2018年5月9日水曜日

鉄道会社はお寺さん

鞍馬寺本堂を目指す

 京都北山の鞍馬寺といえば、鞍馬天狗か牛若丸かというほどに、昔からヒーローとの関わりが深い。年配の方々ならば、ついでに「とん、とん、とんまの天狗さん♫」を思い出すかもしれないが、もちろんこれは鞍馬天狗のパロディ。オロナイン軟膏のお世話にもなりました。それはともかく、天狗から武芸を教わった牛若丸、もとい義経を含めて、鞍馬は天狗関係者の住み処である。だから鞍馬の駅を降りると、まずは真っ赤な天狗がお出迎えしてくれる。
叡山電鉄鞍馬駅前

 駅から山門までは歩いてすぐだが、そこから本堂までが実に遠い。清少納言が『枕草子』で記したように、「近うて遠きもの、くらまのつづらをりという道」というくらい、山登りを覚悟する必要がある。つづら折りとは鞍馬寺の参道のことで、途中には鞍馬の火祭で有名な由岐神社や義経ゆかりの場所がある。参拝しながら歩いて登り、本堂にお参りした後は奥の院を通って貴船神社までトレッキングするのが、鞍馬寺参拝のお約束みたいになっている。山歩きの苦手な、か弱い平安女性じゃあるまいし、だからこんなところにケーブルカーがあるなどとは、ちっとも知らなかった。
 しかし、今私は全国の鉄道すべてに乗らねばならないという修行の身である。そこに鉄道があるなんて知らなかったで済む話ではない。由岐神社も義経供養塔も吹っ飛ばし、平安女性よりも安直に、鞍馬寺本堂を目指さなければならなかったのだ。
普明殿

 こうして若葉の美しい季節の夕方、鞍馬寺の山門までやって来た。ケーブルの最終は16時半である。日没は19時だから少々早い気もするが、連休を終えて人もまばらだから仕方ない。受付で拝観料を払おうとすると、
「16時で本堂は閉まっています。ですからお金は頂きません。どうぞそのまま参拝して下さい。ケーブルの最終は16時半ですよ」と、再現不能の優しい京都なまりで説明してくれた。それにしても本堂が閉まった後にケーブルに乗る人なんているのだろうか。

 山門からすぐの所に普明殿という建物があった。過去には素通りしていたところだ。鉄筋コンクリート造りの、まるで休息所のような雰囲気だから、これからつづら折りを目指そうと張り切っている者には関心が沸くような場所ではないので、見落としていた。なんとここが駅だったのだ。建物入り口には「普明殿」とあるものの、正式名「山門駅」などとはどこにも記されていない。どこの観光地でも、ぜひお金を遣って貰おうと「ケーブル乗り場」とか「近道こちら」とか、うるさいほどの看板が立ててあるものだが、やはりここは聖域らしく金儲けの札はどこにもない。
 ふと入り口脇の掲示板を見てみると、様々な宗教行事のお知らせの下に、小さな札がぶら下がっていた。そこに「ケーブルのりば」と小さく書いてある。これに気づけという方が無理というもの。最初から知っている人以外は歩いて登らせたいのだろうか。

功徳を施す


 普明殿に入っても、そこにケーブルカーは見当たらなかった。ここでも控えめに、「ケーブルは二階から…」とあるだけだ。誰もいない階段を上ると、がらんとした空間に、誰も座っていないパイプ椅子だけが並んでいる。順に座ってお待ち下さいと貼り紙がある。慈悲深いことである。
 切符の自動販売機は片隅のテーブルの上に置かれてあった。百円玉2個入れると、レシートのような「切符」が出てきた。そこには「御寄進票 大人200円 鞍馬山鋼索鉄道 当日限り有効」と記され、18.5.9 16:19と日時が打ってある。「御寄進票かあ」と独り言つ。こちらが乗せて頂くのに、何か功徳を施したような気分になった。さすがお寺さんだと感心する。

 功徳票、もとい御寄進票に書かれているように「鞍馬山鋼索鉄道」というのが、このケーブルの正式名だ。日本で唯一、宗教法人が経営する鉄道である。だから社員(?)は鞍馬寺と刺繍の入った作務衣を着ている。16時31分、1分遅れで作務衣を身に纏った乗組員の案内で車内に入る。乗客は私と、発車直前に飛び込んできたもう一人の男性。3人を乗せた車両が警笛を鳴らして山門駅を後にする。

 それは全長191㍍、高低差89㍍、全線単線のケーブルカーだった。普通ケーブルカーといえば、2輌の車両同士が中間地点で擦れ違うはずだが、「鞍鉄」の場合、擦れ違う車両がない。1輌だけが上り下りしているのだ。終点が近いので見ればすぐわかる。多宝塔駅にはさぞかし強力なモーターがあって巻き上げているのだろうと思っていると、何やら上からレールの下を降りてきたものがある。重りである。なるほど、これなら強力なモーターでなくても運行できる。エレベーターと同じ原理だ! とするとケーブルカーではないのかも。現に、この形式の斜面エレベーター設備を備えたホテルを知っているぞ。
 
 法律のことはよくわからないから、これ以上の詮索はよそう。とにかく日本で最短の鉄道会社らしいので、それを尊重することにする。それの方が面白いし、功徳にもなる。エレベーターと違って、きちんと警笛も鳴らしていることだし(某ホテルでは警笛はなかった)。
多宝塔駅にて

 わずか2分ほどで多宝塔駅に到着する。そこには参拝を終えた10数人の人達が待っていた。ケーブルカーは彼らを乗せて、16時35分、慌ただしく下りていった。これが事実上の最終だったのである。
 私はこのあと扉を閉ざした、誰もいない本堂の前で手を合わせ、奥の院方面は夜間照明がなく天狗は出ないが熊が出ると注意書きがあったので、ひたすら急いでつづら折りを下った。
(2018/5/9乗車)

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