2022年7月7日木曜日

27292.3㎞の終着駅

後藤寺線で田川後藤寺へ

折り返し新飯塚行後藤寺線列車
 筑豊炭田の集積地、田川後藤寺のプラットホームに立つのは3度目だ。採炭が終わりを告げ、網の目のように張り巡らされた炭鉱鉄道の多くも廃線となり、ボタ山にも緑が生い茂って、かつての賑わいはどこにもない。残されているのは、今は使われなくなってしまった数多くの引き込み線と寂寥感あふれるだだっ広い構内、そして生まれ変わろうと呻吟する町の風情くらいだろう。花壇が置かれた駅構内は地元の人の優しさが感じられるが、それでもここが日本のラストベルト(Rust Belt:錆びた地帯)であることは否めない。駅舎も列車も至る所、錆が浮いている。

 昔から「乗り鉄」泣かせといわれた筑豊各線だが、ここ周辺ではJR日田彦山線と後藤寺線、それに平成筑豊鉄道だけとなってしまった。それでも接続の悪いローカル線を効率よく乗り尽くすのは結構難しく、結局後藤寺線と日田彦山線の南半分が未乗区間として残り、その接続駅である田川後藤寺駅へは3回目の訪問となった。

 駅は0番線と1番線が後藤寺線(一部日田彦山線)、跨線橋が伸びて中央2番線は平成筑豊鉄道糸田線、その先3番線と4番線が日田彦山線専用ホームという堂々とした設えだが、長大編成にも対応したホームの真ん中にちょこんと単編成のディーゼルカーが停車する、黄昏行くローカル線の風情そのものだ。鉄道愛好家にはたまらなく嬉しい風景だが、情緒だけでは鉄道は成り立たないと言った某JR社長のことばが胸に突き刺さる。

最後に選んだ日田彦山線

 


添田から先に鉄路はない
 日田彦山線は、2015年7月の九州北部豪雨で添田以南が不通となってしまい、代行バスが走るようになった。以後、復旧を待ったものの2020年、ついに不通路線のBRT(Bus Rapid Transit)化が決まってしまう。日田彦山線は、日田にも彦山にもディーゼルカーでは行けない路線になってしまったのである。乗車したディーゼルカーは添田まで。添田から先は次第に山が迫り峠越えとなる。だから、私にとって鉄道最後の終着駅は添田なのだが…制度上、代行バスは鉄道扱いなのだ。

 添田駅で停車した列車の先には、無情にも車止めが設置され、その先の線路はすでに剥がされて道床だけになっていた。

 日田彦山線の名前の由来となった彦山は、霊峰英彦山にちなんだものだ(英があってもなくても読み方は同じ)。英彦山神宮を模した駅舎のある彦山駅が沿線の主要駅であり、新幹線が博多に通じた1975(昭和50)年の時刻表3月号によれば、上下4本もの急行が停車する賑わいを見せていた。今では想像しがたいことだが、久大本線の鳥栖を通って日田や由布院へ向かうよりも1本多く、それほどこの地域の重要路線だったのである。

日田行代行バス

 しかし、今はその面影もなく、英彦山神宮へのアクセスはマイカーか添田町バスに限られる。そして日田を目指すものは、駅から100㍍ほど戻った所にあるバス停から、代行バスに乗り換えるのだ。乗客は2名だった。

 バスは30㎞ほどの距離を1時間ほどで駆け抜ける。ところどころで放置された日田彦山線の線路に沿いながら、途中つづら折りの峠越えを挟みつつ、列車の来ない駅に立ち寄っていく。彦山駅はすでに撤去され、小振りの瀟洒な停留所に生まれ変わっていた。BRT化の準備が進んでいるようだ。完成すれば峠越えも解消するだろう。

そしてゴールへ

 17年間の旅を終えるにあたり、最後に選んだのは久大本線と日田彦山線の接続駅「夜明」。コロナ禍にウクライナ侵攻、その上に老後の心配など、なにかと不穏な気配が漂う昨今、そんなときだからこそ希望をうしなってはいけないだろう。それを後押ししてくれるような素敵な駅名ではないか。
 代行バスを降り、階段を昇ると静かな無人駅舎があった。7月7日10時10分過ぎ、夜明駅のホームに立つ。ようやく乗り尽くしの旅の終着駅に到着した。しかし、旅の終わりは新たな旅の始まりでもある。次の駅は光岡(てるおか)、そしてその次は日田(ひた)。光は次第にあふれていく。前途洋々とした未来へ続いていく。


(2022/7/7乗車)

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