岬突端付近から振り返る |
襟裳岬灯台 |
記念写真ポイント |
アポイ岳の向こうに様似がある |
黄金道路
覆道が続く黄金道路 |
様似からやって来た本日最後の広尾行JRバスからは数名の乗客全員が下車し、かわって数名の客が乗るだけのスカスカの状態で出発した。襟裳の集落を過ぎ、山が近づくと、その先は有名な黄金道路である。昭和9年竣工のこの道は、当時黄金を敷き詰められるほどの莫大な建設費がかかった道ということで名付けられ、全国的に有名になった。以前から通ってみたい道の一つだった。落石防止のため、至る所に覆道(ふくどう、ロックシェッド)があって、柱の間から海が眺められる。小樽から積丹に向かう途中にも同じようなところがあって、かつて訪れた際に路線バスから眺めた、息を呑むような波に洗われる奇岩の絶景が忘れられない。
ところが技術の進歩と経済発展はここ襟裳にも押し寄せていて、今は次々と長大トンネルがくり貫かれ、安全と利便性が優先された道になっているのだった。地元の人には朗報だろうが、身勝手な旅人にはとってはガッカリだ。路線バスはひたすら暗闇の中を突っ走る。今でも海岸沿いの道は残っているようだから、この次は車で来なければいけないなと、鉄道の旅をしているのも忘れて、決意するのだった。
旧広尾線跡を訪ねて
旧広尾駅 |
広尾線が1987年に廃止されたあと、引き継いだのは十勝バスである。旧線にほぼ沿った広尾国道を通って帯広までを2時間20分ほどで結んでいる。距離にして80㎞以上あるので時間がかかる。その出発まで30分以上ある。なんとも接続の悪いことよと思うが、もともと利用者が少ない上に、それはそれで戦略があったのである。
バス待合室に記念館併設 |
通票閉塞機 |
C11動輪 |
これらを見て回るうちにあっという間に30分は過ぎてしまった。バス停に戻ると、3〜4人の乗客が待っており、しばらくすると派手な黄色にカラーリングされた十勝バスがやって来た。おお、綺麗だなと思ったのもつかの間、乗車してみて愕然とする。窓がすこぶる汚いのだ。海水の飛沫を浴びてそのまま乾いてしまったのか、夥しい水滴の跡が連なっていて、これでは美しい北海道の景色が堪能できないではないか。しかも帯広までは2時間以上乗っていなければならないのだ。最悪!
窓が綺麗だったらなあと、ため息が出るほど、外は広大な農園が広がっている。ここは十勝平野の南側に位置する畑地帯なのだ。真っ直ぐな国道と直角に交わる農道、隣の農園との境界に植えられた樹木が彼方まで続いている。更別村に着いたときは、ここは日本の村という概念では捉えられないなと感じた。国道から側道に入ったバスは、広々とした役所や野球場が点在する所を走っていく。あたりは芝生が敷き詰められ、樹木も多いが、どこも手入れが行き届いている。車内放送が「○○団地」というので外を見ると、バス停から団地とおぼしき平屋の建物までは芝生が敷き詰められ、あたかもアメリカの民家を見ているかのようだ。冬は厳しいのだろうなと思いつつも、この日本離れした景観が忘れられない。
駅舎は気動車の間か? |
殆ど乗り降りのないまま、バスは帯広市内に入る。高等学校、イトーヨーカ堂、イオン、長崎屋等々、少しでも人がいそうな場所に停まりながらバスは進むのだが、一向に乗客は乗ってこない。あたりは薄暗くなってくる。初めて訪れる町への到着は出来れば明るいうちが望ましい。帯広の第一印象は、整然と綺麗なビルが建ち並ぶ、それでいて人通りのまばらな、ちょっと寒々とした街である。これは決して帯広が悪いわけではない。こんな時間に着くような旅を計画した自分に責任があるのだ。でも、苫小牧から襟裳を抜けて帯広に至るには、これしかないのも事実だった。公共交通機関による旅が時代遅れになってしまったのである。
0 件のコメント:
コメントを投稿