2018年5月30日水曜日

高熱隧道を行く【破】センター・オブ・ジアース !?

準備

「リュックの中身が見えるよう、開いてそこに置き、その場に立って下さい」
と言って、やおら取り出したのは金属製の丸い輪っか、ハンディタイプの金属探知機である。なんだか物々しいぞ、と思う間もなく、あっという間にボディチェックにパスして、赤いシールと紙の帽子を手渡される。
「あなたは赤グループです。適当な所にお座り下さい」

 欅平駅二階のレストランに集まったのは、ほとんどが中高年で若者は数名しかいない。世の中、時間的富裕層は限られている。本人確認のために公的身分証明書を提示し、ボディーチェックを30名全員が終えるのに、さほど時間は要しなかった。
 物々しさとは裏腹に、人の良さそうな恰幅の良い男性が案内人である。彼による見学会の説明と注意が始まった。レストランの柱に飾ってあった欅平散策コースの美しい写真パネルが裏返される。現れたのは、これから訪れる黒部コースの解説図だ。随分と手回しが良い。見学コースのほぼすべてが地中であり、発電所関係者や作業員だけが行くところなので、見学者も紙の帽子を被ってヘルメット着用し、指示には従うよう念を押された。
「トンネルで一番怖いのは火災です。万が一発生した場合は、この防煙マスクを着用して下さい。使い方は、まずヘルメットを脱ぎ、このようにマスクを装着してベルトを締め、再びヘルメットを被って、身を低くして脱出します。乗車するトロッコやバスの座席の下に設置してあります」
 まるで離陸前の機内アナウンスのようだ。ところが大きく違っている点があった。
「このマスクで数分間呼吸が可能です。」
 はあ? 何㎞もあるトンネルなのに数分じゃ脱出できないじゃないかと不安が募る。ところが恰幅のよい案内人はニコニコと笑っている。
「もっとも今まで一度も使われたことがありません」
毎回こうやって脅かしているのだなと、見学者達も気づき、笑いが広がる。なかなか口の達者な人である。だんだんと期待が高まってくる。
 考えてみれば、これから見学する所は、社会インフラとして重要な発電所とその関連施設なのだ。主催者がテロを警戒するのも当然のことだった。

上昇

 トロッコ列車の終点から先は関西電力の専用軌道となる。トンネルを500㍍ほど進んだところで、列車はバックし始めた。竪坑エレベーターの乗り口はスイッチバックした所にあった。どうしてこんな厄介なことをするのか、その理由はトロッコだけを上に持ち上げるためだろう。スムーズに作業するためには、機関車が先頭でない方が良い。
下部駅は標高600㍍
宇奈月からの線路が続いている

 竪坑エレベーターと黒部上部専用鉄道(上部軌道)は、仙人谷ダム(黒部第三ダム)建設のために計画された。日中戦争が泥沼化した時代、化石燃料のいらない水力発電は、電力事情の逼迫する当時の日本に於いては国家要請であり、人跡未踏の山岳地帯にトンネルをぶち抜くという難工事が始まった。

 欅平から仙人谷までは距離にして6.1㎞、標高差が250㍍ある。欅平の黒部第三発電所にとっては都合の良い落差であっても、約41‰という勾配は作業用トロッコには厳しい。そこで竪坑で一気に200㍍昇り、残りの50㍍は6.1㎞かけてゆっくり登ろうと考えたのである。
上部駅ではゴミ積載トロッコ
がエレベータを待っていた 

 昭和12年に完成した竪坑エレベーターは、現在は二代目のものだ。箱の中もにも線路が設置され、トロッコがそのまま積み込めるようになっている。最大積載量は4.5トン、人なら36人まで乗れる大型のエレベーターだ。昇ったところに欅平上部駅がある。


展望

 上部駅に隣接する欅平竪穴展望台に立ち寄った。ここからは黒部の深い谷からは見ることの出来ない後立山連峰の山々を垣間見ることが出来る。あいにくの曇天だったが、ガスもかからず、緑の山の奥に雪を頂いたアルプスの山々が顔を覗かせている。
 穴蔵の中をぐるぐると巡ってきたので、一瞬方向感覚を失ったが、しばらくして自分が黒部川右岸にいて、東向き立っていることがわかってきた。見慣れた長野側の風景を逆に眺めているのだ。
一番奥の雪山、手前の緑の山
に隠れて分かりずらいが、左
から白馬鑓、やや高いのが天
狗の頭(クリックして拡大し
て下さい)        

 左(北)側から、白馬槍、天狗の頭。南に目を転ずると、鹿島槍と爺ヶ岳。いずれも後ろ姿である。黒部川は深い谷底でここからは見えないが、川底から700㍍ある絶壁、奥鐘山の大岸壁が見える。いまは国の天然記念物に指定されている景勝地も、仙人谷ダム建設時には悲劇が起こった場所だ。作業員宿舎が泡(ほう)雪崩と呼ばれる爆発的表層雪崩に吹き飛ばされ、一山越えて大岸壁に激突し、数十名の命が一瞬に奪われた。
中央下に奥鐘山の大岸壁。奥の雪
山は、左が鹿島槍、右が爺ヶ岳。

*竪穴展望台と更にその上のパノラマ展望台へは、富山県や地元市町村・関西電力などがタイアップして実施しているツアーで行くことが可能。6月から11月までの金〜月、宇奈月から往復する。料金6,000円

      http://kurobe-panorama.jp/ 

隧道

車両の床面は高いので、勢いを
つけ過ぎると頭をぶつける  

 展望台から戻って、いよいよ今回の旅のお目当て、黒部上部軌道に乗車する。黒部峡谷鉄道とは違って、こちらのトロッコは蓄電池駆動の機関車が牽引するミニ鉄道だ。電気ならいくらでも利用出来る黒部なのに、電気機関車を使わないのにはもちろんわけがある。温泉地帯を通過するために、硫黄で架線が腐食して使い物にならないからである。高熱のため、ディーゼル機関車も燃料が発火する危険性があった。
隧道は狭く、素掘り区間が多い
高熱区間はこの先約5㎞の地点
欅平上部駅から仙人谷駅までの間6.1㎞をおよそ30分掛けてゆっくりと進む。その間、すべてがトンネルであり、しかも車内は狭い。説明会で渡された赤いシールは、1号車に乗車する10名であることを示している。身を屈めないと車内に入ることも出来ず、ヘルメットを被った訳がよく分かる。立ち上がることも、身動きすることも出来ない30分だ。
 案内人が隧道建設の苦労を語ってくれる。ほぼ吉村昭の『高熱隧道』に沿った話だが、現場で聞くだけに、グッとこみ上げてくるものがある。ここで亡くなった人がたくさんいるのだ。

 軌道トンネルは三つの工区に分かれて建設が始まった。事件は仙人谷に近い第1工区で起こった。掘り進めるとすぐに、硫黄の匂いと岩肌からあつい湯気が湧き出したのである。担当の建設会社は工事放棄し、トンネル工事に定評のある第2工区の佐藤工業が引き継いだ。この時点で岩盤の温度は65度に達していた。火薬取締法によるダイナマイトの使用制限温度は40度、すでに限界を超えていた。
 黒部の冷たい水を掛けながら掘り進む。水を掛けても掛けてもたちどころに熱湯と化す中、遂に岩盤の表面温度は160度に達し、ダイナマイトの自然発火による暴発で数多くの人が命を落とした。それにしても、どうしてこうまでして掘り進むのか。ぜひ、一読をお勧めする。私がここを訪れたいと思ったのは、先にも述べたように、この小説に出会ったからだ。外が見えずとも、身動きできずとも、この30分が苦痛であるはずはなかった。
 乗車して20分、案内人の『高熱隧道』話は続く。

硫黄のにおいが
たちこめる
「そろそろかな」
と言って、案内人がドアを開ける。あっという間に眼鏡が曇った。カメラのレンズを拭きたいが、身動きできない。硫黄の匂いが立ちこめる。素掘りのトンネルはうっすらと黄色い。犠牲者のことが頭をよぎる。安らかに…と心の中で祈る。
「今でもこの付近は40度以上あります。今日はもう少し高いようですね。」
ドアを開けるまで熱気に気付かなかったのは、この車両が耐熱構造になっているからだった。
「今はこのトンネルに並行して導水管が走っているために、トンネル自体の温度も下がっています」
 黒部の水は一年を通してとても冷たい。この水のおかげで電気も生まれ、トンネルも冷やされている。

「いやあ、今日は良い話を聞きました。前回訪れた際は、案内の方があまりおはなしにならなかったので…」
と、一人の中年男性がいたく感心している。どうやら高熱隧道の話は知らないまま見学していたようである。釈然としないが、山が見たくて参加している人がほとんどのようだ。

ダム
上部軌道は定期列車が
毎日4往復運行


 高熱隧道区間はおよそ500㍍。そこを過ぎると、沿線唯一の地上区間である先人谷駅に到着し、休憩する。ここは黒部川に架かる鉄橋に頑丈な屋根を設けた駅だ。この屋根のおかげで、どんなに雪深くとも上部軌道は運行可能という。
1940年竣工の仙人谷
ダム(日本の近代土木
遺産に指定)    

 駅の目の前には、黒部峡谷に抱かれた仙人谷ダムが圧倒的な存在感で迫ってくる。残雪を頂いたガンドウ尾根の真下には雪渓があり、三段に分かれた滝となって水が流れ落ち、黒部川と合流している。この豊富な水を利用したくて、多くの犠牲を払いながらも、ダムを造りたかったのだなとしみじみ思う。

 ダムと反対側は、深くて白くなめらかな谷底と清流である。水の多くは導水管を通って欅平の発電所に送られているから水量は少ないが、それだけに川底が透けて、コバルトブルーが際立っている。ダムの脇の窪みからは、今もわずかながら湯煙が上がっていた。

 この上部軌道には、今も一般人が乗ることは出来ない。したがって黒部に魅せられた登山家達は、黒部川流域に造られた水平歩道を利用してここまでやってくる。軌道に乗れば6.1㎞の道のりも、絶壁に造られた幅数十センチの歩道は13.6㎞になるという。関電関係者を除けば、上級登山者だけが見ることの出来る風景を、この見学会は見させてくれるのだった。
(2018/5/30乗車)

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