紀伊半島に行って来ますと知人に告げたら、熊野古道を歩かれるのですかと尋ねられた。いや、鉄道に乗るための旅なので今回はそこまでは行けませんと答えると、気の毒そうな顔をされる。いつまで経っても列車に乗るだけの旅を理解する人はいそうもない。
前日夜に大阪入り |
そんな私だって、時間に都合がつけば旅の途中で観光することもある。しかしながら紀伊半島は実に大きく、日中、特急を乗り継いで大阪・名古屋間を乗り通す方法はわずか3通りしかない。名古屋からならば8時05分発と10時01分発の特急南紀が利用でき、10時の列車に乗れば新大阪には18時50分に着く。厳密には日没後の到着だが、ライトアップされた通天閣が楽しめる。
しかし以前から紀伊半島をめぐるなら出発は大阪からと決めていた。午前中は東から降り注ぐ日の光に輝く大阪湾や紀州灘を眺め、午後は西から射す光に照らされた熊野灘を眺めれば、一日中順光で綺麗な景色が眺められるというもの。一方名古屋から出発すると終日逆光に悩まされることになる。ということで新大阪7時53分発の特急くろしお1号を選んだ。嬉しいことにこの列車はオーシャンアロー車両で運転されると時刻表に記されている。奮発して、展望グリーン車の海側席を確保することにした。
今日の旅は、観光する暇もないくらい、距離が長く時間のかかるものとなる。大阪の天王寺から名古屋までは470.8㎞もあり、それは東京から名古屋・米原を越えて安土までの距離に匹敵する。ちなみに大阪・名古屋間を普通に東海道本線で行けば190.4㎞なので、距離にして2倍以上、しかもカーブの多いローカル線だから、車窓愛好家にとってはいやが上にも期待は高まる。熊野古道などまたの機会で構わない!
ということで、オーシャンアロー1号に乗るために、前日夕刻、大阪に入った。大阪に来たからには二度漬け禁止の串かつが食べたいので、ビリケンさんが祀られる通天閣に出掛け、ビリケン神社斜前の店に入る。今日は一日中雨降りだったが、予報によると明日は晴れ渡るらしい。旅の成功を祈念しつつ一人祝杯をあげた。
オーシャンアロー くろしお1号に乗る
新大阪駅11番線は、関空や南紀方面へ向かう特急列車の専用ホームである。和歌山からのくろしお2号がそのまま折り返し新宮行くろしお1号となる。水色と白が鮮やかなオーシャンアローは、先の尖った先頭車両が展望グリーン車となっている。鮫に似ているなと思ったら、実際はイルカをイメージしてデザインされたものだそうだ。近鉄のアーバンライナーにも似ているが、それもそのはずで、車内に表示されたプレートには近畿車輛製造とあった。ゆったりした3列シートの、海側一人席に腰を下ろし、ウィスキーを詰めたスキットルを窓枠に置いて発車を待つ。準備万端、優雅な旅が始まろうとしていた。
運転台と車内とは一面のガラス で仕切られているため、前方の 眺望も抜群。 |
この列車が走る新大阪・天王寺間は実に見どころが多い。通勤電車では通ることの出来ない梅田貨物線を使って関空や南紀と結んでいるため、この区間はいわば特急列車の専用線となっている。三複線の淀川鉄橋を渡ると、大阪駅には向かわずに東海道本線と別れ、阪急線の高架手前で単線となり、現在は更地となった広大な旧梅田貨物駅の脇を進んでいく。右手には「未来の凱旋門」とも呼ばれる梅田スカイビルが聳え立ち、左手には更地の向こう側に大阪駅のシンボルとなった大屋根が見える。とても近未来的な風景で、大阪という街のエネルギーが感じられる。列車は東海道線の下をくぐって大阪環状線の高架に寄り添いながら地上をゆっくり進んでいく。福島駅の下には渋滞で悪名高き、なにわ筋の踏切がある。そこを過ぎれば次第に高度を上げて大阪環状線と合流する。
ひっきりなしに電車が行き交う大阪環状線には西九条駅で乗り入れる。西九条は二面3線の駅で、ユニバーサルシティーのある桜島線への分岐駅でもある。列車は西九条駅に近づき、梅田貨物線が空くのを待っている新大阪行くろしお4号を眺めながら、まず環状線外回りの線路に転線し、さらに分岐をしながら通勤客で賑わう二面あるホームの間をゆっくりと通過していく。仕事に向かう人々の複雑な思いが籠もる視線が突き刺さる。こんなときはグリーン席でゆったりしているからといって優越感など感じるどころではなく、罪悪感と気恥ずかしさの合わさった思いがするものだ。ホームを抜けてもう一度転線して、大阪環状線内回りに入る。この間、多くの列車が信号待ちになっているはずで、実に申し訳ない。
川の街大阪らしくいくつかのトラス橋を渡る。それはまるで昭和の産業遺産であるかのように時代がかっている。そうかと思えば、UFOのような京セラドームがビルの密集した街中に現れる。それを過ぎれば天王寺は近く、天を衝くかのようなあべのハルカスが立ちはだかる。それに比べると、新世界の通天閣はレトロな雰囲気が漂う控えめなタワーに見えてしまう。ど派手で「こてこて」な通天閣も、朝陽の中ではその本性を隠しており、横浜のマリンタワーのようにおとなしいものである。新旧聖俗入り混じった大阪は、まさにワンダーランドだ。
天王寺界隈
鉄道という視点で見ると、大阪は東京ではなくロンドンに似ている。それ程広くない地域に鉄道が数多く集まり、頭端式(行き止まり)の終着駅が多数存在する。ホームが櫛形になっているので、到着した列車の乗客は、行き止まりの先の改札口に向かい、そのまま街中へ出ていく。旅立つときはその逆で、鉄道を利用する人の流れが二方向に統一されていて美しい。終着駅は始発駅、旅の終わりは旅の始まり。どことなく人生を感じさせる櫛形の駅だからこそ、旅情も掻き立てられるに違いない。
東京では上野駅に風情を感じる人が多いのも、地上駅が行き止まりだからである。高架駅の方は中間駅なので、こちらに特別な思いを感じる人はいないだろう。天王寺駅は上野駅に似ている。ここは大阪環状線・関西本線・阪和線の分岐駅でありながら、そのうち阪和線だけが頭端式の駅となっているのだ。
ただし和歌山方面からの優等列車は大阪環状線を通って大阪まで直通するので、櫛形ホームは使われない。また奈良方面からの関西本線は終点がJR難波のため天王寺では折り返さない。ということで天王寺・大阪間の大阪環状線は様々な車両で溢れかえっている。入り組んだ線路、老朽化した施設を見ていると、ここでも、重厚なロンドンを感じてしまう。
阪和線から紀勢本線へ
行き先表示に羽衣線の文字 |
阪和線は全線複線の近郊路線である。途中、鳳で支線の通称羽衣線が分岐する。わずか一駅1.7㎞の盲腸線で、乗り尽くしを目指す者には手強い相手だ。今回の旅では阪和線完乗にも拘っていたので、昨日のうちに南海電鉄で羽衣までやって来て、歩いてすぐの東羽衣から鳳までを乗車済みにしておいた。そこを今日はあっという間に通り過ぎる。
阪和線の多くの駅はホームが相対式となっていて、通過列車は減速する必要がない。南海本線と競合するJRとしては、競争に勝ち抜くにはスピードダウンは避けなければならないのだろう。尼崎の悲劇は繰り返されてはならないが、関西の鉄道の懸命な速度競争が乗客の利便性を高めていることは間違いない。
家がまばらになり、ゆったりとした町並みの上に青空が広がってきた。関空への分岐地点である日根野駅に近づく。大阪湾に浮かぶ関西国際空港、本土と結ぶ橋、りんくうタウン、離着陸する航空機が見えてくる。
和歌山山脈に向かって上り坂にかかり、雄ノ山トンネルを抜けると紀ノ川沿いに開けた和歌山の町が見えてきた。25‰の急勾配で駆け下りる列車の車窓には、温暖な気候を活かした蜜柑畑が展開している。快晴の空の下、和歌山は光に溢れていた。駅のホームにはJRの職員が「和歌山へようこそ」と書かれた横断幕を持って歓迎している。普段接客をしていない運転手や車掌が中心のようで、慣れない仕事に恥ずかしそうにしていたが、列車が走り出すと一斉に手を振って見送ってくれた。
串本、古座・田原間の海岸 |
和歌山は紀伊半島の入り口である。ここから伊勢国亀山までが紀勢本線で、新宮までは直流電化されているものの、カーブの多いローカル幹線であり、このオーシャンアローは曲線に強い振り子車両だ。ただオーシャンアローと名付けられてはいるものの、意外に海岸を走ることは少なく、山や谷を迂回しながら走っているので、まるで山岳路線のようだ。時折海が見える。
沿線には御坊や紀伊田辺、白浜といった有名観光地が数多く点在する。紀伊半島の南端に位置する串本付近になると、ようやく紀州灘の海岸沿いを走ることが多くなるが、断崖絶壁などはなく穏やかな海岸線が続いている。しかしここは台風銀座で有名な潮岬も近い。今は穏やかな風景も一変して大自然の脅威に晒されることになるのだろう。
串本からは熊野灘に入り、列車は北上を始める。棕櫚の木が植えられていて南国情緒が漂っている。紀伊勝浦にはたくさんの観光ホテルが建っていて、沿線随一の観光地となっている。紀伊勝浦には、JR東海の特急南紀が名古屋から乗り入れている。今回の乗り尽くしの旅では紀伊勝浦と新宮のどちらでも乗り継ぐことが出来たが、折角展望グリーン車に乗ったのだから最後まで堪能しようと、少し先の終点新宮まで行くことにした。ところがこれが大失敗であった。
新宮という町
南国情緒は豊かだけれど |
4時間16分の長旅を終えて南国新宮に着いたのは11時49分、ちょうど昼時であった。しかし人影はまばらで、駅構内にも駅前にも開いているレストラン・食堂は一軒もなかった。あるのはコーヒーショップと居酒屋兼用のラーメン屋だけだ。駅売店には駅弁も置いてない。この土地らしい新鮮な海鮮料理を期待してきたが、唯一見つけた鮨屋は今日から三連休である。商店街までは往復する時間はなく、仕方なくラーメン屋で済ますことにした。ひょっとしたら海鮮ラーメンがあるかもしれない。カウンターに坐ると様々な海産物が酒の肴として表示されている。しかしランチタイムはラーメンのみだという。およそ観光客を意識しない町であった。JR東海との接続駅であるにも関わらず、特急南紀が紀伊勝浦まで乗り入れている意味が漸くわかった。新宮はその名の通り、熊野大社への玄関口であり、観光客の多くが素通りする町だった。
非電化区間に突入
矢になっていないオーシャンアロー |
50分ほどで特急ワイドビュー南紀6号がやって来る。地下道を渡ってホームに立った。向かい側には先程乗ってきたオーシャンアローが停まっている。大阪側の先頭車両は丸みをおびた顔で、とてもアローとは言い難かったが、それはそれで愛嬌がある。この列車は12時45分の折り返しくろしお22号となって新大阪まで戻っていく。今は紀伊勝浦からの交換列車を待っているところだ。
非貫通型の先頭車両 |
その南紀6号がディーゼル音も高らかにやって来た。この先、JR東海管内の紀勢本線は全線非電化の単線路線だ。特急南紀に使用されているキハ85系は1990年前後に造られたJR東海の特急型車両で、スマートな外観と強力なエンジン搭載し電車並みの速力が自慢の、高山本線や紀勢本線で活躍する観光特急である。先頭車両は非貫通形と貫通形の2種類あるが、やはり人気なのは非貫通形であろう。4両編成の南紀は非貫通形を先頭にやってきた。
連結可能な貫通型車両 |
列車は紀伊勝浦からの乗客でほぼ満席状態だった。それに比べると新宮からの乗客はそれほど多くはない。予め海側の指定席を確保していたので、列車の写真を撮ってからゆっくりと車内に向かう。席は通路から一段上がったややハイデッカータイプのものだった。
新宮を12時39分に発車し、短いトンネルを抜けるとすぐに熊野川に差し掛かり、三重県に入る。参宮線との分岐駅である多岐までの間は、紀勢本線で最も閑散とした区間であり、一日に普通定期列車が8本、特急列車が4本というローカル幹線である。それだけに見どころも多い。更に嬉しいことにオーシャンアローにはなかった車内販売のサービスが回ってきた。今特に欲しいものはなかったけれども、やはり特急に乗ったからには車内販売がないともの寂しい。
新鹿湾海水浴場付近 |
熊野市までは七里御浜というなだらかな浜のそばを走る。ここは「21世紀に残したい日本の浜百選」に選ばれた景勝地で、白砂青松の穏やかな浜には産卵のためアオウミガメも上陸するという。次第に空が翳ってきたこともあって、先程までの南国情緒はすでになくなり、日本の浜の原風景とでもいえそうな風景が続いている。熊野市を越えると、入り江が入り組んだ漁村が続く。列車は軽快に飛ばして新鹿湾をめぐっていく。
天気が悪くなるのも考えてみれば当然だ。かつて日本一の降水量を誇った(?)尾鷲はもう間近である。トンネルを抜ければ入り江の漁村という風景を幾度も繰り返す。
紀伊長島は志摩半島の付け根にあたり、ここから紀勢本線は山地へと分け入っていく。前方には標高484㍍の大内山が立ちはだかっており、そこを荷坂トンネル(1914㍍)が貫いている。トンネル入り口はおよそ160㍍地点にあるため、海岸から25‰の急勾配だけでは足りず、いくつものトンネルとオメガループで迂回しながら登っていく。進行左の車窓からは先程通ってきた長島の町や線路が見えるようだが、通路越しに見る風景では詳細はわからない。車窓絶景100選に選ばれるほどだから、またここへは訪れる必要がありそうだ。
力強いエンジン音がにわかに小さくなって、列車はゆっくりとなだらかな坂を下っていく。風景はどこでも見るような山里の風情である。山がなだらかになり、耕地が広がって、やがて国道沿いにお馴染みの大型店などが姿を現す頃には住宅も増えてくる。右から参宮線の線路が近づいてきた。列車は多気に到着だ。
多岐から名古屋へ
紀勢本線は多気から松阪、三重の県庁所在地である津を通って、名古屋には向かわずに亀山までを結んでいる。もともとは伊勢神宮参拝の関西方面からの列車を通すことを目的に造られたため、亀山で関西本線と合流する際も、奈良方面に向いており、名古屋へ行くにはスイッチバックしなくてはならない。伊勢詣でのための特別列車が不要となった今では、亀山・津間はローカル支線と言ってよい。
津駅1番線は伊勢鉄道が発着 |
三重県にとっては名古屋方面へのアクセスが重要であったため、1970年代になってから四日市の外れにある河原田と津とを結ぶ国鉄伊勢線が建設された。ところが名古屋・津・伊勢間には近鉄特急が頻繁に走り、地元の足としても大いに利用されていたために、国鉄は非電化の伊勢線に列車をほとんど走らせなかった。その結果、地元民からは顧みられず、超赤字路線となってしまい、わずか14年で第3セクター伊勢鉄道として切り離されてしまった。伊勢鉄道は非電化ながら高規格で造られた鉄道のため、現在はJR東海の特急南紀や快速みえが頻繁に通るようになった。ほぼ全線が高架で複線区間もあり、単線区間にもすでに複線用地が確保されている。途中には鈴鹿サーキットの最寄り駅、鈴鹿サーキット稲生がある。
鳥羽と名古屋との間は近鉄線が通っているため、財政赤字に苦しんでいた国鉄としては到底勝ち目がないと匙を投げていたのだろうが、現在この区間を走る快速みえの乗車率は決して低くはなく、特急南紀にも大勢の乗客が乗っていることからもわかるように、伊勢線の第3セクター化は誤りであったと言う識者も多い。駅に進入するたびに減速を繰り返さなければならない単線ばかりを走る特急南紀が、高速対応の伊勢鉄道線にはいると軽快に走行するのを実際に体験してみると、やはり何とかならなかったのかと思ってしまう。南紀やみえに乗車する際には、伊勢鉄道経由の連絡切符が必要である。車内検札では、その点を丹念に確認していた。一般の乗客、特に旅行者には実にわかりにくい仕組みである。
河原田駅関西本線ホーム 右上に伊勢鉄道線ホームの屋根が 見える。 |
河原田で関西本線と合流する。ここから名古屋までは電化区間となる。電化区間は亀山まで延びており、亀山・名古屋間には近郊型の通勤電車が走っている。ただ、路線の多くは単線のままなので、併走する近鉄線には見劣りする。駅間で快調に飛ばす特急南紀も、しばしば列車交換のために運転停車を余儀なくされる。この間に近鉄特急は先に名古屋につくのだろうなと思う。しかし、それでもワイドビュー南紀の旅は快適だ。それは人里離れた山紫水明の地を疾走する特急気動車の魅力を存分に味わえるからである。大都市名古屋に近づいても複線区間がほとんどない関西本線だが、だからこそ余計旅情を掻き立ててくれるのかもしれない。ワイドビュー南紀6号は、新宮からの206.8㎞を3時間26分かけて走り抜け、16時10分、定刻どおり名古屋駅12番線ホームに到着した。
(2015/4/2乗車)
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