2017年9月8日金曜日

木曽谷の森林鉄道


森林浴鉄道

 木曽の檜(ヒノキ)は、青森ヒバ・秋田スギと共に日本三大美林のひとつに数えられる。そしてここ赤沢自然休養林は、日本の森林浴発祥の地でもある。美林の中を散策すると、樹木が発散するフォトンチッドによって免疫力が向上するし、その香りによって心はリラックスする。ストレスに痛めつけられた現代人にとって、ここは癒しの場そのものだ。
アメリカ製蒸気機関車
ボールドウイン号(1916年〜1960年)
残念ながら静態保存

 高度経済成長期、伐採された樹木を運搬するための森林鉄道が日本中に造られ、木曽地方だけでも総延長500㎞に及ぶレールが敷かれた。線路幅がわずか762㎜しかない簡易鉄道である。それが今でもわずか1.1㎞だけ残されている。というよりも、1975(昭和57)年に一旦は全廃されたものの、1987(昭和62)年に自然休養林内の施設として復活した。であるから、赤沢森林鉄道は東京ディズニーリゾートのウェスタン鉄道と同じように正式な鉄道ではなのだが、だからといって作り物ではなく、日本遺産にも指定された歴史的建造物なのだ。
檜の大木の下、
赤沢の渓流を行く
森林鉄道

 森林鉄道記念館が併設された乗り場から、丸山渡(まるやまと)停車場まで、列車は赤沢の渓流に沿ってコトコトと走る。わずか7〜8分で着いてしまう短い旅だが、あたりには樹齢300年に及ぶ檜の自然木や、伊勢神宮の式年遷宮のために植林された檜などが生い茂り、途中には沢に架けられた二つの木製の橋を渡るなど、変化に富んだ風景が広がる。屋根だけが付いた吹きさらしのトロッコ客車に揺られているだけで、森林アロマセラピーができてしまうという贅沢な乗り物だ。
 渓流の沿って整備された「ふれあいの道」を散策する人達も、1時間に1本の森林鉄道が通るのが楽しみのようで、笑顔で手を振ってくれる。つられてこちらも年甲斐もなく手を振ってしまう頃には、すでに心も癒されている。
機回し線を戻ってくる機関車。
環境に配慮して煙の出ない
ディーゼル機関車を新造した

 丸山渡停車場で降りて、そこからはいくつもある散策コースを歩いて出発地点まで戻る人も多い。機関車を付け替える5分ほどの間、森林鉄道の前で記念撮影したり、せせらぎまで下りて一息入れるだけの人もいる。中には復路も森林鉄道を利用し、列車に乗ったまま森林浴を済ませてしまう人もいる。

 森林鉄道は麓に木材を運ぶことが目的だから、上流に向かう際は機関車はバック運転、荷を満載して下流に向かう際は前進運転となる。バック運転の場合、機関士は身体を捩って後ろを振り返るような格好で運転操作を行う。長時間運転の際は、さぞや苦しいことだろうと思う。

オープンな客車に坐っていると、
アロマの風が頬を流れて快い  

 この地はもともとは皇室の御料林だったこともあって、ひときわ大切に保護されてきた。森林鉄道記念館には、今上天皇が皇太子時代に訪れた際に乗車された貴賓車が残っている。小さな客車の中には、白いカバーの掛かった椅子が置かれていたが、決して豪華なものではない。
あすなろ橋を渡れば終点は近い

 また理髪車と呼ばれる特殊車両が展示されていて、山間で不自由な生活する人々のために、散髪のための施設が各所を回ったと説明がある。森林鉄道はそこで暮らす人々には欠かすことの出来ないものだったことが窺い知れる。しかしながら、あくまでも木材運搬が目的であって、人間様は二の次だ。1961(昭和36)年に上松運輸営林署が布告した掲示には「便乗中万一災害が発生した場合に於いても営林署は民法及国家賠償法に基づく損害賠償の責任は負いません」とあり、あくまでも自己責任で乗車せよと、今では考えられないようなことが書かれている。昨今の消費者(乗客)に過保護な姿勢も如何なものかと思うが、これはこれでまた凄い。日本人は真面目で、どこまでも極端なんだなあと思ってしまう。
(2017/9/8乗車)

 注)駅や車内で繰り返される録音放送は、列車の接近に始まり、行き先や停車駅、更には接近すれば注意を促す。時には録音を遮って、駅員が生で語りかけて来ることもある。実にうるさいし、そもそも客を弱者扱いし過ぎだ。事故が起これば、鉄道会社の安全配慮義務を問われるから、その対策なのだろうけれど。

【赤沢自然休養林への行き方】
中央線上松(あげまつ)あるいは木曽福島までは、名古屋から特急しなので1時間25分。そこから先は専用バス(1日3〜5往復)で、上松からは30分、木曽福島からは45分。

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