2016年12月28日水曜日

東海道線 もう一つの終着駅

大垣界隈

 鉄道ファンにとって大垣は聖地のひとつ。誰だって大垣夜行に一度は乗ったことがあるに違いない。それでも多くの人はドアが開いた瞬間にホームに飛び出し、乗り継ぎの西明石行きの席を取ろうと、一目散に階段を駆け上がるばかりで、大垣そのものを目的に旅した人は少ないに違いない。俳聖芭蕉が『奥の細道』で大垣を終着点としたあと、すぐに伊勢へ旅立ったように、旅の終わりは旅の始まりを地でいくような通過駅の一つなのだ。
 ところがどっこい、この駅に集まる鉄道にはなかなか趣深いものがある。国鉄旧樽見線から引き継がれた樽見鉄道、近鉄から分社化された養老鉄道という風に、過疎化の影響で廃線の憂き目にあいそうな、だからこそ味わい深い鉄道のターミナルになっている。
 東海道線を岐阜方面から大垣を目指すと、車窓右側には美しい伊吹山地の山々が次第に迫ってきて、揖斐川橋梁を渡る頃には景色が大きく開け、何連も連なる見事なトラス橋が見えてくる。樽見鉄道である。さすが旧国鉄路線だけのことはあり、堂々とした橋梁はとても廃線の危機にあるとは思えないほどだ。それもそのはず、この鉄橋は明治時代に造られた御殿場線で使われていたものを移築したものだそうだ。乗りたくなること請け合いである。
 もっとも今回の旅の目的はそこではない。もう一つの路線、といっても現在もJR東海に所属する路線がある。名前は…東海道線、通称「美濃赤坂線」という枝線である。乗り尽くしファンにとっては、ここはなかなか訪れ難く、東海道線完乗を果たせない原因となっている。漸くこの地を訪れる機会がやってきた。

 雪の多い関ヶ原に近いだけあって、早朝の大垣駅は底冷えがする。12月末の美濃地方は6時半近くになっても辺りは真っ暗だ。美濃赤坂線は駅の片隅にある切り欠き式の3番線から出発する。ホームを歩いていくと待合室の向こう側に、すでにJR東海の主力313系2両編成が停まっていた。1日20本に満たない閑散路線だが、優良鉄道会社だけに車両は立派だ。6時29分の始発電車には、地元の人とおそらく鉄道マニアの数名しか乗っていない。
 ワンマンカーの車内アナウンスが終わると電車は大垣駅を出発し、真っ暗闇の中を疾走する。広い車両区を突き抜けているはずだが、明るい車内の光に邪魔されて外がよく見えない。もう本線とは分岐したのだろうか。それにしても支線を走るのとは異なって揺れが少ないから、まだ本線なのだろうか、そんな筈はないのにと思ったところで、電車は徐行する。しばらくすると高速で貨物列車がすれ違っていった。走り出してすぐ、中間の荒尾駅に到着する。予想外に貨物列車が走るような支線だったのだと思った。場内直前にポイントがあり、単線となって荒尾駅に到着した。

石灰岩輸送で生き残った駅

 東の空が白んでいる。天気は良いようだ。こんな時間の下り電車からは、降りる人も乗ってくる人もいなかった。あと一駅。ここからは急に電車が揺れだした。支線ならではの、お馴染みの揺れだ。大垣を出てわずか6分で終点美濃赤坂に到着した。
古い駅舎に新しい312系電車

 夜明けは急速に訪れる。鉄道マニア達は、下車すると慌ただしく駅舎の写真撮影を終わらせて、再び車上の人となった。折り返し6時39分発大垣行き。わずか4分の滞在時間である。私は次の電車を待つ。木造の駅舎には改札もなく無人駅の筈なのだが、事務室には蛍光灯が灯っていて誰かいる気配だ。しかし誰も出ては来なかった。
 古くからある終着駅にはどこか哀愁が漂っている。このなんとも黄昏れた雰囲気が好きで、しばらくここにいたいと思うのである。駅舎をでて車止めのところまで歩いていき、折り返し電車を見送る。
停まっている貨物の向こうに 
屋根付きの貨物ホームが見える

 美濃赤坂駅は、巨大な廃墟のような、とても広い構内を持つ駅だった。何本もの、果たして使われているんだろうかと思わせるような引き込み線があり、貨物用と思われる建物付ホームや放置された貨物車がある。

 はたしてここはいったいどんなところなのか。駅舎の壁に石灰岩輸送の説明があり、ようやく納得がいった。資源小国日本にとって数少ない自給率100%を誇る石灰岩が、この先にある金生山で採れ、そこまで貨物専用の西濃鉄道の線路が続いているのだ。つまり美濃赤坂は、西濃鉄道とJR貨物の接点であり、線路はJR東海の管轄となっている。さらに駅はJR東海にとっては無人駅で、西濃鉄道が事務所として使っているという。これで無人駅に人がいる謎も氷解した。
東の外れに非電化の
西濃鉄道線が北に向
かって続いてる。 

 かつてはここから大垣夜行が出発・到着した時代もあったという。西濃鉄道も戦時中までは旅客扱いをしていたそうだ。しかし今は1日の乗降客が300人台のローカル駅となり、日に20本に満たない数の電車が大垣駅との間を往復するに過ぎない。

 7時01分発の2番電車が回送でやって来た。通勤通学で賑わう7時台には3本設定されている。いつの間にか通勤客が集まっていた。ドアが開き、全員クロスシートに収まり、大垣向けて出発する。
開扉を待つ通勤客

 電車はガタピシ揺れながら真っ直ぐなレールの上を走っていく。左にカーブし始めた途中に荒尾駅はあった。2両では持て余すような長いホームは、同じ曲率で綺麗に曲がっている。ここでも10人ほどの通勤客が乗ってきた。全員シートに座っても、まだ余裕は十分ある。立っているのは運転席後ろで車窓を楽しんでいる私だけだ。
 眩しく朝陽が降り注ぐ中を電車は複線線路に近づいて行った。その時初めてわかったことがある。荒尾駅は東海道本線のすぐ脇に設置されていたのだ。往路は真っ暗でわからなかったが、あのすれ違ったの貨物は、本線を行くコンテナ列車だった。こちらが徐行したのは、本線上りを通過する貨物列車を待つためであり、通過後に上り線路を横切って荒尾駅に進入したのだった。
 美濃赤坂線5.0㎞のうち、荒尾・美濃赤坂間はわずか1.6㎞に過ぎない。残り3.4㎞は東海道本線そのものだった。どうりで揺れも少なく爆走していたはずである。暗くて何もわからず、支線だと思い込んでいただけだった。それはともかく、これでようやく東海道線を乗り尽くした。
(2016/12/28乗車)

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