2014年4月1日火曜日

大糸線昼景色

変貌する糸魚川

 手元に二枚の古い写真がある。一枚はピンボケでブレた列車の写真、もう一枚は煤けた感じの煉瓦車庫の写真で、どちらも昭和38年(1963年)夏に北陸本線を写したものだ。
赤煉瓦車庫とC56(1963年撮影)

屋根上の煙突は蒸気機関車廃止後は
撤去された。C56は大糸線で活躍。
 ピンボケ列車の方は、糸魚川駅の隣にある梶屋敷駅ホームを、当時珍しかったデーゼル特急白鳥が通過するシーンである。目にも止まらぬようなスピードで疾走していく最新式の特急列車は実に格好良かった。まだ電化されていなかった北陸本線は蒸気機関車牽引の薄汚い客車列車が中心で、綺麗なデーゼル特急は皆の憧れであった。その軽快で優雅な走行は「白鳥」という名前にぴったりであり、終生このシーンは忘れられそうにない。
赤煉瓦車庫とキハ52(2010年撮影)

取り壊し直前の赤煉瓦車庫。北陸新
幹線の橋脚は直前まで迫っていた。
またキハ52も3ヶ月後に大糸線から
消えていった。         
 赤煉瓦車庫の方は糸魚川駅構内にあったものだが、こちらは記憶に全く残っていない。古いものがありふれていた時代にあっては、この赤煉瓦車庫がまさか存続運動まで起こるほどの貴重なものだとは誰も思わなかった。
 あれから半世紀が過ぎ、ディーゼル特急よりも蒸気機関車牽引の客車や煉瓦車庫の方が格段に注目を集めるようになった。時はものの価値を変えていく。かつて単線で海岸沿いを走っていた北陸本線直江津・糸魚川間が、複線電化と長大トンネルでスピードアップし、優雅な「白鳥」は今では青森よりも南下することもなくなった。そして煉瓦機関庫は北陸新幹線工事によって、惜しまれつつも3億円の移築費が捻出できず、永久に消え去ってしまったである。


大糸線の思い出


姫川
 糸魚川は翡翠の町だ。翡翠はフォッサマグナの激しい造山運動によって生み出された宝玉であり、活断層の巣である糸魚川静岡構造線に沿って流れる姫川流域に眠っている。翡翠を生み出すほどの激しい自然を流れる姫川だが、古くから交通の要衝でもあった。上杉謙信が宿敵武田信玄に塩を送り、「敵に塩を送る」の言葉となって今も有名な塩の道、千国街道は、この急流姫川に沿って松本やはるかかなたの甲府まで続いている。大糸線はこの姫川を遡り、北アルプスや仁科三湖などの景勝地を結んで松本に至るが、現在は残念ながら全線走破する列車がない。すべては途中の南小谷で折り返している。それはJR西日本管轄の南小谷以北が非電化だからだが、そもそも国鉄時代も直通列車は稀だった。
 その珍しかった直通列車に乗ったことがある。昭和44年(1969年)夏のことだ。糸魚川発新宿行の急行アルプス5号は列車番号が1414D、末尾にDが付くディーゼル急行だった。当時既に南小谷までは電化されていたので、新宿発着のアルプスはこの列車以外はすべて電車だったから当時としても珍しい存在である。糸魚川を8時12分に出発、新宿には15時49分に着くという7時間半のロングランだった。記憶に残っているのは、仁科三湖と荻窪付近の高架化工事くらいだが、今にして思うと日本列島を横断した貴重な経験と言える。北アルプスの記憶が残っていないのは、水蒸気が多い夏場は山が見えにくいという事情があったのだろう。大糸線にはこの時以外にも乗る機会があったが、どうも車窓風景の記憶が曖昧である。一度じっくり味わいたいと思っていた。 


糸魚川・南小谷間


大糸線切欠き4番ホーム

左ホームが1番線。通過列車用の

線路を挟んで大糸線列車の左側線
路の先に2番線ホームがある。列
車の右側が3番線。そして大糸線
は4番線となる。ホーム中程で下
車した人には4番線が見えない。
 大糸線の列車は、糸魚川駅の片隅から出発する。特急列車の停まる糸魚川駅には普通列車を追い越せるような堂々としたホームがあるが、その端は、線路方向にホームを半分切り取って線路を敷き、編成の短い列車が停車出来るようにしてある。これを切欠きホームと呼ぶが、この形式は、需要の少ないローカル線のために新たにホームを増設する必要がないところから時々目にすることがある。
 片隅にひっそりと列車が待つところが、いかにもローカル色豊かで良い雰囲気なのだが、問題もなくはない。初めて訪れる旅人には、ホームが見つけにくいのである。列車が遅れて乗り換えを急がなくてはならないような場合、ホームは番号順にあるものだと思い込んでいるととんでもないことになる。おまけのホームだから、番号が飛んでいるのだ。本数が少ないローカル線だけに、駅の放送にしっかり耳を傾けて、間違いなく乗り換えを急がなくてはならない。
 さて北陸新幹線の開業を前にして大きく様変わりした糸魚川駅であるが、大糸線の列車も随分と新しく可愛らしい車両となった。鈍重な印象のキハ52に替わって、軽快なキハ120となり、さらに御当地ゆるキャラのラッピングカーまで投入された。地域の活性化に役立つことだろう。
 もっともこの日に乗車したのはラッピングされていない列車で、出発ホームも本線2番ホームからだった。知ったかぶりをして大糸線ホームで待っていたら、乗車口に行くまでに少々出遅れてしまった。キハ120は通常の車両より短い16m車だから乗車定員が少ない。進行右側の座席をどうしても確保したかったが、結構多くの人が乗り込み始めていた。これはまずいなと思っていると、幸いなことに左側から埋まっていく。日差しが強かったこの日、地元の人は日陰側の席を求めていたのだった。この先列車は姫川を右手に見ながら進んでいくのでありがたい。


小滝・平岩駅間

国道の上には崩落した土砂と残雪
がある。 
 糸魚川から南小谷までの35.3㎞は糸魚川ジオパークの旅でもある。世界で100カ所ほど認定されているジオパークの定義は少々わかりにくいが、世界自然遺産とは異なり、地質学的に珍しいばかりでなく、その自然が生態系や人間の営みと密接に絡み合った地域が認定されるようだ。日本ジオパークネットワークによれば「ジオ(地球)に親しみ、ジオを学ぶ旅、ジオツーリズムを楽しむ場所がジオパーク」であるという。親しんで、学び、楽しむ所と言われても… まあ、余り難しいことは考えないようにしよう。少なくともこれから大糸線を楽しむのだから。
 この姫川沿いの大糸線の景色は半端ではない。糸魚川から海抜516mの南小谷まで、姫川の急流は大地を深く刻み込み、険しい渓谷を形作っていて、人が住めるようなところはほとんどなく、冬は豪雪が見舞うような厳しい場所でもある。
小滝・平岩駅間

国道は護岸された堤防からはみ出す
ように設置され、大糸線は頑丈な鉄
骨で守られている。
 そのような場所でありながら昔から塩の道として人々の生活を支える道が通っていた。現在は国道148号線となって、主に川の西側を通っている。落雪の危険を避けるために、全線ほとんどがスノーシェッドで覆われた無骨な国道である。頑丈なコンクリート製の雪除けトンネルが延々と続くのである。眼下を雪解け水の濁流が流れている。護岸のために無骨なコンクリート壁が川岸を固めてあり、自然から生活を守るための奮闘の跡が見て取れる。
もともと土地のないところだから、鉄道路線と道路は併走できず対岸に建設せざるを得ない。険しい渓谷の、限られた川岸に線路を敷き、どうしても敷けない場所は山岳トンネルをぶち抜いたため、大糸線はスノーシェッドとトンネルの連続である。鉄骨で守られた雪除けトンネルから眺める姫川と国道の景色が、この路線の最大の見せ場である。こんなところに国道や鉄道を造っているのだという驚きは、まさに自然と人の営みをテーマとしたジオパークの楽しみ方そのものを体現しているではなかろうか。
南小谷駅

後ろの白銀、左側は大渚
山か。        



 鉄道愛好家としては自動車道路には余り触れたくないのだが、この148号線のドライブについては少し触れておきたい。外からは窺い知れないが、このスノーシェッドの中をトラックやタンクローリーを始めとする大型車が爆走しているのだ。松本から富山方面を目指す際、高速道路を利用すると長野や妙高・上越市と大きく迂回しなければならない。だから多くの車はこの国道148号線に流れてくるので、昼夜を問わず人々の生活を支える重要路線として機能している。交通量が多く閉鎖的な空間だから、ドライブを気楽に楽しめるような場所ではないのだが、外は見所ある渓谷が広がっている。おちおち景色など楽しんでいられないが、一度通ると忘れられない不思議な道なのである。
 ということで、ここはやはり鉄道の旅が一番だなあと思っているうちに、あっという間に1時間が過ぎて南小谷に到着する。ここで乗り換えだ。





南小谷・松本間

 大糸線の名称は信濃大町と糸魚川を結ぶことに由来する。全線開通前の昭和12年には、信濃大町・松本間の信濃鉄道が国有化されて組み込まれたために、松本・糸魚川間となった歴史を持つ。鉄道の近代化として松本から伸びてきた鉄道の電化はここ南小谷までとなっていて、この先糸魚川までは伸びなかった。これは松本平から続く平坦な土地が、南小谷のすぐ上にある栂池高原・コルチナスキー場で尽きるのと同じで、ここまでが人々の多く集まる地域であり、この先は先程通ってきた渓谷となる。ここから大糸線は人里を走ることになる。
南小谷駅

左からE257系、キハ120、E127系
南小谷に現れる定期列車の揃い踏
みとなった。         
 新宿行あずさ26号に乗り換える。昼景色を楽しむ旅としては各駅停車に拘りたいところだが、スケジュールの都合上どうしても松本まではこの列車に乗らなくてはならなかった。車窓の旅記録も駆け足でいこう。





 晴天に恵まれ北アルプスの山々を堪能できる日和だった。ただ午後の日差しは逆光のためにどうも写真写りが悪い。それでも雨男の私にとっては滅多に見ることの出来ない北アルプスではあった。

白馬駅付近から眺める白馬三山

左から白馬鑓ヶ岳、山頂が平らな杓子岳、右が白馬岳

 白馬には何度も訪れているが、いつも厚い水蒸気の幕に阻まれてなかなか山容を拝めることが出来なかった。今回は久々のヒットだが、惜しむらくは順光の午前中に訪れられなかったことである。また来ようといつものように思う。

神城駅付近から八方尾根を振り返る

なだらかで雄大な斜面は白馬のシンボルとも言える。
後方中央に白馬岳が控えている。         
 
 白馬の山々が後ろに遠離っていく。そろそろ分水嶺が近づき、神城辺りは姫川の源流のある場所だ。その昔、姫川は青木湖を源流としていたらしいが、土石の崩落によって分水嶺が変わったという。現在の分水嶺、佐野坂峠を越えると白馬とはお別れで、風光明媚な仁科三湖に辿り着く。こちらは信濃川水系で、まずは青木湖。以前にオートキャンプで訪れたこともあるが、水の綺麗な静かな湖だ。

青木湖

対岸の閑静な山腹にホテルやキャンプ場のリゾート地
がある。                    

 青木湖を過ぎるとすぐに中綱湖が現れる。三湖のなかでは一番小さく、地味で、集落にも近く生活感のある湖だ。

中綱湖

小さな湖の回りには田圃や集落が広がる。


 そして最後が木崎湖。写真からは窺い知れないが、夏にはレジャーボートもたくさん浮かぶ行楽の湖である。

木崎湖

三湖の中でもっとも拓けたリゾート地だが、たまたま
写真に収まった木崎湖はもっとも神秘な佇まいを見せ
ている。                    

 ところで、駆け足で車窓を紹介してきたが、実は最後に苦労話を書かなくてはならない。こんなに素晴らしい景色が続く大糸線であるが、車窓から写真に収められる場所がほとんどないのだ。その原因は電線である。電線に慣れっ子の日本人には、普通に車窓を眺めている分にはさほど気にならないものだが、いざ写真を撮ろうとなるとそうはいかない。気がついてみると、南小谷から信濃大町までの間、私は殆どカメラのファインダーを通して景色を眺めていた。電線が途切れる瞬間を待つためである。それでも中綱湖の場合、電線が途切れることはついになかった。
 車窓から写真を撮るなどいうのは本来邪道であるに違いない。しかし、私は車窓ファン、しかも全国全線走破のために途中下車するゆとりはあまりない。観光立国を標榜し、しかもこれだけの絶景路線なのだから、電線の地下埋設に対してもっと積極的になっても良いのではないかと思う。
(2014/4/1乗車)



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