時05分発の特急ワイドビュー南紀南紀1号だった。伊勢鉄道の高架区間を快走中で、こちらが津を9時ちょうどに発つ際に、あとから到着していた>
    中川連絡線は単線。名阪特急は伊勢
    中川でスイッチバックすることなく
    通過可能。           
  5. 中川が近づくと田園風景が広がる。連絡線が見えれば伊勢中川。ホーム反対側に賢島発難波行の阪伊特急、接続の素晴らしさに惚れ惚れする。
  6. 松坂はまつざかではない。濁らなかった。
  7. 伊勢市、伊勢神宮外宮はこちら。非電化のJRには広大な引き込み線、いにしえの殷賑が偲ばれる。宇治山田、五十鈴川と各駅に停まる。殆どの人は中川で難波行に乗り換えたので車内は私一人。五十鈴川で暫く停車するのはひょっとしてここから単線?そんなことはなかった。町はここで尽き、山と海の風景に変わる。
    近鉄鳥羽駅。ここの番線は変わって
    いる。右から3456と続き、更に左に
    JRが右から021となっている。  
    22000系のテールランプ右が赤く点
    灯している理由は不明。開いたドア
    と連動しているのだろうか。   
  8. 先頭車両,運転席の後ろからの眺めはあまり良くない。
  9. JRとの乗り換えは跨線橋で結ばれていて改札口もなくスムース。ただし、新しく明るい近鉄のホームに対して、JR参宮線の終着駅ホームは古色蒼然としている。
  10. 鳥羽からは単線非電化の参宮線。快速みえ名古屋行、キハ75 102。2両編成。1両の中に快速でありながら24席分の指定席ゾーンがある。名古屋までのほとんどの区間は単線であり、河原田で関西本線に入るまでは非電化ということもあって、近鉄特急とは競合しないと思いきや、特急料金がいらないこともあって近鉄よりも安く名古屋に行ける。名古屋まで近鉄特急は1時間40分、3,030円。快速みえは2時間ちょっとで2,450円。
    鳥羽駅1番線ホームは切り欠き型の
    行き止まりホーム。      
    キハ75快速みえ名古屋行。   
  11. 鳥羽を出ると近鉄線より海側を通るので、ローカル色たっぷりで景色が楽しめる。海は凪いで海苔いかだが浮かんでいる。あいかわらずの曇天で視界は悪く出来の悪い水墨画を観ているようだ。この列車、近鉄よりも鈍足だが、伊勢市からも結構乗って来る。まずまずの人気振りだ。
  12. 多気までが参宮線で、ここは紀勢線の乗換駅。ここから津までは明日も通る。松坂で5分停車。たくさんの人が乗車、それでもクロスシートの隣には誰も座らない。申し訳ないなあ。下りの快速みえと待ち合わせ。あちらは4両。
  13. 快速みえは津から伊勢鉄道に入る。明日特急南紀で行くので、私は紀勢本線を乗り尽くすために、明日は通らない津・亀山間に乗るために、ここで各駅停車の待ち合わせをする。津駅も鳥羽駅同様に跨線橋で近鉄と結ばれている。どちらも乗降客の多い近鉄に改札業務の委託をおこなっているのだろう。近鉄側のコンコースには売店とパン屋がある。売店でビールを、パン屋で松阪牛カレーパンとウィンナークロワッサンを購入。ここではサービスでコーヒーが付いてきた。これは良いサービスだ。JRホームの閑散とした待合室で昼食をとる。雨は蕭々と降っているが、気分は最高。
    キハ11 2 JR東海のローカル線用
    気動車         亀山駅にて
  14. 津からの紀勢線は鄙びた里山を巡る雰囲気路線だ。桜や菜の花、赤いのは桃だろうか。入母屋造りの農家の軒先に美しく咲いている。雨は降り止まない。
  15. 亀山の駅にディーゼルのアイドリング音が響く。12時のサイレン。にわかに雨音が駅舎の屋根を激しく打ち始める。亀山で昼食にしなくて良かった。切符は下車前途無効、駅に売店なし。
  16. ここは今では過剰な設備の超立派な国鉄駅。1番線中央には改札口。機回し線を挟んでホームが二本あり、2番線から5番線まである。長いホームに最長でも4両編成がちょこんと停車する程度。
  17. 関西線乗り尽くしのために、名古屋行普通電車に乗って、伊勢鉄道との分岐駅河原田までを往復する。乗車した電車はクハ312 1309。
    クハ313系 JR東海の近郊系直流
    電車        亀山駅にて
  18. 河原田で下車した際、これは失敗かと思った。伊勢鉄道と合流するポイントは河原田駅の先にあるようで、伊勢鉄道の河原田駅とは津軽当別のように段差があったからだ。しかし、一駅先まで行くと1時間のロスとなる。記憶によれば確か伊勢鉄道は河原田までのはずと、イチかバチかで飛び降りた。車内アナウンスによれば、伊勢鉄道乗り換えはやはりこの駅なのである。降りた後地図で確認すると、やはり伊勢鉄道はここまでだった。この先は明日の乗車となる。ホッとしながらすぐ来た亀山行に乗る。今度の電車はクハ312 1331。
    キハ120形  JR西日本のローカル線用
    小型気動車      亀山駅にて
  19. 関西本線は名古屋から亀山までがJR東海で全線電化、亀山からはJR西日本となり非電化となる。使用されている車両は、JR西日本がローカル線用に開発した小振りの気動車キハ120系である。JRの乗り継ぎは利用者の不便を強いる場合が多く、ここでもわざわざ跨線橋を渡らなければならない。近鉄を見習って欲しいものだ。
  20. キハ120 8。40人ほどが乗車し混雑するが、次の関・加太で下車する人が多数いて、ロングシートに全員座れるほどになった。それにしても景色を背にしながら乗るのは楽しくない。柘植は草津線乗換駅。あちらは電化。遅れの草津線を待って出発。
  21. 左手丘の上にお城が見えて伊賀上野。忍者好きの外国人バックパッカー多数乗車。外国人観光客はこんなところまで来るのかと思うが、考えてみれば自分だって日本の忍者を知っていたら来るに違いないと納得する。伊賀鉄道乗り換え駅。伊賀鉄道の終点、伊賀神戸で近鉄の普通電車から特急に乗り換えたことを思い出す。ここはまた訪れることになるだろう。
  22. 天気は優れないが、笠置手前は渓谷美、桜も見事。山が開けて終点加茂。非電化はここまでで、この先は大和路快速に乗り換える。
  23. 木津で奈良線・片町線と合流する。ここからは複線区間となる。
  24. 高架になった奈良駅に初めて来る。かつて仕事で停まったことのある国道369号線沿いのビジネスホテル・アジールが見える。旧奈良駅駅舎も。桜井線も高架に繋がった。
  25. 法隆寺から天王寺までは未乗区間。王子から柏原まではちょっとした渓谷になっている大和川沿いを走る。その後は街中を走って天王寺へ。この快速は大阪行のため、新今宮で降りて、後から来る王子発JR難波行の各駅停車を待つ。
  26. 関西本線の終点は、今宮で大阪環状線と分かれて一つ目のJR難波である。なんの変哲もない地下駅。階段を上がるとなんばウォークと呼ばれる地下街。そこを1㎞ほど歩いて南海電鉄の難波駅を目指す。難波駅は関東の感覚では推し量れない大ターミナル。線路数8本もある櫛形の終端駅。ここから羽衣まで行き、阪和線の羽衣線に乗車する。
(2015/4/1乗車)

2012年12月26日水曜日

東海道本線昼景色ノート

鉄旅の備忘録より

 2012年夏に「東北本線昼景色」の旅に出たが、それが思いの外面白く、その第2弾として東京から小倉までを景色が楽しめる昼間に鈍行列車で乗り継ぐ計画を立てた。途中、乗り尽くしの旅の一環として岡山では路面電車に完乗したり、赤穂線に完乗したり呉線で呉を訪れるなど、少々欲張りな計画である。以下はそのうちの東海道本線編ノートである。旅行記にまでまとめあげることはなかったので、ノートの形で残すことにした。 2012年12月26日実施。なお、同日は岡山泊。続きは山陽本線昼景色を見よ。
  1. 6:07東京発。購入した駅弁は鳥取のカニ寿司。グリーン2階席で食べながら出発。辺りは真っ暗。有楽町、晴海通りも真っ暗。
  2. 戸塚・東戸塚地点で上りサンライズとすれ違う(今回の旅の帰路に乗る予定。帰りはどんな思いでこの列車を見送るだろうと考える)。
  3. 朝日を浴びた相模湾がまぶしい。
  4. 熱海駅で最初の乗り換え。ここからはJR東海。ホームが違うため、階段の降り登りがあって面倒。
  5. JR東海の電車静岡行きは何とロングシート。座って乗っても何にも面白くない。
  6. 昔三島まで写真を撮りに来たことがあったが、どこかわからなかった。
  7. 沼津から運転台後ろで立って楽しむ。ところが、苦手な鉄道ファンがかなりいる(自分を映し見る様で何となく避けたいのだ。)。
  8. その中の一人は、完全なトランス状態。あたり構わず話し掛けている。最後に捕まったのは僕。観念して優しく熱心に相手する。話しているうちに驚いた。彼は鉄道ファンではなくて、富士山マニアだったのだ。美しい富士山がだんだん大きく見えてくる。彼の興奮も高まる。「みんな見ているよ」と嬉しそう。終点の静岡まで乗車し、県庁の無料展望台で楽しんだ後、小田原まで新幹線で富士山を楽しみながら戻るのだそうだ。富士山だけでなく、遠くに南アルプスの白い山並みが見える。
  9. 鉄道ファンにオタクが多いのはどうしてだろう。いや、問題の立て方がおかしいか。ファンはみんなオタクかも。知識体系の幅が広い鉄道は、オタクにとって格好の興味の対象なのだろう。優れた人や普通の人からちょっと風変りな人まで、すべてを包み込む鉄道という趣味。何と懐の深いものであることか。
  10. 東田子の浦から富士にかけて、富士の真横を東海道線は突っ走る。手前の里山も切れて、もっとも間近に裾野が美しく広がるところだが、この辺りは製紙業がさかんな地域でもある。錆の浮いた製紙工場が連らなり、真っ白な煙をもくもくと上げている。吉原からは岳南鉄道。静岡乗り尽くしの際には再訪することになるが、この工場地帯はいただけない。
  11. 富士川は素晴らしい橋梁だ。はやぶさ・富士で通った時を思い出す。
  12. 由比から興津にかけては海岸まで山が迫っているので、東海道線・国道・東名自動車道が寄り添って走る。最初に開通したのが東海道線であることは、線路脇の頑丈そうで無骨な防波堤の名残から推測できる。あとになって、海側に道路が造られていったのだろう。なお、このあたりは「左富士」で有名な所だそうだ。前方に気を取られ、また富士マニアが左富士を知らなかったため話題にならなかったので、見はぐった。
  13. 清水から静岡鉄道が併走して静岡に着く。これも乗りに来ないといけないなあ。
  14. 静岡からはまたロングシート。安倍川はどうして連濁しないのか。むかしから安倍川餅って言ってたなあと取り留めもないことを考える。立派な橋梁だ。
  15. 島田を過ぎると長大な大井川を渡る。ここからは白いアルプスは見えない。小夜の中山も近いこの辺りは牧ノ原台地が広がる起伏の変化に富んだ所で静岡茶の産地でもある。大井川橋梁を越えると列車は右に90度曲がり、徐々に高度を上げて金谷の駅に着く。SLの時間ではないようだ。大地の窪地をうねりながら、菊川から掛川へと進む。周囲は茶畑で囲まれている。新幹線と併走して掛川に到着。ここからは天竜浜名湖鉄道(天浜線)が分岐する。旧二俣線には近々訪れる予定。
  16. 掛川から浜松まではかつて車窓展望を楽しんだことがある。このあたりは新幹線と併走し、しかも高架橋ではないので間近に見ることが出来る。天竜川を渡れば浜松は近い。
  17. 浜松で乗り継ぎは、やはり階段での上り下りが必要。一体どうなっているのだろう。
  18. 浜名湖あたりの風景は美しい。弁天島で少々停車しているうちに、新幹線が高速で行き交う。日本の大動脈であることを実感する。とにかく頻繁に通る。
  19. 豊橋からは漸くクロスシートになった。長時間立ちっぱなしだったので嬉しい。乗った電車は「新快速」大垣行。豊橋駅では飯田線と名鉄が同居。
  20. 名古屋付近は線路も複雑で、とても覚えきれない。中央線が合流。名鉄も併走。賑やかだ。名鉄全線走破は大変だろうなあと思う。関東に住みながら、東武全線走破が大変だったことを思いだす。面白いばかりではないし。清洲は織田の清洲城のことかあ。岐阜は山城が見える。一度降りてみたいな。遠くの山並みに白いものが見えてきた。大垣に近づくと徐々に上り坂になって山が近づいてくる。そのうちのひとつ、行く手に見える真っ白い山は伊吹山に違いない。
  21. 大垣で小休憩。一旦改札を出て予定通りドトールに行く。食べ過ぎないよう、水分の補給とトイレにも行っておかないと。
  22. 大垣・米原間は東海道線内唯一のローカル線である。関ヶ原は地形的には勿論のこと経済的にも東西を分かつ境界線なのだということを実感する。近郊電車の半分は岐阜で折り返し、残りも殆どが大垣止まり。この先は1時間に2本程度となる。
  23. 大垣は交通の要衝で、東海道本線以外に、樽見鉄道・養老鉄道・美濃赤坂行(東海道本線)が走っている。更に東海道本線もこの先の南荒尾信号所で上下別線となって、愛好家にはたまらなく魅力的な場所である。各駅停車の旅なので、下り専用線には入らず、通称垂井線で垂井を目指す。ここは面白い。垂井線は複線に見えるが、実際は東海道本線上りの高規格線路と各駅停車専用の低規格線路垂井線が併走する奇妙な場所である。垂井駅に停車する必要のない優等列車や貨物列車は、すべて高規格線路の下り専用線に回る。一方上り優等列車は垂井経由となる。雪が交じり始めた。このあたりは日本海側の気候が入り込んでいるのだろう。
  24. 美濃赤坂から草津までは、かつて中山道であった。東海道は熱田から桑名にでて四日市経由である。
  25. 関ヶ原を越えると峠があり、そこから米原までは坂を転げ落ちるように下っていく。伊吹山が大きく聳え立つ。
  26. 米原で乗り換え。JR西日本の新快速網干行、先頭車両の乗る。運転手は女性。クロスシートで快適だ。このあたりは琵琶湖線と呼ぶらしい。地元の人にはいいが、我々旅人にはどこを走っているのが琵琶湖線かはわからない。
  27. 雪が交じっている。彦根城が見える。安土城の場所は確認できなかった。近江八幡といえばたねやかな。看板見あたらず。
  28. 野洲には電車基地。
  29. 草津からは複々線。新快速の真骨頂。ところで新快速が早いのは衆目の事実だが、ギリギリの運転をしているなと思うのは駅に停車する時の制動距離の短さである。ブレーキ操作が難しそう。カクカク制御しながら運転している。他の民鉄との対抗上、スピードが命なのだろう。JR東日本にも見習って欲しいものだ。だが、一方でここまでスピードに拘るからこそ福知山線の事故は起こったのだとも思う。怖いくらい速いのである。関東では京急が120㎞運転をしてスリル満点だが、こちらは130㎞運転である。
  30. 大津が近づき天候も回復。叡山も見えてきた。逢坂山トンネルを抜ければ山科だ。湖西線と合流。
  31. 東京からずうっと一緒だったハンチングの人物は京都で降りた。こちらはまだまだ先だ。
  32. 山崎サントリー。茨木。新大阪、そして大阪へ。
  33. さくら夙川あたりは高級住宅街なのか。芦屋。
  34. 灘、灘中高はどこだろう。六甲山が大きく迫り、住宅街を見上げる様になる。
  35. 三ノ宮の次が神戸。この電車の終点はまだ先だが、東海道本線昼景色はここまで。

2012年12月25日火曜日

山陽本線昼景色ノート

鉄旅の備忘録より


1~9は12月26日「東海道本線昼景色」の続き。10~は翌日27日の記録。
  1. 線路上の戸籍とは別に新快速は何事もなかったかのように神戸駅を出発する。東北縦貫線が開通すれば、東北線と東海道線が直通するが、東京駅を通過するときに特別な感動があろう筈もない。それと同じ。でも、東京から来た身にはついに来たなあという思いはある。ただ、ここから山陽本線が始まるにしては、ここ始発の列車がないだけにちょっとあっけない感じはある。
  2. 明石海峡大橋、明石の天文台?
  3. 途中で徐行
  4. 姫路で乗り換え。DC特急のあとすぐ。
  5. 網干、相生から赤穂線へ。夕暮れ迫り、播州赤穂。乗り換え。
  6. 瀬戸内海が少し見えるがすぐに日没。
  7. 大多羅、岡山着。
  8. すぐにチェックイン。福寿司で、生ビール、酢の物、冷酒、特上ままかり寿司。
  9. 岡山電気軌道でまず東山、戻ってから清輝橋、戻って宿へ。
  10. 5時起床。5:50発。
  11. 尾道はまるでジオラマのような風景。狭い海峡にびっしりと町が広がり、中腹をうねるように山陽線。上をしまなみハイウェイの橋が架かる。冷え込んだ朝、海水温の方が高いため海からは霧が湧き起こる。幻想的な風景。
  12. 糸崎で乗り換え。何と味気ない103系ロングシート。三原は新幹線も停まるちょっと大きめの町。高架線上に駅。ここで新幹線と山陽線は真っ直ぐ山に向かってトンネルに吸い込まれていく。呉線は大きく左にカーブを切り、徐々に高度を下げて渡河、正面の山を回り込むように左カーブを切るものだから、とうとう山陽線と平行に東へ向かい、小さな半島の縁を再び180度右に進路を変えて西に向かう。この間、瀬戸内海に沿って電車は走り、遠くにしまなみの橋を見届けながら、風光明媚な景色が楽しめる。日の出の太陽が徐々に高度を上げるなか、
    呉線車窓 海霧の夜明け
    海面からは沢山の霧が湧き起こる。それがオレンジから金色に輝いて美しい。
  13. 瀬戸内海の風景を堪能するには、頭の切り替えが必要である。箱庭のような美しい風景の土地には、沢山の人が昔から住んでいる。盛んなのは海運と造船業。近代日本の牽引車だ。そして海運はコンビナートを発達させている。大規模な火力発電所。これらがすべて美しい風景の中にある。工場群は美しくない。しかも巨大な煙突からは、浄化処理された白い煙とはいえ、もくもくと大気中に放出されている。ところどころで工場地帯は途切れる。いきなり美しい島と海岸が現れる。しばらく行くと集落が現れ、また工場地帯。
  14. 呉線が走る所は特に近代日本の先進工業が発達した所。戦前は、軍艦は勿論のこと零戦を始めとする戦闘機の生産一大拠点であった。工場労働者ばかりでなく、先端技術者が多く集まり、日本の頭脳集団が暮らしていた場所なのである。その伝統は今も受け継がれている。巨大な造船所の回りには、そこで働く人達が乗ってきた自家用車がびっしりと取り囲んでいる。
  15. 呉は、造船と自衛隊の街。だから呉線は単なるローカル線ではないのだ。赤穂線と同様、このあたりの山陽線の方がローカルなのである。
  16. 大和ミュージアム、鋼鉄の鯨。見所多し。江田島の向こうに厳島が見えることを教わる。
  17. 呉から広島までは、快速安芸路ライナー。途中列車交換があるので、それほど速いわけではない。運転席にはモニターがあり、次停車とか表示される。驚いたのは、速度制限がでたり、急カーブ表示があること。福知山線事故の反省からであろう。JR西日本は、制限速度一杯に運転しているので、必須の装備と感じた。ここの海がまた綺麗だ。広島は海が綺麗だ。だからこそ牡蠣が美味しいのだろう。
  18. 広島から宮島口を通って大野浦まで。次は岩国まで。
  19. 岩国から新山口まで。ここは周防大島の橋が見所。以前、見たことがある。たぶん、みずほで長崎に行った時だ。大学生の時。思い出に残るのと全く同じ橋が現れた。記憶は確かだ。このあたりも風光明媚。光を過ぎ下松からは海とお別れ。山側の席に移る。
    大畠瀬戸にかかる大島大橋
  20. 防府は趣のある町。山が西日に当たって美しい。山は石灰岩質、秋芳洞にも近く、またこの先はセメント工業の盛んな所だ。
  21. 新山口はかつて小郡と言った。かつてホームに立ったことがあるが、風景に記憶はない。乗り換え。
  22. いよいよ本州の端は近い。起伏の激しい所で小さな峠をいくつも越える。路線は地形に逆らわないようにくねくねと曲がる。海からは遠い。
  23. 幡生で非電化の山陰線が合流する。複線の山陽本線の間を下から這い上がってくる。下関駅に近づくと右側から海が近づく。これは下関漁港・下関湾であって、関門海峡ではない。
  24. 本州の果て、下関駅はエキゾチックで重厚な駅である。いにしえの繁栄を彷彿とさせるかのように、長大で広々としたホームには、どっしりとした屋根が被さっている。柱はレールを用いた鋼鉄製だ。今、ここに停車する長大編成の長距離列車は残念ながらない。山陽本線はこの先門司が終点だが、JR西日本はここまでで、最後の一駅まではJR九州となる。夕暮れ迫る関門海峡を通り、今回の旅の終点小倉に向かった。
  25. 小倉から東京に戻る。残念ながら直通の寝台特急はない。今の時間、のぞみならそのまま深夜に東京に着く。それでは面白くない。今回採った方法は、山陽本線昼景色区間は、JR九州のさくらで、その先はサンライズ瀬戸で優雅に帰るというものだ。さくらの停車駅は小倉、徳山、広島、福山、岡山。ビールとかしわ飯弁当で夕食。さすがJR九州車両、指定席はグリーン並みの横4列。肘掛けやテーブルに木をふんだんに使っている豪華仕様で実に快適。通路ドア上のLED表示も大きく見やすい。山陽新幹線を利用するときは、新大阪で乗り換えよう。
  26. 岡山からはマリンライナーで高松へ。ここは青春18が使える。20分の待ち合わせで、サンライズ瀬戸は出発。

2012年8月22日水曜日

北海道・行ったり来たり真ん中の旅ノート



深川 → 旭川 8/22 晴れ

 先頭車窓を楽しむ。JR北海道は前方風景を楽しめるのがよい。スーパーカムイ?号は深川を出るとまずは真っ直ぐな線路が続く。そこを120キロで疾走するのは気持ちよい。線路がしっかりしているし平坦で、走るのは絶好の場であるが、鉄道特有のわずかに蛇行運動するのがわかる。この動きを抑えないとその上のスピードは出せないのがわかる。石狩平野の端に近づくと、レールは大きく右に曲がり山並みの中に突入していく。トンネルの手前ギリギリのところで制動がかかり100キロまで減速する。トンネル内で高速走行中に石が舞い上がり、窓ガラスが割れた事故への対応だそうだ。各駅に列車遅延の貼り紙がある。原因不明のため、対策がたてられるまでの措置だという。何本かあるトンネルでは、バラストの上にシートを張り、重しが置かれて飛散防止が図られていた。それでも100キロ走行である。
 今回前方で初めて知ったのは、トンネル内での濃霧である。中間あたりで前方視界が突然悪くなる。(霧の)固まりがあるのだ。でも減速はしないので、ちょっと不安になる。運転手の方が暗い中前方にいるので見えるのだろう。
 旭川が近づく。すっかり変わっていた。(駅舎は)木と白い鉄骨とガラスのオブジェである。市民の寄付を募ったのか、壁面の木のパーツ一つ一つに名前が記されている。僕も参加したかった。
    
旭川 → 新得  8/23 曇り時々小雨

富良野駅で
  高校生通学列車。(旭川を出て最初の駅)神楽岡からは女子高校生が明るく元気に乗車してきた。そのあとをぐずぐず乗ってくる男子高校生。次の緑ヶ丘あたりは町並みが雑然として人口が多いのがわかる。この駅でも男子高校生は女子高生のあとから乗車。どこへ行っても、元気なのは女子。近頃の男子はどうなっているのかと改めて思う。
   旭川から離れるにしたがって、町並みが良くなる。西御料で高校生16名が下車し、別の高校生13名が乗車してくる。がらっと雰囲気が変わり、女子5名は席に着くなり携帯とゲームで楽しみ始める。だいぶ校風が違うようだ。
 車窓には田圃が広がる。西瑞穂・西神楽、いかにも日本的というか神話的な地名が続く。出雲あたりからの入植者が多かったのだろうか。
広内信号場 キハ40
 千代ヶ岡。このあたりは稲と蕎麦が多い。丘が多くなってきた。山も少し姿をあらわしてくる。千代ヶ岡から峠を下り北美瑛へ。いかにもそれ美瑛っぽい丘、つまりCMで取り上げられるような風景が広がってきた。美瑛駅は石積みでカッコいい。さすが有名観光地。この美瑛ではすべての高校生が下車し、替わりに観光客が乗ってくる。8:21、観光開始時間なのだろう。 
 富田ファームの前を通って、富良野へ。ここでは20分停車。列車を切り離し、この先は1両になる。17名乗車している。雨が降り始める。旭川からの富良野線はここまで。ここからは根室本線だ。本線とはいいながら、根室本線を走り通す列車はない。始点の滝川から新得までは完全なローカル線であり、優等列車は走らない。釧路から根室の間も快速はあるが、あとは各停だけ。
西新得信号場 283系
 空知川から金山湖、落合で旧線と別れ右にカーブしつつ日高山脈に穿たれた新狩勝トンネルに突入する。トンネル内で石勝線と合流、交換施設も完備した落合信号所がトンネル内にある。トンネルを抜ければそこからは十勝平野である。列車は緩やかな大カーブと穏やかな傾斜で造り直されたルートに沿って、ゆっくりと新得の町へ下っていく。かつては日本の三大車窓の一つに数えられた旧狩勝峠にも近い。標高差およそ200mをとてつもなく大きなS字カーブで下る。途中いくつもの信号場があって、車両交換も頻繁に行われる。

  
新得駅 261系
新得 → 追分 8/23  曇り

 新得の蕎麦屋「みなとや」に寄る。冷酒でほろ酔い気分。居眠りしながら追分まで。ということで記録なし。





  
追分 → 岩見沢 → 追分  8/23  曇り   キハ40 1788

岩見沢駅 
 さて、この室蘭本線、なんとも時の流れに取り残された感がある。土地も豊かに見えない。石狩平野の向こう側に、日本海側の山並みが見える。岩見沢駅は美術館のような美しいデザインだ。JR北海道の新しい駅はどこも意匠を凝らした素敵なものが多い。(このあたりの)室蘭本線は忘れ去られた、見捨てられた鉄道なのだろうか。
 岩見沢から一駅区間は北海道らしい豊かで伸びやかな風景が広がっている。よく整地された牧草地と田圃、小じゃれた建物。ところがそこを過ぎると風景は一変する。そこかしこの農家は今も生計を立てているのだろう、醗酵した牧草から漂う強烈な酸っぱいような匂いが漂っているのだが、手入れを忘れた土地が多く、荒廃しているのだ。しかも、途中からは非電化複線という日本離れした風景で、まるでイギリスの鉄道を見ているかのようだ。炭鉱時代の名残なのだ。それが今は使われぬまま放置されている。
室蘭本線(左)と石勝線
 追分は、かつて鉄道の町だった。駅前東側は住宅地が広がり、西側は広い構内のむこうは荒野に見える。そこに室蘭本線と石勝線が同居している。室蘭本線は堂々とした複線だが、線路は赤茶けて枕木に犬釘で固定されている。歴史を感じさせるつくりだ。一方、石勝線は単線ながらコンクリート枕木と重いレールを用いた高速対応となっている。
  
追分 → 夕張 → 新夕張 → 札幌  8/23  曇り

 夕張線は廃墟の中を走る。かつてそこにはたくさんの人が暮らしていたが、今は人の住まない集合住宅がたくさん点在している。シャッターの降りた商店、レールを外されて空っぽになった異様に広い構内をもった駅、あこには今はめったに閉まらない踏切や長い長い屋根付き横断歩道橋など、すべては炭鉱列車が頻繁に通っていたころの施設なのである。ここでは風景が化石化している。
夕張駅
 しかし夕張駅前には、これまた異様に小じゃれたホテルがでんと建っている。今どき観光客は鉄道を使わずバスでやってくるのだろうけれど、果たして部屋は客で埋まっているのだろうか。夕張市は財政破綻団体だったはずである。
 駅隣りの店で、夕張メロンジュースを飲む。500円也。メロンがたっぷり入って大変おいしい。ただ店の人によれば、夕張メロンはほとんどが東京出荷されてしまい、地元には残らないのだそうだ。旬は5月から7月、このジュースも今季最後だそうな。ラッキー!
 乗車してきた気動車で新夕張へ。ここで特急に乗り換え、札幌へ行く。
 宿泊は大通公園のビジネスホテル。夕食はラーメン横丁へ。

 
札幌 → 千歳 → 追分 → 苫小牧 → 函館 → 新青森 → 上野 8/24 曇り

 札幌駅は見違えるばかりに美しく立派になった。京都駅に引けを取らない豪華な造りである。北の玄関駅の名に恥じない意匠だ。
Furico
 でも個人的な好みを言えば、真黒く煤けたホームの方が気に入っている。気動車特急を数多く擁するから、天井や柱は真黒なのだ。こういうところは英国に似ている。電車は静かに出発の時を待つが、Furicoは轟音をまき散らしている。朝だけに、ビジネススーツに身を固めた人が多く乗っている。
 7:41千歳発追分行キハ40 1715はJK・DKで満員だったが、急にぞろぞろと降りていく。7:25発手稲行に乗り換えるためだった。つまりこの車両はここまで高校生を運んでくるためにあり、これからはまるで回送列車にように私を追分まで運んでいくのだった。今回3回目の追分。ここから苫小牧まで室蘭本線完乗の旅が続く。