2016年1月5日火曜日

中国山地の「癒され列車」

中国縦断鉄道に乗りに行く

 姫路から広島まで行くには、瀬戸内海に沿って山陽本線や山陽新幹線を利用するルート以外にもう一つの方法がある。姫新線と芸備線を乗り継いで山懐深く入り、中国山地に沿って縦断するルートである。距離にして323.6㎞、海沿いコースよりも70㎞ほど遠回りの、のんびりしたローカル線の旅となる。以前からこの「中国縦貫鉄道」に乗りたいと思っていたが、ようやくその機会がおとづれた。
最後の定期寝台特急列車、サンライ
ズ瀬戸・サンライズ出雲。    

 今年は1月4日が月曜日ということもあって、正月を故郷で過ごした人々による帰京ラッシュが例年より早めに終わり、世間もだいぶ落ち着きを取り戻しつつあった。姫路からは優等列車など走っていないので、一日がかりの旅となる。暗くなる前に広島に着くためには、姫路6時55分発の列車に乗る必要があった。このような場合に重宝なのが寝台列車だ。新幹線や飛行機はどんなに速くてもこの時間に東京から姫路に着くことは不可能である。旅の初日を朝早くから動こうとする時、夜行列車は実に便利な移動手段だったのだが、今は絶滅危惧種となってしまった。が、姫路までは奇跡的にうってつけの列車がある。
シングルの部屋。左は扉側から見た
様子。右は扉側を見た様子。   

 4日の晩、私は東京駅9番線ホームに立った。夜汽車(蒸気機関車が引っ張る夜行列車)はもちろんのこと夜行列車ということばが死語となり、夜中の長距離移動の中心が高速バスに移ってしまって久しい。この日の東京駅からの夜行列車は22時発のサンライズ瀬戸・サンライズ出雲の二本だが、岡山までは連結されて運転されるので、実質一本に過ぎない。岡山までなら20時30分発のぞみ133号に乗ればその日のうちに到着するし、姫路にいたっては20時50分発のぞみ135号があって、サンライズ号よりわずか1時間15分前に出発すればその日のうちに目的地についてしまうのだから、確かに夜行寝台特急の役割は終わっているといえるのだが、よく考えればそれはその土地に住んでいる人が利用する場合のことではないか。旅行客にとって見れば、深夜に現地に着いても仕方がないだろう。しかもサンライズには個室が揃っている。国際線のファーストクラスだって及ばない快適な移動が楽しめる。
 とはいえ、その夜私は一晩中大地震に逃げ惑う夢を見続けた。揺れる列車で見るものとしては、実にわかりやすい夢といえるが、夜行列車愛好家の私とっては実に不本意極まりない。どうやらこのところ続いている仕事上のトラブルが影響しているらしい。なんとも夢見心地の悪い旅立ちとなってしまった。

姫新線を乗り継ぐ
佐用まではキハ127系が運行。通勤通
学用だが、片側一人の3列のクロスシ
ートで快適に車窓が楽しめる。     
播磨新宮駅にて

 5時25分、真っ暗で底冷えのする姫路駅に降り立つ。駅前通りの先には微かに白鷺城の黒いシルエットが見える。ここから158.1㎞先の新見までを結ぶのが姫新線である。全線単線非電化のローカル線で、直通列車は運転されていない。乗り通す酔狂な人などいないに違いない。3回乗り換えてまずは新見を目指すつもりである。
佐用からは過疎路線用キハ120系。
左は智頭急行普通列車。

 播磨新宮までは姫路への通勤通学路線であり、日中でも2~3本運転されているが、その先はぐっと減ってしまい2時間に1本程度の過疎路線となってしまう。しかし沿線の人口は少なすぎるわけではなく、人里をコトコトと走るような風景が続き、特別風光明媚な訳でもないので次第に眠くなってくる。この地方の人はもっぱら自家用車を利用しているのだろう。乗り降りするのはお年寄りばかりである。智頭急行との接続駅佐用で2回目の乗り継ぎをする。佐用の次、上月の先で岡山県に入る。列車は中国自動車道と並行して走り続けるが、到底自動車に太刀打ちできるはずもない。取り立てて目を瞠る風景もなから、地元民からも観光客からも見放されているようで、この姫新線が段々可愛そうになってきた。およそ2時間半が経過して津山に着いた。ここで3回目の乗り継ぎとなる。

金髪の少年
昭和の風情が残る津山駅

「おじちゃぁん! カメラのキャップ、落ちたで」
良い席を取ろうとそればかりを気にして新見行列車に乗り込もうとした私に、後ろから声を掛けてきたのは、ジャージ姿の金髪高校生だった。カメラがドアにぶつかり、その拍子にキャップを落としたらしい。教えてくれたのは有り難いが、どうも苦手なタイプの若者だ。「あっ、どうも」とまともなお礼も述べずに、取り敢えず席を確保してからキャップを探すためにホームに降りたが見つからない。するとその金髪ジャージも降りてきた。
「ほら、あそこに落ちてるやろ」
と言って、線路を指さす。レンズキャップはホームと列車の間に落ちていた。運転室の下だから手が届きそうだが、線路に降りるわけにもいかない。
「ん〜む。困ったなあ。どうもありがとう。諦めるかなあ」
困るには困るものの、それほど高価なものではないし、人目が気になることもあって、さっさとお仕舞いにしたかった私に対して、その少年は思ってもみなかったことを口にした。
「駅員に言ってやろうか。ちょっと待ってて」
金髪少年はそのままホームの反対側で車両の分割作業をしていた鉄道員に駆け寄り、何やら話し掛けている。緑と赤の旗を持った鉄道員は、分割された二本の列車を発車させ終わると、こちらにやってきた。
「列車を移動させるわけにはいかないなあ。駅員を呼んでくるわ」
そう言って掛けていく頃には、列車の運転手を始め、あたりにいた鉄道員が3〜4名集まってきた。発車まで5分ほどしかなく、車内の乗客も何事かと見ている。段々大事になってきた。たかが数百円のキャップで列車が遅れたらどうしようと、気の小さい私は居ても立ってもいられなくなってきた。こういうときに限って、事態はなかなか進展しない。
 駅員はいつ来るのだろう。しかし、運転手を始めとして鉄道員達はのんびりした顔つきである。冷や汗かきつつ顔が赤くなっているのは私一人だ。
 発車間際になって、ようやく駅員がマジックハンドを持って駆けつけてくれた。呆気ないほど簡単にレンズキャップが戻ってくる。列車の発車にも間に合い、ほっとした私は、そこに居合わせた鉄道マン達に鄭重にお礼を述べ、更にその少年に向かって言った。
「有難うございます。とても助かりました」
思いがけない親切な行為に対して、いつの間にか少年に対しても丁寧な言葉遣いになっていた。
「よかったな。それがないとレンズ、傷ついちゃうもんな」
金髪少年はちょっと笑いながら言った。まさかそんな優しい言葉を掛けてくれるとは思ってもみなかった。
 列車が発車すると、通路を挟んだ反対側の座席に少年は行儀悪く足を投げ出して坐っている。いつもならやれやれと思う私だが、この時ばかりは違っていた。人は本当に見かけに依らないものだし、見かけだけで判断した自分が実に詰まらない人間だと思えてくる。ただ嬉しかった。その先、中国縦断鉄道の車窓に広がる風景は、どこにでもあるあるような取り留めもない田舎の景色だったが、人の親切に触れたあとだっただけに、なんとも心温まる列車の旅となった。新見を越えて芸備線を乗り継ぎ、広島まで辿り着いた時、あたりはすっかり暗くなっていた。
(2016/1/5乗車)

 


 

0 件のコメント: