2010年8月19日木曜日

スーパー白鳥 789系  白鳥 485系


蟹田駅に進入する八戸発函館行スーパー白鳥1号
                (2010 8.19)

蟹田駅にて(2010 8.19)

函館駅にて 北斗11号とスーパー白鳥26号八戸行
                 (2012 8.24)

スーパー白鳥26号(2012 8.24.)

函館行スーパー白鳥19号回送(2014 1.5.)

木古内駅に進入するスーパー白鳥11号函館行
            (2014 1.6.)
木古内駅にて 白鳥28号新青森行
           (2014 1.6.)
青森駅にて 白鳥28号(2014 1.6.)

青森駅にて スーパー白鳥27号函館行(2014 2.12.)

青森駅にて スーパー白鳥27号函館行(2014 2.12.)









寝台特急 あけぼの

21:15発 寝台特急あけぼの
上野駅13番線 (2010 8.18)

EF64 1053 長岡まで牽引

ヘッドマーク
テールマーク
行灯式行先表示

シングルデラックス廊下

車窓 鳥海山と日の出(2010 8.19. 5:16)
車窓 象潟(2010 8.19. 5:44)

車窓 八郎潟(2010 8.19. 7:11)

車窓 秋田内陸縦貫線(2010 8.19. 8:18) 
車窓 大鰐温泉 弘南鉄道(2010 8.19. 9:08)
車窓 岩木山(2010 8.19. 9:24)
9:56着 青森駅5番線
EF81 136 長岡から牽引
青森駅 機関車切り離し(2010 8.19.)

青森駅 回送準備(2010 8.19.)
青森駅(2010 8.19.)

2010年1月6日水曜日

寝台特急北陸と急行能登

21:15発 寝台特急あけぼの
上野駅13番線 (2010 8.18)

EF64 1053 長岡まで牽引

ヘッドマーク
テールマーク
行灯式行先表示

シングルデラックス廊下

車窓 鳥海山と日の出(2010 8.19. 5:16)
車窓 象潟(2010 8.19. 5:44)

車窓 八郎潟(2010 8.19. 7:11)

車窓 秋田内陸縦貫線(2010 8.19. 8:18) 
車窓 大鰐温泉 弘南鉄道(2010 8.19. 9:08)
車窓 岩木山(2010 8.19. 9:24)
9:56着 青森駅5番線
EF81 136 長岡から牽引
青森駅 機関車切り離し(2010 8.19.)

青森駅 回送準備(2010 8.19.)
青森駅(2010 8.19.)

2008年12月27日土曜日

昭和が漂う烏山線

宝積寺から始まる単線の旅

 烏山線は東北本線宝積寺から烏山までの間わずか20.4㎞、全線単線のローカル線だが、その旅は宝積寺から二駅上野寄りの宇都宮から始まる。1時間に一本程度の閑散とした路線であっても、朝晩を中心に日に5本の列車が宇都宮までやって来るからだ。新幹線ホームの反対側に何本もの留置線があり、その片隅に昔懐かしい2両編成の気動車がちょこんと止まっている。車両は近頃だいぶ少なくなってきた旧国鉄時代に造られたキハ40型である。今回の旅では時間の制約があるので、宇都宮からは普通電車に乗り換え宝積寺駅からディーゼルカーに乗り換えることにした。

 個性に乏しい駅が多くなっている中で、この宝積寺駅は一見の価値がある。著名な建築家隈研吾設計の駅舎は、特に橋上駅に通じる階段の天上に驚かされる。薄い板を幾何学的に組み合わせたそれは荘厳な感じさえするし、ガラス張りの駅舎も地方駅とは思えないほどの意匠だ。しかも蔵をシンボルと考えているこの町にふさわしい駅前広場の設計と言い、実に個性的な駅なのである。その真新しい宝積寺を出発した気動車は、東北本線の線路に別れを告げるとすぐに台地を抜けて広々とした田園地帯へと出る。風は冷たいが抜けるように晴れ上がった冬空の下に、刈り取ったあとのブラウン色の田圃が広がっている。あたり一帯の高根町では「ちょっ蔵の町」というキャッチフレーズで町おこしを図っているだけあって、あちらこちらに蔵が点在している。ここの蔵造りは石組みのものが多く、漆喰で塗り固めたものは見当たらない。栃木名産の大谷石で組まれた蔵も数多くある。

 時折車窓に流れる看板を見るとどうやらコシヒカリの産地らしく、豊かな土地柄のようである。門構えがしっかりした農家も多い。そんな風景の中をのんびりと気動車が走ってゆく。畦道、というか舗装されているので狭い農道というべきだろうが、そこに老人が腰を下ろしている。手にした杖からして天気に誘われて散歩に出た風情だが、それにしてもこんなだだっ広い田圃の中、ちょっと遠出しすぎじゃないですかと心配になるくらい、あたりには何もない。

メタボなキハ40

 キハ40型は旧国鉄が造った気動車だけに、転覆しても壊れないのではないかと思えるほど頑丈で重厚に造られているが、その図体の割にはエンジンが非力なので、豪快なエンジン音を撒き散らしながらも、それほど加速するわけでもなく、ちょっとした坂にとりかかるとまるでジョギングでもしているかのようなゆっくりしたペースでしか走れない。途中の鴻野山駅付近にサミットがあり、わずか10人にも満たない程のがら空きなのに、気動車は喘ぎながら登っていく。風景と同じように時間がゆったりと流れていく。下り坂になれば軽やかな走りになるだろうと思いきや、今度は重たい車体が転がり落ちるのを食い止めようと必死のブレーキングが始まって、ロングシートに腰掛けた身体が何度も揺すぶられる。何ともメタボなキハ40ではある。


 車窓には立派な門構えの農家が続き、ここに住む人たちはこんな時代遅れの烏山線には乗らないだろうなという思いが募るばかりだ。「電化のためにみんなで烏山線に乗りましょう」という看板がこのローカル線の苦境を裏付けている。さらに丘陵地帯の上にはゴルフ場が広がっていて、この烏山線だけが昭和の遺産なのであった。

通票閉塞式が残っていた!!

 大金という実に景気の良い名前の駅で上りと下りの列車が交換する。沿線のほとんどの駅は無人駅であるが、ここでは赤い帯の帽子を被った駅長さんが赤と緑の旗を持って運転席にやって来て、乗務員に何か手渡しをしている。何とタブレットであった。大金から終点の烏山までの間に列車は1編成しか入ることを許されていないので、このタブレットはそれを許可するスタフというタイプの通行許可証なのである。だから駅の外れにある二灯式信号は昔の腕子木式と同じような転轍機と連動したポイント通行の可不可を示すものに過ぎないのだ。ここでも昭和が続いている。


駅の名は、「滝」

 小塙を過ぎると再び登りとなり、トンネル内でサミットを越えて、坂を下りながら右にカーブを切ると滝駅に着く。この無人駅がまた何ともいい風情だった。 駅名は「滝」。自然の景物そのものをそのまま駅名にするなどという大胆な例を私は知らない。列車から降りるとそれこそホームと日本海しかないことで有名な信越線の青海川駅だって海や川という普通名詞に対して形容詞的に「青」が付いているし、山の上に寺がある仙山線の山寺だって確かにそのものずばりの命名だが、そもそも地名の語源は素朴なものが多いものだ。近くに龍門の滝があるから「滝」というのだろうが、実に大胆不敵な命名である。まさか名前倒れじゃあるまいなと思いつつ駅から5分歩いて合点がいった。実に名瀑なのである。逆にやるなあと妙に感心してしまった。滝口に一軒の茶屋があり、付近は観瀑台を擁した公園になってはいるものの、俗化されていないところがいい。しかも鉄路の旅人にとってうれしいことに、滝の後ろを烏山線が走っているのである。先ほど乗ってきた列車が折り返しの上りとなって40分後にやって来るので待つことにした。
 真冬のこの時期、だれ一人訪れる人はいない。窪地のため冷たい北風も幾分和らいでいる。することもなく待ちくたびれた頃になって、列車はやって来た。ゆっくり走る列車のことだから例の轟音を合図にカメラを構えればいいと油断していると、思いの外音も立てずにスコスコと走る気動車が視界に飛び込んできた。ちょうど下り坂に差し掛かっていたのである。ここを逃すとあとがないとばかりにシャッターを切った。 


終着駅 烏山

 滝から終点の烏山まではたった1駅。川の流れに沿って山を迂回し、大きくΩループを描きながら城下町烏山に向かう。里山に囲まれた静かな町である。廃藩置県で一度は烏山県となったこともあるというのが信じられないほど、あたりは閑散としている。それにしても終着駅はどこも寂しげな風情が漂うが、それが何とも言えずいいものだ。烏山駅もその先に行き場のないどん詰まりの駅として、どこか悲哀が漂っている。単線が分岐し相対式のホームが2面あって、ホームの先でまた単線に戻っている。2両編成の気動車がもて余すほどのホームの長さである。今から30年ほど前、末期の国鉄がイベント列車として行き先不明のミステリー列車「銀河鉄道999」を企画したとき、その目的地がここ烏山だったことはあまりにも有名だ。9両の客車を機関車牽引で運転したという。機関車を付け替えることが可能なほどの規模があるということだ。しかも、現在は大金~烏山間に2編成以上の列車が入ることはなく、1線は使われることがない過剰施設ということになる。線路表面に浮いた赤錆が、終着駅のもの悲しさをより一層強めている感じがする。身勝手な旅人は、そこに懐かしい昭和の面影を感じ取り、いつまでもこのままであって欲しいと願うばかりなのである。 (2008/12/27乗車)

2008年12月25日木曜日

二つの顔を持つ水郡線


電車のようなディーゼルカー

 8時17分発の水郡線・常陸太田行が入ってきたとき、一瞬通勤電車がやって来たのかと思った。何の予備知識もなく、時刻表だけを頼りに早朝東京を発って水戸まで来たので、近年水郡線用に導入されたキハE130系ディーゼルカーの存在を迂闊にも知らなかったのである。裾を絞った幅広車体に強化プラスティックとステンレスの組み合わせは、首都圏の最新式通勤電車と変わるところがない。黒地に鮮やかな黄色と青が組み合わされたカラーリングは、うら寂れたローカル線のイメージを完全に払拭している。ついにノスタルジーとは切り離された地方新時代の波が鉄道にもやって来たのだなと感じる。

水戸⇔常陸大宮・常陸太田は近郊路線

 水戸を出るとすぐに那珂川を渡る。橋梁が川面に近く、素人目に見てもいかにも水害に弱そうだ。現在新しい橋に架け替え工事を行っている最中である。水戸は関東平野の外れに近く丘陵地帯の間に平地が広がっているために、比較的多くの人々が暮らしていて、水郡線沿線には人家と田圃、畑が混在している。だからローカル線とは言いながらもこの周辺では通勤通学の大切な足となっているのである。4両編成の幅広車体を持つ列車が、朝は1時間に3本運転されている。常陸太田への支線が別れる上菅谷までは駅間も短く、単線で非電化のすっきりした線路であることを除けば、新型ディーゼルカーが走る風景はまさに郊外電車が走る姿そのものである。
 ところで 、常陸太田から水戸までの間には朝晩だけ1時間に1本だが直通列車がある。水戸までの距離は19.6㎞、わずか34分だからもっと利用客が多くても不思議はないが、おそらく多くはマイカー出勤で、ここでも殆どが高校生の通学用なのだろう。常陸太田には2005年まで日立電鉄が来ていた。常磐線の大甕(おおみか)を通り、日立に近い鮎川までを結んでいたが、残念なことに廃線となってしまった。従って地元の人にとってはJR水郡線が大切な足に違いないものの、車社会となった今、子供と老人以外は利用者も少ないのだろう。ローカル線はどこへ行っても観光資源がない限り、常に廃線の危機に晒されていると言える。この斜陽の社会インフラを支えているのは高校生である。高校生のいない日中、上菅谷・常陸太田間を折り返し運転しているこの支線の将来は、一体どうなるのだろう。

 久慈川の流れに沿ったローカル路線

 上菅谷に戻り、1日8本あるうちの9時40分発郡山行を待つ。やって来た列車は満席だった。これで運転台の後ろから風景を楽しんでも恥ずかしくない。山方宿を過ぎると山がぐっと迫ってローカル線らしくなる。外観は通勤電車風の気動車だけれども、2人掛けと1人掛けのクロスシートなので旅にはとても快適だ。中舟生(なかふにゅう)からは久慈川に寄り添って走り、運転席の後ろから見る景色は素晴らしく、柵のないガーター橋で久慈川を渡る所などは今にも落ちそうでスリル満点である。観光で乗車している人が殆どで、おそらく袋田の滝を目指すのだろう、途中駅で降りる人はいない。列車はほぼ満席状態のまま、渓流をくねくねと遡っていく。西金には採石場があり、近頃のローカル線ではすっかり珍しくなった貨物列車のヤードがある。両側から迫る渓谷美を堪能しながら常陸大子まで列車は走る。予想通り途中の袋田で大部分の人は下車し、残った人たちも大方常陸大子で降りてしまった。茨城県最後の町である。
 特に渓流を楽しめる風光明媚な車窓はここまでで、この先は列車本数も半減する。駅には何本もの留置線があって、折り返して水戸に向かう二両編成の気動車が止まっている。矢祭山で久慈川の流れは福島県に入り、緩やかな流れは棚倉まで続く。これ以後、列車はなだらかな阿武隈高地に四方を囲まれた盆地をトコトコと走るのである。田圃が広がるこの地方を南北に久慈川が流れ、水郡線は申し訳なさそうに山裾を慎ましやかに大回りして北上する。鉄道が控えめに敷設されているのに、新参者の道路は盆地のど真ん中を突っ切っているのを見ていると、いい加減にしなさいよと小言を言いたくなる。
 そもそも平らな土地に分水嶺があるのだから、サミットをいつ越えたのかは全くわからない。奥久慈の渓流から下ってきたのではなく、遡ってきたというのも妙な感じである。磐城浅川のホームには「水郡線で一番高い駅 306m」の表示が出ていた。決して高いわけではない。
 外の空気は冷たいようだが、福島県中通りの天候はすこぶる良い。日差しが強いので、乗客の一人が車掌にブラインドかカーテンはないのかと尋ねていた。キハE130系には、最近の通勤電車と同じようにカーテン類の装備がない。紫外線カットの特殊ガラスだから必要なしということだろうが、実際には眩しく感じることも多いし、緑の色ガラス越しに見る風景はちょっと不自然な色合いだ。経営上手なJR東日本だから、経費削減、メンテナンスフリーのためであることは間違いない。せっかくいい気分で車窓を楽しんでいる旅行者には、ちょっと興ざめである。やはりキハ110系に装備されているような、アコーデオン式のカーテンこそがローカル線にはふさわしい。
 車窓左側遠くに雪を被った山脈が見えてくる。高度が下がり景色が広々として来て、終点が近いことを感じさせる。進路を西に変えて阿武隈川を渡り、新幹線高架橋をくぐると東北本線の線路が寄り添ってきた。スピードが増し、三線区間をしばらく進むと水郡線の終点安積永盛に到着。午前授業を終えて帰宅する女子高校生がたくさん乗車してきて、ガラガラだった車内は立ち客であふれた。再び近郊線に戻ったのである。もっともこの辺りは東北線の普通列車が多く通るところであり、乗客の大半はたまたま水郡線からの気動車に乗ったに過ぎない。12時33分、上菅谷から3時間をほんの少し切るくらいのちょっとした長旅であった。郡山駅には会津若松行の赤べこ模様の快速電車が止まっていた。磐越西線の会津若松まではまだ未乗車区間である。そのまま乗って行ってしまいたいと思いつつ、次の目的である磐越東線に向かった。 (2008/12/25乗車)