篠ノ井線 姨捨(おばすて)駅
特急 しなの6号 名古屋行 善光寺平を見下ろしながら、 特急は姨捨駅(左)の脇を通 過してしまう |
姨捨駅は日本三大車窓の一つに数え上げられ、善光寺平(長野盆地)を見下ろす冠着山の中腹に位置しているだけあって、素晴らしい眺望が楽しめる。ホームのベンチはすべて線路側ではなく外を向いている位だ。松尾芭蕉が「田毎の月」と詠った棚田もすぐ向かいの斜面に広がっている。
この三大車窓は一体誰が言い出したのかはわからないが、九州・肥薩線で矢岳を越える際に見える霧島連山の眺めと、北海道・根室本線の狩勝峠越え(ただし廃止された旧線に限る)で見える十勝平野の眺めということになっている。それにしても雄大な風景はほかにもあるはずで、どうしてこの三つなのか。
しなの6号遠望 篠ノ井からおよそ70mほ ど登って来たところ。姨 捨まではあと120m上らな くてはならない。後方、 白銀に輝くのは戸隠山。 (姨捨から撮影) |
在来線の多くは蒸気機関車時代に敷設されたため、とびきり勾配に弱い機関車のために様々な工夫が凝らされている。その一つにスイッチバックがある。姨捨は姨捨伝説や松尾芭蕉の「田毎の月」だけでなく、スイッチバックでも有名な駅である。
桑ノ原信号場 本線は坂になっているが、左右 の引き込み線は水平に設置され 蒸気機関車でも動き出せるよう 工夫されている。 |
ところが馬力の弱い蒸気機関車は坂道発進が出来ないので交換施設は水平に設置する必要がある。そこで本線は坂のままとし、信号所は水平を確保して、蒸気機関車は平らなところで勢いをつけてから登攀できるようにしたのが、桑ノ原信号場のようなスイッチバックなのである。稲荷山から登ってきた列車は、桑ノ原信号場で一旦左側の引き込み線に入る。ここでスイッチバックして本線を横切り右側の引き込み線で待機し、下ってくる列車の通過を待つ。列車が通過したら、助走をつけて本線を再び登って行く。蒸気機関車が廃止された後も、重量のある貨物列車にとっては必要な施設である。
桑ノ原信号場をノンストップで通過すると電車は次第に高度を稼ぎ、あたりの家が次第に小さくなっていき善光寺平が広がっていく。脇には長野自動車道が通っているが、あちらは既により高所を走っている。やがて前方に姨捨駅が見えてくる。
この日、姨捨駅から見る戸隠や飯縄の山々は残雪で白く輝いていた。眼下には善光寺平すべてが見渡せる。手前の棚田に水が湛えられるまでにはまだ日があるようだ。秋の実りの季節には黄金色の稲穂がそよぎ、さぞ美しいことだろう。再び違う季節にここを訪れたいと思いつつ、次の下りを待った。
鉄道の近代化とともにスピードアップの妨げになるスイッチバックが次々と消えていった中で、信越線にたったひとつだけ取り残されたスイッチバック駅がある。
妙高高原駅から高田平野の外れにある新井駅までは21km、標高差は約450m。25パーミルほどの勾配で下って行く。間には関山と二本木の二駅があり、どちらもスイッチバックの駅だった。昭和60年(1985年)、すべての列車が電車化されるのに伴って、関山は通常の駅に変更され、線路自体は今も敷設されているものの、スイッチバックは廃止された。今も残るのは二本木のスイッチバックである。
二本木駅がスイッチバック駅として残ったのは、駅の隣にある日本曹達二本木工場の専用線が併設されていたためであり、貨物輸送そのものが平成19年(2007年)になくなってしまったので、保線の面倒なスイッチバックは早晩廃止の憂き目に会うことだろう。
姨捨駅が観光的価値もあってこれからも生き延びるであろうことに比べて、信越線の方は風前の灯である。信越線自体は横川・軽井沢区間が廃線となった段階で、都市間輸送の役割を終えて、もともと人口の少ない地域のローカル線として分断されてしまった。来年春の北陸新幹線開業によって更にそれは推し進められることになる。優等列車もなくなり本線を通過するだけの定期列車が全くなく、すべての列車が二本木駅に立ち寄るにも関わらず、構内の線路が雑草に埋もれているのは、ここがすでに役目を終えつつあることを示している。
鉄道愛好家はノスタルジーに浸りたいものだが、現実は甘くない。信越線の車窓の素晴らしさはまた別のところで触れたいが、ここの鉄道が活気を取り戻すのはなかなか一筋縄ではいきそうもない。
登攀するためのスイッチバック
スイッチバックは英語でZIGZAGとも言うそうで、本来は急斜面をジグザグに登って行くためにある。姨捨や二本木のように、勾配ではあるものの登攀そのものは直線的で機関車が再発進するために停車場を折り返しにしているスイッチバックは、蒸気機関車全盛時代には日本各地に見受けられた。今はそれが希少価値となっているのだ。
さて、本来の登攀するために造られたスイッチバックとしては、箱根登山鉄道の四段式スイッチバック、木次線の出雲坂根や豊肥本線の立野の三段式スイッチバックが有名である。それぞれ行ったり来たりしながら高度を稼いで行く。視界が開けていくと同時に、今さっき通過した線路が見えるというのも、なんとも不思議な感覚である。いかにも登って行く(あるいは降りていく)ということが実感できる点で、スイッチバックはとても楽しい鉄道イベントである。
箱根登山鉄道や木次線の場合、運転手が運転台を移るというセレモニーまでついている。ここではスピードアップ・時間短縮などどこ吹く風、実にのんびりとしたものだ。効率優先の今の世の中にとって、なんと無駄多き世界の贅沢なことよと思わないではいられない。特に木次線の場合、そこに辿り着くまでがまた一苦労で、新幹線で岡山まで行き、伯備線に乗り換えた後、新見でローカル線の芸備線に再び乗り換えて備後落合まで行けば、ようやく一日三往復しかない木次線に乗ることができるという、なんともまあ極めつけの秘境にそのスイッチバックはある。何かのついでに立ち寄ることなど所詮無理。スイッチバックのために一日を使うという、実に贅沢な時間を使った旅が楽しめる。
驚きのスイッチバック 立山砂防工事専用軌道
さて、登攀するためのスイッチバックとして前代未聞の、驚きのスイッチバックが富山県にある。YAHOO地図にもグーグルマップにも記載されていないし、勿論時刻表や旅行ガイドブックにも掲載されていない。鉄道紀行作家の宮脇俊三が『夢の山岳鉄道』の中でこう記している。
(2014/4/1乗車)
信越線 関山駅・二本木駅
関山駅 かつては左側に伸びる先に関山 駅があった。本線は横断歩道橋 のところで右にカーブしている |
妙高高原駅から高田平野の外れにある新井駅までは21km、標高差は約450m。25パーミルほどの勾配で下って行く。間には関山と二本木の二駅があり、どちらもスイッチバックの駅だった。昭和60年(1985年)、すべての列車が電車化されるのに伴って、関山は通常の駅に変更され、線路自体は今も敷設されているものの、スイッチバックは廃止された。今も残るのは二本木のスイッチバックである。
二本木駅がスイッチバック駅として残ったのは、駅の隣にある日本曹達二本木工場の専用線が併設されていたためであり、貨物輸送そのものが平成19年(2007年)になくなってしまったので、保線の面倒なスイッチバックは早晩廃止の憂き目に会うことだろう。
前方に二本木駅 本線は信号機の所で右に消えている。 ※ 運転台後ろからの撮影のためガラ スの文字が写り込んで見にくくなっ ている |
姨捨駅が観光的価値もあってこれからも生き延びるであろうことに比べて、信越線の方は風前の灯である。信越線自体は横川・軽井沢区間が廃線となった段階で、都市間輸送の役割を終えて、もともと人口の少ない地域のローカル線として分断されてしまった。来年春の北陸新幹線開業によって更にそれは推し進められることになる。優等列車もなくなり本線を通過するだけの定期列車が全くなく、すべての列車が二本木駅に立ち寄るにも関わらず、構内の線路が雑草に埋もれているのは、ここがすでに役目を終えつつあることを示している。
鉄道愛好家はノスタルジーに浸りたいものだが、現実は甘くない。信越線の車窓の素晴らしさはまた別のところで触れたいが、ここの鉄道が活気を取り戻すのはなかなか一筋縄ではいきそうもない。
(2014/4/1乗車)
登攀するためのスイッチバック
木次線三段式スイッチバック 左が一段目、右が二段目。少しずつ 高度を稼いでいることがわかる。 |
延命水で有名な出雲坂根駅 右が一段目、左が二段目。左線路を 手前方向に登っていけば、やがて次 のシェルター付分岐に辿り着く。 |
左が二段目、右が三段目 雪の多い地方のため、人里から離れ た分岐器は雪囲いのシェルターで守 られている。三段目手前方向に登っ ていくと、この峠のサミットに至る |
(2011/1/6乗車)
驚きのスイッチバック 立山砂防工事専用軌道
「起点の千寿ヶ原まで一八・二キロ、スイッチバック四二カ所のこの破格の砂防工事専用軌道の乗車体験について、くわしく書くのはやめる。書けば書くほど鉄道ファンの嫉妬羨望の的になりそうだし、うまく書けそうにない。わりあい正確な路線図を一所懸命に書いて挿入したので、黒岩さんの絵を参照しながら乗り心地を想像していただきたい。」
(宮脇俊三『夢の山岳鉄道』より)
これでは馬に人参ではないか。この御馳走お預け的文章には正直困った。見てみたい! 乗ってみたい!
宮脇俊三が書けなかったのは、特別な許可を得て乗車したからであり、鉄道愛好家としてフェアでないと考えたからであろう。しかし現在では唯一乗るチャンスがある。立山砂防体験学習会に参加することだ。ただし回数が限られており、抽選に当たらなければならない。何とそれに当たったのである。
宮脇俊三が書けなかったのは、特別な許可を得て乗車したからであり、鉄道愛好家としてフェアでないと考えたからであろう。しかし現在では唯一乗るチャンスがある。立山砂防体験学習会に参加することだ。ただし回数が限られており、抽選に当たらなければならない。何とそれに当たったのである。
白岩砂防堰堤 8つの砂防ダムで 落差108m分の土砂 をくい止めている |
デーゼル機関車が3両の 人員輸送用トロッコを牽引 |
屋上にヘリポートがついた 事業所・博物館。停留所名 は千寿ヶ原 |
バラスト貨物とモーターカー 通過した箇所を下に見つつ スイッチバックしながら進む (7.9キロ地点 鬼ヶ城連絡所) |
薬師号は前進から停止、 更に後進していくところ |
身を乗り出してバック運転 |
鉄道模型のレイアウトのような 配線 |
およそ1時間40分の旅が終わる。水谷から先はバスで砂防ダムを見て回る。あくまでもトロッコは、国の治山治水の最先端を学ぶための移動手段なのである。帰りは、最初にバス見学した人たちの帰路用であるから、残念ながらここでトロッコとはお別れだ。終わってみれば、まさに夢のような体験であった。