2016年8月26日金曜日

松山の心くすぐる市内電車

路面電車だけじゃない市内電車
西堀端付近

 坊ちゃん列車をはじめとしてなにかと話題豊富な松山の路面電車。伊予鉄道ではそれを路面電車ではなく市内電車と呼んでいる。郊外電車と区別するためだろうが、要するにLRT(軽量軌道交通)のことだ。
 JR松山駅から旅を始める観光客にとっては、道後温泉へ行くにも松山城に登閣するにもすこぶる便利だし、住む人達にとってもショッピングや仕事に重要な市内を移動するには欠かせない鉄道だから、まさに市内電車というネーミングがぴったりなのだろう。
 ただ鉄道愛好家の視点からすると、路面電車と呼べない事情がある。それこそ松山市内電車のもう一つの魅力なのだ。

伊予鉄道市内電車路線図      

伊予鉄道では路線図の転載を認めていないようだ。
上図はWikipedia「伊予鉄道」より。       

 市内電車のうち城北線と名付けられた古町・平和通一丁目間(環状線の一部)は路面電車ではない。法律上も軌道ではなくて鉄道となっている。もう少し詳しく説明すると、市内電車のほとんどは路上を複線で走る路面電車だが、ここだけは民家の間を単線で走っているのである。
 JR松山駅前はいつも観光客で賑わっている。多くは市内電車の環状線内回り専用ホームに向かい、松山市駅、城のある大街道、道後温泉を目指していく。一方外回り専用ホームに向かう人はほぼ地元の人達である。こちらから観光地に向かうのは遠回りであるし、そもそも道後温泉行はないからだ。外回り電車のうち、5号線道後温泉行はここで引き返すので、単線区間にあわせて電車の本数は少なくなる。

JR松山駅前外回り専用ホーム。前方が単線になって
いる。オレンジの電車が古町方面からやって来るのを
待って、白い電車が発車する。          

単線だから途中で列車交換がある。さらに城北線は郊外電車と交差までする。ここが珍しい。郊外電車から見ると、場違いなところに路面電車が迷い込ん出来たように見える。


郊外電車高浜線の線路を横切る市内電車

一方、LRT側から見ると、おそるおそる様子を伺いながら通らせて貰っているかのように見える。

外回り電車は高浜線高浜行き通過するのを待つ。
高浜行きが古町到着すると、ポイントが開く。

路面電車?が普通の鉄道を横切るというのも妙な感じ
だが、線路の幅は共通、1067㎜狭軌だ。      
 
城北線の古町駅にまもなく到着。ここには郊外電車と
市内電車の車庫がある。             

単線区間のため、交換列車待ちをする。

 ここから先は、民家の間の狭い空間を平和通一丁目まで進み、そこから路面電車となって複線に戻る。

坊っちゃん列車がゆく
市役所前からの城の眺め

 松山のお城は平山城だけあって、いろいろな場所から眺められ、街のシンボルとなっている。お城と市内電車の取り合わせも絵になる風景だ。ましてや山の麓をのんびり走る坊っちゃん列車が観光客に人気があるのも当たり前だろう。人が多く集まる松山市駅と道後温泉の間を日に6〜7往復している。それほど頻発しているわけでもないので、たとえ乗車していなくても、すれ違ったりすれば心時めくこと請け合い、まさに一大イベントだ。
 それにしても漱石が『坊っちゃん』で描く松山の第一印象は決して褒められたものではない。「野蛮なところだ」と罵り、その後に出てくる有名な汽車のくだりは次の通り。

  停車場はすぐ知れた。切符も訳なく買った。
 乗り込んでみるとマッチ箱のような汽車だ。
 ごろごろと五分ばかり動いたと思ったら、も
 う降りなければならない。道理で切符が安い
 と思った。たった三銭である。それから車を
 傭って…

とそのまま赴任先の旧制松山中学に出向いていく。漱石が描く市井の風景は罵倒されていることが多いのだが、大文豪にとりあげて貰っただけで有り難いことかもしれない。伊予鉄の人達は、このマッチ箱のような汽車を再現してしまった。
道後温泉に向かう電車の横を
坊っちゃん列車がすれ違う。

 街中で蒸気機関車を走らせるわけには行かないので、SLの形をしたディーゼル機関車に、湯気でつくったフェイクの煙を吐かせて、というところに伊予鉄マンの執念を感じる。しかも機関車は終点で向きを変えなければならない。路上にターンテーブルなど設置できないから、台車はそのままに、ボディーだけを回転させるというギミックまで考えて実現した。
松山市駅での付け替え作業
左側ホームでは多くの人が
見守っている。     

 そして、マッチ箱の客車の付け替えは人力で。それらが見せ物になっている。明治が再現されているのだ。観光客はもう『坊っちゃん』の世界に浸っている。この後は、市内のいたる場所に設置されている俳句ポストに、一句ひねって投げ入れたくなるに違いない。ここは漱石の親友正岡子規ゆかりの松山だから。
 
注)東京の葛飾柴又には鰻屋が集まっている。その中で一軒だけ『彼岸過迄』でとりあげられた店がある。今でも漱石にとりあげられたことを宣伝しつつ、多くの人で賑わっている。
『二人は柴又帝釈天まで来て、川甚という這入って飯を食った。そこでらえた蒲焼たるくて食えないと云って、須永はまた苦い顔をした。先刻から二人の気分が熟しないので、しんみりした話をする余地が出て来ないのを苦しがっていた敬太郎は、この時須永に「江戸っ子は贅沢なものだね。細君を貰うときにもそう贅沢を云うかね」と聞いた。』
 須永に批判的な書き方とはいえ、現代小説でこのような取り上げられかたをしたら、クレームものだろう。


有名な大手町交差点

高浜行が通過する

 市内環状線の中に古町で入り込んできた高浜線は、環状線の外にある松山市駅へ向かうため、もう一度交差する。そこが大手町の交差点だ。全国的にはこちらの方が有名で、路面電車と郊外電車の複線どうしが、ほぼ直角に交差することで評判の場所。道路に綺麗なダイアモンドクロッシングが描かれる。上を見上げると架線もダイアモンドクロスになっている。架線同士が繋がっているということは、郊外電車も市内電車も同じ600Vで走っていることを意味する。低電圧の郊外電車だ。
大手町の後方にJR松山駅が見える
ここを通過する際に車輪から発せられる音にも人気がある。タンタンタンタンタンタンタンタン。けたたましく、せわしなく、高らかに音を響かせながら、郊外電車も市内電車も通過していく。もちろん徐行しながらだ。編成の長い郊外電車の方が車輪の数が多い分、迫力もあって面白い。
 高浜線側に遮断機が設置されているのだが、道幅が広いので、歩行者と自動車だけに向けたものになっている。市内電車には必要ないと思っているのだろう。
 
 観光客にも鉄道愛好家にも市民にも愛される伊予鉄市内電車。遊び心満載で、心くすぐられる鉄道だった。各地で廃線の便りが聞かれる今日、市内電車にはいくつかの延長計画があるようだ。まず、JR松山駅の高架化に伴う駅前駅の移動。そして、松山空港への延長計画である。いつのことになるかはわからないが、一日でも早く実現することを期待したい。
(2016/8/26乗車)

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