早朝の函館
1月5日早朝、雪がちらちらと舞っている。カチンコチンに凍る道の中を函館の駅まで歩いていく。雪靴を履いてはいるのだが、買ってからだいぶ経つのでゴムが劣化し、少し滑りやすくなっている。自分は雪道を歩くのが苦手である。「踵や爪先から足を下ろしてはいけないよ。足の裏全体で大地を踏みしめるように歩くんだ」と雪国生活の長かった息子に教わるのだが、なかなか上手くはいかない。積雪はそれほどでもないが、道路一面が圧雪されて氷原のようだ。ときどきつるっと滑ってヒヤッとする。
夜明けまでにはまだ間があるので、あたり一面は真っ暗で人通りはない。ただ、函館名物の朝市が6時開店のため、あちらこちらから蒸気が立ち上がって、店内は準備に忙しいようだ。この地を訪れれば必ず立ち寄る朝市だが、今日は江差までの鉄道の旅が待っている。少しでも良い席を確保したいので、そのまま駅まで直行する。
来年の北海道新幹線函館開業を前に、この5月には江差線、木古内・江差間が一足先に廃線となる。かねてから一度乗っておきたいと思っていた。
鰊御殿で有名な江差にはかつて訪れたことがあるが、その時は函館からレンタカーに乗ってであった。遅い春がようやく南東北まで北上してきた頃で江差にとってはまだ先のこと、鉛色の寂しい町だったという印象が残っている。それなのにまた冬に来てしまった。
廃止されない江差線(津軽海峡線)
6時25分、1番線に江差線普通列車が入線してきた。キハ40-1801。重厚な造りだ。太いアイドリングの音が懐かしい。単行(車両の両端に運転台があり前進後進が自在)ながらデッキが付き、更に寒冷地仕様で窓は二重なので、室内はとても暖かい。すぐに乗る客はまばらだが、私が急いで来た理由は、もうすぐ上野からの寝台特急北斗星が到着し、同好の士が集まってくると予想したからだ。廃止まではまだ間があるとはいえ、冬休みも終盤になって江差線を目的に北海道を目指す鉄道ファンは多いだろうと考えたのである。乗り換え客も含めてボックスシートに大方一人ずつおさまって列車は出発した。函館湾を堪能できる左側ボックスをあきらめた人もいる(表情でわかる)。海側の席に座りたいからと言って、空いているボックスに座らずに相席を選ぶ人は稀である。
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函館山が真横に見えてくる |
江差線の始点は函館の次の五稜郭だが、ここから列車は函館湾を反時計回りにこまめに停まりながら上磯に着く。この辺りまではいくつもの工場群があり住宅街が広がって、函館までの通勤通学圏となっているため、上磯折り返しの普通列車が設定されている。この先は駅間が広がり、海もぐっと近づいて海峡線の様相を呈してくる。列車は函館湾をほぼ半周した感じで、車窓正面には函館山が見えてくる。穏やかな波はここが天然の良港であることを示しており、かつて函館が北海道の玄関口に選ばれた理由がよくわかる。男子修道院として有名なトラピスト修道院がある渡島当別あたりまで来ると、函館山は後方に過ぎて見えなくなり、それに代わって遥か彼方に横たわる下北半島が見えくてる。広がる海は津軽海峡だ。新幹線が開通すれば、この風景ともお別れとなる。
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スーパー白鳥が木古内に近づく |
木古内から先が廃止されてしまう江差線となるが、列車はここで14分ほど停車して後続のスーパー白鳥20号の到着待ち合わせを行う。ところでJR北海道では江差線の廃線に合わせ「ありがとう江差線フリーパス」を発売していて、函館・木古内間は特急自由席にも乗れるお得な切符となっている。これを利用すれば函館出発を30分遅らせて少し朝寝坊ができるのだ。当然この人たちが乗り込んでくる。早朝から函館駅を目指したもう一つの理由は、首から下げるクリアケース付きのフリーパスに惑わされると、お気に入りの席の確保が難しくなるからだった。木古内からの乗車率はほぼ50〜60パーセント。自分がいるボックスシートも3人掛けとなった。ビデオカメラを持ち込む人、いかにも高性能な一眼レフカメラを手にする人が何人か加わった。
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江差行(左) |
終着駅江差へ
木古内では北海道新幹線の開業に向けて急ピッチに工事が進捗している。新幹線ホームは外観がほぼ完成していて、駅周辺には新幹線歓迎の看板や横断幕が張られて、新しい時代がやってくるのだなと感じさせられる。地元の期待の一方で、都会から来た者の目にはあまりにも木古内の町の規模が小さく、過剰設備の感は否めない。そもそも新幹線の駅に繋がる江差線を廃線にしようという位だから、ことは深刻だ。廃線を受け入れた江差の人には鉄道よりも道路が便利なように、東京までは新幹線よりも航空機が便利だということではないか。地元の人もわかっている筈である。しかし選択肢の多さは便利さの証であり、時代に取り残されていないという実感につながるものとして、経済効果だけで論じる都会人には所詮わからぬことなのだろう。
今こうして滅び行く江差線の風情をわざわざ味わいにきたよそ者である私は、この味わいを残してくれた(都会的な意味において不便な生活に耐えてきてくれた)渡島地方の人たちにどう恩返しができるのだろうか。都会は地方に、食糧・資源・人的資源ばかりでなく観光を通して文化的・精神的にも支えられているわけだが、もちろん日頃私たちは経済原理だけでものごとを考えがちである。莫大な借金を返済する目処のない北海道新幹線の将来を考えると、よそ者が出来ることのあまりに非力なことに慄然とせざるを得ない。
津軽海峡側の木古内から日本海に面した江差までは、渡島半島の背骨にあたる小高い山々を越えていく必要がある。頑丈な作りのキハ40はその図体の割に馬力のないエンジンしか積んでいないので、さほど険しくもない峠道でも極めつけの鈍足である。全国のローカル線から乗客が逃げていったのは、人口減少以外にあまりにも時間ががかる鉄道に嫌気がさしたこともあるのではないだろうか。生活のためなら車を使う方が格段にQOL(Quality of life)が上がるというものだ。
ところが旅人にはこの時間の流れがたまらないのだから始末に負えない。パウダースノーをまき散らしながら、峠の最後は短いトンネルで抜けて分水嶺が変わる。うなるようなエンジン音がアイドリング音に変わって、スピードも加わりながら、左側から川が近づいてくるとそこは神明駅である。誰も降りないし、誰も乗ってこない。次の湯ノ岱は沿線途中唯一の有人駅で、近くに温泉施設もあるようだ。ここでは列車交換と通票(スタフ)の交換が行われる。
列車はそこからこの川に沿って日本海側の上ノ国まで行く。川の名前は天の川という。何とも風情のある名前だが、特別な風景が広がっているわけではない。上ノ国に近づくと向かいの山に林立する風力発電施設が見えてきて、海が近いことを知らせてくれる。
この時期の日本海は鉛色の厳しい姿である。夏と冬とでは全く見せている姿が違うのが日本海だ。列車は追分ソーランラインと呼ばれる国道228号線と並走しながら、かつて殷賑を誇った江差へと進んでいく。荒涼とした風景の中、風雪に耐えてあちこちが傷んだ町並みが広がっていく。そこに多くの人の生活があることはわかるが、人影はほとんどない。
江差駅は江差の中心街の遥か手前にあった。線路の先には小さなマンションが立ちふさがっていて、終着駅としては少々風情に欠ける。どうせこの先鉄道は延びないのだから、マンション建てちゃえといった感じである。しかし駅舎はしっかりしていて、厳寒のホームに立って思わず身をすくめた旅行客達を、強力なストーブが暖かく迎えてくれた。本日の乗客の多くは、江差線に別れを告げにきた人たちである。折り返し時間までに凍てついた道を歩いて町の中心街に行って帰ってくるには少し時間が足りない。そのまま多くの人が列車に戻っていく。
江差に来て、海を見ないで帰るわけにはいかない。滑る足下に気をつけながら、海岸を走る国道の上に立った。モノトーンの風景が広がる。次に来る時は、この追分ソーランラインを車で北上してくることだろう。おそらく夏の美しく穏やかな日本海が迎えてくれるに違いない。