後藤寺線で田川後藤寺へ
折り返し新飯塚行後藤寺線列車 |
昔から「乗り鉄」泣かせといわれた筑豊各線だが、ここ周辺ではJR日田彦山線と後藤寺線、それに平成筑豊鉄道だけとなってしまった。それでも接続の悪いローカル線を効率よく乗り尽くすのは結構難しく、結局後藤寺線と日田彦山線の南半分が未乗区間として残り、その接続駅である田川後藤寺駅へは3回目の訪問となった。
駅は0番線と1番線が後藤寺線(一部日田彦山線)、跨線橋が伸びて中央2番線は平成筑豊鉄道糸田線、その先3番線と4番線が日田彦山線専用ホームという堂々とした設えだが、長大編成にも対応したホームの真ん中にちょこんと単編成のディーゼルカーが停車する、黄昏行くローカル線の風情そのものだ。鉄道愛好家にはたまらなく嬉しい風景だが、情緒だけでは鉄道は成り立たないと言った某JR社長のことばが胸に突き刺さる。
最後に選んだ日田彦山線
添田から先に鉄路はない |
添田駅で停車した列車の先には、無情にも車止めが設置され、その先の線路はすでに剥がされて道床だけになっていた。
日田彦山線の名前の由来となった彦山は、霊峰英彦山にちなんだものだ(英があってもなくても読み方は同じ)。英彦山神宮を模した駅舎のある彦山駅が沿線の主要駅であり、新幹線が博多に通じた1975(昭和50)年の時刻表3月号によれば、上下4本もの急行が停車する賑わいを見せていた。今では想像しがたいことだが、久大本線の鳥栖を通って日田や由布院へ向かうよりも1本多く、それほどこの地域の重要路線だったのである。
日田行代行バス |
しかし、今はその面影もなく、英彦山神宮へのアクセスはマイカーか添田町バスに限られる。そして日田を目指すものは、駅から100㍍ほど戻った所にあるバス停から、代行バスに乗り換えるのだ。乗客は2名だった。
バスは30㎞ほどの距離を1時間ほどで駆け抜ける。ところどころで放置された日田彦山線の線路に沿いながら、途中つづら折りの峠越えを挟みつつ、列車の来ない駅に立ち寄っていく。彦山駅はすでに撤去され、小振りの瀟洒な停留所に生まれ変わっていた。BRT化の準備が進んでいるようだ。完成すれば峠越えも解消するだろう。
そしてゴールへ
17年間の旅を終えるにあたり、最後に選んだのは久大本線と日田彦山線の接続駅「夜明」。コロナ禍にウクライナ侵攻、その上に老後の心配など、なにかと不穏な気配が漂う昨今、そんなときだからこそ希望をうしなってはいけないだろう。それを後押ししてくれるような素敵な駅名ではないか。
代行バスを降り、階段を昇ると静かな無人駅舎があった。7月7日10時10分過ぎ、夜明駅のホームに立つ。ようやく乗り尽くしの旅の終着駅に到着した。しかし、旅の終わりは新たな旅の始まりでもある。次の駅は光岡(てるおか)、そしてその次は日田(ひた)。光は次第にあふれていく。前途洋々とした未来へ続いていく。
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