2019年7月19日金曜日

日本で唯一、鉄道の走る遊園地

線路を走れば鉄道…というわけではない

 東京ディズニーランドのウエスタン・リバー鉄道は、本格的な蒸気機関車が魅力だが、いわゆる鉄道事業法に基づく鉄道ではなく、遊戯施設の一部と見なされている。一方で、東京ディズニーリゾートの各施設を結ぶディズニーリゾートラインは、れっきとした鉄道という位置付けだ。リゾートラインで移動してからTDLなりTDSなりに入場するわけだから、まあこれは納得できる。施設の内部か外部かで分けるというのが鉄道事業法の考え方なのだろう。 
 だから、北海道・丸瀬布森林公園いこいの森を走る森林鉄道も、静岡県修善寺・虹の郷を走るロムニー鉄道も、愛知県犬山市・明治村を走る蒸気機関車や京都市電も、すべてかつては実際に活躍した鉄道そのものだが、今はみな遊戯施設なり保存鉄道の扱いである。すべて施設内にあるからだ。 

 しかしどんなものにも例外はつきものだ。施設内にあって、入場料を払わないと乗れない鉄道が、日本全国に三カ所ある、と私は思う。いずれもケーブルカーだ。

 本州の北端、青森県竜飛岬にある青函トンネル記念館。冬の間は雪に閉ざされて閉館となるその施設には、海面下140㍍にある旧竜飛海底駅まで、250‰の勾配をケーブルカーが結んでいる。正式名称は青函トンネル竜飛斜坑線。世紀の大工事といわれた青函トンネル建設のために造られたものだから、当初は工事用のインクラインだったものと思われる。完成後は海底駅と地上とを結ぶものとして、一般客を運ぶようになった。現在はトンネル記念館による「体験坑道」のアトラクションとして活躍している。入館料400円、体験坑道乗車券1000円。 

 二つめは、京都北山の鞍馬寺。足の弱い人・高齢者の参拝のために造られたケーブルカーがある。山門で愛山費(拝観料)を納めてから入山し、ケーブル寄進200円を納めて乗車させて頂く。これについては「鉄道会社はお寺さん」でも触れたので繰り返さない。 

 最後が、大分県別府の遊園地ラクテンチのケーブルカーだ。

おじさん、一人で遊園地へ

乗客を残し列車を去る運転手
 私が訪れた日はあいにくの荒天だった。阿蘇から大分までの豊肥本線では列車に遅れが出るばかりでなく、乗っていた列車が途中大雨のために突然止まり、運転手が聞き取りにくい言葉で何やら言うとそのまま列車を降りてしまった。列車無線が通じないのか、携帯電話を持ち合わせていないのか、運転手は最寄りの駅まで歩いて行ってしまった。車内に取り残されたのはわずか三人。人家も比較的近く、路盤が崩れそうでもなかったので、恐怖感こそなかったものの、事情も分からず、なかなか戻らない運転手を待つ身としては心細くもあった。しばらくしてずぶ濡れのまま戻ってきた運転手は、またブツブツ言いながら低速で列車を走らせ始めた。ことばが聞き取れないので、結局真相は不明のままだ。
 このままでは豊後竹田からの連絡列車にも、また大分からの列車にも乗り遅れて、ラクテンチが閉園時間を迎えてしまう。そもそもこんな雨の中、遊園地などやっているのだろうかという不安も募ってくる。 
 付近一帯のすべての列車が遅れていたため、なんとか別府まではたどり着くことが出来た。時間も惜しい上に雨も降っていたので、ラクテンチまではタクシーを奮発する。
 それにしても、こんな雨降りの日に、おじさん一人が遊園地まで行くというのは、なんとも気恥ずかしい。こちらの気持ちを察したのかどうか、運転手さんが 
「ビジネスですか?」 
と尋ねてくる。
 おいおい、どう見たってリュックを背負ってカメラぶら下げた私服男がビジネスマンに見えますか。とはいえ、まさか、
「日本全国の鉄道に乗るのが趣味で、そのためにはこの遊園地のケーブルカーに乗らなければならないのです」
などどいえようか。そんなことを言ったら最後、
「なるほど! すべての鉄道に乗るためには、日本中の遊園地にを訪ね、すべての線路を踏破し、従ってジェットコースターやら、おとぎの電車やらに乗りまくるのですね。デパートの屋上のもですか…」
と矢継ぎ早に質問されてしまうに違いない。そうでないことを納得させる自信はなかった。人の良さそうな運転手さんには申し訳ないが、咄嗟に出たことばはこうだった。 
「はい。こんな雨降りですから、仕事でもなければ誰も行かないですよね」 
よくもまあ、スラスラと嘘がつけるものだと、半ばあきれているうちにラクテンチ入り口に着いた。
 来場者は私以外誰もいないが、土産物ショップの灯りが付いているし、入場券窓口のお姉さんもこちらを見ている。やった! 開いている。 
 お金を支払い、タクシーを降りる。そのまま入場券窓口に進む私の背中を、タクシー運転手は不思議な思いで見つめているだろうなあと感じながらも、ここで怯んではいけないと心を強く持って、その視線を振り払う。ここで逃したら、次は一体いつ来られることだろうか。 
おとぎの国の
ケーブルカー

 ケーブルカーに乗車したのは私ひとりだった。ガイド役の女性乗務員と二人っきり。ほぼ空箱のような車両が動き始める。 
「残念ながら今は、ワンちゃん・ネコちゃん姿ではなくなってしまったのですが」 
と申し訳なさそうに乗務員が説明する。先月までは、生駒ケーブルのように運転台が動物の顔になっていたのだ。よかった! それでなくとも恥ずかしい思いで一杯だったのだ。中間地点で擦れ違った車両には、女性乗務員以外は誰も乗っていなかった。彼女は、こちらに向かって思い切りの笑顔で手を振ってくれる。私はただ一人の来園者なのかもしれない。ああ! 注目されている。早く終点に着いてくれ。到底、手を振り返す勇気などなかった。
 山頂に着くと、ラクテンチの制服を着た係員が笑顔で、 
「ようこそ、ラクテンチへ」 
と明るく声を掛けてくれる。ここはまさに遊園地なのだ。ふと見ると、親子二人連れが動いていない観覧車の辺りに所在なく佇んでいた。まだ雨が少し残っている。山は厚い雨雲に閉ざされていた。 
 晴れていれば別府湾の絶景が楽しめそうな、谷をまたぐ吊り橋も、悪天候のため鎖が下ろされ通行止め。昔懐かしい回転木馬も、高低差があまりなく小さな子どもが楽しめるジェットコースターも、すべてが止まっている。わずかにひとけが感じられるのは、レストランと売店で、そこには手持ち無沙汰の従業員が、閉園時間をひたすら待っているのだった。客のいない遊園地で、ただうろうろ歩いているおじさんは迷惑者以外のなにものでもない。そうはいっても入園料だけは払ったのだからと、小雨に濡れながら一通り園内を歩いたあと、ケーブルに戻った。最終の1本前まで、まだ10分ほどある。再び外に出ると、ベランダが展望台になっていた。 
どこまでも真っ直ぐな
「流川通」


 ケーブル駅から見下ろす別府の街は、思いの外見応えがあった。下からは折り返しが登ってくる。まっすぐ下界まで続くケーブル路線の先は、これまた真っ直ぐに海まで続く道だった。灰色に煙る別府湾は空と見分けがつかない。高い場所から眺めているのに、目の錯覚だろうか、天に昇る道に見えた。まさにここは楽天地だ。

 
(2019/7/19乗車)