サヨナラするため青森へ
寝台特急「あけぼの」に初めて乗車したのは1975年9月2日のことだった。北海道からの帰り道、乗りたかった寝台特急「ゆうづる」は満席で、駅窓口の係員に勧められるままに、仕方なく奥羽本線経由のローカル寝台特急の寝台券を手に入れたのだった。
連絡船との接続は悪く、客車は古い20系の3段式ベッド。青森を18:29に出発し、秋田からは内陸に入り、山形を通って福島から東北本線を南下して、上野到着は6:52。こんなに時間をかけて遠回りしながらも、当時の特急には当たり前だった食堂車の連結はなく、あろうことか車内販売すらないという超格落ちローカル寝台特急だった。当然印象はすこぶる悪い。20系は昭和30年代の設計で寝台幅が52㎝しかなく、寝返りすら打てない窮屈な思いをしながら、せっかくの北海道旅行の最後が台無しだなあと思ったものだった。
あれから39年、国鉄がJRに変り、山形新幹線の開通によって奥羽本線が福島と新庄で分断され、「あけぼの」は北上線経由となり、更に寝台特急「鳥海」に取って代わって上越・羽越線経由となってからも、上野と秋田・青森を結ぶ寝台特急として生きながらえてきた。そして東北新幹線開業にともなって東北地方から在来線特急が次々と姿を消す中にあって、「あけぼの」は上野と北東北を結ぶ大切な列車となっていった。私自身、「鳥海」時代を含めれば7回ほどお世話になり、いつの間にかお気に入りの寝台特急になっていたのである。五能線や津軽地方を訪れるには最適の列車であるばかりでなく、個室寝台が手軽に利用できるというのも魅力の一つだった。
それが2014年3月14日、ついに幕を下ろしてしまう。日本から夜行列車が次々と姿を消しつつある今、ブルートレインとして生き残るのは、「北斗星」と「はまなす」しかない。<目が覚めれば異郷の地>を味わえる鉄道の旅は、終焉を迎えつつある。実に寂しい限りだ。
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新青森駅 |
残すところあと1ヶ月となった2月12日水曜日、続けては休暇の取れない平日ではあるけれど、「あけぼの」に別れを告げるために、青森を目指すことにした。翌朝は上野から直接職場に出勤するのでスーツ姿で旅立たねばならないが、それはそれで面白い。いっそエリートビジネスマンをまねて新幹線グリーン車に乗ってみようということになった。グランクラスも考えたが、グリーンすら乗ったことがないのだから時期尚早、楽しみは次回に回すことにする。列車限定の早割を利用すれば、お得な料金で最新型E5系のグリーン車が利用できる。実に格好いい! と自己満足に浸る。
グリーンに乗る以上、新青森までの3時間34分は特別な時間だ。ケチケチなどしてはいられない。東京駅エキナカGRANSTA DININGにある高級スーパーマーケット・紀ノ国屋で、冷えたシャルドネと気の利いたオードブルと屋久島の水を手に入れて、流れる車窓を眺めながら贅沢な時間を過ごそうと洒落てみる。席は進行右側、奥羽山脈を楽しめない窓側は今まで出来るだけ避けてきたため、どうもこちら側の風景は記憶にない。車窓ファンとしては是非とも記憶にとどめたいところなので、今回は右側の席を選んだ。有名な山は筑波山くらいしかなく、宇都宮や郡山、仙台の繁華街はすべて左側に位置し、右側に街が広がるのは福島や盛岡くらいのものであるが、東北自動車道と交差するたびに、見覚えのある標識や周りの風景が確認できて、結構面白い。ほろ酔い加減であっという間の3時間半だった。
新青森に近づくと、右側の車窓には前方に青い陸奥湾、後方には雪に覆われた八甲田山が広がっている。ここまで乗り通す客はまばらで、それなりにグランドツアーに出た心境になってくるものだ。本日のお目当ては青森ではなく、このあとすぐに12時間かけて上野に戻っていく。実に酔狂な旅である。現地滞在時間は1時間余り、そのほとんどは<晩餐会>の準備に費やすだけだ。
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青森駅 |
新青森と青森の間は、特定区間となっていて特急自由席に乗車券だけで乗ることが出来る。今日の連絡列車はJR北海道のスーパー白鳥だ。わずか一駅の旅だが何となく得した感じがするのは自分が鉄道愛好家だからであり、一般の人はきっと面倒だろうなと思う。青函連絡船がなくなり、東北新幹線が八戸まで開通してから本州と北海道を結んできた趣のある特急だが、これも来年の3月に新幹線が函館まで繋がると廃止になってしまう。この列車でまた函館湾をぐるっと廻っておかないといけないなあと思うものの、今回はお預けだ。
青森駅は雪の中
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青森駅東口改札口 |
石川さゆりの名曲「津軽海峡冬景色」の中で唄われている青森駅は寂しい終着駅だが、旅人が目指す北の町は更にその先の厳冬の中にある。
上野発の夜行列車降りた時から青森駅は雪の中
北へ帰る人の群れは誰も無口で海鳴りだけを聞いていた
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長岡まではEF81が牽引 |
「あけぼの」の廃止によって、上野発の夜行列車で青森駅に降り立つことはもう出来なくなることに気付いた。「北斗星」や「カシオペア」は青森通過であるし、「はまなす」は札幌発である。今回ここを訪れてたのは昭和に別れを告げるためであったように思えてくる。青函連絡船が運航していた頃はヒトヒトヒトでごった返していた青森駅も、今は閑散としている。持て余し気味に何本も並ぶプラットホームには、編成の短い列車がまばらに停車しているだけで、長大な屋根の下に寸足らずの電車が妙に寒々しい。普段人がそこまで来ることはないホーム半ばから海に向かって端まで続く屋根は、老朽化からだろうか、無骨な支柱に加えられていて、そこが滅多に使われることのない忘れられた空間であることを示している。かつてはそこを連絡船に向かう旅人がせわしげに走ったところである。栄枯盛衰の世の中を感じさせる風景だ。
しかし、3番線ホームだけは活気があった。何処からやってきたのか、「あけぼの」廃止を惜しむファンが集まっている。ファンに混じって、長岡まで牽引するEF81のヘッドマークを背景に記念写真を撮る老夫婦もいる。みんな惜別の思いからここにやってきているのだ。それにしても、もったいないなあとつくづく思う。なんとかならないものか。日本から夜汽車がなくなってしまうのは、文化的損失ではないのかとすら思うが、経営的に超優良企業であるJR東日本がそのような考えになることは絶対にあり得ないし、無くなるからこそ悲壮感が多くの人の心を打つのだろう。編成の端から端までゆっくり歩いて、見納めの寝台列車を堪能する。
「あけぼの」は青森を18:23に発車し、上野に6:58に到着する。12時間35分の長旅は39年前と殆ど変わらない。乗車すると「食堂車・車内販売はございません。予めご了承ください」と車内放送が入った。これも変わらない。ここでは時間が止まっている感じだが、車内設備だけは大きく様変わりしている。
オハネ24-552 B寝台ソロ8上
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入口から撮影 |
今からちょうど一ヶ月前、自宅最寄り駅のみどりの窓口で10時ちょうどにA寝台・シングルデラックスを取ろうとして、結局瞬時に売り切れてしまったのだったが、幸いB寝台ソロの上の個室が空いていて、そこを押さえることができた。「あけぼの」のソロには、かつて下段の個室には乗車したことがあった。印象としてはとても狭い穴蔵で、スーツの着替えが厄介だなあと不安はあったが、上段の個室は入り口部分がちょうど階段になっていて、そこにかろうじて立つことが出来、これなら着替えは可能とほっとした。ラフな格好なら一層申し分のない空間だ。
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晩餐会 |
12時間をどう過ごすかは、今回の計画を立てた時からの楽しみであった。個室寝台の利点は部屋を真っ暗にして車窓が楽しめることだが、それと同時にプライベート空間だからこそ、青森の地元料理を食べながら一人で宴会することも可能だ。今晩は大いに飲み明かそうと思う。
「つがる総菜」謹製の駅弁「たまご箱」は、おとなの休日倶楽部ミドルの2月号で紹介されたものである。青森県立五所川原農業高校(五農)の生徒が朝採りした卵を使って、寿司屋『助六』が焼き上げた玉子焼きを主菜とした駅弁だ。前日に電話予約をして、新青森駅の販売店で手に入れておいた。この玉子焼きを肴に青森黒石の地酒『亀吉』を呑もうという魂胆である。寝台個室ソロの壁にはほど良いテーブルがあり、そこに並べて酒宴を始める。チェイサーは奥入瀬渓流の水、つまみに鶏串も手に入れておいた。弘前から大鰐温泉を通過する頃には、雪もだいぶ深くなり、時々室内灯を消して外を眺めると雪明かりで景色が浮かび上がる。ここは一ヶ月ほど前に早朝の特急「つがる」で通った所なので、おおよその風景は記憶に残っている。客車列車はモーター音がないので、空調を切ると(これも自分で操作できるのが個室の良さだ)聞こえてくるのは、車輪がレールを刻む音だけである。奥羽本線はロングレールが殆どないため、規則正しいタタッタタという音の繰り返しが心地良い。
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東能代 五能線の気動車 |
碇ヶ関を越えれば津軽地方とはお別れで秋田県へと入っていく。闇の中、大館から分かれていく花輪線の線路もはっきりと見える。二本目の冷酒を呑み終える頃には、津軽地方は遥か後方に過ぎていき、やがて世界一の大太鼓で有名な鷹ノ巣に到着する。ここからは秋田内陸縦貫線が分岐するが、駅構内に展示されている太鼓も内陸線も進行左側のために見ることはできない。そのかわり暗闇の中でうっすらと浮かび上がる山並みがぐっと穏やかになって、秋田の米どころが近いことを知らせてくれている。昼であれば遠くに白神山地の見えるあたりだが、さすがに夜は見えない。横を流れる米代川に沿って寝台特急「あけぼの」は東能代に向かって真西へと進んでいく…
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4時15分水上通過 |
目が覚めたとき、列車は越後中里を通過し清水トンネルの最初のループに差し掛かるところだった。雪が深い。入り組んだ山懐を昇っていくために、下り本線と分かれていく。関越自動車道は真っ直ぐに三国山脈を目指してぐんぐんと高度を上げていくが、勾配に弱い鉄道はぐるりと高度を稼ぎながらでないと土樽の駅を目指せない。土樽駅のすぐ上には自動車道のネオンランプが輝いていて、雪がかなり降っていることがわかる。ここは川端康成の『雪国』で有名な国境の駅である。今日は小説とは逆の道を辿って雪のない上州を目指していく。石積みで作られた歴史ある清水トンネルを抜け、ガーター橋で渓流を越えると踏切があって、土合の駅に着く。勿論ここは通過。そのあと二つほど短いトンネルを越えると、眼下に湯檜曽の温泉街が見えてくる。二つ目のループまではもう少しだ。谷川に沿った温泉街の外れの少し開けたところに湯檜曽の駅が見える。向かい側の山腹にある湯檜曽駅まで、今「あけぼの」が走っている真下を、直角に線路が通っている。これからこの列車はそこまで、ぐるりと左にカーブを切りながらゆっくりと高度を下げていくのだ。そのほとんどはトンネルの中である。川端は清水トンネルを抜けたところで「夜の底が白くなった」と、あたかも三国山脈の関東側になかった雪が、土樽駅には降り積もっているかのように書いているが、実際はここから水上までは雪の中であり、ここもまた雪国である。
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上越線牽引はEF64 |
しかし、列車は確実に関東平野に近づいている。上野まではまだ2時間近く走らなければならないが、「あけぼの」の旅は大きな山場を過ぎている。夜が明ければ、いつもの都会の喧噪が始まり、また日常が戻ってくる。「あけぼの」はその名の通り、夜明けを目指してひた走りに走る。ヘッドマークが表しているような「やうやうたなびくやまぎは」をこの列車は上野を目指しているのだ。
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目に見えるゴール |
6時58分、列車は上野駅13番線の寝台列車専用の地上ホームに静かに到着する。この先はどこへも行けない終着駅。いったいあと何回このホームを利用できるのだろう。来年の今頃は最後の定期ブルートレインがここから旅立っていく筈である。日本の夜汽車の終焉がまた一歩近づいてきた。
後日談
「あけぼの」廃止まであと2週間となった。毎日乗り換えで利用している西日暮里駅の3番線ホーム。時計の針はもうすぐ6時50分を過ぎようとしている。1本だけ山手線を見送れば、通過を見送れるなと、見晴らしの良いホーム端まで歩いていこうとすると、ブーンというディーゼルエンジンの重低音を響かせて、青い列車が上野に向かって走っていく。灰色の蒲鉾のような屋根の所どころには赤茶けた錆が浮いていて痛々しい。ふと『老兵は死なず。消えゆくのみ』のことばが思い浮かぶ。でも、また会えて良かった。さすがにもう乗ることはできないけれど。
同日夜8時55分、外回りの山手線が駒込駅に着く。このまま上野まで乗って行けば、朝見た「あけぼの」にまた会えるな、青森行を見送ろうと思う。
上野駅13番線ホームにはすでに多くのファンが集まっていた。近年ファンの層が厚くなっている。一眼レフをビシッと構える「鉄子さん」の姿もよく見かけるようになった。反対に、携帯片手の軽装ファンも少なくない。かく言う自分も急に思い立って来たために持っているのはスマホしかない。でも、動画が撮れる…と思いつつ、一両一両眺めながらEF64に向かって歩いていく。
最後尾は女性専用ごろんとシート車だ。ただこれはちょっといただけない対応だと感じる。昔から日本の客車列車の最後尾は特別なところだったはずだ。「はと」や「つばめ」の最後尾は展望車であり、紳士淑女が乗る車両だった。後方に去りゆくレールを眺めながら旅を楽しむ特別な場所だ。そこが男子禁制の女性専用車だと、男性はどうすればよいのか。女性専用車は電源車の次に配置し、最後尾は誰もが楽しめる場所であって欲しいものだ。すべての乗客が後方に流れていく車窓を楽しむことができれば、こんな列車に乗ってみたいという人も増えるのではないだろうか。
ゴロンとシート自体はとても気の利いたサービスである。乗客の減少で空いた寝台を格安で提供すれば、利用者は喜ぶからだ。そもそも夜行列車が人気ないからと言って、日本人が夜に移動しなくなった訳ではあるまい。運賃の安い豪華夜行高速バスの人気は高いと聞く。鉄道から人が離れていく最大の原因は割高な運賃設定にある。夜行高速バスの事故は後を絶たないのだから、もう一度夜行列車の魅力を再発見できればいいのだが、残念ながらその望みはなさそうである。多くの人に支えられた安全な乗り物はそれだけに経費もかかり、効率優先の安価な乗り物には到底太刀打ちができない。
★★★B寝台が輝いていた昭和は遠ざかっていく。今日、寝台特急が支持されないのは、高速道路の四通八達と航空運賃の相対的な低額化が原因である。つまり国の政策が鉄道から自動車・航空機重視にスライドしたためであるから、当然のこと勝ち目はない。豪華列車カシオペアやトワイライト・エクスプレスですら廃止が囁かれている今、ななつ星のような例外的な超豪華列車を除いて、夜汽車の終焉はもうそこまでやって来ている。
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