蒸気機関車を支えた技術
蒸気機関車は数千点の鉄・銅・鉛の金属部品などからできていて、日本を代表するD51型蒸気機関車の場合、約123トンの重さがあり、同程度の大きさの電気機関車の1.4倍もの重量がある金属の塊だ。その塊を動かすためには、部品一つ一つが高熱高圧蒸気の力によって機械的動作を繰り返すしかない。そのため部品は摩耗し、腐食するので、その整備の苦労は計り知れなかった。

これらの展示を見ていると、当時の技術者が如何に創造的な仕事をしていたかということを思い知る。東海道新幹線を作ることに尽力した島秀夫は、もともとは蒸気機関車の設計を行っていた。コンピュータもない時代、製図板と向き合いながら、効率の良い蒸気機関を追究し、自分の頭の中で空間的なイメージを二次元に落とし込んでいく。蒸気機関車は現代人にとってはノスタルジックな鉄道遺産に過ぎないが、当時の人々にとっては、時代の最先端を行く交通機関であり、それに従事する鉄道員は最高の頭脳の持ち主だったということだ。ここにあるもの、それを生み出した技術者がどれほど優れていたかを改めて思い知る場として、ぜひ注目したい展示だと感じる。
今日、日本各地で蒸気機関車の復活運転が行われているが、その準備と維持には莫大な時間と労力が払われていると聞く。もの作りが得意だと言われている日本にとって、蒸気機関車の再生・維持は、それを証明する必要条件のように思える。
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