2012年12月26日水曜日

東海道本線昼景色ノート

鉄旅の備忘録より

 2012年夏に「東北本線昼景色」の旅に出たが、それが思いの外面白く、その第2弾として東京から小倉までを景色が楽しめる昼間に鈍行列車で乗り継ぐ計画を立てた。途中、乗り尽くしの旅の一環として岡山では路面電車に完乗したり、赤穂線に完乗したり呉線で呉を訪れるなど、少々欲張りな計画である。以下はそのうちの東海道本線編ノートである。旅行記にまでまとめあげることはなかったので、ノートの形で残すことにした。 2012年12月26日実施。なお、同日は岡山泊。続きは山陽本線昼景色を見よ。
  1. 6:07東京発。購入した駅弁は鳥取のカニ寿司。グリーン2階席で食べながら出発。辺りは真っ暗。有楽町、晴海通りも真っ暗。
  2. 戸塚・東戸塚地点で上りサンライズとすれ違う(今回の旅の帰路に乗る予定。帰りはどんな思いでこの列車を見送るだろうと考える)。
  3. 朝日を浴びた相模湾がまぶしい。
  4. 熱海駅で最初の乗り換え。ここからはJR東海。ホームが違うため、階段の降り登りがあって面倒。
  5. JR東海の電車静岡行きは何とロングシート。座って乗っても何にも面白くない。
  6. 昔三島まで写真を撮りに来たことがあったが、どこかわからなかった。
  7. 沼津から運転台後ろで立って楽しむ。ところが、苦手な鉄道ファンがかなりいる(自分を映し見る様で何となく避けたいのだ。)。
  8. その中の一人は、完全なトランス状態。あたり構わず話し掛けている。最後に捕まったのは僕。観念して優しく熱心に相手する。話しているうちに驚いた。彼は鉄道ファンではなくて、富士山マニアだったのだ。美しい富士山がだんだん大きく見えてくる。彼の興奮も高まる。「みんな見ているよ」と嬉しそう。終点の静岡まで乗車し、県庁の無料展望台で楽しんだ後、小田原まで新幹線で富士山を楽しみながら戻るのだそうだ。富士山だけでなく、遠くに南アルプスの白い山並みが見える。
  9. 鉄道ファンにオタクが多いのはどうしてだろう。いや、問題の立て方がおかしいか。ファンはみんなオタクかも。知識体系の幅が広い鉄道は、オタクにとって格好の興味の対象なのだろう。優れた人や普通の人からちょっと風変りな人まで、すべてを包み込む鉄道という趣味。何と懐の深いものであることか。
  10. 東田子の浦から富士にかけて、富士の真横を東海道線は突っ走る。手前の里山も切れて、もっとも間近に裾野が美しく広がるところだが、この辺りは製紙業がさかんな地域でもある。錆の浮いた製紙工場が連らなり、真っ白な煙をもくもくと上げている。吉原からは岳南鉄道。静岡乗り尽くしの際には再訪することになるが、この工場地帯はいただけない。
  11. 富士川は素晴らしい橋梁だ。はやぶさ・富士で通った時を思い出す。
  12. 由比から興津にかけては海岸まで山が迫っているので、東海道線・国道・東名自動車道が寄り添って走る。最初に開通したのが東海道線であることは、線路脇の頑丈そうで無骨な防波堤の名残から推測できる。あとになって、海側に道路が造られていったのだろう。なお、このあたりは「左富士」で有名な所だそうだ。前方に気を取られ、また富士マニアが左富士を知らなかったため話題にならなかったので、見はぐった。
  13. 清水から静岡鉄道が併走して静岡に着く。これも乗りに来ないといけないなあ。
  14. 静岡からはまたロングシート。安倍川はどうして連濁しないのか。むかしから安倍川餅って言ってたなあと取り留めもないことを考える。立派な橋梁だ。
  15. 島田を過ぎると長大な大井川を渡る。ここからは白いアルプスは見えない。小夜の中山も近いこの辺りは牧ノ原台地が広がる起伏の変化に富んだ所で静岡茶の産地でもある。大井川橋梁を越えると列車は右に90度曲がり、徐々に高度を上げて金谷の駅に着く。SLの時間ではないようだ。大地の窪地をうねりながら、菊川から掛川へと進む。周囲は茶畑で囲まれている。新幹線と併走して掛川に到着。ここからは天竜浜名湖鉄道(天浜線)が分岐する。旧二俣線には近々訪れる予定。
  16. 掛川から浜松まではかつて車窓展望を楽しんだことがある。このあたりは新幹線と併走し、しかも高架橋ではないので間近に見ることが出来る。天竜川を渡れば浜松は近い。
  17. 浜松で乗り継ぎは、やはり階段での上り下りが必要。一体どうなっているのだろう。
  18. 浜名湖あたりの風景は美しい。弁天島で少々停車しているうちに、新幹線が高速で行き交う。日本の大動脈であることを実感する。とにかく頻繁に通る。
  19. 豊橋からは漸くクロスシートになった。長時間立ちっぱなしだったので嬉しい。乗った電車は「新快速」大垣行。豊橋駅では飯田線と名鉄が同居。
  20. 名古屋付近は線路も複雑で、とても覚えきれない。中央線が合流。名鉄も併走。賑やかだ。名鉄全線走破は大変だろうなあと思う。関東に住みながら、東武全線走破が大変だったことを思いだす。面白いばかりではないし。清洲は織田の清洲城のことかあ。岐阜は山城が見える。一度降りてみたいな。遠くの山並みに白いものが見えてきた。大垣に近づくと徐々に上り坂になって山が近づいてくる。そのうちのひとつ、行く手に見える真っ白い山は伊吹山に違いない。
  21. 大垣で小休憩。一旦改札を出て予定通りドトールに行く。食べ過ぎないよう、水分の補給とトイレにも行っておかないと。
  22. 大垣・米原間は東海道線内唯一のローカル線である。関ヶ原は地形的には勿論のこと経済的にも東西を分かつ境界線なのだということを実感する。近郊電車の半分は岐阜で折り返し、残りも殆どが大垣止まり。この先は1時間に2本程度となる。
  23. 大垣は交通の要衝で、東海道本線以外に、樽見鉄道・養老鉄道・美濃赤坂行(東海道本線)が走っている。更に東海道本線もこの先の南荒尾信号所で上下別線となって、愛好家にはたまらなく魅力的な場所である。各駅停車の旅なので、下り専用線には入らず、通称垂井線で垂井を目指す。ここは面白い。垂井線は複線に見えるが、実際は東海道本線上りの高規格線路と各駅停車専用の低規格線路垂井線が併走する奇妙な場所である。垂井駅に停車する必要のない優等列車や貨物列車は、すべて高規格線路の下り専用線に回る。一方上り優等列車は垂井経由となる。雪が交じり始めた。このあたりは日本海側の気候が入り込んでいるのだろう。
  24. 美濃赤坂から草津までは、かつて中山道であった。東海道は熱田から桑名にでて四日市経由である。
  25. 関ヶ原を越えると峠があり、そこから米原までは坂を転げ落ちるように下っていく。伊吹山が大きく聳え立つ。
  26. 米原で乗り換え。JR西日本の新快速網干行、先頭車両の乗る。運転手は女性。クロスシートで快適だ。このあたりは琵琶湖線と呼ぶらしい。地元の人にはいいが、我々旅人にはどこを走っているのが琵琶湖線かはわからない。
  27. 雪が交じっている。彦根城が見える。安土城の場所は確認できなかった。近江八幡といえばたねやかな。看板見あたらず。
  28. 野洲には電車基地。
  29. 草津からは複々線。新快速の真骨頂。ところで新快速が早いのは衆目の事実だが、ギリギリの運転をしているなと思うのは駅に停車する時の制動距離の短さである。ブレーキ操作が難しそう。カクカク制御しながら運転している。他の民鉄との対抗上、スピードが命なのだろう。JR東日本にも見習って欲しいものだ。だが、一方でここまでスピードに拘るからこそ福知山線の事故は起こったのだとも思う。怖いくらい速いのである。関東では京急が120㎞運転をしてスリル満点だが、こちらは130㎞運転である。
  30. 大津が近づき天候も回復。叡山も見えてきた。逢坂山トンネルを抜ければ山科だ。湖西線と合流。
  31. 東京からずうっと一緒だったハンチングの人物は京都で降りた。こちらはまだまだ先だ。
  32. 山崎サントリー。茨木。新大阪、そして大阪へ。
  33. さくら夙川あたりは高級住宅街なのか。芦屋。
  34. 灘、灘中高はどこだろう。六甲山が大きく迫り、住宅街を見上げる様になる。
  35. 三ノ宮の次が神戸。この電車の終点はまだ先だが、東海道本線昼景色はここまで。

2012年12月25日火曜日

山陽本線昼景色ノート

鉄旅の備忘録より


1~9は12月26日「東海道本線昼景色」の続き。10~は翌日27日の記録。
  1. 線路上の戸籍とは別に新快速は何事もなかったかのように神戸駅を出発する。東北縦貫線が開通すれば、東北線と東海道線が直通するが、東京駅を通過するときに特別な感動があろう筈もない。それと同じ。でも、東京から来た身にはついに来たなあという思いはある。ただ、ここから山陽本線が始まるにしては、ここ始発の列車がないだけにちょっとあっけない感じはある。
  2. 明石海峡大橋、明石の天文台?
  3. 途中で徐行
  4. 姫路で乗り換え。DC特急のあとすぐ。
  5. 網干、相生から赤穂線へ。夕暮れ迫り、播州赤穂。乗り換え。
  6. 瀬戸内海が少し見えるがすぐに日没。
  7. 大多羅、岡山着。
  8. すぐにチェックイン。福寿司で、生ビール、酢の物、冷酒、特上ままかり寿司。
  9. 岡山電気軌道でまず東山、戻ってから清輝橋、戻って宿へ。
  10. 5時起床。5:50発。
  11. 尾道はまるでジオラマのような風景。狭い海峡にびっしりと町が広がり、中腹をうねるように山陽線。上をしまなみハイウェイの橋が架かる。冷え込んだ朝、海水温の方が高いため海からは霧が湧き起こる。幻想的な風景。
  12. 糸崎で乗り換え。何と味気ない103系ロングシート。三原は新幹線も停まるちょっと大きめの町。高架線上に駅。ここで新幹線と山陽線は真っ直ぐ山に向かってトンネルに吸い込まれていく。呉線は大きく左にカーブを切り、徐々に高度を下げて渡河、正面の山を回り込むように左カーブを切るものだから、とうとう山陽線と平行に東へ向かい、小さな半島の縁を再び180度右に進路を変えて西に向かう。この間、瀬戸内海に沿って電車は走り、遠くにしまなみの橋を見届けながら、風光明媚な景色が楽しめる。日の出の太陽が徐々に高度を上げるなか、
    呉線車窓 海霧の夜明け
    海面からは沢山の霧が湧き起こる。それがオレンジから金色に輝いて美しい。
  13. 瀬戸内海の風景を堪能するには、頭の切り替えが必要である。箱庭のような美しい風景の土地には、沢山の人が昔から住んでいる。盛んなのは海運と造船業。近代日本の牽引車だ。そして海運はコンビナートを発達させている。大規模な火力発電所。これらがすべて美しい風景の中にある。工場群は美しくない。しかも巨大な煙突からは、浄化処理された白い煙とはいえ、もくもくと大気中に放出されている。ところどころで工場地帯は途切れる。いきなり美しい島と海岸が現れる。しばらく行くと集落が現れ、また工場地帯。
  14. 呉線が走る所は特に近代日本の先進工業が発達した所。戦前は、軍艦は勿論のこと零戦を始めとする戦闘機の生産一大拠点であった。工場労働者ばかりでなく、先端技術者が多く集まり、日本の頭脳集団が暮らしていた場所なのである。その伝統は今も受け継がれている。巨大な造船所の回りには、そこで働く人達が乗ってきた自家用車がびっしりと取り囲んでいる。
  15. 呉は、造船と自衛隊の街。だから呉線は単なるローカル線ではないのだ。赤穂線と同様、このあたりの山陽線の方がローカルなのである。
  16. 大和ミュージアム、鋼鉄の鯨。見所多し。江田島の向こうに厳島が見えることを教わる。
  17. 呉から広島までは、快速安芸路ライナー。途中列車交換があるので、それほど速いわけではない。運転席にはモニターがあり、次停車とか表示される。驚いたのは、速度制限がでたり、急カーブ表示があること。福知山線事故の反省からであろう。JR西日本は、制限速度一杯に運転しているので、必須の装備と感じた。ここの海がまた綺麗だ。広島は海が綺麗だ。だからこそ牡蠣が美味しいのだろう。
  18. 広島から宮島口を通って大野浦まで。次は岩国まで。
  19. 岩国から新山口まで。ここは周防大島の橋が見所。以前、見たことがある。たぶん、みずほで長崎に行った時だ。大学生の時。思い出に残るのと全く同じ橋が現れた。記憶は確かだ。このあたりも風光明媚。光を過ぎ下松からは海とお別れ。山側の席に移る。
    大畠瀬戸にかかる大島大橋
  20. 防府は趣のある町。山が西日に当たって美しい。山は石灰岩質、秋芳洞にも近く、またこの先はセメント工業の盛んな所だ。
  21. 新山口はかつて小郡と言った。かつてホームに立ったことがあるが、風景に記憶はない。乗り換え。
  22. いよいよ本州の端は近い。起伏の激しい所で小さな峠をいくつも越える。路線は地形に逆らわないようにくねくねと曲がる。海からは遠い。
  23. 幡生で非電化の山陰線が合流する。複線の山陽本線の間を下から這い上がってくる。下関駅に近づくと右側から海が近づく。これは下関漁港・下関湾であって、関門海峡ではない。
  24. 本州の果て、下関駅はエキゾチックで重厚な駅である。いにしえの繁栄を彷彿とさせるかのように、長大で広々としたホームには、どっしりとした屋根が被さっている。柱はレールを用いた鋼鉄製だ。今、ここに停車する長大編成の長距離列車は残念ながらない。山陽本線はこの先門司が終点だが、JR西日本はここまでで、最後の一駅まではJR九州となる。夕暮れ迫る関門海峡を通り、今回の旅の終点小倉に向かった。
  25. 小倉から東京に戻る。残念ながら直通の寝台特急はない。今の時間、のぞみならそのまま深夜に東京に着く。それでは面白くない。今回採った方法は、山陽本線昼景色区間は、JR九州のさくらで、その先はサンライズ瀬戸で優雅に帰るというものだ。さくらの停車駅は小倉、徳山、広島、福山、岡山。ビールとかしわ飯弁当で夕食。さすがJR九州車両、指定席はグリーン並みの横4列。肘掛けやテーブルに木をふんだんに使っている豪華仕様で実に快適。通路ドア上のLED表示も大きく見やすい。山陽新幹線を利用するときは、新大阪で乗り換えよう。
  26. 岡山からはマリンライナーで高松へ。ここは青春18が使える。20分の待ち合わせで、サンライズ瀬戸は出発。