2015年7月23日木曜日

餃子と試練と豊橋鉄道

出掛ける理由

 この夏には四国全線制覇という野望を抱いてたのに、急に仕事が入ってそれが流れてしまった。新幹線に比べてかなりお得な早割航空券はキャンセル料がバカにならないが、知り合いの旅行業者に言わせると、航空会社はキャンセル料で稼げるからこそ格安航空券を売ることが出来るのだそうだ。私のようなドタキャンを強いられる者は、格好なカモなのだろう。一方で予約したホテルのキャンセル料は免れたものの、ネット上で取り消す時の思いは実に切ないものだ。悔しくて、このままで済ますわけにはいかなかった。
 そこで、せめて一泊の急拵えの計画を立ててみた。こちらは別の日にもう一泊の旅行と併せて青春18切符を活用しようという作戦だ。乗り尽くしていない地域がだいぶ西国に偏ってきたために、日帰りでは難しくなってきたのである。
 ところがそれすらも前日になって仕事が飛び込んできた。日頃の行いが余程悪いのだろう。途方に暮れていた時、ふと浜松餃子が食べたくなった。年間餃子消費量が宇都宮を抜いて、ついに日本一の餃子消費地に昇格したと先日知ったのであるが、無類の餃子好きの私には、餃子がなかなか食べられない事情がある。細君が大のニンニク嫌いなのである。鋭い嗅覚を持つ彼女からは、外で餃子を食べないようきつく申し渡されている。その代わり家庭ではニンニク抜きの、それこそ絶品の餃子を作ってくれるのだが、やはり外で餃子を肴にビールが飲みたい。お昼に食べれば、多少は誤魔化せるに違いない。もはや浜松に行くしかなかった。
 浜松あたりは、各駅停車で往復するギリギリの地点である。ただし、浜松近郊で乗っていない鉄道は存在しない。もう少し足を伸ばして豊橋まで行けないだろうか。早朝4時台に家を出れば、豊橋鉄道に完乗できることがわかった。その分昼食が15時頃になってしまうが、帰宅時間も遅いので臭いの方も何とかなるだろう。ネット上には予約必須とあったので、すぐに目的の店に電話を掛けた。「その時間なら大丈夫です」と言われたとき、餃子ごときで本当に予約が必要なのかと高を括っていただけに、期待も大きく膨らんだ。

天が与えた試練?

 東京駅を5時46分に発てば、二度乗り換えで10時54分には豊橋に着く。東京駅で大人気の「駅弁屋祭」の開店が5時半だから、朝食も列車内で済ませられる。沼津まではグリーン車にも乗れるので快適な旅が始まるはずだった。雨が降っているのは我慢しよう。昨日まで晴天が続き、明日からも晴天が続いて、今日だけが雨模様と天気予報が告げても、所詮雨男の自分だから仕方がない。他の旅行者が「私は雨女じゃないのに」と恨めしそうに同行者に語っていたが、まさか「僕が筋金入りの雨男です」とも言えないので、心の中で「ゴメンね」と謝るだけにしておいた。それなのに、まさか乗っていた列車が熱海で運転打ち切りになるとは思わなかった。大磯を過ぎたあたりで車内放送が入り、「ただ今沼津駅構内の沿線で火災が発生し、東海道線は熱海・沼津間で運転を見合わせております」などとアナウンスしている。
 <天>は何故にこの私に対して、かくも辛く当たるのか。それとも厄災が待っているから、旅を思いとどめよという啓示なのだろうか。国府津では御殿場線の接続がいいが、豊橋到着が11時37分になってしまい、その先のスケジュールが回らなくなる。豊橋鉄道の路面電車を諦めるか、浜松餃子を諦めるか、どちらの決断も出来ない相談だ。それに御殿場線の終着駅は沼津だから、こちらも運転打ち切りの可能性がある。車内放送で「沼津より先にお越しの方は御殿場線をご利用下さい」などと言ってもくれないのは、情報がないのか、そもそも各駅停車ばかりを乗り継ぐ客などいないと思っているのか、JR東海のことなど関係がないとJR東日本の車掌が思っているのかの、いずれかか、すべてだろう。
 今日は諦めて帰ろうかと思った時、小田原を新幹線が通過していった。気が進まないけれど熱海から新幹線に乗ってみるか。ちょうど4分の接続で、こだまが来る。走らなければならないなあ。でも、どこまで? 出来るだけ節約したい! いくら掛かるのだろう。
 青春18切符の場合、一日あたり2,370円で乗り放題となる。乗れるのは快速までなので、新幹線に乗れば特急料金の他に運賃も必要となる。安くはないだろうから、チョイ乗りにしたい。しかしながら、次の三島は沼津の手前で論外、新富士は在来線の富士まで直線距離で1㌔半もある。路面電車と餃子のためには、選択肢は静岡しかなかった。
 熱海駅新幹線改札口脇の切符売り場には既に長蛇の列が出来ていた。途方に暮れている私に駅員が「自由席ならこの券を持って下車駅で清算して下さい」と告げて熱海駅乗車証明書をくれた。有り難い。ホームに駆け上がった時には既に新大阪行きの「こだま633号」はドアが開いて客がおりてくるところだった。車内は混雑したので、デッキで過ごすことにした。静岡までは38分も掛かる。三島駅で2本の「のぞみ」に抜かれ、新富士駅でも2本、合計4列車に抜かれるからである。「こだま」は割に合わないなあと改めて思う。それでいて静岡駅では3,050円も支払った。これは今日という日を無駄にしないための特別料金であると思うことにした。在来線で熱海から静岡までは1時間15分から20分掛かるが、わずかな時間短縮に特急料金1,730円は少々高すぎる。普段だったら決して選ばない選択肢だ。それでも多少の新幹線効果はあって、豊橋には予定より30分早い10時20分に到着した。

豊橋鉄道渥美線

 渥美線の終着駅、三河田原駅は安藤忠雄設計の洒落た駅舎だ。市制10周年を記念して建築されたという。駅前のロータリー、交番、公衆トイレすべてが楕円形をしていてトータルにデザインされている。周辺には住宅地だけが広がっていることもあって、すっきりとした素敵な環境だ。
 ここから渥美半島の突端、伊良湖岬まではバスが通じていて、フェリーに乗り継げば鳥羽に渡ることが出来る観光拠点なのだが、  ほとんどのバスは豊橋発なので、伊良湖観光のためにわざわざこの電車を利用する人はあまりいそうにない。もっぱら地元密着型の鉄道であって、新豊橋から乗車したたくさんの人もそのほとんどが途中の大清水までに降りてしまった。終点まで乗り通した人は5〜6人である。
 渥美線の歴史は、1924(大正13)年の渥美電鉄開業に遡る。渥美半島を縦断する鉄道として構想されたが、開業時は現在の高師から三河田原までの間で運行が始まった。その後、市街地の新豊橋まで進出したり、黒川原まで延長されたり、名古屋鉄道の傘下となったりした挙げ句、更に国鉄線になるはずでもあったが、結局戦争の悪化ですべてが泡と消え、三河田原・黒川原間は不要不急路線として休止となってしまった。そして1954(昭和29)年、新豊橋・三河田原間が豊橋鉄道に譲渡されて現在に至る。駅前広場の片隅には、歴史に翻弄された渥美線の様子が記されたプレートと当時の車止めが展示されている。土地の人達の渥美半島縦断鉄道への思いが伝わってくる。
 18㎞ほどの路線には16の駅があり、全線電化単線のために途中7箇所に交換設備がある。そのうちの5カ所で列車交換があったが、その列車がユニークなのだ。すべて異なるデザインが施され、違ったヘッドマークが備えられている。カラフルトレインと命名された可愛らしい車両は、もとは全て東急線で使われたものである。順に紹介しよう。

 まずは、「桜号」。この電車で新豊橋と三河田原を往復した。写真は三河田原駅にて。


 新豊橋に向けて出発すると最初の駅が神戸(かんべ)。ここでいきなり列車交換が行われる。「菊号」である。渥美半島は電照菊で有名なところであり、沿線にはは電照菊用と思われるハウスが沢山ある。電灯の光を当てて花の開花時期を遅らせる電照菊については、小学校の時社会科の時間に教育テレビの番組で教わった。ここはそのメッカなのだ。


 田原の市街地から遠ざかって、田畑が広がる郊外を進んでいくと杉山駅に着く。そこで待っていたのは「つつじ号」だ。豊橋市の花に指定されているのだそうだ。なお、ここの転轍機はスプリング式が採用されていて、「つつじ号」の方は無理矢理線路を押し開いてこちらにやって来る。


 大清水まででほぼ田園地帯は終わり、ここからは郊外住宅地となる。下り電車を待っているとやってきたのが「ばら号」である。田原町のバラ生産高は全国屈指なのだそうだ。


 芦原駅にやってきたのは「はまぼう号」。はまぼうは南国の花で、自生北限地が田原市堀切町にあることから、このカラフルトレインにも採用された。ちなみにこの自生地は愛知県天然記念物に指定されているそうだ。入り江に大群落をつくることが多いらしく、堀切町の自生地は、伊良湖岬の近くにある。
 

 正面に新幹線の高架が見える小池駅までやって来た。ここで交換するのが「菖蒲号」。豊橋市や田原市の公園にも梅雨の季節は菖蒲の花が咲く。


 新豊橋に到着するとそこで待っていたのは「菜の花号」である。田原市の花に指定されているそうだ。

 今回すれ違わなかった「しでこぶし号」「椿号」「ひまわり号」と併せて十色の花を身に纏った渥美線の電車を見ていると、払い下げられる前の東急電鉄に所属していた頃よりも、幸せに余生を送っている感じがする。社員の愛を感じる鉄道会社だ。

豊橋鉄道市内線

 最近では「ほっトラム」の愛称でLRV(超低床車両)が運行され、全国から注目を集めている路面電車が豊鉄市内線だ。路線は駅前から赤岩口への本線と井原・運動公園前の支線からなる。まずは電停の名称が豪快である。ズバリ「駅前」。この堂々たる普通名詞をなんのためらいもなく電停の名称にするところは他にはない。だからネットの路線探索で駅前と打てば、間違いなく豊鉄市内線の駅前が出てくる。これって、実に痛快ではないか。一方の「運動公園前」は青森県の弘南鉄道にも存在する。 
 豊橋の街は道幅が広く、路面電車と自動車が共存している。道の中央を車に邪魔されることなく走るので、時間も正確だ。日中は7分間隔で運行しているし一律150円という低運賃で頑張っている。町並みに溶け込む美しい電柱も必見だ。LRVが走るくらいだから、電停の嵩上げは出来ないかわりに、新しい車両にはすべて格納式のステップが付いていて、利用者に優しい構造となっている。
 市内線のほとんどは複線なのだが、終点に近い競輪場前からは単線となり、見どころが多くなる。電車が競輪場前に近づくと、一旦停止をして駅前行が発車するのを待つ。回りの車は動いていても、線路が合流する先の電停脇に表示された信号は、進入停止の×印が点灯している。よく見ると、合流した線路が電停の手前で左に分岐している。
 市内線の車庫は終点の赤岩口にあるのだが、実は競輪場脇にも2両分の引き込み線が敷かれているのである。ラッシュ時の増発用なのだそうだ。商店街の駐車場の脇に路面電車が車と並んで置かれている感じだ。
 競輪場前から一駅先の井原までの単線区間が、もっとも電車の混み合う場所である。井原から運動場前に支線が分かれるため、日中は14分間隔で交互にやって来る。しかも上下双方向だから3分30秒ごとに通過することになる。これだけで限界だからラッシュ時には引き込み線の2両が力を発揮するのも頷ける。
 さて、その井原であるが、ここがまた有名なスポットなのだ。日本の鉄道で最急カーブが存在する。なんと半径11㍍のカーブがあるのだ。「全日本鉄道路線ぐねぐねランキング」によれば、立山砂防工事専用軌道の半径7㍍が1番ということだが、普通に乗れる鉄道としてはここが一番である。路面電車は鉄道ではなく軌道だという議論はあるにしても。
 井原の交差点に立ってみると、まず余りの急カーブに驚かされる。そこを通過する電車はさぞや金属音を立てながら車輪を軋ませて進むのだろうな、と思いきや、最新式の台車を目一杯車体からはみ出させながら、難なく通過してしまった。拍子抜けするくらいスムースに。路面電車の技術は確実に高まっていると感じる一瞬だった。
 豊鉄はいいなあ、今日は無理してここまでやって来てよかったなあと思い始めたとき、ふとまだ肝心の電車に出会っていないことに気付いた。そろそろすれ違ってもいい頃ではないか。今話題のLVR「ほっトラム」である。ネーミングにも市民に親しまれたいと言う思いが感じられる。豊鉄では、納涼ビール電車や花電車はもちろんのこと、冬にうれしい「おでんしゃ」まである。暖まりそうだなとは思うが、今は心が温まる「ほっトラム」と出会いたい。しかしここまで出会うことはなかった。ということは終点の赤岩口にある車庫に停まっているはずである。
 井原から赤岩口まで歩き、そして車庫の奥底に停められている車両を恨めしく眺めることになった。ここからは全容を拝むことは出来ない。乗客の少ない日中は出番が少ないのだろう。結局、乗車はおろか対面すらもお預けとなった。しかし、嫌な気は全くしなかった。今日は十分に豊橋鉄道の魅力に触れることが出来たからだ。そのうち機会があったら、「おでんしゃ」にでも乗りに来よう。結局最後は食行動に走るのが私の最大の欠点であると苦笑せずにはいられなかった。

さて、餃子は…

 豊橋を後にして、新浜松から遠州鉄道に乗り継ぎ、目的地に着いたのは15時少し前。住宅地の真ん中に、長蛇の列もなく、何の飾り気もない店があった。ここが浜松餃子ランキング第2位を誇る「むつ菊」だった。のれんが掛かっていない! まずいなあと思って、引き戸を見ると「本日は予約の方以外の餃子は売り切れました」と書かれた紙が貼ってあった。良かった! このブログは鉄道の旅を記すためのものだから、餃子に関するコメントは控える。そのかわりに写真を掲載しておく。それを見るだけで、おそらく私が大満足でその店を後にしたことがおわかりになるに違いない。最後に情報を一つ、この店にはお酒以外には餃子しかありません。餃子だけを食べる店です。
(2015/7/23乗車)


2015年7月1日水曜日

被災地気仙沼線を訪ねて

仙石東北ラインで石巻へ

 今日から7月だというのに冷たい小糠雨が降る仙台駅4番線ホーム。そこに静かに滑り込んできた列車は、ふつうの新型電車となんら変わるところはなかった。しかし屋根にはパンタグラフが付いていない。最新型のハイブリッドトレインだ。
パンタグラフのない「電車」
 ディーゼル発電機で電気を生み出し、モーターを回して推進するばかりでなく、制動時にはモーターを発電機に変えて電気を蓄電池に溜めることのできる優れものだ。今回の旅の目的は、この列車で復旧された仙石線を通って石巻まで行き、南三陸の気仙沼線を見に行くことだ。
 ハイブリッドトレインHB-E210系は、全く音も立てず滑らかに走り出した。その感覚は電車そのものだが、しばらくするとお馴染みのディーゼルエンジンが唸り出し、ぐいぐいと速度を増していく。このあたりは自動車のハイブリッドカーと同じ感覚だ。しかし自動車と違って、鉄道は一定速度に達すると動力を切っても惰性で走り続けることができる。これを惰行というが、その間ディーゼルエンジンはアイドリングすらしないので、走行音だけが響く電車の静寂に戻り、なかなか快適な乗り心地だ。
 仙石東北ラインは塩釜までは東北本線を走り、その先で仙石線に乗り入れ、宮城県第二の都市石巻までを短時間で結ぶ、この5月に誕生したばかりの災害復興路線である。東北本線も仙石線も共に電化されているのに、それを結ぶ仙石東北ラインがハイブリッドを採用したのにはもちろん訳がある。交流電化された東北本線と直流電化の仙石線とを、そのまま繋げることはできない。長い間仙石線は孤立していたのである。そこで、東北本線と仙石線が併走する松島海岸付近に非電化の渡り線を新たに造り、そこを通過させるために、最新のディーゼルカーを導入したということだ。
 ここを通過するのを一目見ようと多くの人が運転台後ろの特等席に集まってきた。最近は女性の鉄道ファンも大分多くなった。ビデオ撮影する人や写真撮影する人など、皆思い思いに楽しんでいる。私は心に焼き付けるように、じっと運転台の向こうを眺め続ける。列車は速度を落として下り線から一旦上り線に移り、更に分岐して仙石線に近づいていく。東北本線を離れた所で一旦停止する。松島海岸・石巻間の仙石線は単線なので、高城町からやってくるあおば通行普通電車の通過を待つ。信号が青に変わって、仙石線への転線が完了する。渡り線を過ぎればすぐのところに高城町がある。
009・003・001
が出迎える石巻
 2013年に訪れた時はここが終点で、その先陸前小野までが震災による不通区間だった。この5月に完全復旧した。復旧にあたっては、津波の影響を受けにくい松島湾内の海岸線沿いは盛り土をして海面よりも高い所を走り、太平洋とそのまま繋がって津波に晒されやすい仙台湾に面した野蒜付近は、ルートそのものを高台に移すという大工事をしたのである。盛り土区間は奥松島がよりよく見渡せる景勝区間となったはずだが、本日はあいにくの雨模様で、あたりは出来の悪い水墨画の世界だ。海岸から離れて、丘陵地帯に入ると真新しい野蒜駅があった。駅周辺は造成だけが終わった未成の町で、今後多くの人が戻ってくるのを期待するばかりだ。そこを越えると、陸前小野までは長い高架区間となる。ここもガランとしている。特別快速列車は仙台からの途中、塩釜・高城町・矢本の3駅だけに停まって、あっという間にサイボーグ達が出迎える石巻に着いた。

復旧した石巻線・別の道を歩む気仙沼線

復旧した女川駅
 石巻から女川までの石巻線16.8㎞もこの5月に復旧している。ここで従来のディーゼルカーに乗り換える。雨は止みそうになく景色は期待できない。石巻を出るとすぐに旧北上川を渡り、更に進むとまるで湖のような万石浦を右に見つつ、トンネルを抜けれと終点の女川に着いてしまった。真新しいホームと駅舎、新しく山を削って造成された高台の区画。綺麗だけれど、生活感の乏しい風景なのは、この土地に戻って来た人が少ないからだろう。しかし、鉄道という生活基盤が復元され、石巻を通して仙台との繋がりも密になったのだから、今後の発展に期待したところだ。
気仙沼線0㌔ポスト 前谷地駅にて
 乗ってきた列車でそのまま戻り、石巻を越えて、その先の前谷地から気仙沼線に乗り継いだ。前谷地は気仙沼線の起点である。
 仙石線や石巻線と異なり、気仙沼線の将来は微妙だ。前谷地・気仙沼間72.8㎞のうち、鉄道が走っているのは柳津までのわずか17.5㎞に過ぎない。その先はBRT(Bus Rapid Transit)が気仙沼までを結んでいる。前谷地を出た列車(と言っても1両編成だが)は、三つ四つの無人駅に停車した後、素晴らしく立派な鉄橋で大河を渡る。北上川である。この地点で北上川は旧北上川と分かれて進路を東に変え、太平洋に直接流れていく。一方の旧北上川は先程通ってきた石巻に向かうのである。東北地方を代表する大河であるだけに、気仙沼線の鉄橋は実に堂々としている。そこを1両編成のディーゼルカーがトコトコと渡っていく。渡りきるとすぐ終点の柳津に着いた。
草に覆われた線路
 柳津駅の跨線橋からは、いつまでも赤く点灯したままの信号機と雑草に覆われて行き来のなくなった線路が見える。到着した列車は、すぐに前谷地に向けて出発してしまった。
 ここからはバスに乗り換えるのだが、このBRTは4日前の6月27日から前谷地を起点とするようになった。微妙だというのはまさにこのことで、おそらくJR東日本は将来、前谷地・柳津の列車運行を取りやめる積もりなのだろう。
専用道入口に設置され
た信号機。     
気仙沼駅にて
 ここのBRTの特徴は、出来るだけ気仙沼線の線路跡地を利用して、渋滞や信号待ちのないスピーディなバス運行を可能にしたことだ。ただ、まだ多くの場所では一般道を通行している。防災庁舎を残すことで決着した南三陸町のように、津波の被害が甚大だった地域は、線路そのものが押し流されて跡形もなくなってしまったからだ。山がちで津波の影響がなかった地域では、かつての単線鉄道区間が舗装道路にかわって、渋滞のない専用道をバスはスピーディに進んでいく。
BRTが接近すると感知
中のサインが表示され
る。この先BRTが走行
していなければ、信号
は青に変わる。   
 トンネル区間では、車体を擦るのではないかと心配になるほど、ハンドルさばきが難しそうだ。一般道に出入りするところには、遮断機とセンサー付きの信号機が設置されていて、これによって閉塞区間の制御をしていることがわかる。バスは鉄道と違ってすぐに停車することが可能だから、正面衝突の危険性は極めて少ないが、単線を利用した専用道だけに行き違いが出来ないので、閉塞区間をつくって区切り、バスの進入をコントロールする必要がある。そこで活躍するのが車両感応式信号機なのである。
保存が決まった防災庁舎

 さて、あの痛々しい姿の防災庁舎は、かつては多くの人々が暮らした志津川地区にあるが、周辺は現在急ピッチに復興工事が進んでいた。その一画にある「南三陸さんさん商店街」は出来て3年ほど経つ仮設商店街だ。現在32軒の事業者が店を営んでいるという。そこに併設されるようにBRTの志津川駅があって、何人かの人々が乗り降りした。地域の拠点であることがよくわかる。
破壊された橋梁の脇を通る
 バスは一般道と専用道を出たり入ったりとせわしない。それは多くの箇所で線路の基盤となる道床そのものが流されてしまったからだ。また橋脚そのものが破壊されてしまったところも多い。このような箇所は、再建はおろか撤去そのものが大変で後回しにされているのだろう。
単線区間でバスが交換する。
 2010年の時刻表によれば、柳津から気仙沼までは1時間22分掛かっていたが、震災後BRTに変わってからは同区間が1時間56分掛かるようになった。30分余計にかかるようにはなったものの、バスとしては十分健闘しているといえるだろう。今後も専用道区間の整備は進みそうなので、その差はより縮まると思われる。
ユニバーサルデザイン例。
鉄道とBRTが一体化している。
 震災直後は鉄道の復旧に拘っていた人達も、最近ではBRTに理解を示すようになってきたという。正確な運行、本数の増大、GPS等を利用した接近表示システム、地域に暮らす人々への説明努力等々がその大きな要因になっていると思われる。気仙沼駅などはホームの両側にBRTと鉄道を区別せず配置して、ユニバーサルな駅として新しい駅のあり方を提示している。こうしてみると、トロリーバスが鉄道扱いなのとそれほど違わない感じもしてくる。BRTに対する認識が大いに深まった旅となった。
(2015/7/1乗車)