2007年12月26日水曜日

寝台特急 あかつき


草臥れたEF66

2008年3月15日に廃止された寝台特急あかつき
に乗っておこうと、夕方新幹線に乗って京都の
6番線ホームに立った。そこに現れたのはだい
ぶ草臥れたEF66だった。                  (2007/12/26)



新大阪〜佐世保・長崎が全盛期の運行区間だが
廃止直前は熊本行のなはと併結して長崎行とし
て運行していた。        (2007/12/26)


熊本行なはとの併結が可能な14系で運行されていた。
長年の使用で塗装にも痛々しさが感じられる。   
                                                                     (2007/12/26)

あかつきのシングル・デラックスは
進行方向に就寝する方式だった。食
堂車はもちろん車内販売もない。 
                                            (2007/12/26)

寝台は二つあり、ツインとしても利
用可能な構造だった。   (2007/12/26)

寝台を解体すると向かい合わせの
ソファーとなり、窓下からテーブ
ルが現れた。なかなか気が利いた
仕組みだ。                   (2007/12/26)

有明海の夜明けが美しい。寝台列車に乗っていて
本当に良かったと思う一瞬だ。遠くに見えるのは
対岸の熊本県。手前は名産有明海の海苔の養殖だ
ろう。                                                       (2007/12/27)

諫早湾干拓問題で有名になった潮受け堤防と水門が
見えて来た。                              (2007/12/27)

長崎は頭端式の終着駅。風情たっぷりだ。かつては
ここから東京まで<さくら>や<みずほ>が出発し
ていった。<あかつき>が廃止されれば本州と結ぶ
列車が長崎を発つことはなくなる         (2007/12/27)

九州での牽引はED76                (2007/12/27)

ヘッドマーク

<あかつき>のマークに<なは>を重ねているので
椰子の葉に幹がちゃんとついているように見える。


異国情緒たっぷりの長崎にブルートレインはよく似合う
わずか4時間あまりの滞在だったが、長崎電気鉄道を乗
り尽くし、一路東京を目指した      (2007/12/27)




2005年8月10日水曜日

上越線湯檜曽ループを眺める

  
 勾配緩和を目的としたループ線は、今ではトンネル掘削技術が飛躍的に向上したために原則として必要がなくなってしまったが、車窓風景を楽しもうとする私のような者にとっては少々残念なことである。
 鉄道を愛好する者の多くは新技術に少なからず憧憬の念を持つものであり、世界一の青函トンネル完成などという歴史的事件には舞い上がるほどの興奮を覚えるものだが、実際にトンネル通過が楽しいという人はあまりいないのではないか。心の底では、青函連絡船で津軽海峡の眺めを堪能しながら北海道上陸を果たしていた頃を懐かしく思っているものである。
 湯桧曽と土合間の清水トンネルが出来た1931年から4年後、川端康成が上越線を使って越後湯沢を訪れ、温泉旅館「高半」に滞在しながら「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。夜の底が白くなった。信号所に汽車が止まった。」と書き始めたときのトンネルとは、大清水でもなく、新清水でもなく、今回訪れている清水トンネルだった。湯桧曽側と土合側に二つのループトンネルを穿ち、徐々に高度を稼いで出来るだけ国境のトンネルを短くしたのである。清水トンネルを抜けるとまだ高度の高い人里離れた土合の信号所では「夜の底が白」かった。そこから少しずつ高度を下げて湯沢の町に向かったということだろう。現在新幹線が行き来する大清水トンネルだったら、「国境のトンネルを抜けると越後湯沢駅であった」と少々味気ない。
 景色を楽しみたい旅人には、大清水ではなく清水トンネルを通って雪国に向かいたいところであるが、残念ながら現在は上り線群馬方面に使われているだけである。しかも、かつては関東と新潟を結ぶ大動脈だった上越線も、新幹線開業以来めっきり寂しくなってしまい、L特急ときや急行佐渡が行き来したこのループ線から昼間の優等列車は姿を消し、日中の定期列車はわずか5本の普通列車を残すのみとなった。ただ、考えようによっては昔の風情を取り戻したと言えなくもない。(2005/8乗車)