2014年10月1日水曜日

コミック列車の似合う町

まずはクイズから

問1)アンパンマン、ゲゲゲの鬼太郎、忍者ハットリくん、ドラえもん、サイボーグ009に共通することを答えよ。

 漫画の主人公の描かれたラッピング列車が全国各地で活躍している。ということで答えは漫画列車である。町興しの一環であったり、ローカル鉄道の活性化のためであったりと目的は様々だが、いずれも著名な漫画家に縁とゆかりのある土地で乗ることができる。それほど漫画に親しんでいない私には、乗り尽くしの旅の途中の予期せぬ出会いであったが、郷土の誉れを背負って走る列車には大変親しみを感じることができた。
 今回はそんな漫画列車が登場する話である。それでは次の問題だ。こちらは少し難しいかもしれない。

問2)それぞれどの路線で走っているか。線名を答えよ。

 解答はこのブログのどこかに示すことにして、話を先に進めよう。

散居村を行く城端線

 珍しく「大人の休日倶楽部」会員限定パス(東日本・北陸)利用期間中に休みが取れた。旅行客閑散期に設定されている超割引パスなのだが、気軽に有給休暇がとれない我が身にとっては、いつも悔しい思いをしていた。降って湧いたようなこのチャンス、「今ここで行くしかない」と思いつつ、「はて、どこへ行こうか」ということで、来年3月に北陸新幹線が金沢まで開業すれば激変するであろう富山を訪ねることにした。
 新幹線の開業によってまた並行在来線がJRから切り離される。今回は北陸本線の直江津・金沢間が第3セクター化され、県が有力出資者のために新潟・富山・石川に3つの鉄道会社が誕生する。JR限定の青春18切符は使えなくなり、この割引パスだってどうなるかわからない。今回は超割引パスが使える最後のチャンスかもしれないのだ。
 休日初日の朝、上越新幹線で越後湯沢に行き、ほくほく線経由のはくたか2号で高岡に着いたのは10時27分であった。東京からは3時間半の旅だ。随分と近くなったものだが、鉄道が飛行機と戦えるギリギリのラインであることに変わりはなく、JRが北陸新幹線開業を急ぐ理由もわからなくはない。開業後は1時間短縮されることになり、航空機から鉄道に人が戻ってくると考えられている。しかし一方で味わいのある在来線がまた一つ無くなってしまう。車窓ファンにとってはとても残念でならない。
 高岡は鉄道の要衝であり、北陸本線の支線、城端線と氷見線への乗り換え駅となっている。この2本のローカル線は、新幹線とは直角に交わっているので、本線がなくなった後もJR西日本にとどまることになっている。こうして本線がなくなり、ポツンと取り残される在来のローカル線がところどころに生まれている。青森の大湊線と八戸線、岩手の花輪線、長野の小海線。今まではJR東日本にだけ見られた飛び地のようなローカル線が、今後増えていくことだろう。
 さて、今日最初に乗るのは城端線である。ホームの外れに車庫があり、たくさんのカラフルな気動車が停まっている。そのうちホームにやって来たのは青地に漫画が描かれたキハ40で、正面の貫通ドアに描かれていたのは忍者ハットリくんだった。高岡は藤子不二雄ゆかりの土地である。
 城端線は高岡から城端まで、全長29.9kmの単線非電化のローカル線だ。沿線に砺波市があり、チューリップ畑が有名である。列車は高岡を出発するとすぐに北陸本線から離れて、民家の軒先を進んでいく。その先、列車は神社の境内の脇を通り、明らかに家庭菜園と思われる猫の額のような畑と民家の前を通り過ぎる。この風景との距離感がローカル線の楽しみの一つだ。しばらく行くと新幹線新高岡駅の建設現場を通過する。現在城端線の新駅も建設中だ。
 この地方の屋根瓦は黒光りしていて、釉薬をかけてから焼かれたものが多い。また落雪を防ぐために瓦に取り付けられた雪止めは、東京なら一段のところ、三段になっている。雪国だから当然だろうが、かと言って越後のように床が嵩上げされているわけではない。
 更にこの地方の景観として特徴的なのは、農家が集落を作らず、一軒一軒散らばった散居村になっていることだ。各家は日除け風除けの高い木立に囲まれている。隣家との間は田圃が隔てており、家屋敷は比較的大きく、豊かな土地であることを窺わせる。車窓を木立に囲まれた農家が次々に通り過ぎていく。なんでも日本最大の散居村であり、砺波平野全体では7,000戸にものぼるのだそうだ。今では廃線となってしまった出雲地方の大社線でもかつて同じ風景を見ることができた。
 途中駅で上り列車と交換する。向こうも忍者ハットリくんだが、絵柄が少し異なっていて、更に城端ラインとかかれたラッピング車両が連結されている。
 油田という珍しい名前の駅に着いた。「あぶらでん」と読む。はたしてこんなところから石油が出るのだろうか。かつて秋田や新潟に油田があったと聞いたことはあるが。
 沿線最大の駅は砺波である。日本各地で見る運送用トラック「TONAMI」がここにも停まっていた。たしか本社はこの地方だったはずだ。
 列車は約1時間ほどで終点城端に到着する。城端は風情のある終着駅だった。乗客はさほど多くはなく、しかも簡易委託駅なので駅員がいて、写真を撮ろうとする私をじっと待っている。プレッシャーを感じ、そそくさと改札を済ませて、駅前広場に出ると、数名の乗客は全員同じバスに乗るようである。すぐにバスはやってきた。「城端~白川郷シャトルバス」「世界遺産バス」とかかれている。迂闊なことにここが白川郷の最寄駅であることを忘れていた。古い木造の駅舎は中部の駅百選に選ばれている。
 世界遺産を前にしながら、そのまま高岡に引き返す者などいる筈もない。相変わらずアホなことをやっているなあと思いつつ、終着駅らしさを求めて駅の周囲を散策する。駅の外れまで来ると、車止めの先に今降りたばかりのキハ40がポツンと停まっている。こののんびりとした雰囲気がたまらない。城端線を制覇した記念に祝杯でも挙げたい気分だが、あいにく駅には売店もコンビニもない。付近には店もまばらで、お酒を扱っていそうな店は一切なかった。少しもの足りない思いを抱きながら、高岡の駅で購入した鱒ずしを食べながら、列車の出発を待った。

万葉線の由来、そして今

 高岡は越中国の国府・国分寺があった由緒正しき歴史の町である。『万葉集』に数多くの歌を残した大伴家持が国司としてこの地に赴任したことから、高岡は『万葉集』ゆかりの地となり、ここを走る鉄道にも愛称として「万葉線」と名付けられた路線がある。
 万葉線の歴史は少し複雑だ。戦後富山地方鉄道が敷設した軌道が発端となり、加越能鉄道が引き継いで路線の統廃合を経たものの、モータリゼーションのあおりを受けて一旦は廃線の危機が迫る中、長年にわたる存続のための努力が実って、平成14年から第三セクター、万葉線株式会社として生まれ変わった。
 万葉線は歴史を感じさせる名前とは裏腹に、軽量軌道交通(Light Rail Transit=LRT)という新しい概念を採り入れた鉄道としても有名だ。JRローカル線が苦戦する中で、地方の中小都市では軽快な電車が活躍し始めている。
 2011年、JR高岡駅が橋上駅として生まれ変わり、今年の春、ステーションビルが竣工されたことに伴って、万葉線が100mほど伸長されてJR高岡駅と直結し、乗り換えがスムーズになった。改札を抜け、広々とした瀟洒なコンコースに設置されたエスカレーターを1階に降りれば、すぐ目の前に新しい万葉線の停留所がある。
 そこに現れたのが、真っ赤なボディーのMLRV1000系、愛称アイトラムだ。真っ白な新しい停留所との取り合わせが何とも日本離れしている。まるでヨーロッパの都市にでも来たような気になる。それもそのはずで、この車両はドイツのボンバルディア社から技術提供を受けて製造されたものなのだ。
 LRTは、都市交通として利用しやすい路面電車の良さを活かす一方で、時代遅れとなっていた路面電車車両の欠点を克服した画期的な鉄道だ。おもにヨーロッパの中核都市を中心に発達した技術である。驚くほどの低床構造で、しかもフルフラット化されている。この特殊車両をLRV(Light Rail Vehicle)という。これなら路上から乗車するのも簡単だ。
 LRVの車輪はボディーに覆われてあまりよく見えない。2両編成に見えるが、つなぎ目の幌の下の部分には台車があって、二つの車体が同じ台車に乗る連接構造になっているはずなのだが、残念ながら外からはよくわからない。乗車すると座席の下に大きなタイヤハウスがあって、そこに車輪が潜んでいることは想像がつくが、車軸はどうなっているのだろうと疑問は膨らむばかりだ。想像される車輪の大きさからすると、車軸はどうしても床よりも上になければならない。もしも床の下に車軸が通っているなら、余程車輪の直径は短いに違いないが、そのような小さな車輪で、素晴らしい加速と乗り心地が実現できるはずがない。まさに魔法のような車両なのだ。詳しい構造はとても文章では書き表せないが、日本人が思うほどには新幹線技術が世界で高く評価されていないように、路面電車分野でも日本は大きく遅れをとってしまった。誠に残念なことである。
 ステーションビル1階にある高岡駅を出ると、軌道はすぐに単線となって広いメインストリートに入っていく。片側2車線の堂々とした道路の中央に単線の路面電車軌道が走っている。お互い邪魔することなく、ここでは自動車と路面電車が完璧に共存しているのだ。富山県は各世帯あたりの自動車保有率で全国一位二位を争うマイカー依存度の高い土地柄だから、この共存のあり方は重要なポイントである。どうして複線ではなく単線なのかは、おそらくローカルかどうかの問題ではなく、邪魔せず邪魔されずに定時運行するためのものなのだろう。
 最初の末広町電停を過ぎ、片原町交差点で 右折すると、すぐ目の前に青いトラムが待っていた。車内にいた親子連れが「ドラえもんだ!」と声をあげる。ここにもコミック列車が走っていた。色といい丸みを帯びたボディーラインといい、確かにドラえもんそっくりである。しかも乗降口はピンク色でどこでもドアそっくりである。片原町の停留所には交換施設があり、こちらがやってくるのを待っていたのだ。それにしても色鮮やかな電車達で、見ていて楽しくなる。
 片倉町の先、坂下町に交換施設はなく、その先電停ではないところに交換施設があった。高岡駅からほぼふた停留所ごとに交換施設がある。広小路で国道の方が左折して行き、万葉線はそのまま真っ直ぐに県道を進んでいく。ここからは道幅が広がって片側2車線のまま万葉線も複線区間になる。電停ゾーンは道路側が片側1.5車線になるものの、市の繁華街からも少し距離があるために交通量は少なめのようである。
 万葉線には昭和42年製の旧型路面電車も走っている。複線区間が尽きる米島口には車庫があり、冬場に活躍するラッセル車が停まっていた。米島口からは一旦専用軌道となり、進路を東に変えながら上り坂となって、JR氷見線を跨いでいく。能町口で再び併用軌道にもどるが、ここからは風情もかわって住宅街となる。それほどの住宅密集地ではないので、専用軌道でも良さそうな感じだが、土地の取得にはやはり資金がかかるのであろう。自動車の数がさほど多くないところを単線の路面電車が進んでいく。
 吉久停留所を過ぎると、万葉線は道を外れて専用軌道区間に入る。周囲は川と工場地帯と住宅が点在する、どちらかと言えば殺風景な地域である。
 ヨーロッパのLRVは、繁華街のある市街では路面電車として、また郊外になるとそのまま通常の鉄道として、どちらにも対応可能な優れものとして開発された。従って郊外に専用軌道のある万葉線はまさにLRVが活躍する条件にぴったりの路線なのである。しかも六渡寺から終点の越の潟までは、法律上も路面電車のような軌道ではなく、歴とした鉄道として認可されている。
 ただここで疑問が生じる。万葉線には旧型の路面電車も走っている。果たして鉄道法上、路面電車が軌道ではなく鉄道を走っても問題は生じないのだろうか。どうでもいいことだけれど。
 庄川を柵のないガーター橋で渡るのは、少しばかりスリリングだ。一瞬脱線したら沈む前にどこから逃げようかと考える。
 進行左側前方に、美しい巨大な斜張橋が見えてくる。新湊大橋である。富山新港の入り口に架かる自動車専用橋であり、万葉線は越の潟で行き止まりとなる。その先は県営の渡し船である越の潟フェリーが対岸の堀岡と結んでいる。万葉線の全列車と全フェリーは、わずか3分の接続時間で連絡し、対岸まで移動可能となっている。
 越の潟の停留所ではたくさんの人が電車を待っていた。みなそれぞれカメラを抱えている。なにごとだろうと思ったが、こちらはこの先次の訪問先が待っているので先を急がなくてはならない。アイトラムの写真を撮ったら、同じ電車で引き返そうと思ったが、ドアは開いているものの誰も乗ろうとはしない。まだ乗ってはいけないのかなとためらううちに、電車はドアを閉めて出発してしまった。「しまった! このあとの列車接続に響くなあ」と思っていると、大勢の人を率いているバスガイドさんが、「皆さん。次にお待ちかねの電車が参りますよぉ」と言う。ここでようやく思い当たった。
彼らは先程片原町ですれ違ったドラえもん号に乗る観光客だったのだ。それならこちらも便乗しようということで待っていると、正面にドラえもんの顔が描かれたアイトラムがやって来た。まさかここでもコミック列車に乗れるとは思わなかった。ホームで待つ観光客の一群は我先にと車内に雪崩れ込んでいく。最後になって、出遅れたのび太のように、どこでもドアからドラえもんの世界に入って行く。天井を見上げると、そこにはタケコプターで空を飛ぶドラえもんの姿があった。

注)後で調べてわかったことだが、幌の下に台車はなかった。ふつうは安定性を確保するために1車体に2軸4輪のボギー台車が2つ付いているものだが、アイトラムでは1車体に1つの台車しか付いていない。従って2両編成に見えるが、連接して初めて1両分となるような台車構造であることがわかる。


帯に短く襷に長い絶景路線

 ドラえもん号を楽しんだために、高岡駅まで戻ってしまうと氷見線には間に合いそうもない。幸いなことに万葉線と氷見線とは高岡から能町まではほぼ並行に走っているので、万葉線の新能町から氷見線の能町まで歩くことにした。地図で見ると、能町駅は側線が何本もあるかなり広い駅である。付近は工業地帯なので、貨物の仕分けをする駅なのだろう。踏切を渡り、しばらく歩くと能町駅はあった。無人駅だった。
 氷見線は高岡と氷見を結ぶ全長16.5㎞のローカル線だ。一日上下それぞれ18本走っているので閑散路線とは言い難く、そこそこのローカル線である。日中は1時間に1本走っているのだから、まずまずとすら言っても良いだろう。しかしながら、廃止寸前だった万葉線が15分間隔で走っていることを実感した今となっては、氷見線が地元住民から見放されてしまうのもわかるような気がする。しかも能町・高岡間に駅はわずか一駅しかない。万葉線の停留所は10カ所あるにも関わらずである。地方のローカル線は、地元密着という視点からは、帯に短し襷に長しなのである。

 誰もいないホームに佇むと遠くを万葉線の旧型路面電車が行くのが見えた。あのガーター橋の下、雑草が生えてレールの見えなくなった所を氷見線は走っている。しばらくすると、高岡方面から氷見行のガラガラのディーゼルカーがやって来た。鋼鉄製、重量級のキハ47、忍者ハットリくん号である。あらためてLRTという概念の先進性が納得できる。私の大好きな重量級の鉄道は、中小都市の地域密着形鉄道にはなり得ないことを改めて思い知らされた。このガランとした能町駅の空間に、爽やかだけれどどこか侘びしい秋の風が吹き抜けた。
 氷見行はしばらく工業地帯を走り、それが尽きると富山湾が開けてくる。右手後方に先程訪れた越の潟の新湊大橋が見えた。午後の日差しが傾いて来る。この先に以前から行ってみたかった雨晴の駅がある。源義経が東北に逃亡する際、雨が晴れるのを待ったという伝説にちなむ土地だが、有名なのは富山湾越しに見える立山連峰である。空が澄み渡る冬の晴れ間にしか見えず、年に数回とも言われている。雨男の自分だから、いくら雨晴らしでも天気は良くないだろうとは思いつつ、写真で見た絶景の場所にはどうしても行ってみたかった。
 列車は雨晴に近づくにつれて荒磯の脇を通っていく。海が荒れたらすぐに運休になりそうな風光明媚なところである。先程のLRTのことなどすっかり忘れて、やはり列車の旅はいいもんだと思うところが現金なものである。立山連峰は見えないけれど、海に浮かぶ女岩の向こうに能登半島が広がっている。
 雨晴の駅周辺は、キャンプ場や旅館があって、シーズンには多くの人たちで賑わうようだ。しかし列車で訪れる人は少ないという。何と言っても、富山県はマイカー所有率が全国トップクラスなのだから仕方ない。
 雨晴からは海岸から遠ざかって、ほんのわずかで終点氷見に着く。氷見海岸に行ってみたい気もするが、折り返しの列車に乗らないと今日の計画が全うできなくなる。改札を出て駅舎の写真を1枚撮っただけで、再び ホームの戻ることにする。
 先程見たばかりの景色をもう一度眺めながら,再び能町まで戻ってきた。能町から高岡までが未乗区間なので、しっかり見ようと思う。途中の越中中川からは大量の高校生が乗ってきた。県立高岡高校の生徒達だ。たった一駅区間だけ満員列車となって、あっという間に高岡駅1番ホームに滑り込んだ。
 高岡は大伴家持と藤子不二雄の町だった。そして鉄道の今と未来を考えさせる町でもあった。もうすぐ新幹線が開業し、高岡にとってまた新しい時代がやってくることだろう。数年後にはどんな変貌を遂げているのか、興味津々である。

(2014/10/1乗車)


クイズの答え)アンパンマン:土讃線、ゲゲゲの鬼太郎:境港線、サイボーグ009:石巻線

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