2014年6月4日水曜日

気動車王国 常磐路③

Mythical 鹿島臨海鉄道大洗鹿島線
 
JR鹿島神宮駅で出発を待つ水戸行
 JR鹿島線の正式な終点は鹿島サッカースタジアムだが、同駅は試合開催日だけ営業する臨時駅のため、すべてのJR列車は一つ手前の鹿島神宮で運転が打ち切られる。そこを埋め合わせているのが鹿島サッカースタジアムと水戸を結ぶ鹿島臨海鉄道であり、2両編成のディーゼルカーが鹿島神宮まで足を延ばしてやってくる。試合のない日はスタジアム駅を通過してしまうので、鹿島臨海鉄道大洗鹿島線はふだんは起点の駅が営業されていない一風変わった鉄道だ。
 臨海鉄道という名前が示すように、この鉄道はもともとは貨物輸送専用として建設された。大洗鹿島線以外に鹿島臨海線があり、こちらは現在でも貨物専用路線として臨海工業地帯の重要な輸送を担っている。ただ輸送の主役が鉄道からトラックに移った(注1)ために経営は決して楽ではないようだが、旅客の乗れない鉄道には残念ながら協力のしようがない。

 大洗鹿島線はもともと国鉄鹿島線として水戸と鹿島を結ぶ鉄道として計画され、鉄建公団によって建設された。深刻な赤字財政に喘いでいた国鉄は鹿島線の延長を拒んだため、行き場を失いかけたこの路線は第3セクターとして開業し、鹿島臨海鉄道大洗鹿島線となった。霞ヶ浦の一部(注2)である北浦と鹿島灘の間を北上し、那珂川河口に位置する大洗で西に進路を変え水戸に至る、延長53キロの非電化単線路線である。

 さて厳かな雰囲気が漂う鹿島神宮の杜から少し下ったところにJR鹿島神宮駅がある。『常陸国風土記』にもみえる由緒ある神宮には武甕槌大神 (たけみかつちのおおかみ)が祭られ、古くから武神として尊崇を集めていた。参道にある駅前の広場には剣豪塚原卜伝の碑が建っていて、戦う人々の聖地といった感がある。
 この地に関係する戦いでも物騒でないのが、生き死にに関係のないサッカーJリーグの戦いであろう。鹿島アントラーズの本拠地、茨城県立カシマサッカースタジアムは、鹿島神宮から2~3キロのところにある。普段は列車の停まらない駅には、何本もの側線があって、サポーター達の輸送用に列車を留置しておく所と思いきや、実は臨海工業地帯からのコンテナ列車の留置線だそうだ。ホームとは比べものにならないほどの長い待避線が、貨物用であることを示している。
水田の向こうに見える北浦

丘陵地帯の麓に横に広がる水の帯が
北浦。南北に20数キロにわたって
細長く横たわる、ほぼ北限の風景。
 さて、大洗鹿島線は北浦と鹿島灘の間を通るといっても、残念ながら海や湖水が堪能できるわけではない。ハマナスの自生南限地に近い、その名も鹿島灘駅ですら海岸から1キロ以上隔たっている。海岸線をのんびりと行く普通のローカル線とは異なった雰囲気が漂っている。そもそもコンテナ貨物の輸送が可能なように鉄建公団が建設した路線だけあって、列車はひたすら真っ直ぐに林や畑の中を北に向けて走る。起伏に乏しい土地なので高架や盛り土区間はほとんどないが、それなのに踏切はなく、あまり車の通らないような道路までもが高架橋となっていて、まさに近代的なローカル線なのだ。

 集落の集まっている鉾田に近づいたところで、わずかに北浦が見える。湖畔に沿って走ってくれればいいのにとは思うが、産業効率優先の路線は旅の情趣には無頓着である。
涸沼(ひぬま)
 その後、どこで分水嶺を越えたか分からないうちに那珂川水系の涸沼がちらりと見える。こちらも北浦と同様に汽水湖なのだが、どんな湖かわかるほど近くには寄ってくれない。そうこうしているうちに、沿線最大の町大洗に着いた。側線には二両編成のディーゼルカーが停まっている。大洗・水戸間は列車本数がほぼ倍になり、日中は1時間に二本程度運転されているのだ。
単線高架
 那珂川流域は水田が広がり、人口も増えてくる。大洗を過ぎると列車は高架線の上を走るようになる。途中進行左側の丘の上に大仏が見えて来た。森の中に鎮座している。後に知ったことだが、それはホトケではなくヒトだった。『常陸国風土記』に出てくる伝説の巨人、ダイダラボウの像だったのである。丘の上に居ながら海岸に手が届いてハマグリをさらうことが出来、片足の痕跡はなんと偕楽園脇の千波湖となったという伝承が残っている。前者はこの地にある貝塚の由来を説明し、後者は湖の形の由来を解き明かしてくれる、伝承はまさに古代人の知恵であった訳だ。
大仏?
 列車は緩いカーブを切りながらトラス橋を渡って常磐線に寄り添いながら水戸に到着する。国鉄の路線として計画されただけあって、事実上の起点である鹿島神宮もこの水戸駅もJRと完全に一体化していて、一見地方鉄道であるようには見えない。水戸と鹿島臨海工業地帯を結ぶ貨物線に間借りするような旅客鉄道とでもいったらよいだろうか。ただ、この路線に乗って振り返ってみれば、常陸の国は紛れもない神話の国であるということだった。武甕槌大神に始まり巨人の足跡で終わるこの鉄道は、『古事記』や『風土記』という日本を代表する神話を身近に感じることが出来る、歴史探訪鉄道でもあった。
水戸駅で出発を待つ鹿島神宮行

(注1)近頃また風向きが変わってきた。人口の減少によって、トラック運転手不足が懸念されているそうである。味の素は2016年から500キロ以上の輸送をトラックから船舶・鉄道に切り替えると発表した(2014/5/28日経)。人口減少は鉄道会社にとっても頭の痛い問題だろうが、長距離鉄道貨物の回復が思わぬ救世主となるかもしれない。

(注2)霞ヶ浦は、西浦・北浦・外浪逆浦(そとなさかうら)・北利根川・鰐川・常陸川の各水域からなる総称だという。大きく二股に分かれた湖を指しているものだと不覚にも思っていたが、それは正式には西浦と呼ぶ。私のように思い込んでいる人も多いようで、西浦を狭義の霞ヶ浦と考える向きもあるらしい。


(2010/5/13乗車)



郷愁のひたちなか海浜鉄道湊線

阿字ケ浦
 終点の阿字ヶ浦は常磐線勝田から旧型気動車にゴトゴト揺られて8駅目、距離にして14.3キロの地点にある。駅から5〜6分歩けば阿字ケ浦海水浴場があり、花々が楽しめる国営ひたちなか海浜公園もさほど遠くない。しかしまず楽しめるのが終点阿字ケ浦駅そのものだ。味わいある終着駅としてはまさに一級品で、そのまま鉄道模型のジオラマにでもしたくなるような風景がある。町はずれの広い空、清潔だが古びた駅舎とレトロな気動車。長い年月、大切にされていたものが今も息づいている。
 
前照灯を挟む二つのタイフォン
 停車中の気動車は一見国鉄車両に見えるが、前照灯周りを見ると一風変わっていることに気づく。両側にタイフォン(警笛)が付いているこの車両は、1969年まで北海道の留萌鉄道で活躍していたキハ2005である。国鉄の普通列車キハ22と似た車両だが、タイフォンの位置と形状が個性的で、その上に国鉄の急行塗装を施すなど湊鉄道線はなかなか憎い演出をしている。
那珂湊駅にて
注目は車庫に停車中のキハ2004
国鉄準急色。手前は海浜鉄道に
よる新造車両キハ3710形。  
 留萌鉄道から移って来た同系気動車はもう一台あって、こちらは国鉄の準急塗装を施したキハ2004である。どちらも車歴がだいぶ古くなって来たので、いつまで運用されるか心配だが、昨今の地方鉄道が歴史的記念物として車両を大切に保存してくれるのは大変嬉しいことだ。鉄道会社の努力と沿線の牧歌的な風景が相俟って、私たちの心に郷愁を感じさせるのだが、ようやくこの日本にも英国の保存鉄道のような試みが始まっているのかもしれない。古いものを大切にしつつ実用に供する。そのために敢えて国鉄時代を彷彿とさせるようなカラーリングを施す。ひたちなか海浜鉄道の試みを今後も見守りたい。
那珂湊駅にて
キハ2005の後ろにキハ222
 ところで沿線で乗降客が一番多いのはもちろん那珂湊である。那珂川をはさんで大洗の対岸に位置する那珂湊には関東でも有数の漁港があり、駅から15分ほど歩いたところの那珂湊おさかな市場はいつも観光客で賑わっている。休日の駐車場は混雑するし、新鮮な魚を楽しみながら一杯やるのも悪くない。そんな時、やはり頼りになるのは湊鉄道線ではないだろうか。勝田までスーパーひたちでやって来て、海浜鉄道に乗り換え、おさかな市場で軽く一杯…こういう観光客が増えれば少しはローカル私鉄の赤字も解消するのだが。

那珂湊駅にて
改札口のある上りホームから下り
ホームまでは線路を横切っていく
必要がある。引っ切りなしに走る
都会の鉄道では見かけなくなった
 那珂湊の駅で帰りの列車を待っていると、キハ2005に連れられて、これまた珍しいキハ222がやって来た。この車両は1970年に北海道の羽幌炭礦鉄道から払い下げられたものである。羽幌は留萌よりも更に北にある最果ての地だ。この二両は炭鉱の閉山とともにこの地に移り、第二の人生を歩んでいる。
旋回窓の向こうには
田植えの終った水田
が広がっている。
 
 キハ222は極寒の地の鉄道らしく、ワイパーではなく旋回窓が使われている唯一の旅客車両だそうだ。冬の羽幌を訪れたことはないが、真夏にこの地方をドライブした際、日本海に沿ったオロロンラインに点在するシェルターには驚いた。本州では地吹雪を避けるために道路沿いにフェンスを張る地方があるが、最果て天塩地方ではもっと徹底して、かまぼこ型のドームで道を覆っているのだ。風が静まるのを待って次のシェルターまで車を走らせるのだろう。この旋回窓を見ていると、この車両がかつて厳しい北国にいたことを思い知らされる。

 さて、そろそろ気動車を乗り尽くす常磐路の旅も終わりが近づいた。常磐とは常陸と磐城の合成語だから、本来は福島県の気動車にも触れなければならないところだ。ただ、今回はローカル私鉄ばかりを取り上げているので、私鉄はすべて電車の福島県については触れないことにする。
 関東地方では茨城県以外に千葉県でも気動車が活躍している。こちらはそのうち房総横断鉄道として紹介してみたい。いつのことになるかはわからないけれど。
(2010/5/13乗車)
 




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