2008年12月25日木曜日

二つの顔を持つ水郡線


電車のようなディーゼルカー

 8時17分発の水郡線・常陸太田行が入ってきたとき、一瞬通勤電車がやって来たのかと思った。何の予備知識もなく、時刻表だけを頼りに早朝東京を発って水戸まで来たので、近年水郡線用に導入されたキハE130系ディーゼルカーの存在を迂闊にも知らなかったのである。裾を絞った幅広車体に強化プラスティックとステンレスの組み合わせは、首都圏の最新式通勤電車と変わるところがない。黒地に鮮やかな黄色と青が組み合わされたカラーリングは、うら寂れたローカル線のイメージを完全に払拭している。ついにノスタルジーとは切り離された地方新時代の波が鉄道にもやって来たのだなと感じる。

水戸⇔常陸大宮・常陸太田は近郊路線

 水戸を出るとすぐに那珂川を渡る。橋梁が川面に近く、素人目に見てもいかにも水害に弱そうだ。現在新しい橋に架け替え工事を行っている最中である。水戸は関東平野の外れに近く丘陵地帯の間に平地が広がっているために、比較的多くの人々が暮らしていて、水郡線沿線には人家と田圃、畑が混在している。だからローカル線とは言いながらもこの周辺では通勤通学の大切な足となっているのである。4両編成の幅広車体を持つ列車が、朝は1時間に3本運転されている。常陸太田への支線が別れる上菅谷までは駅間も短く、単線で非電化のすっきりした線路であることを除けば、新型ディーゼルカーが走る風景はまさに郊外電車が走る姿そのものである。
 ところで 、常陸太田から水戸までの間には朝晩だけ1時間に1本だが直通列車がある。水戸までの距離は19.6㎞、わずか34分だからもっと利用客が多くても不思議はないが、おそらく多くはマイカー出勤で、ここでも殆どが高校生の通学用なのだろう。常陸太田には2005年まで日立電鉄が来ていた。常磐線の大甕(おおみか)を通り、日立に近い鮎川までを結んでいたが、残念なことに廃線となってしまった。従って地元の人にとってはJR水郡線が大切な足に違いないものの、車社会となった今、子供と老人以外は利用者も少ないのだろう。ローカル線はどこへ行っても観光資源がない限り、常に廃線の危機に晒されていると言える。この斜陽の社会インフラを支えているのは高校生である。高校生のいない日中、上菅谷・常陸太田間を折り返し運転しているこの支線の将来は、一体どうなるのだろう。

 久慈川の流れに沿ったローカル路線

 上菅谷に戻り、1日8本あるうちの9時40分発郡山行を待つ。やって来た列車は満席だった。これで運転台の後ろから風景を楽しんでも恥ずかしくない。山方宿を過ぎると山がぐっと迫ってローカル線らしくなる。外観は通勤電車風の気動車だけれども、2人掛けと1人掛けのクロスシートなので旅にはとても快適だ。中舟生(なかふにゅう)からは久慈川に寄り添って走り、運転席の後ろから見る景色は素晴らしく、柵のないガーター橋で久慈川を渡る所などは今にも落ちそうでスリル満点である。観光で乗車している人が殆どで、おそらく袋田の滝を目指すのだろう、途中駅で降りる人はいない。列車はほぼ満席状態のまま、渓流をくねくねと遡っていく。西金には採石場があり、近頃のローカル線ではすっかり珍しくなった貨物列車のヤードがある。両側から迫る渓谷美を堪能しながら常陸大子まで列車は走る。予想通り途中の袋田で大部分の人は下車し、残った人たちも大方常陸大子で降りてしまった。茨城県最後の町である。
 特に渓流を楽しめる風光明媚な車窓はここまでで、この先は列車本数も半減する。駅には何本もの留置線があって、折り返して水戸に向かう二両編成の気動車が止まっている。矢祭山で久慈川の流れは福島県に入り、緩やかな流れは棚倉まで続く。これ以後、列車はなだらかな阿武隈高地に四方を囲まれた盆地をトコトコと走るのである。田圃が広がるこの地方を南北に久慈川が流れ、水郡線は申し訳なさそうに山裾を慎ましやかに大回りして北上する。鉄道が控えめに敷設されているのに、新参者の道路は盆地のど真ん中を突っ切っているのを見ていると、いい加減にしなさいよと小言を言いたくなる。
 そもそも平らな土地に分水嶺があるのだから、サミットをいつ越えたのかは全くわからない。奥久慈の渓流から下ってきたのではなく、遡ってきたというのも妙な感じである。磐城浅川のホームには「水郡線で一番高い駅 306m」の表示が出ていた。決して高いわけではない。
 外の空気は冷たいようだが、福島県中通りの天候はすこぶる良い。日差しが強いので、乗客の一人が車掌にブラインドかカーテンはないのかと尋ねていた。キハE130系には、最近の通勤電車と同じようにカーテン類の装備がない。紫外線カットの特殊ガラスだから必要なしということだろうが、実際には眩しく感じることも多いし、緑の色ガラス越しに見る風景はちょっと不自然な色合いだ。経営上手なJR東日本だから、経費削減、メンテナンスフリーのためであることは間違いない。せっかくいい気分で車窓を楽しんでいる旅行者には、ちょっと興ざめである。やはりキハ110系に装備されているような、アコーデオン式のカーテンこそがローカル線にはふさわしい。
 車窓左側遠くに雪を被った山脈が見えてくる。高度が下がり景色が広々として来て、終点が近いことを感じさせる。進路を西に変えて阿武隈川を渡り、新幹線高架橋をくぐると東北本線の線路が寄り添ってきた。スピードが増し、三線区間をしばらく進むと水郡線の終点安積永盛に到着。午前授業を終えて帰宅する女子高校生がたくさん乗車してきて、ガラガラだった車内は立ち客であふれた。再び近郊線に戻ったのである。もっともこの辺りは東北線の普通列車が多く通るところであり、乗客の大半はたまたま水郡線からの気動車に乗ったに過ぎない。12時33分、上菅谷から3時間をほんの少し切るくらいのちょっとした長旅であった。郡山駅には会津若松行の赤べこ模様の快速電車が止まっていた。磐越西線の会津若松まではまだ未乗車区間である。そのまま乗って行ってしまいたいと思いつつ、次の目的である磐越東線に向かった。 (2008/12/25乗車)

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