2016年1月6日水曜日

100万都市の路面電車

 路面電車は自動車社会の嫌われものだ。加速はのろいし、急には止まれない。障害物を避けることもできない。おまけに乗り心地もけっして良くはない。車のドライバーからすれば、道路を右折する際、線路上に停まるわけにもいかず、対向車が見えづらくて厄介極まりないばかりか危険ですらある。
 だから断固廃止すべきである、ということで全国各地で活躍していた路面電車が、次々に廃止された。それはそれで理に叶ったことであろう。しかし…である。今なお元気に走り回っている路面電車がある。それが広島電鉄だ。
路線図
日本に12ある100万都市で、路面電車が走っているのは、今や札幌・東京・大阪・広島の4都市に限られる。しかも、市内を縦横無尽に走り回っているのは広島だけであり、他の都市は一部の地域に細々と残るにすぎない。最近、札幌の路面電車がすすきのの歓楽街で環状運転を開始したことで話題になっているが、市内交通の中心は地下鉄とバスであることに変わりない。そう考えると、広島の路面電車は格がまったく違うのである。ここでは市街地の主役と言ってよい。

格の違い①・・待たずに乗れる
グリーン・ムーバ-・マックス
広島電鉄・広島駅

 JR広島駅前の広場にある路面電車の広島駅には、新旧さまざまな電車が出入りして見飽きない。わずか3線分しかない手狭なホームに、平日の8時台には4方面に向かう34本もの電車がひしめき合う。路面電車の宿命として、ダイヤ通りには決して運行できないだろうから、折り返し作業を行いながら方面別に電車を捌くのは神業ではないかと思うのだが、そこには良くできた工夫あって、混乱することはない。

続行運転 猿猴橋停留所
手前は3000形連接車。後方は5100形
グリーン・ムーバー・マックス
【注】4系統ある路線のうち、1号線(紙屋町・市役所経由)広島港行・2号線宮島口行・6号線江波行の3系統は、いずれも市の中心街を通る利用客の多い路線で一括りにしてよい路線である。残る5号線(比治山経由)広島港行は四国へのフェリーが出る宇品港へ行く際に便利な路線だ。だから手狭な乗り場は、市中心部方面と宇品港方面の2つにまとめられている。
 広島駅に入ってきた電車は、一番奥の3線ある行き止まりまで行って乗客を降ろす。5号線の電車はJR側の行き止まりで乗客を降ろしたら、乗客を乗せて発車を待つ。それ以外の電車は道路側の2線のいずれかで乗客を降ろしたら、5号線の前に移動して乗客を乗せる。つまり、5号線とそれ以外を直列に並べて、手狭な場所だが方面別乗車を可能にしているのだ。徹底したフリークエント・サービスをによって、待たずに乗れる路面電車の運行が保たれている。

格の違い②・・不易流行
京都市電 横川線

 広島電鉄では現在も被爆電車が運行されているが、それ以外にも懐かしい電車がはしっている。大阪市電と京都市電だ。いずれも昔のままの塗装なので、さながら動態保存博物館のようだ。
 今から40年以上前のことになるが、高校の修学旅行で京都を訪れた際、七条大橋で撮った写真の片隅に京都市電が写っている。新幹線には興奮しても時代遅れの路面電車には全く興味がなかったので、乗ってみようなどとは思わなかった。残念なことをしたと思う。
大阪市電 横川停留所にて

 路面電車に関心を示さなかったのは、中学校時代に都電で通っていたということもある。余りにも日常的なことだからその大切さには気付かないものだ。大阪には行ったことがなかったので、大阪市電の記憶はない。

【注】後悔しているのは当時の定期券を処分してしまったことだ。定期券には路線図が記され、乗車区間を線で示すようになっていた。1968年〜1970年は廃止のピークを迎えた時で、毎月定期券からは路線が消えて、次第にまばらになっていた。残しておけば、貴重な資料となったはずである。当時の私には古いものが滅びていくことには全く関心がなかった。未来がバラ色に見えた頃の記憶である。

 鉄道遺産を大切にする一方で、積極的に先進的なLRVを数多く導入するのも、広電の大きな魅力の一つだ。
3900形は平成2年にデビューした
連接車。           
人口の多い広島市だけに、市民の足としての路面電車は、一度に大量の人を運ぶ必要がある。古くは昭和50年代に西鉄福岡市内線から譲渡された3000形が、3両編成で今も活躍している。その後も宮島線と市内線の直通運転のために導入された3900形など車種は数多くある。
 ヨーロッパで発達したLRVは、超低床構造で市内電車としてうってつけであるばかりでなく、高出力の電動機を搭載しているために郊外電車としても通用する優れもので、路面電車と宮島線を併せ持つ広島電鉄にぴったりの電車である。平成11年ドイツから空輸されたのが、グリーン・ムーバこと5000形電車である。シーメンス
5車体連接車の5000形
グリーン・ムーバー
が造った超低床車であり、路面電車開発では日本はヨーロッパに大きく遅れをとっていることを目の当たりにした出来事であった。
 その後、純国産LRVを目指して開発されたのが、5100形グリーン・ムーバー・マックスである。近畿車輛・三菱重工業・東洋電機製造の3社と広島電鉄が共同して開発し、平成17年にデビューした。現在広島電鉄では5000形が12編成、5100形が10編成運行されている。
国産の5100形
グリーン・ムーバー・マックス
マックスと謳っているのは、シートをロングシート主体とし、グリーン・マックスよりも定員を増やしているからである。ドイツ製の5100形は、クロスシート中心のため観光客の多い宮島線に投入され、マックスは市内線で活躍することが多い。いずれにせよ、広島電鉄ほど路面電車の可能性をつぶさに魅せてくれる鉄道は日本ではここを置いて他にない。

格の違い③・・二つの世界遺産を結んでいる
写真左側すぐの所に電停がある

 被爆地広島には日本人ばかりでなく数多くの外国人観光客が訪れる。ことばに不自由な彼らも、一日乗車券を購入すれば、路面電車を使って気軽に移動ができる。私が訪れた1月6日は、平和資料館の来館者のほとんどは海外からの訪問者であった。
 市内から安芸の宮島へは、広島電鉄圧倒的に便利である。スピードこそJRには叶わないが、繁華街や原爆ドームから乗ることができる利便性、そして本数の多さ、どれをとってもこちらを利用したくなる。
JRのフェリーから

 通勤通学客だけでなく観光客を取り込めるというのは、鉄道会社にとっては圧倒的な強みとなる。宮島口に着いた観光客は、そのままグループ会社の宮島松大汽船で厳島神社に渡っていく。実は並行して運行されるJR西日本のフェリーの方が、大鳥居の前を通るなどの演出があって面白いのだが、そのようなことは知らない観光客は一日乗車券を利用して松大汽船の乗客となる。
 
格の違い④・・マニアックな面白さ
架線に注目!
手前は例外的に直接吊架式だが、
そこ以外はすべてシンプルカテナ
リー方式。          

 通常、速度の遅い路面電車の架線は1本で済ませることが多い。費用も比較的安価で済むからである。これを直接吊架線方式(ちょくせつちょうかほうしき)という。法律上簡易鉄道の扱いの「軌道」では、どこもこの方式を採用している。JRでも新潟の弥彦線のようなローカル線でも採用されている。
 ところが広島電鉄の架線はシンプルカテナリー方式という本格的な架線方式をとっている。こちらは高速にも耐える構造だ。電鉄を名乗るだけあって鉄道会社の矜持を感じる。

 複雑な路線を持つだけあって、分岐や合流が多いのが広電の特徴である。果たしてポイントの制御はどうなっているのだろうか。そう思いつつ土橋停留所であたりを見回しているうちに、懐かしいものを見つけた。かつて東京にもたくさんあった路面電車のポイント切り替え施設である。交差点の片隅の高い位置から、やって来る電車の行き先を見ながらポイント操作をしていたものだ。今はカーテンが降ろされている。今時人件費のかかる係員など配置できる余裕はない。
 とすれば、ICT全盛の時代。フルオートのコンピュータ制御かと思えば、もっと手軽で安価な方法だった。これが面白いほど、単純で効率の良いシステム、否、仕組みだった。

 土橋停留所からは二方向に分かれ、江波行きは直進し、西広島・宮島口方面は右に分岐する。電停の路面には、手前に「江」、その先には「己」と記され、それぞれに白いラインが引かれている。ポイントはその先にある。これは行き先別に停車位置を変えているのだ。西広島は別名己斐(こい)という。

 架線に注目すると、パンタグラフが通過するとそれを感知するスイッチがいくつか付いている。つまり停車位置によって一定時間に叩くスイッチの数が異なり、1個だったら江波、2個だったら己斐と判定し、ポイントを切り替えているのである。なんとシンプルな、そして確実な運行制御だろう。アナログもまだまだ捨てたもんじゃない。

格の違い⑤・・おまけ

横川線横川駅

 路面電車の駅がお洒落になれば、街はもっと元気になれる。それを実現しているのが広電だ。JR横川駅は山陽本線と可部線の分岐駅であり、そこと直結している広電横川駅は市中心部へ向かうターミナル駅なのだが、そこが実に良い駅なのだ。若いカップルの待ち合わせにだって利用できる空間になっている。そこにレトロな市電がやって来る。
 松山と結ぶフェリー乗り場、宇品港にある広島港駅も瀟洒な雰囲気の路面電車離れした素敵なターミナルだ。ここもレトロな市電とのミスマッチがとても楽しい。
広島港駅で出発を待つ旧京都市電

 広島電鉄は、他の追随を許さない偉大な路面電車と言っても過言ではない。実に面白いのである。

(2016/1/6乗車) 

 

2016年1月5日火曜日

中国山地の「癒され列車」

中国縦断鉄道に乗りに行く

 姫路から広島まで行くには、瀬戸内海に沿って山陽本線や山陽新幹線を利用するルート以外にもう一つの方法がある。姫新線と芸備線を乗り継いで山懐深く入り、中国山地に沿って縦断するルートである。距離にして323.6㎞、海沿いコースよりも70㎞ほど遠回りの、のんびりしたローカル線の旅となる。以前からこの「中国縦貫鉄道」に乗りたいと思っていたが、ようやくその機会がおとづれた。
最後の定期寝台特急列車、サンライ
ズ瀬戸・サンライズ出雲。    

 今年は1月4日が月曜日ということもあって、正月を故郷で過ごした人々による帰京ラッシュが例年より早めに終わり、世間もだいぶ落ち着きを取り戻しつつあった。姫路からは優等列車など走っていないので、一日がかりの旅となる。暗くなる前に広島に着くためには、姫路6時55分発の列車に乗る必要があった。このような場合に重宝なのが寝台列車だ。新幹線や飛行機はどんなに速くてもこの時間に東京から姫路に着くことは不可能である。旅の初日を朝早くから動こうとする時、夜行列車は実に便利な移動手段だったのだが、今は絶滅危惧種となってしまった。が、姫路までは奇跡的にうってつけの列車がある。
シングルの部屋。左は扉側から見た
様子。右は扉側を見た様子。   

 4日の晩、私は東京駅9番線ホームに立った。夜汽車(蒸気機関車が引っ張る夜行列車)はもちろんのこと夜行列車ということばが死語となり、夜中の長距離移動の中心が高速バスに移ってしまって久しい。この日の東京駅からの夜行列車は22時発のサンライズ瀬戸・サンライズ出雲の二本だが、岡山までは連結されて運転されるので、実質一本に過ぎない。岡山までなら20時30分発のぞみ133号に乗ればその日のうちに到着するし、姫路にいたっては20時50分発のぞみ135号があって、サンライズ号よりわずか1時間15分前に出発すればその日のうちに目的地についてしまうのだから、確かに夜行寝台特急の役割は終わっているといえるのだが、よく考えればそれはその土地に住んでいる人が利用する場合のことではないか。旅行客にとって見れば、深夜に現地に着いても仕方がないだろう。しかもサンライズには個室が揃っている。国際線のファーストクラスだって及ばない快適な移動が楽しめる。
 とはいえ、その夜私は一晩中大地震に逃げ惑う夢を見続けた。揺れる列車で見るものとしては、実にわかりやすい夢といえるが、夜行列車愛好家の私とっては実に不本意極まりない。どうやらこのところ続いている仕事上のトラブルが影響しているらしい。なんとも夢見心地の悪い旅立ちとなってしまった。

姫新線を乗り継ぐ
佐用まではキハ127系が運行。通勤通
学用だが、片側一人の3列のクロスシ
ートで快適に車窓が楽しめる。     
播磨新宮駅にて

 5時25分、真っ暗で底冷えのする姫路駅に降り立つ。駅前通りの先には微かに白鷺城の黒いシルエットが見える。ここから158.1㎞先の新見までを結ぶのが姫新線である。全線単線非電化のローカル線で、直通列車は運転されていない。乗り通す酔狂な人などいないに違いない。3回乗り換えてまずは新見を目指すつもりである。
佐用からは過疎路線用キハ120系。
左は智頭急行普通列車。

 播磨新宮までは姫路への通勤通学路線であり、日中でも2~3本運転されているが、その先はぐっと減ってしまい2時間に1本程度の過疎路線となってしまう。しかし沿線の人口は少なすぎるわけではなく、人里をコトコトと走るような風景が続き、特別風光明媚な訳でもないので次第に眠くなってくる。この地方の人はもっぱら自家用車を利用しているのだろう。乗り降りするのはお年寄りばかりである。智頭急行との接続駅佐用で2回目の乗り継ぎをする。佐用の次、上月の先で岡山県に入る。列車は中国自動車道と並行して走り続けるが、到底自動車に太刀打ちできるはずもない。取り立てて目を瞠る風景もなから、地元民からも観光客からも見放されているようで、この姫新線が段々可愛そうになってきた。およそ2時間半が経過して津山に着いた。ここで3回目の乗り継ぎとなる。

金髪の少年
昭和の風情が残る津山駅

「おじちゃぁん! カメラのキャップ、落ちたで」
良い席を取ろうとそればかりを気にして新見行列車に乗り込もうとした私に、後ろから声を掛けてきたのは、ジャージ姿の金髪高校生だった。カメラがドアにぶつかり、その拍子にキャップを落としたらしい。教えてくれたのは有り難いが、どうも苦手なタイプの若者だ。「あっ、どうも」とまともなお礼も述べずに、取り敢えず席を確保してからキャップを探すためにホームに降りたが見つからない。するとその金髪ジャージも降りてきた。
「ほら、あそこに落ちてるやろ」
と言って、線路を指さす。レンズキャップはホームと列車の間に落ちていた。運転室の下だから手が届きそうだが、線路に降りるわけにもいかない。
「ん〜む。困ったなあ。どうもありがとう。諦めるかなあ」
困るには困るものの、それほど高価なものではないし、人目が気になることもあって、さっさとお仕舞いにしたかった私に対して、その少年は思ってもみなかったことを口にした。
「駅員に言ってやろうか。ちょっと待ってて」
金髪少年はそのままホームの反対側で車両の分割作業をしていた鉄道員に駆け寄り、何やら話し掛けている。緑と赤の旗を持った鉄道員は、分割された二本の列車を発車させ終わると、こちらにやってきた。
「列車を移動させるわけにはいかないなあ。駅員を呼んでくるわ」
そう言って掛けていく頃には、列車の運転手を始め、あたりにいた鉄道員が3〜4名集まってきた。発車まで5分ほどしかなく、車内の乗客も何事かと見ている。段々大事になってきた。たかが数百円のキャップで列車が遅れたらどうしようと、気の小さい私は居ても立ってもいられなくなってきた。こういうときに限って、事態はなかなか進展しない。
 駅員はいつ来るのだろう。しかし、運転手を始めとして鉄道員達はのんびりした顔つきである。冷や汗かきつつ顔が赤くなっているのは私一人だ。
 発車間際になって、ようやく駅員がマジックハンドを持って駆けつけてくれた。呆気ないほど簡単にレンズキャップが戻ってくる。列車の発車にも間に合い、ほっとした私は、そこに居合わせた鉄道マン達に鄭重にお礼を述べ、更にその少年に向かって言った。
「有難うございます。とても助かりました」
思いがけない親切な行為に対して、いつの間にか少年に対しても丁寧な言葉遣いになっていた。
「よかったな。それがないとレンズ、傷ついちゃうもんな」
金髪少年はちょっと笑いながら言った。まさかそんな優しい言葉を掛けてくれるとは思ってもみなかった。
 列車が発車すると、通路を挟んだ反対側の座席に少年は行儀悪く足を投げ出して坐っている。いつもならやれやれと思う私だが、この時ばかりは違っていた。人は本当に見かけに依らないものだし、見かけだけで判断した自分が実に詰まらない人間だと思えてくる。ただ嬉しかった。その先、中国縦断鉄道の車窓に広がる風景は、どこにでもあるあるような取り留めもない田舎の景色だったが、人の親切に触れたあとだっただけに、なんとも心温まる列車の旅となった。新見を越えて芸備線を乗り継ぎ、広島まで辿り着いた時、あたりはすっかり暗くなっていた。
(2016/1/5乗車)