宝積寺から始まる単線の旅
烏山線は東北本線宝積寺から烏山までの間わずか20.4㎞、全線単線のローカル
線だが、その旅は宝積寺から二駅上野寄りの宇都宮から始まる。1時間に一本程度の閑散とした路線であっても、朝晩を中心に日に5本の列車が宇都宮までやって来るからだ。新幹線ホームの反対側に何本もの留置線があり、その片隅に昔懐かしい2両編成の気動車がちょこんと止まっている。車両は近頃だいぶ少なくなってきた旧国鉄時代に造られたキハ40型である。今回の旅では時間の制約があるので、宇都宮からは普通電車に乗り換え宝積寺駅からディーゼルカーに乗り換えることにした。
個性に乏しい駅が多くなっている中で、この宝積寺駅は一見の価値がある。著名な建築家隈研吾設計の駅舎は、特に橋上駅に通じる階段の天上に驚かされる。薄い板を幾何学的に組み合わせたそれは荘厳な感じさえするし、ガラス張りの駅舎も地方駅とは思えないほどの意匠だ。しかも蔵をシンボルと考えているこの町にふさわしい駅前広場の設計と言い、実に個性的な駅なのである。その真新しい宝積寺を出発した気動車は、東北本線の線路に別れを告げるとすぐに台地を抜けて広々とした田園地帯へと出る。風は冷たいが抜けるように晴れ上がった冬空の下に、刈り取ったあとのブラウン色の田圃が広がっている。あたり一帯の高根町では「ちょっ蔵の町」というキャッチフレーズで町おこしを図っているだけあって、あちらこちらに蔵が点在している。ここの蔵造りは石組みのものが多く、漆喰で塗り固めたものは見当たらない。栃木名産の大谷石で組まれた蔵も数多くある。
時折車窓に流れる看板を見るとどうやらコシヒカリの産地らしく、豊かな土地柄のようである。門構えがしっかりした農家も多い。そんな風景の中をのんびりと気動車が走ってゆく。畦道、というか舗装されているので狭い農道というべきだろうが、そこに老人が腰を下ろしている。手にした杖からして天気に誘われて散歩に出た風情だが、それにしてもこんなだだっ広い田圃の中、ちょっと遠出しすぎじゃないですかと心配になるくらい、あたりには何もない。
メタボなキハ40
キハ40型は旧国鉄が造った気動車だけに、転覆しても壊れないのではないかと思えるほど頑丈で重厚に造られているが、その図体の割にはエンジンが非力なので、豪快なエンジン音を撒き散らしながらも、それほど加速するわけでもなく、ちょっとした坂にとりかかるとまるでジョギングでもしているかのようなゆっくりしたペースでしか走れない。途中の鴻野山駅付近にサミットがあり、わずか10人にも満たない程のがら空きなのに、気動車は喘ぎながら登っていく。風景と同じように時間がゆったりと流れていく。下り坂になれば軽やかな走りになるだろうと思いきや、今度は重たい車体が転がり落ちるのを食い止めようと必死のブレーキングが始まって、ロングシートに腰掛けた身体が何度も揺すぶられる。何ともメタボなキハ40ではある。
車窓には立派な門構えの農家が続き、ここに住む人たちはこんな時代遅れの烏山線には乗らないだろうなという思いが募るばかりだ。「電化のためにみんなで烏山線に乗りましょう」という看板がこのローカル線の苦境を裏付けている。さらに丘陵地帯の上にはゴルフ場が広がっていて、この烏山線だけが昭和の遺産なのであった。
通票閉塞式が残っていた!!
大金という実に景気の良い名前の駅で上りと下りの列車が交換す
る。沿線のほとんどの駅は無人駅であるが、ここでは赤い帯の帽子を被った駅長さんが赤と緑の旗を持って運転席にやって来て、乗務員に何か手渡しをしている。何とタブレットであった。大金から終点の烏山までの間に列車は1編成しか入ることを許されていないので、このタブレットはそれを許可するスタフというタイプの通行許可証なのである。だから駅の外れにある二灯式信号は昔の腕子木式と同じような転轍機と連動したポイント通行の可不可を示すものに過ぎないのだ。ここでも昭和が続いている。
駅の名は、「滝」
小塙を過ぎると再び登りとなり、トンネル内でサミットを越えて、坂を下りながら右にカーブを切ると滝駅に着く。この無人駅がまた何ともいい風情だった。 駅名は「滝」。自然の景物そのものをそのまま駅名にするなどという大胆な例を私は知らない。列車から降りるとそれこそホームと日本海しかないことで有名な信越線の青海川駅だって海や川という普通名詞に対して形容詞的に「青」が付いているし、山の上に寺がある仙山線の山寺だって確かにそのものずばりの命名だが、そもそも地名の語源は素朴なものが多いものだ。近
くに龍門の滝があるから「滝」というのだろうが、実に大胆不敵な命名である。まさか名前倒れじゃあるまいなと思いつつ駅から5分歩いて合点がいった。実に名瀑なのである。逆にやるなあと妙に感心してしまった。滝口に一軒の茶屋があり、付近は観瀑台を擁した公園になって
はいるものの、俗化されていないところがいい。しかも鉄路の旅人にとってうれしいことに、滝の後ろを烏山線が走っているのである。先ほど乗ってきた列車が折り返しの上りとなって40分後にやって来るので待つことにした。
真冬のこの時期、だれ一人訪れる人はいない。窪地のため冷たい
北風も幾分和らいでいる。することもなく待ちくたびれた頃になって、列車はやって来た。ゆっくり走る列車のことだから例の轟音を合図にカメラを構えればいいと油断していると、思いの外音も立てずにスコスコと走る気動車が視界に飛び込んできた。ちょうど下り坂に差し掛かっていたのである。ここを逃すとあとがないとばかりにシャッターを切った。
終着駅 烏山
滝から終点の烏山まではたった1駅。川の流れに沿って山を迂回し、大きくΩループを描きながら城下町烏山に向かう。里山に囲まれた静かな町である。廃藩置県で一度は烏山県となったこともあるというのが信じられないほど、あたりは閑散としている。それにしても終着駅はどこも寂しげな風情が漂うが、それが何とも言えずいいものだ。烏山駅もその先に行き場のないどん詰まりの駅として、どこか悲哀が漂っている。単線が分岐し相対式のホームが2面あって、ホームの先でまた単線に戻っている。2両編成の気動車がもて余すほどのホームの長さである。今から30年ほど前、末期の国鉄がイベント列車とし
て行き先不明のミステリー列車「銀河鉄道999」を企画したとき、その目的地がここ烏山だったことはあまりにも有名だ。9両の客車を機関車牽引で運転したという。機関車を付け替えることが可能なほどの規模があるということだ。しかも、現在は大金~烏山間に2編成以上の列車が入ることはなく、1線は使われることがない過剰施設ということになる。線路表面に浮いた赤錆が、終着駅のもの悲しさをより一層強めている感じがする。身勝手な旅人は、そこに懐かしい昭和の面影を感じ取り、いつまでもこのままであって欲しいと願うばかりなのである。 (2008/12/27乗車)