東北本線の起点が東京で、終点は盛岡であることは多くの人が御存じのことと思う。「えっ?終点は青森ではなかったの?」とおっしゃる方もいると思うけれど、青森まで新幹線が開通するのと引き替えに、在来線が第3セクター化されたので、終点はあくまでも盛岡である。短くなったとはいえ、全長535.3㎞という堂々とした大幹線である。東北本線くらいの大物になると、本線にへばり付いた枝線と呼ばれる路線がある。それらを合わせると全長は36.4㎞も増えて571.7㎞にもなる。
そのなかでも一番長い枝線は赤羽から大宮までの18.0㎞、埼京線である。何となくぴんと来ないが埼京線も正式には東北本線の一部だ。次に長いのが日暮里から尾久を通って赤羽までの部分。7.6㎞のこの部分こそが東北本線そのもののように思えるが、正式には京浜東北線が通る田端経由が本線であり、尾久経由は枝線扱いだ。これなどは実際の運行とは別であり、路線が造られた歴史と関連がある。田端駅の開業は1896(明治29)年4月1日、尾久駅は33年後の1929(昭和4)年6月20日開業と聞けば、線路の戸籍上田端経由が本線となるのも納得がいく。
さてその次に長いのが6.6キロの長町・宮城野・東仙台間である。ただこちらは貨物専用路線のため乗車することはできない。貨物列車が仙台駅を避けるために敷かれた路線であり、これは諦めるしかない。東北新幹線の工事が佳境となった昭和50年代前半、夜行列車の一部が仙台を通らずに、長町から宮城野経由で運転された時があった。長町・仙台間に連絡バスが運行されたのだが、残念ながらその列車には乗っていない。私が乗った急行八甲田は仙台を0時38分に出発し、青森に向かっている。工事中の仙台駅から乗車した記憶が残っている。今では新幹線の高架橋と周辺の高層ビルで薄暗い仙台駅だが、当時は地上ホームから空を遮るものは何もなかった。たとえ宮城野経由に乗ったところで深夜のため何も見えなかっただろうが、今にして思うとちょっと残念に思うところが、乗り尽くしファンの心情というものだろう。
岩切14時31発利府行 |
利府へ
仙台に近いので通勤通学路線と思われるが、運行本数は余り多くない。朝晩は1時間に2本程度が仙台・利府間を結び、日中は1時間に1本となって岩切・利府間を往復している。
14時06分、岩切に到着した電車は折り返し14時31分発利府行となる。ロングシートに2〜3人の人が所在なさそうにただ発車を待っている。そのうちに仙台からの電車が到着し、乗り換える人もやってくるが、相変わらず空席が目立つままに発車時間となった。もちろんワンマンカーである。
本線の方が右に大きくカーブを切って分かれて行き、枝線の方は新幹線の高架下をくぐったあとは新幹線と一定の距離を保ったまま並行して走る。新幹線と枝線の間にはレールセンターが広がって、事業用の車両が多く停まっている。在来線の工事用基地がしばらく続き、それが尽きると新幹線基地に変わり、カラフルな様々な新幹線電車が停まっていて見た目にも楽しい。はやぶさ用のE5系、こまち用のE6系、先日引退した旧こまち用のE3系も停まっている。そしてなんと、北陸新幹線用のE7系まである。やまびこ用のE2系も含めて、初代のMaxとき以外はすべてが揃っていて、さながら新幹線博覧会状態だ。
留置線が尽きた所に新利府駅がある。ここからは新幹線工場ゾーンだ。ホームの注意書きに「一般のお客様は岩切側の出口をご利用下さい」とある。利府側には工場直結、JR社員専用の出入り口があるのだ。つまりJR社員のためにこの駅は存在する。周囲に住宅は全く見えない。線路を挟んで工場の反対側は田圃だけが広がっている。果たして、この駅を利用する一般客はいるのだろうか。
利府駅 |
ところで終着駅という言い方は利府には馴染まない。「終」には「ついに」の意味があり、それは長い旅の終着点という意味だからである。近郊電車が走る利府はあくまでも終点だろう。しかし、それでも私にとって利府には特別な意味がある。ここはようやく東北本線を乗り尽くした私にとっての終着駅なのである。
(2014/10/2乗車)