2015年1月5日月曜日

懐かしの山陰本線 中編

各駅停車しか走らない「本線」

 益田まではスーパーおきが走っているが、この先、幡生(下関市)まで山陰本線を乗り尽くすためには乗り換えが必要となる。ここからは特急などの優等列車が全く走らない、まさにローカル線になってしまうのだ。スーパーおきは、山陰本線を離れて山口線に入り、有名観光地が連なる津和野や山口・湯田温泉などを通って、山陽新幹線との乗り換え駅の新山口に向かう。
 一方、この先の山陰本線には萩や長門市がある。明治維新で活躍した数々の人材を生んだ萩や、天才童謡詩人金子みすゞの郷里仙﨑(長門市)は、観光地としてもすこぶる有名だが、鉄道で旅をする人は極めて少ない。特に萩観光はほとんどがバス利用のため、この辺りの山陰本線は極めつけのローカル線になってしまうのだ。
 益田から下関まで直通する列車は一日わずかに1本、最も利用客の少ない益田と東萩の間は一日8本の普通列車があるに過ぎない。そのうち朝が4本、夕方以降が3本設定されているので、日中はわずかに1本しかなく、観光客に見向きもされないのは当たり前だ。今回の旅ではこの1本、益田13時27分発の長門市行以外に選択肢はなかった。この1本に乗るために、飛行機に乗り、快速と特急を乗り継いで益田までやって来たのだ。
 待っていた列車は、国鉄時代からお馴染みの気動車キハ40だった。古い車両だが、思いの外窓は綺麗で、これなら何とか車窓の旅は楽しめそうだ。ただこういう曰わく付きの列車には、同好の士も乗っていることが多い。我が儘のようだが、一人でゆっくりと楽しみたい私としては、できるだけ同じ趣味の人とは出会いたくない。勝手な言い分とはわかっているが、同じような趣味人が乗っていると、実に落ち着かないのである。児戯に等しい振る舞いは伏せておきたい。同類の人を見てしまうと、いきなり天から冷静な自分が降りてきて、羞恥心が目覚めてしまう。
萩は近い
案の定、すぐにそれとわかる人がひとり乗っていた。しかも海側のボックスシートはすでにあらかた埋まっていて、一人で占有しているその人物の向かい側しかすわる席はなかった。山側にはまだ空いている席もあったが、海を見にここまで来たのだから仕方あるまい。<マニア>もなんでわざわざ向かい側にすわるんだよ、という顔で見ている。あーあ、心理戦が始まってしまった。
 益田を出るとすぐに山口線が左に分かれて行き、向かい側の席からの視線も消えていく線路を追っている。エンジン音を轟かせて旧型気動車が軽快に浜辺を走り始めれば、それに釘付けになる。さっきから<マニア>もこちらも向ける視線の方向が同じだ。見ているものが同じだから、時々「お前もか」という感じで目が合ってしまう。我慢・我慢! 外の景色に集中しろ! せっかくここまでやって来たんじゃないか。
 いくつかの入り江を越え、いくつかの無人駅に停まるたびに乗客の何人かが降りていった。益田・萩間には路線バスすら通っていないので、ここに住むお年寄りや高校生など免許を持たない人達にとってはこの列車だけが頼りなのである。ようやく席を移ることが出来た。<マニア>もほっとしたに違いない。
中央が益田発長門市行。左は長門市
発小串行。この列車は小串で下関行
に接続している。        
萩に立ち寄りたいが、列車の関係から先を急ぐ。今回の旅では長門の国を乗り尽くすつもりなので、明後日再び萩を訪れることになる。今日はひとまず長門市に直行する。長門市のホームや跨線橋、停まっているキハ40型気動車を見ていると、40年ほどタイムスリップしたような気がしてくる。ここには国鉄末期からまったく変わっていない懐かしい風景が残っている。今時、このような場所がほかにあるだろうか。


山陰本線踏破の難所、仙﨑支線

 長門市からたった一駅区間だが、もうひとつの山陰本線が走っている。仙﨑支線だ。定期列車としては厚狭線に乗り入れるものが数本あるため、時刻表では厚狭線のページに掲載されている。ローカル線からローカル線への乗り継ぎは、朝晩以外はまず連絡していないと言ってよい。この時も連絡列車を待っていたら、仙﨑ですぐ折り返しとなってしまうところだった。仙﨑までは距離にして約2㌔、歩いて行けないこともないが、仙﨑の町を歩いてみたかったので、タクシーを利用することにした。
「タマゴ公園までお願いします」
運転手の反応がない!
「あのう、玉子公園に行きたいのですが」
「ああ、オウジ公園ね」
やってしまった! まさか王子公園ではないよねと、何度も注意して地名を見返したはずなのだ。絶対に点が付いていると確信してから言った積もりだったからショックだった。年々老眼が進んでいる。耳は聞こえないし、目は見えない。寄る年波には逆らえないから、乗り尽くしの旅も急がなければならないと強く思う。
「お客さん、東京から? 王子公園って何もないよ」
「仙﨑の町が一望できますよね。そこからぶらぶらと町を歩きたいんです」
「なるほどねえ。今は冬だから木も生い茂っていないので見えると思うよ。でも景色の良いところなら、青海島の中の浦とか。そっちへ行く?」
左側中央の港近くに仙﨑駅がある
まさか列車に乗るのが目的で来たなどとは言えない。そんなことを口走れば、興味津々、根掘り葉掘り聞かれた挙げ句に「好きだねぇ」という顔をされるだけだ。
「金子みすゞに関心があるんですよ」
これに嘘はない。郷里の誇り金子みすゞの名前が出たので、運転手の話題は仙﨑の方に移っていった。


 青海島の外れにある王子公園から眺める仙﨑の町は、午後の傾いた日差しの中で静謐に包まれていた。みすゞの故郷を見下ろしながら、しばらくそこに佇んだ。
 それにしても、みすゞの代表作のひとつ『わたしと小鳥とすずと』は、彼女の薄幸の生涯とは裏腹に、なんと自己肯定感の高い、エネルギーを貰える詩だろうか。


  私が両手をひろげても、
  お空はちっとも飛べないが、
  飛べる小鳥は私のように、
  地面を速く走れない。

  私が体をゆすっても、
  きれいな音はでないけど、
  あの鳴る鈴は私のように、
  たくさんな唄は知らないよ。

  鈴と、小鳥と、それから私、
  みんなちがって、みんないい。


 傷つきやすい現代人を癒してくれるのは、わずか26歳で自ら命を絶った若き童謡詩人であることに、今さらながら驚きを禁じ得ない。

 右に深川湾、左に仙﨑湾を眺めながら青海大橋を歩いて渡りながら、仙﨑の町に入っていく。金子みすゞの菩提寺である遍照寺で墓参をしたあと、記念館に立ち寄った。この町のあちこちには、詩が記されたプレートがかかっている。すべてをゆっくりと鑑賞していると列車に遅れそうだ。 こうして40分ほど仙﨑の町を散策しながら仙﨑駅までやって来た。ここは山陰本線で唯一の行き止まりの駅、大好きな終着駅だ。京都も幡生も終着駅ではない。
 しばらくすると、長門市方面からちっぽけな気動車が1両でやって来た。JR西日本が所有する特に乗客の少ないローカル線用の小型気動車キハ120系だ。普通車両よりも2割ほど短い16㍍しかない可愛らしい車両だ。降りてきた数名の乗客の中に、なんとあの<マニア>の方もいらっしゃった。おそらく長門市で1時間ほどこの列車を待っていたに違いない。なんとなく視線を感じる。向こうもばつが悪いに違いない。そう思うと、ちょっぴり気の毒な感じもする。僕がここにいてごめんなさい。

 ラッピングされた気動車は厚狭線経由の厚狭行である。今日はこれに乗って厚狭線を乗り尽くし、厚狭からは山陽本線で下関に出る。山陰本線の残り、長門市・幡生間は明日乗るつもりであり、そこで漸く山陰本線完乗となる。偉大なるローカル線の乗り尽くしは実に手強いが、最大の難所である仙﨑支線を無事踏破し山陰本線未乗もあと74.2㌔となった。明日は下関周辺の鉄道を楽しんだ後に山陰本線に戻ってくるつもりである。

2015/1/5乗車)

  注)観光シーズンには、みすゞ潮彩号が新下関・下関と仙﨑を山陰本線経由で結んでいる。





 

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