2017年7月1日土曜日

北海道の産業遺産③


小樽市総合博物館の特徴ある展示物

1980(明治13〜)年代
しづか号【鉄道記念物】
米国ポーター社製

官営幌内鉄道6番目の蒸気機関車。1号の義経号は現在京都鉄道博物館に、2号の辨慶号は大宮の鉄道博物館に所蔵されている。牽引する客車は幌内鉄道の貴賓車い1号。特徴は、最前部に障害排除のための木製カウキャッチャー、大型の前照灯、火の粉を軽減する煙突ダイアモンドスタック、ボイラー上の鐘など、西部劇に登場するアメリカンテイスト満載の外観。



1895(明治28)年
大勝号【鉄道記念物】
現存する国産最古の蒸気機関車 手宮工場製

1889(明治22)年幌内鉄道は財政基盤が脆弱なままに、北海道炭礦鉄道に譲渡された私鉄。1905(明治38)年に鉄道国有法により国鉄となる。1895年3月の日清戦争勝利にちなんで命名された。国産蒸気機関車としては、2例目となる。ポーター社製の蒸気機関車のほぼコピーだが、設計図から製作に至るまで、すべて日本人が行ったという点で極めて意義深い。











1909(明治42)年
アイアンホース号
ポーター社製

1993年に米国から購入された機関車で、日本鉄道史とは直接関係ないものの、幌内鉄道で用いられた蒸気機関車と同じポーター社製であり、今も園内で訪れた人々を運ぶ動態保存機。燃料は重油を用いていて、煙突もダイアモンドスタックとはなっていない。
小樽市総合博物館は、蒸気機関車に関する膨大な史料と同時に実際に機関車を整備し運転するノウハウを持っている点で、他を寄せ付けない施設と言える。









1944(昭和19)年
キ270
ラッセル車 苗穂工場製



基本形のラッセル車。前面で線路上の雪をかき分け、更に屋根上のタンクに詰められた圧搾空気の力によって両翼が開いて、線路脇に雪を押しやる。雪を両側に掻き分ける単線用のタイプ。自走能力はなく、蒸気機関車が後押しした。





1944(昭和19)年
キ718
ジョルダン車 苗穂工場製


圧搾空気の力で両脇に広く広がる羽根を持つ。ラッセル車で押しのけられた雪を更に外側に掻き出すことができたが、雪の抵抗が大きいところでは使えず、主に駅構内・操車場で利用された。






1944(昭和19)年
キ752
ジョルダン車 苗穂工場製


キ718と同時期に作製され、後年圧搾空気から油圧に変更されたタイプ。











1956(昭和31)年
キハ031【準鉄道記念物】
レールバス 東急車輌製

稚内で10年間活躍したもの。利用客の少ない地方にはどのような車両を走らせたらよいかという問題は、いつの世も難しかったようだ。寒冷地用に運転台下にはスノープラウが付き、客室の窓は二重窓となっている。全長10㍍、車輪は二軸。バス用のディーゼルエンジン搭載。乗り心地に難があり、2両連結の場合運転手も二人必要だった。


1976(昭和51)年
DD14 323
ディーゼル機関車 川崎重工製

キマロキ(産業遺産①参照)の能力を1台に集約した除雪車。つまり雪を掻き寄せ、遠くに飛ばしながら自走することができた。除雪装置を取り外すことが出来たので、冬以外にも構内作業に利用できるはずだったが、片運転台としたため、後方視界が悪く、ほぼ除雪用として用いられた。




その他


木製の除雪機。詳細未調査。











冷房はグリーン車だけ。

 広々とした敷地内には、昭和に北海道で活躍した急行車両などが展示されている。屋外展示のため保存には相当苦労しているようで、痛みも激しいのが気がかりだ。訪れた日も修復作業が行われていたが、数が多いだけになかなか手が回らないようである。
 もともと国鉄の施設だったものが、今は小樽市が管理運営することになった。JR各社の中で、JR北海道とJR四国がなかなか本格的な鉄道博物館を持てないでいる。それを補う小樽総合博物館の努力は賞賛されて良い。


左の建物は、旧日本郵船(株)
小樽支店(裏手)。     
 小樽市がこの鉄道施設に力を入れるのには訳がある。小樽観光で欠かすことが出来ないものに小樽運河があるが、それと並ぶ観光スポットが、小樽市総合博物館から歴史建造物が多く残る寿司屋通りまでのおよそ1.5㎞続く、旧国鉄手宮線の遊歩道である。旧色内駅から旧手宮駅の一区間が、そのまま残されている。幌内鉄道に始まる北海道の開拓史の中で、小樽が果たした役割は大きい。それを感じさせてくれる鉄道関連施設であるだけに、大切に保存されているのだ。
(2017/7/1訪問)

0 件のコメント: