2017年12月20日水曜日

明治の鉄道遺産めぐり

日本初の市電に乗る

 鉄道好きにとって愛知県犬山の明治村は見逃すことのできないユニークな博物館だ。明治時代の鉄道建造物だけでなく、園内をめぐる乗り物そのものが動く鉄道遺産だからだ。
品川燈台駅にて

 名古屋大学の前身、旧第八高等学校から移築された正門を入って長い坂を下ると、そこは市電京都七条駅。タイミングが合えばチンチンと鐘を鳴らして路面電車が通り過ぎる。仮にここで出会えなくても気にせず先を急ごう。目指すは品川燈台、京都市電の始発駅である。

 明治村は日本の「ため池百選」に選ばれた入鹿池に面し、広大な園内には70近くの歴史的建造物が点在する。歩いて回るのも楽しいが、とにかく広いので乗り物を上手に利用するとなおさら面白みが増す。まずは見晴らしのよい南東の端にある品川燈台から鉄道を乗り継いで、北の外れのSL東京駅を目指すのがおすすめだ。

 京都市電(当時は京都電気鉄道)は日本で最初の営業用電気鉄道である。日本で初めて電車が走ったのは明治23年東京上野で開かれた第四回内国勧業博覧会の会場だったが、東京市内は馬車鉄道のままであり、営業用としては明治28年の京都市電に栄誉を譲る。日本で最初に水力発電を行った蹴上発電所から電力を受けていたことでも有名だ。明治村では明治43年製の電車が走っている。
ダブルルーフには明かり取りの窓
がよく似合う。すりガラスにはお
しゃれな模様が。       

 茶とクリームのツートンカラーに、時代を感じさせるダブルルーフ。その上にはポールと呼ばれる竿の先に滑車の付いた集電器が載り、運転台は吹きさらしだ。車体の前後には万が一横切る通行人がいた場合、命を守るための救助網がついている。車輪は2軸4輪が無骨な板バネに支えられている。4輪というとまるで自動車のようだが、鉄道好きには最近見かけなくなった貨車のように見える。ただしモーターが付いているので、詳しい話は省略するが、レールに接した車輪とモーターが密着しているので振動が激しく、うなるような大きな音をたてて、ゆっくりと進んでいく。速度が出ない上に、ブレーキの効きがよくないので止まるのも大変だ。警報のチンチンという鐘の音を鳴らしながら、シューシューと制動をかけながら減速する。金糸で装飾された威厳のある制服を着た運転手さんが、神経を集中させてマスコンとブレーキを操っている。熟練した技だ。動態保存だからこそ味わえる音と振動が、五感を通して昔の市電を感じさせてくれる。
市電京都七条駅にて

 品川燈台から京都七条までは入鹿池の湖畔をめぐるルートで眺めがよい。京都七条周辺は最も人通りの多いメインストリートを横切るため路面電車の趣が漂っている。実際の京都市電は発足当時事故が絶えなかったので、安全のために信号人や告知人と呼ばれる先走りの少年がいた。明治村では、踏切などない時代を模して、メインストリートに告知人の中年男性を配して安全を呼びかけている。
カーブを曲がれば終点は近い。

 京都七条から終点市電名古屋駅までは、谷間にある第四高等学校の武道場「無声堂」を見下ろすように山林の中を進んでいく。オメガカーブとも呼ばれる大きな迂回路だ。本来路面電車だったので、このような場所は通らなかったはずだが、明治の電車に雑木林は一幅の絵になるほど相性が良い。市電名古屋駅で下車し、少し登ったところにSL名古屋駅はある。


陸蒸気と明治村の繋がり
SL名古屋駅に到着する12号機関車

  新橋・横浜間に鉄道が開業したのは1872(明治5)年。日本にはまだ大学がなく、廃刀令や西南戦争もこの後のことで、碌な道路もない時代に産業革命の申し子だった汽車が走るというのも不思議に思えるかもしれないが、悪路だからこそ鉄のレールを敷けば走れたのだと考えれば、道路よりも鉄道が発達したことがうなずける。
 開業から2年目にイギリスから輸入された陸蒸気が、146年経った今も元気に明治村で走っている。シャープ・スチュアート社製の12号機関車は動輪が二軸で炭水車を牽引しないBタンクと呼ばれるタイプだ。後ろに繋がれている客車は、当時のものではなく、青梅や新宮から持ち運ばれたものだが、すっかり周囲に溶け込んで違和感がない。
向きを変えて機周り線をゆく。

 SL名古屋駅に到着すると、すぐに機関車は客車から切り離されて、ホームの先に設置された転車台へと向かう。そこで機関士と機関助手が力を合わせてターンテーブルを回し、向きの変わった機関車は機周り線を通って客車に繋がれるのである。この間の作業が面白く、乗客たちは食い入るように見つめている。
 汽笛の合図とともに出発。重い客車を牽引するため、ゆっくりとした加速で進んでいく光景は、蒸気機関車ならではの趣きだ。せっかちな現代人も、ゆったりとした時間の経過に酔いしれる。途中駅はなく、菊の世酒蔵の巨大な建物の脇を通り過ぎると、有名な帝国ホテル中央玄関が見えてくる。フランク・ロイド・ライト設計の建物は、明治村の一番奥でひときわ偉容を誇っている。赤い鉄橋を渡れば、そこはSL東京駅である。
SLは30分から1時間に1本運行され
ている。           

 東京駅に隣接して、転車台と機関庫が設置されている。東京駅のホームからは石炭庫や給水施設が見える。ここでも機関士による人力の転車シーンが楽しめる。走行距離こそ短いが、明治村の鉄道施設はすべて本格的なものだ。名古屋鉄道に関係深いだけのことはある。
 12号機関車は東海道線で働いたあと、明治の終わりには名古屋鉄道の前身の一つ尾西鉄道に払い下げられた。その際に国鉄時代は165号機関車だったのが現在の12号に改められたのだという。だから陸蒸気であっても、12号には特別な思い入れがあるのだろう。
尾西鉄道1号機関車と六郷川鉄橋

 明治村と尾西鉄道・陸蒸気の関わりは他にもあって、尾西の1号機関車が静態保存ながらも展示されている。しかも、それは1878(明治10)年に架けられた、陸蒸気が行き来する六郷川鉄橋の上になのだから、ますます凝った展示といえよう。この鉄橋は、六郷川での役目を終えた後、御殿場線に移設され、最後に明治村で余生を送っているものだ。
(2017/12/20乗車)

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