2016年12月29日木曜日

副業が鉄道会社!?

「日本一最短のローカル線」

 和歌山県の御坊市を走る紀州鉄道の本社は東京にある。それだけでも珍しいが、会社のルーツは福島だという。この会社の実態は「上質なる余暇を通じて、共生の未来を創造する」ことをポリシーとするレジャー産業なのだ。経営するホテルの多くは紀州鉄道の名前を冠していて、鉄道会社であることが信用をもとになっているのだという。だからこのローカル線は、レジャー産業の鉄道事業部門という位置づけになる。何となく奇妙な感じもするが、日本民営鉄道協会に所属する歴とした鉄道会社でもある。日本一最短の鉄道というキャッチコピーも気になるところだ。和歌山から更に紀勢本線で1時間掛かる御坊を訪ねてみた。

 乗ってみて、まず運賃がとても安いことに驚いた。わずか2.7㎞しかないとはいえ、今どき180円というのはきわめて良心的ではないか。ほとんど誰も乗っていないのに、まるで儲ける気がないのでは、とすら思えてくる。
 その代償として、車両はお世辞にも綺麗とは言えない。スピードも遅く、御坊駅を出たすぐのカーブで、いきなり15㎞/h規制がかかる。踏切をノロノロと通過するので、待っている自動車の運転手はさぞイライラしていることだろう。
波打つ線路と歩く人
(中央、線路脇の日陰
を歩いている) 

 直線区間に入って若干スピードをあげるが、20㎞/h規制区間が随所にある。それでもディーゼルエンジンのうなる音は相当なもので、それ以上に縦横の揺れが激しい。運転台越しに見える前方の線路を見れば納得もいく。草に覆われ枕木の見えない線路が波打っているのである。その線路道を人が歩いている。ここまで野趣に富んだ鉄道も珍しい。
 沿線最大の駅は紀州御坊駅である。ここには車庫があって数両のディーゼルカーが停まっているが、途中に列車の交換施設は一切ないから、全線で走る列車は常に1編成に限られる。従って、踏切遮断の表示灯以外、信号に関わる設備はまったくなかった。
西御坊駅入り口側

 終点の西御坊は実に凄いとしかいいようのない駅だった。踏切に接したきわめて狭い土地に、古風なといえば聞こえはいいが、真っ黒な、まるで小屋のような駅舎に、申し訳程度の狭いホームが付いている。幅50㎝もないくらいだろうか。待合室からいきなり列車に乗るという感じだ。
西御坊駅裏側

 さらに反対側がまた凄い。車止めと列車が接しているばかりでなく、駅構内に立ち入ることを禁止するゼブラに塗られた横板までもが列車に接している。停車には相当神経を使うだろうと思うものの、通常の運転自体が徐行しているようなものだから問題ないのかもしれない。要するに、人家に列車が飛び込んでいるかのような、庶民の生活感あふれる鉄道なのである。

 紀州鉄道の前身、御坊臨海鉄道時代にはさらに700m先まで線路が延びていた。平成元年に廃止された後も線路は放置されたまま残っているので、今でも走らせられそうだが、よく見ると、車止めから10m先の小さな川の部分だけは線路が撤去されていた。
 どう見ても超赤字ローカル線だが、不思議と廃線の噂はない。親会社が紀州鉄道という名前を手放したくないからだというが、如何なものだろう。ただできうる限りお金を掛けず、切り詰めた経営で存続を図っていることだけは間違いない。今後ますます速度規制区間が広がるかもしれないが、できる限りの延命を願うばかりである。
(2016/12/29乗車)

  注)芝山鉄道は2.2㎞で紀州鉄道より500m短い。ただし全列車が京成乗り入れで自社車両もない。

2016年12月28日水曜日

給水塔とタブレット

運転再開を果たした名松線

 今年の3月、およそ6年半ぶりに名松線が全面復旧した。旧国鉄の赤字ローカル線として第2次廃止対象路線に選ばれながら、代替道路が未整備だったために一旦は廃止を逃れたものの、2009年の台風18号によって数十箇所で土砂崩れや路盤流失が起こり、家城・伊勢奥津間が運行停止になっていた。地元住民や自治体の粘り強い努力が、JRを動かしたといえる。喜ばしい限りだ。ぜひとも乗らなければならない。一度乗ったからと言って、地元経済には雀の涙ほどにも利益を落とせないが、思いだけは伝えることができるだろう。

 紀勢本線の松阪を起点とする名松線。松が世界ブランド「松阪牛」の松阪であることは誰にでもわかるだろう。それでは名は? 名古屋のはずもなく、答えられる人は地元の方以外は少ないのではないか。正解は名張、近鉄大阪線の特急停車駅だ。近鉄が松阪と名張をすでに結んでしまっているので、名松線を完成させる意義は全くなくなってしまった。廃止対象となったのも仕方ないことだったのである。
 今回復旧した家城・伊勢奥津間は美杉町という名からもわかるように、杉の美林が自慢の土地だ。当然産業の中心は林業である。伊勢八知駅のそばには大きな貯木場があるが、それを鉄道が輸送することはない。手間の掛かる貨物輸送を鉄道がやめてしまった結果、地域の鉄道そのものも役目を終えてしまったのだ。
長いホームも今は無用となった

 山のあちこちには伐採され、植林前の禿げ山のように見えるところもある。急斜面だから豪雨の際は深刻な土砂崩れも多いことが伺える。雲出川の川原には、大きな石がゴロゴロしていて、穏やかな今日は景色を楽しむことができるが、一旦雨が降り出すと濁流となることが手に取るようにわかる。そうこうするうちに終点の伊勢奥津に到着する。最後まで乗車してきたのはわずか3名だった。
現在貯水タンクは
興津駅のシンボル

 終着駅の伊勢奥津には今でも蒸気機関車時代の貯水タンクが残っている。かつてはここで機関車の付け替えが行われ、多くの木材が運び出されたことだろう。住民センターと兼用の駅舎や隣接する観光案内施設は、杉をふんだんに使った瀟洒な建物だ。案内所を訪ねると、お茶でもてなしてくれた。1日の乗客が30人に満たない伊勢奥津だから、旅行者は大歓迎なのだろう。お返しに素朴な饅頭と名松線グッズのメモ帳を購入した。案内所内には、貯水タンクをモチーフとした水彩画が飾られていて、その絵葉書も売られていた。

 折り返しの松阪行に乗り込み、列車が出発をすると、先程お茶をご馳走してくれた人達が駅舎の窓から旗を振って見送ってくれている。「また来てね」と書かれているが、残念ながらまた来ることはないだろうなと思う。全国を廻ろうとしている鉄路の旅人は、その土地の経済には何の役にも立たない。申し訳ないと思う。

 家城まで戻ってきた。ここで列車は交換する。名松線は全線単線であり、本数も少ないことから自動信号機が使われているわけではない。今では全国でも珍しくなったタブレット(通票)の交換が行われる。
交換する下り列車が到着

 まず伊勢奥津からの上り列車が到着する。駅員はスタフの入ったキャリアを運転手から受け取る。家城・伊勢奥津間は1列車しか入ることができないので、その通行許可証がスタフとよばれるものである。これは当然1つしか存在せず、下り列車が到着すれば渡される。
駅員が通票の入ったキャリアを
運んでいる         

 下り列車が到着すると、通票を受け取る。家城・松阪間では、たとえば上り列車を待つことなく下り列車が2本続けて運転されることもある。その場合、一つしかないスタフでは対応できない。一区間には一つの通票しかないので、先行する列車に通券とよばれるものをまず持たせ、後続が通票を持つようにする。通券は通票がなければ開かない箱にしまっておくというように、厳重に管理される。なお、続行させない場合は通票をそのまま使えばよい。少々わかりにくいが、単線で列車を衝突させない前時代的な仕組みである。
通票を受け取って
出発進行    

 只見線が自動信号式になり、通票閉塞式の鉄道がだいぶ珍しくなった。この方式を採る限り、交換のために有人駅が必要となるので、設備投資か人件費節約かの選択が迫られることになる。列車本数が多くなれば自動信号機の設備投資するだろうし、乗客が減れば人件費負担が厳しくなる。いずれにせよ消えていく方式であることに間違いないが、鉄道愛好家にとっては実に興味深い単線鉄道の儀式なのである。
(2016/12/28乗車)

 

東海道線 もう一つの終着駅

大垣界隈

 鉄道ファンにとって大垣は聖地のひとつ。誰だって大垣夜行に一度は乗ったことがあるに違いない。それでも多くの人はドアが開いた瞬間にホームに飛び出し、乗り継ぎの西明石行きの席を取ろうと、一目散に階段を駆け上がるばかりで、大垣そのものを目的に旅した人は少ないに違いない。俳聖芭蕉が『奥の細道』で大垣を終着点としたあと、すぐに伊勢へ旅立ったように、旅の終わりは旅の始まりを地でいくような通過駅の一つなのだ。
 ところがどっこい、この駅に集まる鉄道にはなかなか趣深いものがある。国鉄旧樽見線から引き継がれた樽見鉄道、近鉄から分社化された養老鉄道という風に、過疎化の影響で廃線の憂き目にあいそうな、だからこそ味わい深い鉄道のターミナルになっている。
 東海道線を岐阜方面から大垣を目指すと、車窓右側には美しい伊吹山地の山々が次第に迫ってきて、揖斐川橋梁を渡る頃には景色が大きく開け、何連も連なる見事なトラス橋が見えてくる。樽見鉄道である。さすが旧国鉄路線だけのことはあり、堂々とした橋梁はとても廃線の危機にあるとは思えないほどだ。それもそのはず、この鉄橋は明治時代に造られた御殿場線で使われていたものを移築したものだそうだ。乗りたくなること請け合いである。
 もっとも今回の旅の目的はそこではない。もう一つの路線、といっても現在もJR東海に所属する路線がある。名前は…東海道線、通称「美濃赤坂線」という枝線である。乗り尽くしファンにとっては、ここはなかなか訪れ難く、東海道線完乗を果たせない原因となっている。漸くこの地を訪れる機会がやってきた。

 雪の多い関ヶ原に近いだけあって、早朝の大垣駅は底冷えがする。12月末の美濃地方は6時半近くになっても辺りは真っ暗だ。美濃赤坂線は駅の片隅にある切り欠き式の3番線から出発する。ホームを歩いていくと待合室の向こう側に、すでにJR東海の主力313系2両編成が停まっていた。1日20本に満たない閑散路線だが、優良鉄道会社だけに車両は立派だ。6時29分の始発電車には、地元の人とおそらく鉄道マニアの数名しか乗っていない。
 ワンマンカーの車内アナウンスが終わると電車は大垣駅を出発し、真っ暗闇の中を疾走する。広い車両区を突き抜けているはずだが、明るい車内の光に邪魔されて外がよく見えない。もう本線とは分岐したのだろうか。それにしても支線を走るのとは異なって揺れが少ないから、まだ本線なのだろうか、そんな筈はないのにと思ったところで、電車は徐行する。しばらくすると高速で貨物列車がすれ違っていった。走り出してすぐ、中間の荒尾駅に到着する。予想外に貨物列車が走るような支線だったのだと思った。場内直前にポイントがあり、単線となって荒尾駅に到着した。

石灰岩輸送で生き残った駅

 東の空が白んでいる。天気は良いようだ。こんな時間の下り電車からは、降りる人も乗ってくる人もいなかった。あと一駅。ここからは急に電車が揺れだした。支線ならではの、お馴染みの揺れだ。大垣を出てわずか6分で終点美濃赤坂に到着した。
古い駅舎に新しい312系電車

 夜明けは急速に訪れる。鉄道マニア達は、下車すると慌ただしく駅舎の写真撮影を終わらせて、再び車上の人となった。折り返し6時39分発大垣行き。わずか4分の滞在時間である。私は次の電車を待つ。木造の駅舎には改札もなく無人駅の筈なのだが、事務室には蛍光灯が灯っていて誰かいる気配だ。しかし誰も出ては来なかった。
 古くからある終着駅にはどこか哀愁が漂っている。このなんとも黄昏れた雰囲気が好きで、しばらくここにいたいと思うのである。駅舎をでて車止めのところまで歩いていき、折り返し電車を見送る。
停まっている貨物の向こうに 
屋根付きの貨物ホームが見える

 美濃赤坂駅は、巨大な廃墟のような、とても広い構内を持つ駅だった。何本もの、果たして使われているんだろうかと思わせるような引き込み線があり、貨物用と思われる建物付ホームや放置された貨物車がある。

 はたしてここはいったいどんなところなのか。駅舎の壁に石灰岩輸送の説明があり、ようやく納得がいった。資源小国日本にとって数少ない自給率100%を誇る石灰岩が、この先にある金生山で採れ、そこまで貨物専用の西濃鉄道の線路が続いているのだ。つまり美濃赤坂は、西濃鉄道とJR貨物の接点であり、線路はJR東海の管轄となっている。さらに駅はJR東海にとっては無人駅で、西濃鉄道が事務所として使っているという。これで無人駅に人がいる謎も氷解した。
東の外れに非電化の
西濃鉄道線が北に向
かって続いてる。 

 かつてはここから大垣夜行が出発・到着した時代もあったという。西濃鉄道も戦時中までは旅客扱いをしていたそうだ。しかし今は1日の乗降客が300人台のローカル駅となり、日に20本に満たない数の電車が大垣駅との間を往復するに過ぎない。

 7時01分発の2番電車が回送でやって来た。通勤通学で賑わう7時台には3本設定されている。いつの間にか通勤客が集まっていた。ドアが開き、全員クロスシートに収まり、大垣向けて出発する。
開扉を待つ通勤客

 電車はガタピシ揺れながら真っ直ぐなレールの上を走っていく。左にカーブし始めた途中に荒尾駅はあった。2両では持て余すような長いホームは、同じ曲率で綺麗に曲がっている。ここでも10人ほどの通勤客が乗ってきた。全員シートに座っても、まだ余裕は十分ある。立っているのは運転席後ろで車窓を楽しんでいる私だけだ。
 眩しく朝陽が降り注ぐ中を電車は複線線路に近づいて行った。その時初めてわかったことがある。荒尾駅は東海道本線のすぐ脇に設置されていたのだ。往路は真っ暗でわからなかったが、あのすれ違ったの貨物は、本線を行くコンテナ列車だった。こちらが徐行したのは、本線上りを通過する貨物列車を待つためであり、通過後に上り線路を横切って荒尾駅に進入したのだった。
 美濃赤坂線5.0㎞のうち、荒尾・美濃赤坂間はわずか1.6㎞に過ぎない。残り3.4㎞は東海道本線そのものだった。どうりで揺れも少なく爆走していたはずである。暗くて何もわからず、支線だと思い込んでいただけだった。それはともかく、これでようやく東海道線を乗り尽くした。
(2016/12/28乗車)

2016年9月25日日曜日

森の鉄道 リニモ


愛知高速交通 東部丘陵線


 先頭車窓から広がる風景は、まるで森の奥深くに沈み込んでいくジェットコースターのようだった。陶芸資料館南駅を出たリニモは緑豊かな丘陵地帯を右に大きく進路を変えながら高度をぐんぐんと下げていく。それがまるで絶叫マシンに乗っているかのような錯覚を与えてくれるのだ。愛・地球博記念公園に聳え立つ大観覧車を眺めてすぐの出来事だったことも影響していたかもしれない。架線も何もない不思議な乗り物リニモは、そんな不思議な体験をさせてくれる愉快な鉄道だ。


 名古屋市交通局1号線、東山線の終点藤が丘は高架駅となっていて、あたりは小振りな商業ビルが建て並んおり、お目当てのリニモらしきものはどこにも見当たらない。今回の旅は出張の仕事を片付けた後の、わずかな時間を利用したプチ旅行なので、何の予備知識もなくやってきたのだった。東山線が第三軌条方式の地下鉄だということも、乗り換え駅の名前もよくわからないまま、常温磁気浮上式リニアモーターカーに乗ってみたいという思いだけで、ここを訪れた。2005年に愛・地球博が開かれてからすでに10年以上が経っている。万博後にアクセス交通機関が廃止されてしまうことはよくあることだが、リニモは不思議と残っている。浮上式の鉄道はここだけなので、ぜひ乗車してみたかった。
 東山線を降りても見当たらないのは当たり前、リニモの藤が丘駅は地下にあった。手狭な階段を降りると地下一階は改札口のあるコンコース。わずか8.7キロの路線に370円という決して安くはない切符を買って地下二階まで降りると、安全のためにガラスで囲まれたホームが現れた。リニモは完全な無人運転を行うので、腰高のホームドアではなく、スクリーンドアが設置されている。東京のゆりかもめや舎人ライナーと同じだ。
 午後の閑散とした時間帯ということもあって、乗客はほとんどいないけれど、子供連れの親子が先頭の席にすわっているので、そのすぐ後ろのボックスシートに腰を下ろす。窓が大きく、しかも無人運転だから、前方の眺めはよい。列車のドアとスライドドアがわずかの時間差をおいて閉まると、滑るように走り始める。滑るようにとはまさに比喩でもなんでもなく、まったく上下動がないのだ。鉄輪の電車とも、ゴムタイヤの新交通システムとも全く異なる、新感覚の乗り物だ。ただし揺れないのかというとそうではなく、横揺れだけがある。これをなくせば完璧なのにと思いつつ、結構小刻みに揺れるものだから、超快適とまではいかないようだ。
 地下区間を1㎞ほど進んで地上に出れば、最初の駅「はなみずき通」である。沿線唯一の地上駅なのだそうだ。そこから先は高架式となり杁ヶ池公園に着く。難読駅だなあと思って駅名表示板をみると何ということはない。「いりがいけ」と読む。どうして木偏なのだろうか。どうやら日本で考案された漢字であるらしく、堤に設置する水量調節用の樋の意味なのだそうだ。愛知県の地名に多いというから、この地方には堤に突き刺した樋がいくつもあって、それを開け閉めして水量を調節したのかもしれない。
 続いて現れたのが長久手古戦場。秀吉と家康が激突した場所である。駅のすぐ脇に古戦場公園があるが、今は大学が集まりイオンモールがデンと控える街になっている。ここから先は丘陵地帯が連なり、緑が多くなってくる。そもそも愛知万博の際にリニモが導入されたのは、60‰の急勾配が続くために東山線の延長が難しかったことも関係している。勾配に強く、新交通システムより先端をいくリニアモーターカーが望まれたのだという。トヨタ博物館があったり大学が集まっていたりと、この辺りはアカデミックな地域である。それだけに人口はさほど多くなく、リニモの経営状態は決して良くはない。毎年累積赤字が膨らんでいるようだ。

 愛知万博の跡地は愛・地球博記念公園となってさまざまな施設が開放されているが、サブテーマが「循環型社会」という環境保全にかかわるものだったこともあって、遊園地型のテーマパークにはなっていない。丘陵地帯の自然を活かしたスポーツ施設が中心だから、乗客の大幅な増が期待できるようなところではないだろう。それだけに、私のようなお気軽なヨソ者にとっては、眺めの良い魅力あふれる風景が広がっているといえる。
 こうしていくつかの丘を巡り越えたところで、冒頭で触れた絶景駅に到着するのである。谷底には終点八草駅がある。リニモはここで折り返して、藤が丘へと戻っていく。わずか17分ほどの乗車だが、天気の良い日には快適な車窓が楽しめる鉄道である。

八草は愛知環状鉄道への乗り換え駅だ。こちらも乗り尽くしたいと思いつつ、本日中に東京に戻らなくてはならないので今回は諦めることにする。
(2016/9/25乗車)

2016年8月29日月曜日

四国乗り尽くしの旅ノート

初日 8月24日(水) 晴れ

京都上空
中央やや左下に
御所が見える 
  1. 7:25羽田発ANA531便高松空港行は昨日の台風の影響で機材が787から767-300に変更になった。787はバッテリー火災で曰わく付きの機材だが最新式に乗り損ねてガッカリ。
  2. 羽田32L からテイクオフ。大田区上空を左旋回し、羽田空港を見下ろしつつ木更津から三浦半島、伊豆半島、静岡、その後雲に覆われる。Jetstarと高速で擦れ違う。ちょっと興奮。左下に都会が見えてきた。古墳かな、違う、あれは御所だ。京都上空を飛んでいる。大阪を遠巻きにしながら瀬戸内海。淡路島、大鳴門橋が見え、四国に入る。高度が下がり、高松空港を眺めつつ、いったん通り過ぎて、左に180度旋回しタッチダウン。この席は大正解。
  3. 8:40高松空港にタッチダウン。リムジンバスで高松駅へ。途中琴電のターミナル瓦町を経由。
  4. 今回空路四国入りしたは、①新幹線代が高く、日中の移動は時間の無駄なため。②フリー切符「四国グリーン紀行」(4日間有効)が四国でしか買えないため。③宇多津三角線をすべて走破するには岡山から高知方面に抜ける必要があり、指定席指定を受けるにはフリー切符購入後でなければならないため。ということで、最初に目指すのは高知駅みどりの窓口だ。購入したもの、四国グリーン紀行。指定を受けたもの、南風(岡山→高知のグリーン席)、あしずり(高知→中村の指定席)、あしずり(中村→窪川の指定席)。それ以外は穴子めしとお茶。
  5. 四国最初の鉄道は、琴電。長尾線 屋島を眺め、白山の脇を抜けて長尾。直ぐ折り返し。瓦町下車。
  6. →高松琴平電気鉄道
  7. 瓦町始発の志度線に。海が綺麗。琴電志度は平賀源内の生まれた町だった。源内観光。凄い人だと思っていたが、案外普通に出来る人のように感じた。でも、この観光、面白かったのは、炎天下に誰もすれ違わない源内通りに旅を感じて癒やされたこと。高松築港に戻り、宇高フェリーへ。
  8. 宇高フェリーで連絡船を感じたかった。迫る島。横切る瀬戸内海定期航路。混雑した航路を巧みな操船ですり抜けていく面白さ。
  9. 宇野駅へ。当時の面影は全くなさそう。宇野線はいかにも本州の田舎の風景が広がっている。岡山から倉敷へ。時間が余っているので、おまけのツアー。
  10. 水島臨海鉄道。背の低い里山の間に工場と宅地が広がり、そこを走る工業貨物鉄道。やよいの手前から単線の高架となろが、ここからノロノロ運転。行きも帰りもだから、高架線が老朽化したからか。水島が実質的な終点。みなここで降りる。三菱自工までは二人。
  11. 三菱自工水島工場は燃費データ捏造事件のため休業中。閑散とした工業地帯を水島まで歩く。ここから岡山に戻り、東横インにチェックイン。夕食は駅の吾妻寿司で、ままかり、穴子等。
2日目 8月25日(木) 晴れ

阿波池田に虹が架かる
  1. 7:08岡山発南風1号高知行。グリーン席、進行右側は一人席。明け方に雨が降ったのか、虹が見える。茶屋町まではJR西日本。瀬戸大橋からの眺めは悪くない。宇多津の三角線はあっという間に過ぎる。高松方面の分岐と予讃線を確認しつつ、宇多津へ。多度津から土讃線が始まる。似た名前でこんがらがる。山が近づき、琴電の単線を越えて琴平到着。ここまでは電化されて、時々サンライズの終点となる。
  2. 次第に山深くなる。中央構造線が通る吉野川北側の山地をトンネルを抜けると、谷底にひっそりとスイッチバックの坪尻がある。普通列車が停車する無人駅をあっという間に通り過ぎる。シャッターを押したところピンぼけ写真が撮れた。
  3. 吉野川の手前でトンネルを抜けると、標高約180m。対岸の阿波池田は120mほど。1.4㎞ほどの距離を7㎞大回りして下っていく。このUカーブは土讃線の見どころの一つ。吉野川の上に綺麗な虹が架かっている。谷底は霧の名残、上空は晴天。感動的な風景だ。池田町を虹の円弧が飾っている。
  4. 列車は吉野川をさかのぼり、祖谷口から小歩危へと進む。ここからは車窓左側の景色が良い。後日また通るからと我慢。今日は大歩危が見たい。大歩危で停車。さあいよいよこちら側の景色が堪能できると思ったら、雪除けトンネル風の柱と柱の間から景色を断続的に眺めることに。これには若干興ざめ。列車のスピードが速く、のんびりと景色を楽しむことはできない。ここは車で訪れた方がいい。
  5. 新政からは高知市への下り坂となる。木々が生い茂り、見通しは今ひとつ。
  6. 9:39高知着。すぐにあしずり1号中村行に乗り換え。グリーン席はなく指定席へ。折角のグリーン紀行なのに残念。須崎付近で太平洋が見える。南国の海の色だが、曇りがちのため今ひとつ。窪川を越えて、前から来たかった川奥ループ。一瞬の出来事で良く確認できない。今日はあと2回通るので、写真はお預け。
  7. 土佐くろしお鉄道線内に入る。空が晴れてきて黒潮らしい海の風景が広がる。中村からは各駅停車。カラフルなラッピングが施されたSUKUMO号で終点宿毛を目指す。12:04宿毛着。
  8. 駅前で昼食。店内は満席。外は閑散としているのに。
  9. 12:50宿毛発。13:24中村発あしずり6号。南海トラフを震源とする大地震の際には津波が押し寄せるこの地域。無骨な足組がむき出しで五階建て位の高さの避難場所があちこちに設置されている。
  10. 窪川下車。予定外だが幸運にも、臨時のしまんトロッコ号宇和島行に乗ることができた。四万十川の渓流を楽しむ。
  11. →川奥ループと四万十川
  12. 宇和島着後、明日の宇和海2号(宇和島→伊予市)の指定席(またもやグリーン席なし)を確保。
  13. 宇和島オリエンタルホテルにチェックイン後、港まで散歩。そのあと、鯛めしを食べにぐるなびお薦めのかどやへいく。美味しい!

3日目 8月26日(金) 晴れ
大洲城
堰き止められて鏡のような肱川。
堰は右側奥にある。ベストポジシ
ョンまで行く時間的余裕し。  

  1. 宇和島始発の特急のなんと早いことよ。誰も乗車しない5:33発宇和島2号松山行。宇和島を出るとすぐに山登り。ミカン畑の間をうねるように登っていく。ところどころで宇和海の入り江が見え隠れする。入り組んだ地形はリアス式か。ミカンの熟する頃にもう一度訪れたいものだ。
  2. 6:03着の八幡浜で謎が解けた。高校生がどっと乗り込んでくる。松山(5:58着)まで通う生徒達だ。宇和島2号は高校生特急だった。
  3. 伊予大洲に近づく。肱川の鉄橋から大洲城が見える。肱川には堰が切ってあって、白く泡立つ川の上に城が美しく浮かんでいる様に見える。行ってみたくなった。
  4. 伊予大洲は長浜経由と内子経由の分岐点。特急はすべて内子線経由。内子線は新谷・内子間のわずか5.3㎞。それ以外は予讃線。
  5. 内子は、和ろうそくの町だったか、それとも和時計?
  6. 伊予市下車。駅前に伊予鉄道の郡中港がある。あとでまたここに来る。駅に戻って、長浜方面を通り再び伊予大洲へ。こうしないと予讃線の走破はできない。伊予長浜までは穏やかな伊予灘に沿って進む。伊予長浜からは肱川に沿って伊予大洲まで。こちらが本来の予讃線だが、内子経由の短絡線が出来てからは、ローカル線になった。
  7. 伊予大須駅での待ち時間はわずか40分。駅から大洲城まで大急ぎで往復する。往復2㎞なので計算上問題ないのだが、駅の階段上り下りも含めて、疲れた!
  8. 宇和島8号で松山まで、37分。
  9. 10:22〜16:12 伊予鉄めぐり。全線乗車! 一切観光なし、道後温泉もスルー。
  10. →松山の心くすぐる市内電車
  11. 松山16:28発、いしづち26号高松行。四国グリーン紀行を持ちながらグリーン車の設定がない特急が多すぎる。いしづちにもなし。ところが併合運転しているしおかぜ26号岡山行にはグリーン車がある。無念!
  12. 今治到着直前に瀬戸大橋、しまなみハイウェイが見えたが、距離遠く家々に阻まれ、写真撮影のベストポジションなし。駅近くのお城マンションは健在。駅そのものは高架になっていた。
  13. 宇多津三角線の予讃線側を通過、これでここは完乗!
  14. 18:54高松着。宿泊先はリーガホテルゼスト高松。リーガロイヤル系のビジネスホテル。ちょっと贅沢。街に出て讃岐うどんを食す。お疲れさま。
4日目 8月27日(土) 曇り時々雨、のち晴れ
ごめんなはり線  西分・夜須間

  1. 朝食はバイキング、久々のゆっくり出発。
  2. 8:23高松発うずしお3号徳島行にはグリーン車なし。やっぱり! 9:36徳島着、9:51発むろと1号牟岐行。天気も良くないためか、印象に薄い。
  3. 牟岐で海部行の各停に乗り換え。海部に着く頃から晴れてくる。山がないトンネルを越えて到着。徳島は地味な印象。海部駅は味も素っ気もない。ここでやってきたのが阿佐海岸鉄道のふうりん号。車内は奇妙な飾り付け。甲浦(かんのうら)は突然線路がなくなったという感じの終着駅。ここからは高知県。予算が尽きて、トンネルが掘れないから終点、みたいな。高架線路の下には、一応それらしい駅舎が建っている。ここに数名の旅行客が、室戸岬目指してバスを待つ。とにかく、公共交通機関を使って旅する人はほとんどいないのが現実。
  4. バスで室戸岬経由で奈半利まで。約2時間。
  5. 奈半利14:01発の土佐くろしお鉄道。青い空、深い色を湛えた青い海、白い波、どこまでも続く鉄路。この景色が見たかったのだ! 1時間の快適な旅。御免で下車。
  6. 御免から御免町まで徒歩1.2㎞。とさでんのLRT通過。シャッターチャンスを逃す。
  7. とさでん。専用軌道のような路面電車のような住み分け。はりまや橋のダイアモンドクロス。単線区間のタブレット。面白い路面電車だ。完乗!
  8. →「とでん」と言えば…
  9. 再び突然の雨。激しい雨。高知パレスホテルにチェックイン。夕食は、鰹のたたき三種盛り(かつお、塩鰹、鯨)。

5日目 8月28日(日) 曇り時々晴れ
金刀比羅宮奥社からの眺め
讃岐富士の向こうに瀬戸内海

  1. 高知→阿波池田。南風4号グリーン車。1時間11分間。進行右に席を取り、小歩危の景色を楽しむ。スピード早く、写真は撮れない。
  2. 池田高校確認。
  3. 吉野川下りは、徳島線の剣山4号で。グリーンなし。特段記すべきことなし。
  4. 徳島から鳴門へ。途中、レンコンばたけ?
  5. 池谷はデルタ駅。
  6. うずしお12号で高松へ。
  7. 四国最後の鉄道は、琴電琴平線。金比羅参り。讃岐富士を目指して走れ!
  8. →高松琴平電気鉄道
  9. 金刀比羅宮参り。階段は辛いが、折角来たのだからと、奥社まで行く。身体ふらふら。門前の讃岐きつねうどんが実に旨かった。どんぶりを覆い尽くす四角い油揚げ!
  10. 帰りは栗林公園下車。夕暮れの公園をすべて歩き回り見学終了。瓦町を通って、アーケード街を歩き尽くす。駅前でセルフのうどん屋に挑戦。缶ビールの注文で、自分で取らずに失敗!
  11. サンライズは21:16発車。駅の店は21:00には閉店。なんたること。入線したらすぐに乗車。出発前にシャワーも済ませてしまう。デラックスシングルは実に快適。ワインで祝杯。ほろ酔い気分でそのまま就寝。

6日目 8月29日(月) 晴れ? 

  1. 7:08東京着。四国全線走破の旅が終わった。総延長1113.1㎞を5日間でまわったことになる。達成感! 
  2. ただし鉄道の定義にもよるが、0.06%未乗路線がある。高松市の八栗山(五剣山)にある八栗ケーブル684mである。これは後日行きたいものだ。厳密にはこれを以て四国制覇とすべきだろうけれど、二度達成感を味わおうと思う次第。
  3. 祖谷温泉の露天風呂に降りるケーブルカーはどうする? これは、旅館内のエレベーター扱いとして記録からは除外できるかもしれない(乗りたいけれど)。長野県小諸市の菱野温泉常磐館には「登山電車」があり、こちらは途中で登りと下りが交換する本格的なケーブルカー仕様。でも、法規上はエレベーターだという。実際、ホールのドアと車両(?)のドアが連動して開閉し、乗った人は上下ボタンを押して移動する。まさに構造はエレベーターそのものだ。祖谷温泉のものは、一両が上下する、まさに斜めになったエレベーター。しかし、姿形は見事なまでにケーブルカーそのもの。番外として、乗らねばなるまい。
(2016/8/24〜8/29乗車)

2016年8月27日土曜日

「とでん」と言えば…


 高知で「とでん」と言えば、とさでん交通(旧土佐電鉄)の路面電車を指すらしい。ほかに電化された鉄道がないので、単に「電車」とも呼ばれているという。東京人が聞いたらびっくりするような話だが、南国土佐からみればびっくりする方がおかしいのかもしれない。
ホームからの眺め

 今、県外の人が高知を旅するなら、ぜひJRを利用することをお薦めする。初めて降りる高知駅のホームからの眺めに驚く人もいるに違いない。三体の銅像が背を向けているのだ。
 上野の西郷さんはいつも山手線の方を見つめている。JRを利用する人は多いから、銅像は人々から注目されるように、いつもこちらに顔を向けてくれているのだろう。
銅像ではなかった! 発砲スチロ
ール製なのだそうだ。400㎏もあ
るという。いつまで設置されるの
だろう。           

 しかし、高知の銅像はもっと高尚な志で立っているのだ。桂浜の坂本龍馬は勿論のこと、高知駅前の武市半平太先生、坂本龍馬先生、中岡慎太郎先生は、日本の将来を見据え、海の向こうの世界を見つめて立っていらっしゃる。

 われわれは旧来の常識に対して、もっと自由な発想で見つめ直す必要があるのだろう。土佐を訪れる人は、柔軟な発想で「電車」に乗るとよい。「とでん」もまた、とてもユニークな乗り物である。


路線図

御免線(はりまや橋〜御免町)
 
 御免町は土佐くろしお鉄道との乗り換え駅。終点らしくコンビニが付いた駅舎には、乗車券売場もある。ここからはりまや橋までは10.9㎞あり、約30〜40分かかる。

御免線の起点・御免町  
600形の主力電車。なお、これがとさでんカラー。


 とでんは、いわゆる路面電車の定義を覆すものだ。一見専用軌道のようにも見えるが、道路との境界は曖昧で、簡易的な踏切を見ても、やはりこれは道路の一部で、人や車が横切るところにだけに道を復元しているようにも思われる。これなら車と路面電車は競合しない。

路面電車? 専用軌道?  600形
アスファルトとレールが接しており、歩道部分を電車
が走っていると言えなくもない。また、アスファルト
の踏切とバラストを盛り上げた踏切がある。    

 はりまや橋の交差点は、複線と複線が十字に交わるばかりでなく、連絡する線路が花びらのような模様を描いて繋がっている美しい形だ。連絡線は高知駅方面と伊能駅方面を結ぶ所だけが複線で、それ以外は単線となっている。伊能線の枡形と桟橋線の高知駅前を結ぶ電車が朝方数本運転されるため、そこだけ複線になっているだ。

はりまや橋交差点   600形
縦が御免線・伊野線、横が桟橋線。
鉄道では線路が縦横に交わるのをダイアモンドクロス
と呼ぶが、ここでは更に縦横連絡線がつく珍しい形。
高速道路のダイアモンド型インターチェンジに近い。

伊野線(はりまや橋〜伊野)

 はりまや橋から伊野までは11.2㎞、45分程度。御免線と伊野線をあわせて東西線と呼ぶ。ただし東西線を端から端まで走破する電車は設定されていない。御免町からは鏡川橋まで、伊野からは文珠通までで、それ以外は文殊通と鏡川橋の間を往復している。

100形ハートラム 伊野線
超低床・三車体の連接電車。とでん唯一のLRT。

 伊野までへ行く場合には、鏡川橋で乗り換えることが多い。旅する人にわかりにくいのは、鏡川橋には降車専用ホームと乗降ホームの二つがあることだ。電車は一旦降車専用ホームで客を降ろし、少し先の乗降ホームで乗り継ぎ客を降ろす。この駅止まりの電車はそこで引き返して、渡り線を通ってはりまや橋方面に戻っていく。
 事情がよくわかっていなかった私は、降車専用ホームで降りてしまい、後続の伊野行に乗り損ねそうになってしまった。安全地帯も何もない道路の真ん中を乗降ホームまで駆けなければならなかった。折り返し電車が多いために、下車する人の便を図って、手前に降車専用ホームをつくったと思われるが、何ともわかりにくい。
 
 伊野線は鏡川橋から先が面白くなる。乗降ホームのところから単線になり、橋をわたると、その先の道路が急に狭くなる。

鏡川橋・伊野間は単線
鴨部・朝倉駅前では片側一車線の道路に単線の路面
電車が走る。写真は電車後方を撮影したもの。バス
が遠ざかっていく。つまり、驚くべきことに、現在
電車は対向車線を走っている。         

鴨部・朝倉間には二箇所の交換施設がある。
朝倉で鏡川橋行と交換する。

 下り電車がここに差し掛かると、対向車線を走ることになるので、それを知らないドラーバーは前からやって来る電車を見てパニックに陥るだろう。しかも右側にはこちらに向かってくる自動車もある。一瞬一方通行路に迷い込んだと勘違いするのではなかろうか。ここは落ち着いて対向車が途切れるのを待ち、右から追い越すような感じですり抜けるしかない。
 さて、単線区間での信号扱いはどうなっているのだろうか。鏡川に近い市場前信号所には、進入指示の信号機が設置されているので、自動信号機によって正面衝突を防いでいることがわかる。

市場前信号所にある進行指示の
信号。この先鏡川橋までは、信
号の指示に従って運行する。 

 その先はなんとタブレット交換だった。路面電車で行われている例は、ほかにあるのだろうか。しかし考えてみれば、常に目視で安全を確認する路面電車だけに、この前近代的な方法は、似合っていなくもない。かえって安価で確実な合理的解決に思えてくる。設備投資だけがすべてではないかもしれない。その場その場にあった柔軟な発想が大切だろう。

朝倉駅・北山間は単線の専用軌道区間となる。後ろ
の電柱に自動車の追い越し禁止の標識がある。線路
専用軌道ではなく路面の一部であることを示して
いるのではないだろうか。    八代信号所  

 タブレットは、多客時に数台の電車が続行運転可能なように、通票式のものが採用されている。近頃激減してしまったものが、生活路線でまだ息づいているのは嬉しいものだ。このような古い仕組みでは、一人ひとりの運転手が機械と一緒になって安全に気を配る必要があり、確かに効率は良くないかもしれないが、それを動かす人の役割が重要だ。時間がゆっくり流れていると感じるのは、人がついていける位のスピードだからだろう。目に見える安全、ブラックボックスにならない仕組み。なんと癒される鉄道ではないか。

運転台脇に置かれたタブレット

三角穴の通票がキャリアに
収められている     

 終点の伊野はJR土讃線の伊野駅からも近い。ここにも待合室があり、終点らしい風格がある。と言っても、商店に並んで建つ、瓦屋根の小さな待合室だ。威張らない、肩肘張らない庶民の乗り物である。

伊野線終点の伊野 600形

桟橋線(高知駅〜はりまや橋〜桟橋通五丁目)

 はりまや橋まで戻り、桟橋線に乗る。桟橋線は南北線とも呼ばれるわずか3.2㎞の路線だ。全線が路面電車で、繁華街に近いところは暑さ対策のために敷石がはがされて芝生が張られている箇所もある。あっという間に終点の桟橋五丁目に着く。桟橋だからといっても海が見えない。空が広く、気配は港なのだが、高い壁が立ちはだかっていて、その向こう側が見えないのだ。

終点の桟橋五丁目の脇には高い壁がある。その向こう
に何があるかは、電車からはわからない。     

電車を降りて、壁に沿って歩くと金属製の階段が
あった。昇ってみてその向こうが海であることを
知る。まさに桟橋であった。壁の向こう側に電車
の屋根が見える。              

 歩き回って、壁の上に続くステップを見つけた。昇ってみると、港が広がっていた。陸地は、いかにも高潮には弱そうな0メートル地帯だった。終点のすぐとなりにはとさでん交通の基地、桟橋車庫がある。今回お目にはかかれなかった外国製の電車もおそらくここにあるのだろうが、残念ながらみえない。

立ち入り禁止の札があって、これ以上中には入れない。

 次第に日が暮れてきた。そろそろ今日の旅は終わりにしよう。帰りは高知駅前まで乗って、とでん全線走破の旅を終えることにした。総延長25.3㎞。開業明治37年のとでんは、現役最古の路面電車でもある。

暮れなずむ桟橋五丁目

 翌朝高知を去る前に、もう一度とでん高知駅前を訪ねた。今度来るときは必ずオーストリア、ポルトガル、ノルウェイからやって来た路面電車に会おう。そう思いつつ、JR高知駅に向かった。今日も半平太・龍馬・慎太郎はそっぽ向いている…

高知駅前
(2016/8/27乗車)

2016年8月26日金曜日

松山の心くすぐる市内電車

路面電車だけじゃない市内電車
西堀端付近

 坊ちゃん列車をはじめとしてなにかと話題豊富な松山の路面電車。伊予鉄道ではそれを路面電車ではなく市内電車と呼んでいる。郊外電車と区別するためだろうが、要するにLRT(軽量軌道交通)のことだ。
 JR松山駅から旅を始める観光客にとっては、道後温泉へ行くにも松山城に登閣するにもすこぶる便利だし、住む人達にとってもショッピングや仕事に重要な市内を移動するには欠かせない鉄道だから、まさに市内電車というネーミングがぴったりなのだろう。
 ただ鉄道愛好家の視点からすると、路面電車と呼べない事情がある。それこそ松山市内電車のもう一つの魅力なのだ。

伊予鉄道市内電車路線図      

伊予鉄道では路線図の転載を認めていないようだ。
上図はWikipedia「伊予鉄道」より。       

 市内電車のうち城北線と名付けられた古町・平和通一丁目間(環状線の一部)は路面電車ではない。法律上も軌道ではなくて鉄道となっている。もう少し詳しく説明すると、市内電車のほとんどは路上を複線で走る路面電車だが、ここだけは民家の間を単線で走っているのである。
 JR松山駅前はいつも観光客で賑わっている。多くは市内電車の環状線内回り専用ホームに向かい、松山市駅、城のある大街道、道後温泉を目指していく。一方外回り専用ホームに向かう人はほぼ地元の人達である。こちらから観光地に向かうのは遠回りであるし、そもそも道後温泉行はないからだ。外回り電車のうち、5号線道後温泉行はここで引き返すので、単線区間にあわせて電車の本数は少なくなる。

JR松山駅前外回り専用ホーム。前方が単線になって
いる。オレンジの電車が古町方面からやって来るのを
待って、白い電車が発車する。          

単線だから途中で列車交換がある。さらに城北線は郊外電車と交差までする。ここが珍しい。郊外電車から見ると、場違いなところに路面電車が迷い込ん出来たように見える。


郊外電車高浜線の線路を横切る市内電車

一方、LRT側から見ると、おそるおそる様子を伺いながら通らせて貰っているかのように見える。

外回り電車は高浜線高浜行き通過するのを待つ。
高浜行きが古町到着すると、ポイントが開く。

路面電車?が普通の鉄道を横切るというのも妙な感じ
だが、線路の幅は共通、1067㎜狭軌だ。      
 
城北線の古町駅にまもなく到着。ここには郊外電車と
市内電車の車庫がある。             

単線区間のため、交換列車待ちをする。

 ここから先は、民家の間の狭い空間を平和通一丁目まで進み、そこから路面電車となって複線に戻る。

坊っちゃん列車がゆく
市役所前からの城の眺め

 松山のお城は平山城だけあって、いろいろな場所から眺められ、街のシンボルとなっている。お城と市内電車の取り合わせも絵になる風景だ。ましてや山の麓をのんびり走る坊っちゃん列車が観光客に人気があるのも当たり前だろう。人が多く集まる松山市駅と道後温泉の間を日に6〜7往復している。それほど頻発しているわけでもないので、たとえ乗車していなくても、すれ違ったりすれば心時めくこと請け合い、まさに一大イベントだ。
 それにしても漱石が『坊っちゃん』で描く松山の第一印象は決して褒められたものではない。「野蛮なところだ」と罵り、その後に出てくる有名な汽車のくだりは次の通り。

  停車場はすぐ知れた。切符も訳なく買った。
 乗り込んでみるとマッチ箱のような汽車だ。
 ごろごろと五分ばかり動いたと思ったら、も
 う降りなければならない。道理で切符が安い
 と思った。たった三銭である。それから車を
 傭って…

とそのまま赴任先の旧制松山中学に出向いていく。漱石が描く市井の風景は罵倒されていることが多いのだが、大文豪にとりあげて貰っただけで有り難いことかもしれない。伊予鉄の人達は、このマッチ箱のような汽車を再現してしまった。
道後温泉に向かう電車の横を
坊っちゃん列車がすれ違う。

 街中で蒸気機関車を走らせるわけには行かないので、SLの形をしたディーゼル機関車に、湯気でつくったフェイクの煙を吐かせて、というところに伊予鉄マンの執念を感じる。しかも機関車は終点で向きを変えなければならない。路上にターンテーブルなど設置できないから、台車はそのままに、ボディーだけを回転させるというギミックまで考えて実現した。
松山市駅での付け替え作業
左側ホームでは多くの人が
見守っている。     

 そして、マッチ箱の客車の付け替えは人力で。それらが見せ物になっている。明治が再現されているのだ。観光客はもう『坊っちゃん』の世界に浸っている。この後は、市内のいたる場所に設置されている俳句ポストに、一句ひねって投げ入れたくなるに違いない。ここは漱石の親友正岡子規ゆかりの松山だから。
 
注)東京の葛飾柴又には鰻屋が集まっている。その中で一軒だけ『彼岸過迄』でとりあげられた店がある。今でも漱石にとりあげられたことを宣伝しつつ、多くの人で賑わっている。
『二人は柴又帝釈天まで来て、川甚という這入って飯を食った。そこでらえた蒲焼たるくて食えないと云って、須永はまた苦い顔をした。先刻から二人の気分が熟しないので、しんみりした話をする余地が出て来ないのを苦しがっていた敬太郎は、この時須永に「江戸っ子は贅沢なものだね。細君を貰うときにもそう贅沢を云うかね」と聞いた。』
 須永に批判的な書き方とはいえ、現代小説でこのような取り上げられかたをしたら、クレームものだろう。


有名な大手町交差点

高浜行が通過する

 市内環状線の中に古町で入り込んできた高浜線は、環状線の外にある松山市駅へ向かうため、もう一度交差する。そこが大手町の交差点だ。全国的にはこちらの方が有名で、路面電車と郊外電車の複線どうしが、ほぼ直角に交差することで評判の場所。道路に綺麗なダイアモンドクロッシングが描かれる。上を見上げると架線もダイアモンドクロスになっている。架線同士が繋がっているということは、郊外電車も市内電車も同じ600Vで走っていることを意味する。低電圧の郊外電車だ。
大手町の後方にJR松山駅が見える
ここを通過する際に車輪から発せられる音にも人気がある。タンタンタンタンタンタンタンタン。けたたましく、せわしなく、高らかに音を響かせながら、郊外電車も市内電車も通過していく。もちろん徐行しながらだ。編成の長い郊外電車の方が車輪の数が多い分、迫力もあって面白い。
 高浜線側に遮断機が設置されているのだが、道幅が広いので、歩行者と自動車だけに向けたものになっている。市内電車には必要ないと思っているのだろう。
 
 観光客にも鉄道愛好家にも市民にも愛される伊予鉄市内電車。遊び心満載で、心くすぐられる鉄道だった。各地で廃線の便りが聞かれる今日、市内電車にはいくつかの延長計画があるようだ。まず、JR松山駅の高架化に伴う駅前駅の移動。そして、松山空港への延長計画である。いつのことになるかはわからないが、一日でも早く実現することを期待したい。
(2016/8/26乗車)