2015年8月27日木曜日

ドイツの鉄道(ベルリン・ポツダム編)

Straßenbahn (Berlin)

Straßenbahn とは市街電車のこと。いわゆる市電である。
ベルリン市電は歴史が古く、現在でも延長191.6㎞の路線
がある。主に旧東ドイツ地域を走っている。アレキサン
ダー広場を抜けて走る Riesaer Straße M6系統。   

M6系統。多くはLRVが使用されている。Alexander-platz
駅前。                      


Stadtbahn (Potsdam)

ポツダム市電の歴史は馬車鉄道に遡り、1880年開業。
総延長28.9㎞とさほど長くはないものの、主な市内観
光名所であるプロイセン王国のフリードリッヒ大王が
過ごしたサンスーシ宮殿・庭園やポツダム会議が開か
れたツェツィーリエンホーフ宮殿を訪ねるにはちょう
どいい。                    

ポツダム市電の路線の多くは終点にループがあって、
電車は折り返すことなく運行が出来る。運転手にとっ
ても都合が良いだろう。デルタ線で折り返す所もある
ようだ。だから上下線いずれもパンタグラフが進行方
向に対して一定だ。               

Nauener Tor ナウエン門は、1755年に造られた。ポツダ
ム市に残る3つの門の一つで、市電もここを潜って入っ
てくる。この辺りはカフェなども並ぶ人通りの多いとこ
ろ。右側の煉瓦造りの建物はオランダ人街と呼ばれ、祖
国を追われたユグノー派の人々が住んだ所。     


U-Bahn (Berlin)

ベルリンには10系統の地下鉄が走っている。色はどれ
もが黄色で、銀座線を思い出させるためだろうか、ど
こか親しみがわいてくる。窓にはブランデンブルク門
のイラストがたくさん描かれている。傷をつけるいた
ずら防止だろうか。そのため地上区間を走る場合の見
晴らしは良くない。第3軌条から750Vの直流電流を集
電しているため、架線はなく天井が低い。     

ヴィッテンベルグ駅の夜景。西ベルリン時代の中心地
クーダム地区にある。老舗デパートのカーデーヴェー
を始めとした繁華街だ。重厚な建物ゆえ、地下鉄の入
口にはとても見えない。             

ベルリンの地下鉄は1902年開業。東西分断という厳し
い時代を経験している。地下鉄の中には東側にはみ出
している路線もあり、東ベルリンの駅は閉鎖され全列
車通過扱いとなった。現在工事中のフリードリッヒ通
り駅は、東側で唯一Sバーン(これも東にはみ出した路
線)との乗り換え駅として検問所が設けられて、西側
の住民に利用された。ウンター・デン・リンデンに近
いこの辺りは現在再開発の真っ最中。       

DB (Berlin unt Potsdam)

かつて国電といえば東京都内を走る国鉄の通勤電車
のことだった。国鉄がJRとなって、その名称をどう
するかが話し合われ、一旦はE電となったが、そん
な奇妙な名称は誰も使わない。結局、JR各線とかよ
くわからない言い方が続いている。ドイツでは都市の
通勤通学用電車はすべてSバーンだ。ベルリンのS
バーンは地下鉄でもないのに第3軌条方式で集電して
いる。                    

重厚な機関車が動物園駅に入ってきた。窓下にES64U2
と記されている。ESはシーメンス社製のユーロ・スプリ
ンター、64は出力6400kw、Uは汎用(貨客両用)、2は
2電源対応という意味だ。シーメンス社がヨーロッパ各
国に納めている電気機関車だ。後ろの車両はDBのもの
で、寝台列車のように思えるが不明。        


ベルリン動物園駅に進入するICEハンブルグ行。東西
分裂時代、西ベルリンの中心クーダム地区に位置する
この駅は、西側からの長距離列車の終点だった。今で
は、その位置をベルリン中央駅に譲ったため、特急列
車は全て通過する。               


442形電車はドイツ国鉄の最新型近郊形電車である。
カナダ企業のボンバルディア社製。日本にいるとわか
りにくいが、鉄道車両の国際入札は当たり前なのだろ
う。REGIOの表示があり、地域の快速列車である。 

442形の先頭車両台車。ボルスタアンカ(台車と車体を
繋ぐ横棒に似た装置)付きの重厚な台車。なお、442形
は車両間に台車を置く連接車方式の電車である。   

分割併合を頻繁に行えるよう連結器も自動化されている。

電気機関車牽引のREGIOがオラニエンブルク駅に到着。
客車は2階建てで、自転車持ち込み可能である。   


ベルリンの北約30㎞にあるオラニエンブルク駅は、S
バーンの始発駅でもある。この電車はS1系統で、フリ
ードリッヒ通りやポツダム広場を地下鉄 (U-bahn では
ない)として通過し、ポツダムの手前ヴァンゼーまで行
く。                        

ポツダム広場、ソニーセンター脇に
あるドイツ鉄道本社ビル。    

(2015/8/24〜27 見学・乗車)

2015年8月22日土曜日

ドイツの鉄道(ハノーファー編)

シュタッドバーン!
中央分離帯を走る5号線Stocken行

 速度制限のないアウトバーンを降り、緑に包まれた市街地に入ると、まず目に飛び込んできたのは、ゆったりとした中央分離帯を走る路面電車だった。その瞬間、「ああ、ヨーロッパの街に来たなあ」という思いがこみ上げてきた。欧州の街並みの中を軽快に走る路面電車は、お洒落でかわいらしい珠玉の風物詩である。
 
 北ドイツ平原を、ベルリンから3時間余りかけて高速バスが走っている間、そこには人の住めない土地など全くないのではないかと思えるくらい、肥沃な農耕地が広がっていた。畑の中には数多くの風力発電機がゆっくりと旋回し、豊かで先進的なドイツが、環境立国としても世界をリードしていることを感じずにはいられなかった。そして森と都市が共存することで有名なハノーファーには、50万人の人が暮らしている。日日の暮らしを支えるために、自動車社会のドイツであっても、ここでは鉄道は都市交通として重要な役割を負っているのだ。

 ハノーファーの鉄道案内図には、Regionalzug und S-Bahn 用と Stadtbahn 用との二種類があるが、どちらにもぴったりとした日本語がない。Reginalzug は「中距離電車」のことだから日本で言えばJRや私鉄各線の路線図のようなものに近い。ところが S-Bahn が Stadtbahn から生まれた名称で、どちらも「都市鉄道」を意味するところから、前者は後者を含むものと早合点すると間違ってしまう。この二つは明確に使い分けられているのだ。
 Stadtbahn には英語の Light Rail System というニュアンスが含まれている。直訳すれば「軽量軌道交通」、つまり市街地は路面電車として、郊外に出ればそのまま近郊鉄道として活躍するLRT(Light Rail Transit)  というわけだ。軌道やレールが軽量簡素なため Light  Rail と呼ばれるが、それならば S-Bahn は<重量鉄道による都市鉄道>という意味合いで使われているのであろう。一番馴染みの深い普通の鉄道だ。
 日本の大都市では S-Bahn が当たり前だが、最近は富山や福井、広島などで Stadtbahn が市民の足として大活躍するようになった。ところがこちらの Stadtbahn は、日本のものとはまたひと味違うのである。

地下に潜る路面電車


U-Bahn区間から地上に姿を現した
5号線Anderten行。       

 もともと路面電車だから石畳の上を走るし、交差点では自動車と一緒に十字路を曲がったりする。ところがなにぶん「新しい路面電車」なので、4両編成で走っていたりもする。さらに市の中心部では車や人通りを避けて地下にもぐってしまうのだ。こうなると道路面を走っていないので、路面電車とはいえなくなる。実際、この区間は U-Bahn と呼ばれ地下鉄扱いとなる。停留所の位置を示すマークも路面電車のときは<S>、地下にもぐれば<U>と表示される。実に変幻自在、柔軟性に富んだ鉄道なのである。
7号線Misburg行。クレプケの深
い地下ホームにて。     

 ハノーファー市の人口は仙台市の半分ほどだが、そこに4系統、枝線を含めれば11〜12の路線が、ハウプトバーンホフ(ドイツ鉄道の中央駅)、クレプケ(一番の繁華街)などを接続駅にして広がっている。なかでもクレプケは全ての路線が集散離合する拠点駅である。そこは地下に巨大な空間がぽっかりとあいていて、路線がクロスする大きな駅である。ここまでくるともはや路面電車の面影はなく、まるで秋葉原駅が地下にあるかのような、地震国日本では決して見ることの出来ない地下空間である。東京の地下鉄大手町駅も地下で複雑にクロスしているが、頑丈な構造物に囲まれていて他の路線を見渡すことができない点が大きく異なる。
5号線Anderten行。
Herrenhauser Gartenにて。

 都市の構造にフィットした Stadtbahn は、建設費や維持費の面でもかなり有利だろう。高架橋を造らず、道が広いため停留所にホームを設け、必要な場所しか地下化しない。しかもそこは耐震構造にする必要のない構造物。改めて人の住める土地が少なく、起伏に富んで地震の多い日本に鉄道を敷くことの難しさが思い遣られる。
 しかしながら、仙台市にようやく2本目の地下鉄が来年開業される現状を見てみると、都市における鉄道建設という点で、莫大な建設費を伴う地下鉄で良いのだろうかと思えてくる。U-Bahn と Stadtbahn の組み合わせは十分参考になるシステムに思える。

違いに戸惑う
9号線Fasanenkrug行。
Hauptbahnhofにて。

 海外では自動車と同じように鉄道が右側通行のため、ホームに立つとつい列車の来る方向を見誤り、突然予期せぬ方から現れてドキッとすることになる。日本で身についた感覚はなかなか抜けないので、ホームに立つたびにどちらから来るのか考えることになる。
 そのホームなのだが、改札口がない。車掌もいないし、運転手が切符を回収することもない。ただし無賃乗車が見つかると高額なペナルティーを科せられる。時々実施される車内検札で乗車券を持ち合わせていないと、1,000ユーロ(この時は約13万5千円相当!)の罰金を取られるはめになる。だからキセルはない! ということなのか、仮にあってもごくわずかなので、人件費・設備費節減に役立つと考えているのだろう。日本に比べて、混雑率が低いので可能であることは間違いがない。自己責任を重んじる国柄だから可能なのだという考えは早計であろう。
7号線Wettbergen行。
Spannhagengartenにて。

 それにしても技術大国ドイツだけあって、乗り心地も良く、綺麗でデザインも悪くない。しかもあまり待つことはなく頻繁にやってくる。もともと欧州の技術であるLRT(Light Rail Transit)の技術がふんだんに投入されて、小回りと快速性を兼ね備えた都市交通として活躍している。
(2015/8/21〜23 乗車)



ハノーファー中央駅にて
趣のあるDBのHannover Hbf。Hbf
は、ハウプトバーンホフで中央駅
の意味。駅前の道路にはよく見る
と軌道が敷かれている。 Stadtbahn 
10号線はナイトサービスとして夜
路面をる。        


 DBの略称は西ドイツ時代から続く伝統的なものだが、その頃はDeutsche Bundesbahn(ドイツ連邦鉄道)の略であり、1994年に旧東ドイツのDeutsche Reichsbahn(ドイツ国営鉄道)と合併し、民営化してからはDeutsche Bahn(ドイツ鉄道)となって、略称を引き継いだ。
 ハノーファー中央駅にはDBの列車がたくさんやってくる。改札口も何もないホームを行き来しながら、楽しく賑やかなドイツ鉄道を楽しんだ。
ユルツェン行メトロノーム号
客車側運転室。      

 まず最初が、ハノーファー発ユルツェン行のメトロノーム。その名の通り一定間隔で都市間を往復する列車である。経営改善を目的に地元企業のメトロノーム社に委託運営させているので、正式にはDBの車両ではない。定時に発着する優等列車は、最近の日本ではJR東海と北海道でしか呼ばれなくなったが、L特急のようなものだ。このメトロノームは5時台から0時台までの間、毎時40分にハノーファーを出発し、およそ85㎞のユルツェンまでを58分で駆け抜ける快速列車である。環境大国ドイツだけに自転車ごと乗車可能な2階建て車両で、機関車が推進したり牽引したりするプッシュ・プルタイプである。写真は推進運転のもので、客車に設置された運転台に機関士がいる。車両断面がかなり大きいので、近寄るとたいへん威圧感がある。
最後尾に連結された電気機関車。

 日本が電車王国となったのは、機関車牽引の場合終着駅で機関車を付け替えなければならず、手狭な駅にそのゆとりがなかったことと、機関車自体の加速性能が悪かったことからである。一方ドイツでは快速列車を中心に機関車を付け替えることなく、推進運転と牽引運転で行き来する列車がたくさん走っている。日本の常識では考えられないところだが、実際に乗ってみると加速性能は電車に引けを取らないし、発進時や減速時の衝撃も全くなく、客車にモーターが付いていない分、騒音も振動も極めて低く抑えられていて、実に快適である。おまけに駅には改札口すらないから、移動はスムーズで悪いところはどこにも見当たらない。
 それを可能としたのは、強力な電気機関車と緩衝装置付きで車両を密着させるねじ式連結器のおかげだろう。軌道がしっかりしているという利点もあるに違いない。走行音の静かな客車列車が日本から消えようとしている今、近郊の快速にまで客車列車を運行させているドイツ鉄道は羨ましい限りだ。

 一方、DBのプッシュプルとしてはREGIOと呼ばれる短距離旅客列車が数多く走っている。日本の快速(普通)列車である。中央駅に総二階建て客車6両を押して入線してきた姿は、実に壮観である。DBのシンボルカラーは赤なので、赤い客車が実に多い。それがまた格好いい。


 最後尾には同じ色で統一された電気機関車が控えている。停車中は鳴りを潜めている電気機関車であるが、発進直前には急にうなりを上げて力強く押し始める。この機関車は快速列車に多く用いられている最高速度160㎞の146型と思われる。

 REGIOと異なり、高速優等列車IC(インターシティ)は推進運転は行われない。一二等車や食堂車を連結した伝統的な電気機関車牽引の客車列車である。客車は白い車体に赤い帯を巻く。
ライプツィヒ行 IC2039

 この時入線してきたのは、インバータ制御を搭載し今では第一線から退いたと言われる120型電気機関車が牽引するインターシティである。ドイツの機関車の型式番号は必ずしも番号が若い方が古い訳でもなく、わかりずらい。ラインゴルト号で有名な日本でも人気のある103型電気機関車よりも101型の方が新しい。
ブレーメン行 ICE630

 さて、ドイツの高速鉄道といえばICEだが、全体が統一されたデザインで一見電車列車に見えるものの、その多くは先頭と最後尾に電気機関車を配した客車列車である。入線してきたのは、12両の客車と2両の電気機関車からなるICE1だった。最高速度250㎞。1両屋根の高い車両があるが、これは8号車の食堂車だ。レストランとビストロが厨房を挟んで設置されている豪華な列車である。



 日本の新幹線やフランスのTGVに比べると、少し地味な感じのするICEではある。また、1998年にエシェデで重大事故を起こしたことも記憶に残っている。時速200㎞で走行中に弾性車輪が破断して引き起こした事故だった。100名余りの人が亡くなったと聞くが、日本の新幹線だったら桁が違っていたなと思ったものだ。それでも技術立国の看板列車である。一度は乗ってみたい憧れの超特急だ。

(2015/8/22 見学)

2015年8月5日水曜日

福井の鉄道 これぞ日本の Stadtbahn だ!

 無節操で影響を受けやすい筆者は、この夏のドイツ旅行以来、すっかりあの国の鉄道にかぶれてしまった。なかでもドイツ語で Stadtbahn と呼ばれる LRT は、路面電車と近郊鉄道線を融合させた、経済的にも技術的にも優れたもので、その上地下鉄までもカバーする変幻自在の鉄道だった。
 そのドイツ旅行の2週間前に訪れた福井鉄道も、近年フクラムの愛称で親しまれる新型車両を51年ぶりに導入して話題となっている。地下鉄区間こそないものの、福井鉄道は Stadtbahn として見た場合、きわめて多くの共通点を持っている。富山の LRT とはひと味もふた味も違う、福井鉄道の魅力を紹介する。

越前武生駅 沿線随一の本格的
な駅舎とホームを備えている。
右は現在主力の一つ770形。左は
かつての花形急行用200形。  

 福井鉄道福武線は、越前武生と福井市を結ぶ全長21.4㎞の鉄道である。武生といえばかつて越前国の国府があった歴史ある町で、『源氏物語』の作者紫式部も受領の父親に連れられてここで少女時代を過ごしたことでも有名な土地だ。昭和20年に福武電気鉄道と鯖浦電気鉄道が合併して福井鉄道となったことから、本社は現在でも武生にある。つまり、武生から福井市に進出した鉄道なのである。一方の福井は一乗谷の朝倉氏が滅亡した後、柴田勝家が領有して以来の土地柄であり、幕末に俊才の誉れ高い松平春嶽を輩出したとはいえ、歴史では武生の後塵を拝するところと言える。
福井駅前から市役所前に進入する
急行越前武生行。この後一旦通り
過ぎてからスイッチバックして、
こちら側の線路に転線し、乗客を
乗せてから、左手前方に向かって
進んでいく。         

 それが影響しているわけでもないだろうが、面白いことに越前武生から赤十字前・木田四ツ辻間にある鉄軌道分界点までの18.1㎞は鉄道区間、その先の福井市街地区間3.3㎞は軌道区間つまり路面電車扱いとなっている。ここがまさに日本の Stadtbahn というべきところなのである。都市間を結ぶ近郊型の鉄道と市街地に適した路面電車との融合である。
 路面電車区間は市役所前で福井駅前方面と田原町方面に分岐するが、その分岐の仕方が若奇妙なのだ。常識的に考えると、福井駅前から武生を結び、途中から田原町方面に支線で分岐させるほうが運行しやすい筈だ。ところがここでは、そうなっていない。福井駅前を出た電車は市役所前で一旦停車し、一旦通り過ぎてスイッチバックしてから武生に向かうのである。いったいどうしてこんな面倒な配線にしたのだろうか。それは市役所前が福井駅前以上に重要であり、スイッチバックさせても経由する必要があったからだろう。電停レベルのホームでありながら、地下道で通じている位の主要駅である。
FUKURAMはFUKUIとTRAMの
合成語。福井駅前にて。左後方
に改築中のJR福井駅が見える。
将来はここまで延長される。 

 それに対して福井駅前は簡素なものだ。道幅が狭いこともあって、市役所前で分岐するとすぐに単線になってしまう。現在、JR福井駅が大改修中で、その完成にあわせて福井駅前も乗り換えやすいように移動することになっている。おそらく新駅には2本の電車が停まれるようになるだろうから、田原町でのえちぜん鉄道への乗り入れ工事が進んでいることも考え合わせると、今後はもっと賑やかな駅前となることだろう。そしてそこで大活躍するのはFUKURAMことF1000形超低床車であろう。現在2編成が活躍している。新しい車両は街並みにすっかり溶け込んでいる。3両編成で、全ての車両に台車が付いているので、間に吊られる形の付随車両を挟めばもっと定員が増えるはずだが、そこまでの需要はなかったのだろう。

普通の電車が道路との併用軌道を走
る。これが人気の秘密。     
市役所前にて。

 ところで福井鉄道が多くの人を惹きつけたのは、FUKURAM 同様に編成の長い本格的な電車が、51年も前から路面電車区間を走っていたからである。
 昭和35年に福武線の急行車両として登場した200形は、2両編成ながら本格的な電車列車であり、当時流行だった湘南電車と同じ風貌を身につけた格好良い電車であるばかりでなく、車輪に直接モーターを取り付けるのではなく、振動が伝わりにくいカルダン式という新しい技術で造られた電車であったことも人気の秘訣だった。しかも、小田急のロマンスカーにも採用された連接式車体といって、車体と車体の連結部に台車を配するという最先端の電車だった。この方式は、車体と車体が一体化しているので、振動が抑えられて乗り心地がよいという特徴がある。
連接車両の台車。コイルに挟まれ
たオイルダンパが揺れを更に低減
させる。地方私鉄とは思えない最
先端の技術が導入されていた。 

 鉄道部門は赤字を抱えて苦戦している福井鉄道だが、常に時代の最先端を導入するという点において、実に腹の据わった鉄道会社だということができよう。51年も走り続けて、もはや引退目前の200形だ。今回、福井に来てこの電車の走る姿に出会えたのは誠に幸福だった。
 現在数多く在籍する路面電車型の2両連結車両は、名古屋鉄道からのお下がりで、廃止となった岐阜市内線から回ってきたものだ。出入り口部分にステップがついた770形は、200形と同じように連接車である。製造後20年程度の比較的新しく状態の良い車両といえる。
 福井鉄道に限らず、豪雪地帯のこの地方では、単線区間から複線区間になる所、特に交換施設のある駅の両側の分岐器には、スノーシェッドが設置されている。分岐器は雪に弱いからだが、出来るだけ除雪に人の手を掛けたくないという、地方鉄道固有の事情もあるのだろう。JR北海道の閑散地域ではよく見掛けるが、本州では珍しいのではないだろうか。
 LRTが普及する北陸地方にあっても、その先見性という点で異彩を放つ福井鉄道。営業成績が良くない中で、奮闘する姿を見ていると、ぜひ応援したくなる。
(2015/8/5 乗車)

 【注】ドイツから帰国後にまとめたため、その経験が反映された内容となっている。


 

2015年8月4日火曜日

福井の鉄道 恐竜王国篇

Kingdom of the Dinosaurs FUKUI
えちぜん鉄道勝山行き車窓左手
5㎞遠方に、巨大な卵の形をし
た福井県立恐竜博物館がある。

 恐竜に特別な興味はないけれど、福井の鉄道には前から乗ってみたかった。そこで乗りに行ってみたら、行く先々で恐竜が待っていた。なんと福井駅のベンチには恐竜が座っていたりする。昔映画で観た(こちらは怪獣だが)モスラの卵のような巨大な建造物まである。福井の情熱は、同地が日本最大の恐竜化石の産出量を誇るところからくるらしい。日本の恐竜化石の8割は福井県で見つかるという。フクイサウルスという草食恐竜や映画『ジュラシックパーク』にも登場する肉食恐竜のラプトルの仲間、フクイラプトルなどと命名された怖ろしい恐竜も発見された。そんな王国の鉄道を紹介する。

えちぜん鉄道勝山永平寺線

 古くからの鉄道愛好家であれば京福電鉄越前本線と言った方がなじみがあるかもしれない。京福電鉄の名前は、今では京都嵐山や比叡山のケーブルカーなどでしか見ることができないが、出町柳と鞍馬や八瀬を結ぶ叡山電鉄もかつては京福電鉄だった。そもそも京都の鉄道会社と思われがちだが、その名前の通り京都と福井に鉄道を持つ会社だったのである。それが今では京都の片隅(いずれも名観光地だが)で細々と中小私鉄として営んでいるのは、この会社が悲劇に見舞われているからである。なかでも今回訪れた勝山永平寺線(当時の越前本線)で2000年と2001年のわずか半年間に二度起こった正面衝突事故では、国土交通省から運行停止命令を受けるという鉄道会社にとっては屈辱的な結果となってしまった。その結果、経営の危機となった京福電鉄は福井地区と叡山地区の路線を手放すことにしたのである。
 地域の足を確保するために、福井県では第三セクター方式の鉄道会社として存続させることを決め、福井市や勝山市が出資するえちぜん鉄道が2003年に開業した。ということで、えちぜん鉄道は古くて新しい鉄道である。どことなく都会的な外観の電車が、地域の足を支えている。京福電鉄時代には叶えられなかった車両の更新や保安施設の整備に相当資金が必要だったのだろう、運賃は決して安くはない。福井・勝山間のわずか27.8㌔で770円という運賃はJRの約1.5倍。このあとで乗車した福井・三国港間も同額だったため、この日の合計は3,080円の支出となった。
 お金のことなど無粋な話はすべきではないが、もしも今日が土日だったらフリー切符がなんと900円で買えたのである。これはいくら何でも安い! また切符売り場には夏休み親子企画として、大人一人と子ども一人のフリー切符が1,200円で販売されていた。「親子フリー切符は大人だけでも使えますか」と尋ねると、気の毒そうな顔をされて「使えません」という返答が返ってきた。それはそうだろう、乗りたくてやって来た客に割り引く必要はないし、二度と乗らない客に過剰なサービスは不要だ。ということで、図らずも今日の私は地域振興のために役立った筈である。
 電車は小高い山に囲まれた九頭竜川沿いの田園地帯をトコトコと進んでいく。途中永平寺口ではバスを利用して永平寺へ向かう人がかなり下車した。もともとはここから永平寺まで線路が敷かれていたが、これも衝突事故の後に廃線となってしまった。
 
 終点の勝山駅は国の登録有形文化財に指定されている由緒正しき駅である。そもそもこの鉄道が施設されたのは1914年のことで、当時は越前電気鉄道と呼ばれた。この時に造られた駅舎が今でも利用されている。勝山市の鉄道玄関口として大切に保存・修復がされていて、さながら生きた博物館のようだ。おしゃれなコーヒーショップも営業されていて、ここから恐竜博物館へ向かう人達の休み処にもなっているのだろう。
 勝山駅前
さすがに当時の車両は残っていないが、開業6年後に導入された電気機関車テキ6形が、構内の片隅に大切に保存されている。まるでちっぽけな豆電車のような形だが、この電気機関車の導入によって大幅に輸送力が向上したのだという。貨物輸送専用の電気機関車として活躍し、昭和55年までの60年間、地域の織物製品や木材を運び続けたのだそうだ。えちぜん鉄道から勝山市に寄贈されたもので、産業遺産として大切に保管されているのである。

越美北線(九頭竜湖線)


 一旦福井に戻って、次はJR線だ。岐阜県の美濃太田から北濃までを結ぶ国鉄越美南線が第3セクター化し長良川鉄道となった今でも、越美北線は旧国鉄を引き継いだJR西日本のローカル線として生き残っている。並行して走るえちぜん鉄道とは異なり、ここで使用されている車両は、通常よりも車長が2割ほど短いローカル線専用のワンマンディーゼルカーだ。このキハ120系はJR西日本の標準的なローカル車両である。

スタフは鉄道の通行手形。
信号機が発達した現在では
とても珍しい存在である。
改装された立派な福井駅の片隅の切り欠きホームから出発する。全線単線非電化。事実上越美南線がなくなり、北線だけとなってしまった越美線は九頭竜湖線という愛称で地域の足としての役割を担っている。福井平野をしばらく走り、山が両側から迫ってくると戦国の武将朝倉氏で有名な一乗谷に着く。国の特別史跡となっている一乗谷朝倉氏遺跡までは駅から1㎞半ほどだが、無人駅に史跡の地図が掲示してあるだけで、ここから歩く観光客は少なそうだ。里山の谷間をしばらく進めば、越前大野である。ここは列車交換できる最後の駅だ。
 この先九頭竜湖までの間に、信号機は一切なくなる。その代わりとして通行手形とも言えるスタフが手渡され、終点までは7駅あるものの、スタフを持つ1車両だけが往復できるという1日5往復の閑散路線となる。柿ヶ島の手前で九頭竜川を渡り、水力発電所があるような山の深い谷川となり、その先越美北線はトンネルが連続して、それほど景観を楽しめるわけではない。将来、長良鉄道越美南線と結ばれることは決してないだろうが、仮に結ばれたにしろ、あたりの深い山の様子から見て、トンネルだらけの路線となったはずである。いくら自分が鉄道好きだからといって、夏休み期間の旅行シーズンにも関わらず、これほどまでに乗客がまばらなこの路線を更に延長せよなどとは決して言えない。
終点の九頭竜湖駅からダムまでは直線距離でも3㎞ほどあって、残念ながら駅前から湖を眺めることは出来なかった。そのかわりここでも出迎えてくれるのは恐竜たちだった。マイカーで訪れる観光客の人々が、電動で動く恐竜たちを見て興じていた。


えちぜん鉄道三国芦原線

 越美北線を往復し、福井駅に戻ってくる頃には午後の日差しもだいぶ傾いて来た。次に目指すは三国港である。三国と言えばカニのブランド越前ガニのメッカだ。一匹一匹ごとに黄色いタグがつけられた越前ガニだが、なかでも三国港で水揚げされたものは皇室にも献上される最高峰の高級ガニで、三国出身の知人に言わせると、地元民も口にすることがないのだそうだ。地元民が口にするのは雌のセイコガニだそうだが、近年こちらの方も人気が急上昇している。いずれにせよ冬の味覚だから今回は食べられないものの、それはかえって良かったかもしれない。なまじシーズンにやって来たとしても、高級過ぎて鉄道のひとり旅のついでに食べるような御品ではない。
 ただしせっかく夕暮れ時に三国港まで行こうというのだから、早めの夕食に海鮮丼のようなものが食べたいなあと思いつつ、三国芦原線に乗車する。午前中に乗車した勝山永平寺線と同じデザインだが、こちらは利用者が多いのだろう、2両編成の電車である。福井口で勝山永平寺線と分かれると、えちぜん鉄道の車両基地を左に眺めつつ北陸線をまたぎ、福井鉄道との乗り換え駅田原町に着く。帰りはここから福井鉄道に乗り換えて福井駅に行く予定である。
 芦原温泉の最寄り駅、あわら湯のまち駅までは広い田園地帯をほぼ真っ直ぐに北上する。駅周辺にはホテルや旅館がたくさん集まっていて、美人の駅員さんが改札口でにこやかに迎えるこの鉄道の主要駅なのだが、芦原温泉駅を名乗らないのは、ここから4㌔も離れた所にJRの同名駅があるからだ。ただしJRで訪れる人はバスに乗り換えてここまでやって来なければならない。あくまでも本家はこちらである。
 さて、ここから終点の三国港は近い。進路を90度変え真西に向かい、九頭竜川の河口で日本海にぶつかる所に著名な港がある。私が訪れた時は夕方ということもあって、市場に人けはなく、ひっそりと静まりかえっていた。こうして、えちぜん鉄道全線を乗り終えることができたわけだが、祝杯をあげるべく下調べしていた店は臨時休業だった。夏の期間だけは昼ばかりでなく夕方も開店しているとネットには記されていたのに、残念である。これだけ閑散としているのだから、やはり臨時休業にしてしまったのだろう。少し歩き回って別の店を見つけ、そこで祝杯をあげた。

再び福井駅に戻って

福井駅に戻る頃にはすっかり暗くなっていた。現在駅前は改良工事中で、一足先に出来上がっているのが恐竜コーナーである。暗闇の中でライトアップされた恐竜が、鳴き声をあげながら口を開け、首を動かしている。道行く人達が興味深げに集まってくる。福井は本気で恐竜王国になろうとしているようだ。
(2015/8/4乗車)