2008年11月6日木曜日

東急電鉄を極める


田園都市線を乗り尽くす


 表参道から運転台の後ろに立つ。田園都市線の鉄路が見たかったからである。半蔵門線は表参道を出ると坂を下って緩やかな右カーブを描く。実際には見えないが、右側を併行して走る銀座線がそのまま真っ直ぐに頭上を越えていくようだ。宮益坂の下、更に渋谷川の暗渠のはるか下を掘られたトンネルを右へ右へと進みながら渋谷駅が見える頃にはシーサースクロッシングが光って、ここが半蔵門線の終着駅でもあることを感じさせてくれる。渋谷駅ホームのデザインは半蔵門線カラーである。 渋谷駅で乗務員が交代し、ここからは東急田園都市線となる。池尻大橋側にシーサースクロッシングはなかった。上りから下り、池尻大橋側へのシングルクロスのみである。東急としては、渋谷での折り返し運転は原則として考えていないのだろろう。今回乗車したのが急行のため、対面式の池尻大橋を減速することもなく通過し、最初の停車駅は三軒茶屋である。乗車数は多くないのでかぶりつきから見ているのは少々照れくさいが、そこはぐっと我慢する。急行電車が桜新町で各駅停車を追い越すのを以前から見たかったためである。

 東急田園都市線はかつて新玉川線と呼ばれただけあって、新しい鉄道である。ゆったりした幅を持つ国道246の下を通るということもあって、直線と緩やかなカーブとアップダウンが特徴であり、駅構造も対面式のため高速運転が可能だ。急行停車の三軒茶屋でさえ対面式なのに各駅しか止まらない駒沢大学が島式ホームなのはなぜなのだろう。しかも2本のシールド工法で造られた駅でもないのに、ホームの間には壁があるのも奇妙だ。ひょっとして246の上を通る首都高速の支柱がここまで降りてきているのかもしれない。

 高速運転のコンセプトは桜新町でも貫かれている。通過線側は直進し、駅ホームに向かって右側にポイントが開き、各駅はそこで通過待ちをする。建設費用のかかる贅沢な仕様だ。各駅停車のテールランプとホームのまぶしい照明の中、各駅の車掌が通過列車の確認を行っていた。ホーム端からは急行列車の写真が撮れそうである。ホームと通過線の間はコンクリートの壁で塞がれていた。

 上り坂の果てに地上の光が見えてくると二子玉川が近い。二子玉川といえば僕にとっては半世紀近く前に幼稚園の遠足でいった時に乗ったジェットコースターであり、人生最初の絶叫マシン体験である。ただ残念ながら映像記憶は全くなく、降りてきた後の母親の「怖かったね」か「面白かったね」か、それともその両方の言葉かの記憶(印象?)だけが残っている。だから、後年ナムコワンダーエッグが話題になろうが、ニコタマの愛称でお洒落な街と喧伝されようが、単なる遠足先に過ぎなかったのである。しかし、そんなおやじの思い出話とは全く関係なく二子玉川は東急の要衝として激変しつつある。田園都市線の混雑解消の切り札として、大井町線への乗客の流れを促そうという大計画がまさに進行中だからである。大井町線に急行を走らせ、溝の口まで複々線化して田園都市線の利用客を大井町線に導こうという計画である。現在池尻大橋・渋谷間の最大乗車率が200%弱から170%台に減ると試算されているようだ。急行運転はすでに実施され二子玉川駅の分岐設備も完成している。溝の口までの複々線化工事が佳境に入っている。大井町線についてはこの後のレポートで触れるのでそちらに譲る。

 溝の口を越えると多摩丘陵に突入するためにトンネルが多くなる。田園都市線が溝の口から先に伸びたのは昭和40年代である。比較的新しい路線だけに丘陵を掘り割り、トンネルを穿って突き進む構造であって、民鉄としては珍しいくらいにトンネルがある。どれも短く工費を節約していて、その分緩やかなカーブも多いのだが、出来うる限り真っ直ぐに線路を敷きたいという意志を感じる路線である。急行追い越し施設も充実し、その結果高速運転が可能となっている。田園都市線に人気が出るのも当然であろう。

 鷺沼・たまプラーザ・あざみ野とお洒落っぽい駅を急行は各駅に停車後、青葉台から長津田を目指す。擦れ違う列車はバラエティーに富んでいる。東急車輌以外に、東京メトロの半蔵門線や「久喜」や「南栗橋」の行き先を表示したオレンジ色の東武車両も数多く乗り入れているからである。東武からの列車は南栗橋・中央林間98.6㎞を2時間半以上をかけて走り抜ける。今や東京の通勤電車は近郊電車の範疇では括れない。

 長津田には大きな操車場があり、そこを右に見下ろしながら横浜線をオーバーハングしながら左に進路をとって終点の中央林間を目指す。ここまで来ると郊外住宅の雰囲気で東急の高級感こそ薄れるが、実はこの辺り何と東京都なのである。町田市の南の外れをかすっている。今回この線に乗ることになったのも、実は東京の鉄道完乗のために必要であったからだ。小田急ばかりでなく、田園都市線も町田を通っていたとは…東京の東の外れに住む僕は迂闊にもその事実を知らなかったのである。なるほど、沿線の宅地に止まっている車はすべて多摩ナンバーだ。いやはや、東京はかくも広いものかと思う。

 終点の中央林間は小田急が開発した林間都市である。戦前は文士・作家も多く移り住んだようである。今回駅頭に立つ案内板を見て初めて知った。だから小田急の駅は古く、東急の駅は地下を掘って町中まで線路を敷いたのである。つきみ野を越えると丘陵が迫り、電車は地中へと入って行く。緩やかな右カーブの先にシーサースクロッシングが見えて着て終点中央林間へ到着する。

 階段を昇って改札を出ると少しばかり洒落た並木が続いている。小田急の駅は右手すぐのところにあり、こちらは丈は低いものの高架駅となっている。その向こうに昔ながらの商店街が広がり、東急側とは趣が異なって庶民的な感じだ。新参者の田園都市線が、いいとこ取りをしてしまったかのようだ。現に朝の通勤時間帯で比べると、小田急の急行は新宿まで55分、東急は渋谷まで36分。勝負は目に見えている。田園都市線の魅力を痛感した旅だった。




横浜高速鉄道 こどもの国線に立ち寄る

 こどもの国線は、横浜中華街を走るみなとみらい線同様に横浜高速鉄道の所有である。従って長津田駅には乗り換え口に自動改札があり、PASMOやSUICAをかざすと初乗り運賃が差し引かれてしまう。ところが、運転手は東急の職員であり、また途中の恩田駅には東急車輛の工場があって東急そのものといっていいくらいだ。現に97年7月31日までは東急こどもの国線だった。

 長津田~こどもの国間わずか3.4㌔が開通したのは67年のこと。当時はこどもの国協会の所有だった。それが87年に東急となり、更に10年後に今の形になる。全線単線(2008/11/6乗車)。



 

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