2016年8月27日土曜日

「とでん」と言えば…


 高知で「とでん」と言えば、とさでん交通(旧土佐電鉄)の路面電車を指すらしい。ほかに電化された鉄道がないので、単に「電車」とも呼ばれているという。東京人が聞いたらびっくりするような話だが、南国土佐からみればびっくりする方がおかしいのかもしれない。
ホームからの眺め

 今、県外の人が高知を旅するなら、ぜひJRを利用することをお薦めする。初めて降りる高知駅のホームからの眺めに驚く人もいるに違いない。三体の銅像が背を向けているのだ。
 上野の西郷さんはいつも山手線の方を見つめている。JRを利用する人は多いから、銅像は人々から注目されるように、いつもこちらに顔を向けてくれているのだろう。
銅像ではなかった! 発砲スチロ
ール製なのだそうだ。400㎏もあ
るという。いつまで設置されるの
だろう。           

 しかし、高知の銅像はもっと高尚な志で立っているのだ。桂浜の坂本龍馬は勿論のこと、高知駅前の武市半平太先生、坂本龍馬先生、中岡慎太郎先生は、日本の将来を見据え、海の向こうの世界を見つめて立っていらっしゃる。

 われわれは旧来の常識に対して、もっと自由な発想で見つめ直す必要があるのだろう。土佐を訪れる人は、柔軟な発想で「電車」に乗るとよい。「とでん」もまた、とてもユニークな乗り物である。


路線図

御免線(はりまや橋〜御免町)
 
 御免町は土佐くろしお鉄道との乗り換え駅。終点らしくコンビニが付いた駅舎には、乗車券売場もある。ここからはりまや橋までは10.9㎞あり、約30〜40分かかる。

御免線の起点・御免町  
600形の主力電車。なお、これがとさでんカラー。


 とでんは、いわゆる路面電車の定義を覆すものだ。一見専用軌道のようにも見えるが、道路との境界は曖昧で、簡易的な踏切を見ても、やはりこれは道路の一部で、人や車が横切るところにだけに道を復元しているようにも思われる。これなら車と路面電車は競合しない。

路面電車? 専用軌道?  600形
アスファルトとレールが接しており、歩道部分を電車
が走っていると言えなくもない。また、アスファルト
の踏切とバラストを盛り上げた踏切がある。    

 はりまや橋の交差点は、複線と複線が十字に交わるばかりでなく、連絡する線路が花びらのような模様を描いて繋がっている美しい形だ。連絡線は高知駅方面と伊能駅方面を結ぶ所だけが複線で、それ以外は単線となっている。伊能線の枡形と桟橋線の高知駅前を結ぶ電車が朝方数本運転されるため、そこだけ複線になっているだ。

はりまや橋交差点   600形
縦が御免線・伊野線、横が桟橋線。
鉄道では線路が縦横に交わるのをダイアモンドクロス
と呼ぶが、ここでは更に縦横連絡線がつく珍しい形。
高速道路のダイアモンド型インターチェンジに近い。

伊野線(はりまや橋〜伊野)

 はりまや橋から伊野までは11.2㎞、45分程度。御免線と伊野線をあわせて東西線と呼ぶ。ただし東西線を端から端まで走破する電車は設定されていない。御免町からは鏡川橋まで、伊野からは文珠通までで、それ以外は文殊通と鏡川橋の間を往復している。

100形ハートラム 伊野線
超低床・三車体の連接電車。とでん唯一のLRT。

 伊野までへ行く場合には、鏡川橋で乗り換えることが多い。旅する人にわかりにくいのは、鏡川橋には降車専用ホームと乗降ホームの二つがあることだ。電車は一旦降車専用ホームで客を降ろし、少し先の乗降ホームで乗り継ぎ客を降ろす。この駅止まりの電車はそこで引き返して、渡り線を通ってはりまや橋方面に戻っていく。
 事情がよくわかっていなかった私は、降車専用ホームで降りてしまい、後続の伊野行に乗り損ねそうになってしまった。安全地帯も何もない道路の真ん中を乗降ホームまで駆けなければならなかった。折り返し電車が多いために、下車する人の便を図って、手前に降車専用ホームをつくったと思われるが、何ともわかりにくい。
 
 伊野線は鏡川橋から先が面白くなる。乗降ホームのところから単線になり、橋をわたると、その先の道路が急に狭くなる。

鏡川橋・伊野間は単線
鴨部・朝倉駅前では片側一車線の道路に単線の路面
電車が走る。写真は電車後方を撮影したもの。バス
が遠ざかっていく。つまり、驚くべきことに、現在
電車は対向車線を走っている。         

鴨部・朝倉間には二箇所の交換施設がある。
朝倉で鏡川橋行と交換する。

 下り電車がここに差し掛かると、対向車線を走ることになるので、それを知らないドラーバーは前からやって来る電車を見てパニックに陥るだろう。しかも右側にはこちらに向かってくる自動車もある。一瞬一方通行路に迷い込んだと勘違いするのではなかろうか。ここは落ち着いて対向車が途切れるのを待ち、右から追い越すような感じですり抜けるしかない。
 さて、単線区間での信号扱いはどうなっているのだろうか。鏡川に近い市場前信号所には、進入指示の信号機が設置されているので、自動信号機によって正面衝突を防いでいることがわかる。

市場前信号所にある進行指示の
信号。この先鏡川橋までは、信
号の指示に従って運行する。 

 その先はなんとタブレット交換だった。路面電車で行われている例は、ほかにあるのだろうか。しかし考えてみれば、常に目視で安全を確認する路面電車だけに、この前近代的な方法は、似合っていなくもない。かえって安価で確実な合理的解決に思えてくる。設備投資だけがすべてではないかもしれない。その場その場にあった柔軟な発想が大切だろう。

朝倉駅・北山間は単線の専用軌道区間となる。後ろ
の電柱に自動車の追い越し禁止の標識がある。線路
専用軌道ではなく路面の一部であることを示して
いるのではないだろうか。    八代信号所  

 タブレットは、多客時に数台の電車が続行運転可能なように、通票式のものが採用されている。近頃激減してしまったものが、生活路線でまだ息づいているのは嬉しいものだ。このような古い仕組みでは、一人ひとりの運転手が機械と一緒になって安全に気を配る必要があり、確かに効率は良くないかもしれないが、それを動かす人の役割が重要だ。時間がゆっくり流れていると感じるのは、人がついていける位のスピードだからだろう。目に見える安全、ブラックボックスにならない仕組み。なんと癒される鉄道ではないか。

運転台脇に置かれたタブレット

三角穴の通票がキャリアに
収められている     

 終点の伊野はJR土讃線の伊野駅からも近い。ここにも待合室があり、終点らしい風格がある。と言っても、商店に並んで建つ、瓦屋根の小さな待合室だ。威張らない、肩肘張らない庶民の乗り物である。

伊野線終点の伊野 600形

桟橋線(高知駅〜はりまや橋〜桟橋通五丁目)

 はりまや橋まで戻り、桟橋線に乗る。桟橋線は南北線とも呼ばれるわずか3.2㎞の路線だ。全線が路面電車で、繁華街に近いところは暑さ対策のために敷石がはがされて芝生が張られている箇所もある。あっという間に終点の桟橋五丁目に着く。桟橋だからといっても海が見えない。空が広く、気配は港なのだが、高い壁が立ちはだかっていて、その向こう側が見えないのだ。

終点の桟橋五丁目の脇には高い壁がある。その向こう
に何があるかは、電車からはわからない。     

電車を降りて、壁に沿って歩くと金属製の階段が
あった。昇ってみてその向こうが海であることを
知る。まさに桟橋であった。壁の向こう側に電車
の屋根が見える。              

 歩き回って、壁の上に続くステップを見つけた。昇ってみると、港が広がっていた。陸地は、いかにも高潮には弱そうな0メートル地帯だった。終点のすぐとなりにはとさでん交通の基地、桟橋車庫がある。今回お目にはかかれなかった外国製の電車もおそらくここにあるのだろうが、残念ながらみえない。

立ち入り禁止の札があって、これ以上中には入れない。

 次第に日が暮れてきた。そろそろ今日の旅は終わりにしよう。帰りは高知駅前まで乗って、とでん全線走破の旅を終えることにした。総延長25.3㎞。開業明治37年のとでんは、現役最古の路面電車でもある。

暮れなずむ桟橋五丁目

 翌朝高知を去る前に、もう一度とでん高知駅前を訪ねた。今度来るときは必ずオーストリア、ポルトガル、ノルウェイからやって来た路面電車に会おう。そう思いつつ、JR高知駅に向かった。今日も半平太・龍馬・慎太郎はそっぽ向いている…

高知駅前
(2016/8/27乗車)

2016年8月26日金曜日

松山の心くすぐる市内電車

路面電車だけじゃない市内電車
西堀端付近

 坊ちゃん列車をはじめとしてなにかと話題豊富な松山の路面電車。伊予鉄道ではそれを路面電車ではなく市内電車と呼んでいる。郊外電車と区別するためだろうが、要するにLRT(軽量軌道交通)のことだ。
 JR松山駅から旅を始める観光客にとっては、道後温泉へ行くにも松山城に登閣するにもすこぶる便利だし、住む人達にとってもショッピングや仕事に重要な市内を移動するには欠かせない鉄道だから、まさに市内電車というネーミングがぴったりなのだろう。
 ただ鉄道愛好家の視点からすると、路面電車と呼べない事情がある。それこそ松山市内電車のもう一つの魅力なのだ。

伊予鉄道市内電車路線図      

伊予鉄道では路線図の転載を認めていないようだ。
上図はWikipedia「伊予鉄道」より。       

 市内電車のうち城北線と名付けられた古町・平和通一丁目間(環状線の一部)は路面電車ではない。法律上も軌道ではなくて鉄道となっている。もう少し詳しく説明すると、市内電車のほとんどは路上を複線で走る路面電車だが、ここだけは民家の間を単線で走っているのである。
 JR松山駅前はいつも観光客で賑わっている。多くは市内電車の環状線内回り専用ホームに向かい、松山市駅、城のある大街道、道後温泉を目指していく。一方外回り専用ホームに向かう人はほぼ地元の人達である。こちらから観光地に向かうのは遠回りであるし、そもそも道後温泉行はないからだ。外回り電車のうち、5号線道後温泉行はここで引き返すので、単線区間にあわせて電車の本数は少なくなる。

JR松山駅前外回り専用ホーム。前方が単線になって
いる。オレンジの電車が古町方面からやって来るのを
待って、白い電車が発車する。          

単線だから途中で列車交換がある。さらに城北線は郊外電車と交差までする。ここが珍しい。郊外電車から見ると、場違いなところに路面電車が迷い込ん出来たように見える。


郊外電車高浜線の線路を横切る市内電車

一方、LRT側から見ると、おそるおそる様子を伺いながら通らせて貰っているかのように見える。

外回り電車は高浜線高浜行き通過するのを待つ。
高浜行きが古町到着すると、ポイントが開く。

路面電車?が普通の鉄道を横切るというのも妙な感じ
だが、線路の幅は共通、1067㎜狭軌だ。      
 
城北線の古町駅にまもなく到着。ここには郊外電車と
市内電車の車庫がある。             

単線区間のため、交換列車待ちをする。

 ここから先は、民家の間の狭い空間を平和通一丁目まで進み、そこから路面電車となって複線に戻る。

坊っちゃん列車がゆく
市役所前からの城の眺め

 松山のお城は平山城だけあって、いろいろな場所から眺められ、街のシンボルとなっている。お城と市内電車の取り合わせも絵になる風景だ。ましてや山の麓をのんびり走る坊っちゃん列車が観光客に人気があるのも当たり前だろう。人が多く集まる松山市駅と道後温泉の間を日に6〜7往復している。それほど頻発しているわけでもないので、たとえ乗車していなくても、すれ違ったりすれば心時めくこと請け合い、まさに一大イベントだ。
 それにしても漱石が『坊っちゃん』で描く松山の第一印象は決して褒められたものではない。「野蛮なところだ」と罵り、その後に出てくる有名な汽車のくだりは次の通り。

  停車場はすぐ知れた。切符も訳なく買った。
 乗り込んでみるとマッチ箱のような汽車だ。
 ごろごろと五分ばかり動いたと思ったら、も
 う降りなければならない。道理で切符が安い
 と思った。たった三銭である。それから車を
 傭って…

とそのまま赴任先の旧制松山中学に出向いていく。漱石が描く市井の風景は罵倒されていることが多いのだが、大文豪にとりあげて貰っただけで有り難いことかもしれない。伊予鉄の人達は、このマッチ箱のような汽車を再現してしまった。
道後温泉に向かう電車の横を
坊っちゃん列車がすれ違う。

 街中で蒸気機関車を走らせるわけには行かないので、SLの形をしたディーゼル機関車に、湯気でつくったフェイクの煙を吐かせて、というところに伊予鉄マンの執念を感じる。しかも機関車は終点で向きを変えなければならない。路上にターンテーブルなど設置できないから、台車はそのままに、ボディーだけを回転させるというギミックまで考えて実現した。
松山市駅での付け替え作業
左側ホームでは多くの人が
見守っている。     

 そして、マッチ箱の客車の付け替えは人力で。それらが見せ物になっている。明治が再現されているのだ。観光客はもう『坊っちゃん』の世界に浸っている。この後は、市内のいたる場所に設置されている俳句ポストに、一句ひねって投げ入れたくなるに違いない。ここは漱石の親友正岡子規ゆかりの松山だから。
 
注)東京の葛飾柴又には鰻屋が集まっている。その中で一軒だけ『彼岸過迄』でとりあげられた店がある。今でも漱石にとりあげられたことを宣伝しつつ、多くの人で賑わっている。
『二人は柴又帝釈天まで来て、川甚という這入って飯を食った。そこでらえた蒲焼たるくて食えないと云って、須永はまた苦い顔をした。先刻から二人の気分が熟しないので、しんみりした話をする余地が出て来ないのを苦しがっていた敬太郎は、この時須永に「江戸っ子は贅沢なものだね。細君を貰うときにもそう贅沢を云うかね」と聞いた。』
 須永に批判的な書き方とはいえ、現代小説でこのような取り上げられかたをしたら、クレームものだろう。


有名な大手町交差点

高浜行が通過する

 市内環状線の中に古町で入り込んできた高浜線は、環状線の外にある松山市駅へ向かうため、もう一度交差する。そこが大手町の交差点だ。全国的にはこちらの方が有名で、路面電車と郊外電車の複線どうしが、ほぼ直角に交差することで評判の場所。道路に綺麗なダイアモンドクロッシングが描かれる。上を見上げると架線もダイアモンドクロスになっている。架線同士が繋がっているということは、郊外電車も市内電車も同じ600Vで走っていることを意味する。低電圧の郊外電車だ。
大手町の後方にJR松山駅が見える
ここを通過する際に車輪から発せられる音にも人気がある。タンタンタンタンタンタンタンタン。けたたましく、せわしなく、高らかに音を響かせながら、郊外電車も市内電車も通過していく。もちろん徐行しながらだ。編成の長い郊外電車の方が車輪の数が多い分、迫力もあって面白い。
 高浜線側に遮断機が設置されているのだが、道幅が広いので、歩行者と自動車だけに向けたものになっている。市内電車には必要ないと思っているのだろう。
 
 観光客にも鉄道愛好家にも市民にも愛される伊予鉄市内電車。遊び心満載で、心くすぐられる鉄道だった。各地で廃線の便りが聞かれる今日、市内電車にはいくつかの延長計画があるようだ。まず、JR松山駅の高架化に伴う駅前駅の移動。そして、松山空港への延長計画である。いつのことになるかはわからないが、一日でも早く実現することを期待したい。
(2016/8/26乗車)

2016年8月25日木曜日

川奥ループと四万十川

川奥ループを楽しむ

眼下に中村方面への線路が見える

 四国の片隅にループ線がある。
 高知から特急で約1時間、距離にして70㎞離れた四万十川上流域の窪川、その一つ先に若井という駅がある。窪川を起点とする土佐くろしお鉄道中村線の駅であり、各駅停車しか停まらない。線路の脇に申し訳程度の屋根なしホームを設置しただけの無人駅なのだが、JR四国の予土線の終点にもなっている。ただ、予土線へは皆、窪川で乗り換えてしまうので誰も気づかない、山間の田圃に囲まれたつつましい駅である。
川奥信号場
ポイントは予土線側に開いている

 そんな駅だから、中村線と予土線との分岐もここでは行われない。更に3.6㎞も山奥に入った川奥信号場が分岐地点だ。どこで分かれるのだろうと思っていると、進行左下に一瞬見えるループ線の出口付近を見落としてしまう。というのも、その先に信号場があるからだ。
左が予土線 右が中村線

 ここにループを設置したのは、あとから完成した予土線との接続を考えたからであろう。標高160m台の信号場からループで一気に40m下ってしまえば、そのあと海岸の土佐佐賀までは直線距離で8㎞が緩やかな坂となり、中村へと向かえる。一方で予土線はほぼこの標高を保ったまま、この先四万十川の流れに沿って下っていくのである。
 ループ線を堪能するなら、土佐くろしお鉄道に乗る必要がある。信号場を通過したあと、すぐに右に高度を下げながらカーブが始まってトンネルに入る。隣の車両との角度を見ていると、小さな円を描いて走っているのが実感できる。トンネルを抜けるとループは終わり、列車は進路を左に変えて川の流れに沿って下りはじめる。電化区間ではないので、残念ながら下からは何もわからない。中村との間を特急しまんとが9往復、各停が8往復しているので、上越国境よりは乗りやすい。

しまんとグリーンライン(予土線)の旅

四万十川と沈下橋

 四万十川が最後の清流といわれるようになって久しい。美しい自然が残り、点在する沈下橋がロマンを引き立てる。そもそも四万十という名前からして日常性からはほど遠く、さまざまな旅情を掻き立ててくれる。ところがこの四万十川にも現実は忍び寄ってくる。
 清流にはダムがふさわしくない、のだそうだ。八ッ場ダムのことがあって以来、ダムも随分と地位が下がったものである。原子力発電が忌避され、火力発電が地球温暖化で悪玉と化し、クリーンだったはずの水力発電までもが自然破壊の元凶となった。その問題の「ダム」が四万十川にもある。
家地川駅を出てしばらくすると、
道路橋の向こうに佐賀堰堤が見え
てくる。下の流れが四万十川。 

 川奥信号場で左に分岐し、予土線に入って、そのまま真っ直ぐにトンネルを抜けると家地川駅に着く。この近くに佐賀堰堤、通称家地川ダムがある。
 堰堤とダムの違いはその高さにあるらしいが、呼び方が二種類あるように、推進派と環境保護派や豊富な水量を望む下流域の人々とでは、この施設の評価が異なる。
 そもそもどうしてここに堰堤があるのか。佐賀は中村線側の地名だったはずだ。実は四万十川の水が堰き止められ、山を越えることによって、佐賀にある発電所で電気を生み、下流の田畑を潤した。環境保護など無縁な80年前の話である。長い年月とともに、その水は生活する人々にとって欠くことの出来ないものなっている。
 別の見方もある。ここで取水しているから、四万十に流れ込む窪川の生活排水の量が減り、水質悪化を防いでいるという主張だ。実に目から鱗でである。一旦は水量が減っても四万十というほど支流の多い河川だから、豊富な水量で清流がもどってくるというのだ。
蛇行を繰り返す四万十川

 実際、下流に向かうに従って、両岸の山が狭まり、川は蛇行しはじめ、渓流の様相が深まってくる。豪雨になって濁流が押し寄せても、自然に逆らうことなく、嵐が過ぎ去るのを待つのが沈下橋だ。四万十川の名を広めたのは、この沈下橋がいたるところにあるためだ。
芽吹手沈下橋

 自然を超克しようとして発展した近代であるが、その限界を認識するところから新たな歩みが始まる。そんな時代的気分が人々を沈下橋へと誘うのだろう。数ある沈下橋の中でも、土佐大正と土佐昭和の間にある芽吹手沈下橋は、JRのポスターにも採り上げられた景勝地であり、予土線の車窓からもよく見える。それを窓越しではなく、風を感じながら体験できるのが、今乗っているしまんトロッコ号だ。
しまんトロッコ号
宇和島駅にて

 しまんトロッコ号は、まさに四万十の光と風を感じるために造られた車両だ。日本初の超豪華列車ななつ星を生んだ水戸岡鋭治のデザインである。リニューアルされたディーゼルカーが貨物車を改造したトロッコを引っ張る形式である。あざやかな黄色は、南国高知の太陽か、それとも宇和島みかんか。いずれにしても、しまんとグリーンラインという愛称を持つ予土線に、ワクワクするような旅を提供してくれるカラーコーディネートだ。
しまんトロッコ号
宇和島駅にて

 夏が終わりに近いこともあって、乗客はまばらだった。トロッコ営業区間(窪川〜江川崎)が終わりに近づき、トロッコ車両から4〜5人の外国人がワイワイがやがやと乗り移ってきた。それぞれ大きなトランクを引っ張っている。中国人のグループだった。あたり構わず騒ぐのには閉口だが、こんなところまでトランクを引っ張って旅する彼らには、心底敬服する。あんなバイタリティは私にはない。荷物はどこに預けるべきか考えてからでないと、海外旅行など出来ないだろうなと思いつつ、改めて「中国人、恐るべし!」と感じた次第。
ホビートレイン
宇和島駅にて

 この路線には近頃、「新幹線」も走るようになった。新幹線の生みの親である十河信二が生まれていながら、四島で唯一新幹線のない四国だが、改造車両とはいえ新幹線(もどき)が走っているのだ。それも四国の片隅で。
 ホビートレインと名付けられたこの列車の車内には、鉄道模型が展示されている。自然豊かな四万十川には似つかわしくないようにも思えるが、愛嬌のある団子っ鼻のディーゼルカーが、田舎路線をはしるのは何だか頬笑ましくもある。四国の悔しさをシャレで吹き飛ばしているような、ユーモアに満ちた一両編成だから、あえて目くじらを立てることもあるまい。

 さて、江川崎で四万十川と別れを告げた予土線は、そのあとゆるやかな登りとなって、間もなく国境を越えて伊予国愛媛県へと入っていく。しかし宇和島まではまだ30㎞も残っている。川の名前も広見川へと変わるが、実はこの川は四万十の支流だ。予土線が分水嶺を越えるのは務田(むでん)付近、宇和島からわずか8㎞の所である。だから予土線のほぼ全線が四万十水系を貫く鉄道なのである。
 宇和島の町は、リアス式海岸特有の三方を山が囲む谷底にある。列車は転げ落ちるように坂を下って、北宇和島で予讃線と合流し、終点宇和島に到着する。
赤い橋は国道346号線の四万十橋。
太平洋まであと少し。     
宿毛線 中村・具同間


 一方、江川崎で別れた四万十川は、高知県内を逆S字を描きながら、最後は四万十市・中村で太平洋へと流れ出る。街に近づいても、最後まで清流らしさを失わない魅力的な河川である。
(2016/8/25乗車)




 
 
 




2016年8月24日水曜日

高松琴平電気鉄道


路線図
琴平線(高松築港〜琴電琴平)32.9㎞

 ことでん3路線の中で本線格なのが琴平線。もともとは瓦町が起点だったが、現在はJR高松駅やフェリーの高松港が間近な高松築港が玄関口になっている。

高松築港駅にて
玉藻公園の脇に起点高松築港駅がある。ここは琴平線
(ラインカラー、黄)と長尾線(同、青緑)の始発駅。
JR高松駅からは約300m、乗り換えはやや不便だが、
フェリーとのアクセスが良い。          
高松城(玉藻城)艮櫓と琴平線電車
この城は堀には海水が導かれている海城。松平氏の居
城。貫通扉上のヘッドライト2灯、パノラミックウィ
ンドウは京王の名車5000形で、現在は1100形電車を名
乗る。                     

片原町に進入する琴平線電車
1200形電車。旧京浜急行700形

檀紙富士(六ッ目山)に向かって走る。
一宮駅で高松築港行が待っている。

終点の琴電琴平まで32.9㎞を60分ちょうど。30分間隔。
JRは62〜3分でほぼ互角、朝の上り、夕方の下りに快速
があり、こちらは50分を切る。ほぼ1時間おき。   

長尾線(瓦町〜長尾)14.6㎞
 
 高松築港を起点とする長尾線だが、古くは瓦町から出発していた。車両が琴平線と同じ18m車であることから、高松築港を起点とするようになった。終点長尾は四国八十七番札所長尾寺がある。

長尾線 平木駅にて 長尾方面を望む
電車は琴平線と同じ1200形。どちらも18m

 
長尾線 平木駅にて 高松築港方面を望む
長尾線には車両区がないため、様々な駅の
留置線に停められている。       
 
白山(讃岐七富士の一つ)の山麓を廻って終点へ。
讃岐平野を特徴付ける円錐状の山々。それらは通称
おにぎり山ともいわれている。中央部はマグマが冷
えて出来た安山岩、周囲は深層岩である花崗岩から
なる。                    

志度線(瓦町〜琴電志度)12.5㎞

カーブが多く駅間も短いため、唯一16m車が導入されている志度線。テーブルマウンテン状の屋島、それと対照的なごつごつした五剣山、穏やかな瀬戸内海、そしてエレキテルの平賀源内等々、観光資源と変化に富んだ路線だ。

六万寺 600形は元名古屋市営
地下鉄250形。貫通扉と行き先表示
が左に寄っているのが特徴。   

車窓風景が最も変化に富んだ志度線
光にあふれた瀬戸内海が美しい。 

700形電車は元名古屋市営地下鉄300形。志度線の
電車はすべて16m車である。         

(2016/8/24,28乗車)

 


2016年8月6日土曜日

ハノーファーのシュタットバーン 前篇

ハノーファー乗り尽くし?

 ハノーファーには127キロにも及ぶライト・レール・トランジット(LRT)がある。日本ではまだまだ馴染みが薄いが、北米やヨーロッパで発達したこの鉄道は、都市の鉄道のあり方としてとても示唆に富んでいる。2016年の夏、二度目の訪問の際、いささか無謀にも全線走破を目指し、時間切れのため約半分乗り継いだところで断念したものの、ハノーファーのLRTに魅了され堪能することができたので、ここに紹介したいと思う。

 LRT。ドイツ語でシュタットバーン。直訳すれば都市鉄道。ハノーファーのそれは、路面電車と地下鉄と郊外電車を合わせたシステムといえる。日本では地下鉄や郊外電車にはふつう「重量車両」が用いられるが、車両も軌道も重装備なので如何せん設備にお金がかかる。近年100万都市の仙台で漸く2路線目の地下鉄が莫大な建設費を投じて完成したが、市民の移動の中心がバスであることに変わりはない。ドイツでもベルリンのような大都市ならいざ知らず、人口わずか50万のハノーファーにはとても導入など無理だろう。路面電車では物足りず、地下鉄では過剰投資となる中規模の都市にとって、シュタッドバーンのような鉄道は柔軟な発想が生み出した秀逸の鉄道といえよう。
路線系統図

 この街に馬車鉄道が登場したのは1872年のことで、その後1893年から10年ほどで路面電車化された。当時の総延長は163キロにも及んだという。ところが自動車先進国のこの国のことだから、1950年頃には自動車の増加が問題となり、繁華街を走る区間は地下化しようという計画が持ち上がったようだ。最初の地下区間が開通したのは1975年ことである。

 現在ハノーファーを走るシュタットバーンは127キロ、そのうち地下鉄区間が19キロ、自動車と電車が道路を共用する併用軌道(路面電車)が20キロ、専用軌道が88キロある。路線は大きく4つのグループに分かれ、路線図では青、赤、黄、緑に色分けされている。そのうち緑の10号線だけは地下部分がない。ハノーファー乗り尽くしの旅はここから始めよう。

路面電車10号線の旅

新市庁舎。ドームの内部壁面に
沿って昇るエレベータが名物。

 旧市街の外れにある新市庁舎は、高く聳えたドームを斜めに昇るエレベーターがあることで名高く、いつも観光客の列で賑わっている。ドームの上からはハノーファーの街が一望でき、眼下にはナチスが雇用促進のために造ったとされるマッシュ湖が広がって余暇を楽しむ市民の憩いの場となっている。
グリーンライン 10号線
そこからほど近いアエーギディエントプラッツAegidientorplatzはクルプケや中央駅と並ぶ主要地下駅の一つだが、10号線だけは人影も少ない地上ホームから出発する。スイスやドイツの鉄道駅でお馴染みのモンディーン社製の時計がモニュメントのように並木下のホームを飾っているものの、地下駅の賑わいとは異なって、ここを利用する人は本当にまばらだ。折り返しアーレムAhlem行となったこの電車の運転手は、手持ち無沙汰そうに運転室に戻ることもせずにホームでくつろいでいる。乗っているのは私ともう一人だけ。時間がゆっくりと過ぎていく。
台車が2車体を支える
連接車両。     

 TW6000系は、地下鉄化した際に導入されたもので、1974年〜1993年に製造された古い車両だ。近年新型車両が導入されてきていることから少しずつ廃車となっているものの、今でも一番よく見掛けるハノーファー・シュタットバーンを代表する車両である。中間に短い車両を挟み連接台車で繋げた3両でワンセットの固定編成となっていて、2セットで運用されることも多い。その場合は全長56㍍にもなるから路面電車としては長大編成といえる。本気を出せば最高時速は80キロというからなかなかの俊足ぶりだが、10号線は路面区間が中心なので平均時速はわずか19キロに過ぎず、まさに堂々たる路面電車なのである。
東急デハ200形電車
東急電鉄「電車とバスの博物館」

 緑色の連接車両というと、東急の玉電を思い出す人も多いかもしれない。1955年製の玉電も古さを感じさせない優れた意匠だが、どちらもどこかかわいらしさを併せ持つ電車だ。世界各国で人気のLRTは超低床方式のスタイリッシュなものが多いけれど、こちらは高床式で、プラットホームが必要なタイプというのもレトロな感じで古い人間には親しみがわく。
TW6000形 運転台付近

  運転台横のドアの写真を見て欲しい。左右ふたつの折り戸があり、斜めになった手摺りがついていて、床を見ると切れ込みがある。つまり、床が下に降りてステップとなり、手摺りにつかまれば、プラットホームのない路面にも降りられるというわけだ。ホームのある停留所では床はフラットのままだから、運転手もドアの開閉にはさぞ気を遣うことだろう。

 アエーギディエントプラッツAegidientorplatzsを出発した電車は、人が群がるドイツ国鉄の中央駅Hauptbahnhofの駅前広場を注意深く徐行しながら通り過ぎ、ショッピングモールや企業のビルが建ち並ぶクルト=シューマッハ通りに入っていく。ここは現在、道路整備の真っ最中で、大型重機を使ってプラットホームの新設と道路基盤の造り直しが進んでいる。ドイツは徹底した車社会だから、市内を走る自動車はかなりのスピードを出すので、ペンキによる安全地帯表示だけでは人の安全に不安が残るのだろう。
 ドイツの街並みの中にはところどころに広場が点在し、どこも緑が豊かに茂っている。ゲーテプラッツGoetheplatzもその一つだが、ここが面白いのはその広場をまあるく線路が敷かれて、三方向から進入できる電車のラウンドアバウトになっていることだ。日本ではあまり馴染みのないラウンドアバウトだが、ヨーロッパの街角ではよく見掛ける風景だ。左回りの円形交差点には信号機がなく、車はゆっくり流れに沿って交差点の輪に入り、目的の道まで来たらそのまま輪から抜けていくしくみで、ここではそれを電車が行っているのだ。このラウンドアバウトを南に抜けると、地下鉄区間に繋がっていて、ハノーファーの中心クルプケに行くことができる。
Limmerstraße

 今乗っている10号線はこのまま西に進んでいく。次のグロックゼーGlockseeには大きな電車基地がある。枝分かれした線路の先には屋根付きの車庫と吹き晒しの留置線があって、数多くの電車が停まっている。通勤通学の人々を乗せ終わって休憩時間に入っているのだろう。電車はライネ川を渡り、右に大きく曲がると、また賑やかな街並みが現れる。歩道いっぱいに広がったカフェや色とりどりに飾り付けられたショウウィンドウが並ぶ活気あふれたリンマー通りLimmerstraßeである。道幅が狭いので路面電車と車が完全に同じ道を共有した区間であり、速度制御が難しく急停車のできない電車は、最徐行で通過する。前を走る路線バスが敏速に走る優秀な乗り物に思えてくる。
ホームの先で折り返し
Ahlemにて

 通りに面した4、5階建ての集合住宅が尽きると、緑が増えて一戸建て住宅の区域になる。いつの間にか電車は道路と並行した専用軌道を走っている。スピードもあがって郊外電車の様相を呈してくる。このあたりは美しいバロック式庭園で有名なヘレンハウゼン王宮庭園に近いはずなのだが、緑豊かな地域で、庭園がどこにあるかは見分けがつかない。ライネ川に続く運河を渡れば終点アーレムAhlemは近い。


(2016/8/6乗車)