まずは四国を目指す
7月5日からの九州行きで全線走破を達成するためには、何としてでも6月中に阿佐海岸鉄道に乗り直さなくてはならず、しかもその後すぐに富山へも行かなくてはならなかった。時間にゆとりがありそうなリタイア生活でも、結構野暮用があって、自由な時間は限られているものだ。乗り尽くしの旅自体が野暮用そのものだけれど。
四国は意外に遠い。その上、阿波海岸鉄道は日本で最も収益性の低い私鉄であり、過疎化著しい徳島と高知の僻地にまたがる鉄道である。
せっかく四国へ行くならサンライズ瀬戸の個室寝台を利用したい。早朝に瀬戸大橋から島々の間をゆく船とその航跡を眺めるのは実に気持ちが良い。だがさすがに人気の列車だけあって、ネット予約では希望日がすでに埋まっていた。それでも翌日の東京行きにはまだ空室がある。どうしようかと思案しているうちに残り僅かとなったので、慌てて帰路のサンライズ・シングルツインを押さえた。往路も幸い徳島へのJAL早朝便が割安で購入できた。なんとサンライズの約3分の1だ。鉄道旅行が敬遠されてしまうのも無理はないが、とにもかくにも、6月も押し迫った27日、再度阿佐海岸鉄道に乗ることになった。
6年前を振り返る
2016年夏に訪れた際には、徳島から特急むろとで牟岐まで行き、各停のディーゼルカーに乗り換えて牟岐線の終点海部へと向かった。
海部駅の手前に、駅に寄り添うようにして奇妙なトンネルがある。長さ10メートルにも満たないような短いトンネルなのだが、本来あるべき山がない。トンネルの構造物である台形のコンクリートの躯体と申し訳程度の樹木だけが残っている。なんでも周辺の宅地開発の際に、山だけが切り崩されたのだそうだ。この強烈な印象の海部駅で阿佐海岸鉄道に乗り換える。やって来たのは、煤けたディーゼルカーで、ふうりん号というヘッドマークをつけていた。乗車してみると、天井はLEDライトと造花で飾られ、その間にいくつもの風鈴がぶら下がっている。窓には簾。夜店に来たような雰囲気だ。存続危惧路線の健気な接客サービスなのだが、車窓を楽しみにしている者にとっては、鉄さびと排煙で汚れた窓から眺める阿佐海岸がなんとも切なく、正直言って、あまり印象の良い鉄道とは言えなかった。
切ないのは終点の甲浦駅も同様だ。もともとこの鉄道は国鉄阿佐線として構想され、室戸を通って、奈半利へと結び、高知市まで繋がるはずだった。阿波と土佐が鉄道で結ばれれば、室戸岬も便利になって観光にも寄与したことだろう。しかし、甲浦〜室戸〜奈半利はついに建設されることはなかった。そのため線路は甲浦駅で突然行き止まる。山に囲まれた寒村に建設された高架線が突然断ち切られているのだ。
夏の盛りだったが、もともと乗客は少く、数人の観光客と共に室戸岬行きのバスに乗り換えた。せめて室戸まで路線が延びていれば、という思いが関係者にはあったに違いない。
牟岐線に乗って
6年前の牟岐線には3往復の特急が走っていたが、今では1往復、それも朝に牟岐を発って夕方徳島から戻るダイヤになってしまった。つまり観光需要はまったく見込めないとJR四国は考えているのだろう。室戸岬へはマイカーか観光バスを利用する人がほとんどなのだ。
徳島駅はステーションビルが建て替えられて、県庁所在地にふさわしい堂々とした玄関口になっていた。しかし改札口に一歩足を踏み入れると、昔ながらの懐かしい煤けたホームが健在だ。空が広々とした非電化特有のすっきりしたホームに、最新式の振り子ディーゼル特急うずしお高松行が停まっていてる。華やかなこちらを横目に、少しくたびれた跨線橋を渡って、9:30発の各停阿波海南行が待つ3番ホームを目指す。わずか一両のディーゼルカーだが、ボックスシートのほとんどは空席のままだ。
徳島を出発し50分ほどは、右手奥に四国山地が連なり、手前には田園地帯が広がる日本的な風景が続く。那賀川の長いトラス橋を渡ると阿南に着く。ここで列車交換のため少々停車。阿南というと終戦の日に自決した陸軍大臣のことがふと頭をよぎるが、あちらは「あなみ」こちらは「あなん」で関係はないらしい。取り留めもないことを考えているうちに、うなりを上げてディーゼルカーは走り出す。各駅で若干の人の入れ替わりはあるものの、やはり各ボックスに1人程度。鉄道会社にとっては困ったものだろうが、旅人にとっては最高の状態だ。こんな時はスキットルを傾けて、ウイスキーをひとくち飲みたいところだが、今朝は空路徳島入りしたものだから、液体を機内に持ち込めないため空のままで甚だ残念である。飛行機にはワインオープナーも持ち込めないし、不便極まりない!
田園風景と分かれて鬱蒼とした山をトンネルで抜けると由岐に着く。由岐海岸は南国の雰囲気あふれる静かで美しい海岸だ。このあたりから風景が輝いてくる。日和佐で印象に残っているのは、入江の丘に建つ天守閣だ。こんな所に天守閣があるんだなあ、良い風景だなあと感心したものだが、なんと模擬天守なのだそうだ。要するに熱海城と同じで、歴史的な根拠はあやふやらしく、城郭としての価値はないらしい。よく見れば、最上階はサッシでぐるりと囲まれて展望が楽しめる感じだ。模擬とはわかっていても、ここまでやって来て再び巡り会えるのは嬉しいものだ。
牟岐から先は、童謡『汽車』の歌詞のように「今は山中、今は浜」と美しい景色が続いて、終点阿波海南に着く。徳島から2時間8分の旅である。かつて海部まで続いていた牟岐線は、ここで終わっていた。車止めの向こうに、駅の左手に流れていくようにして、阿佐海岸鉄道の線路らしきものが見える。
世界初! DMVで町おこし
日本の私鉄でもっとも利用者が少ないといわれる阿佐海岸鉄道が、起死回生の切り札として採用したDMVについて、すこし触れておきたい。
デュアル・モード・ビークル(Dual Mode Vehicle)は道路と線路両方を走れるように、鉄道車両として改造したバスのことだ。2000年代にJR北海道で試験走行を繰り返していたことは有名で、残念ながら度重なる他の鉄道事故と経営難から計画は立ち消えとなってしまった。この間、阿佐海岸鉄道でも検討されていたようで、紆余曲折を経た上で、昨年12月についに本格運用に漕ぎ着けた。なんとしても室戸岬まで結びたかったのだろう。
その導入については、ニュース等で知っていたが、乗り尽くしの旅は新しい車両に乗ることを主な目的としているわけではないので、特に注意を払ってはいなかった。だから、路線変更(部分的に新線)扱いになっていたことに気付かなかったのである。JRが第3セクターに替わっても、ふつうは名前が変わるだけで、たとえば信越線がしなの鉄道に替わっても乗車記録はそのまま生きる。
ところがここでは違っていた。DMV化に伴って、牟岐線の海部・阿波海南間1.5㎞が阿波海岸鉄道に譲渡されることになった。譲渡自体はよくあることで問題はないのだが、DMVを運行するためには、バスから鉄道、鉄道からバスへのモードチェンジを行う施設が必要となる。阿波海南は地上駅のため道路へのアクセスが容易だが、海部と甲浦は高架のために一工夫がいる。幸い甲浦は高架線路のさきに空間が広がっているので、スロープさえ造れば地上に降りやすい。そのための路線変更だった。結果として、私にとってはモードインターチェンジ部分が未乗区間となったのである。モードチェンジは面白いので、映像にまとめてみた。
地元では、〈えっ !? 線路にバス !? 世界初を 乗りに行こう!!〉というキャンペーンを通して、町おこしが始まっている。休日限定だが、念願の室戸岬への運行も行われるようになった。平日は阿波海南文化村から阿波海南駅まではバス運行、その先甲浦までが鉄道運行、更に道の駅宍喰温泉までがバス運行される。阿波海南文化村も道の駅も鉄道の駅から歩いて行けるところなので、観光を楽しみながら全線乗車してDMVを堪能することが出来る。そしてなんと言っても、まだ真新しい車窓からは、南国の美しい海岸が眩しく輝いて見えるのが最高の魅力だろう。
道の駅宍喰温泉では、地物の新鮮な海産物が待っていた。私は乗車を祝して、鰹のたたきを肴に生ビールで祝杯をあげることができた。阿佐海岸鉄道の試みが成功することを願うばかりだ。
乗り尽くしまで、あと3路線。今回の乗車は牟岐線の廃線と阿佐海岸鉄道の路線変更が同距離のため、残り52.1㎞は変わらず。27240.2㎞乗車済み。
(2022/6/27乗車)