2019年9月10日火曜日

これも鉄道です

今更ながら鉄道とは

 「電車好きなんですね」とよく言われるが、「いいえ」と答えると不思議な顔をされる。世間の人にとって鉄道=電車なのだから仕方ないとは思いつつも、それをさらっと受け流せないのは、 通勤電車を始めとして、いわゆる都市近郊の電車に心ときめかない鉄道愛好家としてのささやかなこだわりなのだろう。
 実際乗って楽しいのは、機関車に牽引される客車列車であったり、電化されてない路線を走るディーゼルカーであったりする。楽しみを求め、更に日本の鉄道全線を乗り尽くそうとすると、こんな鉄道もあるのかと、驚くことも多々ある。

 身近なところから言えばモノレール。首都圏で暮らす人なら羽田空港を利用する際に乗る人も多いだろう。駅では「間もなく電車が参ります」とアナウンスするくらい、歴とした電車。二本の鉄路でなくても電気で走るから電車なのだという理屈なのだろうが、よくよく考えると、そもそもモノレールの走る道は鉄道なのかと突っ込みたくなる。あれはどう見てもコンクリート道だし。

 鉄道はrailway,railroadを訳したものだ。そもそもrailに鉄の意味など全くない。牧場の柵などの横棒であったり、カーテンレールであったり、長いガイドウェイのことである。だから線路の方が正確な翻訳に近いが、そこを敢えて鉄道とした先人の語感の鋭さには舌を巻く。馬車すらなく、ろくな道の無かった日本に、鉄製の道さえ敷けば、大量輸送機関が完成したのだから、その感動を名前に生かしたのだろう。舗装道路よりも先に鉄道が発達したために、ローカル線が今に残るわけだが、それはまた別の話。

 とにかく、鉄道は鉄の道である必要はない。線路さえあれば良いという話だ。

乗り尽くしの旅で出会った Railway達 
<トロリーバス>

トロリーバス時代の扇沢 2016年
最近めっきりみかけなくなったトロリーバス。見掛けは自動車そのものだが、架線から離れては動けないので鉄道だ。写真は立山黒部アルペンルートの関電トンネルのものだが、今年からはバッテリー駆動の電気自動車になり、扇沢で急速充電する時以外は、架線から解放された結果、鉄道ではなくなってしまった。つまり、鉄道愛好家からすれば廃線。私の乗車記録も6.1キロ減ってしまったことになる。
 従って現存するトロリーバスは、立山黒部貫光無軌条電車の3.7㎞のみとなった。どちらも本格的な鉄道を敷くには資金が掛かりすぎ、国立公園内では排気ガスを出したくないという事情で導入されたものだ。
1968年東京池袋・六又ロータリー
ポールを下げたトロリーバス  
 戦後には大都市でも、路面電車よりも建設資金が少なくて済むという理由から、トロリーバスが走っていたところがある。東京では明治通り沿いに、品川〜池袋〜亀戸間で運行されていた。たしか池袋を起点に運行系統が分かれていたと記憶している。池袋六又ロータリー付近に明治通りと山手貨物線の交叉する踏切があったため、電圧の違いから架線が張れず、ディーゼルエンジンで走行する区間があったのだ。渋谷方面のトロリーバスにはエンジンはなく、浅草方面のトロリーバスは踏切を通過する際ポールを下げ、渡りきったところでポールを架線に戻す作業を行っていた。運転台脇には、ディーゼルエンジンを収めた大きなドームがあった様に記憶している。


<ガイドウェイバス>

バスそのものだが…軌道の中を
走っている         
 名古屋ゆとりーとラインの車両は、まさにバスそのものである。専用軌道を走る際には、バスの車輪脇から小さなガイド車輪が現れて、ガイド用レールに沿って走る。だからハンドル操作はいらない。多くの鉄道ファンはこのシステムを見ても「萌えない」だろうが、鉄道の乗り尽くしを目指す者にとっては、実に物珍しく楽しい旅となる。なお、大曽根・小幡緑地間の都市部が専用軌道区間であり、その先の高蔵寺までの郊外区間はガイド車輪を引き込み、県道を普通の路線バスとして走る。
小さなガイド車輪が付いている

 マイカー王国の名古屋が生んだ、渋滞のない奇抜で画期的な鉄道といえる。正式名はガイドウェイバス志段味線というから、運行会社としてはバスだと考えているのだろうが、法律上は鉄道扱いという特殊なケースである。


<スカイレール>

 ところでロープウェイには rail がないので、鉄道とは言わず索道という。そのロープウェイに瓜二つの鉄道がある。広島のスカイレールサービスだ。

JR瀬野駅を降りると、急峻な崖に
何やら不思議なものが…    
 広島は周囲を山に囲まれた都会である。広島市の郊外、山陽本線の瀬野駅から山腹・山頂に掛けてお洒落な住宅街が広がっているが、そこにあるのがスカイレールである。
 瀬野といえば、瀬野八と呼ばれる山陽本線最大の難所・急勾配区間がある区間として有名だ。八本松までの区間を、現在は高性能な電車が軽快に行き来しているが、長大な貨物列車は今でも、補機を編成の後ろに付けて、プシュプル運転が行われている。それくらいの土地柄だから、山腹に広がる住宅地に行くのは容易ではない。
 広島にはアストラムラインと呼ばれる新交通システムもあるが、こちらは車輪がゴムタイヤだから急坂に強い。広島には登山できる鉄道が必要なのだ。

見た目はロープウェイのゴンドラ
そのもの みどり中央駅にて  
 さてこのスカイレール、瀬野駅に隣接したみどり口駅を出るといきなり急勾配を登り始める。途中に一駅を挟み、終点みどり中央駅まで1.3㎞。標高差160㍍で最大勾配は263‰もある。それだけに展望は抜群で、特にみどり中央駅から下る時がスリリングで面白い。眼下に住宅街と瀬野駅までモノレールのような軌道が続き、この鉄道の全貌が見渡せる。ちなみに車両そのものは自走式ではなく、駅間は軌道内に収められたワイヤーロープで駆動し、駅構内はリニアモーターだというから、ケーブルカーのような、モノレールのような、ロープウェイのような、時にリニアモーターカーのような、他に類を見ない新感覚の鉄道と言える。
眼下に広がる住宅街を囲い込む
ように瀬野駅まで下っていく 

(2019/9/10記)

2019年7月19日金曜日

日本で唯一、鉄道の走る遊園地

線路を走れば鉄道…というわけではない

 東京ディズニーランドのウエスタン・リバー鉄道は、本格的な蒸気機関車が魅力だが、いわゆる鉄道事業法に基づく鉄道ではなく、遊戯施設の一部と見なされている。一方で、東京ディズニーリゾートの各施設を結ぶディズニーリゾートラインは、れっきとした鉄道という位置付けだ。リゾートラインで移動してからTDLなりTDSなりに入場するわけだから、まあこれは納得できる。施設の内部か外部かで分けるというのが鉄道事業法の考え方なのだろう。 
 だから、北海道・丸瀬布森林公園いこいの森を走る森林鉄道も、静岡県修善寺・虹の郷を走るロムニー鉄道も、愛知県犬山市・明治村を走る蒸気機関車や京都市電も、すべてかつては実際に活躍した鉄道そのものだが、今はみな遊戯施設なり保存鉄道の扱いである。すべて施設内にあるからだ。 

 しかしどんなものにも例外はつきものだ。施設内にあって、入場料を払わないと乗れない鉄道が、日本全国に三カ所ある、と私は思う。いずれもケーブルカーだ。

 本州の北端、青森県竜飛岬にある青函トンネル記念館。冬の間は雪に閉ざされて閉館となるその施設には、海面下140㍍にある旧竜飛海底駅まで、250‰の勾配をケーブルカーが結んでいる。正式名称は青函トンネル竜飛斜坑線。世紀の大工事といわれた青函トンネル建設のために造られたものだから、当初は工事用のインクラインだったものと思われる。完成後は海底駅と地上とを結ぶものとして、一般客を運ぶようになった。現在はトンネル記念館による「体験坑道」のアトラクションとして活躍している。入館料400円、体験坑道乗車券1000円。 

 二つめは、京都北山の鞍馬寺。足の弱い人・高齢者の参拝のために造られたケーブルカーがある。山門で愛山費(拝観料)を納めてから入山し、ケーブル寄進200円を納めて乗車させて頂く。これについては「鉄道会社はお寺さん」でも触れたので繰り返さない。 

 最後が、大分県別府の遊園地ラクテンチのケーブルカーだ。

おじさん、一人で遊園地へ

乗客を残し列車を去る運転手
 私が訪れた日はあいにくの荒天だった。阿蘇から大分までの豊肥本線では列車に遅れが出るばかりでなく、乗っていた列車が途中大雨のために突然止まり、運転手が聞き取りにくい言葉で何やら言うとそのまま列車を降りてしまった。列車無線が通じないのか、携帯電話を持ち合わせていないのか、運転手は最寄りの駅まで歩いて行ってしまった。車内に取り残されたのはわずか三人。人家も比較的近く、路盤が崩れそうでもなかったので、恐怖感こそなかったものの、事情も分からず、なかなか戻らない運転手を待つ身としては心細くもあった。しばらくしてずぶ濡れのまま戻ってきた運転手は、またブツブツ言いながら低速で列車を走らせ始めた。ことばが聞き取れないので、結局真相は不明のままだ。
 このままでは豊後竹田からの連絡列車にも、また大分からの列車にも乗り遅れて、ラクテンチが閉園時間を迎えてしまう。そもそもこんな雨の中、遊園地などやっているのだろうかという不安も募ってくる。 
 付近一帯のすべての列車が遅れていたため、なんとか別府まではたどり着くことが出来た。時間も惜しい上に雨も降っていたので、ラクテンチまではタクシーを奮発する。
 それにしても、こんな雨降りの日に、おじさん一人が遊園地まで行くというのは、なんとも気恥ずかしい。こちらの気持ちを察したのかどうか、運転手さんが 
「ビジネスですか?」 
と尋ねてくる。
 おいおい、どう見たってリュックを背負ってカメラぶら下げた私服男がビジネスマンに見えますか。とはいえ、まさか、
「日本全国の鉄道に乗るのが趣味で、そのためにはこの遊園地のケーブルカーに乗らなければならないのです」
などどいえようか。そんなことを言ったら最後、
「なるほど! すべての鉄道に乗るためには、日本中の遊園地にを訪ね、すべての線路を踏破し、従ってジェットコースターやら、おとぎの電車やらに乗りまくるのですね。デパートの屋上のもですか…」
と矢継ぎ早に質問されてしまうに違いない。そうでないことを納得させる自信はなかった。人の良さそうな運転手さんには申し訳ないが、咄嗟に出たことばはこうだった。 
「はい。こんな雨降りですから、仕事でもなければ誰も行かないですよね」 
よくもまあ、スラスラと嘘がつけるものだと、半ばあきれているうちにラクテンチ入り口に着いた。
 来場者は私以外誰もいないが、土産物ショップの灯りが付いているし、入場券窓口のお姉さんもこちらを見ている。やった! 開いている。 
 お金を支払い、タクシーを降りる。そのまま入場券窓口に進む私の背中を、タクシー運転手は不思議な思いで見つめているだろうなあと感じながらも、ここで怯んではいけないと心を強く持って、その視線を振り払う。ここで逃したら、次は一体いつ来られることだろうか。 
おとぎの国の
ケーブルカー

 ケーブルカーに乗車したのは私ひとりだった。ガイド役の女性乗務員と二人っきり。ほぼ空箱のような車両が動き始める。 
「残念ながら今は、ワンちゃん・ネコちゃん姿ではなくなってしまったのですが」 
と申し訳なさそうに乗務員が説明する。先月までは、生駒ケーブルのように運転台が動物の顔になっていたのだ。よかった! それでなくとも恥ずかしい思いで一杯だったのだ。中間地点で擦れ違った車両には、女性乗務員以外は誰も乗っていなかった。彼女は、こちらに向かって思い切りの笑顔で手を振ってくれる。私はただ一人の来園者なのかもしれない。ああ! 注目されている。早く終点に着いてくれ。到底、手を振り返す勇気などなかった。
 山頂に着くと、ラクテンチの制服を着た係員が笑顔で、 
「ようこそ、ラクテンチへ」 
と明るく声を掛けてくれる。ここはまさに遊園地なのだ。ふと見ると、親子二人連れが動いていない観覧車の辺りに所在なく佇んでいた。まだ雨が少し残っている。山は厚い雨雲に閉ざされていた。 
 晴れていれば別府湾の絶景が楽しめそうな、谷をまたぐ吊り橋も、悪天候のため鎖が下ろされ通行止め。昔懐かしい回転木馬も、高低差があまりなく小さな子どもが楽しめるジェットコースターも、すべてが止まっている。わずかにひとけが感じられるのは、レストランと売店で、そこには手持ち無沙汰の従業員が、閉園時間をひたすら待っているのだった。客のいない遊園地で、ただうろうろ歩いているおじさんは迷惑者以外のなにものでもない。そうはいっても入園料だけは払ったのだからと、小雨に濡れながら一通り園内を歩いたあと、ケーブルに戻った。最終の1本前まで、まだ10分ほどある。再び外に出ると、ベランダが展望台になっていた。 
どこまでも真っ直ぐな
「流川通」


 ケーブル駅から見下ろす別府の街は、思いの外見応えがあった。下からは折り返しが登ってくる。まっすぐ下界まで続くケーブル路線の先は、これまた真っ直ぐに海まで続く道だった。灰色に煙る別府湾は空と見分けがつかない。高い場所から眺めているのに、目の錯覚だろうか、天に昇る道に見えた。まさにここは楽天地だ。

 
(2019/7/19乗車) 

2018年5月30日水曜日

高熱隧道を行く【序】黒部峡谷鉄道に乗って

発端

 黒部川の電源開発といえば、石原裕次郎・三船敏郎主演の映画『黒部の太陽』が有名だ。黒四ダム建設のために数多くの犠牲者を出したものの、不屈の努力によって北アルプスを掘り抜くという、戦後日本の高度経済成長を象徴する作品であり、そこには輝かしい将来に立ち向かう肯定的な人生観があった。
 一方で吉村昭の『高熱隧道』(新潮文庫)は、日中戦争が厳しさを増し太平洋に戦端が開かれつつあるきな臭い時代に、黒三ダム建設のために大自然と闘う男達の、健気だが無謀ともいえる執念が描かれる、そら恐ろしい記録文学である。どちらも、従事した人々がいてくれたからこそ、今日の我々の暮らしが支えられていることを教えてくれるのだが、吉村が描く世界は、否定的な要素を含めつつ、それだけでは済まされない複雑な問題を投げ掛ける。黒部の光と影。
 どうしても高熱隧道に行ってみたかった。

抽選

 現在、黒四ダムへは3つのルートがある。今更言うまでもないが、有名な立山黒部アルペンルートは、大町ルートと立山ルートを繋いだもので、長野県信濃大町から富山県富山市を結び、年間100万人の観光客が訪れる日本を代表する観光地である。三千㍍を越えるアルプスの絶景を堪能するために、二つのケーブルカー、二つのトロリーバス、高原バスやロープウェイなどを乗り継ぎ、そこに至るためにバスや電車まで含めると、総額で10,850円かかることでも有名だ。高額だと批判されることもあるけれど、スイスの登山鉄道の方がよほど高いと思うのだが、それはさておき、いつ訪れても人で溢れているので、乗り継ぎに時間が掛かることは覚悟した方がよい。
 さて、残りのもう一つがふつう観光客が立ち寄れない黒部ルートだ。ここに目指す高熱隧道がある。黒部川第三発電所・第四発電所のために造られたもので、関西電力関係者しか利用できないのだが、コネのない一般人でも方法が一つだけある。公募見学会に申し込むのである。
 見学会は、5月下旬から10月下旬にかけて34回実施され、黒四ダムと下流の欅平の2カ所から出発する。それぞれ定員30名だから、年間2000人余りの人が参加可能だ。自由に休暇の取れない会社勤めには厳しいかもしれない。ただし知る人ぞ知る(換言すれば、あまり知られていない)見学会なので、せっせと応募ハガキを出してみる価値はある。
 昨年は7月のとある回に当たった。あいにく集中豪雨で流れてしまったが。臥薪嘗胆の思いで、今年もハガキを出したところ、見事第2回に当選。梅雨の時期だが、トンネルに天気は無関係。心は舞い上がる。

集合

 当選通知と共に送られてきた〈見学会参加のしおり〉には、

   9時20分 黒部峡谷鉄道 欅平駅2階食堂集合

とある。その時間に間に合うためには、遅くとも富山地方鉄道・電鉄富山駅5時58分発普通宇奈月温泉行に乗り、黒部峡谷鉄道・宇奈月駅7時57分発の始発に乗り継ぐ必要があった。
 黒部峡谷鉄道に乗るのは、実に54年ぶり。その時は途中の鐘釣駅までの往復だった。まだ小学校の低学年だった私は、「命の保証はしません」という伝説のトロッコには、正直乗りたくないという不安な思いでいっぱいだったが、いったん乗ってしまえば、次々に現れる急流と巨大なダムに目を奪われ、今でも風景が頭に浮かぶほど夢中になった鉄道である。日本の鉄道にすべて乗り尽くそうという身にとっては、このアプローチも楽しみの一つだ。
 
電気機関車牽引であるからには、トロッコ列車と
呼ぶのがふさわしい。            

「トロッコ電車」の愛称で人気の高い黒部峡谷鉄道だが、鉄道愛好家としてはどうしてもこのネーミングに違和感を感じる。最近ではディーゼルカーのことも「このデンシャは○○行です」なんてアナウンスする鉄道員がいるくらいだから、電気で走るものを電車と呼ぶくらい我慢しなければいけないのかもしれない。だったらHVやEVも電車なんだなと突っ込みの一つでも入れたくなる。
 それはさておき、線路幅が762㎜しかないナローゲージのトロッコ列車は、遊園地の乗り物のような可愛らしさとは無縁の、実によい面構えの重厚な豆列車である。森林鉄道のような軽便鉄道とも異なり、英国のロムニー鉄道と同じ本格的なナローゲージといえる。電源開発という重厚長大なプロジェクトを支える鉄道だからである。今も定期の旅客列車が片道12本あるのに対し、関西電力専用列車は7本走っている。

 黒部ルート見学者には、公募見学委員会事務局の計らいによって、あらかじめリラックス車両が予約されている。客車は3等制で、壁も窓もないオープン型の普通客車、窓付きの特別客車、更に背もたれ付きのリラックス客車がある。トロッコというからには、オープン型がふさわしいだろうと、事前に連絡して、グレードダウンしておいた。ちなみに工事関係者は全員、リラックス客車に乗っていた。えっ?と一瞬思ったが、考えてみれば当たり前のことである。彼らは風景を楽しみに乗車しているわけではないのだから。
 指定された1号車に乗車したのは、私ひとりだった。ホームを歩く観光客は、皆もの珍しそうにニヤニヤ笑いながらオープン客車を眺め、後ろの方に繋がれたリラックス客車へと向かっていく。この季節、寒さに震えながら、雨が降ればずぶ濡れになる車両に、何を好き好んで乗るのだろうと思っているに違いない。少しばかり恥ずかしい。が、右も左もすべての風景独り占めだ!
 
ヨーロッパの古城を思わせる新柳河原発電所(黒一)
赤い綺麗な鉄橋が特徴の黒部川第二発電所、どちらに
も峡谷鉄道の引き込み線が繋がっている。             

 列車は定刻通り出発。最初のトンネルを抜けると緑深い谷に架かる真っ赤な新山彦橋をゆっくりと渡っていく。黒部の山は、思っていた以上に大きく険しい。このあたりは標高がそれほど高くなく樹木が鬱蒼と生い茂っているので、一見穏やかな風景に見えるが、見上げると覆い被さるように迫ってくる。橋を渡りきると、切り立った岩にくり抜かれたトンネルが待っている。
 宇奈月ダムや新柳河原発電所、うなづき湖の脇を列車は進む。対岸には宇奈月温泉へ温泉水を送る導水管が続いている。源泉は黒薙温泉なのだそうだ。人造湖が猿の生活圏を変えてしまわぬよう、猿専用の吊り橋まである。人間さま用と違って欄干がない。とても歩けるようなものには見えなかった。湖面はしだいに細くなって、黒部川らしい流れになってきた。水の色はコバルトブルーである。 
 宇奈月から25分、列車は黒部川からいったん離れ、支流の黒薙川に沿って進む。
 ところで黒部は渓谷ではなく峡谷である。それほど谷の両脇が切り立った壁となりV字谷を形作っているのだが、中でも黒薙川は最初に現れる峡谷といえる。この黒薙川に架かる橋が、ポスターでもお馴染みの後曳橋だ。高さ60㍍、長さ64㍍の水色の鉄橋が、一体どうやって掘りはじめたのかと思われるような足場のない岩壁に穿たれたトンネルへと続いている。
 黒薙川の上流には、秘境の一軒宿の黒薙温泉と黒薙発電所がある。発電所までは黒薙支線が続いているが、残念ながら旅客扱いはしていない。

絶壁に張り付いた黒薙駅(右)を出ると、列車は
すぐに後曳橋を渡り、トンネルに吸い込まれる。 

 トンネルを抜けると再び黒部川に戻り、川岸に大小様々な白く綺麗な岩が転がっているのが見える。川の水の色は、清流本来の色に加えて、太陽光が水中の岩に反射して混ざり合い、美しいコバルトブルーになるのだそうだ。
 宇奈月から黒部川右岸をずっと遡行してきたトロッコ列車の前方に、やがて寺の鐘のような巨大な山が二つ見えてくる。東鐘釣山と西鐘釣山である。渓流はその間を流れている。二つの山に穿たれたトンネルの間に鐘釣橋が架かり、ここからは左岸を遡って行く。辺り一帯は錦繍関と呼ばれ、紅葉の名所だという。高山に雪が降り、あたり一帯が紅葉に包まれる季節に再訪したいものだ。

鐘釣橋とスイッチバック式鐘釣駅

 鐘釣駅から先が未乗区間である。55年前の記憶があるのはここまでだ。新たに出来た新柳河原発電所は別にして、記憶に大きな違いがなかったのは驚きだった。思い出がごちゃ混ぜになっていたのは、二つの鐘釣山の間に後曳橋が架かっていると勘違いしていたこと。どちらも印象深い絶景ポイントなので、半世紀の間、トロッコ列車の象徴として記憶されていたのだろう。
 ただ一つ大きな変化があった。半世紀前は今ほど、雪除け・落石除けトンネルがなかったことだ。トンネルは、谷底側にH鋼で柱を建て上部を塞いだだけのもの。これがあるおかげで、冬期も落雪から線路を守り、架線や線路を取り外す区間を少なくすることが出来るようになったのだろう。それによって渓流の眺めが大きく損なわれるものではない。人の目が不思議なのは、隙間から眺める風景であっても、脳が上手に障害物を情報処理して、ちゃんと美しいと認識することだ。ただし、カメラはそうはいかず、いつまでも柱が写り込む。車窓からのシャッターチャンスは確実に難度が上がったと思う。

冬期歩道とその内部
黒部の冬は厳しく、深く積もる雪のために峡谷鉄道は
12月から4月までは運休となる。その間も電力関係者
は宇奈月・欅平間20.1㎞を通わなければならない。そ
のために用意されているのが冬期歩道。こんな狭い穴
蔵を6時間掛けて歩くのだという。        

 万年雪のある鐘釣から先、黒部川の川幅はますます狭まり、見上げれば首が痛くなるようなV字谷となる。第二発電所に送水するために造られた小屋平ダムの脇を通って、9時12分、終点欅平駅に着く。この先、峡谷は更に狭まり、うねるような急流となるため、もはや線路を敷くような場所はどこにもない。

黒部川第三発電所のすぐ上に造られた欅平駅。
土地が狭いため、二列車が縦に並ぶよう、長い
プラットフォームが設けられている。    
(2018/5/30乗車)



付録

54年前に乗車したトロッコ列車
平成6年まで使われていた。
(北陸新幹線黒部宇奈月温泉駅前広場に展示)

黒部峡谷鉄道100周年記念レリーフ
新旧電気機関車・新柳河原発電所・後曳橋
(宇奈月駅改札口に展示)

高熱隧道を行く【破】センター・オブ・ジアース !?

準備

「リュックの中身が見えるよう、開いてそこに置き、その場に立って下さい」
と言って、やおら取り出したのは金属製の丸い輪っか、ハンディタイプの金属探知機である。なんだか物々しいぞ、と思う間もなく、あっという間にボディチェックにパスして、赤いシールと紙の帽子を手渡される。
「あなたは赤グループです。適当な所にお座り下さい」

 欅平駅二階のレストランに集まったのは、ほとんどが中高年で若者は数名しかいない。世の中、時間的富裕層は限られている。本人確認のために公的身分証明書を提示し、ボディーチェックを30名全員が終えるのに、さほど時間は要しなかった。
 物々しさとは裏腹に、人の良さそうな恰幅の良い男性が案内人である。彼による見学会の説明と注意が始まった。レストランの柱に飾ってあった欅平散策コースの美しい写真パネルが裏返される。現れたのは、これから訪れる黒部コースの解説図だ。随分と手回しが良い。見学コースのほぼすべてが地中であり、発電所関係者や作業員だけが行くところなので、見学者も紙の帽子を被ってヘルメット着用し、指示には従うよう念を押された。
「トンネルで一番怖いのは火災です。万が一発生した場合は、この防煙マスクを着用して下さい。使い方は、まずヘルメットを脱ぎ、このようにマスクを装着してベルトを締め、再びヘルメットを被って、身を低くして脱出します。乗車するトロッコやバスの座席の下に設置してあります」
 まるで離陸前の機内アナウンスのようだ。ところが大きく違っている点があった。
「このマスクで数分間呼吸が可能です。」
 はあ? 何㎞もあるトンネルなのに数分じゃ脱出できないじゃないかと不安が募る。ところが恰幅のよい案内人はニコニコと笑っている。
「もっとも今まで一度も使われたことがありません」
毎回こうやって脅かしているのだなと、見学者達も気づき、笑いが広がる。なかなか口の達者な人である。だんだんと期待が高まってくる。
 考えてみれば、これから見学する所は、社会インフラとして重要な発電所とその関連施設なのだ。主催者がテロを警戒するのも当然のことだった。

上昇

 トロッコ列車の終点から先は関西電力の専用軌道となる。トンネルを500㍍ほど進んだところで、列車はバックし始めた。竪坑エレベーターの乗り口はスイッチバックした所にあった。どうしてこんな厄介なことをするのか、その理由はトロッコだけを上に持ち上げるためだろう。スムーズに作業するためには、機関車が先頭でない方が良い。
下部駅は標高600㍍
宇奈月からの線路が続いている

 竪坑エレベーターと黒部上部専用鉄道(上部軌道)は、仙人谷ダム(黒部第三ダム)建設のために計画された。日中戦争が泥沼化した時代、化石燃料のいらない水力発電は、電力事情の逼迫する当時の日本に於いては国家要請であり、人跡未踏の山岳地帯にトンネルをぶち抜くという難工事が始まった。

 欅平から仙人谷までは距離にして6.1㎞、標高差が250㍍ある。欅平の黒部第三発電所にとっては都合の良い落差であっても、約41‰という勾配は作業用トロッコには厳しい。そこで竪坑で一気に200㍍昇り、残りの50㍍は6.1㎞かけてゆっくり登ろうと考えたのである。
上部駅ではゴミ積載トロッコ
がエレベータを待っていた 

 昭和12年に完成した竪坑エレベーターは、現在は二代目のものだ。箱の中もにも線路が設置され、トロッコがそのまま積み込めるようになっている。最大積載量は4.5トン、人なら36人まで乗れる大型のエレベーターだ。昇ったところに欅平上部駅がある。


展望

 上部駅に隣接する欅平竪穴展望台に立ち寄った。ここからは黒部の深い谷からは見ることの出来ない後立山連峰の山々を垣間見ることが出来る。あいにくの曇天だったが、ガスもかからず、緑の山の奥に雪を頂いたアルプスの山々が顔を覗かせている。
 穴蔵の中をぐるぐると巡ってきたので、一瞬方向感覚を失ったが、しばらくして自分が黒部川右岸にいて、東向き立っていることがわかってきた。見慣れた長野側の風景を逆に眺めているのだ。
一番奥の雪山、手前の緑の山
に隠れて分かりずらいが、左
から白馬鑓、やや高いのが天
狗の頭(クリックして拡大し
て下さい)        

 左(北)側から、白馬槍、天狗の頭。南に目を転ずると、鹿島槍と爺ヶ岳。いずれも後ろ姿である。黒部川は深い谷底でここからは見えないが、川底から700㍍ある絶壁、奥鐘山の大岸壁が見える。いまは国の天然記念物に指定されている景勝地も、仙人谷ダム建設時には悲劇が起こった場所だ。作業員宿舎が泡(ほう)雪崩と呼ばれる爆発的表層雪崩に吹き飛ばされ、一山越えて大岸壁に激突し、数十名の命が一瞬に奪われた。
中央下に奥鐘山の大岸壁。奥の雪
山は、左が鹿島槍、右が爺ヶ岳。

*竪穴展望台と更にその上のパノラマ展望台へは、富山県や地元市町村・関西電力などがタイアップして実施しているツアーで行くことが可能。6月から11月までの金〜月、宇奈月から往復する。料金6,000円

      http://kurobe-panorama.jp/ 

隧道

車両の床面は高いので、勢いを
つけ過ぎると頭をぶつける  

 展望台から戻って、いよいよ今回の旅のお目当て、黒部上部軌道に乗車する。黒部峡谷鉄道とは違って、こちらのトロッコは蓄電池駆動の機関車が牽引するミニ鉄道だ。電気ならいくらでも利用出来る黒部なのに、電気機関車を使わないのにはもちろんわけがある。温泉地帯を通過するために、硫黄で架線が腐食して使い物にならないからである。高熱のため、ディーゼル機関車も燃料が発火する危険性があった。
隧道は狭く、素掘り区間が多い
高熱区間はこの先約5㎞の地点
欅平上部駅から仙人谷駅までの間6.1㎞をおよそ30分掛けてゆっくりと進む。その間、すべてがトンネルであり、しかも車内は狭い。説明会で渡された赤いシールは、1号車に乗車する10名であることを示している。身を屈めないと車内に入ることも出来ず、ヘルメットを被った訳がよく分かる。立ち上がることも、身動きすることも出来ない30分だ。
 案内人が隧道建設の苦労を語ってくれる。ほぼ吉村昭の『高熱隧道』に沿った話だが、現場で聞くだけに、グッとこみ上げてくるものがある。ここで亡くなった人がたくさんいるのだ。

 軌道トンネルは三つの工区に分かれて建設が始まった。事件は仙人谷に近い第1工区で起こった。掘り進めるとすぐに、硫黄の匂いと岩肌からあつい湯気が湧き出したのである。担当の建設会社は工事放棄し、トンネル工事に定評のある第2工区の佐藤工業が引き継いだ。この時点で岩盤の温度は65度に達していた。火薬取締法によるダイナマイトの使用制限温度は40度、すでに限界を超えていた。
 黒部の冷たい水を掛けながら掘り進む。水を掛けても掛けてもたちどころに熱湯と化す中、遂に岩盤の表面温度は160度に達し、ダイナマイトの自然発火による暴発で数多くの人が命を落とした。それにしても、どうしてこうまでして掘り進むのか。ぜひ、一読をお勧めする。私がここを訪れたいと思ったのは、先にも述べたように、この小説に出会ったからだ。外が見えずとも、身動きできずとも、この30分が苦痛であるはずはなかった。
 乗車して20分、案内人の『高熱隧道』話は続く。

硫黄のにおいが
たちこめる
「そろそろかな」
と言って、案内人がドアを開ける。あっという間に眼鏡が曇った。カメラのレンズを拭きたいが、身動きできない。硫黄の匂いが立ちこめる。素掘りのトンネルはうっすらと黄色い。犠牲者のことが頭をよぎる。安らかに…と心の中で祈る。
「今でもこの付近は40度以上あります。今日はもう少し高いようですね。」
ドアを開けるまで熱気に気付かなかったのは、この車両が耐熱構造になっているからだった。
「今はこのトンネルに並行して導水管が走っているために、トンネル自体の温度も下がっています」
 黒部の水は一年を通してとても冷たい。この水のおかげで電気も生まれ、トンネルも冷やされている。

「いやあ、今日は良い話を聞きました。前回訪れた際は、案内の方があまりおはなしにならなかったので…」
と、一人の中年男性がいたく感心している。どうやら高熱隧道の話は知らないまま見学していたようである。釈然としないが、山が見たくて参加している人がほとんどのようだ。

ダム
上部軌道は定期列車が
毎日4往復運行


 高熱隧道区間はおよそ500㍍。そこを過ぎると、沿線唯一の地上区間である先人谷駅に到着し、休憩する。ここは黒部川に架かる鉄橋に頑丈な屋根を設けた駅だ。この屋根のおかげで、どんなに雪深くとも上部軌道は運行可能という。
1940年竣工の仙人谷
ダム(日本の近代土木
遺産に指定)    

 駅の目の前には、黒部峡谷に抱かれた仙人谷ダムが圧倒的な存在感で迫ってくる。残雪を頂いたガンドウ尾根の真下には雪渓があり、三段に分かれた滝となって水が流れ落ち、黒部川と合流している。この豊富な水を利用したくて、多くの犠牲を払いながらも、ダムを造りたかったのだなとしみじみ思う。

 ダムと反対側は、深くて白くなめらかな谷底と清流である。水の多くは導水管を通って欅平の発電所に送られているから水量は少ないが、それだけに川底が透けて、コバルトブルーが際立っている。ダムの脇の窪みからは、今もわずかながら湯煙が上がっていた。

 この上部軌道には、今も一般人が乗ることは出来ない。したがって黒部に魅せられた登山家達は、黒部川流域に造られた水平歩道を利用してここまでやってくる。軌道に乗れば6.1㎞の道のりも、絶壁に造られた幅数十センチの歩道は13.6㎞になるという。関電関係者を除けば、上級登山者だけが見ることの出来る風景を、この見学会は見させてくれるのだった。
(2018/5/30乗車)

高熱隧道を行く【急】地上に戻る

学習

 高熱隧道を体験するという私自身の目的は果たしたものの、見学会主催者の本来の目的はここからだ。仙人谷駅での見学を終えて再び上部軌道に戻り、数百㍍乗車して着いた所が、黒部川第四発電所である。当ブログの趣旨とは異なるが、発電事業の理解のため、かくまでも手厚く体験会を用意してくれていることに敬意を表して、レポートを続けることにする。

 黒部ダムで取水された水は、後立山連峰に掘られた約10㎞の導水管によって赤岩岳の地中、黒四発電所との標高差471.5㍍地点にやってくる。ここから傾斜角47度・延長641㍍の水圧鉄管内を水が落下し、4台の発電機を回して、33万5千㌗の電力を生み出している。黒部水系全体では12の発電所によって90万㌗というから、いかに黒四発電所の規模が大きいかが分かる。しかも施設すべてが、地下にあるから驚きである。中部山岳国立公園の自然景観を損ねることなく、社会インフラとして日本経済を支えていることは、いくら強調してもし過ぎることはないだろう。だからこそ、関西電力もわざわざ体験会を実施しているのだ。
幅22㍍、高さ33㍍、奥行き117㍍
の発電所建屋        

 わざわざというのには理由がある。発電の制御はすべて遠隔操作であり、メンテナンスを除き、本来ここは無人の施設なのだそうだ。私のような暇人、しかも関電ユーザーでもない一個人相手に、決して安くないコストを掛けて案内してくれる…有り難いことである。このくらいのレポートを書かせて貰わないと罰が当たるというものだ。

 無人の発電所内は、整然として美しく巨大だった。4基の発電機の上には無駄とも思えるような天井の高い空間がある。発電機は大きな水車と発電装置から成り立っていおり、それらはすべて床下にあって、見えているのはほんの一部分に過ぎないのだという。この装置をつり上げるには大きな空間が必要であり、そのためのガントリークレーンが前後の壁に2台設置されていた。
部屋の上に発電機
下には水車がある

 発電所建屋を見た後、発電機の実態を体験するため、数階分階段を下る。分厚いガラス越しに発電機が見える。扉を開けると、回転する円筒形のシャフトから凄まじい轟音が聞こえてきた。一人一人、近くまで見学して良いという。こわごわと入室し、見上げると、発電コアが高速回転している。足下からは激しく水のぶつかる音がする。耳栓なしではあっという間に難聴になってしまう騒音レベルだ。

 かくも大がかりな発電施設だが、原発は1基で100万㌗というから、それに比べるといかにも効率の悪い感じもする。今では水力発電は日本全体でわずか9%を占めるに過ぎないのだ。しかし、今回学んだことで一番印象に残ったのは、この水力発電がクリーンエネルギーであるだけでなく、需要の増減に柔軟に対応できるシステムだということだ。急激な電力需要増加に対して、停止状態からフル発電まで、わずか3時間で可能なのだという。必要に応じて稼働できるという、実に資源を無駄にしない、まさにエコの原点のような水力発電は、これからも活躍が期待されることだろう。
 ということで、私を見学会に招待した関電の狙いは見事に達成できたのである。


歓声

左:インクラインとクレーン 右:傾斜角34度の軌道

 発電所を後に、再び地中の移動が開始される。発電所のある標高869㍍地点から1325㍍地点までをインクラインで一気に登る。この聞き慣れないインクラインとは、資材や作業員を運搬するための「ケーブルカー」もどきのことだ。昭和34年に造られたもので、黒部第四発電所の巨大施設はすべて、長野県側から関電トンネルと黒部トンネルを通り、このインクラインに載せられて下に降ろしたのだそうだ。だからこの昇降装置そのものも巨大だ。
 ふつうケーブルカーは傾斜にあわせて階段状に座席があるけれど、写真を見ても分かるように、軌道自体は34度の急斜面なのに、車体は水平になっている。直角三角形を逆さにした台車の上に客室が載っていると考えればわかりやすい。資材運搬の時は上のクレーンで客車を取り外せばよい。
 案内人はうまいことを言う。
「お客さんを乗せるのがケーブルカー、レールの上を走るので鉄道です。というわけで国土交通省の管轄。一方インクラインは、資材と作業員を運ぶ工事現場にあります。だからレールがあっても鉄道ではなく、厚生労働省の管轄」
 つまり厳密にはこのブログの守備範囲ではないということになるが、それは法律のはなしであって、これは紛れもないケーブルカーである。815㍍の距離を20分掛けて登っていく。時速3キロにも満たない超鈍足で進むうちに、中間地点で擦れ違った車両には、この日もう一組の黒部ルート見学会・黒部ダム集合グループが乗車していた。ゆっくりなので一人一人の顔まで見える。車内で一斉に歓声が上がり、あちらでも懸命に手を振ってくれている。見知らぬ同士とはいえ、こんな地底の世界で、希有な体験をしているという共通の思いが、心を揺すぶったのだろう。
 
帰還
黒部トンネルバスダイヤ
12:10発45着公募と記されている

 黒部ルート見学会もいよいよ大詰めを迎える。残るは黒部トンネル10.3㎞をバスで移動するだけである。途中、タル沢横坑で休憩があり外の景色が見られるという。ここは資材運搬のために掘られたトンネルのため、アルペンルートのような大量輸送が可能な施設はない。擦れ違えるところも限られているので、鉄道のようなダイアグラムが掲示されていた。鉄道の旅は終わったが、余韻を楽しませてもらっているかのようだ。ダンプカー1台が通れるような素掘りのトンネルが延々と続く。排ガスのための換気装置もなく、所々に掘られた横坑を利用しての自然換気だそうだ。
右奥の雪山が裏剱

 その横坑の一つに立ち寄る。バスを降りて50㍍ほど歩くと抗口に出る。柵越しに体を捻ると黒部の峡谷が見える。谷は深く川の流れは見えないが、十字峡のあたりだという。重なり合った山の一番奥に見える残雪の山が名峰、剱岳だ。こちらからの姿を裏剱と呼ぶのだそうだ。だいぶガスがかかってきた。雨が近いのだろう。
 再びバスに乗れば、ツアーも終わりに近づく。立山黒部アルペンルートの関電トンネルの下を潜り(と言っても見えるわけはないが)、大きくカーブを切ると右側から合流するトンネルがあった。天井に架線が張られているので、扇沢からのトロリーバスのものだと分かる。黒部ダムに到着したのだった。

 ヘルメットを返却してツアーは終了となった。関電の事務所脇の通路を出れば、そこは人でごった返すアルペンルートの真っ只中。ドアの外は黒部ダムである。雨脚が強く、立山連峰の山々が次第に雲に隠れていくような悪天候になっていた。
(2018/5/30)

2018年5月9日水曜日

日本一の絶景鉄道(ケーブル部門)

 これまでも何度となく触れたように、ケーブルカーは鉄道の仲間である。日本には一体どれほどのケーブルカーがあるのだろうと、思いつくままに北から順に数えてみたのが次のリストだ。厳密な名称ではなく、大雑把な場所で示したものもある。このほかにも旅館がエレベーター代わりに敷いた線路もあるのだが、ここでは一応鉄道法によって定められたものだけを取り上げてみた。

 青函トンネル記念館(青森)、黒部・立山(富山)、筑波山(茨城)、高尾山・御岳山(東京)、大山・箱根(神奈川)、十国峠(静岡)、坂本ケーブル(滋賀)、叡山ケーブル・鞍馬寺・天橋立(京都)、生駒山(奈良)、男山・信貴山(大阪)、高野山(和歌山)、妙見山・六甲山・摩耶山(兵庫)、八栗(香川)、皿倉山(福岡)、別府ラクテンチ(大分)

 このうち八栗と別府のケーブルには残念ながらまだ乗車したことがない。であるから、これから紹介するのはあくまでも中間報告、暫定レポートであることを言い訳のように記しておきたい。

「馬鹿と煙は高いところが好き」というのは、舞い上がって目立ちたがる者を揶揄した言い回しだが、目立ちたいとは思わないものの高いところは絶景がつきものだから是非訪れてみたいもの。ケーブルカーの魅力はそれに尽きると言っても良い。
妙見山のケーブルカー
乗車中の車両は左側を通ります。

 と記すと、青函トンネル記念館のケーブルカーは地下200㍍まで潜るためのものだと、突っ込みを入れられそうである。確かに…ほかにも黒部のケーブルも全線トンネルの中。
 まあ、例外はあるにせよ概ねケーブルカーは見晴らしが良いものだ…と記しておくが、実は周囲の樹木に遮られて、山頂の展望台まで少し歩かないと絶景にお目にかかれないというのが大半である。乗車している人達も、一番面白がっているのは、中間地点での擦れ違いであったりする。あの変なポイントはどうなっているのだろうか。どうして車両はぶつからずに左右に分かれるのだろうかと思いながら眺めているのは楽しいものだ。

 
 そのような中で、正真正銘の絶景鉄道といえば、間違いなくここだ。




 日本三景の中で、ケーブルカーから眺められるのはここ、天橋立だけ。お勧めです!
なお、山頂に着いたら是非有名な「天橋立、股除き」に挑戦しましょう。馬鹿にせず、恥ずかしがらずにやってみると、本当に感動します。不思議なことに、撮影した写真を逆さにしてもあの感動はないのです。お試しあれ!
(2018/5/9乗車)

鉄道会社はお寺さん

鞍馬寺本堂を目指す

 京都北山の鞍馬寺といえば、鞍馬天狗か牛若丸かというほどに、昔からヒーローとの関わりが深い。年配の方々ならば、ついでに「とん、とん、とんまの天狗さん♫」を思い出すかもしれないが、もちろんこれは鞍馬天狗のパロディ。オロナイン軟膏のお世話にもなりました。それはともかく、天狗から武芸を教わった牛若丸、もとい義経を含めて、鞍馬は天狗関係者の住み処である。だから鞍馬の駅を降りると、まずは真っ赤な天狗がお出迎えしてくれる。
叡山電鉄鞍馬駅前

 駅から山門までは歩いてすぐだが、そこから本堂までが実に遠い。清少納言が『枕草子』で記したように、「近うて遠きもの、くらまのつづらをりという道」というくらい、山登りを覚悟する必要がある。つづら折りとは鞍馬寺の参道のことで、途中には鞍馬の火祭で有名な由岐神社や義経ゆかりの場所がある。参拝しながら歩いて登り、本堂にお参りした後は奥の院を通って貴船神社までトレッキングするのが、鞍馬寺参拝のお約束みたいになっている。山歩きの苦手な、か弱い平安女性じゃあるまいし、だからこんなところにケーブルカーがあるなどとは、ちっとも知らなかった。
 しかし、今私は全国の鉄道すべてに乗らねばならないという修行の身である。そこに鉄道があるなんて知らなかったで済む話ではない。由岐神社も義経供養塔も吹っ飛ばし、平安女性よりも安直に、鞍馬寺本堂を目指さなければならなかったのだ。
普明殿

 こうして若葉の美しい季節の夕方、鞍馬寺の山門までやって来た。ケーブルの最終は16時半である。日没は19時だから少々早い気もするが、連休を終えて人もまばらだから仕方ない。受付で拝観料を払おうとすると、
「16時で本堂は閉まっています。ですからお金は頂きません。どうぞそのまま参拝して下さい。ケーブルの最終は16時半ですよ」と、再現不能の優しい京都なまりで説明してくれた。それにしても本堂が閉まった後にケーブルに乗る人なんているのだろうか。

 山門からすぐの所に普明殿という建物があった。過去には素通りしていたところだ。鉄筋コンクリート造りの、まるで休息所のような雰囲気だから、これからつづら折りを目指そうと張り切っている者には関心が沸くような場所ではないので、見落としていた。なんとここが駅だったのだ。建物入り口には「普明殿」とあるものの、正式名「山門駅」などとはどこにも記されていない。どこの観光地でも、ぜひお金を遣って貰おうと「ケーブル乗り場」とか「近道こちら」とか、うるさいほどの看板が立ててあるものだが、やはりここは聖域らしく金儲けの札はどこにもない。
 ふと入り口脇の掲示板を見てみると、様々な宗教行事のお知らせの下に、小さな札がぶら下がっていた。そこに「ケーブルのりば」と小さく書いてある。これに気づけという方が無理というもの。最初から知っている人以外は歩いて登らせたいのだろうか。

功徳を施す


 普明殿に入っても、そこにケーブルカーは見当たらなかった。ここでも控えめに、「ケーブルは二階から…」とあるだけだ。誰もいない階段を上ると、がらんとした空間に、誰も座っていないパイプ椅子だけが並んでいる。順に座ってお待ち下さいと貼り紙がある。慈悲深いことである。
 切符の自動販売機は片隅のテーブルの上に置かれてあった。百円玉2個入れると、レシートのような「切符」が出てきた。そこには「御寄進票 大人200円 鞍馬山鋼索鉄道 当日限り有効」と記され、18.5.9 16:19と日時が打ってある。「御寄進票かあ」と独り言つ。こちらが乗せて頂くのに、何か功徳を施したような気分になった。さすがお寺さんだと感心する。

 功徳票、もとい御寄進票に書かれているように「鞍馬山鋼索鉄道」というのが、このケーブルの正式名だ。日本で唯一、宗教法人が経営する鉄道である。だから社員(?)は鞍馬寺と刺繍の入った作務衣を着ている。16時31分、1分遅れで作務衣を身に纏った乗組員の案内で車内に入る。乗客は私と、発車直前に飛び込んできたもう一人の男性。3人を乗せた車両が警笛を鳴らして山門駅を後にする。

 それは全長191㍍、高低差89㍍、全線単線のケーブルカーだった。普通ケーブルカーといえば、2輌の車両同士が中間地点で擦れ違うはずだが、「鞍鉄」の場合、擦れ違う車両がない。1輌だけが上り下りしているのだ。終点が近いので見ればすぐわかる。多宝塔駅にはさぞかし強力なモーターがあって巻き上げているのだろうと思っていると、何やら上からレールの下を降りてきたものがある。重りである。なるほど、これなら強力なモーターでなくても運行できる。エレベーターと同じ原理だ! とするとケーブルカーではないのかも。現に、この形式の斜面エレベーター設備を備えたホテルを知っているぞ。
 
 法律のことはよくわからないから、これ以上の詮索はよそう。とにかく日本で最短の鉄道会社らしいので、それを尊重することにする。それの方が面白いし、功徳にもなる。エレベーターと違って、きちんと警笛も鳴らしていることだし(某ホテルでは警笛はなかった)。
多宝塔駅にて

 わずか2分ほどで多宝塔駅に到着する。そこには参拝を終えた10数人の人達が待っていた。ケーブルカーは彼らを乗せて、16時35分、慌ただしく下りていった。これが事実上の最終だったのである。
 私はこのあと扉を閉ざした、誰もいない本堂の前で手を合わせ、奥の院方面は夜間照明がなく天狗は出ないが熊が出ると注意書きがあったので、ひたすら急いでつづら折りを下った。
(2018/5/9乗車)