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2018年5月9日水曜日

日本一の絶景鉄道(ケーブル部門)

 これまでも何度となく触れたように、ケーブルカーは鉄道の仲間である。日本には一体どれほどのケーブルカーがあるのだろうと、思いつくままに北から順に数えてみたのが次のリストだ。厳密な名称ではなく、大雑把な場所で示したものもある。このほかにも旅館がエレベーター代わりに敷いた線路もあるのだが、ここでは一応鉄道法によって定められたものだけを取り上げてみた。

 青函トンネル記念館(青森)、黒部・立山(富山)、筑波山(茨城)、高尾山・御岳山(東京)、大山・箱根(神奈川)、十国峠(静岡)、坂本ケーブル(滋賀)、叡山ケーブル・鞍馬寺・天橋立(京都)、生駒山(奈良)、男山・信貴山(大阪)、高野山(和歌山)、妙見山・六甲山・摩耶山(兵庫)、八栗(香川)、皿倉山(福岡)、別府ラクテンチ(大分)

 このうち八栗と別府のケーブルには残念ながらまだ乗車したことがない。であるから、これから紹介するのはあくまでも中間報告、暫定レポートであることを言い訳のように記しておきたい。

「馬鹿と煙は高いところが好き」というのは、舞い上がって目立ちたがる者を揶揄した言い回しだが、目立ちたいとは思わないものの高いところは絶景がつきものだから是非訪れてみたいもの。ケーブルカーの魅力はそれに尽きると言っても良い。
妙見山のケーブルカー
乗車中の車両は左側を通ります。

 と記すと、青函トンネル記念館のケーブルカーは地下200㍍まで潜るためのものだと、突っ込みを入れられそうである。確かに…ほかにも黒部のケーブルも全線トンネルの中。
 まあ、例外はあるにせよ概ねケーブルカーは見晴らしが良いものだ…と記しておくが、実は周囲の樹木に遮られて、山頂の展望台まで少し歩かないと絶景にお目にかかれないというのが大半である。乗車している人達も、一番面白がっているのは、中間地点での擦れ違いであったりする。あの変なポイントはどうなっているのだろうか。どうして車両はぶつからずに左右に分かれるのだろうかと思いながら眺めているのは楽しいものだ。

 
 そのような中で、正真正銘の絶景鉄道といえば、間違いなくここだ。




 日本三景の中で、ケーブルカーから眺められるのはここ、天橋立だけ。お勧めです!
なお、山頂に着いたら是非有名な「天橋立、股除き」に挑戦しましょう。馬鹿にせず、恥ずかしがらずにやってみると、本当に感動します。不思議なことに、撮影した写真を逆さにしてもあの感動はないのです。お試しあれ!
(2018/5/9乗車)

鉄道会社はお寺さん

鞍馬寺本堂を目指す

 京都北山の鞍馬寺といえば、鞍馬天狗か牛若丸かというほどに、昔からヒーローとの関わりが深い。年配の方々ならば、ついでに「とん、とん、とんまの天狗さん♫」を思い出すかもしれないが、もちろんこれは鞍馬天狗のパロディ。オロナイン軟膏のお世話にもなりました。それはともかく、天狗から武芸を教わった牛若丸、もとい義経を含めて、鞍馬は天狗関係者の住み処である。だから鞍馬の駅を降りると、まずは真っ赤な天狗がお出迎えしてくれる。
叡山電鉄鞍馬駅前

 駅から山門までは歩いてすぐだが、そこから本堂までが実に遠い。清少納言が『枕草子』で記したように、「近うて遠きもの、くらまのつづらをりという道」というくらい、山登りを覚悟する必要がある。つづら折りとは鞍馬寺の参道のことで、途中には鞍馬の火祭で有名な由岐神社や義経ゆかりの場所がある。参拝しながら歩いて登り、本堂にお参りした後は奥の院を通って貴船神社までトレッキングするのが、鞍馬寺参拝のお約束みたいになっている。山歩きの苦手な、か弱い平安女性じゃあるまいし、だからこんなところにケーブルカーがあるなどとは、ちっとも知らなかった。
 しかし、今私は全国の鉄道すべてに乗らねばならないという修行の身である。そこに鉄道があるなんて知らなかったで済む話ではない。由岐神社も義経供養塔も吹っ飛ばし、平安女性よりも安直に、鞍馬寺本堂を目指さなければならなかったのだ。
普明殿

 こうして若葉の美しい季節の夕方、鞍馬寺の山門までやって来た。ケーブルの最終は16時半である。日没は19時だから少々早い気もするが、連休を終えて人もまばらだから仕方ない。受付で拝観料を払おうとすると、
「16時で本堂は閉まっています。ですからお金は頂きません。どうぞそのまま参拝して下さい。ケーブルの最終は16時半ですよ」と、再現不能の優しい京都なまりで説明してくれた。それにしても本堂が閉まった後にケーブルに乗る人なんているのだろうか。

 山門からすぐの所に普明殿という建物があった。過去には素通りしていたところだ。鉄筋コンクリート造りの、まるで休息所のような雰囲気だから、これからつづら折りを目指そうと張り切っている者には関心が沸くような場所ではないので、見落としていた。なんとここが駅だったのだ。建物入り口には「普明殿」とあるものの、正式名「山門駅」などとはどこにも記されていない。どこの観光地でも、ぜひお金を遣って貰おうと「ケーブル乗り場」とか「近道こちら」とか、うるさいほどの看板が立ててあるものだが、やはりここは聖域らしく金儲けの札はどこにもない。
 ふと入り口脇の掲示板を見てみると、様々な宗教行事のお知らせの下に、小さな札がぶら下がっていた。そこに「ケーブルのりば」と小さく書いてある。これに気づけという方が無理というもの。最初から知っている人以外は歩いて登らせたいのだろうか。

功徳を施す


 普明殿に入っても、そこにケーブルカーは見当たらなかった。ここでも控えめに、「ケーブルは二階から…」とあるだけだ。誰もいない階段を上ると、がらんとした空間に、誰も座っていないパイプ椅子だけが並んでいる。順に座ってお待ち下さいと貼り紙がある。慈悲深いことである。
 切符の自動販売機は片隅のテーブルの上に置かれてあった。百円玉2個入れると、レシートのような「切符」が出てきた。そこには「御寄進票 大人200円 鞍馬山鋼索鉄道 当日限り有効」と記され、18.5.9 16:19と日時が打ってある。「御寄進票かあ」と独り言つ。こちらが乗せて頂くのに、何か功徳を施したような気分になった。さすがお寺さんだと感心する。

 功徳票、もとい御寄進票に書かれているように「鞍馬山鋼索鉄道」というのが、このケーブルの正式名だ。日本で唯一、宗教法人が経営する鉄道である。だから社員(?)は鞍馬寺と刺繍の入った作務衣を着ている。16時31分、1分遅れで作務衣を身に纏った乗組員の案内で車内に入る。乗客は私と、発車直前に飛び込んできたもう一人の男性。3人を乗せた車両が警笛を鳴らして山門駅を後にする。

 それは全長191㍍、高低差89㍍、全線単線のケーブルカーだった。普通ケーブルカーといえば、2輌の車両同士が中間地点で擦れ違うはずだが、「鞍鉄」の場合、擦れ違う車両がない。1輌だけが上り下りしているのだ。終点が近いので見ればすぐわかる。多宝塔駅にはさぞかし強力なモーターがあって巻き上げているのだろうと思っていると、何やら上からレールの下を降りてきたものがある。重りである。なるほど、これなら強力なモーターでなくても運行できる。エレベーターと同じ原理だ! とするとケーブルカーではないのかも。現に、この形式の斜面エレベーター設備を備えたホテルを知っているぞ。
 
 法律のことはよくわからないから、これ以上の詮索はよそう。とにかく日本で最短の鉄道会社らしいので、それを尊重することにする。それの方が面白いし、功徳にもなる。エレベーターと違って、きちんと警笛も鳴らしていることだし(某ホテルでは警笛はなかった)。
多宝塔駅にて

 わずか2分ほどで多宝塔駅に到着する。そこには参拝を終えた10数人の人達が待っていた。ケーブルカーは彼らを乗せて、16時35分、慌ただしく下りていった。これが事実上の最終だったのである。
 私はこのあと扉を閉ざした、誰もいない本堂の前で手を合わせ、奥の院方面は夜間照明がなく天狗は出ないが熊が出ると注意書きがあったので、ひたすら急いでつづら折りを下った。
(2018/5/9乗車)

2017年12月22日金曜日

近江鉄道、車窓の景色が宝物!?


生きるか死ぬか

「車窓からの景観を奪われるのは許せない」と、かつて国鉄に楯突いた鉄道がある。明治29年創業の老舗、滋賀の近江鉄道だ。新幹線がすぐ脇の南側に建設されれば、日当たりは悪くなるし、ゆったりとした田園風景も失われる。それでなくても経営不振の近江鉄道にとって観光客離れにもなりかねず死活問題だと訴えたのである。オリンピックに間に合わせたい国鉄は、前代未聞の景観補償費を出すことで一応の決着がつくのだが、後に国会で大問題となった。親会社が西武鉄道であり、その社長が政治家でもある堤庚次郎だったということもあって、社会問題にまで発展した。今から50年前の話である。
 一体どんなところを走っているのだろう。生きるか死ぬかの景色にも出会ってみたい。ぜひとも訪れたい鉄道だった。

滋賀のローカル鉄道

 平成29年が終わりを告げようとする早朝、底冷えのする米原駅にやってきた。新幹線が停まり、東海道線と北陸線が分岐する重要な駅なのに、駅前には見事なほど何もない。コンビニすらないので、腹が空いているけれど、自動販売機の飲み物くらいしか口にするものがなかった。人々は乗り換えるためだけにこの駅を利用するのだろう。歴史的にも中山道と北国街道が分岐する有名な場所だが、北の長浜と西南の彦根という二つの城下町に挟まれた、ごく控えめな宿場町だったのである。今も昔も旅人が通り過ぎていくところだ。
 ガランとした駅前の一角に、これまた見落としそうな近江鉄道のホームがある。7時08分発の近江八幡行に乗るため、切符を買おうと思ったが、無人改札脇の自動販売機はまだシャッターが下りていて使えない。始発からすでに3本目、朝の通勤時間が間近なのに人影はまばらで切符すら買えなかった。
米原駅にて
そのものズバリ「赤電」のヘッドマ
ーク。車両の裾が鋭角にカットされ
ているのは、車両限界が小さめなの
で改造したものだという。    

 すぐにやってきた二両連結の電車は、かつて東京の郊外を走っていた西武の「赤電」だった。くすんだ赤とベージュのツートンカラーが懐かしい。定刻になると、わずか10人ほどを乗せて走り出す。

 出発して間もなく左側に一風変わった新幹線電車3両が見えてくる。ここは鉄道総合技術研究所の施設、米原風洞技術センターで、実験車両が保存展示されている。こちらの風洞実験施設では時速400㎞に相当する風力実験が可能ということで、3両の車両は鉄道史に残る走行実験を行ったものだ。JR東海の300Xは1996年に京都〜米原間で時速443㎞、JR東日本のSTAR21は1993年に燕三条付近で425㎞、JR西日本のWIN350は1992年に小郡〜新下関間で350.4㎞を叩き出し、いずれも今日の新幹線の礎となった。その輝かしい歴史の脇をローカル線がトコトコとのんびり走っている。
 次に右側に見えてくるのは、田圃の中にひときわ高く聳え立つ実験棟だ。FUJITECというエレベーター企業の主力工場のものだそうで、青い空に突き刺さるような白い塔が美しい。停車駅の名前もずばりフジテック前。ここでわずかばかりの乗客ほぼ全員が降りてしまった。やや早いとは言え、朝の通勤時間帯にガラガラの電車ではさぞかし経営も厳しいだろうなと心配になる。およそ10分で城下町彦根に到着する。
 米原・彦根間は、JRならば5分で運賃は190円。日中なら1時間に4本走っている。一方の近江鉄道は10分かかって運賃は310円、しかも日中は1時間に1本。まったく勝負にならない。よくぞ廃線にならないものだと感心する。彦根には本社と工場・電車区があり、近江鉄道の一大拠点だ。ここでロングシートが満席となりホッとする。

 この電車は近江八幡行だが、私は途中の高宮で乗り換えて多賀大社に参拝するつもりだ。日本の国土を産んだイザナギ・イザナミの命を祀る由緒正しき元別格官幣大社だ。門前町で朝食にもありつけるかもしれない。

 およそ9分で高宮に到着、ここで坐っていたほとんどの乗客が下車し、ホーム向かい側の多賀大社前行に乗り換える。高宮には近江八幡方面からの電車も到着していて、その乗客も乗り換えて来ているので、多賀大社行は吊革につかまる人もいるほどの盛況ぶりだ。
 ローカル線を旅していると、朝のこの時間帯は大方女子高生で満員になることが多い。勿論世の中男女の人数はほぼ同数のはずだが、かしましい元気印の女子高生の前では草食男子はスマホの画面に逃げるしかなく、著しく存在感に欠けるので、女子高生ばかりが目立つのだが、多賀大社行は圧倒的におじさん軍団で占められていた。華やぎは一切なく、これから一日の仕事が始まるのだという、何となく重苦しい雰囲気が漂う。
 おじさん軍団は、次のスクリーン駅で下りるようだ。ここもまた企業名がそのまま駅名となったものだ。ワンマンカーのため、運転席横のドアまで延々と人が並び、次々と降りて、そのまま工場の中に吸い込まれていった。次の終点多賀大社前まで乗車したのはわずか数名であった。
真っ白な霜が朝日に輝き、荘厳な
佇まいの多賀大社。      


 多賀大社への参拝を終えて、一旦高宮まで戻る。高宮では近江本線の電車が交換し、そのタイミングに合わせて多賀線も運行されているために、三方面からの電車が集合離散する。

 ここでの乗り換えはちょっとした見ものだ。本線のホームは対面式で跨線橋はなく中央に踏切が設けてあって、利用客は線路を横断して移動する。電車はそれぞれ踏切の手前で停まるので、遮断機は下りたままだ。このままでは本線上りと多賀線との間で乗り換えができない。果たしてどうするのかと眺めていると、あろうことか乗り換え客は遮断機の下を潜って移動している。駅員も、運転手も、地元の乗客も馴れたもので、皆当たり前のように事は進んでいく。豪快というか、おおらかというか、とにかくローカルな私鉄である。
高宮駅に本線上り彦根行が入って
きた。伊藤園のラッピングカー、
先頭が「おーいお茶 濃い茶」後
ろが「緑茶」。車両の前の遮断機
が下がっている点に注目! この
棒を押し上げて線路を横切り乗り
換える。           

 近江鉄道は運賃が高いと記したが、実は安いフリー切符も売られていた。金曜日を含む週末限定販売の「1デイ・スマイルチケット」だ。一日乗り放題で破格の880円、確かに笑顔が浮かぶ。高宮駅の駅員さんが教えてくれて、直ちに購入する。
 米原駅でも買えるそうだが、窓口が開いている時間のみ販売ということで、結局この日普通に買ったら2630円かかるところを1400円で済んだ。米原駅の窓口が開いていれば、米原・多賀大社間の520円も節約できたのだが、まあそこはこの鉄道への支援金ということ納得。お金の話は品がないのでこれ以上避けたいところだけれど、それにしても差があり過ぎで、ちょこっと乗るだけの地元の人が可愛そうな感じがした。

タイル壁画の物語

 高宮を出てしばらくすると、前方に新幹線が立ち塞がってくる。この先、尼子・豊郷・愛知川の三駅を含むおよそ8㎞が新幹線併走区間だ。盛り土区間なので確かに左側の景色はまったく見えず、ひたすら日陰を走る。頭上を頻繁に重低音を響かせて新幹線が行き来する。右側だけを見れば、のんびりとした冬の田圃の景色が広がっている。「生きるか死ぬかの風景」論争が、かつてこの場所をめぐって繰り広げられたのだが、鈍感な私にはまったくピンと来ない。ごく普通の田園風景のように思えた。

 新幹線と分かれ、暖かい日差しが戻り、八日市に着く。ここからは八日市線が分岐している。八日市線は商都近江八幡とを結ぶ最重要路線で、日中は他路線の倍の本数の電車が走っている。とはいっても、1時間に2本なのだが。
 吹き抜けとなった大きな三角屋根の駅舎から出て、駅前広場を歩いてみる。なかなか立派な駅前である。その駅舎のちょうど正面中央に大きなタイル壁画があった。古代の装束を身にまとった男と女が描かれている。その由来を読んでなるほどと思った。ここはかつての蒲生野だったのだ。
 高校の古典教科書に登場し、里中満智子の漫画『天上の虹 持統天皇物語』にも取り上げられている、額田王と元カレ大海人皇子のラブストーリーの舞台である。古典というとちょっと敷居は高いが、内容はワイドショウーや週刊誌ネタになるようなアブナイ「不倫」物語である。

 天智天皇の妻となっていた額田王が、天智天皇の弟であり元カレの大海人皇子から求愛される場面を万葉集は次のように記している(訳は気にせず、眺めるだけでよし)。
 
    天皇の、蒲生野(かまふの)に遊猟(みかり)したまひし
    時に、額田王の作れる歌

  あかねさす紫野(むらさきの)行き標野(しめの)行き
  野守(のもり)は見ずや君が袖振る

    皇太子の答へませる御歌〔明日香宮に天の下知らしめしし
    天皇、謚(おくりな)して天武天皇にといふ〕

  紫草のにほへるいもを憎くあらば
  人妻ゆゑに われ恋ひめやも

 白村江の戦いで唐と新羅に敗れた日本は、敵襲を恐れて都を海から遠い大津に移していた。天智天皇は大津京からほど近い蒲生野に狩りに出かけたのだが、その一行の中に額田王と大海人皇子がいた。額田王がひとり佇んでいると、そこに別れた前の夫がいて袖を振っている。当時の人たちにとって、それは求愛のしぐさだった。野の番人に見られたら大変とばかりに元妻はたしなめる歌を贈る。
 すると大海人皇子は、美しいおまえを憎いと思うならば、どうして今は兄の妻だからといって、恋い慕うことがあるものかと、返歌を贈ったのでる。否定的な仮定法と反語が用いられているので、古文嫌いにはわかりにくいかもしれないが、要するに、今は私のもとを離れて(兄に奪われて)兄嫁となってしまったおまえだけれど、とても憎いとは思えず恋しいのだと訴えた、というお話。

 この歌は天智天皇もいる宴席で歌われた戯れ歌らしいのだが(大人同士って怖いなあ。ニコニコした顔しながら神経戦を繰り広げている)、のちに壬申の乱を起こし、天智天皇側を打ち負かした大海人皇子のことを知る後世の者にとってみれば、大らかな時代であったとばかりはとても思えず、歴史の奥底を垣間見る思いがするものだ。そこを綺麗に歌い上げるからこそ、文学でもあるのだが。

景色から感じ取れるもの
蒲生野を走る貴生川行き電車の
後方車窓。右が鈴鹿山脈。  

 その蒲生野を走る鉄道こそ、近江鉄道だった。そう思うと、不思議に景色も違って見えてくる。冬枯れの田園風景はかつては蒲の生い茂る湿地だったのだろう。天智天皇はカモを狩りにやって来たのかもしれない。ところどころに点在する雑木林は男女の密会の場にうってつけだ。額田王はそれを見て想像を逞しくし、意味深長な歌を披露した。思いを断ち切れない元彼は敏感に反応する。全てを手に入れた天皇は豪快に笑った。のちに壬申の乱・・・おお、怖っ!

 野原の向こうには、鈴鹿山脈が連なっている。雪を頂いてひときわ輝く山は、御在所岳に違いない。山脈を越えれば三重県湯の山温泉であり、四月に近鉄全線走破の際に訪れた。あの時とは違う季節の雪が積もっている。
 視線を車窓反対側に転ずれば、琵琶湖方面に山脈が連なり、こちらも雪を頂いている。方角から見て、比叡山より北に位置する比良山地のようだ。こちらは古来、近江八景のひとつに数えられている景勝地だが、蒲生野はそれらすべてを借景にして、おだやかな陽だまりの中にあった。

 生きるか死ぬかの風景かどうかはともかくも、この特別絶景でもない風景と新幹線や高速道路のような近代的景観が馴染むとはとても思えない。今を生きる我々にとって、新しい交通機関はなくてはならないものだが、そのために誰も見たことがないものを受け入れなければならなかった現地の人々にとっては、戸惑い以外のなにものでもなかったのだろう。時が経てば、あれだけ大騒ぎしたこと自体が忘れ去れていく。それでいいのだと思う。
 電車は終点貴生川に近づく。貴生川は忍者の里で有名な甲賀の地である。近江鉄道はここまでだが、貴生川から先は信楽高原鉄道が続いている。高原鉄道とはいっても、信楽高原があるわけではないが、貴生川と信楽の間の峠越えは見晴らしが良く、そこからは蒲生野が眼下に広がっている。それを見てすべてを納得した気になり、安心すると、急に空腹が身に沁みてきた。
(2017/12/22乗車)

2017年5月15日月曜日

近鉄物語② しまかぜ乗車記

 お出迎えのアテンダントに導かれ、そのままステップを上がって車内に入ると、総革張りシートの匂いがぷーんと漂い、私の鼻腔を充たした。おお、豪華列車だ! 綺麗に磨かれた大きな窓からは柔らかな光が差し込み、通路を挟んで左側2列シート、右側単独シートが前方に向かって並んでいる。その先には運転室越しに前方風景が広がっている。
展望車両


 ”最高のおもてなしで、伊勢志摩へ”をコンセプトに平成25年にデビューした観光特急しまかぜは、確かに乗車した瞬間から旅人の心を掴んでくる列車だった。先頭車両の3列目単独シートに腰を降ろすと、身体を包み込むようなプレミアムシートが快い。シートピッチは広く、ふくらはぎを支えるレッグレストや背もたれが電動で動くことは当然のこと、何と驚くべきことに背もたれにエアークッションが装備されていて、腰を揉みほぐしてくれる電動マッサージ付きなのだ。知り合いの新車に乗せて貰って、「ワー、凄いね!」とあれこれ触ってはしゃぎ回る感覚を、電車で味わうのは初めてだ。
 今年はJR東日本が TRAIN SUITE 四季島を、JR西日本がトワイライトエクスプレス瑞風をデビューさせ、すでに人気のJR九州のクルーズトレイン「ななつ星 in 九州」とともに日本列島を豪華列車ブームが席巻する勢いだが、如何せん高倍率と高額運賃の二重苦によって、市井の鉄道愛好家には縁遠いものとなっている。だいいちこれらの列車は、市販の時刻表には掲載すらされいないのだから、お召し列車や団体列車と同じ特別な列車であり、一般人には無関係だ。
 その点しまかぜは、時刻表にもきちんと掲載され、料金も通常の近鉄特急に700円から1,000円のしまかぜ特別車両料金が加わるだけという実にリーズナブルな料金設定なのである。近鉄名古屋から賢島までを近鉄特急を利用して3,480円で行くか、それとも1,000円プラスして4,480円でしまかぜに乗るか。このプラスは絶対のお値打ちである。それだけに人気は高く、現在近鉄名古屋、京都、大阪難波から賢島まで、それぞれ1往復(水曜運休)ずつのため予約は早めにする必要がある。お金のことでいささか品のない話になってしまったが、要は庶民にも手が届く豪華列車だということを強調したかったのである。
 余談だが、JRはこの観光特急を相当意識したのではないかと、私は密かに睨んでいる。今年デビューの両列車の名前の最後の文字をつなぎ合わせてみよ。「島風=しまかぜ」になるではないか。私はこれが偶然だとは思わない。響きの良いことばは誰もが真似したくなるものだからだ。無論、近鉄特急の方は、志摩に吹く爽やかな風がコンセプトであり、オリジナルな命名と言える。JR東日本と西日本は、JR九州の成功を追いかけているので、ネーミングについては枕詞をつけるところから二番煎じを否めない。あまり批判が過ぎると、乗れない僻みだろうと思われそうなので、ここでやめておく。
大阪難波行しまかぜ
大和八木にて (5/13撮影)

 席に着いてしばらくすると,エプロン姿のアテンダントがおしぼりとメニューを持ってやって来た。お楽しみの時間の始まりだ。赤ワインと摘みになりそうなものが数多く詰まった特製幕の内弁当を注文する。
 しまかぜに限らず、線路幅が広い標準軌の近鉄はとにかく揺れが少なく乗り心地が良い。特に特急が頻繁に走る区間の保線状況は抜群で、おそらく日本随一だろうと思われる。その上更に、しまかぜには横揺れ防止装置が搭載され、不快な揺れを抑えている。こうしてワインを楽しみながら流れる風景を眺めるという上質な時間が過ぎていく。
御影石を敷き詰めた
エントランスの床 

 車窓の風景とは、乗る列車によって全く異なるものだ。普段乗り慣れている区間でも、通勤電車から見る景色と特急列車から見る景色とは違って見える。見る角度、見ている高さ、窓の大きさとその透明感、列車の揺れ方、それに同室している乗客達の様子。混んでるか空いてるかでも違ってくる。風景は目だけで見ていると思いがちだが、実は五感すべてを使って感じるものなのである。豪華列車が持て囃されるのも頷ける。

 そんなことを考えているうちに大和八木を過ぎ、両側からは新緑の山々が迫ってくる。長谷寺や室生口大野を過ぎれば、もう三重県に入っている。
展望車両通路からの眺め

 先頭の展望車両の良いところは、運転手気分で迫力の前方車窓が楽しめることだ。ただそれはあくまでも鉄道好きの言い分ではないかと思う。前方風景というのは案外に無個性なものだと、長年見続けて感じるようになった。線路や信号、標識。それにトンネルや鉄橋の形はよく分かるのだが、そればっかりが気に掛かって、どのような土地にどのような人が住み、どのような田畑があったのかなどということは全く印象に残らない。鉄道の施設はどこも似たようなものだから、結局何に乗っても同じということになる。それに対して、側面の車窓からは屋根瓦の違いや田畑の作物の種類や生育状況などその土地の人々の暮らしぶりが目に飛び込んでくる。遠くの山を眺めるのにも都合が良い。これが実に面白い。今回坐ったシートは、前方と側面の両方が見渡せるスペシャルシートだった。前方からは乗ってみたい近鉄特急が迫り、側面には新緑の伊勢地方が満喫出来るというわけだ。
しまかぜは6両編成。展望車に乗れ
なくても、カフェ車両(後方ブルー
の3号車)に行けばよい。    

 布引山地を青山トンネルで抜けると、川の流れが逆になって、長い下り坂を伊勢湾に向かって滑るように快走し始める。伊勢の神様にお仕えする斎宮が住まわれたところは、現在さいくう平安の森として整備されている。車内アナウンスで左側車窓にそれが現れると告げられた。鉄道の旅ばかりをしていると、観光がお留守になるので、行ってみたい場所ばかりが増え続ける。これが困りものではある。
賢島駅にて

 伊勢神宮を訪れる人達が、伊勢市や宇治山田で下車していく。神様には大変申し訳ないが、「えっ!降りちゃうの。勿体ないなあ」と心の中で思う。真珠や水族館で有名な鳥羽で降りる人もいる。「賢島まで乗っていればいいのに」とここでも思う。結局賢島まで通しで乗っていたのは半数に満たなかったが、そもそも彼らは列車の旅が目的ではないのだから当然のことだ。私とは目的が違うのである。旅先では私が異端者なのだ。それは充分分かっているのだが、それほど快適な移動を約束してくれるのが観光特急しまかぜだということは、ぜひ書き残しておきたい。
(2017/5/15乗車)

2017年5月13日土曜日

近鉄物語① 生駒を越える

ロープウェイは鉄道か

 総延長501.1㎞。近鉄の全営業キロ数は民鉄日本一を誇る。時に502.5㎞と示されることがあるのは、葛城ロープウェイ1.4㎞を加えるか否かで計算が異なるためである。
 ロープウェイは鉄道ではないでしょうと多くの人に言われてしまいそうだが、501.1㎞には生駒山と信貴山にあるケーブルカー3.3㎞分が含まれている。ケーブルカーも鉄道ではないとすれば、全営業キロ数は497.8㎞となり、数字的にはちょっと残念なことになる。だからと言って、(株)近畿日本鉄道が、景気付けのためにケーブルカーを無理やり鉄道に含めたのだという訳でもない注1
生駒ケーブルは二本のケーブルが
並行しているため、中間地点は複
々線。途中踏切まであり、道路に
切られた溝をケーブルが流れる。
右側の宝山寺2号線は普通の車両。

そもそもケーブルカーは2本のレールの上を走るのだから鉄道でいいじゃないかという「常識」を認めてしまうと、モノレールやリニア新幹線は鉄道ではなく、ジェットコースターの多くは鉄道になってしまう。遊園地の乗り物は私有地内だから除外し、自動車と違って軌道によって制約されるのが鉄道だとすれば、やはりロープウェイは鉄道に含めないといけなくなる。だんだん厄介なことになってきた。 日本全国の鉄道を乗り尽くそうという<高邁な?>目標に向かって生きる私にとって、ロープウェイの件は出来れば避けて通りたい問題である。というのも、それを含めるとハードルが一段と高くなるからだ。大抵のロープウェイは険しい山奥にあり、しかも数が多く、そこへは車を利用しなければ行けない。鉄路愛好家にとって、レールすらない乗り物に乗るために、わざわざ鉄道以外の乗り物で出掛けるというのも、決して愉快な話ではない注2
強烈なイメージの宝山寺1号線
  通称「ブル」の背後に踏切を横
断する人がいる。      

 ということで、ケーブルカーは「責任」をもって乗ることとするが、ロープウェイは勘弁して欲しいというのが、このブログでの鉄則にしたいのである。

 前置きが長くなった。とにかく近鉄は総延長501.1㎞の大鉄道会社であり、JR四国855.2㎞に次ぐ日本で7番目の鉄道会社なのだということを確認したかったのだ。それだけに乗り所満載であり、乗り尽くし旅では多くの発見もあった。今回は生駒山と近鉄の話。


注1)鉄道事業法が扱う事業は、鉄道事業と索道事業のふたつであり、ケーブルは鉄道、ロープウェイは索道に分類されている。だから、ロープウェイは鉄道事業ではないが、鉄道のようなものとは言えそうだ。
注2)私自身は手軽に絶景が楽しめるロープウェイそのものは大好きだし、車の運転も嫌いではない。ただし、鉄道らしくないものを、ただ制覇するためだけに車で出掛けるのは、鉄道愛好家としては望まない。


生駒山をめぐる(めぐらない)物語

 四方を山や丘で囲まれた奈良盆地は、古代の人々にとっては天然の要害に囲まれた心安らぐ土地であったに違いない。古代王朝が、美しい山に囲まれつつも猫の額ほどしかない飛鳥の地を抜けだし、唐の侵攻を恐れて近江の地に都を移したりしながら、その後も平城京に移った歴史を見ていると、何とも臆病な日本人の心性が透けて見えて、いとおしさすら感じるようになる。もともとそんな国民性なのである。
 さて「国のまほろば」である奈良へ大阪から向かうなら、近鉄奈良線が早くて便利だ。近年JRも頑張ってはいるが、近鉄には到底太刀打ちができない。それは、奈良街道の歴史と無関係ではなく、聖徳太子にも関わる歴史的経緯がある。
 大阪府と奈良県の間には、標高642㍍の生駒山を主峰に東西30㎞を越える生駒山地が連なっている。傾動地塊と呼ばれる地形は、断層面がむき出しになった大阪側は切り立った崖となって立ち塞がり、奈良側はなだらかな傾斜地である。どちらからにせよ生駒越えは楽ではない。
 楽をしたけりゃ、迂回すればよい。生駒山地の南外れを流れる大和川に沿って、竜田越えの奈良街道がある。それでも途中亀の瀬と呼ばれる渓谷を通らなければならず、古来地滑り地帯として悩まされているが、ここを通って難波津と行き来したのが聖徳太子だった。古代の貿易港である難波津付近に四天王寺を建立した聖徳太子は、のちに斑鳩の里に法隆寺を営む。関西に住まない私にはピンと来なかったが、どうして法隆寺が飛鳥や奈良市内から遠いところにあるのかが、漸く納得できた。斑鳩は大和の国にあって、外国に一番近い土地柄なのである。大和川沿いの奈良街道の先は難波津を経由して百済や唐に続いていた。
 行き来の盛んなこのルートに、大阪と奈良を結ぶ最初の鉄道が建設されるのは当然のことだった。それが現在のJR関西本線(大和路線)であり、開業は1892(明治25)年のことであり、日本の鉄道としても古い。その後、京都と奈良を結ぶ現在のJR奈良線が1896(明治29)年には開通し、翌々年には京橋と木津を結ぶ片町線(学研都市線)も通じて、生駒を避ける鉄道路線網が完成した。

 大阪と奈良を直線で結ぶにはどうしたらよいか。明治の人の答えは、立ち塞がる生駒を鋼索鉄道、つまりケーブルカーで克服することだった。ようやく近鉄の出番だ!
 1910(明治43)年9月設立の奈良軌道が10月に大阪電気軌道(以下、大軌)と名称を替え、それが今日の近鉄の前身となるが、それはさておき、土木工事がまだ未熟な時代のことであり、生駒山地のなかでも比較的標高の低い暗峠(くらがりとうげ)までケーブルカーで登ろうと考えたという。
 暗峠は生駒山に比べて190㍍ほど低い455㍍、現在は国道308号線が目立った九十九折りなどもなくほぼまっすぐに設置されている。そもそも自動車と鉄道とでは登坂能力が全く異なる。ざっと計算して、350㍍ほどの標高差を1.8㎞で登らなければならないから、194‰(パーミル、千分率のこと。19.4%と同じ)ほどの登りとなる。アプト式で有名な碓井峠のほぼ3倍であり、ケーブルカー以外の選択肢はない。車にとっても暗峠は難所で、車が通れる道としては現在日本で最も急な坂に認定されているのだそうだ。最大斜度37%というから気が遠くなる。ガードレールがないところもあるので運転初心者は絶対にやめた方がよいという。そう言われるとよけい行ってみたくなるが、今は鉄道の話。
 大阪と奈良を結びたいという願いは、風景を楽しむ旅人の為にあるわけではない。そこで莫大な工費が予想される生駒トンネルを掘ろうという英断が下され、1914(大正3)年に上本町と奈良が結ばれることになる。今でこそ生駒周辺は住宅街となり、その先の学園前は近鉄きっての高級住宅街が広がって、数多くの乗降客で賑わうが、建設当時に利用するのは生駒聖賢宝山寺の参拝客ぐらいで、雨天の日には閑古鳥が鳴いていたという。そのため、大軌は倒産寸前となり、トンネル施工会社の大林組も連鎖倒産寸前までいったようだ。今の繁栄をみると想像すらできないほどだが、結果としてこの路線の成功が今日の近鉄を作ったと言える。
 トンネル掘削技術が発達したとはいえ、近鉄は現在生駒に2本の複線トンネルをくり抜いている。関東の私鉄で長大トンネルを持つのは西武鉄道秩父線しかないが、それも単線である。近鉄がいかに大きな鉄道会社であるかを物語るエピソードだ。

大軌の始発駅だった上本町

 大軌の始発駅として誕生した上本町は、現在7つのホームが6本の線路を挟み込む形の終着駅で、その形状から7面6線の櫛形ホームと呼ばれている。地下には更に2面2線のホームがあって、そちらは難波・三ノ宮方面に繋がっている。
 東京人にとって関西私鉄の終着駅は憧れの的だ。広々かつ堂々としていて停車場にふさわしい華やぎある。欧米では当たり前の行き止まりとなった櫛形ホームが、鉄道を単なる移動手段ではなく、旅の始まりと終わりを演出する舞台装置として人々の心に旅情を醸し出してくれるのだ。改札口の向こうにずらりと並んだ列車を眺めていると、それぞれの行き先はどんな所なのかと想像力をかきたてられる。かつての上野がまさにそのような場だったが、今ではわずか3面5線と控えめになり、上野東京ラインが完成してからは、ますます高架線を通過する列車が多くなって、櫛形ホームは存在感が希薄になった。
 ここ上本町も1970(昭和45)年に難波線が開通し、近鉄の終点が大阪難波に移ってからは、上本町は大阪上本町と名前を変え、大部分の特急と奈良線電車が地下駅を通って大阪難波まで行くようになった。そのため当時の華やかさはなくなったというが、関東人から見れば驚くほど堂々としたターミナルだ。今でも伊勢志摩への特急の一部と大阪線の全列車はここが始発駅だ。ということで、生駒を「迂回する」列車の始発駅ということになる。

ミナミの地下駅、大阪難波

 一方で大阪ミナミの中心に位置する大阪難波駅は、千日通りの地下という限られた空間に位置するところから、わずか2面3線の手狭なターミナルだ。2009(平成21)年に阪神なんば線が相互乗り入れするようになってからは、神戸・大阪・奈良が結ばれて、電車が一日中目まぐるしく発着を繰り返す、さらに活気に満ちた駅になった。
 その一端を最も本数の多い平日の10時台に見てみよう。この時間帯は20本の列車が名古屋・伊勢志摩・奈良方面に発車していく。
 近鉄といえばまず特急。人気の高い豪華な観光特急しまかぜを含む4本が、専用の1番ホームから発車する。専用といっても特別なしつらえがあるわけではない。ホームは奈良方面に向かう2番線と共用なので、終日観光客と通勤・買い物客でごった返している。残りの16本は2番線からの発車だ。当駅始発は奈良行急行3本と大和西大寺行普通と区間準急が4本の計7本あって、残りの9本は阪神線からやってくる。中でも神戸三宮と奈良を結ぶ快速急行3本は、この路線の花形で、ほぼ特急と同じ時間で奈良まで行くことが出来るお値打ち電車。それに尼崎始発の普通電車6本が加わって、合計16本となる。
 これだけの数の列車をさばくには、当駅始発をホームで折り返させる訳にはいかない。乗務員の交代にも時間がかかるからである。そこで奈良方面からやってきた特急以外の電車は3番線に停車し、そのまますぐに神戸方面に向かってホームを出て行く。敷地が広ければ、その先に何本もの引上線が用意され、そこで支度を調えてから2番ホームにもどればスムースに事は運ぶはずだが、ここはミナミの繁華街の地下。隣には地下鉄千日線が並行して走っていて、引上線は1本しかない。そこで、一駅先の阪神電鉄桜川駅のそのまた先に近鉄用の引上線2本を設置して、ここで折り返しているのだ。
 実は鉄道ファンにとってはこれがたまらなく面白い。異なる会社間を列車が通過する際には境界駅で乗務員の交代が行われるのが通例だ。東海道・山陽新幹線では新大阪駅で乗務員の交代が行われる。もちろん列車が境界駅に停まらない場合にはこの限りではない。北陸新幹線の場合、JR東日本と西日本の境界駅は上越妙高だが、停車駅数の少ないかがやきは停車しないので乗務員の交代は長野駅で行われる。ところが近鉄と阪神の間では桜川駅で乗務員が交代するのだ。つまり近鉄の乗務員は阪神線内に踏み込みつつ、阪神の乗務員は自社の路線でありながら桜川・難波間の運転はしないということになる。こうすることで、近鉄電車は桜川の引上線でスムースに折り返し、パンク寸前の近鉄難波駅は始発駅としてうまく回っているのである。
 なお、大阪難波発の尼崎・神戸三宮方面の電車は早朝の1本のみ。この場合、わずか1駅区間を阪神・近鉄どちらの乗務員が運転するか、不覚ながら確認してはいない。ただ常識的に考えて、近鉄の方と考えるのが自然だろう。

生駒トンネルを目指す

 大阪難波を出発した難波線電車は、次の近鉄日本橋・大阪上本町までは千日通りの地下を走り、奈良線と名称を変えて鶴橋の手前で地上に出る。上本町からの大阪線と合流して鶴橋に到着。鶴橋はJR大阪環状線との乗換駅で賑わっている。焼肉の聖地と呼ばれるだけに風向きによっては高架下から食欲をそそる香りが漂ってくるというが、残念ながら風は吹いてなかった。ここから先は布施までの3駅が複々線区間となる。
 布施駅は大阪線と奈良線が分かれる大がかりな駅で、2階に大阪線、3階に奈良線となっていて、それぞれの上下線外側には通過用の線路が設置されている。つまり各階4線あるという贅沢な造りだ。ちなみに首都圏で方面別にホームが上下に分かれている駅は、京成の青砥駅(本線と押上線)と京浜急行電鉄の京急蒲田駅(本線と空港線)、京王の調布駅(本線と相模原線)の三つだが、どれも通過用線路はなく複線構造である。とにもかくにも、電車がスムーズに走れる工夫が随所にあって、大阪の私鉄はファンにはたまらないし、利用者本位なのだといえる。ただ一つ注意すべきことがある。布施駅は急行通過駅のため、大阪線と奈良線とを乗り換える場合、ここで乗り換えると急行に乗れず余計に時間が掛かってしまう場合があるのだ。その場合は、鶴橋まで行って戻ってきた方が良い。そうすれば急行から急行に乗り継ぐことが出来る。そのようなことわからないよという人は、スマホの乗り換え案内の指示に素直に従おう。
奈良方面への特急は、夕方から夜
にかけて運行される。生駒駅にて

 鶴橋から先、ビルや住宅が建ち並ぶ町並みの中を高架線を行く。布施で名古屋方面の大阪線が生駒を迂回するために右に分かれて行き、前方に横たわる生駒山系が奈良との間に大きく立ち塞がっている。高校ラグビーの聖地、花園ラグビー場がある東花園には、近鉄の東花園車庫があって日中ならば多くの近鉄電車が停まっている。それらを左に眺めながら行くと瓢箪山駅に着く。ひたすら東進するのもここまでで、ここからは北へ90度進路を変え、石切駅までの3㎞は36‰の急勾配で高度を稼ぎ、少しでも生駒トンネルを短くしようという涙ものの区間だ。鉄道を愛好する者は、こういう区間では目が離せない。見晴らしの良い絶景区間だからだ。大阪から奈良へ行く際には、是非進行左側の車窓に注目してほしい。
京阪奈線は架線のない第三軌条の
地下鉄仕様。生駒トンネルを抜け
て地下鉄中央線に乗り入れ、大阪港を目指す。      

 斜面に住宅が張り付き、大阪の街が広がる。どこからもすぐわかる「あべのハルカス」はここでも天王寺の街の方向を教えてくれる。眼下に見える高速道路は、生駒山を抜けて大阪城の脇までひたすら西進する阪神高速東大阪線だろう。実はここにはもう一つの近鉄線、けいはんな線が走っている。けいはんな線の生駒トンネルは、奈良線のものよりももっと長いが、それだけに車窓は面白くない。何本も生駒トンネルを掘ることが出来る近鉄の凄さだけを指摘しておく。
 石切駅まで来ると、生駒山系はすっくと立ち塞がっている。このままトンネルを抜ければそこはすでに奈良県生駒である。古都奈良はもう目と鼻の先だ。
(2017/5/13・5/15乗車)


2016年12月29日木曜日

副業が鉄道会社!?

「日本一最短のローカル線」

 和歌山県の御坊市を走る紀州鉄道の本社は東京にある。それだけでも珍しいが、会社のルーツは福島だという。この会社の実態は「上質なる余暇を通じて、共生の未来を創造する」ことをポリシーとするレジャー産業なのだ。経営するホテルの多くは紀州鉄道の名前を冠していて、鉄道会社であることが信用をもとになっているのだという。だからこのローカル線は、レジャー産業の鉄道事業部門という位置づけになる。何となく奇妙な感じもするが、日本民営鉄道協会に所属する歴とした鉄道会社でもある。日本一最短の鉄道というキャッチコピーも気になるところだ。和歌山から更に紀勢本線で1時間掛かる御坊を訪ねてみた。

 乗ってみて、まず運賃がとても安いことに驚いた。わずか2.7㎞しかないとはいえ、今どき180円というのはきわめて良心的ではないか。ほとんど誰も乗っていないのに、まるで儲ける気がないのでは、とすら思えてくる。
 その代償として、車両はお世辞にも綺麗とは言えない。スピードも遅く、御坊駅を出たすぐのカーブで、いきなり15㎞/h規制がかかる。踏切をノロノロと通過するので、待っている自動車の運転手はさぞイライラしていることだろう。
波打つ線路と歩く人
(中央、線路脇の日陰
を歩いている) 

 直線区間に入って若干スピードをあげるが、20㎞/h規制区間が随所にある。それでもディーゼルエンジンのうなる音は相当なもので、それ以上に縦横の揺れが激しい。運転台越しに見える前方の線路を見れば納得もいく。草に覆われ枕木の見えない線路が波打っているのである。その線路道を人が歩いている。ここまで野趣に富んだ鉄道も珍しい。
 沿線最大の駅は紀州御坊駅である。ここには車庫があって数両のディーゼルカーが停まっているが、途中に列車の交換施設は一切ないから、全線で走る列車は常に1編成に限られる。従って、踏切遮断の表示灯以外、信号に関わる設備はまったくなかった。
西御坊駅入り口側

 終点の西御坊は実に凄いとしかいいようのない駅だった。踏切に接したきわめて狭い土地に、古風なといえば聞こえはいいが、真っ黒な、まるで小屋のような駅舎に、申し訳程度の狭いホームが付いている。幅50㎝もないくらいだろうか。待合室からいきなり列車に乗るという感じだ。
西御坊駅裏側

 さらに反対側がまた凄い。車止めと列車が接しているばかりでなく、駅構内に立ち入ることを禁止するゼブラに塗られた横板までもが列車に接している。停車には相当神経を使うだろうと思うものの、通常の運転自体が徐行しているようなものだから問題ないのかもしれない。要するに、人家に列車が飛び込んでいるかのような、庶民の生活感あふれる鉄道なのである。

 紀州鉄道の前身、御坊臨海鉄道時代にはさらに700m先まで線路が延びていた。平成元年に廃止された後も線路は放置されたまま残っているので、今でも走らせられそうだが、よく見ると、車止めから10m先の小さな川の部分だけは線路が撤去されていた。
 どう見ても超赤字ローカル線だが、不思議と廃線の噂はない。親会社が紀州鉄道という名前を手放したくないからだというが、如何なものだろう。ただできうる限りお金を掛けず、切り詰めた経営で存続を図っていることだけは間違いない。今後ますます速度規制区間が広がるかもしれないが、できる限りの延命を願うばかりである。
(2016/12/29乗車)

  注)芝山鉄道は2.2㎞で紀州鉄道より500m短い。ただし全列車が京成乗り入れで自社車両もない。

2015年4月2日木曜日

ぐるっと紀伊半島ひとめぐり

巨大な半島

 紀伊半島に行って来ますと知人に告げたら、熊野古道を歩かれるのですかと尋ねられた。いや、鉄道に乗るための旅なので今回はそこまでは行けませんと答えると、気の毒そうな顔をされる。いつまで経っても列車に乗るだけの旅を理解する人はいそうもない。
前日夜に大阪入り

 そんな私だって、時間に都合がつけば旅の途中で観光することもある。しかしながら紀伊半島は実に大きく、日中、特急を乗り継いで大阪・名古屋間を乗り通す方法はわずか3通りしかない。名古屋からならば8時05分発と10時01分発の特急南紀が利用でき、10時の列車に乗れば新大阪には18時50分に着く。厳密には日没後の到着だが、ライトアップされた通天閣が楽しめる。
 しかし以前から紀伊半島をめぐるなら出発は大阪からと決めていた。午前中は東から降り注ぐ日の光に輝く大阪湾や紀州灘を眺め、午後は西から射す光に照らされた熊野灘を眺めれば、一日中順光で綺麗な景色が眺められるというもの。一方名古屋から出発すると終日逆光に悩まされることになる。ということで新大阪7時53分発の特急くろしお1号を選んだ。嬉しいことにこの列車はオーシャンアロー車両で運転されると時刻表に記されている。奮発して、展望グリーン車の海側席を確保することにした。
 今日の旅は、観光する暇もないくらい、距離が長く時間のかかるものとなる。大阪の天王寺から名古屋までは470.8㎞もあり、それは東京から名古屋・米原を越えて安土までの距離に匹敵する。ちなみに大阪・名古屋間を普通に東海道本線で行けば190.4㎞なので、距離にして2倍以上、しかもカーブの多いローカル線だから、車窓愛好家にとってはいやが上にも期待は高まる。熊野古道などまたの機会で構わない!
 ということで、オーシャンアロー1号に乗るために、前日夕刻、大阪に入った。大阪に来たからには二度漬け禁止の串かつが食べたいので、ビリケンさんが祀られる通天閣に出掛け、ビリケン神社斜前の店に入る。今日は一日中雨降りだったが、予報によると明日は晴れ渡るらしい。旅の成功を祈念しつつ一人祝杯をあげた。

オーシャンアロー くろしお1号に乗る

 新大阪駅11番線は、関空や南紀方面へ向かう特急列車の専用ホームである。和歌山からのくろしお2号がそのまま折り返し新宮行くろしお1号となる。水色と白が鮮やかなオーシャンアローは、先の尖った先頭車両が展望グリーン車となっている。鮫に似ているなと思ったら、実際はイルカをイメージしてデザインされたものだそうだ。近鉄のアーバンライナーにも似ているが、それもそのはずで、車内に表示されたプレートには近畿車輛製造とあった。ゆったりした3列シートの、海側一人席に腰を下ろし、ウィスキーを詰めたスキットルを窓枠に置いて発車を待つ。準備万端、優雅な旅が始まろうとしていた。

運転台と車内とは一面のガラス
で仕切られているため、前方の
眺望も抜群。        

 この列車が走る新大阪・天王寺間は実に見どころが多い。通勤電車では通ることの出来ない梅田貨物線を使って関空や南紀と結んでいるため、この区間はいわば特急列車の専用線となっている。三複線の淀川鉄橋を渡ると、大阪駅には向かわずに東海道本線と別れ、阪急線の高架手前で単線となり、現在は更地となった広大な旧梅田貨物駅の脇を進んでいく。右手には「未来の凱旋門」とも呼ばれる梅田スカイビルが聳え立ち、左手には更地の向こう側に大阪駅のシンボルとなった大屋根が見える。とても近未来的な風景で、大阪という街のエネルギーが感じられる。列車は東海道線の下をくぐって大阪環状線の高架に寄り添いながら地上をゆっくり進んでいく。福島駅の下には渋滞で悪名高き、なにわ筋の踏切がある。そこを過ぎれば次第に高度を上げて大阪環状線と合流する。
 ひっきりなしに電車が行き交う大阪環状線には西九条駅で乗り入れる。西九条は二面3線の駅で、ユニバーサルシティーのある桜島線への分岐駅でもある。列車は西九条駅に近づき、梅田貨物線が空くのを待っている新大阪行くろしお4号を眺めながら、まず環状線外回りの線路に転線し、さらに分岐をしながら通勤客で賑わう二面あるホームの間をゆっくりと通過していく。仕事に向かう人々の複雑な思いが籠もる視線が突き刺さる。こんなときはグリーン席でゆったりしているからといって優越感など感じるどころではなく、罪悪感と気恥ずかしさの合わさった思いがするものだ。ホームを抜けてもう一度転線して、大阪環状線内回りに入る。この間、多くの列車が信号待ちになっているはずで、実に申し訳ない。
 川の街大阪らしくいくつかのトラス橋を渡る。それはまるで昭和の産業遺産であるかのように時代がかっている。そうかと思えば、UFOのような京セラドームがビルの密集した街中に現れる。それを過ぎれば天王寺は近く、天を衝くかのようなあべのハルカスが立ちはだかる。それに比べると、新世界の通天閣はレトロな雰囲気が漂う控えめなタワーに見えてしまう。ど派手で「こてこて」な通天閣も、朝陽の中ではその本性を隠しており、横浜のマリンタワーのようにおとなしいものである。新旧聖俗入り混じった大阪は、まさにワンダーランドだ。

天王寺界隈

 鉄道という視点で見ると、大阪は東京ではなくロンドンに似ている。それ程広くない地域に鉄道が数多く集まり、頭端式(行き止まり)の終着駅が多数存在する。ホームが櫛形になっているので、到着した列車の乗客は、行き止まりの先の改札口に向かい、そのまま街中へ出ていく。旅立つときはその逆で、鉄道を利用する人の流れが二方向に統一されていて美しい。終着駅は始発駅、旅の終わりは旅の始まり。どことなく人生を感じさせる櫛形の駅だからこそ、旅情も掻き立てられるに違いない。
 東京では上野駅に風情を感じる人が多いのも、地上駅が行き止まりだからである。高架駅の方は中間駅なので、こちらに特別な思いを感じる人はいないだろう。天王寺駅は上野駅に似ている。ここは大阪環状線・関西本線・阪和線の分岐駅でありながら、そのうち阪和線だけが頭端式の駅となっているのだ。
 ただし和歌山方面からの優等列車は大阪環状線を通って大阪まで直通するので、櫛形ホームは使われない。また奈良方面からの関西本線は終点がJR難波のため天王寺では折り返さない。ということで天王寺・大阪間の大阪環状線は様々な車両で溢れかえっている。入り組んだ線路、老朽化した施設を見ていると、ここでも、重厚なロンドンを感じてしまう。


阪和線から紀勢本線へ
行き先表示に羽衣線の文字


 阪和線は全線複線の近郊路線である。途中、鳳で支線の通称羽衣線が分岐する。わずか一駅1.7㎞の盲腸線で、乗り尽くしを目指す者には手強い相手だ。今回の旅では阪和線完乗にも拘っていたので、昨日のうちに南海電鉄で羽衣までやって来て、歩いてすぐの東羽衣から鳳までを乗車済みにしておいた。そこを今日はあっという間に通り過ぎる。
 阪和線の多くの駅はホームが相対式となっていて、通過列車は減速する必要がない。南海本線と競合するJRとしては、競争に勝ち抜くにはスピードダウンは避けなければならないのだろう。尼崎の悲劇は繰り返されてはならないが、関西の鉄道の懸命な速度競争が乗客の利便性を高めていることは間違いない。
 家がまばらになり、ゆったりとした町並みの上に青空が広がってきた。関空への分岐地点である日根野駅に近づく。大阪湾に浮かぶ関西国際空港、本土と結ぶ橋、りんくうタウン、離着陸する航空機が見えてくる。
 和歌山山脈に向かって上り坂にかかり、雄ノ山トンネルを抜けると紀ノ川沿いに開けた和歌山の町が見えてきた。25‰の急勾配で駆け下りる列車の車窓には、温暖な気候を活かした蜜柑畑が展開している。快晴の空の下、和歌山は光に溢れていた。駅のホームにはJRの職員が「和歌山へようこそ」と書かれた横断幕を持って歓迎している。普段接客をしていない運転手や車掌が中心のようで、慣れない仕事に恥ずかしそうにしていたが、列車が走り出すと一斉に手を振って見送ってくれた。
串本、古座・田原間の海岸

 和歌山は紀伊半島の入り口である。ここから伊勢国亀山までが紀勢本線で、新宮までは直流電化されているものの、カーブの多いローカル幹線であり、このオーシャンアローは曲線に強い振り子車両だ。ただオーシャンアローと名付けられてはいるものの、意外に海岸を走ることは少なく、山や谷を迂回しながら走っているので、まるで山岳路線のようだ。時折海が見える。
 沿線には御坊や紀伊田辺、白浜といった有名観光地が数多く点在する。紀伊半島の南端に位置する串本付近になると、ようやく紀州灘の海岸沿いを走ることが多くなるが、断崖絶壁などはなく穏やかな海岸線が続いている。しかしここは台風銀座で有名な潮岬も近い。今は穏やかな風景も一変して大自然の脅威に晒されることになるのだろう。
 串本からは熊野灘に入り、列車は北上を始める。棕櫚の木が植えられていて南国情緒が漂っている。紀伊勝浦にはたくさんの観光ホテルが建っていて、沿線随一の観光地となっている。紀伊勝浦には、JR東海の特急南紀が名古屋から乗り入れている。今回の乗り尽くしの旅では紀伊勝浦と新宮のどちらでも乗り継ぐことが出来たが、折角展望グリーン車に乗ったのだから最後まで堪能しようと、少し先の終点新宮まで行くことにした。ところがこれが大失敗であった。

新宮という町
南国情緒は豊かだけれど

 4時間16分の長旅を終えて南国新宮に着いたのは11時49分、ちょうど昼時であった。しかし人影はまばらで、駅構内にも駅前にも開いているレストラン・食堂は一軒もなかった。あるのはコーヒーショップと居酒屋兼用のラーメン屋だけだ。駅売店には駅弁も置いてない。この土地らしい新鮮な海鮮料理を期待してきたが、唯一見つけた鮨屋は今日から三連休である。商店街までは往復する時間はなく、仕方なくラーメン屋で済ますことにした。ひょっとしたら海鮮ラーメンがあるかもしれない。カウンターに坐ると様々な海産物が酒の肴として表示されている。しかしランチタイムはラーメンのみだという。およそ観光客を意識しない町であった。JR東海との接続駅であるにも関わらず、特急南紀が紀伊勝浦まで乗り入れている意味が漸くわかった。新宮はその名の通り、熊野大社への玄関口であり、観光客の多くが素通りする町だった。

非電化区間に突入
 
矢になっていないオーシャンアロー

 50分ほどで特急ワイドビュー南紀6号がやって来る。地下道を渡ってホームに立った。向かい側には先程乗ってきたオーシャンアローが停まっている。大阪側の先頭車両は丸みをおびた顔で、とてもアローとは言い難かったが、それはそれで愛嬌がある。この列車は12時45分の折り返しくろしお22号となって新大阪まで戻っていく。今は紀伊勝浦からの交換列車を待っているところだ。
非貫通型の先頭車両

 その南紀6号がディーゼル音も高らかにやって来た。この先、JR東海管内の紀勢本線は全線非電化の単線路線だ。特急南紀に使用されているキハ85系は1990年前後に造られたJR東海の特急型車両で、スマートな外観と強力なエンジン搭載し電車並みの速力が自慢の、高山本線や紀勢本線で活躍する観光特急である。先頭車両は非貫通形と貫通形の2種類あるが、やはり人気なのは非貫通形であろう。4両編成の南紀は非貫通形を先頭にやってきた。
連結可能な貫通型車両

 列車は紀伊勝浦からの乗客でほぼ満席状態だった。それに比べると新宮からの乗客はそれほど多くはない。予め海側の指定席を確保していたので、列車の写真を撮ってからゆっくりと車内に向かう。席は通路から一段上がったややハイデッカータイプのものだった。
 新宮を12時39分に発車し、短いトンネルを抜けるとすぐに熊野川に差し掛かり、三重県に入る。参宮線との分岐駅である多岐までの間は、紀勢本線で最も閑散とした区間であり、一日に普通定期列車が8本、特急列車が4本というローカル幹線である。それだけに見どころも多い。更に嬉しいことにオーシャンアローにはなかった車内販売のサービスが回ってきた。今特に欲しいものはなかったけれども、やはり特急に乗ったからには車内販売がないともの寂しい。
新鹿湾海水浴場付近

 熊野市までは七里御浜というなだらかな浜のそばを走る。ここは「21世紀に残したい日本の浜百選」に選ばれた景勝地で、白砂青松の穏やかな浜には産卵のためアオウミガメも上陸するという。次第に空が翳ってきたこともあって、先程までの南国情緒はすでになくなり、日本の浜の原風景とでもいえそうな風景が続いている。熊野市を越えると、入り江が入り組んだ漁村が続く。列車は軽快に飛ばして新鹿湾をめぐっていく。
 天気が悪くなるのも考えてみれば当然だ。かつて日本一の降水量を誇った(?)尾鷲はもう間近である。トンネルを抜ければ入り江の漁村という風景を幾度も繰り返す。
 紀伊長島は志摩半島の付け根にあたり、ここから紀勢本線は山地へと分け入っていく。前方には標高484㍍の大内山が立ちはだかっており、そこを荷坂トンネル(1914㍍)が貫いている。トンネル入り口はおよそ160㍍地点にあるため、海岸から25‰の急勾配だけでは足りず、いくつものトンネルとオメガループで迂回しながら登っていく。進行左の車窓からは先程通ってきた長島の町や線路が見えるようだが、通路越しに見る風景では詳細はわからない。車窓絶景100選に選ばれるほどだから、またここへは訪れる必要がありそうだ。
 力強いエンジン音がにわかに小さくなって、列車はゆっくりとなだらかな坂を下っていく。風景はどこでも見るような山里の風情である。山がなだらかになり、耕地が広がって、やがて国道沿いにお馴染みの大型店などが姿を現す頃には住宅も増えてくる。右から参宮線の線路が近づいてきた。列車は多気に到着だ。
 
多岐から名古屋へ

 紀勢本線は多気から松阪、三重の県庁所在地である津を通って、名古屋には向かわずに亀山までを結んでいる。もともとは伊勢神宮参拝の関西方面からの列車を通すことを目的に造られたため、亀山で関西本線と合流する際も、奈良方面に向いており、名古屋へ行くにはスイッチバックしなくてはならない。伊勢詣でのための特別列車が不要となった今では、亀山・津間はローカル支線と言ってよい。
津駅1番線は伊勢鉄道が発着

 三重県にとっては名古屋方面へのアクセスが重要であったため、1970年代になってから四日市の外れにある河原田と津とを結ぶ国鉄伊勢線が建設された。ところが名古屋・津・伊勢間には近鉄特急が頻繁に走り、地元の足としても大いに利用されていたために、国鉄は非電化の伊勢線に列車をほとんど走らせなかった。その結果、地元民からは顧みられず、超赤字路線となってしまい、わずか14年で第3セクター伊勢鉄道として切り離されてしまった。伊勢鉄道は非電化ながら高規格で造られた鉄道のため、現在はJR東海の特急南紀や快速みえが頻繁に通るようになった。ほぼ全線が高架で複線区間もあり、単線区間にもすでに複線用地が確保されている。途中には鈴鹿サーキットの最寄り駅、鈴鹿サーキット稲生がある。
 鳥羽と名古屋との間は近鉄線が通っているため、財政赤字に苦しんでいた国鉄としては到底勝ち目がないと匙を投げていたのだろうが、現在この区間を走る快速みえの乗車率は決して低くはなく、特急南紀にも大勢の乗客が乗っていることからもわかるように、伊勢線の第3セクター化は誤りであったと言う識者も多い。駅に進入するたびに減速を繰り返さなければならない単線ばかりを走る特急南紀が、高速対応の伊勢鉄道線にはいると軽快に走行するのを実際に体験してみると、やはり何とかならなかったのかと思ってしまう。南紀やみえに乗車する際には、伊勢鉄道経由の連絡切符が必要である。車内検札では、その点を丹念に確認していた。一般の乗客、特に旅行者には実にわかりにくい仕組みである。
河原田駅関西本線ホーム
右上に伊勢鉄道線ホームの屋根が
見える。           

 河原田で関西本線と合流する。ここから名古屋までは電化区間となる。電化区間は亀山まで延びており、亀山・名古屋間には近郊型の通勤電車が走っている。ただ、路線の多くは単線のままなので、併走する近鉄線には見劣りする。駅間で快調に飛ばす特急南紀も、しばしば列車交換のために運転停車を余儀なくされる。この間に近鉄特急は先に名古屋につくのだろうなと思う。しかし、それでもワイドビュー南紀の旅は快適だ。それは人里離れた山紫水明の地を疾走する特急気動車の魅力を存分に味わえるからである。大都市名古屋に近づいても複線区間がほとんどない関西本線だが、だからこそ余計旅情を掻き立ててくれるのかもしれない。ワイドビュー南紀6号は、新宮からの206.8㎞を3時間26分かけて走り抜け、16時10分、定刻どおり名古屋駅12番線ホームに到着した。
(2015/4/2乗車)

2015年4月1日水曜日

ぐるっと紀伊半島ひとめぐり 補遺


ぐるっと紀伊半島ひとめぐり 旅のノート

 この旅を通して、参宮線・阪和線・紀勢本線・伊勢鉄道・関西本線を乗り尽くした。特に紀伊半島を一巡りした4月2日の旅は、「ぐるっと紀伊半島ひとめぐり」として掲載した。このノートはその前日の行動を記したものである。
  1. 2015年度初日のエイプリルフール。曇天、風はなく寒さを感じるほどでもない。東京の桜は既に満開。東京6時16分発のぞみ3号博多行、14号車10E席。東京からの乗客はまばら。品川が出来てわざわざ始発駅から乗る人はめっきり減った。東京駅構内の「駅弁屋 祭」で購入した丸政のカツサンドはねっとり感が足らず残念。静岡に入ると黒雲たれ込め雨模様となる。
  2. 名古屋8時10分発近鉄特急賢島行、名伊特急22000系に乗車。6号車8D席。木曽川・揖斐川(いびがわ)の大河を2つ渡る。「その手は桑名の焼き蛤」まで18分、三岐鉄道北勢線の乗換駅。近鉄から引き継いだ軌間762㎜のナローゲージ。近鉄富田からは三岐鉄道三岐線。これがナローゲージかと思ったが、こちらは狭軌。近鉄の広軌と比べるととても狭く感じる。
  3. 四日市からは湯の山温泉、あすなろ鉄道乗換。高架の大きな駅、例えば吉祥寺のようなところ。白子の手前で分岐したのは何線?高速通過で駅名わからず。〈伊勢若松駅かから分岐する近鉄鈴鹿線〉 白子はしろこと読む。中川行各停に接続、結構乗車。今にも振り出しそうな空模様。
  4. 快速みえ?と併走。あちらはいつの間にか非電化。間もなく津。JRの方は鄙びている。あちらは特急かも。<名古屋8時05分発の特急ワイドビュー南紀南紀1号だった。伊勢鉄道の高架区間を快走中で、こちらが津を9時ちょうどに発つ際に、あとから到着していた>
    中川連絡線は単線。名阪特急は伊勢
    中川でスイッチバックすることなく
    通過可能。           
  5. 中川が近づくと田園風景が広がる。連絡線が見えれば伊勢中川。ホーム反対側に賢島発難波行の阪伊特急、接続の素晴らしさに惚れ惚れする。
  6. 松坂はまつざかではない。濁らなかった。
  7. 伊勢市、伊勢神宮外宮はこちら。非電化のJRには広大な引き込み線、いにしえの殷賑が偲ばれる。宇治山田、五十鈴川と各駅に停まる。殆どの人は中川で難波行に乗り換えたので車内は私一人。五十鈴川で暫く停車するのはひょっとしてここから単線?そんなことはなかった。町はここで尽き、山と海の風景に変わる。
    近鉄鳥羽駅。ここの番線は変わって
    いる。右から3456と続き、更に左に
    JRが右から021となっている。  
    22000系のテールランプ右が赤く点
    灯している理由は不明。開いたドア
    と連動しているのだろうか。   
  8. 先頭車両,運転席の後ろからの眺めはあまり良くない。
  9. JRとの乗り換えは跨線橋で結ばれていて改札口もなくスムース。ただし、新しく明るい近鉄のホームに対して、JR参宮線の終着駅ホームは古色蒼然としている。
  10. 鳥羽からは単線非電化の参宮線。快速みえ名古屋行、キハ75 102。2両編成。1両の中に快速でありながら24席分の指定席ゾーンがある。名古屋までのほとんどの区間は単線であり、河原田で関西本線に入るまでは非電化ということもあって、近鉄特急とは競合しないと思いきや、特急料金がいらないこともあって近鉄よりも安く名古屋に行ける。名古屋まで近鉄特急は1時間40分、3,030円。快速みえは2時間ちょっとで2,450円。
    鳥羽駅1番線ホームは切り欠き型の
    行き止まりホーム。      
    キハ75快速みえ名古屋行。   
  11. 鳥羽を出ると近鉄線より海側を通るので、ローカル色たっぷりで景色が楽しめる。海は凪いで海苔いかだが浮かんでいる。あいかわらずの曇天で視界は悪く出来の悪い水墨画を観ているようだ。この列車、近鉄よりも鈍足だが、伊勢市からも結構乗って来る。まずまずの人気振りだ。
  12. 多気までが参宮線で、ここは紀勢線の乗換駅。ここから津までは明日も通る。松坂で5分停車。たくさんの人が乗車、それでもクロスシートの隣には誰も座らない。申し訳ないなあ。下りの快速みえと待ち合わせ。あちらは4両。
  13. 快速みえは津から伊勢鉄道に入る。明日特急南紀で行くので、私は紀勢本線を乗り尽くすために、明日は通らない津・亀山間に乗るために、ここで各駅停車の待ち合わせをする。津駅も鳥羽駅同様に跨線橋で近鉄と結ばれている。どちらも乗降客の多い近鉄に改札業務の委託をおこなっているのだろう。近鉄側のコンコースには売店とパン屋がある。売店でビールを、パン屋で松阪牛カレーパンとウィンナークロワッサンを購入。ここではサービスでコーヒーが付いてきた。これは良いサービスだ。JRホームの閑散とした待合室で昼食をとる。雨は蕭々と降っているが、気分は最高。
    キハ11 2 JR東海のローカル線用
    気動車         亀山駅にて
  14. 津からの紀勢線は鄙びた里山を巡る雰囲気路線だ。桜や菜の花、赤いのは桃だろうか。入母屋造りの農家の軒先に美しく咲いている。雨は降り止まない。
  15. 亀山の駅にディーゼルのアイドリング音が響く。12時のサイレン。にわかに雨音が駅舎の屋根を激しく打ち始める。亀山で昼食にしなくて良かった。切符は下車前途無効、駅に売店なし。
  16. ここは今では過剰な設備の超立派な国鉄駅。1番線中央には改札口。機回し線を挟んでホームが二本あり、2番線から5番線まである。長いホームに最長でも4両編成がちょこんと停車する程度。
  17. 関西線乗り尽くしのために、名古屋行普通電車に乗って、伊勢鉄道との分岐駅河原田までを往復する。乗車した電車はクハ312 1309。
    クハ313系 JR東海の近郊系直流
    電車        亀山駅にて
  18. 河原田で下車した際、これは失敗かと思った。伊勢鉄道と合流するポイントは河原田駅の先にあるようで、伊勢鉄道の河原田駅とは津軽当別のように段差があったからだ。しかし、一駅先まで行くと1時間のロスとなる。記憶によれば確か伊勢鉄道は河原田までのはずと、イチかバチかで飛び降りた。車内アナウンスによれば、伊勢鉄道乗り換えはやはりこの駅なのである。降りた後地図で確認すると、やはり伊勢鉄道はここまでだった。この先は明日の乗車となる。ホッとしながらすぐ来た亀山行に乗る。今度の電車はクハ312 1331。
    キハ120形  JR西日本のローカル線用
    小型気動車      亀山駅にて
  19. 関西本線は名古屋から亀山までがJR東海で全線電化、亀山からはJR西日本となり非電化となる。使用されている車両は、JR西日本がローカル線用に開発した小振りの気動車キハ120系である。JRの乗り継ぎは利用者の不便を強いる場合が多く、ここでもわざわざ跨線橋を渡らなければならない。近鉄を見習って欲しいものだ。
  20. キハ120 8。40人ほどが乗車し混雑するが、次の関・加太で下車する人が多数いて、ロングシートに全員座れるほどになった。それにしても景色を背にしながら乗るのは楽しくない。柘植は草津線乗換駅。あちらは電化。遅れの草津線を待って出発。
  21. 左手丘の上にお城が見えて伊賀上野。忍者好きの外国人バックパッカー多数乗車。外国人観光客はこんなところまで来るのかと思うが、考えてみれば自分だって日本の忍者を知っていたら来るに違いないと納得する。伊賀鉄道乗り換え駅。伊賀鉄道の終点、伊賀神戸で近鉄の普通電車から特急に乗り換えたことを思い出す。ここはまた訪れることになるだろう。
  22. 天気は優れないが、笠置手前は渓谷美、桜も見事。山が開けて終点加茂。非電化はここまでで、この先は大和路快速に乗り換える。
  23. 木津で奈良線・片町線と合流する。ここからは複線区間となる。
  24. 高架になった奈良駅に初めて来る。かつて仕事で停まったことのある国道369号線沿いのビジネスホテル・アジールが見える。旧奈良駅駅舎も。桜井線も高架に繋がった。
  25. 法隆寺から天王寺までは未乗区間。王子から柏原まではちょっとした渓谷になっている大和川沿いを走る。その後は街中を走って天王寺へ。この快速は大阪行のため、新今宮で降りて、後から来る王子発JR難波行の各駅停車を待つ。
  26. 関西本線の終点は、今宮で大阪環状線と分かれて一つ目のJR難波である。なんの変哲もない地下駅。階段を上がるとなんばウォークと呼ばれる地下街。そこを1㎞ほど歩いて南海電鉄の難波駅を目指す。難波駅は関東の感覚では推し量れない大ターミナル。線路数8本もある櫛形の終端駅。ここから羽衣まで行き、阪和線の羽衣線に乗車する。
(2015/4/1乗車)

2014年10月23日木曜日

比叡山横断鉄道

叡山電鉄
比叡山をバックに高野川を渡る
叡電鞍馬線         

 京都の市街から叡山に登るには乗り換えのいらないバスが便利だが、時に鉄道を利用するのも乙なものだ。京都側から登るのも良し、琵琶湖側から登るのも悪くない。乗り換えさえ厭わなければ、風景を楽しみながらの小旅行になる。そして更にぐるっと一回りして、同じ所を引き返さずに京都に戻ってくることが出来て楽しい。
 10月下旬のとある日、紅葉にはまだ早く、それだけに観光客の数は限られているから、叡山に登るにはちょうど良い時期だった。地下鉄の烏丸線で終点の国際会館で降りると、宝ヶ池に近いこの辺りは閑静な高級住宅街だ。実はここから叡山電鉄の宝ヶ池は歩いて15分ほどの所にあり、八瀬比叡山口まで二駅という極近の隠れルートなのだ。
きらら 宝ヶ池にて

 叡山電鉄こと叡電は本線と鞍馬線からなり、宝ヶ池が乗り換え駅である。その名前からして本線の終点は八瀬比叡山口だが、運転形態の主流は鞍馬線であり、人気の展望列車きららも出町柳と鞍馬を結んでいる。
京都電燈→京福電鉄→叡電  
と活躍したデナ21 鞍馬駅にて

 話は逸れるが、この鉄道はかつて京福電気鉄道だった。京福は栄枯盛衰の激しい会社で、京都ばかりでなく福井の方でも鉄道部門を切り離さざるを得なかったりして、地元の人でない限り、名前の変化についていけないだろう。私が初めて鞍馬を訪れた1970(昭和45)年、大阪万博の年にはこの鉄道は京福を名乗り、当時の記憶を引き摺る私には、嵐電も叡電もえちぜん鉄道も皆京福電鉄だと思ってしまう。年寄り臭いといえばその通りだが、よそ者には
何とも厄介な鉄道なのだ。 
 八瀬比叡山口に着き、そこからケーブルカーに乗ると、再び混乱が始まるというのは少し大袈裟かもしれないが、ここからの鋼索鉄道が京福電鉄なのである。

叡山ケーブル・ロープウェイ



 高野川の蛇行に行く手を阻まれるかのように叡電・八瀬比叡山口駅はある。目の前には山並みが迫っている。観光シーズンから外れた秋の平日ということもあって、電車は幼稚園児の遠足と一緒になってしまった。ケーブル八瀬駅までは200㍍ほどだから、少し早歩きすれば、団体さんよりも1本前のケーブルカーに間に合いそうである。高野川の清流を橋で渡り、かつては八瀬遊園地であったであろう辺りをケーブル駅に向けて急ぐ。
 この遊園地の廃園も京福電鉄に関わりがある。京福電鉄越前本線の列車衝突事故が会社を傾けたからである。会社は越前本線を手放し現在は第3セクターのえちぜん鉄道となり、遊園地は売り払われて会員制リゾートホテルとなった。そして残ったのが、比叡山に登るケーブルカーとロープウェイである。
 ケーブル八瀬駅に着くやいなや時刻表を確かめる。平日は20分に1本しかないが、まもなく発車なので、ちびっ子団体は追いつかないだろう。時刻表には「所要時間9分、ケーブル八瀬駅・ケーブル比叡駅を同時に発車します」と書いてある。つるべ式井戸と同じように登りと下りの車体がケーブルで結ばれているのだから当たり前だろう、と思うのは鉄道ファンだけかもしれない。おそらく親切な表示なのだろう。
 それにしても乗車してみて驚いた。この鋼索鉄道は高低差561㍍で日本一なのだそうだ。最急勾配なのが高尾山ケーブルカーであることは知っていたが、ここにも日本一があるとは思わなかった。路線は細長くS字形に曲がりくねり目的地が見えない。そこに緑の木々が覆い被さり、日の光が差し込んでとても美しい。中間地点が近づいて、つるべの一方とすれ違う。雰囲気のあるケーブルカーだ。
 ケーブルからロープウェイに乗り継ぐ。振り返ると、宝ヶ池の脇にプリンスホテルの特徴的な円環状の建物がよく見える。3分で山頂駅だが、勿論ここは山頂ではない。標高820㍍の駅からピーク大比叡までは直線距離にして600㍍、あと28㍍ほど登らなくてはならないが、今回の目的は比叡山横断なので、すぐに下山に向かう。ケーブル延暦寺を目指さなければならない。直線距離にして1.6㎞。幸いにしてバスがある。

比叡山鉄道

 叡山に登りながら延暦寺を参拝することなく下山する。なんともバチ当たりな気もするが、様々な宗派の開祖を育み、全山焼き討ちにした信長すらも許した心広い学問寺だから、先を急ぐ鉄道愛好家のことはお許し下さるに違いないと、バスを降り、そのままケーブル延暦寺駅に向かう。谷の向こう側に延暦寺が佇んでいる。
 坂本ケーブルの名で親しまれている比叡山鉄道は、延暦寺への表参道の一画をなし、昭和2年に開業した歴史ある鉄道だ。今日はその表参道を逆に歩いている。しばらく歩くと、登録有形文化財に指定され、関西の駅100選にも選ばれているケーブル延暦寺駅に着く。クリームイエローの漆喰で覆われた駅舎は、多くの著名人が訪れた歴史を物語る貴賓室を備えた重厚な建物だ。階段を上り展望台に立つと、600㍍眼下に琵琶湖が広がっている。ここからケーブル坂本駅までは全長2025㍍、日本一の長さを誇っている。叡山には日本タイトルを持つ鉄道が2本控えているのである。
 
 距離が長いだけあって、ケーブルでは珍しい途中駅が2カ所ある。ほうらい丘駅ともたて山で、ケーブルの特性としてどちらも終点からは等距離にある。坂本ケーブルの面白いのは、架線もないのにパンタグラフが備わっているところだ。普通ケーブルカーに架線はつきもので、ケーブルに電気を流すわけにはいかないから、車内照明をはじめとして必要な電気は架線から採り入れるしかない。もともとはあった架線だが、管理維持が大変なため取り払ったそうで、パンタグラフだけが残されている。鉄道から架線を取り去ると、空がすっきりとして眺めが俄然良くなる。線路は車が走る道路とは違って、幅は狭く色合いも周囲の自然に溶け込むので、環境負荷が極めて低いという特性がある。カーブがあり、鉄橋やトンネルもあって、移動そのものが楽しめる。
 さて、パンタグラフの種明かしだが、実は単なる飾りではない。終点駅にだけ架線があり、停車中に受電してバッテリーに充電するために使われているのだ。
 ケーブル坂本駅から、京阪電車の坂本駅までは徒歩で15分ほど。連絡バスも走っているが、下り坂をとぼとぼと歩くのも悪くない。

京阪京津線


 京阪電車の石山坂本線で浜大津まで行けば、そこから京都までは京津線が連絡している。比叡山の南側、山塊を回避するように敷かれたこの鉄道も、実に個性的だ。4両編成の普通の電車が、堂々と道路の真ん中を走っていく。道路を走るからといって、これは決して路面電車などではなく、鉄道と道路が共存しているとしか言いようがない。自動車が連なる道を走る電車は路面電車というにはどっしりとしたものだし、いざ目線を上に移すと、簡易的なトローリー線ではなく、シンプルカテナリー方式の本格的な架線が張られ、その下をパンタグラフを擦らせて進む電車だけを見ていると、まさに普通の鉄道そのものなのである。距離にして600メートルほどだが、国道161号線を走る京津線は、鉄道というものの概念を覆す逸品である。
 上栄町で国道から逸れて専用軌道に入る。その先には急カーブが控えていて、車輪とレールの摩擦を軽減するために、散水装置が備えられているのも珍しい。
 かくも比叡山横断鉄道は、鉄道愛好家の心をくすぐる見どころ満載の路線なのである。
(2014/10/23乗車)