2014年10月2日木曜日

被災地仙石線を訪ねて

あの日の仙石線

 2011年3月11日午後10時過ぎ、地震発生からおよそ7時間が経過した頃、仙石線野蒜駅付近で4両編成の電車が2両ずつ中間から折れ曲がりL字型になった状態で発見された。石巻発あおば通行普通1426Sは野蒜駅を発車して数百メートルの地点で被災したのだが、この時点では乗員乗客の安否はわからなかった。L字型になった無残な車両の映像は、日本中の人々に改めて津波の恐ろしさを伝えていた。
 後日明らかになったことは、その時20名から50名の乗客がいて、そのほとんどは1キロほど離れた野蒜小学校に避難していたということだ。避難場所の体育館にもどす黒い津波が押し寄せたという。
 あれから3年以上が経つが、仙石線の高城町・陸前小野間の11.7キロは現在も不通のままだ。以前から一度そこを訪ねてみたいと思っていた。

快速高城行

 あおば通11時6分発の快速高城町行は、平日の日中ということもあって乗客はまばらだった。仙台駅から乗車する人もさほど多くなく、ロングシートには空席が目立って、座ったままキョロキョロと車窓からの景色を楽しみたい自分のようなものには都合が良かった。昼食のために購入した牛タン弁当からは良い匂いが漂ってくるが、それも人目を気にしなくて済む。
 仙石線は宮城電気鉄道として開通した経緯もあって、沿線風景はどことなく私鉄沿線の感じがする。仙台の市街地を抜けると田園地帯が広がり線路は真っ直ぐに敷かれているが、多賀城に近づくあたりから入り組んだ丘陵地帯になり、塩竃市内までは線路が右へ左へと曲がりくねった地域密着型の鉄道なのである。ひたすら脇目も振らずに北東北を目指す東北本線とは趣が違う。しかも眺めがよい。東北本線は塩竃の街外れを通過し絶景の誉れ高い松島湾の横を掠めるだけだが、仙石線は街なかをゆっくりと塩竃港に向かい松島湾を巡るルートをとる。本塩釜から先は高架線から港が眺められ、横浜の金沢シーサイドラインにでも乗っているような感じである。その後港から少し離れ東塩釜から先は単線になって、今度は山間をトンネルで抜けていく。東北本線と併走したり、風光明媚な松島の島々が眺められたりと、沿線のハイライトはこの辺りに集中している。
 仙台から松島観光を目的に鉄道を利用するなら、東北本線ではなく、仙石線が断然便利だし楽しめる。下車駅は松島海岸である。海に浮かぶ五大堂、瑞巌寺、松島観光船はすべて駅前近くに集まっている。トンネルと接するように松島海岸駅があり、そこでは上り電車が交換待ちをしていた。電車が停まると、観光客ばかりでなく、ほとんどの乗客が下車してしまった。それはこの電車が一つ先の高城町までしか行かず、現在不通となっている高城町・陸前小野間を結ぶ代行バスを利用するなら、幹線道路に近い松島海岸で乗り換えるのが便利だからである。私は鉄道で行けるところまで行くのが目的なので、「代行バスにお乗り換えの方はこちらでお降り下さい」というアナウンスを無視して乗り続ける。もちろん代行バスは次の高城町も通るはずだし、乗り換え時間が9分あるので、降りた人たちとは高城町で合流するつもりである。
 松島海岸駅を出発しトンネルを抜けると、東北本線と並んで走る箇所がある。しばらく併走後に仙石線は右に分かれて行くのだが、その箇所だけバラスト(石)が真新しくなっている。2015年に仙石線が完全復旧する際、東北本線と仙石線の間に連絡線ができ、石巻と仙台の間が短時間で結ばれるようになる。現在その工事中というわけだ。
 ところが仙石・東北ラインという愛称で運行されるその直通列車は、何と時代に逆行するかのように気動車が投入される。もちろんそれには理由がある。東北本線は交流電化区間、仙石線は直流電化区間なので、そこに連絡線がつくられても架線を張る訳にはいかない。そこで最新の気動車・ハイブリッド車両HB-210系を8編成(16両)新造し投入することにしたのだ。利便性と話題性を高めつつもコストは抑える、いかにもJR東日本らしい対応だ。
 電車は丘陵地帯を抜けて盛り土区間を下り、暫定終点となっている高城駅に到着する。あたりは雑草がボウボウと生えて、荒れ放題。ホームから先に伸びる線路は錆びて痛々しく、信号機は赤に灯ったままだ。
 電車から降りた乗客はわずか二人だけだった。駅舎の改札口では、写真撮影でもたもたしている私を駅員がじっと眺めて待っている。待たれるのはどうも苦手なので、いい加減にシャッターを切って改札へ走った。

代行バスが行く


 改札口には代行バス停留所の案内図が貼ってあった。少しわかりにくかったので、先程の駅員に尋ねてみた。
「代行バスの停留所は遠いのですか」
「えっ? 代行バスに乗るの? どうして松島海岸で降りなかったの?」
そんなに責めなくたっていいのにと思ったが、これも親切心の裏返しなのだろうと良い方に解釈して、
「11時46分発ですよね。走っていきますから」
と冷静を装って話をすると
「この前の道をまっすぐ行くとバス通りにぶつかるから、そのT字路を左に行くと壮観というホテルがあるんだけど、その入り口の前が停留所になってるから、急いで」
と教えてくれた。
 日頃走ることなどないようなだらけた生活をしている上に、重いカメラ装備を抱えながらの時間との戦いはかなりしんどかった。T字路といっても、実際は人の歩ける道が向こう側に繋がっていて一見それとは見えなかったし、バス通りと行っても今バスが走っている訳ではないし、ほとんど勘を頼りに息を切らせながらホテルを探すと、ついに時間ギリギリのところで、ホテル入り口を発見した。ところが肝心の停留所がない。フェンスにピンクのリボンがぶら下がっているから、これが目印かなあと思案していると、先程通り過ぎた交差点の所に、脇道から出て来たバスが右折してこちらに向かって来ようとしている。「良かった!」と胸を撫で下ろしたところで信号が変わり、「代行バス」と表示されたバスがやって来る。
 しかし、そのバスは私のところで減速もせずに通り過ぎてしまった。ホテルの入り口にぽつんと立った私を置いてきぼりにして。やはりここは停留所ではなかったのだ。とすれば、ホテルの入り口はどこにあるのだろう。バスが現れた交差点の所まで戻ると、脇道の先に大きな立て看板があり、先程の入り口よりももっと立派なエントランスが見えた。あっちが正門か!と気付いたときはもう後の祭りだ。このままだと今日の予定はガタガタになる。こうなれば出費は覚悟でタクシーに頼るしかなかった。

タクシーで行く

 運転手さんは気さくな人だった。早速震災のことを尋ねてみる。というのも、意外なことに高城町周辺の民家は震災の影響をまったく受けていないように見えたからだ。
「このあたりは大丈夫だったのですか」
「松島の島々が守ってくれたんですよ。太平洋を津波は押し寄せたのですが、島々で勢いは弱まっていたんですね。ただこの先の地区はだいぶやられて、仙石線も被害を受けました。今急ピッチで工事をしているので、来年には復旧します。新しい仙石線は今までよりも嵩上げして線路が作られるから見晴らしが良くなりますよ。湾が一望できるようになります」
 明るい、前向きな運転手さんだった。有難い。苦しい話をする人には、どう慰めればよいのかわからないし、そもそも触れてはいけない話題なのかもしれないからだ。
 車窓からは仙石線の復旧の様子がよくわかる。陸前富山から陸前大塚のあたりは海岸沿いに線路が敷かれているために、堤防と路盤を嵩上げして、その上に線路を敷き直してある。復旧後は観光の目玉になりそうな所である。
「ところで運転手さんは震災時どこにいたのですか」
「家にいました。2階に逃げたんですよ」と笑顔で答える。
「庭にいたら、家の前の川にヘドロの様な水が逆流して来たんです。まさかここまでは来ないだろうと高を括っていたら、あっという間に隣の塀を越えて、腰の高さまで水がやって来たんです。家の中に逃げようにも水圧で窓は開かないので、上の小窓から家に潜り込み、2階に登って見ていたんです。津波は11回押し寄せたんですよ」と、恐怖の体験を笑顔で語る。きっとこの話をもう何百回と繰り返してきたのだろうなと、同情する。
「怖かったでしょう」
「そりゃ、生きた心地がしませんでした」
と話す間も笑顔を絶やさない。
「今この道路は高い所を通っているでしょう。これが堤防となって、右側はぜんぶやられたんです。左はなんともなかった」
 その話の通り、左側には年季の入った家が点在し、右側は新築ばかりだった。
「堤防は嵩上げされたのですか」
「いや、まだこれからです。じきに取りかかります」
ということは、今はまだ津波には無防備なままなのだ。にもかかわらず、生活のために家を建てている。そこには仮設住宅もある。
「震災後1〜2年目は、被災地見学の人も多かったのですがねえ。今は寂れる一方ですわ」
 仙石線は来年初夏に復旧する予定である。被災地見学も地元経済に貢献できるならまた訪れようと思う。

陸前小野から石巻へ


 陸前小野駅は新しく建て替えられた小さな駅だ。建物の中にはちゃんと売店もある。ただお酒は扱っていなかった。用意した牛タン弁当にはビールが合うと思っていただけに残念だ。気を取り直して駅のベンチに腰を下ろし、包み紙を解き、牛タンを頬張る。専門店で購入しテイクアウトしたものだけに、冷めても実に美味しい。
 予定の列車が来るまでにはには間があった。高城町同様この駅も代行バスの停留所からは遠く、乗り換え客は見当たらない。タクシーを利用したからこそ貴重な話も聞くことが出来て、かえって良かったと思いながら、列車の到着を待つ。ホームから高城町方面を見ると新しく敷き直された線路が続いている。今は錆びたレールも列車が走り始めれば再び光り輝くようになるだろう。あともうすぐだ。
 しばらくしてやって来たのは、電車ではなく気動車だった。陸羽東線・陸羽西線で使われているキハ110だ。奥の細道湯けむりラインとロゴのある車両である。震災で電車を失い、また電化施設も被害を受けただろうから、気動車が今までこの地域を支えてきたのだ。脳天気な旅人にとっても、クロスシートの列車が来て、かえって嬉しいくらいだ。その列車に乗車したのはたった二人だけだった。
 最初の駅である鹿妻の駅前にはブルーインパルスのジェット機が飾られている。ここには航空自衛隊の松島基地があり、自衛隊から東松島市に寄贈されたものだそうだ。その展示はちょうどプラモデルの戦闘機のように、まさに大空を飛翔し上昇する姿で台座に固定されているので、模型ではないかと思えてしまうくらいだが、実際にかつて練習機として活躍した本物のジェット機なのだという。確かに教官が同乗できる複座機であった。
 次の矢本からはたくさんの人が乗車してきた。先程松島海岸で降りた人達が混じっている。彼らはここまでただ乗り継いで来ただけだろうが、こちらは貴重な体験をしてきたのだぞと、ちょっぴり心の中で自慢をしてみる。
 石巻に着く。宮城県第二の人口を擁する都市なのに、仙台と直接結ぶ鉄路は閉ざされたままである。来年以降仙石線が復旧し、仙石・東北ラインが走り出したら必ず再訪しようと思う。しかし今日は小牛田経由で遠回りしつつ仙台に戻ろう。そのために古い気動車が待つ石巻線ホームに向かった。
(2014/10/2乗車)

2014年10月1日水曜日

鉄道王国の新世代路面電車

富山の鉄道

 富山は鉄道王国なのだそうだ。ところどころに貼られたポスターにそう書いてある。確かに黒部・立山と市内を結ぶ富山地方鉄道があり、その先には絶景路線で有名な黒部峡谷鉄道が控えている。おいそれと乗ることは出来ないが、鉄道ファン垂涎の立山砂防工事専用軌道という驚愕のトロッコまである。新幹線だってもうすぐ開業する。斜陽の鉄道界にとって、確かに富山は異彩を放っている。
 
宮脇俊三と富山港線

  鉄道の「時刻表」にも愛読者がいる。
 
で始まる名作『時刻表2万キロ』の第1章は富山が舞台だ。宮脇は時刻表の愛読者だから、絶妙な列車の乗り継ぎプランを考え、途中駅で分割併合を行う列車の運用を予想して、効率のよい汽車の旅を目論むが、時に予想が外れ、失敗することもある。そんな我が身を愚かしく思いつつ興じている姿に、大人の余裕を感じ憧れる読者が数多くいる。
 さて、神岡線の乗り継ぎに失敗し予定変更を余儀なくされた宮脇は、次の富山港線を乗り潰す方法として、タクシーを利用して終点から折り返す列車に飛び乗ろうと考えた。富山港線は富山と岩瀬浜との間を往復するだけの路線なので、富山で乗り遅れても岩瀬浜に先回りすれば完全乗車は可能だからだ。しかも その日は休日だから道も空いているだろうと高を括った。富山と岩瀬浜の間は、県道と富山港線が並んで走っている。列車で富山に着いた宮脇は、タクシー乗り場に急ぎ、すぐにタクシーで行ってしまった電車を追いかけたのだが、あいにくと信号が多く、しかも急いでいる時に限って赤信号につかまるということで、あと一駅の東岩瀬で諦めざるを得なかった。

  東岩瀬の改札口は岩瀬浜寄りにある。古さびた
 ホームの端に立って北へ伸びた単線の線路上を見
 すかすと、いましも岩瀬浜を発車したばかりの焦
 茶色の電車がこちらへ向かってくる。私はそれに
 乗って富山へ引き返した。東京か大阪で使い古し
 た国電の車両であった。

 たった一駅を残して撤退する宮脇。努力もむなしく、乗車距離は伸びたものの、いつか再びここへ来なければ完全乗車は達成できない。しかも使い古しの国電が走るような、面白くでもない路線である。それでも文句一つ言わないところが大人の嗜みであろう。宮脇は1年半後、四国からの帰りに東岩瀬・岩瀬浜間に乗車する。岩瀬浜の駅から先は貨物線が続いていて終着駅らしくなかったと記されている。

 このぱっとしない富山港線は大赤字だったので、JRは廃線にする予定だった。そこで立ち上がったのが富山県・富山市それに地元の企業である。富山港線をLRT(Light rail Transit=軽量軌道交通)化し、富山駅北側の道路に併用軌道を新設して、市街地の活性化に役立てようと計画する。そうして設立されたのが、第3セクター、富山ライトレール株式会社だ。

富山ライトレール

 富山ライトレールを走るLRV(Light Rail Vehicle=軽量軌道交通用車両)の愛称はポートラムという。ポート(港)とトラム(路面電車)を掛け合わせたもので、かつての冴えない富山港線とは一線を画すセンスの光るネーミングだ。
 富山駅は現在建て替え中で、構内は臨時の通路が入り組み、工事現場さながらの状態である。北口改札も仮の設備でなんの風情もないが、その駅前におしゃれなポートラムが停車して、回りには帰宅途中の人々で賑わっていた。
 2両連接車のポートラムは、万葉線のアイトラムそっくりだ。それもそのはずで、全国のLRVは新潟トランシスという会社が一手に製造を引き受けているからである。しかもすべてドイツ・ボンバルディア社からライセンスを受けてのことだから、日本の鉄道愛好家としては少し複雑な心境だ。
 万葉線と同じように、駅前の賑やかな道路部分はすべて単線である。旧富山港線から離れて路面電車としたところは今のところ単線なのであるが、今後道路の拡幅がなされるところには複線化の予定もあるという。
 路面を走るLRVの乗り心地はすこぶる良い。加速は滑らかだし音も静かなので、乗っていて疲れない。座席も工夫されていて、通路を挟んで2人掛けと1.5人掛けのクロスシートとなっている。この1.5人掛けが秀逸で、子供連れなら2人並んで座れるし、1人だったらゆったりと荷物も置ける。
 最初の停留所はインテック本社前、有力な出資企業に敬意を表して名付けられた名前かと思いきや、今はやりの命名権を1500万で購入したのだそうだ。考えてみれば当たり前だ。すぐ隣には同じ出資企業の北陸電力本店のビルもあるのだから、一社を優遇するはずがない。
 起点からの1㎞区間が新設された路面電車区間であり、奥田中学校前からが旧富山港線の線路を走る鉄道区間となる。ポートラムがいかにもLRTらしいのは、市街地は路面電車として、その先は郊外電車として、両方の役割を併せ持っているところである。だから鉄道区間では制限速度が20㎞/hアップし、60㎞/hで軽快に走行する。その効果は絶大で、富山港線時代よりも駅数が3つ、列車交換可能駅が1カ所から4カ所に増え、単線ながら日中15分間隔の高頻度運行を実施しながらも、所要時間がほとんど変わらずに済んだ。
 ただし窓に広がる風景はなんの変哲もない。工場、宅地、空き地、道路沿いの看板など、港が近いだけに住む人は多いのだろう、雑多な感じの風景だ。宮脇俊三が書いたように使い古した国電が走っていそうな場所である。そのような土地柄の中をポートラムは色鮮やかに疾走する。7編成在籍しているポートラムは七色の違った塗装が施されているのだ。
 終点の岩瀬浜は、周囲に店もない寂しいところだった。ただホームは綺麗に整備されていて、一つ屋根続きでバスに乗り換えられるように工夫されている。お客様視点で作られているところが、またポートラムの人気に繋がっているのだろう。
 宮脇俊三がこの地を訪れてから25年以上が経ち、だいぶ変わったところもある。今では岩瀬浜駅の外れに車止めが設置されて、ちゃんとした終着駅になっている。宮脇俊三は鉄道に乗るためだけに旅を続け、その点では自分も変わらないつもりなのだが、どうやら私の方が欲深いようで、少しだけ観光もしてみたくなる。知人から教わったことだが、ここには歴史的な町並みが残されているのである。
 
 岩瀬は北前船で栄えた所だ。船による交易は、倍々に儲かるので「バイ船」と土地では呼ぶのだそうだ。その廻船問屋が大町通りに残されている森家である。バイ船が扱う物資で巨万の富を得た森家は、贅を尽くした屋敷を建てた。それが国の重要文化財に指定されたのをきっかけに、周辺の歴史的景観を保全しようとしているのである。岩瀬浜から東岩瀬の間は1.5㎞ほどなので、ポートラムを2本遣り過ごす程度で散策が出来る。夕方になってすでに閉館の時間だろうけれども、せめて町並みの風情だけでも触れてみたかった。
 電柱や電線が埋設された大町通りには江戸時代の風情が漂っていた。森家の屋敷は明治11年の建築だというが、雰囲気を壊さぬよう近年の建物も昔の姿で建築されている。ここは商店街なので銀行も営業しているが、北陸銀行の建物も格子や木の看板を設えた昔風建築だ。北前船のモニュメントが飾られた広場には明治のガス灯風の灯りが光を放っている。岩瀬はポートラムで訪れることのできる歴史的散歩道だった。
 東岩瀬の駅まで歩いてきた。宮脇俊三が悔しい思いをした駅である。『時刻表2万キロ』で「岩瀬浜寄りにある」と書かれた改札口のある駅舎は、今は休息所としてのみ使われている。白熱球の灯った駅舎をよく見れば、入り口の柱やガラス窓が凝った作りになっている。それなのに「古びたホーム」としか書かれていないのはどうしてだろう。呆然と岩瀬浜から来る国電を眺めただけで気付かなかったのか、それとも後になって観光のため造り替えたのかはわからない。宮脇ファンとしては、呆然として気がつかなかったのだということにしておこう。
(2014/10/1乗車)

コミック列車の似合う町

まずはクイズから

問1)アンパンマン、ゲゲゲの鬼太郎、忍者ハットリくん、ドラえもん、サイボーグ009に共通することを答えよ。

 漫画の主人公の描かれたラッピング列車が全国各地で活躍している。ということで答えは漫画列車である。町興しの一環であったり、ローカル鉄道の活性化のためであったりと目的は様々だが、いずれも著名な漫画家に縁とゆかりのある土地で乗ることができる。それほど漫画に親しんでいない私には、乗り尽くしの旅の途中の予期せぬ出会いであったが、郷土の誉れを背負って走る列車には大変親しみを感じることができた。
 今回はそんな漫画列車が登場する話である。それでは次の問題だ。こちらは少し難しいかもしれない。

問2)それぞれどの路線で走っているか。線名を答えよ。

 解答はこのブログのどこかに示すことにして、話を先に進めよう。

散居村を行く城端線

 珍しく「大人の休日倶楽部」会員限定パス(東日本・北陸)利用期間中に休みが取れた。旅行客閑散期に設定されている超割引パスなのだが、気軽に有給休暇がとれない我が身にとっては、いつも悔しい思いをしていた。降って湧いたようなこのチャンス、「今ここで行くしかない」と思いつつ、「はて、どこへ行こうか」ということで、来年3月に北陸新幹線が金沢まで開業すれば激変するであろう富山を訪ねることにした。
 新幹線の開業によってまた並行在来線がJRから切り離される。今回は北陸本線の直江津・金沢間が第3セクター化され、県が有力出資者のために新潟・富山・石川に3つの鉄道会社が誕生する。JR限定の青春18切符は使えなくなり、この割引パスだってどうなるかわからない。今回は超割引パスが使える最後のチャンスかもしれないのだ。
 休日初日の朝、上越新幹線で越後湯沢に行き、ほくほく線経由のはくたか2号で高岡に着いたのは10時27分であった。東京からは3時間半の旅だ。随分と近くなったものだが、鉄道が飛行機と戦えるギリギリのラインであることに変わりはなく、JRが北陸新幹線開業を急ぐ理由もわからなくはない。開業後は1時間短縮されることになり、航空機から鉄道に人が戻ってくると考えられている。しかし一方で味わいのある在来線がまた一つ無くなってしまう。車窓ファンにとってはとても残念でならない。
 高岡は鉄道の要衝であり、北陸本線の支線、城端線と氷見線への乗り換え駅となっている。この2本のローカル線は、新幹線とは直角に交わっているので、本線がなくなった後もJR西日本にとどまることになっている。こうして本線がなくなり、ポツンと取り残される在来のローカル線がところどころに生まれている。青森の大湊線と八戸線、岩手の花輪線、長野の小海線。今まではJR東日本にだけ見られた飛び地のようなローカル線が、今後増えていくことだろう。
 さて、今日最初に乗るのは城端線である。ホームの外れに車庫があり、たくさんのカラフルな気動車が停まっている。そのうちホームにやって来たのは青地に漫画が描かれたキハ40で、正面の貫通ドアに描かれていたのは忍者ハットリくんだった。高岡は藤子不二雄ゆかりの土地である。
 城端線は高岡から城端まで、全長29.9kmの単線非電化のローカル線だ。沿線に砺波市があり、チューリップ畑が有名である。列車は高岡を出発するとすぐに北陸本線から離れて、民家の軒先を進んでいく。その先、列車は神社の境内の脇を通り、明らかに家庭菜園と思われる猫の額のような畑と民家の前を通り過ぎる。この風景との距離感がローカル線の楽しみの一つだ。しばらく行くと新幹線新高岡駅の建設現場を通過する。現在城端線の新駅も建設中だ。
 この地方の屋根瓦は黒光りしていて、釉薬をかけてから焼かれたものが多い。また落雪を防ぐために瓦に取り付けられた雪止めは、東京なら一段のところ、三段になっている。雪国だから当然だろうが、かと言って越後のように床が嵩上げされているわけではない。
 更にこの地方の景観として特徴的なのは、農家が集落を作らず、一軒一軒散らばった散居村になっていることだ。各家は日除け風除けの高い木立に囲まれている。隣家との間は田圃が隔てており、家屋敷は比較的大きく、豊かな土地であることを窺わせる。車窓を木立に囲まれた農家が次々に通り過ぎていく。なんでも日本最大の散居村であり、砺波平野全体では7,000戸にものぼるのだそうだ。今では廃線となってしまった出雲地方の大社線でもかつて同じ風景を見ることができた。
 途中駅で上り列車と交換する。向こうも忍者ハットリくんだが、絵柄が少し異なっていて、更に城端ラインとかかれたラッピング車両が連結されている。
 油田という珍しい名前の駅に着いた。「あぶらでん」と読む。はたしてこんなところから石油が出るのだろうか。かつて秋田や新潟に油田があったと聞いたことはあるが。
 沿線最大の駅は砺波である。日本各地で見る運送用トラック「TONAMI」がここにも停まっていた。たしか本社はこの地方だったはずだ。
 列車は約1時間ほどで終点城端に到着する。城端は風情のある終着駅だった。乗客はさほど多くはなく、しかも簡易委託駅なので駅員がいて、写真を撮ろうとする私をじっと待っている。プレッシャーを感じ、そそくさと改札を済ませて、駅前広場に出ると、数名の乗客は全員同じバスに乗るようである。すぐにバスはやってきた。「城端~白川郷シャトルバス」「世界遺産バス」とかかれている。迂闊なことにここが白川郷の最寄駅であることを忘れていた。古い木造の駅舎は中部の駅百選に選ばれている。
 世界遺産を前にしながら、そのまま高岡に引き返す者などいる筈もない。相変わらずアホなことをやっているなあと思いつつ、終着駅らしさを求めて駅の周囲を散策する。駅の外れまで来ると、車止めの先に今降りたばかりのキハ40がポツンと停まっている。こののんびりとした雰囲気がたまらない。城端線を制覇した記念に祝杯でも挙げたい気分だが、あいにく駅には売店もコンビニもない。付近には店もまばらで、お酒を扱っていそうな店は一切なかった。少しもの足りない思いを抱きながら、高岡の駅で購入した鱒ずしを食べながら、列車の出発を待った。

万葉線の由来、そして今

 高岡は越中国の国府・国分寺があった由緒正しき歴史の町である。『万葉集』に数多くの歌を残した大伴家持が国司としてこの地に赴任したことから、高岡は『万葉集』ゆかりの地となり、ここを走る鉄道にも愛称として「万葉線」と名付けられた路線がある。
 万葉線の歴史は少し複雑だ。戦後富山地方鉄道が敷設した軌道が発端となり、加越能鉄道が引き継いで路線の統廃合を経たものの、モータリゼーションのあおりを受けて一旦は廃線の危機が迫る中、長年にわたる存続のための努力が実って、平成14年から第三セクター、万葉線株式会社として生まれ変わった。
 万葉線は歴史を感じさせる名前とは裏腹に、軽量軌道交通(Light Rail Transit=LRT)という新しい概念を採り入れた鉄道としても有名だ。JRローカル線が苦戦する中で、地方の中小都市では軽快な電車が活躍し始めている。
 2011年、JR高岡駅が橋上駅として生まれ変わり、今年の春、ステーションビルが竣工されたことに伴って、万葉線が100mほど伸長されてJR高岡駅と直結し、乗り換えがスムーズになった。改札を抜け、広々とした瀟洒なコンコースに設置されたエスカレーターを1階に降りれば、すぐ目の前に新しい万葉線の停留所がある。
 そこに現れたのが、真っ赤なボディーのMLRV1000系、愛称アイトラムだ。真っ白な新しい停留所との取り合わせが何とも日本離れしている。まるでヨーロッパの都市にでも来たような気になる。それもそのはずで、この車両はドイツのボンバルディア社から技術提供を受けて製造されたものなのだ。
 LRTは、都市交通として利用しやすい路面電車の良さを活かす一方で、時代遅れとなっていた路面電車車両の欠点を克服した画期的な鉄道だ。おもにヨーロッパの中核都市を中心に発達した技術である。驚くほどの低床構造で、しかもフルフラット化されている。この特殊車両をLRV(Light Rail Vehicle)という。これなら路上から乗車するのも簡単だ。
 LRVの車輪はボディーに覆われてあまりよく見えない。2両編成に見えるが、つなぎ目の幌の下の部分には台車があって、二つの車体が同じ台車に乗る連接構造になっているはずなのだが、残念ながら外からはよくわからない。乗車すると座席の下に大きなタイヤハウスがあって、そこに車輪が潜んでいることは想像がつくが、車軸はどうなっているのだろうと疑問は膨らむばかりだ。想像される車輪の大きさからすると、車軸はどうしても床よりも上になければならない。もしも床の下に車軸が通っているなら、余程車輪の直径は短いに違いないが、そのような小さな車輪で、素晴らしい加速と乗り心地が実現できるはずがない。まさに魔法のような車両なのだ。詳しい構造はとても文章では書き表せないが、日本人が思うほどには新幹線技術が世界で高く評価されていないように、路面電車分野でも日本は大きく遅れをとってしまった。誠に残念なことである。
 ステーションビル1階にある高岡駅を出ると、軌道はすぐに単線となって広いメインストリートに入っていく。片側2車線の堂々とした道路の中央に単線の路面電車軌道が走っている。お互い邪魔することなく、ここでは自動車と路面電車が完璧に共存しているのだ。富山県は各世帯あたりの自動車保有率で全国一位二位を争うマイカー依存度の高い土地柄だから、この共存のあり方は重要なポイントである。どうして複線ではなく単線なのかは、おそらくローカルかどうかの問題ではなく、邪魔せず邪魔されずに定時運行するためのものなのだろう。
 最初の末広町電停を過ぎ、片原町交差点で 右折すると、すぐ目の前に青いトラムが待っていた。車内にいた親子連れが「ドラえもんだ!」と声をあげる。ここにもコミック列車が走っていた。色といい丸みを帯びたボディーラインといい、確かにドラえもんそっくりである。しかも乗降口はピンク色でどこでもドアそっくりである。片原町の停留所には交換施設があり、こちらがやってくるのを待っていたのだ。それにしても色鮮やかな電車達で、見ていて楽しくなる。
 片倉町の先、坂下町に交換施設はなく、その先電停ではないところに交換施設があった。高岡駅からほぼふた停留所ごとに交換施設がある。広小路で国道の方が左折して行き、万葉線はそのまま真っ直ぐに県道を進んでいく。ここからは道幅が広がって片側2車線のまま万葉線も複線区間になる。電停ゾーンは道路側が片側1.5車線になるものの、市の繁華街からも少し距離があるために交通量は少なめのようである。
 万葉線には昭和42年製の旧型路面電車も走っている。複線区間が尽きる米島口には車庫があり、冬場に活躍するラッセル車が停まっていた。米島口からは一旦専用軌道となり、進路を東に変えながら上り坂となって、JR氷見線を跨いでいく。能町口で再び併用軌道にもどるが、ここからは風情もかわって住宅街となる。それほどの住宅密集地ではないので、専用軌道でも良さそうな感じだが、土地の取得にはやはり資金がかかるのであろう。自動車の数がさほど多くないところを単線の路面電車が進んでいく。
 吉久停留所を過ぎると、万葉線は道を外れて専用軌道区間に入る。周囲は川と工場地帯と住宅が点在する、どちらかと言えば殺風景な地域である。
 ヨーロッパのLRVは、繁華街のある市街では路面電車として、また郊外になるとそのまま通常の鉄道として、どちらにも対応可能な優れものとして開発された。従って郊外に専用軌道のある万葉線はまさにLRVが活躍する条件にぴったりの路線なのである。しかも六渡寺から終点の越の潟までは、法律上も路面電車のような軌道ではなく、歴とした鉄道として認可されている。
 ただここで疑問が生じる。万葉線には旧型の路面電車も走っている。果たして鉄道法上、路面電車が軌道ではなく鉄道を走っても問題は生じないのだろうか。どうでもいいことだけれど。
 庄川を柵のないガーター橋で渡るのは、少しばかりスリリングだ。一瞬脱線したら沈む前にどこから逃げようかと考える。
 進行左側前方に、美しい巨大な斜張橋が見えてくる。新湊大橋である。富山新港の入り口に架かる自動車専用橋であり、万葉線は越の潟で行き止まりとなる。その先は県営の渡し船である越の潟フェリーが対岸の堀岡と結んでいる。万葉線の全列車と全フェリーは、わずか3分の接続時間で連絡し、対岸まで移動可能となっている。
 越の潟の停留所ではたくさんの人が電車を待っていた。みなそれぞれカメラを抱えている。なにごとだろうと思ったが、こちらはこの先次の訪問先が待っているので先を急がなくてはならない。アイトラムの写真を撮ったら、同じ電車で引き返そうと思ったが、ドアは開いているものの誰も乗ろうとはしない。まだ乗ってはいけないのかなとためらううちに、電車はドアを閉めて出発してしまった。「しまった! このあとの列車接続に響くなあ」と思っていると、大勢の人を率いているバスガイドさんが、「皆さん。次にお待ちかねの電車が参りますよぉ」と言う。ここでようやく思い当たった。
彼らは先程片原町ですれ違ったドラえもん号に乗る観光客だったのだ。それならこちらも便乗しようということで待っていると、正面にドラえもんの顔が描かれたアイトラムがやって来た。まさかここでもコミック列車に乗れるとは思わなかった。ホームで待つ観光客の一群は我先にと車内に雪崩れ込んでいく。最後になって、出遅れたのび太のように、どこでもドアからドラえもんの世界に入って行く。天井を見上げると、そこにはタケコプターで空を飛ぶドラえもんの姿があった。

注)後で調べてわかったことだが、幌の下に台車はなかった。ふつうは安定性を確保するために1車体に2軸4輪のボギー台車が2つ付いているものだが、アイトラムでは1車体に1つの台車しか付いていない。従って2両編成に見えるが、連接して初めて1両分となるような台車構造であることがわかる。


帯に短く襷に長い絶景路線

 ドラえもん号を楽しんだために、高岡駅まで戻ってしまうと氷見線には間に合いそうもない。幸いなことに万葉線と氷見線とは高岡から能町まではほぼ並行に走っているので、万葉線の新能町から氷見線の能町まで歩くことにした。地図で見ると、能町駅は側線が何本もあるかなり広い駅である。付近は工業地帯なので、貨物の仕分けをする駅なのだろう。踏切を渡り、しばらく歩くと能町駅はあった。無人駅だった。
 氷見線は高岡と氷見を結ぶ全長16.5㎞のローカル線だ。一日上下それぞれ18本走っているので閑散路線とは言い難く、そこそこのローカル線である。日中は1時間に1本走っているのだから、まずまずとすら言っても良いだろう。しかしながら、廃止寸前だった万葉線が15分間隔で走っていることを実感した今となっては、氷見線が地元住民から見放されてしまうのもわかるような気がする。しかも能町・高岡間に駅はわずか一駅しかない。万葉線の停留所は10カ所あるにも関わらずである。地方のローカル線は、地元密着という視点からは、帯に短し襷に長しなのである。

 誰もいないホームに佇むと遠くを万葉線の旧型路面電車が行くのが見えた。あのガーター橋の下、雑草が生えてレールの見えなくなった所を氷見線は走っている。しばらくすると、高岡方面から氷見行のガラガラのディーゼルカーがやって来た。鋼鉄製、重量級のキハ47、忍者ハットリくん号である。あらためてLRTという概念の先進性が納得できる。私の大好きな重量級の鉄道は、中小都市の地域密着形鉄道にはなり得ないことを改めて思い知らされた。このガランとした能町駅の空間に、爽やかだけれどどこか侘びしい秋の風が吹き抜けた。
 氷見行はしばらく工業地帯を走り、それが尽きると富山湾が開けてくる。右手後方に先程訪れた越の潟の新湊大橋が見えた。午後の日差しが傾いて来る。この先に以前から行ってみたかった雨晴の駅がある。源義経が東北に逃亡する際、雨が晴れるのを待ったという伝説にちなむ土地だが、有名なのは富山湾越しに見える立山連峰である。空が澄み渡る冬の晴れ間にしか見えず、年に数回とも言われている。雨男の自分だから、いくら雨晴らしでも天気は良くないだろうとは思いつつ、写真で見た絶景の場所にはどうしても行ってみたかった。
 列車は雨晴に近づくにつれて荒磯の脇を通っていく。海が荒れたらすぐに運休になりそうな風光明媚なところである。先程のLRTのことなどすっかり忘れて、やはり列車の旅はいいもんだと思うところが現金なものである。立山連峰は見えないけれど、海に浮かぶ女岩の向こうに能登半島が広がっている。
 雨晴の駅周辺は、キャンプ場や旅館があって、シーズンには多くの人たちで賑わうようだ。しかし列車で訪れる人は少ないという。何と言っても、富山県はマイカー所有率が全国トップクラスなのだから仕方ない。
 雨晴からは海岸から遠ざかって、ほんのわずかで終点氷見に着く。氷見海岸に行ってみたい気もするが、折り返しの列車に乗らないと今日の計画が全うできなくなる。改札を出て駅舎の写真を1枚撮っただけで、再び ホームの戻ることにする。
 先程見たばかりの景色をもう一度眺めながら,再び能町まで戻ってきた。能町から高岡までが未乗区間なので、しっかり見ようと思う。途中の越中中川からは大量の高校生が乗ってきた。県立高岡高校の生徒達だ。たった一駅区間だけ満員列車となって、あっという間に高岡駅1番ホームに滑り込んだ。
 高岡は大伴家持と藤子不二雄の町だった。そして鉄道の今と未来を考えさせる町でもあった。もうすぐ新幹線が開業し、高岡にとってまた新しい時代がやってくることだろう。数年後にはどんな変貌を遂げているのか、興味津々である。

(2014/10/1乗車)


クイズの答え)アンパンマン:土讃線、ゲゲゲの鬼太郎:境港線、サイボーグ009:石巻線

2014年8月28日木曜日

おばこはキャビンアテンダント

まごころ列車
 羽後本荘10時47分発の矢島行は、おばこアテンダントが案内してくれる 「まごころ列車」だった。一日14本(上下28本)運転されている鳥海山ろく線の中で、たった1本だけ往復している列車に巡り会えたのは、偶然としか言いようがない。世の中悪いことばかりじゃない! 
2000形 まごころ列車
羽後本荘にて
 由利高原鉄道<ゆりてつ>は国鉄旧矢島線を譲り受けた第3セクターの鉄道会社だ。従業員は30名。どうしてそのようなことがわかるかと言えば、アテンダントの佐々木さんがくれたチラシに全員の名前と顔写真、役職が記されていたからだ。個人情報がうるさい昨今、顔の見える会社経営には頭が下がる。それほどに皆さん、一所懸命だし親切なのである。
子吉・鮎川間の田園風景
 羽後本荘を出て羽越線と分かれるとすぐに田園地帯を走る。冬には地吹雪が襲うため、線路脇には風雪よけのフェンスが続くが、嬉しいことにシーズン以外は折り畳んであり、鳥海山を眺められるようになっている。今日はあいにく雲が厚く垂れ込めて、鳥海山は裾野さえ姿を見せていない。おばこ姿のアテンダントはこのような日のために用意した写真を見せながら説明をしてくれる。田圃の稲はだいぶ黄色く色づいているが、穂が大きく垂れる程ではないから収穫まではまだ間がありそうだ。
子吉川に沿って走る
 まごころ列車は丘陵地帯を登っていく。ただ<ゆりてつ>は登山鉄道でも山岳鉄道でもない。高原鉄道と名乗ってはいるものの、最も高い所でも標高100mに満たない。雪深い北国であること、鳥海山の山麓であることによるイメージとして命名されたのだろう。全線23㎞の、子吉川の緩やかな流れに沿って走るローカル線である。
旧鮎川小学校
 この地方にも過疎化の波は押し寄せ、廃校となった旧鮎川小学校の脇を通過する。地元の人たちの協力によって秋田杉を活用した木造校舎が綺麗に維持管理されているのだという。おばこアテンダントの解説がなければ、見落としてしまうような風景だ。注意してみると、ぬくもりのある校舎がひっそりと建っている。味気ない都会の小学校校舎で学ぶ子供達と比べて、田舎の子供達は恵まれているなと思うが、今では子供自体がいない。何とももったいない。地方はいつ復活するのだろう。

タブレット交換


先に到着した羽後本荘行から
タブレットを受け取る駅員 
(黄色いレインコート着用) 
列車は3000形
 
 過疎化ばかりでなく、モータリゼーションの普及によって地元民の鉄道利用が大幅に減っているのは、ここ由利高原鉄道も例外ではない。そのため<ゆりてつ>では毎月様々なイベント列車を走らせて乗客の獲得に努めているのだそうだ。たとえば2月には酒蔵開放無料列車、4月は雪室解禁生酒列車、8月には納涼ビール列車が運行される。秋田は酒好きが多いのだろうなあ、ぜひ乗ってみたいと思う。鉄道はお酒と相性がよいのだ。車ならこうはいかない。ただ、秋田の酒豪に囲まれたら大変なことになるのでやめておいた方が無難だと思い直す。
 <ゆりてつ>は、決して呑兵衛ばかり相手にしているわけではなく、季節の風物詩を載せた七夕列車やハロウィン列車もあるし、沿線B級グルメ列車なるものもあって、アイディアの限りを尽くしている。イベント列車ばかりでなく、鉄道好きに対してもいろいろな配慮がある。おばこアテンダントによる鉄道グッズ販売はもちろん、駅で販売する硬券など、ファンの喜びそうな工夫がある。
タブレットを肩に  
掛け、矢島行ホームへ
(帰路撮影)
 しかしそれ以上に興味深く嬉しかったのは、ここではいまだにタブレット交換が行われ、しかも駅員や運転士がそれを乗客にじっくりと見せてくれることである。カメラを向けられると嫌がる鉄道員が多い中、<ゆりてつ>はそんなファンの姿を楽しんでいるとすら思える。
 タブレット交換を見ることが出来るのは、ほぼ中間に位置する前郷駅だ。鳥海山ろく線で列車交換施設があるのはここだけである。羽後本荘や矢島も含めて、前郷以外はすべて片側1線のホームのため、2列車が同時にホームにつけるのはこの駅だけだ。だから全線で同時に運行できるのは2列車で、ケーブルカーのように途中で交換すると考えればよい。
 
矢島行に渡される 
大きめのタブレット
車両基地は矢島駅にあるので、営業時間外はすべての車両が矢島駅に戻ってくるようなダイヤになっている。従って、矢島・前郷間に1列車、前郷・羽後本荘間に1列車だけ入れるようにし、前郷ですれ違うようにすれば衝突は避けられる。そこで、それぞれの区間に入る許可証として二つの通行手形があるのだ。矢島・前郷間のタブレットは肩から掛けられる大きめのものを、前郷・羽後本荘間は手で握る感じの小さめのタブレットが使われていた。これなら間違うこともない。
とても原始的な方法だが、電子機器などの特別な施設がいらない絶対確実な方法で安全が保たれている。
羽後本荘行が受け取る
小さめのタブレット 
 ところで、<ゆりてつ>では通票閉塞器は使われているのだろうか。赤い箱のタブレット発行機である。この点は確かめる時間がなかった。
 先に触れたように、ここの鉄道員の方々は、このタブレット交換を鳥海山ろく線の魅力の一つだということをよく自覚していて、一連の作業を興味深い見せ物としても乗客たちに紹介していた。これも観光路線として集客しようとする企業努力の一つだ。帰りのことになるが、羽後本荘行の運転士が受け取るタブレットをカメラに収めようとすると、にこっと微笑みながら「はい、撮って!」とばかりに受け取ったタブレットを見せてくれた。そのサービス精神旺盛な姿には感服した。この会社は一丸となって観光客を歓迎してくれている。

終点矢島駅て・・秋田完乗!


秋田杉の美林
 おばこアテンダントがワゴンを押して<ゆりてつ>グッズを販売に来た。出来るだけ協力したいが、駅名のキーホルダーや携帯ストラップには興味がない。ちょうど手頃なものに、絵葉書があった。「旅情画集 鳥海山麓線おばこ号物語」と題した絵葉書集は、四季折々の自然の中を1500形の走る様子が描かれていた。良い記念になるし、このハガキで便りを書こう、大学時代の友人の郷里がここ矢島なので、久し振りに便りを出そうと思う。
矢島駅にて
 羽後本荘を出てちょうど40分、まごころ列車は終点矢島駅に到着した。おばこアテンダントがドア前で見送ってくれる。せっかくだからと記念撮影をお願いすると快く笑顔で引き受けてくれた。おもてなしの心を忘れない鉄道だ。
 改札を出ると、今度は売店でお茶のもてなしを受けた。品の良い白髪の女性が、いろいろ世話を焼いてくれる。その奥がおそらく本社なのだろう。「地元の人が好むようなお酒はありますか」と尋ねると、「ここには置いてないんですよ。駅前の広場を突っ切ると蔵元があって、そこで販売しています。美味しいお酒ですから」と教えてくれる。友人はまさに酒豪で、彼が好んで呑んだようなガツン系の日本酒を試してみたかった。
矢島駅全景
 駅から一番近い天寿酒造はすぐに見つかった。残念ながら地元の人が好むタイプは一升瓶しかなく、さすがにそれは断念して、持ち帰りやすい小瓶の吟醸酒を購入して駅に戻った。酒蔵は他にもあるが、次の列車の時刻が迫っている。
1500形
 旧矢島駅は3年ほど前に解体され、現在はお洒落な駅舎に生まれ変わっている。駅前は広々としていて、ちいさな町ながらも整っている。地方が衰退していく中で、おそらくここも苦労が絶えないに違いない。経済効率優先の中にあって、東京への一極集中に拍車がかかっているが、いつまでもこの国がこんなことで良いわけはない。秋田県は子ども人口の減少が最も激しいところだが、レベルの高い教育で見直されている県でもある。この町にも頑張ってもらいたいなとつくづく思う。
 駅の片隅に最古参の1500系が停まっていた。絵葉書の中の<ゆりてつ>を代表する列車である。更に帰りの列車は赤い2000形だった。在籍するすべての種類の車両に出会うことができた。これで思い残すことはない。
 秋田県を走る鉄道にはこれですべて乗り尽くすことができたが、鳥海山が綺麗な時期にもう一度訪れたいものだ。それがいつになるかはわからないけれど、由利高原鉄道鳥海山ろく線は、また忘れられない鉄道のひとつになった。
(2014/8/28乗車)

注)観光客を呼び寄せるための企画列車「まごころ列車」に乗るには、秋田9:42発の普通列車か酒田9:40発の普通列車に乗らなくてはならず、観光客が利用しそうな特急いなほには接続していない。東京からは新幹線こまちに乗っても間に合わない。たまたま青森を早朝に発ち、普通電車を乗り継いで来たら、ちょうど良い時間になったのである。観光客誘致のためなら、運行時間の見直しが必要だろう。


 

2014年8月26日火曜日

北海道乗り尽くしの旅・・序章

新幹線開業の前に

 このところ北海道の鉄道は暗いニュースばかりが続いている。車両火災、貨物列車の脱線と保線の手抜き、保線データの改竄、運転手による車両破壊、度重なる発煙トラブル・・・ひとつの鉄道会社が立て続けに社会信用を失墜させるような事態を生むというのは、国鉄末期の組合闘争以来のことだ。この会社で働く人たちの中に、どこかで道を誤ってしまった人がいるのではないだろうか。
 北海道に心を寄せ、鉄道による旅をこよなく愛する自分にとって、近年のJR北海道の動向はとても見過ごせないことだった。来年度末には新幹線が函館北斗まで開通し、本来なら青函トンネル開通以来の慶事であるはずなのに、果たして安全は確保できるのかといった新幹線の脱線を臭わすような物騒な報道までが飛び出すまでになっている。悲しいことである。
 こんな時だからこそ、応援もしたい。旅立つ自分を周囲の者は「脱線しない?大丈夫?」と気遣うが、大雨でも降った際には怖いなあと正直思わないでもない。ただ旅の後半は天候も回復という予想だから何とかなるだろう。それよりも新幹線が開通したら、おそらく津軽海峡線も無事ではあるまい。函館湾をめぐりながら北海道に渡るという、あの素晴らしい景色とワクワク感は二度と味わえなくなるのだという焦りが、旅心に火を灯したのだった。今一度函館湾や噴火湾を右手に見ながら、北海道乗り尽くし旅に出掛けよう。

準備
たかが指定券
されど指定券

 東京から東室蘭までの座席指定をネット上で行うためには、JR東日本とJR北海道それぞれのWebで行う必要がある。するとJR東日本のWebで購入可能な新青森・函館間は新幹線乗り継ぎ割引が適用され特急券が半額になるが、JR北海道Webで購入する函館・東室蘭間には割引が適用されず割高になる。それを避けるためには駅の緑の窓口で購入する方法もあるが、いちいち進行右窓側を指定すると、駅係員は汗をかきかき時刻表と格闘するはめにおちいる。特に本州から北海道に渡る際には、列車は一度スイッチバックして進行方向が変わるのだから、駅係員の頭の中は混乱するし、それに気付いて貰えない場合は、海の景色が見えなくなる。気の小さい自分は、駅員に申し訳ないと思うし、ましてや後ろで並ぶ人の冷たい視線にも耐え難い。それなら誰にも迷惑をかけないWeb購入が一番だし、JR北海道には正規料金で乗車するので、多少なりとも応援になる。ということで、面倒な函館までは自己責任で座席指定をし、函館・東室蘭だけは窓口で購入することにした。趣味を貫くには、手間とお金がかかるものだ。

函館へ

 というわけで、朝6時32分一番の東北新幹線はやぶさ1号で東京を発ち、10時17分には函館行きスーパー白鳥に乗り継いで、11時36分青函トンネルを抜けて北海道の大地の上に出た。
 青函トンネルは新幹線と在来線の共用区間のため、木古内駅の手前で新幹線から在来線が分かれていく。その後すぐに廃線となった江差線の錆びた線路が合流する。江差線の踏切には線路を塞ぐように立ち入り禁止のフェンスが張られていて、痛々しい。人も列車も立ち入り禁止なのである。
 新幹線停車駅の木古内駅前は、ツルハドラッグの看板が一番目立っている。ここに新幹線が停まるのかと俄に信じられないほど、あたりには人家がまばらでだ。それでも奥津軽いまべつ駅よりも遙かに人口は多いと思われる。江差や松前の人たちが車でやって来て旅立つ駅なのだろう。
 安定した共用区間の軌道と違って、ここからは在来線的な揺れとなる。今日の函館湾は霧に煙っている。細かい雨が降っている。新幹線は風雪よけのフェンスが高く張り巡らされているので、車高の低い新幹線からはたぶん車窓風景は楽しめないのではと思われる。やはり景色は在来線が一番だ。並行する松前国道の道路標示には函館まで33キロ、30分とある。この辺りの海峡線(正式には江差線。江差には行けない江差線である)は単線のため、泉沢駅で旧国鉄時代からの古い車両を使った485系白鳥と交換する。リニューアルされたとはいえ古参の列車だ。
 今日は津軽半島が微かにしか見えないが、それでも下北半島もなんとか確認できる。その間が陸奥湾で、雲に覆われたもっとも奥に青森の町がある。モノトーンの世界に広がる津軽海峡は波も穏やかで、トンビが優雅に風に乗っている。函館山が見えてくるが、あいにく山頂は雲の中だ。列車は等高線に沿って、方向を変えながら函館を目指す。 渡島当別駅を通過する。ここは男爵いもとトラピスト修道院で有名な所だ。
函館市電
 この辺りからは車窓真横に海を挟んで函館山が見えてくる。これから函館湾に沿って、180度進路を変えながら函館を目指すのだ。かつての北海道の玄関、函館へのこの最終アプローチがたまらなく好きだ。到着まであと10分、コンビナートのある上磯からは町の風景に変わる。全国チェーンのパチンコ屋を過ぎ、進路を右に右にと変えれば函館は近い。


室蘭へ

 北海道新幹線は函館には停まらない。15㎞弱離れた渡島大野を新函館北斗駅として開業することになっていて、現在駅舎の建設と五稜郭・渡島大野間の電化工事が行われている。開業時には札幌行スーパー北斗が新函館北斗に停車し、函館方面へは電車が運行されるようになるのだそうだ。とすると、ここでも在来線の車窓が大きく変わることになりそうだ。
 というのも新幹線開通後は札幌方面へのコースが一部変わるからだ。現在函館を出発した列車は市街地を抜けると松並木が続く大沼国道と併走しながら七飯(難読駅:ななえ)に着く。ここから下りの優等列車はすべて渡島大野がある本線と分かれて、大沼公園までの標高差を緩和するために造られた通称藤代線を通るのだが、上り線を跨いで右に大きくカーブを切りように造られた高架線からの風景は、北海道に来たなあということを実感させてくれるスケールの大きな風景なのである。上りは上りで、大沼から高度を下げてくる仁山・渡島大野間の風景もなかなかの見ものなのだが、それぞれ味わいが異なる。新幹線開業後は下りの貨物以外は藤代線を使うことはなくなってしまうのだろう。少し残念な気がする。
 高度を上げてトンネルをいくつか抜けると、左側に小沼の岸が迫ってくる。いつもなら小沼越しに駒ヶ岳の優美な姿が見えてくるのだが、あいにくの小雨模様で全く対岸すらも霧に煙っている。北海道有数の車窓風景が今日はお預け、少々退屈になってきた。またちょうど交感神経と副交感神経が切り替わる居眠りタイムとなったばかりでなく、昼食で訪れた手打ち蕎麦屋で呑んだ日本酒が利いてきたのか、うつらうつらと恍惚状態になってきた。ふと目が覚めたときは、森駅に進入する時で、目の前には噴火湾が広がっていた。
 雲は厚いが、何とか対岸は見える。八雲まではほぼ対岸の室蘭方面と並行して走るので、これから目指す室蘭は次第に後方に退いていく感じ、八雲から長万部へは方向を90度変えて室蘭を目指すので、この辺りは円弧を描くというよりは、正方形の三辺を走る感じだ。天気さえ良ければ有珠山や昭和新山のような火山が見えるはずなのだが、残念である。ただ、函館本線は当分健在だから、また次のチャンスがあるだろうと慰める。
 かに飯の看板が見えれば長万部は近い。函館本線が左に分かれていき、室蘭本線に入る。荒涼とした風景が続くが、次第に山が海岸に迫ってくる。静狩からは線路を敷けるような土地はなく、トンネルが連続する。近年、秘境駅として有名になった小幌駅は、トンネルとトンネルの間にホームを設えたような無人駅だ。あたりに集落は全くなく、熊笹に覆われた獣道を少し歩くと崖と崖に囲まれた入り江があるという。酔狂な釣り人くらいしか降り立つことのない小幌駅を、北斗9号はあっという間に通過した。列車は猛スピードで驀進している。揺れも少なくない。大丈夫かなという思いが一瞬よぎる。保線の不安は鉄道の安全神話を根底から揺さぶっている。
 室蘭は大規模な工業地帯だ。複雑に入り組むパイプと巨大なタンク、建物から漏れ出すような白い煙等々がコンビナート特有の雰囲気を作り出している。湾を結ぶ釣り橋が室蘭の玄関口で出迎えてくれる。
(2014/8/25乗車)