2016年8月6日土曜日

ハノーファーのシュタットバーン 後篇

旅の終わりは、旅の始まり

 長い間、私はこのことばを述べたのは安部公房とばかり思っていた。が、調べてみると、正確には「終わった所から始めた旅に終わりはない」(『終りし道の標べに』)であった。さすが公房先生、喪失感が人の心をむしばんでいくような、実存的不安をよく表現している。似たような状況を表現しながら、重みがまったく違う。

 それにしてもである、ハノーファーには実存的不安とは無縁だが、終わりのない鉄道が実在する。それは「まあるい緑の山手線、まん中通るは中央線」とは全く異なるものだ。前篇を読んで下さった方は、ハノーファーの路線図に環状線がなかったことを覚えているかもしれない。
 ふつう鉄道で終わりと言えば終着駅、始まりと言えば始発駅のこと。そこにドラマを感じる人は多く、そのどちらも明確でない山手線にはドラマ性が欠如している。ハノーファーの終りのない鉄道にはちょっとしたドラマがある。
木立を左回りに巡って戻ってくる。
郊外にあるファサネンブルグは、
プラットホームのない停留所。  

 ファサネンクルグFasanenkrugは旧市街地から直線距離で8㎞ほど離れた郊外の終着駅。森と牧草地と緑豊かな住宅地が広がる傍らを専用軌道で爽快に走り、アウトバーンの高架橋を抜けると到着だ。
 停留所はブルクヴェーデラー通りから少し引っ込んだところにあるので、プラットホームは設置されていない。あたりにはよく注意してみないと見落としてしまうようなレストランとバス停があるだけの閑静な場所だ。ドアが開きステップが下されて、乗客全員、といっても数名が石畳の上に降り立つと電車はそのまま前進して行ってしまった。引き込み線があるわけではない。林の中をぐるっとひと巡りして再びここにもどってくるため、運転手はそのまま運転し続けるという塩梅なのだ。遊園地のミニ列車でも見ているようで楽しくなる。広い土地さえ確保できれば、手間のかかるポイントを設置するより維持も楽だろう。行き止まりのない駅だから、終わりのない鉄道というわけだ。ぐるっと戻ってきた電車は行く先がエンペルデEmpeldeに替わっていた。さあ、終わった所から旅を始めよう。私はそのまま車上の人となった。
ミスブルグ駅 
屋根の上のUは地下鉄乗り入れ
の意味。          

 ところで、ハノーファーの街を北東から南西に貫くブルーラインは、3系統が集まった路線である。北東側にはファサネンクルグ以外にアルトヴァルムビューヘンAltwarmbüchenとミスブルグMisburgとがある。終点がループになっているのはファサネンクルグだけだ。
ミスブルグ駅とTW3000形

ミスブルグはちょっとした買い物には困らない店舗と落ち着いた住宅が建ち並ぶお洒落な街。その一画に瀟洒なプラットホームがあって端に車止のある終端駅だ。駅舎の上にはU-bahn(地下鉄)を意味するUマークが載っている。今回の旅でたいへんお世話になった美人先生が、長身のエリートビジネスマンのご主人と、赤ちゃんと共に暮らす町と聞いている。裕福な家庭が多いそうだ。モダンなデザインの最新型車両TW3000形電車がとても似合うと思う。
ポイントを少なくした
簡易型の引き上げ線。

 もう一つの終点アルトヴァルムビューヘンAltwarmbüchenは、いかにも新興の住宅街という感じで、郊外型の大型店舗や研究施設のような建物が途中に点在している。ホームの先には引き上げ線があり、雑草が生えていたりしてちょっと殺風景な終点である。第2世代のTW2000形愛称シルバーアローの無機質な感じが、あたりのぶっきらぼうな雰囲気と妙にマッチしている。


たかがつり革、されど吊り革
TW2000形の車内

 TW2000形が登場したのは1997年のことで、かれこれ20年近くが経つ。近未来的なデザインで、綺麗に磨き上げられた窓とコンパクトにまとめられたクロスシート、安全のための握り棒のカラーリングが洒落ている。こんなところは、とかくありきたりに規格化されがちな日本の鉄道にも見倣ってもらいたいところだ。なかでも一番感心したのは、吊り革である。
革製吊り手

 最近では「吊り手」と呼ぶようになった吊り革だが、それは日本から吊り革そのものが消えてしまったからだろう。牛革製の吊り手は強度に問題があり、殺人ラッシュが当たり前の東京の鉄道には不向きだった。昭和年代では見慣れた革製の吊り手は、長年の酷使によって痛み、ちぎれ、消えていった。その後塩ビや麻・綿を重ね合わせた耐久性の高いものに取り替えられたが、機能優先でなんの味わいもなくなってしまった。ここハノーファーでは、新しいデザインの吊り革が活躍している。天然素材の革製品は手にも馴染み、意匠性にも優れている。そんな逸品を普段使いにしている贅沢が羨ましい。

街の中心部へ
 
 アルトヴァルムビューヘンを起点とする3号線とミスブルグからの7号線がパラケルススウェグParacelsuswegで合流し、しばらくポトビールスキー通りを進んでいくと、道を挟んで街路樹の向こう側に旧市民病院が見えてくる。施設が古くなったので取り壊し、ショッピングモールとして再開発しようとした矢先に、欧州で難民問題が勃発し深刻化する。ハノーファーはドイツの中でも比較的裕福な、ドイツ的良心の息づく街である。市民の多くは難民の受け入れに積極的で、壊される筈の病院施設はすべて難民に開放されることになった。あたりは手入れの行き届いた庭が美しい閑静な土地で、厚遇された難民の多くは地域住民とトラブルを起こすことなく暮らしているという。ただしもの珍しいからといって、じっと見つめるなど誤解されやすい行為は慎まなくてはならないと、ここで暮らすドイツ人に念を押された。市はかなりの額の補助金で難民を支えているというから驚きだ。それが秩序をもたらしていることは間違いない。今年はドイツ各地でも難民をめぐるトラブルが生じている中、ここハノーファーでは、将来はともかくもまだ比較的平穏な日々が続いている。
Spannhagengarten付近

 電車はファサネンクルグFasanenkrugからの9号線と合流すると、ミッテルラント運河にまたがったノルテメイヤーブリュッケNoltemeyerbrückeに到着する。透明の樹脂で覆われたドーム型の屋根を持つ洒落た駅である。下を流れる川は、ライン川とエルベ川を結ぶ全長389㎞、世界第5位の大運河だ。この運河を利用した水運によってハノーファーは交通の要衝地となり、それによって殷賑を極めたのだが、見た目は都会を流れるふつうの川に過ぎない。近くにはブルーラインの車庫があり、ここから市街地に向けてもっとも頻繁に電車が行き来する区間となる。

 ハノーファーは森の街というくらい緑の豊かなところだ。ポドビールスキー通りの南側にはこの街で最大の森があり、市民の憩いの場となっている。沿線は4階建ての住宅が連なり、ギムナジウムや「森のレストラン」(ビアガーデン)が点在する。少し足を延ばすとクラインガルテンと呼ばれる、市によって貸し出される農地がある。農地といっても、小屋を建てることが許され、ほとんどの人はガーデニングを楽しんでいるので、日本人から見ると別荘そのものだ。都会の集合住宅に住む人々が、格安の別荘を利用しているという、なんとも羨ましい限りの施設だ。こんなところにも、緑豊かな都市を造ろうという努力の跡がある。
 中央駅Hauptbahnhofまであと二駅のところにあるリスタープラッツLister Platzから地下鉄区間となる。 

U-Bahn(地下鉄)

Hauptbahnhof

 ベルリンやケルンからの高速列車が行き来するドイツ鉄道中央駅Hauptbahnhofの地下2階には、ブルーラインとレッドラインが乗り入れる地下鉄ホームがあり、同一ホーム上で乗り換え可能な2面4線の便利な構造となっている。
切符の自動販売機

 ドイツでは改札口がないため、乗り降りは実にスムースだ。切符はホームに置かれた自動販売機で購入する。運賃はゾーン制が採用されているので、タッチパネル上に表示される路線図で確認しながらタッチして選ぶ。英語表示を選べるので、ゆっくり落ち着いて考えればなんとか購入できるが、使用人数や割引切符、使用日数など多種類の中から選択するので、最初は戸惑ってしまう。後ろに人が並んだりすると、プレッシャーでヒア汗の流れること請け合いだ。気の小さい私は、とてもこの駅では買うことが出来ず、わざわざ乗り降りの少ない駅で購入した。もちろんクレジットカードが使える。

クルプケKröpcke

ニキ・ド・サンファール・
プロムナード 正面奥は中央駅

 中央駅からクルプケにかけてはハノーファーで最も賑やかなショッピング街だ。路上では大道芸人が巧みなパステル画を描き、たくさんの風船を持った売り子が歩き回って、街に彩りを添えている。休日ともなると、結婚式を控えた男性が、仲間からボールを当てられたりしながら、羨望と嫉妬と揶揄が入り交じった<いじめ>にあう光景に出会う。もともとは幸福を分けてもらうイベントだったようだ。関係のない人も参加して、大いに盛り上がる。
 ショッピング街に沿って地下一階からの吹き抜けになった遊歩道がニキ・ド・サンファール・プロムナードだ。
王宮庭園の洞窟にて
ニキ・ド・サンファールはフランスに生まれスイスに帰化した女性芸術家であり、生命感・躍動感あふれる抽象化された女性像を得意とする。ハノーファーの王宮庭園ヘレンハウゼンには、洞窟と呼ばれる彼女の残した一大作品があって、この街と深い関わりを持つことから、敬意を表してプロムナードの名前に抜擢された。
 
 このプロムナードの先がハノーファー・シュタットバーンの中心駅クルプケKröpckeだ。エスカレーターで地下二階に降りるとブルーライン、さらに地下三階のコンコースを挟んで、更に地下四階に降りると、レッドラインとイエローラインのホームが現れる。一日中、人々の行き来が絶えない重要な駅だけに、利便性ばかりでなく、美しくデザインされた空間としても工夫された駅である。マッシモ・イオサ・ギニというイタリアの建築家・デザイナーによって、駅全体がガラス素材を用いたモザイクアートで美しくコーディネイトされている。エスカレーターや階段部分は極力壁を廃した吹き抜け構造となっていることもあって、駅全体が開放的で心地よい。地上に出れば重厚な建物があり、地下に潜れば近代的なデザインの駅がある。そのようなところに、ヨーロッパの街の懐の深さが感じられる。と同時に、必ずしもドイツ的であることに拘らない街づくりという点でも、我々日本人にとっては示唆に富んでいる。

再び地上へ
 
 ヴァッターローWaterlooは英語でウォータールー。フランス語でワーテルロー、ナポレオン1世がイギリス・オランダやプロイセン軍に敗れたベルギーの地名だ。ロンドンでは最も乗降客の多い駅であり、かつてはユーロスターの発着駅だった。ナポレオン好きのフランス人にとって、パリとロンドンを結ぶユーロスターがウォータールーに到着するのは面白いはずがない。駅名変更要求運動まで起こったというから、欧州の近所付き合いも厄介なものだ。その後発着駅がセント・パンクラスに替わったので問題は解消した。ハノーファーの場合、ヴァッターローはブルーラインが分岐する乗り換え駅に過ぎないから、フランス人も気に留めることはないだろう。
Bernhard-Caspar-Str.にて
市の南西側はホームが整備され
ていない。         

 終わりのないファサネンクルグFasanenkrugから出発した9号線は、地上に出ると道幅の狭いファルケン通りを車と共存しながら進む。一階が店、二階以上が集合住宅になっている市街地だ。ダヴェンシュテッター通りあたりからは次第に集合住宅もまばらになっていく。近くに子ども博物館があり、知育に最適な手作りオモチャが数多く展示され、実際にそれで遊ぶことができる。多くの人が住むこの辺りには、倉庫や工場も点在していてやや雑然とした街並みだ。Sバーンの駅からの引き込み線はおそらく貨物用だろう。観光で欧州を訪れる際にはあまり目にすることが少ない風景だろう。道幅が広く車も比較的少ないこのあたりでは、プラットホームのない停留所が続く。
 終点はエンペルデEmpelde。駅全体が大きなループとなっていて、真ん中にバスターミナルを配し、降車ホームと乗車ホームを平行に設置した、終わったらそのまま前進してぐるっと回り新たな運転が始まる駅である。ということで、9号線は終わりのない旅を続ける電車なのであった。
終点Empeldeの乗車側ホーム 
右側にバスターミナルがある。

 電車を降りると、乗車ホームの方から女性のわめく声が聞こえ、車両から数名の人が飛び出してきた。男性のわめく声も聞こえてくる。車内でカップルの口げんかが始まったのだ。何をわめいているのかはわからないが、周囲を憚ることなく、手振り身振りを交えた痴話げんかだ。電車やバスの運転手達が集まってきて、げんなりした顔で二人をなだめるが、どちらも聞く耳を持たない。叫んでいいる二人がいる限り発車もできない。この先この二人は一体どうなるのだろう。
 このふたりにとって、終わったところから始まった旅に終わりはない、などということがないよう祈るばかりだ。

タイムオーバー
Wettbergenは終端駅

 ヴァッターローまで戻り、ブルーラインのもう一つの終着駅ヴェットベルゲンWettbergenに足を伸ばした時点で、とても陽の明るいうちには全ての路線に乗り尽くせないことが明らかになってきた。中心街から一番近い終点は動物園なので、最後にそこに向かうことにする。クルプケでイエローラインに乗り換える。

名所を結ぶイエローライン

 イエローラインは観光巡りに最適な路線だ。まずそちらの紹介から始めよう。
ヘレンハウゼン王宮庭園

 イギリスのジョージ1世の妹、ハノーファー選帝侯妃ゾフィー(ゾフィー・シャルロッテ・フォン・ハノーファ)は、夏の離宮を美しく造り替えた。それが名所ヘレンハウゼン王宮庭園である。幾何学模様で飾られた大庭園、王侯がアバンチュールを楽しんだ秘密の花園、ヨーロッパでも屈指の大噴水、意匠の凝った多段式の滝カスケード、野外演劇劇場等々、贅を尽くした庭園はいつまでも散策していたくなるような所だ。クルプケで紹介した、ニキ・ド・サンファールが造った洞窟が最新の見どころとなっているが、歴史好きには、新しい抽象芸術がヘレンハウゼンに調和していると思えるかどうかは微妙なところだ。でも、地元の人達は面白がっているところが興味深い。
 王宮庭園に隣接してハノーファー大学があり、こちらはかつての宮殿が今に残る歴史ある大学だ。微積分を考え出したライプニッツにちなんでライプニッツ大学ともいい、機械式計算機を発明した天才でもあることから、大学構内に博物館が設置されている。業績を眺めていると、ドイツのレオナルド・ダ・ビンチに思えてくるほどの多才ぶりだ。
Fahrschule行などない!

 これらの名所をめぐるにはクルプケからイエローラインに乗るのが一番便利で、中心街を地下鉄で北西方向に離れ、地上に出てすぐのところにある。
 ホームに立つと見慣れない表示のTW6000形がやって来た。Fahrschuleと書いてある。辞書で調べると自動車教習所という意味のようだ。しかし路線図をつぶさに調べても、そのような停留所はなかった。中央駅近くに自動車学校があるので、そこの停留所の別名なのかとも思うが、なんともしっくりいかない。だがschuleはどう見ても学校だ。行き先不明の電車は、どうにも気持ちが悪かった。
 帰国後、何度も写真を見ているうちに、あることに気がついた。運転手の横に白いYシャツ姿の人物が横向きで写っている。出入り口に背を向け、運転手と話しているのだろう。勿論、走行中に乗客が運転手に話し掛けるのは禁物だ。そこで気がついた。<車の学校>、ドイツでは車の練習をそう呼ぶのだろう。つまりこれは教習車、見習い運転手が練習中なのだ。白いYシャツ姿は教官に違いない。ちなみに日本では、回送とか試運転とか表示して走るのだろうなと思う。確信はないけれど。
Zooにて

 さて、今回の旅の終わりは動物園Zoo。ドイツ語ではツーと発音する。クルプケを出て地下鉄区間を抜け、ドイツ鉄道の車両基地を左に眺めつつ進んでいく。本線と分かれて、市立公園や国際会議場の前を通過すると、また線路のラウンドアバウトが現れたが、ほかからの合流がない。ただ路線に付属したループになっているだけで、終点はその先にある。いったい何のためのループなのだろうか。それは今も謎のままである。
 動物園は行き止まり式の普通の終着駅。鬱蒼とした木立に守られた静かな佇まいだった。
(2016/8/6乗車)

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