2022年7月12日火曜日

インフォメーション


ようこそ、『鉄路の旅人』へ 2022年7月7日、日本の鉄道完乗達成! 

 17年かけて巡った日本中の鉄道も、ようやく終着駅。Last 87.6㎞の旅をご一緒にどうぞ!


(背景写真:終着駅にて)


2022年7月11日月曜日

フィナーレが近づいている


 
乗り尽くしの旅の終着駅をどこにするか。


 全線走破、それは私の人生にとって一大イベントだから、フィナーレにふさわしい駅で締めくくりたい。まず候補に思い浮かんだのは、ようやく東日本大震災から復旧した常磐線の駒ヶ嶺駅か浜吉田駅だ。津波で失われた区間が新たに路線変更となって未乗区間になっていた。ただ欲張りな性分で、同時に復旧した、今では珍しい在来線長距離特急「ひたち」を上野から仙台まで乗り通したい。車窓大好き人間とはそういうものなのだ。ただ、特急はどちらの駅も通過してしまう。悩んでいるうちに各地で短いながらも新線が開業し、グズグズしているうちにコロナ禍が襲ってきてしまった。


てだこ浦西駅にて

 2020年の2月、東京では品薄のマスクが沖縄にはあると聞いて、ゆいレールの新線区間、首里・てだこ浦西間4.1㎞を乗りに行く。確かにホテルでは無料でマスクを配っていて、沖縄の心暖かさにホッとする思いで新線区間を乗り通し、消失した首里城を歩いては火事場の匂いと無残な光景に心を痛めた。このあと、非常事態宣言と共に長い自粛生活は始まる。


 2021年11月、コロナが小康状態になったので、仙台と横浜を訪れる。やはり特急「ひたち」の魅力には勝てなかったのだが、九州こそ終着駅にふさわしいと思い始めたからでもある。これで常磐線の付替区間、相模鉄道とJRの直通線、金沢シーサイドラインの金沢八景駅移転に伴う延長区間に乗ることができた。残るは、富山と九州の3路線、のはずだった。



 カウントダウン目前に!?


 コロナ新規感染者数が低い数値で安定し始めた6月1日、旅に出るなら今がチャンスとばかりに最終ゴール日を決め、九州旅行の実行日を7月5日〜8日に定めて、早速往復の早割航空券とホテルの予約を済ませた。それまでの間に富山地方鉄道の市内電車に乗っておかなければならなかったが、何せ折紙付きの雨男、少しでも天気の良い日にしようと様子を伺っていた。


 乗り尽くしを始めて17年になる。この間の記録はすべてWeb上の「乗りつぶしオンライン」で管理している。乗車区間・乗車キロ・日付・コメント等が記録できる優れもので、廃線区間乗車の記録や登録者間での順位までわかる、いわゆる「乗り鉄」にとってバイブルのような存在だ。私は時々チェックしながら旅の計画を立てている。富山行きがなかなか決まらず、ゴール期限が迫る6月中旬のある日、乗車達成率が合わないことに気付いた。何で今更?


 完全乗車したかどうかなど、すべては自己申告制である。嘘をついて人に自慢してもしかたがないことであり、自己満足の世界だからこそ、数値の齟齬は致命的だ。乗車したはずの路線で見落としがあったのか。そんなはずはないと思いつつ、記録を見直して見ると私鉄編で原因が見つかった。6年前に乗車したはずの阿佐海岸鉄道が、いつの間にか100%乗車済みではなくなっていたのだ。

 完乗達成まで3週間を切ったところで、残り4路線に増えていた。


(2020/2/18  沖縄ゆいレール首里・てだこ浦西乗車)

(2021/11/28 常磐線駒ヶ嶺・浜吉田乗車)

(2021/11/30 東海道線鶴見・羽沢横浜国大乗車)

(2021/11/30 相模鉄道JR直通線は安房横浜国大・西谷乗車)

(2021/11/30 横浜シーサイドライン金沢シーサイドライン旧金沢八景・金沢八景乗車)

 

(2022/6/18記す)


2022年7月10日日曜日

あと4路線、52.1㎞ 阿佐海岸鉄道の巻


まずは四国を目指す


 7月5日からの九州行きで全線走破を達成するためには、何としてでも6月中に阿佐海岸鉄道に乗り直さなくてはならず、しかもその後すぐに富山へも行かなくてはならなかった。時間にゆとりがありそうなリタイア生活でも、結構野暮用があって、自由な時間は限られているものだ。乗り尽くしの旅自体が野暮用そのものだけれど。

 四国は意外に遠い。その上、阿波海岸鉄道は日本で最も収益性の低い私鉄であり、過疎化著しい徳島と高知の僻地にまたがる鉄道である。

 せっかく四国へ行くならサンライズ瀬戸の個室寝台を利用したい。早朝に瀬戸大橋から島々の間をゆく船とその航跡を眺めるのは実に気持ちが良い。だがさすがに人気の列車だけあって、ネット予約では希望日がすでに埋まっていた。それでも翌日の東京行きにはまだ空室がある。どうしようかと思案しているうちに残り僅かとなったので、慌てて帰路のサンライズ・シングルツインを押さえた。往路も幸い徳島へのJAL早朝便が割安で購入できた。なんとサンライズの約3分の1だ。鉄道旅行が敬遠されてしまうのも無理はないが、とにもかくにも、6月も押し迫った27日、再度阿佐海岸鉄道に乗ることになった。



6年前を振り返る


 2016年夏に訪れた際には、徳島から特急むろとで牟岐まで行き、各停のディーゼルカーに乗り換えて牟岐線の終点海部へと向かった。

海部駅
 海部駅の手前に、駅に寄り添うようにして奇妙なトンネルがある。長さ10メートルにも満たないような短いトンネルなのだが、本来あるべき山がない。トンネルの構造物である台形のコンクリートの躯体と申し訳程度の樹木だけが残っている。なんでも周辺の宅地開発の際に、山だけが切り崩されたのだそうだ。

 この強烈な印象の海部駅で阿佐海岸鉄道に乗り換える。やって来たのは、煤けたディーゼルカーで、ふうりん号というヘッドマークをつけていた。乗車してみると、天井はLEDライトと造花で飾られ、その間にいくつもの風鈴がぶら下がっている。窓には簾。夜店に来たような雰囲気だ。存続危惧路線の健気な接客サービスなのだが、車窓を楽しみにしている者にとっては、鉄さびと排煙で汚れた窓から眺める阿佐海岸がなんとも切なく、正直言って、あまり印象の良い鉄道とは言えなかった。

 切ないのは終点の甲浦駅も同様だ。もともとこの鉄道は国鉄阿佐線として構想され、室戸を通って、奈半利へと結び、高知市まで繋がるはずだった。阿波と土佐が鉄道で結ばれれば、室戸岬も便利になって観光にも寄与したことだろう。しかし、甲浦〜室戸〜奈半利はついに建設されることはなかった。そのため線路は甲浦駅で突然行き止まる。山に囲まれた寒村に建設された高架線が突然断ち切られているのだ。

 夏の盛りだったが、もともと乗客は少く、数人の観光客と共に室戸岬行きのバスに乗り換えた。せめて室戸まで路線が延びていれば、という思いが関係者にはあったに違いない。



牟岐線に乗って


 6年前の牟岐線には3往復の特急が走っていたが、今では1往復、それも朝に牟岐を発って夕方徳島から戻るダイヤになってしまった。つまり観光需要はまったく見込めないとJR四国は考えているのだろう。室戸岬へはマイカーか観光バスを利用する人がほとんどなのだ。

 徳島駅はステーションビルが建て替えられて、県庁所在地にふさわしい堂々とした玄関口になっていた。しかし改札口に一歩足を踏み入れると、昔ながらの懐かしい煤けたホームが健在だ。空が広々とした非電化特有のすっきりしたホームに、最新式の振り子ディーゼル特急うずしお高松行が停まっていてる。華やかなこちらを横目に、少しくたびれた跨線橋を渡って、9:30発の各停阿波海南行が待つ3番ホームを目指す。わずか一両のディーゼルカーだが、ボックスシートのほとんどは空席のままだ。

 徳島を出発し50分ほどは、右手奥に四国山地が連なり、手前には田園地帯が広がる日本的な風景が続く。那賀川の長いトラス橋を渡ると阿南に着く。ここで列車交換のため少々停車。阿南というと終戦の日に自決した陸軍大臣のことがふと頭をよぎるが、あちらは「あなみ」こちらは「あなん」で関係はないらしい。取り留めもないことを考えているうちに、うなりを上げてディーゼルカーは走り出す。各駅で若干の人の入れ替わりはあるものの、やはり各ボックスに1人程度。鉄道会社にとっては困ったものだろうが、旅人にとっては最高の状態だ。こんな時はスキットルを傾けて、ウイスキーをひとくち飲みたいところだが、今朝は空路徳島入りしたものだから、液体を機内に持ち込めないため空のままで甚だ残念である。飛行機にはワインオープナーも持ち込めないし、不便極まりない!

 田園風景と分かれて鬱蒼とした山をトンネルで抜けると由岐に着く。由岐海岸は南国の雰囲気あふれる静かで美しい海岸だ。このあたりから風景が輝いてくる。日和佐で印象に残っているのは、入江の丘に建つ天守閣だ。こんな所に天守閣があるんだなあ、良い風景だなあと感心したものだが、なんと模擬天守なのだそうだ。要するに熱海城と同じで、歴史的な根拠はあやふやらしく、城郭としての価値はないらしい。よく見れば、最上階はサッシでぐるりと囲まれて展望が楽しめる感じだ。模擬とはわかっていても、ここまでやって来て再び巡り会えるのは嬉しいものだ。

 牟岐から先は、童謡『汽車』の歌詞のように「今は山中、今は浜」と美しい景色が続いて、終点阿波海南に着く。徳島から2時間8分の旅である。かつて海部まで続いていた牟岐線は、ここで終わっていた。車止めの向こうに、駅の左手に流れていくようにして、阿佐海岸鉄道の線路らしきものが見える。



世界初! DMVで町おこし


 日本の私鉄でもっとも利用者が少ないといわれる阿佐海岸鉄道が、起死回生の切り札として採用したDMVについて、すこし触れておきたい。

 デュアル・モード・ビークル(Dual Mode Vehicle)は道路と線路両方を走れるように、鉄道車両として改造したバスのことだ。2000年代にJR北海道で試験走行を繰り返していたことは有名で、残念ながら度重なる他の鉄道事故と経営難から計画は立ち消えとなってしまった。この間、阿佐海岸鉄道でも検討されていたようで、紆余曲折を経た上で、昨年12月についに本格運用に漕ぎ着けた。なんとしても室戸岬まで結びたかったのだろう。

 その導入については、ニュース等で知っていたが、乗り尽くしの旅は新しい車両に乗ることを主な目的としているわけではないので、特に注意を払ってはいなかった。だから、路線変更(部分的に新線)扱いになっていたことに気付かなかったのである。JRが第3セクターに替わっても、ふつうは名前が変わるだけで、たとえば信越線がしなの鉄道に替わっても乗車記録はそのまま生きる。

 ところがここでは違っていた。DMV化に伴って、牟岐線の海部・阿波海南間1.5㎞が阿波海岸鉄道に譲渡されることになった。譲渡自体はよくあることで問題はないのだが、DMVを運行するためには、バスから鉄道、鉄道からバスへのモードチェンジを行う施設が必要となる。阿波海南は地上駅のため道路へのアクセスが容易だが、海部と甲浦は高架のために一工夫がいる。幸い甲浦は高架線路のさきに空間が広がっているので、スロープさえ造れば地上に降りやすい。そのための路線変更だった。結果として、私にとってはモードインターチェンジ部分が未乗区間となったのである。

 モードチェンジは面白いので、映像にまとめてみた。






 地元では、〈えっ !? 線路にバス !? 世界初を 乗りに行こう!!〉というキャンペーンを通して、町おこしが始まっている。休日限定だが、念願の室戸岬への運行も行われるようになった。平日は阿波海南文化村から阿波海南駅まではバス運行、その先甲浦までが鉄道運行、更に道の駅宍喰温泉までがバス運行される。阿波海南文化村も道の駅も鉄道の駅から歩いて行けるところなので、観光を楽しみながら全線乗車してDMVを堪能することが出来る。そしてなんと言っても、まだ真新しい車窓からは、南国の美しい海岸が眩しく輝いて見えるのが最高の魅力だろう。

 道の駅宍喰温泉では、地物の新鮮な海産物が待っていた。私は乗車を祝して、鰹のたたきを肴に生ビールで祝杯をあげることができた。阿佐海岸鉄道の試みが成功することを願うばかりだ。


 乗り尽くしまで、あと3路線。今回の乗車は牟岐線の廃線と阿佐海岸鉄道の路線変更が同距離のため、残り52.1㎞は変わらず。27240.2㎞乗車済み。

(2022/6/27乗車)

2022年7月9日土曜日

ちょっと寄り道 大糸線の巻

大糸線のこと

白馬三山と道祖神
 阿佐海岸鉄道を堪能し、高松から寝台特急サンライズ瀬戸で東京に戻ったあと、そのまま新宿から「8時ちょうどのあずさ♫」に乗り、私は信濃路を抜けて富山を目指した。梅雨のさなかとはいえ、驚くほど天気に恵まれた。甲斐駒から北アルプスの山々まで、息を呑むほどの絶景が続く。車窓大好き人間にとっても、これほど経験はなかなかできるものではない。あずさ号からの一枚を載せておく。
 以前にも記したように、大糸線車窓の最大の問題は電線が絶えず邪魔することだ。残念ながらこの一枚にもしっかり映っている。日本が観光立国を標榜するなら、電線の地中化は避けて通れないだろう。美しい仁科三湖も、車窓からカメラを向けると必ず電線が写り込んでしまう。一つ救われるのは、車窓を楽しむ我々の目には、あまり電線が見えないことである。心のフィルターは、大自然の美しさに目を奪われて、醜い人工物は取り除いてくれるようだ。夢中で写した写真を後から楽しみに見ると随分ガッカリするが。
 
 余談になるが、どうして信濃大町と富山を結ぶ観光列車を運行しないのだろう。翡翠で有名な姫川にちなんで、私はネフライト・エクスプレスと勝手に名付けて、その運行を空想している。ネフライトとは翡翠のことだ。

 立山黒部アルペンルートは国内屈指の人気ルートだが、マイカー族には途中で引き返すか、あるいは自動車回送サービスを利用するか悩ましいところだ。仮に富山(立山)・信濃大町間に別ルートの観光資源があれば、車を駐車場に停めて、ぐるっと一周することが可能となる。鉄道好きなら誰もが知っているルートがある。大糸線の北半分がそれで、大町からは珠玉の仁科三湖、後立山連峰の険峻な峰々、白馬三山を眺めた後は急流姫川の渓谷美が続く。

 特に姫川は両岸に山塊が迫り、古来塩の道と呼ばれる交通の要衝でありながら、道の確保に難儀した場所だ。今も国道148号線はスノーシェッドと呼ばれる落雪・落石・落ち葉や風水害から守る覆いに包まれて、とても姫川の景観を楽しむことなど出来ないが、考えようによってはスリリングな国道ともいえる。対岸の山塊を大糸線が走っている。糸魚川・静岡構造線と呼ばれる地質学上珍しい地形だからこそ、自然災害も多く、同時に景観も優れているのだ。今JR西日本は、収益性に悪さから廃線にしたがっている区間である。

 廃線は実にもったいない。今回私がJR西日本に支払った南小谷・糸魚川間の運賃は、わずか680円。1時間ほどのところを、小振りのディーゼルカーが1両編成で7往復するに過ぎない。これでは採算もとれないだろう。起死回生の秘策はあるのか。

 一つある、と私は思う。それも始めはお金を掛けずに。

 えちごトキめき鉄道に大人気観光列車「雪月花」がある。スイスの登山鉄道を彷彿とさせる真っ赤なボディーは、天井付近まで視界が開け、食事を楽しみながら走る列車で、糸魚川まで運行されている。なかなか予約の取れない列車だが、実は土曜と休日のみの運行なのだ。これを試験的に平日だけ運行してみればよい。富山・市振間はあいの風とやま鉄道、糸魚川まではえちごトキめき鉄道、南小谷まではJR西日本、信濃大町まではJR東日本が担当する。時刻表も考えてあるので紹介すると…

 7時30分富山5番線発車。7時55分魚津で宇奈月温泉方面からの客が乗ってきたところで朝食サービスが始まる。メニューは、日本海御前または白エビ海鮮サラダの洋定食からのチョイス。次第に大きくなっていく立山連峰を眺めながらの一時だ。途中親不知子不知の伝説を聞きながら8時46分、糸魚川2番線到着。ここで折り返し49分、大糸線に入る。ネフライト・エクスプレスの名前の由来となった翡翠やフォッサマグナの説明を受けながら姫川の景観を堪能する1時間だ。南小谷からはJR東日本が担当。ここからは白馬三山や仁科三湖を愛でながらのティータイム。10時39分信濃大町1番線に到着。
 信濃大町に車を停めて、すでにアルペンルートを楽しんだ観光客は、ここから家路に向かう。富山に車を停めた場合は、ここからアルペンルートを楽しみつつ富山に向かうことになる。
 一方早朝に首都圏や名古屋圏を車で出発した場合は、そろそろ大町に着いている頃だろう。ネフライト・エクスプレスの信濃大町出発は11時16分である。11時42分白馬を出発したところでランチタイム。メニューは、信州蕎麦会席または安曇野の山葵を利かせた飛騨牛ステーキランチ。ドリンクは安曇野ワインか日本酒大雪渓を始めとしてソフトドリンクも。長時間の運転、ご苦労様。糸魚川13時19分着。食後のティータイムを楽しみながら14時36分富山駅4番線ホームに到着。

 いかがだろう。車で移動する観光客に受けると思うのだが。4社合同というところが難しいかもしれないが、どこも損をしないはずだ。儲かるとわかればすぐ飛びつくのがJR東日本。資金力があるので、特別車両を作ってしまうかも知れない。商売下手な(と私は思うのだが)JR西日本も新幹線客目当てに、糸魚川からの区間乗車をあてこんだツアー列車を作ってしまうかも知れない。ただいずれにせよ、車社会と食文化を取り入れた豪華列車がポイントだろう。片道通行が原則のアルペンルートでは、多くの観光客が鉄道ではなく観光バスで立山か信濃大町まで行き、快走されてきたバスで反対側から抜けていってしまう。鉄道愛好家には、絶景の大糸線をいかしきれていないことが悔しくてしょうがないのだ。

(2022/6/29乗車)
 
 
 
 
 


2022年7月8日金曜日

あと3路線、0.1㎞延びた富山港線の巻

 鉄軌道王国富山の本気度

旧富山駅北(停)付近
 富山地方鉄道富山港線は、JR西日本が手放したローカル線だった。鉄道紀行作家宮脇俊三が『時刻表二万キロ』の旅で最終列車を乗り逃し、再度訪問し直すような鄙びた線区だったのだが、地元財界と富山市が協力して第三セクターを設立、富山ライトレールと名称を改め、路線を開発途上の富山駅北口に新設し、車両もモダンなLRT(低床路面電車)にして大幅に運転本数を増やした優等生だ。

新幹線の下に新設された停留所
 それが2年前、最後の総仕上げとして0.1㎞ほど延長された。たかだか100㍍と思うなかれ。富山市を南北に分断する北陸新幹線富山駅の真下で、富山地方鉄道軌道線(市内電車)と結ばれたのである。富山ライトレールは、富山地方鉄道に発展吸収され、南北の相互乗り入れが始まった。つまり、南北の移動を活性化するという都市計画の一環として実現されたわけで、鉄道と言えば廃線ばかりが話題なる昨今、まさに快挙と言って良い。

 富山に続けとばかりに宇都宮でも来年LRTが開業する。広島でも広電がJR広島駅の構内に入るようだ。鉄道間のアクセス向上は、利用者にとって計り知れないほどの恩恵を与えてくれる。大都市での乗り換えによる時間と労力のロスは、ストレス以外の何物でもない。それが富山のような中規模の都市で、劇的に変わっているのは、驚きでもある。ヨーロッパ的な雰囲気の漂う富山市内電車の将来が楽しみだ。

洗練された富山駅
 富山駅を間に挟み、東西を数回乗車して行き来してみる。多くの人は富山で下車するが、乗り続ける人も決して少なくない。都市計画者のねらい通り、確実に南北の人流が生まれているのだろう。

 富山県は、鉄軌道王国を標榜している。鉄道王国とすれば良いところを敢えて鉄軌道という奇妙な言い回しにしたあたり、路面電車をはじめ観光資源としてのトロッコ電車など、軌道に期待を寄せる富山県の本気度が感じられる100㍍だった。これで残るのは九州の2路線、52.0㎞。新幹線でとんぼ返りする。

(2022/6/29乗車)

2022年7月7日木曜日

27292.3㎞の終着駅

後藤寺線で田川後藤寺へ

折り返し新飯塚行後藤寺線列車
 筑豊炭田の集積地、田川後藤寺のプラットホームに立つのは3度目だ。採炭が終わりを告げ、網の目のように張り巡らされた炭鉱鉄道の多くも廃線となり、ボタ山にも緑が生い茂って、かつての賑わいはどこにもない。残されているのは、今は使われなくなってしまった数多くの引き込み線と寂寥感あふれるだだっ広い構内、そして生まれ変わろうと呻吟する町の風情くらいだろう。花壇が置かれた駅構内は地元の人の優しさが感じられるが、それでもここが日本のラストベルト(Rust Belt:錆びた地帯)であることは否めない。駅舎も列車も至る所、錆が浮いている。

 昔から「乗り鉄」泣かせといわれた筑豊各線だが、ここ周辺ではJR日田彦山線と後藤寺線、それに平成筑豊鉄道だけとなってしまった。それでも接続の悪いローカル線を効率よく乗り尽くすのは結構難しく、結局後藤寺線と日田彦山線の南半分が未乗区間として残り、その接続駅である田川後藤寺駅へは3回目の訪問となった。

 駅は0番線と1番線が後藤寺線(一部日田彦山線)、跨線橋が伸びて中央2番線は平成筑豊鉄道糸田線、その先3番線と4番線が日田彦山線専用ホームという堂々とした設えだが、長大編成にも対応したホームの真ん中にちょこんと単編成のディーゼルカーが停車する、黄昏行くローカル線の風情そのものだ。鉄道愛好家にはたまらなく嬉しい風景だが、情緒だけでは鉄道は成り立たないと言った某JR社長のことばが胸に突き刺さる。

最後に選んだ日田彦山線

 


添田から先に鉄路はない
 日田彦山線は、2015年7月の九州北部豪雨で添田以南が不通となってしまい、代行バスが走るようになった。以後、復旧を待ったものの2020年、ついに不通路線のBRT(Bus Rapid Transit)化が決まってしまう。日田彦山線は、日田にも彦山にもディーゼルカーでは行けない路線になってしまったのである。乗車したディーゼルカーは添田まで。添田から先は次第に山が迫り峠越えとなる。だから、私にとって鉄道最後の終着駅は添田なのだが…制度上、代行バスは鉄道扱いなのだ。

 添田駅で停車した列車の先には、無情にも車止めが設置され、その先の線路はすでに剥がされて道床だけになっていた。

 日田彦山線の名前の由来となった彦山は、霊峰英彦山にちなんだものだ(英があってもなくても読み方は同じ)。英彦山神宮を模した駅舎のある彦山駅が沿線の主要駅であり、新幹線が博多に通じた1975(昭和50)年の時刻表3月号によれば、上下4本もの急行が停車する賑わいを見せていた。今では想像しがたいことだが、久大本線の鳥栖を通って日田や由布院へ向かうよりも1本多く、それほどこの地域の重要路線だったのである。

日田行代行バス

 しかし、今はその面影もなく、英彦山神宮へのアクセスはマイカーか添田町バスに限られる。そして日田を目指すものは、駅から100㍍ほど戻った所にあるバス停から、代行バスに乗り換えるのだ。乗客は2名だった。

 バスは30㎞ほどの距離を1時間ほどで駆け抜ける。ところどころで放置された日田彦山線の線路に沿いながら、途中つづら折りの峠越えを挟みつつ、列車の来ない駅に立ち寄っていく。彦山駅はすでに撤去され、小振りの瀟洒な停留所に生まれ変わっていた。BRT化の準備が進んでいるようだ。完成すれば峠越えも解消するだろう。

そしてゴールへ

 17年間の旅を終えるにあたり、最後に選んだのは久大本線と日田彦山線の接続駅「夜明」。コロナ禍にウクライナ侵攻、その上に老後の心配など、なにかと不穏な気配が漂う昨今、そんなときだからこそ希望をうしなってはいけないだろう。それを後押ししてくれるような素敵な駅名ではないか。
 代行バスを降り、階段を昇ると静かな無人駅舎があった。7月7日10時10分過ぎ、夜明駅のホームに立つ。ようやく乗り尽くしの旅の終着駅に到着した。しかし、旅の終わりは新たな旅の始まりでもある。次の駅は光岡(てるおか)、そしてその次は日田(ひた)。光は次第にあふれていく。前途洋々とした未来へ続いていく。


(2022/7/7乗車)