2016年1月6日水曜日

100万都市の路面電車

 路面電車は自動車社会の嫌われものだ。加速はのろいし、急には止まれない。障害物を避けることもできない。おまけに乗り心地もけっして良くはない。車のドライバーからすれば、道路を右折する際、線路上に停まるわけにもいかず、対向車が見えづらくて厄介極まりないばかりか危険ですらある。
 だから断固廃止すべきである、ということで全国各地で活躍していた路面電車が、次々に廃止された。それはそれで理に叶ったことであろう。しかし…である。今なお元気に走り回っている路面電車がある。それが広島電鉄だ。
路線図
日本に12ある100万都市で、路面電車が走っているのは、今や札幌・東京・大阪・広島の4都市に限られる。しかも、市内を縦横無尽に走り回っているのは広島だけであり、他の都市は一部の地域に細々と残るにすぎない。最近、札幌の路面電車がすすきのの歓楽街で環状運転を開始したことで話題になっているが、市内交通の中心は地下鉄とバスであることに変わりない。そう考えると、広島の路面電車は格がまったく違うのである。ここでは市街地の主役と言ってよい。

格の違い①・・待たずに乗れる
グリーン・ムーバ-・マックス
広島電鉄・広島駅

 JR広島駅前の広場にある路面電車の広島駅には、新旧さまざまな電車が出入りして見飽きない。わずか3線分しかない手狭なホームに、平日の8時台には4方面に向かう34本もの電車がひしめき合う。路面電車の宿命として、ダイヤ通りには決して運行できないだろうから、折り返し作業を行いながら方面別に電車を捌くのは神業ではないかと思うのだが、そこには良くできた工夫あって、混乱することはない。

続行運転 猿猴橋停留所
手前は3000形連接車。後方は5100形
グリーン・ムーバー・マックス
【注】4系統ある路線のうち、1号線(紙屋町・市役所経由)広島港行・2号線宮島口行・6号線江波行の3系統は、いずれも市の中心街を通る利用客の多い路線で一括りにしてよい路線である。残る5号線(比治山経由)広島港行は四国へのフェリーが出る宇品港へ行く際に便利な路線だ。だから手狭な乗り場は、市中心部方面と宇品港方面の2つにまとめられている。
 広島駅に入ってきた電車は、一番奥の3線ある行き止まりまで行って乗客を降ろす。5号線の電車はJR側の行き止まりで乗客を降ろしたら、乗客を乗せて発車を待つ。それ以外の電車は道路側の2線のいずれかで乗客を降ろしたら、5号線の前に移動して乗客を乗せる。つまり、5号線とそれ以外を直列に並べて、手狭な場所だが方面別乗車を可能にしているのだ。徹底したフリークエント・サービスをによって、待たずに乗れる路面電車の運行が保たれている。

格の違い②・・不易流行
京都市電 横川線

 広島電鉄では現在も被爆電車が運行されているが、それ以外にも懐かしい電車がはしっている。大阪市電と京都市電だ。いずれも昔のままの塗装なので、さながら動態保存博物館のようだ。
 今から40年以上前のことになるが、高校の修学旅行で京都を訪れた際、七条大橋で撮った写真の片隅に京都市電が写っている。新幹線には興奮しても時代遅れの路面電車には全く興味がなかったので、乗ってみようなどとは思わなかった。残念なことをしたと思う。
大阪市電 横川停留所にて

 路面電車に関心を示さなかったのは、中学校時代に都電で通っていたということもある。余りにも日常的なことだからその大切さには気付かないものだ。大阪には行ったことがなかったので、大阪市電の記憶はない。

【注】後悔しているのは当時の定期券を処分してしまったことだ。定期券には路線図が記され、乗車区間を線で示すようになっていた。1968年〜1970年は廃止のピークを迎えた時で、毎月定期券からは路線が消えて、次第にまばらになっていた。残しておけば、貴重な資料となったはずである。当時の私には古いものが滅びていくことには全く関心がなかった。未来がバラ色に見えた頃の記憶である。

 鉄道遺産を大切にする一方で、積極的に先進的なLRVを数多く導入するのも、広電の大きな魅力の一つだ。
3900形は平成2年にデビューした
連接車。           
人口の多い広島市だけに、市民の足としての路面電車は、一度に大量の人を運ぶ必要がある。古くは昭和50年代に西鉄福岡市内線から譲渡された3000形が、3両編成で今も活躍している。その後も宮島線と市内線の直通運転のために導入された3900形など車種は数多くある。
 ヨーロッパで発達したLRVは、超低床構造で市内電車としてうってつけであるばかりでなく、高出力の電動機を搭載しているために郊外電車としても通用する優れもので、路面電車と宮島線を併せ持つ広島電鉄にぴったりの電車である。平成11年ドイツから空輸されたのが、グリーン・ムーバこと5000形電車である。シーメンス
5車体連接車の5000形
グリーン・ムーバー
が造った超低床車であり、路面電車開発では日本はヨーロッパに大きく遅れをとっていることを目の当たりにした出来事であった。
 その後、純国産LRVを目指して開発されたのが、5100形グリーン・ムーバー・マックスである。近畿車輛・三菱重工業・東洋電機製造の3社と広島電鉄が共同して開発し、平成17年にデビューした。現在広島電鉄では5000形が12編成、5100形が10編成運行されている。
国産の5100形
グリーン・ムーバー・マックス
マックスと謳っているのは、シートをロングシート主体とし、グリーン・マックスよりも定員を増やしているからである。ドイツ製の5100形は、クロスシート中心のため観光客の多い宮島線に投入され、マックスは市内線で活躍することが多い。いずれにせよ、広島電鉄ほど路面電車の可能性をつぶさに魅せてくれる鉄道は日本ではここを置いて他にない。

格の違い③・・二つの世界遺産を結んでいる
写真左側すぐの所に電停がある

 被爆地広島には日本人ばかりでなく数多くの外国人観光客が訪れる。ことばに不自由な彼らも、一日乗車券を購入すれば、路面電車を使って気軽に移動ができる。私が訪れた1月6日は、平和資料館の来館者のほとんどは海外からの訪問者であった。
 市内から安芸の宮島へは、広島電鉄圧倒的に便利である。スピードこそJRには叶わないが、繁華街や原爆ドームから乗ることができる利便性、そして本数の多さ、どれをとってもこちらを利用したくなる。
JRのフェリーから

 通勤通学客だけでなく観光客を取り込めるというのは、鉄道会社にとっては圧倒的な強みとなる。宮島口に着いた観光客は、そのままグループ会社の宮島松大汽船で厳島神社に渡っていく。実は並行して運行されるJR西日本のフェリーの方が、大鳥居の前を通るなどの演出があって面白いのだが、そのようなことは知らない観光客は一日乗車券を利用して松大汽船の乗客となる。
 
格の違い④・・マニアックな面白さ
架線に注目!
手前は例外的に直接吊架式だが、
そこ以外はすべてシンプルカテナ
リー方式。          

 通常、速度の遅い路面電車の架線は1本で済ませることが多い。費用も比較的安価で済むからである。これを直接吊架線方式(ちょくせつちょうかほうしき)という。法律上簡易鉄道の扱いの「軌道」では、どこもこの方式を採用している。JRでも新潟の弥彦線のようなローカル線でも採用されている。
 ところが広島電鉄の架線はシンプルカテナリー方式という本格的な架線方式をとっている。こちらは高速にも耐える構造だ。電鉄を名乗るだけあって鉄道会社の矜持を感じる。

 複雑な路線を持つだけあって、分岐や合流が多いのが広電の特徴である。果たしてポイントの制御はどうなっているのだろうか。そう思いつつ土橋停留所であたりを見回しているうちに、懐かしいものを見つけた。かつて東京にもたくさんあった路面電車のポイント切り替え施設である。交差点の片隅の高い位置から、やって来る電車の行き先を見ながらポイント操作をしていたものだ。今はカーテンが降ろされている。今時人件費のかかる係員など配置できる余裕はない。
 とすれば、ICT全盛の時代。フルオートのコンピュータ制御かと思えば、もっと手軽で安価な方法だった。これが面白いほど、単純で効率の良いシステム、否、仕組みだった。

 土橋停留所からは二方向に分かれ、江波行きは直進し、西広島・宮島口方面は右に分岐する。電停の路面には、手前に「江」、その先には「己」と記され、それぞれに白いラインが引かれている。ポイントはその先にある。これは行き先別に停車位置を変えているのだ。西広島は別名己斐(こい)という。

 架線に注目すると、パンタグラフが通過するとそれを感知するスイッチがいくつか付いている。つまり停車位置によって一定時間に叩くスイッチの数が異なり、1個だったら江波、2個だったら己斐と判定し、ポイントを切り替えているのである。なんとシンプルな、そして確実な運行制御だろう。アナログもまだまだ捨てたもんじゃない。

格の違い⑤・・おまけ

横川線横川駅

 路面電車の駅がお洒落になれば、街はもっと元気になれる。それを実現しているのが広電だ。JR横川駅は山陽本線と可部線の分岐駅であり、そこと直結している広電横川駅は市中心部へ向かうターミナル駅なのだが、そこが実に良い駅なのだ。若いカップルの待ち合わせにだって利用できる空間になっている。そこにレトロな市電がやって来る。
 松山と結ぶフェリー乗り場、宇品港にある広島港駅も瀟洒な雰囲気の路面電車離れした素敵なターミナルだ。ここもレトロな市電とのミスマッチがとても楽しい。
広島港駅で出発を待つ旧京都市電

 広島電鉄は、他の追随を許さない偉大な路面電車と言っても過言ではない。実に面白いのである。

(2016/1/6乗車) 

 

2016年1月5日火曜日

中国山地の「癒され列車」

中国縦断鉄道に乗りに行く

 姫路から広島まで行くには、瀬戸内海に沿って山陽本線や山陽新幹線を利用するルート以外にもう一つの方法がある。姫新線と芸備線を乗り継いで山懐深く入り、中国山地に沿って縦断するルートである。距離にして323.6㎞、海沿いコースよりも70㎞ほど遠回りの、のんびりしたローカル線の旅となる。以前からこの「中国縦貫鉄道」に乗りたいと思っていたが、ようやくその機会がおとづれた。
最後の定期寝台特急列車、サンライ
ズ瀬戸・サンライズ出雲。    

 今年は1月4日が月曜日ということもあって、正月を故郷で過ごした人々による帰京ラッシュが例年より早めに終わり、世間もだいぶ落ち着きを取り戻しつつあった。姫路からは優等列車など走っていないので、一日がかりの旅となる。暗くなる前に広島に着くためには、姫路6時55分発の列車に乗る必要があった。このような場合に重宝なのが寝台列車だ。新幹線や飛行機はどんなに速くてもこの時間に東京から姫路に着くことは不可能である。旅の初日を朝早くから動こうとする時、夜行列車は実に便利な移動手段だったのだが、今は絶滅危惧種となってしまった。が、姫路までは奇跡的にうってつけの列車がある。
シングルの部屋。左は扉側から見た
様子。右は扉側を見た様子。   

 4日の晩、私は東京駅9番線ホームに立った。夜汽車(蒸気機関車が引っ張る夜行列車)はもちろんのこと夜行列車ということばが死語となり、夜中の長距離移動の中心が高速バスに移ってしまって久しい。この日の東京駅からの夜行列車は22時発のサンライズ瀬戸・サンライズ出雲の二本だが、岡山までは連結されて運転されるので、実質一本に過ぎない。岡山までなら20時30分発のぞみ133号に乗ればその日のうちに到着するし、姫路にいたっては20時50分発のぞみ135号があって、サンライズ号よりわずか1時間15分前に出発すればその日のうちに目的地についてしまうのだから、確かに夜行寝台特急の役割は終わっているといえるのだが、よく考えればそれはその土地に住んでいる人が利用する場合のことではないか。旅行客にとって見れば、深夜に現地に着いても仕方がないだろう。しかもサンライズには個室が揃っている。国際線のファーストクラスだって及ばない快適な移動が楽しめる。
 とはいえ、その夜私は一晩中大地震に逃げ惑う夢を見続けた。揺れる列車で見るものとしては、実にわかりやすい夢といえるが、夜行列車愛好家の私とっては実に不本意極まりない。どうやらこのところ続いている仕事上のトラブルが影響しているらしい。なんとも夢見心地の悪い旅立ちとなってしまった。

姫新線を乗り継ぐ
佐用まではキハ127系が運行。通勤通
学用だが、片側一人の3列のクロスシ
ートで快適に車窓が楽しめる。     
播磨新宮駅にて

 5時25分、真っ暗で底冷えのする姫路駅に降り立つ。駅前通りの先には微かに白鷺城の黒いシルエットが見える。ここから158.1㎞先の新見までを結ぶのが姫新線である。全線単線非電化のローカル線で、直通列車は運転されていない。乗り通す酔狂な人などいないに違いない。3回乗り換えてまずは新見を目指すつもりである。
佐用からは過疎路線用キハ120系。
左は智頭急行普通列車。

 播磨新宮までは姫路への通勤通学路線であり、日中でも2~3本運転されているが、その先はぐっと減ってしまい2時間に1本程度の過疎路線となってしまう。しかし沿線の人口は少なすぎるわけではなく、人里をコトコトと走るような風景が続き、特別風光明媚な訳でもないので次第に眠くなってくる。この地方の人はもっぱら自家用車を利用しているのだろう。乗り降りするのはお年寄りばかりである。智頭急行との接続駅佐用で2回目の乗り継ぎをする。佐用の次、上月の先で岡山県に入る。列車は中国自動車道と並行して走り続けるが、到底自動車に太刀打ちできるはずもない。取り立てて目を瞠る風景もなから、地元民からも観光客からも見放されているようで、この姫新線が段々可愛そうになってきた。およそ2時間半が経過して津山に着いた。ここで3回目の乗り継ぎとなる。

金髪の少年
昭和の風情が残る津山駅

「おじちゃぁん! カメラのキャップ、落ちたで」
良い席を取ろうとそればかりを気にして新見行列車に乗り込もうとした私に、後ろから声を掛けてきたのは、ジャージ姿の金髪高校生だった。カメラがドアにぶつかり、その拍子にキャップを落としたらしい。教えてくれたのは有り難いが、どうも苦手なタイプの若者だ。「あっ、どうも」とまともなお礼も述べずに、取り敢えず席を確保してからキャップを探すためにホームに降りたが見つからない。するとその金髪ジャージも降りてきた。
「ほら、あそこに落ちてるやろ」
と言って、線路を指さす。レンズキャップはホームと列車の間に落ちていた。運転室の下だから手が届きそうだが、線路に降りるわけにもいかない。
「ん〜む。困ったなあ。どうもありがとう。諦めるかなあ」
困るには困るものの、それほど高価なものではないし、人目が気になることもあって、さっさとお仕舞いにしたかった私に対して、その少年は思ってもみなかったことを口にした。
「駅員に言ってやろうか。ちょっと待ってて」
金髪少年はそのままホームの反対側で車両の分割作業をしていた鉄道員に駆け寄り、何やら話し掛けている。緑と赤の旗を持った鉄道員は、分割された二本の列車を発車させ終わると、こちらにやってきた。
「列車を移動させるわけにはいかないなあ。駅員を呼んでくるわ」
そう言って掛けていく頃には、列車の運転手を始め、あたりにいた鉄道員が3〜4名集まってきた。発車まで5分ほどしかなく、車内の乗客も何事かと見ている。段々大事になってきた。たかが数百円のキャップで列車が遅れたらどうしようと、気の小さい私は居ても立ってもいられなくなってきた。こういうときに限って、事態はなかなか進展しない。
 駅員はいつ来るのだろう。しかし、運転手を始めとして鉄道員達はのんびりした顔つきである。冷や汗かきつつ顔が赤くなっているのは私一人だ。
 発車間際になって、ようやく駅員がマジックハンドを持って駆けつけてくれた。呆気ないほど簡単にレンズキャップが戻ってくる。列車の発車にも間に合い、ほっとした私は、そこに居合わせた鉄道マン達に鄭重にお礼を述べ、更にその少年に向かって言った。
「有難うございます。とても助かりました」
思いがけない親切な行為に対して、いつの間にか少年に対しても丁寧な言葉遣いになっていた。
「よかったな。それがないとレンズ、傷ついちゃうもんな」
金髪少年はちょっと笑いながら言った。まさかそんな優しい言葉を掛けてくれるとは思ってもみなかった。
 列車が発車すると、通路を挟んだ反対側の座席に少年は行儀悪く足を投げ出して坐っている。いつもならやれやれと思う私だが、この時ばかりは違っていた。人は本当に見かけに依らないものだし、見かけだけで判断した自分が実に詰まらない人間だと思えてくる。ただ嬉しかった。その先、中国縦断鉄道の車窓に広がる風景は、どこにでもあるあるような取り留めもない田舎の景色だったが、人の親切に触れたあとだっただけに、なんとも心温まる列車の旅となった。新見を越えて芸備線を乗り継ぎ、広島まで辿り着いた時、あたりはすっかり暗くなっていた。
(2016/1/5乗車)

 


 

2015年8月27日木曜日

ドイツの鉄道(ベルリン・ポツダム編)

Straßenbahn (Berlin)

Straßenbahn とは市街電車のこと。いわゆる市電である。
ベルリン市電は歴史が古く、現在でも延長191.6㎞の路線
がある。主に旧東ドイツ地域を走っている。アレキサン
ダー広場を抜けて走る Riesaer Straße M6系統。   

M6系統。多くはLRVが使用されている。Alexander-platz
駅前。                      


Stadtbahn (Potsdam)

ポツダム市電の歴史は馬車鉄道に遡り、1880年開業。
総延長28.9㎞とさほど長くはないものの、主な市内観
光名所であるプロイセン王国のフリードリッヒ大王が
過ごしたサンスーシ宮殿・庭園やポツダム会議が開か
れたツェツィーリエンホーフ宮殿を訪ねるにはちょう
どいい。                    

ポツダム市電の路線の多くは終点にループがあって、
電車は折り返すことなく運行が出来る。運転手にとっ
ても都合が良いだろう。デルタ線で折り返す所もある
ようだ。だから上下線いずれもパンタグラフが進行方
向に対して一定だ。               

Nauener Tor ナウエン門は、1755年に造られた。ポツダ
ム市に残る3つの門の一つで、市電もここを潜って入っ
てくる。この辺りはカフェなども並ぶ人通りの多いとこ
ろ。右側の煉瓦造りの建物はオランダ人街と呼ばれ、祖
国を追われたユグノー派の人々が住んだ所。     


U-Bahn (Berlin)

ベルリンには10系統の地下鉄が走っている。色はどれ
もが黄色で、銀座線を思い出させるためだろうか、ど
こか親しみがわいてくる。窓にはブランデンブルク門
のイラストがたくさん描かれている。傷をつけるいた
ずら防止だろうか。そのため地上区間を走る場合の見
晴らしは良くない。第3軌条から750Vの直流電流を集
電しているため、架線はなく天井が低い。     

ヴィッテンベルグ駅の夜景。西ベルリン時代の中心地
クーダム地区にある。老舗デパートのカーデーヴェー
を始めとした繁華街だ。重厚な建物ゆえ、地下鉄の入
口にはとても見えない。             

ベルリンの地下鉄は1902年開業。東西分断という厳し
い時代を経験している。地下鉄の中には東側にはみ出
している路線もあり、東ベルリンの駅は閉鎖され全列
車通過扱いとなった。現在工事中のフリードリッヒ通
り駅は、東側で唯一Sバーン(これも東にはみ出した路
線)との乗り換え駅として検問所が設けられて、西側
の住民に利用された。ウンター・デン・リンデンに近
いこの辺りは現在再開発の真っ最中。       

DB (Berlin unt Potsdam)

かつて国電といえば東京都内を走る国鉄の通勤電車
のことだった。国鉄がJRとなって、その名称をどう
するかが話し合われ、一旦はE電となったが、そん
な奇妙な名称は誰も使わない。結局、JR各線とかよ
くわからない言い方が続いている。ドイツでは都市の
通勤通学用電車はすべてSバーンだ。ベルリンのS
バーンは地下鉄でもないのに第3軌条方式で集電して
いる。                    

重厚な機関車が動物園駅に入ってきた。窓下にES64U2
と記されている。ESはシーメンス社製のユーロ・スプリ
ンター、64は出力6400kw、Uは汎用(貨客両用)、2は
2電源対応という意味だ。シーメンス社がヨーロッパ各
国に納めている電気機関車だ。後ろの車両はDBのもの
で、寝台列車のように思えるが不明。        


ベルリン動物園駅に進入するICEハンブルグ行。東西
分裂時代、西ベルリンの中心クーダム地区に位置する
この駅は、西側からの長距離列車の終点だった。今で
は、その位置をベルリン中央駅に譲ったため、特急列
車は全て通過する。               


442形電車はドイツ国鉄の最新型近郊形電車である。
カナダ企業のボンバルディア社製。日本にいるとわか
りにくいが、鉄道車両の国際入札は当たり前なのだろ
う。REGIOの表示があり、地域の快速列車である。 

442形の先頭車両台車。ボルスタアンカ(台車と車体を
繋ぐ横棒に似た装置)付きの重厚な台車。なお、442形
は車両間に台車を置く連接車方式の電車である。   

分割併合を頻繁に行えるよう連結器も自動化されている。

電気機関車牽引のREGIOがオラニエンブルク駅に到着。
客車は2階建てで、自転車持ち込み可能である。   


ベルリンの北約30㎞にあるオラニエンブルク駅は、S
バーンの始発駅でもある。この電車はS1系統で、フリ
ードリッヒ通りやポツダム広場を地下鉄 (U-bahn では
ない)として通過し、ポツダムの手前ヴァンゼーまで行
く。                        

ポツダム広場、ソニーセンター脇に
あるドイツ鉄道本社ビル。    

(2015/8/24〜27 見学・乗車)

2015年8月22日土曜日

ドイツの鉄道(ハノーファー編)

シュタッドバーン!
中央分離帯を走る5号線Stocken行

 速度制限のないアウトバーンを降り、緑に包まれた市街地に入ると、まず目に飛び込んできたのは、ゆったりとした中央分離帯を走る路面電車だった。その瞬間、「ああ、ヨーロッパの街に来たなあ」という思いがこみ上げてきた。欧州の街並みの中を軽快に走る路面電車は、お洒落でかわいらしい珠玉の風物詩である。
 
 北ドイツ平原を、ベルリンから3時間余りかけて高速バスが走っている間、そこには人の住めない土地など全くないのではないかと思えるくらい、肥沃な農耕地が広がっていた。畑の中には数多くの風力発電機がゆっくりと旋回し、豊かで先進的なドイツが、環境立国としても世界をリードしていることを感じずにはいられなかった。そして森と都市が共存することで有名なハノーファーには、50万人の人が暮らしている。日日の暮らしを支えるために、自動車社会のドイツであっても、ここでは鉄道は都市交通として重要な役割を負っているのだ。

 ハノーファーの鉄道案内図には、Regionalzug und S-Bahn 用と Stadtbahn 用との二種類があるが、どちらにもぴったりとした日本語がない。Reginalzug は「中距離電車」のことだから日本で言えばJRや私鉄各線の路線図のようなものに近い。ところが S-Bahn が Stadtbahn から生まれた名称で、どちらも「都市鉄道」を意味するところから、前者は後者を含むものと早合点すると間違ってしまう。この二つは明確に使い分けられているのだ。
 Stadtbahn には英語の Light Rail System というニュアンスが含まれている。直訳すれば「軽量軌道交通」、つまり市街地は路面電車として、郊外に出ればそのまま近郊鉄道として活躍するLRT(Light Rail Transit)  というわけだ。軌道やレールが軽量簡素なため Light  Rail と呼ばれるが、それならば S-Bahn は<重量鉄道による都市鉄道>という意味合いで使われているのであろう。一番馴染みの深い普通の鉄道だ。
 日本の大都市では S-Bahn が当たり前だが、最近は富山や福井、広島などで Stadtbahn が市民の足として大活躍するようになった。ところがこちらの Stadtbahn は、日本のものとはまたひと味違うのである。

地下に潜る路面電車


U-Bahn区間から地上に姿を現した
5号線Anderten行。       

 もともと路面電車だから石畳の上を走るし、交差点では自動車と一緒に十字路を曲がったりする。ところがなにぶん「新しい路面電車」なので、4両編成で走っていたりもする。さらに市の中心部では車や人通りを避けて地下にもぐってしまうのだ。こうなると道路面を走っていないので、路面電車とはいえなくなる。実際、この区間は U-Bahn と呼ばれ地下鉄扱いとなる。停留所の位置を示すマークも路面電車のときは<S>、地下にもぐれば<U>と表示される。実に変幻自在、柔軟性に富んだ鉄道なのである。
7号線Misburg行。クレプケの深
い地下ホームにて。     

 ハノーファー市の人口は仙台市の半分ほどだが、そこに4系統、枝線を含めれば11〜12の路線が、ハウプトバーンホフ(ドイツ鉄道の中央駅)、クレプケ(一番の繁華街)などを接続駅にして広がっている。なかでもクレプケは全ての路線が集散離合する拠点駅である。そこは地下に巨大な空間がぽっかりとあいていて、路線がクロスする大きな駅である。ここまでくるともはや路面電車の面影はなく、まるで秋葉原駅が地下にあるかのような、地震国日本では決して見ることの出来ない地下空間である。東京の地下鉄大手町駅も地下で複雑にクロスしているが、頑丈な構造物に囲まれていて他の路線を見渡すことができない点が大きく異なる。
5号線Anderten行。
Herrenhauser Gartenにて。

 都市の構造にフィットした Stadtbahn は、建設費や維持費の面でもかなり有利だろう。高架橋を造らず、道が広いため停留所にホームを設け、必要な場所しか地下化しない。しかもそこは耐震構造にする必要のない構造物。改めて人の住める土地が少なく、起伏に富んで地震の多い日本に鉄道を敷くことの難しさが思い遣られる。
 しかしながら、仙台市にようやく2本目の地下鉄が来年開業される現状を見てみると、都市における鉄道建設という点で、莫大な建設費を伴う地下鉄で良いのだろうかと思えてくる。U-Bahn と Stadtbahn の組み合わせは十分参考になるシステムに思える。

違いに戸惑う
9号線Fasanenkrug行。
Hauptbahnhofにて。

 海外では自動車と同じように鉄道が右側通行のため、ホームに立つとつい列車の来る方向を見誤り、突然予期せぬ方から現れてドキッとすることになる。日本で身についた感覚はなかなか抜けないので、ホームに立つたびにどちらから来るのか考えることになる。
 そのホームなのだが、改札口がない。車掌もいないし、運転手が切符を回収することもない。ただし無賃乗車が見つかると高額なペナルティーを科せられる。時々実施される車内検札で乗車券を持ち合わせていないと、1,000ユーロ(この時は約13万5千円相当!)の罰金を取られるはめになる。だからキセルはない! ということなのか、仮にあってもごくわずかなので、人件費・設備費節減に役立つと考えているのだろう。日本に比べて、混雑率が低いので可能であることは間違いがない。自己責任を重んじる国柄だから可能なのだという考えは早計であろう。
7号線Wettbergen行。
Spannhagengartenにて。

 それにしても技術大国ドイツだけあって、乗り心地も良く、綺麗でデザインも悪くない。しかもあまり待つことはなく頻繁にやってくる。もともと欧州の技術であるLRT(Light Rail Transit)の技術がふんだんに投入されて、小回りと快速性を兼ね備えた都市交通として活躍している。
(2015/8/21〜23 乗車)



ハノーファー中央駅にて
趣のあるDBのHannover Hbf。Hbf
は、ハウプトバーンホフで中央駅
の意味。駅前の道路にはよく見る
と軌道が敷かれている。 Stadtbahn 
10号線はナイトサービスとして夜
路面をる。        


 DBの略称は西ドイツ時代から続く伝統的なものだが、その頃はDeutsche Bundesbahn(ドイツ連邦鉄道)の略であり、1994年に旧東ドイツのDeutsche Reichsbahn(ドイツ国営鉄道)と合併し、民営化してからはDeutsche Bahn(ドイツ鉄道)となって、略称を引き継いだ。
 ハノーファー中央駅にはDBの列車がたくさんやってくる。改札口も何もないホームを行き来しながら、楽しく賑やかなドイツ鉄道を楽しんだ。
ユルツェン行メトロノーム号
客車側運転室。      

 まず最初が、ハノーファー発ユルツェン行のメトロノーム。その名の通り一定間隔で都市間を往復する列車である。経営改善を目的に地元企業のメトロノーム社に委託運営させているので、正式にはDBの車両ではない。定時に発着する優等列車は、最近の日本ではJR東海と北海道でしか呼ばれなくなったが、L特急のようなものだ。このメトロノームは5時台から0時台までの間、毎時40分にハノーファーを出発し、およそ85㎞のユルツェンまでを58分で駆け抜ける快速列車である。環境大国ドイツだけに自転車ごと乗車可能な2階建て車両で、機関車が推進したり牽引したりするプッシュ・プルタイプである。写真は推進運転のもので、客車に設置された運転台に機関士がいる。車両断面がかなり大きいので、近寄るとたいへん威圧感がある。
最後尾に連結された電気機関車。

 日本が電車王国となったのは、機関車牽引の場合終着駅で機関車を付け替えなければならず、手狭な駅にそのゆとりがなかったことと、機関車自体の加速性能が悪かったことからである。一方ドイツでは快速列車を中心に機関車を付け替えることなく、推進運転と牽引運転で行き来する列車がたくさん走っている。日本の常識では考えられないところだが、実際に乗ってみると加速性能は電車に引けを取らないし、発進時や減速時の衝撃も全くなく、客車にモーターが付いていない分、騒音も振動も極めて低く抑えられていて、実に快適である。おまけに駅には改札口すらないから、移動はスムーズで悪いところはどこにも見当たらない。
 それを可能としたのは、強力な電気機関車と緩衝装置付きで車両を密着させるねじ式連結器のおかげだろう。軌道がしっかりしているという利点もあるに違いない。走行音の静かな客車列車が日本から消えようとしている今、近郊の快速にまで客車列車を運行させているドイツ鉄道は羨ましい限りだ。

 一方、DBのプッシュプルとしてはREGIOと呼ばれる短距離旅客列車が数多く走っている。日本の快速(普通)列車である。中央駅に総二階建て客車6両を押して入線してきた姿は、実に壮観である。DBのシンボルカラーは赤なので、赤い客車が実に多い。それがまた格好いい。


 最後尾には同じ色で統一された電気機関車が控えている。停車中は鳴りを潜めている電気機関車であるが、発進直前には急にうなりを上げて力強く押し始める。この機関車は快速列車に多く用いられている最高速度160㎞の146型と思われる。

 REGIOと異なり、高速優等列車IC(インターシティ)は推進運転は行われない。一二等車や食堂車を連結した伝統的な電気機関車牽引の客車列車である。客車は白い車体に赤い帯を巻く。
ライプツィヒ行 IC2039

 この時入線してきたのは、インバータ制御を搭載し今では第一線から退いたと言われる120型電気機関車が牽引するインターシティである。ドイツの機関車の型式番号は必ずしも番号が若い方が古い訳でもなく、わかりずらい。ラインゴルト号で有名な日本でも人気のある103型電気機関車よりも101型の方が新しい。
ブレーメン行 ICE630

 さて、ドイツの高速鉄道といえばICEだが、全体が統一されたデザインで一見電車列車に見えるものの、その多くは先頭と最後尾に電気機関車を配した客車列車である。入線してきたのは、12両の客車と2両の電気機関車からなるICE1だった。最高速度250㎞。1両屋根の高い車両があるが、これは8号車の食堂車だ。レストランとビストロが厨房を挟んで設置されている豪華な列車である。



 日本の新幹線やフランスのTGVに比べると、少し地味な感じのするICEではある。また、1998年にエシェデで重大事故を起こしたことも記憶に残っている。時速200㎞で走行中に弾性車輪が破断して引き起こした事故だった。100名余りの人が亡くなったと聞くが、日本の新幹線だったら桁が違っていたなと思ったものだ。それでも技術立国の看板列車である。一度は乗ってみたい憧れの超特急だ。

(2015/8/22 見学)

2015年8月5日水曜日

福井の鉄道 これぞ日本の Stadtbahn だ!

 無節操で影響を受けやすい筆者は、この夏のドイツ旅行以来、すっかりあの国の鉄道にかぶれてしまった。なかでもドイツ語で Stadtbahn と呼ばれる LRT は、路面電車と近郊鉄道線を融合させた、経済的にも技術的にも優れたもので、その上地下鉄までもカバーする変幻自在の鉄道だった。
 そのドイツ旅行の2週間前に訪れた福井鉄道も、近年フクラムの愛称で親しまれる新型車両を51年ぶりに導入して話題となっている。地下鉄区間こそないものの、福井鉄道は Stadtbahn として見た場合、きわめて多くの共通点を持っている。富山の LRT とはひと味もふた味も違う、福井鉄道の魅力を紹介する。

越前武生駅 沿線随一の本格的
な駅舎とホームを備えている。
右は現在主力の一つ770形。左は
かつての花形急行用200形。  

 福井鉄道福武線は、越前武生と福井市を結ぶ全長21.4㎞の鉄道である。武生といえばかつて越前国の国府があった歴史ある町で、『源氏物語』の作者紫式部も受領の父親に連れられてここで少女時代を過ごしたことでも有名な土地だ。昭和20年に福武電気鉄道と鯖浦電気鉄道が合併して福井鉄道となったことから、本社は現在でも武生にある。つまり、武生から福井市に進出した鉄道なのである。一方の福井は一乗谷の朝倉氏が滅亡した後、柴田勝家が領有して以来の土地柄であり、幕末に俊才の誉れ高い松平春嶽を輩出したとはいえ、歴史では武生の後塵を拝するところと言える。
福井駅前から市役所前に進入する
急行越前武生行。この後一旦通り
過ぎてからスイッチバックして、
こちら側の線路に転線し、乗客を
乗せてから、左手前方に向かって
進んでいく。         

 それが影響しているわけでもないだろうが、面白いことに越前武生から赤十字前・木田四ツ辻間にある鉄軌道分界点までの18.1㎞は鉄道区間、その先の福井市街地区間3.3㎞は軌道区間つまり路面電車扱いとなっている。ここがまさに日本の Stadtbahn というべきところなのである。都市間を結ぶ近郊型の鉄道と市街地に適した路面電車との融合である。
 路面電車区間は市役所前で福井駅前方面と田原町方面に分岐するが、その分岐の仕方が若奇妙なのだ。常識的に考えると、福井駅前から武生を結び、途中から田原町方面に支線で分岐させるほうが運行しやすい筈だ。ところがここでは、そうなっていない。福井駅前を出た電車は市役所前で一旦停車し、一旦通り過ぎてスイッチバックしてから武生に向かうのである。いったいどうしてこんな面倒な配線にしたのだろうか。それは市役所前が福井駅前以上に重要であり、スイッチバックさせても経由する必要があったからだろう。電停レベルのホームでありながら、地下道で通じている位の主要駅である。
FUKURAMはFUKUIとTRAMの
合成語。福井駅前にて。左後方
に改築中のJR福井駅が見える。
将来はここまで延長される。 

 それに対して福井駅前は簡素なものだ。道幅が狭いこともあって、市役所前で分岐するとすぐに単線になってしまう。現在、JR福井駅が大改修中で、その完成にあわせて福井駅前も乗り換えやすいように移動することになっている。おそらく新駅には2本の電車が停まれるようになるだろうから、田原町でのえちぜん鉄道への乗り入れ工事が進んでいることも考え合わせると、今後はもっと賑やかな駅前となることだろう。そしてそこで大活躍するのはFUKURAMことF1000形超低床車であろう。現在2編成が活躍している。新しい車両は街並みにすっかり溶け込んでいる。3両編成で、全ての車両に台車が付いているので、間に吊られる形の付随車両を挟めばもっと定員が増えるはずだが、そこまでの需要はなかったのだろう。

普通の電車が道路との併用軌道を走
る。これが人気の秘密。     
市役所前にて。

 ところで福井鉄道が多くの人を惹きつけたのは、FUKURAM 同様に編成の長い本格的な電車が、51年も前から路面電車区間を走っていたからである。
 昭和35年に福武線の急行車両として登場した200形は、2両編成ながら本格的な電車列車であり、当時流行だった湘南電車と同じ風貌を身につけた格好良い電車であるばかりでなく、車輪に直接モーターを取り付けるのではなく、振動が伝わりにくいカルダン式という新しい技術で造られた電車であったことも人気の秘訣だった。しかも、小田急のロマンスカーにも採用された連接式車体といって、車体と車体の連結部に台車を配するという最先端の電車だった。この方式は、車体と車体が一体化しているので、振動が抑えられて乗り心地がよいという特徴がある。
連接車両の台車。コイルに挟まれ
たオイルダンパが揺れを更に低減
させる。地方私鉄とは思えない最
先端の技術が導入されていた。 

 鉄道部門は赤字を抱えて苦戦している福井鉄道だが、常に時代の最先端を導入するという点において、実に腹の据わった鉄道会社だということができよう。51年も走り続けて、もはや引退目前の200形だ。今回、福井に来てこの電車の走る姿に出会えたのは誠に幸福だった。
 現在数多く在籍する路面電車型の2両連結車両は、名古屋鉄道からのお下がりで、廃止となった岐阜市内線から回ってきたものだ。出入り口部分にステップがついた770形は、200形と同じように連接車である。製造後20年程度の比較的新しく状態の良い車両といえる。
 福井鉄道に限らず、豪雪地帯のこの地方では、単線区間から複線区間になる所、特に交換施設のある駅の両側の分岐器には、スノーシェッドが設置されている。分岐器は雪に弱いからだが、出来るだけ除雪に人の手を掛けたくないという、地方鉄道固有の事情もあるのだろう。JR北海道の閑散地域ではよく見掛けるが、本州では珍しいのではないだろうか。
 LRTが普及する北陸地方にあっても、その先見性という点で異彩を放つ福井鉄道。営業成績が良くない中で、奮闘する姿を見ていると、ぜひ応援したくなる。
(2015/8/5 乗車)

 【注】ドイツから帰国後にまとめたため、その経験が反映された内容となっている。