2015年1月5日月曜日

懐かしの山陰本線 前編

偉大なるローカル線

 京都から下関の一つ手前の幡生まで総延長673.8㌔の堂々たるローカル線、それが山陰本線である。鉄道紀行作家宮脇俊三は名作『にっぽん最長ローカル列車の旅』の中で、同行の編集者藍孝夫氏の「幹線なんでしょう」という質問に対して「名目上は幹線でも、まあローカル線を長くしたようなもので、いわば偉大なるローカル線ってところですな」と実にうまいことをいう。だから京都から下関を通しで走る列車はひとつもなく、そもそも全線の66%が非電化単線という、都会人にとってはまさに想定外の路線と言っていい。通しで走らせたくても(まあJRはそんな効率の悪いサービスは嫌がるだろうけれど)、都会人にとって鉄道に乗るといえば電車に乗るというくらい電車が当たり前の世の中にあって、電気が来ていない線路が合わせて444.6㌔もあるために、通し運転は所詮夢のまた夢なのである。
 非電化単線にはそこだけでしか味わえない風情がある。もともと鉄道は自動車道と違って環境負荷が低く、道幅を狭くすることが出来る。それが単線ともなれば、走行中擦れ違うこともなく、深山幽谷であろうと海蝕崖上であろうと、自然に溶け込みながら線路を敷くことが出来る。近年は長大トンネルで景色の楽しめない路線が増えたが、山陰本線はまさに時代遅れの非電化単線ある。文部省唱歌の『汽車』にある「今は山中 今は浜 今は鉄橋渡るぞと」そのままの風景が楽しめる。できるだけトンネルを短くしたい時代に造られた山陰本線は、丁寧に等高線を辿りながら、ひとけのない入り江をめぐり、断崖をかすめ、漁で生計をたてる人々の集落を繋ぎながら日本海を堪能できる、いまどき珍しい日本の原風景を楽しめる鉄道なのだ。

    注)門司5時22分発、福知山23時51分着、824列車。1984年2月廃止。

どうやって出雲市へ行く?

「済みません。やはり取れませんでした」
出入りの旅行社にサンライズ出雲の個室寝台を依頼してあったのだが、近年の出雲大社人気で指定券が取りづらくなっていることはわかっていたものの、1月5日ともなれば世間では仕事始めだから、まさか取れないとは思いも寄らなかった。
 出雲市を10時過ぎの列車で発ち、乗り継ぎながら夕方までに下関まで行こうと計画を立て、宿泊先も押さえてあったものだから、今さら中止にも出来ず、いささか途方に暮れた。夜行高速バスは事故が怖いのでまっぴら御免だし、新幹線乗り継ぎだと13時過ぎに漸く到着で話にならない。どうして世間の人は昼に長距離移動などするのだろう、だから鉄道が嫌いになってしまうんじゃないかなどと思ってみても仕方ない。こうしてしょんぼりしていると、同僚で旅好きのAさんが、
「飛行機はないの? どうせお金持ちなんだから」
とヒントをくれた。お金持ちは実に余計で、私の趣味に対する無駄遣いをからかっているのだが、鉄道車窓愛好家として飛行機という選択肢は最初から考えもしなかったので、それは目から鱗だった。調べてみれば、始発便だと8時台には出雲空港に着くではないか。松本清張『点と線』の謎解きのようだなと思いつつネットで調べてみると、更にサプライズだったのが一般の人の移動が少ないこの時期、早割で何と12,000円でJクラスシートにも乗れるということがわかった。これは高速バスとほとんど変わらない。あり得ない!と思いつつ、計画が思い通りに遂行できることに安堵した。

快速マリンライナー

出雲市駅
空港連絡バスで出雲市駅まで向かったのはわずか5人。松江や出雲大社行きも同じようなもので、地方消滅が話題に上る昨今、早割でもこの時間帯に乗る人は少ないようだ。大社造りを模した立派な出雲市駅の駅前広場にもひとけはほとんどなかった。9時半前には駅に到着し、昨晩22時ちょうどに東京を出発したサンライズ出雲が到着するまでにまだ30分ほどのゆとりがあった。ホームで出迎えるのも一興である。個室を利用すれば21,710円〜28,960円もかかる憧れの豪華列車である。こっちは半値以下で先に着いたんだからねと、乗れなかった憂さ晴らしをしてみたい気もあった。鉄道愛好家の風上にも置けない奴だと反省する。
 改札口にある行き先表示を見ると、予定していた列車の前に快速が先発することに気付く。計画を立てていた際、サンライズが到着する15分前に出発してしまうこの快速が恨めしくてならなかった。仕方なく、サンライズ到着の18分後に出る各駅停車に乗るしかないとあきらめ、その後飛行機騒動のドタバタですっかりこの快速のことを忘れていた。
「そうかあ、乗れるんだ」と、もう出迎えなどどうでもいいと思い始めてしまうところが現金なものだ。
出雲市駅に進入する
快速マリンライナー
やって来たのは新型の2両編成ディーゼルカーだった。快速マリンライナーは、米子・益田間191.5㌔を結んでいるが、米子は鳥取県の西の外れに位置し文化圏としてはほとんど島根のような場所だから、ほぼ島根県の東西を貫く列車なのである。出雲市・浜田間が快速運転となり、1時間35分で結んでいる。これはかなりの俊足ぶりで、40分前に出発するスーパーまつかぜ1号の1時間6分には及ばないものの、当初乗る予定だった普通浜田行きだと2時間24分もかかってしまうのだから、乗り得感満載と言える。これならさぞ人気があるだろうと思いきや、混んでいた車内からぞろぞろと人は降りて行き、ガラガラとなって出雲市を出発した。ボックスシートを独り占めにして車窓を眺める。あいにく窓は汚い。老朽化した車両にありがちな、こびりついた鉄錆で窓が赤茶けているのではない。水滴が流れた跡が幾筋もあるから、塩分をたっぷり含んだ波の飛沫や雨だれの痕跡なのだろう。普通列車だからそれほど頻繁に車両洗浄を行うはずもなく、このあたりが普通列車の旅の辛いところだ。
 出雲市駅からしばらくは高架橋が続き、出雲大社に続く山並みが青空のもと、冬の日差しに照らされている。神戸川を渡った先に最初の駅西出雲がある。伯備線に続く伯耆大山からここまでが電化区間となっていて、寝台特急サンライズ出雲やスーパーやくもが回送される車両基地がある。西出雲は電化はされていても回送される優等列車のためだから、旅客が利用するのはディーゼルカーばかりだ。広々とした車両基地からは特急列車は出払い、まだサンライズがやって来ていないので閑散としている。車両洗浄機もあるので、少しあそこに寄ってから出発したいと思うが、所詮叶わぬことだ。
山陰本線は出雲市以西では
海岸沿いをひた走りに走る
車窓には窓の汚れがもったいないような風景が広がっている。鮮やかな赤褐色の石州瓦を戴いた農家が里山の麓に点在している。山陰地方は字面からなんとなく暗いイメージがつきまとうが、確かに人口が少なく賑やかさには欠けるものの、釉薬が効いて照り輝く赤い屋根の家並みがとても美しいところだ。山あいの農家も入り江の漁村も、鉛色の空を跳ね返すような美しい赤褐色が乱舞している。
 それにしてもどうしてこの快速にマリンライナーなどという、国籍不明の軽率な名前をつけているのだろう。この土地にふさわしい名前はなかったのだろうかと思うが、乗っているうちに合点がいった。延々と海岸風景が楽しめる路線なのである。ここまで海に寄り添って敷かれた鉄路は他にない。それも偉大なるローカル線だからこそ、大正時代に造られたままの場所を走っている。線路やバラストと呼ばれる砂利石などは幹線並のもの(そもそも幹線なのだから当たり前か)を使っているので、列車はかなりのスピードで快走する。ただ海岸に沿っているだけにカーブはきつく、その分眺めが抜群なので、右に左に揺られながら旅人は目を楽しませて貰えるというわけだ。
海辺の風力発電所群は
今や日本の定番風景だ
だからこそ、余計に窓の汚れが悔しくてたまらなくなった。何枚も写真を撮ったが、出来る限りの修正を加えても鑑賞に堪えられるものは一枚もなかったのが残念だ。汚い窓の確認と雰囲気だけでもと2枚だけ掲載しておくことにする。

クルージングトレインのこと

 JR九州の豪華寝台列車「ななつ星」の大成功で、JR各社はクルージングトレインの導入に力を入れ始めた。どうせ倍率が高すぎて、余暇を満喫できる富裕層か高齢者しか利用できないのだろうなと私自身は冷めた思いで見ているが、山陰本線の絶景は、美しく磨かれたクルージングトレインならさぞかし満喫できることだろうとも思う。JR西日本では2017年春から運行開始だそうだ。期待できるのは、架線集電式ではなくディーゼル発電とバッテリーアシストのハイブリッド方式を採用した点である。これならどこへでも行ける。その点JR東日本が導入する列車はイラストを見る限りパンタグラフが付いているので、五能線にも下北にも三陸にも北上線にも陸羽東西線にも男鹿にも磐越東西線にも水郡線にも烏山線にも飯山線にも小海線にも行けない、まさに絶景路線を避けたとしか思えない列車になる恐れがある。超豪華な走るホテルを造って夜に幹線を走らせ、観光は豪華なバスでも仕立ててと考えているのだろう。もしもそうなら、はなはだ残念なことである。
キハ126系はJR西日本の20㍍級の
普通列車用気動車。江津駅にて。
その点JR西日本のクルージングトレインはこの山陰の美しい海岸風景を意識し、電車方式を採らなかった点で大いに期待が持てるだろう。ぜひ早く実現して欲しいものだが、先にも記したように時間とお金の両方にゆとりのある人しか乗れないのが実に残念だ。私のような旅行者のために、せめて在来の列車の窓をもう少し綺麗にして貰えないだろうか。そうでないとあまりにももったいない風景なのだ。

浜田という響き

 ブルートレインが全盛だった70年代から年代にかけては、毎夕東京駅から九州・山陽・山陰に向けて何本もの寝台列車が発車して行った。1978年10月の時刻表には、9本の輝けるスター列車が掲載されている。

 16時30分  列車番号1   さくら    長崎・佐世保行
 16時45分  列車番号3   はやぶさ   西鹿児島行
 17時00分  列車番号5   みずほ    熊本・長崎行
 18時00分  列車番号7   富士     西鹿児島行
 18時20分  列車番号2001   出雲1号     浜田行
 18時25分  列車番号9   あさかぜ1号   博多行
 19時00分  列車番号13    あさかぜ3号   下関行
 19時25分  列車番号15    瀬戸     宇野行
 20時40分  列車番号2003   出雲3号・紀伊 出雲市・紀伊勝浦行

 ブルーの車体側面にある行き先表示を見ていると、行ったことのない町の名前が手招きをして「早くここまで乗っておいで」とささやいていたいるかのようだった。とにかく、「遠くへ行ってみたかったし、知らない町を歩いてみたかった」
廃止直前の寝台特急出雲
2006年2月7日 出雲市駅
そのなかでも異彩を放っていたのは、出雲1号浜田行だった。そこがどこにあるのか、どんなところなのか皆目わからない。山陰の出雲ではなく、浜田って? もともと出雲号は出発時間が切りの悪い20分、列車番号が4桁という、まさに格落ちのブルートレインだったのだが、貧乏だった学生時代に奮発して初めて乗車したのが米子発東京行の寝台特急「いなば」(のちの出雲3号)だったこともあり、山陰地方と出雲号にはとても親しみを感じていた。その後浜田行はなくなり出雲市どまりとなったが、それも2006年3月に廃止されてしまった。
 今回の乗り尽くしの旅では、浜田行きの各駅停車に乗り、浜田に着くや否や大急ぎで駅弁「乃どくろ御飯」を手に入れてから特急に乗り継ぎ、益田から再び各駅停車の旅を続ける予定だった。ところが快速マリンライナーのおかげで予定より1時間20分早く浜田に着くことになった。懐かしい響きの浜田の町を散策する時間が生まれた。
浜田駅
高級魚ノドクロは全国でとれるが、浜田産のものは脂がよくのっていて最高峰といわれている。その駅弁はぜひ食してみたいと思っていた。ところがホームでは駅弁の販売所がなく、ああ時間が浮いて良かったなと改札口をでてもどこにも駅弁を売っている気配がない。駅の構内にはノドクロのイラストが描かれているのだが、肝心の駅弁がないのだ。駅の売店にも隣接する観光物産館にも置かれていなかった。駅弁そのものがこの駅では販売されていないのである。需要がないということなのだろう。鉄道の旅の楽しみがここでも失われていこうとしていた。残念ではあったが、普通のお弁当として売られている鯖寿司で我慢することにした。お酒はないかと探してみると手頃なところで「石陽日本海ワンカップ」があった。蔵元の住所が記されていないが、口には入れさえすれば良いという心境になっていた。
 気を取り直して、町へ繰り出す。駅前広場には大きなからくり時計が置かれていた。日中のひとけのない商店街を歩き、高台に登って町を見下ろしているうちに、ここが石見神楽で有名な所だとわかってきた。神楽といえば古事記や日本書紀の神話がもとになっているものだが、石見神楽は弁慶や加藤清正のような歴史上の武勇伝を演目にした創作神楽もあって、伝統を受け継ぐ民間の人達が古代の衣装や面を身に纏い、八岐大蛇や天の岩戸の物語を演じたりする人気の祭りだそうだ。大人から子供までが参加する賑やかなもので、子供神楽はその音色から「どんちっち祭り」と呼ばれているらしい。
からくり時計
駅前に戻ってくると、ちょうど時刻は12時を回るところだった。「どんちっち」のお囃子が響き渡り、からくり時計が動き始めた。屋根が浮き上がり、舞台がせり上がって、三段に分かれた空間で、人形達が笛や太鼓を奏で、神楽を舞い始める。最上段は大蛇がくねくねと動いている。普段は観ることの出来ない石見神楽の片鱗を垣間見ることが出来た。石見といえば銀山が世界遺産に登録されて有名だが、この地方に根付いた文化は、赤褐色の瓦と同じように照り輝いている。東京で人波に押し流されている自分にとっては、寝台特急出雲の終着駅は、期待通りの異次元空間であった。

スーパーおき3号

 浜田の駅がその立派な駅舎とは裏腹に閑散としているのは、日本海側の都市同士に強力なネットワークがないからだろう。おそらく浜田と強力に結びついているのは広島ではないか。距離にしておよそ100㌔を中国道から延びる浜田道が結んでいて、1日16往復もの高速バスが走っている。
キハ187系特急型気動車
益田駅にて
一方のJRといえば、スーパーまつかぜ(鳥取⇔益田)4往復、スーパーおき(鳥取・米子⇔新山口)3往復が頑張っているものの、全国でも有数の過疎地帯のため、指定席車両と自由席車両のわずか2両編成でグリーン車の設定はない。使用されている187系特急型気動車は、一見通勤電車のように飾り気のない顔をしている。しかしその風貌とは裏腹に秘めた実力の持ち主で、カーブの多い山陰本線を高速で走り抜けられるよう、車体が内側に傾く制御付自然振り子式車両なのだ。
 乗るのは二度目だが、いつも混んでいる感じがする。今回も自由席が満員でデッキまで人で溢れていた。海側の席を確保するために予め指定券を取っておいて正解だった。優等列車だけに窓も汚いというほどではなく、これなら心置きなく楽しめそうだ。益田までわずか32分の旅だが、買っておいた鯖寿司と日本酒「石陽日本海」で車窓を眺めながら昼食を楽しむ。酢で締めた鯖とほんのりと甘い酢飯が美味しい。風景がいいと酒も旨い。後でわかったことだが、鯖寿司は「乃どくろ御飯」と並ぶ浜田のもう一つの名物だったし、「石陽日本海」も浜田の地酒だった。JRも売店も、もう少し観光客相手にアピールするなど、商売っ気をだしても良さそうなものが、おそらくそれほど需要がないのだろう。
中国電力三隅発電所
全国津々浦々、車窓を楽しむ旅をしていると、風光明媚なところに突然巨大な発電所が現れれてびっくりすることがある。発電所は規模の大きな施設だけに、余計人里離れた所に造られるものだから、結局景色の良いところにあるケースが多いのだろう。電気エネルギーに縋って生きている自分としては、ここで自然保護を主張することは厳に慎む。ご都合主義という批判があれば、その責めは甘んじて受ける。そんなアホなことを考えるのも、少し酔いが回ってきたのだろう。
岡見・鎌手間
益田に近づいてくると、穏やかな入り江が多くなってきた。鉄道の絶景路線として紹介されることはないが、何とも心和む風景が続く。人を寄せ付けない厳しい自然とも違う、かといって人が傍若無人に歩き回る自然とも違う、いわば人と自然が共存しているような、なんの変哲もない風景なのだ。
鎌手・石見津田間
かつて賑わっていた地域が過疎化すると、そこには多くの廃屋が放置されたままとなって、風景は人の心を荒ます凶器となる。日本各地には産業の空洞化に伴って、そんな悲しい風景がいくつもある。一方で、沖縄の西表島や北海道の釧路湿原の一部のように、人がその地を離れたあと、自然がもとに戻っていくようなところもある。ここがどのような経緯をもつ土地なのかはわからないが、長い間かわらぬ風景を保ってきたことだけは間違いない。言ってみれば、日本の原風景なのではないだろうかなどど考えながら益田を目指した。
(2015/1/5乗車)

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