2014年6月4日水曜日

気動車王国、常磐路②

今はなき筑波鉄道

筑波駅にて(1981.11.3撮影)

キハ811
 1987年4月1日に廃止された筑波鉄道は、その名の通りかつては筑波山には欠かせない鉄道だった。常磐線の土浦から筑波山麓を巡り、水戸線の岩瀬までの間40.1㎞を結ぶ単線非電化の路線で、全線のほぼ中間に位置する筑波駅から筑波神社前までのわずかな距離をバスが結んでいた。筑波神社の脇から山頂まではケーブルカーを使えば誰でも気軽に行けることもあって、全盛期には多くの観光客が上野からの直通列車でやって来た。手元にある時刻表1972年3月号によれば、快速列車「筑波」は休日のみの運行で上野を8時39分に出発し、途中、松戸・我孫子・取手・佐貫に停車し、土浦には9時55分に着いている。土浦から筑波までは非電化のため、「筑波」は客車列車で運行されていたから、おそらく土浦では機関車の付け替えがなされたのではないだろうか。終点筑波には10時49分着とある。筑波山を歩いて登山するには少々遅い時間のような気もするが、ケーブルを利用する一般の参拝者や観光客にはなかなか便利な列車であった。

DC202機関車(筑波駅にて)
 さて、筑波鉄道は関東鉄道常総線と同じように、常磐線と水戸線を結ぶローカル私鉄なのだが、常総線と比べて東京から遠いため通勤路線としての利用度が低く、また筑波観光自体にマイカーが利用されるようになって、利用客が大幅に減少してしまい、赤字経営が続いた。その結果、奇しくも国鉄解体と同じ日に廃線となってしまったのである。


キハ505
 私がここを訪れたのは廃線の6年前の文化の日、紅葉狩りをしようということでやって来た。東京の木々が色づくにはまだ早いが、同じ関東でも標高の高い筑波では紅葉が進んでいた。この頃すでに上野からの直通列車はなくなっていた。赤字が続いていたこともあって、鄙びたムード満載の鉄道であったという印象である。生憎の天候で、列車の写真写りはたいそう悪いが、無くなってしまった今にして思えば貴重な写真となった。現在廃線跡地はサイクリングロードになっているそうだ。
(1981/11/3乗車)


SLの里で活躍する緑の気動車

真岡駅

建物が蒸気機関車の形になっている。
SLに賭ける意気込みを感じさせる。  
 真岡鐡道に関するクイズを一つ。「真岡」は何とフリガナを振ったら良いのか。
  1)まおか
  2)もうか
  3)もおか
 結構迷われる方も多いのではないか。恥ずかしながら私などはワープロでかな漢字変換をする際に、一発で変換できたためしがない。

 答えは3の「もおか」である。「真」を「も」と読むのはなかなか難しい。しかも車内アナウンスは「もーか」に聞こえるので、ついつい「もうか」と打ってしまうのである。「大通」は「おおどうり」ではなく「おおどおり」。「胴体」は「どおたい」ではなく「どうたい」。「ー」を使わずに延ばす音を表記するのは難しい。なお「真」を「も」と読むのは、二重母音の関係だろう(注)
 (注)日本語は二重母音を嫌い、発音が変わる。アオはオーとなる。
    まおか maoka  → mooka もおか  
  なお、旧国鉄真岡線は「もうか」線と仮名を振った。ところが市名は
 「もおか」なので、それに合わせたという。地域密着型の鉄道会社なら
  ではの配慮である。

下館駅
 さて、真岡鐡道が正しく読み書きできるようになったところで本題に入ろう。今回の話題は人気のSLではなく、乗り尽くしである。水戸線経由でここまでやって来て、下館駅で真岡鐡道の気動車を初めて見た時は、正直びっくりした。なんとまあド派手なデザインなのだろう。一目で新造車両だとわかる列車の塗装は、他に類を見ない斬新なものだった。濃い緑と薄い緑の市松模様、こんな列車は世界中のどこにもない。さらに裾にはオレンジ色の帯が巻かれている。凄いとしか言いようがなかった。
 SLの運行で有名な真岡鐡道だが、普段はどのような列車が走っているかは不覚にも思いが及ばなかった。下館駅では複雑な思いでこの気動車に乗車したが、乗ってしまえば綺麗な車内は快適そのもの。この先の真岡・益子・茂木への旅が楽しみである。
 ところで真岡鐡道の起点下館は、いわゆる平成の大合併で誕生した筑西市の中心駅である。筑波山麓西側にあり、取手からの常総線と水戸線が合流する交通の要衝で、常磐路の西の外れに位置する。しかし真岡線沿線の大半(真岡・益子・茂木)はいずれも栃木県に属していて、厳密には常磐路の鉄道とは言い難いのだが、歴史的にはどうやら宇都宮との繋がりよりも筑西との繋がりが強かった土地のようである。旧国鉄時代に走っていた急行「つくばね」は、その名の通り、上野から常磐線・水戸線を通って下館から茂木へと結んでいた。真岡沿線と宇都宮の間には鬼怒川が流れ、鬼怒川は常総線に沿って南下し、守谷付近で利根川と合流している。つまり常総線と真岡鉄道は、常磐線と東北線ともに、放射状に首都圏と結んでいるのである。
下館行と交換
 列車が久下田に着いたとき、この列車の印象がガラッと変わった。すでに交換列車が待っていたのだが、その車両が周囲の風景にすっかり溶け込んでいるのである。緑豊かな木々の中にこの気動車を置いてみると、まるで迷彩色をまとったかのように、周囲と一体化する。緑のグラデーションの中に、「木々の葉」のような市松模様が散らされているのだから、何の不自然さもなかった。ただ車両が余りに風景に溶け込んでしまうと、接近しても見えづらく危険である。オレンジの帯は、遠くから視認でき、安全に役立っていた。つまり計算され尽くした車両だったのである。
 遠くに里山が低く連なり、田圃の中を列車は走っていく。益子では陶器を求める人々が数多く降りて行った。まばらになった車内では、携帯電話会社の調査員がしきりに電波状態を測定している。時々電波の途絶える場所があるようだ。自分の携帯を見てみると、電波は良好である。ここでも電話会社同士の熾烈な戦いがあるのだなと感じる。
茂木駅

左側に転車台が見える。蒸気機関車
はここで反転し、機回り線を使って、
これまで最後尾だった客車と連結す
る。見ているだけで楽しい場面だ。 
 小高い丘を越えて、一目で道の駅とわかる建物の脇を下ると、終点茂木である。観光で成り立つような町ではない。普通の、ごく普通の、田舎町。暮らしやすそうな町だなと思うと同時に、ここを去れば忘れてしまいそうな町でもある。ホンダのカーレース場「ツインリンクもてぎ」はここから4キロ程先だという。周囲にはゴルフ場もあるらしい。だからと言って、一般客が散策を楽しむような場所ではなく、ここは生活をする場所なのだ。
 ここでの用事はない。このまま帰ろうと思う。昼食は真岡で食べよう。再び真岡鐡道の乗客となって、益子を通り、真岡に着く。ここは鉄道の町である。駅舎だけでなく、真岡鐡道を有名にしているSLや今は使われなくなったディーゼルカーが展示されている。なかでもガラス越しに見える蒸気機関車は、ロッドや車輪が磨き上げられていて、この鉄道会社の心意気が窺えて快い。
C12は展示室を兼ねた車庫の中で
ピカピカに磨き上げられていた。 
 展示に満足しつつ、良い気分で町を少し歩く。お昼は何にしようかと適当な店を探していると、駅から程近いところに「みんみん」の看板が現れた。宇都宮餃子の有名店がここに進出している。餃子でビールも悪くないと思うと同時に、改めてここが栃木県であることと、地域の繋がりが鉄道から自動車に移っていることを実感した瞬間でもあった。
(2010/6/17乗車)



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