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2022年7月10日日曜日

あと4路線、52.1㎞ 阿佐海岸鉄道の巻


まずは四国を目指す


 7月5日からの九州行きで全線走破を達成するためには、何としてでも6月中に阿佐海岸鉄道に乗り直さなくてはならず、しかもその後すぐに富山へも行かなくてはならなかった。時間にゆとりがありそうなリタイア生活でも、結構野暮用があって、自由な時間は限られているものだ。乗り尽くしの旅自体が野暮用そのものだけれど。

 四国は意外に遠い。その上、阿波海岸鉄道は日本で最も収益性の低い私鉄であり、過疎化著しい徳島と高知の僻地にまたがる鉄道である。

 せっかく四国へ行くならサンライズ瀬戸の個室寝台を利用したい。早朝に瀬戸大橋から島々の間をゆく船とその航跡を眺めるのは実に気持ちが良い。だがさすがに人気の列車だけあって、ネット予約では希望日がすでに埋まっていた。それでも翌日の東京行きにはまだ空室がある。どうしようかと思案しているうちに残り僅かとなったので、慌てて帰路のサンライズ・シングルツインを押さえた。往路も幸い徳島へのJAL早朝便が割安で購入できた。なんとサンライズの約3分の1だ。鉄道旅行が敬遠されてしまうのも無理はないが、とにもかくにも、6月も押し迫った27日、再度阿佐海岸鉄道に乗ることになった。



6年前を振り返る


 2016年夏に訪れた際には、徳島から特急むろとで牟岐まで行き、各停のディーゼルカーに乗り換えて牟岐線の終点海部へと向かった。

海部駅
 海部駅の手前に、駅に寄り添うようにして奇妙なトンネルがある。長さ10メートルにも満たないような短いトンネルなのだが、本来あるべき山がない。トンネルの構造物である台形のコンクリートの躯体と申し訳程度の樹木だけが残っている。なんでも周辺の宅地開発の際に、山だけが切り崩されたのだそうだ。

 この強烈な印象の海部駅で阿佐海岸鉄道に乗り換える。やって来たのは、煤けたディーゼルカーで、ふうりん号というヘッドマークをつけていた。乗車してみると、天井はLEDライトと造花で飾られ、その間にいくつもの風鈴がぶら下がっている。窓には簾。夜店に来たような雰囲気だ。存続危惧路線の健気な接客サービスなのだが、車窓を楽しみにしている者にとっては、鉄さびと排煙で汚れた窓から眺める阿佐海岸がなんとも切なく、正直言って、あまり印象の良い鉄道とは言えなかった。

 切ないのは終点の甲浦駅も同様だ。もともとこの鉄道は国鉄阿佐線として構想され、室戸を通って、奈半利へと結び、高知市まで繋がるはずだった。阿波と土佐が鉄道で結ばれれば、室戸岬も便利になって観光にも寄与したことだろう。しかし、甲浦〜室戸〜奈半利はついに建設されることはなかった。そのため線路は甲浦駅で突然行き止まる。山に囲まれた寒村に建設された高架線が突然断ち切られているのだ。

 夏の盛りだったが、もともと乗客は少く、数人の観光客と共に室戸岬行きのバスに乗り換えた。せめて室戸まで路線が延びていれば、という思いが関係者にはあったに違いない。



牟岐線に乗って


 6年前の牟岐線には3往復の特急が走っていたが、今では1往復、それも朝に牟岐を発って夕方徳島から戻るダイヤになってしまった。つまり観光需要はまったく見込めないとJR四国は考えているのだろう。室戸岬へはマイカーか観光バスを利用する人がほとんどなのだ。

 徳島駅はステーションビルが建て替えられて、県庁所在地にふさわしい堂々とした玄関口になっていた。しかし改札口に一歩足を踏み入れると、昔ながらの懐かしい煤けたホームが健在だ。空が広々とした非電化特有のすっきりしたホームに、最新式の振り子ディーゼル特急うずしお高松行が停まっていてる。華やかなこちらを横目に、少しくたびれた跨線橋を渡って、9:30発の各停阿波海南行が待つ3番ホームを目指す。わずか一両のディーゼルカーだが、ボックスシートのほとんどは空席のままだ。

 徳島を出発し50分ほどは、右手奥に四国山地が連なり、手前には田園地帯が広がる日本的な風景が続く。那賀川の長いトラス橋を渡ると阿南に着く。ここで列車交換のため少々停車。阿南というと終戦の日に自決した陸軍大臣のことがふと頭をよぎるが、あちらは「あなみ」こちらは「あなん」で関係はないらしい。取り留めもないことを考えているうちに、うなりを上げてディーゼルカーは走り出す。各駅で若干の人の入れ替わりはあるものの、やはり各ボックスに1人程度。鉄道会社にとっては困ったものだろうが、旅人にとっては最高の状態だ。こんな時はスキットルを傾けて、ウイスキーをひとくち飲みたいところだが、今朝は空路徳島入りしたものだから、液体を機内に持ち込めないため空のままで甚だ残念である。飛行機にはワインオープナーも持ち込めないし、不便極まりない!

 田園風景と分かれて鬱蒼とした山をトンネルで抜けると由岐に着く。由岐海岸は南国の雰囲気あふれる静かで美しい海岸だ。このあたりから風景が輝いてくる。日和佐で印象に残っているのは、入江の丘に建つ天守閣だ。こんな所に天守閣があるんだなあ、良い風景だなあと感心したものだが、なんと模擬天守なのだそうだ。要するに熱海城と同じで、歴史的な根拠はあやふやらしく、城郭としての価値はないらしい。よく見れば、最上階はサッシでぐるりと囲まれて展望が楽しめる感じだ。模擬とはわかっていても、ここまでやって来て再び巡り会えるのは嬉しいものだ。

 牟岐から先は、童謡『汽車』の歌詞のように「今は山中、今は浜」と美しい景色が続いて、終点阿波海南に着く。徳島から2時間8分の旅である。かつて海部まで続いていた牟岐線は、ここで終わっていた。車止めの向こうに、駅の左手に流れていくようにして、阿佐海岸鉄道の線路らしきものが見える。



世界初! DMVで町おこし


 日本の私鉄でもっとも利用者が少ないといわれる阿佐海岸鉄道が、起死回生の切り札として採用したDMVについて、すこし触れておきたい。

 デュアル・モード・ビークル(Dual Mode Vehicle)は道路と線路両方を走れるように、鉄道車両として改造したバスのことだ。2000年代にJR北海道で試験走行を繰り返していたことは有名で、残念ながら度重なる他の鉄道事故と経営難から計画は立ち消えとなってしまった。この間、阿佐海岸鉄道でも検討されていたようで、紆余曲折を経た上で、昨年12月についに本格運用に漕ぎ着けた。なんとしても室戸岬まで結びたかったのだろう。

 その導入については、ニュース等で知っていたが、乗り尽くしの旅は新しい車両に乗ることを主な目的としているわけではないので、特に注意を払ってはいなかった。だから、路線変更(部分的に新線)扱いになっていたことに気付かなかったのである。JRが第3セクターに替わっても、ふつうは名前が変わるだけで、たとえば信越線がしなの鉄道に替わっても乗車記録はそのまま生きる。

 ところがここでは違っていた。DMV化に伴って、牟岐線の海部・阿波海南間1.5㎞が阿波海岸鉄道に譲渡されることになった。譲渡自体はよくあることで問題はないのだが、DMVを運行するためには、バスから鉄道、鉄道からバスへのモードチェンジを行う施設が必要となる。阿波海南は地上駅のため道路へのアクセスが容易だが、海部と甲浦は高架のために一工夫がいる。幸い甲浦は高架線路のさきに空間が広がっているので、スロープさえ造れば地上に降りやすい。そのための路線変更だった。結果として、私にとってはモードインターチェンジ部分が未乗区間となったのである。

 モードチェンジは面白いので、映像にまとめてみた。






 地元では、〈えっ !? 線路にバス !? 世界初を 乗りに行こう!!〉というキャンペーンを通して、町おこしが始まっている。休日限定だが、念願の室戸岬への運行も行われるようになった。平日は阿波海南文化村から阿波海南駅まではバス運行、その先甲浦までが鉄道運行、更に道の駅宍喰温泉までがバス運行される。阿波海南文化村も道の駅も鉄道の駅から歩いて行けるところなので、観光を楽しみながら全線乗車してDMVを堪能することが出来る。そしてなんと言っても、まだ真新しい車窓からは、南国の美しい海岸が眩しく輝いて見えるのが最高の魅力だろう。

 道の駅宍喰温泉では、地物の新鮮な海産物が待っていた。私は乗車を祝して、鰹のたたきを肴に生ビールで祝杯をあげることができた。阿佐海岸鉄道の試みが成功することを願うばかりだ。


 乗り尽くしまで、あと3路線。今回の乗車は牟岐線の廃線と阿佐海岸鉄道の路線変更が同距離のため、残り52.1㎞は変わらず。27240.2㎞乗車済み。

(2022/6/27乗車)

2016年8月29日月曜日

四国乗り尽くしの旅ノート

初日 8月24日(水) 晴れ

京都上空
中央やや左下に
御所が見える 
  1. 7:25羽田発ANA531便高松空港行は昨日の台風の影響で機材が787から767-300に変更になった。787はバッテリー火災で曰わく付きの機材だが最新式に乗り損ねてガッカリ。
  2. 羽田32L からテイクオフ。大田区上空を左旋回し、羽田空港を見下ろしつつ木更津から三浦半島、伊豆半島、静岡、その後雲に覆われる。Jetstarと高速で擦れ違う。ちょっと興奮。左下に都会が見えてきた。古墳かな、違う、あれは御所だ。京都上空を飛んでいる。大阪を遠巻きにしながら瀬戸内海。淡路島、大鳴門橋が見え、四国に入る。高度が下がり、高松空港を眺めつつ、いったん通り過ぎて、左に180度旋回しタッチダウン。この席は大正解。
  3. 8:40高松空港にタッチダウン。リムジンバスで高松駅へ。途中琴電のターミナル瓦町を経由。
  4. 今回空路四国入りしたは、①新幹線代が高く、日中の移動は時間の無駄なため。②フリー切符「四国グリーン紀行」(4日間有効)が四国でしか買えないため。③宇多津三角線をすべて走破するには岡山から高知方面に抜ける必要があり、指定席指定を受けるにはフリー切符購入後でなければならないため。ということで、最初に目指すのは高知駅みどりの窓口だ。購入したもの、四国グリーン紀行。指定を受けたもの、南風(岡山→高知のグリーン席)、あしずり(高知→中村の指定席)、あしずり(中村→窪川の指定席)。それ以外は穴子めしとお茶。
  5. 四国最初の鉄道は、琴電。長尾線 屋島を眺め、白山の脇を抜けて長尾。直ぐ折り返し。瓦町下車。
  6. →高松琴平電気鉄道
  7. 瓦町始発の志度線に。海が綺麗。琴電志度は平賀源内の生まれた町だった。源内観光。凄い人だと思っていたが、案外普通に出来る人のように感じた。でも、この観光、面白かったのは、炎天下に誰もすれ違わない源内通りに旅を感じて癒やされたこと。高松築港に戻り、宇高フェリーへ。
  8. 宇高フェリーで連絡船を感じたかった。迫る島。横切る瀬戸内海定期航路。混雑した航路を巧みな操船ですり抜けていく面白さ。
  9. 宇野駅へ。当時の面影は全くなさそう。宇野線はいかにも本州の田舎の風景が広がっている。岡山から倉敷へ。時間が余っているので、おまけのツアー。
  10. 水島臨海鉄道。背の低い里山の間に工場と宅地が広がり、そこを走る工業貨物鉄道。やよいの手前から単線の高架となろが、ここからノロノロ運転。行きも帰りもだから、高架線が老朽化したからか。水島が実質的な終点。みなここで降りる。三菱自工までは二人。
  11. 三菱自工水島工場は燃費データ捏造事件のため休業中。閑散とした工業地帯を水島まで歩く。ここから岡山に戻り、東横インにチェックイン。夕食は駅の吾妻寿司で、ままかり、穴子等。
2日目 8月25日(木) 晴れ

阿波池田に虹が架かる
  1. 7:08岡山発南風1号高知行。グリーン席、進行右側は一人席。明け方に雨が降ったのか、虹が見える。茶屋町まではJR西日本。瀬戸大橋からの眺めは悪くない。宇多津の三角線はあっという間に過ぎる。高松方面の分岐と予讃線を確認しつつ、宇多津へ。多度津から土讃線が始まる。似た名前でこんがらがる。山が近づき、琴電の単線を越えて琴平到着。ここまでは電化されて、時々サンライズの終点となる。
  2. 次第に山深くなる。中央構造線が通る吉野川北側の山地をトンネルを抜けると、谷底にひっそりとスイッチバックの坪尻がある。普通列車が停車する無人駅をあっという間に通り過ぎる。シャッターを押したところピンぼけ写真が撮れた。
  3. 吉野川の手前でトンネルを抜けると、標高約180m。対岸の阿波池田は120mほど。1.4㎞ほどの距離を7㎞大回りして下っていく。このUカーブは土讃線の見どころの一つ。吉野川の上に綺麗な虹が架かっている。谷底は霧の名残、上空は晴天。感動的な風景だ。池田町を虹の円弧が飾っている。
  4. 列車は吉野川をさかのぼり、祖谷口から小歩危へと進む。ここからは車窓左側の景色が良い。後日また通るからと我慢。今日は大歩危が見たい。大歩危で停車。さあいよいよこちら側の景色が堪能できると思ったら、雪除けトンネル風の柱と柱の間から景色を断続的に眺めることに。これには若干興ざめ。列車のスピードが速く、のんびりと景色を楽しむことはできない。ここは車で訪れた方がいい。
  5. 新政からは高知市への下り坂となる。木々が生い茂り、見通しは今ひとつ。
  6. 9:39高知着。すぐにあしずり1号中村行に乗り換え。グリーン席はなく指定席へ。折角のグリーン紀行なのに残念。須崎付近で太平洋が見える。南国の海の色だが、曇りがちのため今ひとつ。窪川を越えて、前から来たかった川奥ループ。一瞬の出来事で良く確認できない。今日はあと2回通るので、写真はお預け。
  7. 土佐くろしお鉄道線内に入る。空が晴れてきて黒潮らしい海の風景が広がる。中村からは各駅停車。カラフルなラッピングが施されたSUKUMO号で終点宿毛を目指す。12:04宿毛着。
  8. 駅前で昼食。店内は満席。外は閑散としているのに。
  9. 12:50宿毛発。13:24中村発あしずり6号。南海トラフを震源とする大地震の際には津波が押し寄せるこの地域。無骨な足組がむき出しで五階建て位の高さの避難場所があちこちに設置されている。
  10. 窪川下車。予定外だが幸運にも、臨時のしまんトロッコ号宇和島行に乗ることができた。四万十川の渓流を楽しむ。
  11. →川奥ループと四万十川
  12. 宇和島着後、明日の宇和海2号(宇和島→伊予市)の指定席(またもやグリーン席なし)を確保。
  13. 宇和島オリエンタルホテルにチェックイン後、港まで散歩。そのあと、鯛めしを食べにぐるなびお薦めのかどやへいく。美味しい!

3日目 8月26日(金) 晴れ
大洲城
堰き止められて鏡のような肱川。
堰は右側奥にある。ベストポジシ
ョンまで行く時間的余裕し。  

  1. 宇和島始発の特急のなんと早いことよ。誰も乗車しない5:33発宇和島2号松山行。宇和島を出るとすぐに山登り。ミカン畑の間をうねるように登っていく。ところどころで宇和海の入り江が見え隠れする。入り組んだ地形はリアス式か。ミカンの熟する頃にもう一度訪れたいものだ。
  2. 6:03着の八幡浜で謎が解けた。高校生がどっと乗り込んでくる。松山(5:58着)まで通う生徒達だ。宇和島2号は高校生特急だった。
  3. 伊予大洲に近づく。肱川の鉄橋から大洲城が見える。肱川には堰が切ってあって、白く泡立つ川の上に城が美しく浮かんでいる様に見える。行ってみたくなった。
  4. 伊予大洲は長浜経由と内子経由の分岐点。特急はすべて内子線経由。内子線は新谷・内子間のわずか5.3㎞。それ以外は予讃線。
  5. 内子は、和ろうそくの町だったか、それとも和時計?
  6. 伊予市下車。駅前に伊予鉄道の郡中港がある。あとでまたここに来る。駅に戻って、長浜方面を通り再び伊予大洲へ。こうしないと予讃線の走破はできない。伊予長浜までは穏やかな伊予灘に沿って進む。伊予長浜からは肱川に沿って伊予大洲まで。こちらが本来の予讃線だが、内子経由の短絡線が出来てからは、ローカル線になった。
  7. 伊予大須駅での待ち時間はわずか40分。駅から大洲城まで大急ぎで往復する。往復2㎞なので計算上問題ないのだが、駅の階段上り下りも含めて、疲れた!
  8. 宇和島8号で松山まで、37分。
  9. 10:22〜16:12 伊予鉄めぐり。全線乗車! 一切観光なし、道後温泉もスルー。
  10. →松山の心くすぐる市内電車
  11. 松山16:28発、いしづち26号高松行。四国グリーン紀行を持ちながらグリーン車の設定がない特急が多すぎる。いしづちにもなし。ところが併合運転しているしおかぜ26号岡山行にはグリーン車がある。無念!
  12. 今治到着直前に瀬戸大橋、しまなみハイウェイが見えたが、距離遠く家々に阻まれ、写真撮影のベストポジションなし。駅近くのお城マンションは健在。駅そのものは高架になっていた。
  13. 宇多津三角線の予讃線側を通過、これでここは完乗!
  14. 18:54高松着。宿泊先はリーガホテルゼスト高松。リーガロイヤル系のビジネスホテル。ちょっと贅沢。街に出て讃岐うどんを食す。お疲れさま。
4日目 8月27日(土) 曇り時々雨、のち晴れ
ごめんなはり線  西分・夜須間

  1. 朝食はバイキング、久々のゆっくり出発。
  2. 8:23高松発うずしお3号徳島行にはグリーン車なし。やっぱり! 9:36徳島着、9:51発むろと1号牟岐行。天気も良くないためか、印象に薄い。
  3. 牟岐で海部行の各停に乗り換え。海部に着く頃から晴れてくる。山がないトンネルを越えて到着。徳島は地味な印象。海部駅は味も素っ気もない。ここでやってきたのが阿佐海岸鉄道のふうりん号。車内は奇妙な飾り付け。甲浦(かんのうら)は突然線路がなくなったという感じの終着駅。ここからは高知県。予算が尽きて、トンネルが掘れないから終点、みたいな。高架線路の下には、一応それらしい駅舎が建っている。ここに数名の旅行客が、室戸岬目指してバスを待つ。とにかく、公共交通機関を使って旅する人はほとんどいないのが現実。
  4. バスで室戸岬経由で奈半利まで。約2時間。
  5. 奈半利14:01発の土佐くろしお鉄道。青い空、深い色を湛えた青い海、白い波、どこまでも続く鉄路。この景色が見たかったのだ! 1時間の快適な旅。御免で下車。
  6. 御免から御免町まで徒歩1.2㎞。とさでんのLRT通過。シャッターチャンスを逃す。
  7. とさでん。専用軌道のような路面電車のような住み分け。はりまや橋のダイアモンドクロス。単線区間のタブレット。面白い路面電車だ。完乗!
  8. →「とでん」と言えば…
  9. 再び突然の雨。激しい雨。高知パレスホテルにチェックイン。夕食は、鰹のたたき三種盛り(かつお、塩鰹、鯨)。

5日目 8月28日(日) 曇り時々晴れ
金刀比羅宮奥社からの眺め
讃岐富士の向こうに瀬戸内海

  1. 高知→阿波池田。南風4号グリーン車。1時間11分間。進行右に席を取り、小歩危の景色を楽しむ。スピード早く、写真は撮れない。
  2. 池田高校確認。
  3. 吉野川下りは、徳島線の剣山4号で。グリーンなし。特段記すべきことなし。
  4. 徳島から鳴門へ。途中、レンコンばたけ?
  5. 池谷はデルタ駅。
  6. うずしお12号で高松へ。
  7. 四国最後の鉄道は、琴電琴平線。金比羅参り。讃岐富士を目指して走れ!
  8. →高松琴平電気鉄道
  9. 金刀比羅宮参り。階段は辛いが、折角来たのだからと、奥社まで行く。身体ふらふら。門前の讃岐きつねうどんが実に旨かった。どんぶりを覆い尽くす四角い油揚げ!
  10. 帰りは栗林公園下車。夕暮れの公園をすべて歩き回り見学終了。瓦町を通って、アーケード街を歩き尽くす。駅前でセルフのうどん屋に挑戦。缶ビールの注文で、自分で取らずに失敗!
  11. サンライズは21:16発車。駅の店は21:00には閉店。なんたること。入線したらすぐに乗車。出発前にシャワーも済ませてしまう。デラックスシングルは実に快適。ワインで祝杯。ほろ酔い気分でそのまま就寝。

6日目 8月29日(月) 晴れ? 

  1. 7:08東京着。四国全線走破の旅が終わった。総延長1113.1㎞を5日間でまわったことになる。達成感! 
  2. ただし鉄道の定義にもよるが、0.06%未乗路線がある。高松市の八栗山(五剣山)にある八栗ケーブル684mである。これは後日行きたいものだ。厳密にはこれを以て四国制覇とすべきだろうけれど、二度達成感を味わおうと思う次第。
  3. 祖谷温泉の露天風呂に降りるケーブルカーはどうする? これは、旅館内のエレベーター扱いとして記録からは除外できるかもしれない(乗りたいけれど)。長野県小諸市の菱野温泉常磐館には「登山電車」があり、こちらは途中で登りと下りが交換する本格的なケーブルカー仕様。でも、法規上はエレベーターだという。実際、ホールのドアと車両(?)のドアが連動して開閉し、乗った人は上下ボタンを押して移動する。まさに構造はエレベーターそのものだ。祖谷温泉のものは、一両が上下する、まさに斜めになったエレベーター。しかし、姿形は見事なまでにケーブルカーそのもの。番外として、乗らねばなるまい。
(2016/8/24〜8/29乗車)

2016年8月27日土曜日

「とでん」と言えば…


 高知で「とでん」と言えば、とさでん交通(旧土佐電鉄)の路面電車を指すらしい。ほかに電化された鉄道がないので、単に「電車」とも呼ばれているという。東京人が聞いたらびっくりするような話だが、南国土佐からみればびっくりする方がおかしいのかもしれない。
ホームからの眺め

 今、県外の人が高知を旅するなら、ぜひJRを利用することをお薦めする。初めて降りる高知駅のホームからの眺めに驚く人もいるに違いない。三体の銅像が背を向けているのだ。
 上野の西郷さんはいつも山手線の方を見つめている。JRを利用する人は多いから、銅像は人々から注目されるように、いつもこちらに顔を向けてくれているのだろう。
銅像ではなかった! 発砲スチロ
ール製なのだそうだ。400㎏もあ
るという。いつまで設置されるの
だろう。           

 しかし、高知の銅像はもっと高尚な志で立っているのだ。桂浜の坂本龍馬は勿論のこと、高知駅前の武市半平太先生、坂本龍馬先生、中岡慎太郎先生は、日本の将来を見据え、海の向こうの世界を見つめて立っていらっしゃる。

 われわれは旧来の常識に対して、もっと自由な発想で見つめ直す必要があるのだろう。土佐を訪れる人は、柔軟な発想で「電車」に乗るとよい。「とでん」もまた、とてもユニークな乗り物である。


路線図

御免線(はりまや橋〜御免町)
 
 御免町は土佐くろしお鉄道との乗り換え駅。終点らしくコンビニが付いた駅舎には、乗車券売場もある。ここからはりまや橋までは10.9㎞あり、約30〜40分かかる。

御免線の起点・御免町  
600形の主力電車。なお、これがとさでんカラー。


 とでんは、いわゆる路面電車の定義を覆すものだ。一見専用軌道のようにも見えるが、道路との境界は曖昧で、簡易的な踏切を見ても、やはりこれは道路の一部で、人や車が横切るところにだけに道を復元しているようにも思われる。これなら車と路面電車は競合しない。

路面電車? 専用軌道?  600形
アスファルトとレールが接しており、歩道部分を電車
が走っていると言えなくもない。また、アスファルト
の踏切とバラストを盛り上げた踏切がある。    

 はりまや橋の交差点は、複線と複線が十字に交わるばかりでなく、連絡する線路が花びらのような模様を描いて繋がっている美しい形だ。連絡線は高知駅方面と伊能駅方面を結ぶ所だけが複線で、それ以外は単線となっている。伊能線の枡形と桟橋線の高知駅前を結ぶ電車が朝方数本運転されるため、そこだけ複線になっているだ。

はりまや橋交差点   600形
縦が御免線・伊野線、横が桟橋線。
鉄道では線路が縦横に交わるのをダイアモンドクロス
と呼ぶが、ここでは更に縦横連絡線がつく珍しい形。
高速道路のダイアモンド型インターチェンジに近い。

伊野線(はりまや橋〜伊野)

 はりまや橋から伊野までは11.2㎞、45分程度。御免線と伊野線をあわせて東西線と呼ぶ。ただし東西線を端から端まで走破する電車は設定されていない。御免町からは鏡川橋まで、伊野からは文珠通までで、それ以外は文殊通と鏡川橋の間を往復している。

100形ハートラム 伊野線
超低床・三車体の連接電車。とでん唯一のLRT。

 伊野までへ行く場合には、鏡川橋で乗り換えることが多い。旅する人にわかりにくいのは、鏡川橋には降車専用ホームと乗降ホームの二つがあることだ。電車は一旦降車専用ホームで客を降ろし、少し先の乗降ホームで乗り継ぎ客を降ろす。この駅止まりの電車はそこで引き返して、渡り線を通ってはりまや橋方面に戻っていく。
 事情がよくわかっていなかった私は、降車専用ホームで降りてしまい、後続の伊野行に乗り損ねそうになってしまった。安全地帯も何もない道路の真ん中を乗降ホームまで駆けなければならなかった。折り返し電車が多いために、下車する人の便を図って、手前に降車専用ホームをつくったと思われるが、何ともわかりにくい。
 
 伊野線は鏡川橋から先が面白くなる。乗降ホームのところから単線になり、橋をわたると、その先の道路が急に狭くなる。

鏡川橋・伊野間は単線
鴨部・朝倉駅前では片側一車線の道路に単線の路面
電車が走る。写真は電車後方を撮影したもの。バス
が遠ざかっていく。つまり、驚くべきことに、現在
電車は対向車線を走っている。         

鴨部・朝倉間には二箇所の交換施設がある。
朝倉で鏡川橋行と交換する。

 下り電車がここに差し掛かると、対向車線を走ることになるので、それを知らないドラーバーは前からやって来る電車を見てパニックに陥るだろう。しかも右側にはこちらに向かってくる自動車もある。一瞬一方通行路に迷い込んだと勘違いするのではなかろうか。ここは落ち着いて対向車が途切れるのを待ち、右から追い越すような感じですり抜けるしかない。
 さて、単線区間での信号扱いはどうなっているのだろうか。鏡川に近い市場前信号所には、進入指示の信号機が設置されているので、自動信号機によって正面衝突を防いでいることがわかる。

市場前信号所にある進行指示の
信号。この先鏡川橋までは、信
号の指示に従って運行する。 

 その先はなんとタブレット交換だった。路面電車で行われている例は、ほかにあるのだろうか。しかし考えてみれば、常に目視で安全を確認する路面電車だけに、この前近代的な方法は、似合っていなくもない。かえって安価で確実な合理的解決に思えてくる。設備投資だけがすべてではないかもしれない。その場その場にあった柔軟な発想が大切だろう。

朝倉駅・北山間は単線の専用軌道区間となる。後ろ
の電柱に自動車の追い越し禁止の標識がある。線路
専用軌道ではなく路面の一部であることを示して
いるのではないだろうか。    八代信号所  

 タブレットは、多客時に数台の電車が続行運転可能なように、通票式のものが採用されている。近頃激減してしまったものが、生活路線でまだ息づいているのは嬉しいものだ。このような古い仕組みでは、一人ひとりの運転手が機械と一緒になって安全に気を配る必要があり、確かに効率は良くないかもしれないが、それを動かす人の役割が重要だ。時間がゆっくり流れていると感じるのは、人がついていける位のスピードだからだろう。目に見える安全、ブラックボックスにならない仕組み。なんと癒される鉄道ではないか。

運転台脇に置かれたタブレット

三角穴の通票がキャリアに
収められている     

 終点の伊野はJR土讃線の伊野駅からも近い。ここにも待合室があり、終点らしい風格がある。と言っても、商店に並んで建つ、瓦屋根の小さな待合室だ。威張らない、肩肘張らない庶民の乗り物である。

伊野線終点の伊野 600形

桟橋線(高知駅〜はりまや橋〜桟橋通五丁目)

 はりまや橋まで戻り、桟橋線に乗る。桟橋線は南北線とも呼ばれるわずか3.2㎞の路線だ。全線が路面電車で、繁華街に近いところは暑さ対策のために敷石がはがされて芝生が張られている箇所もある。あっという間に終点の桟橋五丁目に着く。桟橋だからといっても海が見えない。空が広く、気配は港なのだが、高い壁が立ちはだかっていて、その向こう側が見えないのだ。

終点の桟橋五丁目の脇には高い壁がある。その向こう
に何があるかは、電車からはわからない。     

電車を降りて、壁に沿って歩くと金属製の階段が
あった。昇ってみてその向こうが海であることを
知る。まさに桟橋であった。壁の向こう側に電車
の屋根が見える。              

 歩き回って、壁の上に続くステップを見つけた。昇ってみると、港が広がっていた。陸地は、いかにも高潮には弱そうな0メートル地帯だった。終点のすぐとなりにはとさでん交通の基地、桟橋車庫がある。今回お目にはかかれなかった外国製の電車もおそらくここにあるのだろうが、残念ながらみえない。

立ち入り禁止の札があって、これ以上中には入れない。

 次第に日が暮れてきた。そろそろ今日の旅は終わりにしよう。帰りは高知駅前まで乗って、とでん全線走破の旅を終えることにした。総延長25.3㎞。開業明治37年のとでんは、現役最古の路面電車でもある。

暮れなずむ桟橋五丁目

 翌朝高知を去る前に、もう一度とでん高知駅前を訪ねた。今度来るときは必ずオーストリア、ポルトガル、ノルウェイからやって来た路面電車に会おう。そう思いつつ、JR高知駅に向かった。今日も半平太・龍馬・慎太郎はそっぽ向いている…

高知駅前
(2016/8/27乗車)

2016年8月26日金曜日

松山の心くすぐる市内電車

路面電車だけじゃない市内電車
西堀端付近

 坊ちゃん列車をはじめとしてなにかと話題豊富な松山の路面電車。伊予鉄道ではそれを路面電車ではなく市内電車と呼んでいる。郊外電車と区別するためだろうが、要するにLRT(軽量軌道交通)のことだ。
 JR松山駅から旅を始める観光客にとっては、道後温泉へ行くにも松山城に登閣するにもすこぶる便利だし、住む人達にとってもショッピングや仕事に重要な市内を移動するには欠かせない鉄道だから、まさに市内電車というネーミングがぴったりなのだろう。
 ただ鉄道愛好家の視点からすると、路面電車と呼べない事情がある。それこそ松山市内電車のもう一つの魅力なのだ。

伊予鉄道市内電車路線図      

伊予鉄道では路線図の転載を認めていないようだ。
上図はWikipedia「伊予鉄道」より。       

 市内電車のうち城北線と名付けられた古町・平和通一丁目間(環状線の一部)は路面電車ではない。法律上も軌道ではなくて鉄道となっている。もう少し詳しく説明すると、市内電車のほとんどは路上を複線で走る路面電車だが、ここだけは民家の間を単線で走っているのである。
 JR松山駅前はいつも観光客で賑わっている。多くは市内電車の環状線内回り専用ホームに向かい、松山市駅、城のある大街道、道後温泉を目指していく。一方外回り専用ホームに向かう人はほぼ地元の人達である。こちらから観光地に向かうのは遠回りであるし、そもそも道後温泉行はないからだ。外回り電車のうち、5号線道後温泉行はここで引き返すので、単線区間にあわせて電車の本数は少なくなる。

JR松山駅前外回り専用ホーム。前方が単線になって
いる。オレンジの電車が古町方面からやって来るのを
待って、白い電車が発車する。          

単線だから途中で列車交換がある。さらに城北線は郊外電車と交差までする。ここが珍しい。郊外電車から見ると、場違いなところに路面電車が迷い込ん出来たように見える。


郊外電車高浜線の線路を横切る市内電車

一方、LRT側から見ると、おそるおそる様子を伺いながら通らせて貰っているかのように見える。

外回り電車は高浜線高浜行き通過するのを待つ。
高浜行きが古町到着すると、ポイントが開く。

路面電車?が普通の鉄道を横切るというのも妙な感じ
だが、線路の幅は共通、1067㎜狭軌だ。      
 
城北線の古町駅にまもなく到着。ここには郊外電車と
市内電車の車庫がある。             

単線区間のため、交換列車待ちをする。

 ここから先は、民家の間の狭い空間を平和通一丁目まで進み、そこから路面電車となって複線に戻る。

坊っちゃん列車がゆく
市役所前からの城の眺め

 松山のお城は平山城だけあって、いろいろな場所から眺められ、街のシンボルとなっている。お城と市内電車の取り合わせも絵になる風景だ。ましてや山の麓をのんびり走る坊っちゃん列車が観光客に人気があるのも当たり前だろう。人が多く集まる松山市駅と道後温泉の間を日に6〜7往復している。それほど頻発しているわけでもないので、たとえ乗車していなくても、すれ違ったりすれば心時めくこと請け合い、まさに一大イベントだ。
 それにしても漱石が『坊っちゃん』で描く松山の第一印象は決して褒められたものではない。「野蛮なところだ」と罵り、その後に出てくる有名な汽車のくだりは次の通り。

  停車場はすぐ知れた。切符も訳なく買った。
 乗り込んでみるとマッチ箱のような汽車だ。
 ごろごろと五分ばかり動いたと思ったら、も
 う降りなければならない。道理で切符が安い
 と思った。たった三銭である。それから車を
 傭って…

とそのまま赴任先の旧制松山中学に出向いていく。漱石が描く市井の風景は罵倒されていることが多いのだが、大文豪にとりあげて貰っただけで有り難いことかもしれない。伊予鉄の人達は、このマッチ箱のような汽車を再現してしまった。
道後温泉に向かう電車の横を
坊っちゃん列車がすれ違う。

 街中で蒸気機関車を走らせるわけには行かないので、SLの形をしたディーゼル機関車に、湯気でつくったフェイクの煙を吐かせて、というところに伊予鉄マンの執念を感じる。しかも機関車は終点で向きを変えなければならない。路上にターンテーブルなど設置できないから、台車はそのままに、ボディーだけを回転させるというギミックまで考えて実現した。
松山市駅での付け替え作業
左側ホームでは多くの人が
見守っている。     

 そして、マッチ箱の客車の付け替えは人力で。それらが見せ物になっている。明治が再現されているのだ。観光客はもう『坊っちゃん』の世界に浸っている。この後は、市内のいたる場所に設置されている俳句ポストに、一句ひねって投げ入れたくなるに違いない。ここは漱石の親友正岡子規ゆかりの松山だから。
 
注)東京の葛飾柴又には鰻屋が集まっている。その中で一軒だけ『彼岸過迄』でとりあげられた店がある。今でも漱石にとりあげられたことを宣伝しつつ、多くの人で賑わっている。
『二人は柴又帝釈天まで来て、川甚という這入って飯を食った。そこでらえた蒲焼たるくて食えないと云って、須永はまた苦い顔をした。先刻から二人の気分が熟しないので、しんみりした話をする余地が出て来ないのを苦しがっていた敬太郎は、この時須永に「江戸っ子は贅沢なものだね。細君を貰うときにもそう贅沢を云うかね」と聞いた。』
 須永に批判的な書き方とはいえ、現代小説でこのような取り上げられかたをしたら、クレームものだろう。


有名な大手町交差点

高浜行が通過する

 市内環状線の中に古町で入り込んできた高浜線は、環状線の外にある松山市駅へ向かうため、もう一度交差する。そこが大手町の交差点だ。全国的にはこちらの方が有名で、路面電車と郊外電車の複線どうしが、ほぼ直角に交差することで評判の場所。道路に綺麗なダイアモンドクロッシングが描かれる。上を見上げると架線もダイアモンドクロスになっている。架線同士が繋がっているということは、郊外電車も市内電車も同じ600Vで走っていることを意味する。低電圧の郊外電車だ。
大手町の後方にJR松山駅が見える
ここを通過する際に車輪から発せられる音にも人気がある。タンタンタンタンタンタンタンタン。けたたましく、せわしなく、高らかに音を響かせながら、郊外電車も市内電車も通過していく。もちろん徐行しながらだ。編成の長い郊外電車の方が車輪の数が多い分、迫力もあって面白い。
 高浜線側に遮断機が設置されているのだが、道幅が広いので、歩行者と自動車だけに向けたものになっている。市内電車には必要ないと思っているのだろう。
 
 観光客にも鉄道愛好家にも市民にも愛される伊予鉄市内電車。遊び心満載で、心くすぐられる鉄道だった。各地で廃線の便りが聞かれる今日、市内電車にはいくつかの延長計画があるようだ。まず、JR松山駅の高架化に伴う駅前駅の移動。そして、松山空港への延長計画である。いつのことになるかはわからないが、一日でも早く実現することを期待したい。
(2016/8/26乗車)

2016年8月25日木曜日

川奥ループと四万十川

川奥ループを楽しむ

眼下に中村方面への線路が見える

 四国の片隅にループ線がある。
 高知から特急で約1時間、距離にして70㎞離れた四万十川上流域の窪川、その一つ先に若井という駅がある。窪川を起点とする土佐くろしお鉄道中村線の駅であり、各駅停車しか停まらない。線路の脇に申し訳程度の屋根なしホームを設置しただけの無人駅なのだが、JR四国の予土線の終点にもなっている。ただ、予土線へは皆、窪川で乗り換えてしまうので誰も気づかない、山間の田圃に囲まれたつつましい駅である。
川奥信号場
ポイントは予土線側に開いている

 そんな駅だから、中村線と予土線との分岐もここでは行われない。更に3.6㎞も山奥に入った川奥信号場が分岐地点だ。どこで分かれるのだろうと思っていると、進行左下に一瞬見えるループ線の出口付近を見落としてしまう。というのも、その先に信号場があるからだ。
左が予土線 右が中村線

 ここにループを設置したのは、あとから完成した予土線との接続を考えたからであろう。標高160m台の信号場からループで一気に40m下ってしまえば、そのあと海岸の土佐佐賀までは直線距離で8㎞が緩やかな坂となり、中村へと向かえる。一方で予土線はほぼこの標高を保ったまま、この先四万十川の流れに沿って下っていくのである。
 ループ線を堪能するなら、土佐くろしお鉄道に乗る必要がある。信号場を通過したあと、すぐに右に高度を下げながらカーブが始まってトンネルに入る。隣の車両との角度を見ていると、小さな円を描いて走っているのが実感できる。トンネルを抜けるとループは終わり、列車は進路を左に変えて川の流れに沿って下りはじめる。電化区間ではないので、残念ながら下からは何もわからない。中村との間を特急しまんとが9往復、各停が8往復しているので、上越国境よりは乗りやすい。

しまんとグリーンライン(予土線)の旅

四万十川と沈下橋

 四万十川が最後の清流といわれるようになって久しい。美しい自然が残り、点在する沈下橋がロマンを引き立てる。そもそも四万十という名前からして日常性からはほど遠く、さまざまな旅情を掻き立ててくれる。ところがこの四万十川にも現実は忍び寄ってくる。
 清流にはダムがふさわしくない、のだそうだ。八ッ場ダムのことがあって以来、ダムも随分と地位が下がったものである。原子力発電が忌避され、火力発電が地球温暖化で悪玉と化し、クリーンだったはずの水力発電までもが自然破壊の元凶となった。その問題の「ダム」が四万十川にもある。
家地川駅を出てしばらくすると、
道路橋の向こうに佐賀堰堤が見え
てくる。下の流れが四万十川。 

 川奥信号場で左に分岐し、予土線に入って、そのまま真っ直ぐにトンネルを抜けると家地川駅に着く。この近くに佐賀堰堤、通称家地川ダムがある。
 堰堤とダムの違いはその高さにあるらしいが、呼び方が二種類あるように、推進派と環境保護派や豊富な水量を望む下流域の人々とでは、この施設の評価が異なる。
 そもそもどうしてここに堰堤があるのか。佐賀は中村線側の地名だったはずだ。実は四万十川の水が堰き止められ、山を越えることによって、佐賀にある発電所で電気を生み、下流の田畑を潤した。環境保護など無縁な80年前の話である。長い年月とともに、その水は生活する人々にとって欠くことの出来ないものなっている。
 別の見方もある。ここで取水しているから、四万十に流れ込む窪川の生活排水の量が減り、水質悪化を防いでいるという主張だ。実に目から鱗でである。一旦は水量が減っても四万十というほど支流の多い河川だから、豊富な水量で清流がもどってくるというのだ。
蛇行を繰り返す四万十川

 実際、下流に向かうに従って、両岸の山が狭まり、川は蛇行しはじめ、渓流の様相が深まってくる。豪雨になって濁流が押し寄せても、自然に逆らうことなく、嵐が過ぎ去るのを待つのが沈下橋だ。四万十川の名を広めたのは、この沈下橋がいたるところにあるためだ。
芽吹手沈下橋

 自然を超克しようとして発展した近代であるが、その限界を認識するところから新たな歩みが始まる。そんな時代的気分が人々を沈下橋へと誘うのだろう。数ある沈下橋の中でも、土佐大正と土佐昭和の間にある芽吹手沈下橋は、JRのポスターにも採り上げられた景勝地であり、予土線の車窓からもよく見える。それを窓越しではなく、風を感じながら体験できるのが、今乗っているしまんトロッコ号だ。
しまんトロッコ号
宇和島駅にて

 しまんトロッコ号は、まさに四万十の光と風を感じるために造られた車両だ。日本初の超豪華列車ななつ星を生んだ水戸岡鋭治のデザインである。リニューアルされたディーゼルカーが貨物車を改造したトロッコを引っ張る形式である。あざやかな黄色は、南国高知の太陽か、それとも宇和島みかんか。いずれにしても、しまんとグリーンラインという愛称を持つ予土線に、ワクワクするような旅を提供してくれるカラーコーディネートだ。
しまんトロッコ号
宇和島駅にて

 夏が終わりに近いこともあって、乗客はまばらだった。トロッコ営業区間(窪川〜江川崎)が終わりに近づき、トロッコ車両から4〜5人の外国人がワイワイがやがやと乗り移ってきた。それぞれ大きなトランクを引っ張っている。中国人のグループだった。あたり構わず騒ぐのには閉口だが、こんなところまでトランクを引っ張って旅する彼らには、心底敬服する。あんなバイタリティは私にはない。荷物はどこに預けるべきか考えてからでないと、海外旅行など出来ないだろうなと思いつつ、改めて「中国人、恐るべし!」と感じた次第。
ホビートレイン
宇和島駅にて

 この路線には近頃、「新幹線」も走るようになった。新幹線の生みの親である十河信二が生まれていながら、四島で唯一新幹線のない四国だが、改造車両とはいえ新幹線(もどき)が走っているのだ。それも四国の片隅で。
 ホビートレインと名付けられたこの列車の車内には、鉄道模型が展示されている。自然豊かな四万十川には似つかわしくないようにも思えるが、愛嬌のある団子っ鼻のディーゼルカーが、田舎路線をはしるのは何だか頬笑ましくもある。四国の悔しさをシャレで吹き飛ばしているような、ユーモアに満ちた一両編成だから、あえて目くじらを立てることもあるまい。

 さて、江川崎で四万十川と別れを告げた予土線は、そのあとゆるやかな登りとなって、間もなく国境を越えて伊予国愛媛県へと入っていく。しかし宇和島まではまだ30㎞も残っている。川の名前も広見川へと変わるが、実はこの川は四万十の支流だ。予土線が分水嶺を越えるのは務田(むでん)付近、宇和島からわずか8㎞の所である。だから予土線のほぼ全線が四万十水系を貫く鉄道なのである。
 宇和島の町は、リアス式海岸特有の三方を山が囲む谷底にある。列車は転げ落ちるように坂を下って、北宇和島で予讃線と合流し、終点宇和島に到着する。
赤い橋は国道346号線の四万十橋。
太平洋まであと少し。     
宿毛線 中村・具同間


 一方、江川崎で別れた四万十川は、高知県内を逆S字を描きながら、最後は四万十市・中村で太平洋へと流れ出る。街に近づいても、最後まで清流らしさを失わない魅力的な河川である。
(2016/8/25乗車)