2016年8月25日木曜日

川奥ループと四万十川

川奥ループを楽しむ

眼下に中村方面への線路が見える

 四国の片隅にループ線がある。
 高知から特急で約1時間、距離にして70㎞離れた四万十川上流域の窪川、その一つ先に若井という駅がある。窪川を起点とする土佐くろしお鉄道中村線の駅であり、各駅停車しか停まらない。線路の脇に申し訳程度の屋根なしホームを設置しただけの無人駅なのだが、JR四国の予土線の終点にもなっている。ただ、予土線へは皆、窪川で乗り換えてしまうので誰も気づかない、山間の田圃に囲まれたつつましい駅である。
川奥信号場
ポイントは予土線側に開いている

 そんな駅だから、中村線と予土線との分岐もここでは行われない。更に3.6㎞も山奥に入った川奥信号場が分岐地点だ。どこで分かれるのだろうと思っていると、進行左下に一瞬見えるループ線の出口付近を見落としてしまう。というのも、その先に信号場があるからだ。
左が予土線 右が中村線

 ここにループを設置したのは、あとから完成した予土線との接続を考えたからであろう。標高160m台の信号場からループで一気に40m下ってしまえば、そのあと海岸の土佐佐賀までは直線距離で8㎞が緩やかな坂となり、中村へと向かえる。一方で予土線はほぼこの標高を保ったまま、この先四万十川の流れに沿って下っていくのである。
 ループ線を堪能するなら、土佐くろしお鉄道に乗る必要がある。信号場を通過したあと、すぐに右に高度を下げながらカーブが始まってトンネルに入る。隣の車両との角度を見ていると、小さな円を描いて走っているのが実感できる。トンネルを抜けるとループは終わり、列車は進路を左に変えて川の流れに沿って下りはじめる。電化区間ではないので、残念ながら下からは何もわからない。中村との間を特急しまんとが9往復、各停が8往復しているので、上越国境よりは乗りやすい。

しまんとグリーンライン(予土線)の旅

四万十川と沈下橋

 四万十川が最後の清流といわれるようになって久しい。美しい自然が残り、点在する沈下橋がロマンを引き立てる。そもそも四万十という名前からして日常性からはほど遠く、さまざまな旅情を掻き立ててくれる。ところがこの四万十川にも現実は忍び寄ってくる。
 清流にはダムがふさわしくない、のだそうだ。八ッ場ダムのことがあって以来、ダムも随分と地位が下がったものである。原子力発電が忌避され、火力発電が地球温暖化で悪玉と化し、クリーンだったはずの水力発電までもが自然破壊の元凶となった。その問題の「ダム」が四万十川にもある。
家地川駅を出てしばらくすると、
道路橋の向こうに佐賀堰堤が見え
てくる。下の流れが四万十川。 

 川奥信号場で左に分岐し、予土線に入って、そのまま真っ直ぐにトンネルを抜けると家地川駅に着く。この近くに佐賀堰堤、通称家地川ダムがある。
 堰堤とダムの違いはその高さにあるらしいが、呼び方が二種類あるように、推進派と環境保護派や豊富な水量を望む下流域の人々とでは、この施設の評価が異なる。
 そもそもどうしてここに堰堤があるのか。佐賀は中村線側の地名だったはずだ。実は四万十川の水が堰き止められ、山を越えることによって、佐賀にある発電所で電気を生み、下流の田畑を潤した。環境保護など無縁な80年前の話である。長い年月とともに、その水は生活する人々にとって欠くことの出来ないものなっている。
 別の見方もある。ここで取水しているから、四万十に流れ込む窪川の生活排水の量が減り、水質悪化を防いでいるという主張だ。実に目から鱗でである。一旦は水量が減っても四万十というほど支流の多い河川だから、豊富な水量で清流がもどってくるというのだ。
蛇行を繰り返す四万十川

 実際、下流に向かうに従って、両岸の山が狭まり、川は蛇行しはじめ、渓流の様相が深まってくる。豪雨になって濁流が押し寄せても、自然に逆らうことなく、嵐が過ぎ去るのを待つのが沈下橋だ。四万十川の名を広めたのは、この沈下橋がいたるところにあるためだ。
芽吹手沈下橋

 自然を超克しようとして発展した近代であるが、その限界を認識するところから新たな歩みが始まる。そんな時代的気分が人々を沈下橋へと誘うのだろう。数ある沈下橋の中でも、土佐大正と土佐昭和の間にある芽吹手沈下橋は、JRのポスターにも採り上げられた景勝地であり、予土線の車窓からもよく見える。それを窓越しではなく、風を感じながら体験できるのが、今乗っているしまんトロッコ号だ。
しまんトロッコ号
宇和島駅にて

 しまんトロッコ号は、まさに四万十の光と風を感じるために造られた車両だ。日本初の超豪華列車ななつ星を生んだ水戸岡鋭治のデザインである。リニューアルされたディーゼルカーが貨物車を改造したトロッコを引っ張る形式である。あざやかな黄色は、南国高知の太陽か、それとも宇和島みかんか。いずれにしても、しまんとグリーンラインという愛称を持つ予土線に、ワクワクするような旅を提供してくれるカラーコーディネートだ。
しまんトロッコ号
宇和島駅にて

 夏が終わりに近いこともあって、乗客はまばらだった。トロッコ営業区間(窪川〜江川崎)が終わりに近づき、トロッコ車両から4〜5人の外国人がワイワイがやがやと乗り移ってきた。それぞれ大きなトランクを引っ張っている。中国人のグループだった。あたり構わず騒ぐのには閉口だが、こんなところまでトランクを引っ張って旅する彼らには、心底敬服する。あんなバイタリティは私にはない。荷物はどこに預けるべきか考えてからでないと、海外旅行など出来ないだろうなと思いつつ、改めて「中国人、恐るべし!」と感じた次第。
ホビートレイン
宇和島駅にて

 この路線には近頃、「新幹線」も走るようになった。新幹線の生みの親である十河信二が生まれていながら、四島で唯一新幹線のない四国だが、改造車両とはいえ新幹線(もどき)が走っているのだ。それも四国の片隅で。
 ホビートレインと名付けられたこの列車の車内には、鉄道模型が展示されている。自然豊かな四万十川には似つかわしくないようにも思えるが、愛嬌のある団子っ鼻のディーゼルカーが、田舎路線をはしるのは何だか頬笑ましくもある。四国の悔しさをシャレで吹き飛ばしているような、ユーモアに満ちた一両編成だから、あえて目くじらを立てることもあるまい。

 さて、江川崎で四万十川と別れを告げた予土線は、そのあとゆるやかな登りとなって、間もなく国境を越えて伊予国愛媛県へと入っていく。しかし宇和島まではまだ30㎞も残っている。川の名前も広見川へと変わるが、実はこの川は四万十の支流だ。予土線が分水嶺を越えるのは務田(むでん)付近、宇和島からわずか8㎞の所である。だから予土線のほぼ全線が四万十水系を貫く鉄道なのである。
 宇和島の町は、リアス式海岸特有の三方を山が囲む谷底にある。列車は転げ落ちるように坂を下って、北宇和島で予讃線と合流し、終点宇和島に到着する。
赤い橋は国道346号線の四万十橋。
太平洋まであと少し。     
宿毛線 中村・具同間


 一方、江川崎で別れた四万十川は、高知県内を逆S字を描きながら、最後は四万十市・中村で太平洋へと流れ出る。街に近づいても、最後まで清流らしさを失わない魅力的な河川である。
(2016/8/25乗車)




 
 
 




2016年8月24日水曜日

高松琴平電気鉄道


路線図
琴平線(高松築港〜琴電琴平)32.9㎞

 ことでん3路線の中で本線格なのが琴平線。もともとは瓦町が起点だったが、現在はJR高松駅やフェリーの高松港が間近な高松築港が玄関口になっている。

高松築港駅にて
玉藻公園の脇に起点高松築港駅がある。ここは琴平線
(ラインカラー、黄)と長尾線(同、青緑)の始発駅。
JR高松駅からは約300m、乗り換えはやや不便だが、
フェリーとのアクセスが良い。          
高松城(玉藻城)艮櫓と琴平線電車
この城は堀には海水が導かれている海城。松平氏の居
城。貫通扉上のヘッドライト2灯、パノラミックウィ
ンドウは京王の名車5000形で、現在は1100形電車を名
乗る。                     

片原町に進入する琴平線電車
1200形電車。旧京浜急行700形

檀紙富士(六ッ目山)に向かって走る。
一宮駅で高松築港行が待っている。

終点の琴電琴平まで32.9㎞を60分ちょうど。30分間隔。
JRは62〜3分でほぼ互角、朝の上り、夕方の下りに快速
があり、こちらは50分を切る。ほぼ1時間おき。   

長尾線(瓦町〜長尾)14.6㎞
 
 高松築港を起点とする長尾線だが、古くは瓦町から出発していた。車両が琴平線と同じ18m車であることから、高松築港を起点とするようになった。終点長尾は四国八十七番札所長尾寺がある。

長尾線 平木駅にて 長尾方面を望む
電車は琴平線と同じ1200形。どちらも18m

 
長尾線 平木駅にて 高松築港方面を望む
長尾線には車両区がないため、様々な駅の
留置線に停められている。       
 
白山(讃岐七富士の一つ)の山麓を廻って終点へ。
讃岐平野を特徴付ける円錐状の山々。それらは通称
おにぎり山ともいわれている。中央部はマグマが冷
えて出来た安山岩、周囲は深層岩である花崗岩から
なる。                    

志度線(瓦町〜琴電志度)12.5㎞

カーブが多く駅間も短いため、唯一16m車が導入されている志度線。テーブルマウンテン状の屋島、それと対照的なごつごつした五剣山、穏やかな瀬戸内海、そしてエレキテルの平賀源内等々、観光資源と変化に富んだ路線だ。

六万寺 600形は元名古屋市営
地下鉄250形。貫通扉と行き先表示
が左に寄っているのが特徴。   

車窓風景が最も変化に富んだ志度線
光にあふれた瀬戸内海が美しい。 

700形電車は元名古屋市営地下鉄300形。志度線の
電車はすべて16m車である。         

(2016/8/24,28乗車)

 


2016年8月6日土曜日

ハノーファーのシュタットバーン 前篇

ハノーファー乗り尽くし?

 ハノーファーには127キロにも及ぶライト・レール・トランジット(LRT)がある。日本ではまだまだ馴染みが薄いが、北米やヨーロッパで発達したこの鉄道は、都市の鉄道のあり方としてとても示唆に富んでいる。2016年の夏、二度目の訪問の際、いささか無謀にも全線走破を目指し、時間切れのため約半分乗り継いだところで断念したものの、ハノーファーのLRTに魅了され堪能することができたので、ここに紹介したいと思う。

 LRT。ドイツ語でシュタットバーン。直訳すれば都市鉄道。ハノーファーのそれは、路面電車と地下鉄と郊外電車を合わせたシステムといえる。日本では地下鉄や郊外電車にはふつう「重量車両」が用いられるが、車両も軌道も重装備なので如何せん設備にお金がかかる。近年100万都市の仙台で漸く2路線目の地下鉄が莫大な建設費を投じて完成したが、市民の移動の中心がバスであることに変わりはない。ドイツでもベルリンのような大都市ならいざ知らず、人口わずか50万のハノーファーにはとても導入など無理だろう。路面電車では物足りず、地下鉄では過剰投資となる中規模の都市にとって、シュタッドバーンのような鉄道は柔軟な発想が生み出した秀逸の鉄道といえよう。
路線系統図

 この街に馬車鉄道が登場したのは1872年のことで、その後1893年から10年ほどで路面電車化された。当時の総延長は163キロにも及んだという。ところが自動車先進国のこの国のことだから、1950年頃には自動車の増加が問題となり、繁華街を走る区間は地下化しようという計画が持ち上がったようだ。最初の地下区間が開通したのは1975年ことである。

 現在ハノーファーを走るシュタットバーンは127キロ、そのうち地下鉄区間が19キロ、自動車と電車が道路を共用する併用軌道(路面電車)が20キロ、専用軌道が88キロある。路線は大きく4つのグループに分かれ、路線図では青、赤、黄、緑に色分けされている。そのうち緑の10号線だけは地下部分がない。ハノーファー乗り尽くしの旅はここから始めよう。

路面電車10号線の旅

新市庁舎。ドームの内部壁面に
沿って昇るエレベータが名物。

 旧市街の外れにある新市庁舎は、高く聳えたドームを斜めに昇るエレベーターがあることで名高く、いつも観光客の列で賑わっている。ドームの上からはハノーファーの街が一望でき、眼下にはナチスが雇用促進のために造ったとされるマッシュ湖が広がって余暇を楽しむ市民の憩いの場となっている。
グリーンライン 10号線
そこからほど近いアエーギディエントプラッツAegidientorplatzはクルプケや中央駅と並ぶ主要地下駅の一つだが、10号線だけは人影も少ない地上ホームから出発する。スイスやドイツの鉄道駅でお馴染みのモンディーン社製の時計がモニュメントのように並木下のホームを飾っているものの、地下駅の賑わいとは異なって、ここを利用する人は本当にまばらだ。折り返しアーレムAhlem行となったこの電車の運転手は、手持ち無沙汰そうに運転室に戻ることもせずにホームでくつろいでいる。乗っているのは私ともう一人だけ。時間がゆっくりと過ぎていく。
台車が2車体を支える
連接車両。     

 TW6000系は、地下鉄化した際に導入されたもので、1974年〜1993年に製造された古い車両だ。近年新型車両が導入されてきていることから少しずつ廃車となっているものの、今でも一番よく見掛けるハノーファー・シュタットバーンを代表する車両である。中間に短い車両を挟み連接台車で繋げた3両でワンセットの固定編成となっていて、2セットで運用されることも多い。その場合は全長56㍍にもなるから路面電車としては長大編成といえる。本気を出せば最高時速は80キロというからなかなかの俊足ぶりだが、10号線は路面区間が中心なので平均時速はわずか19キロに過ぎず、まさに堂々たる路面電車なのである。
東急デハ200形電車
東急電鉄「電車とバスの博物館」

 緑色の連接車両というと、東急の玉電を思い出す人も多いかもしれない。1955年製の玉電も古さを感じさせない優れた意匠だが、どちらもどこかかわいらしさを併せ持つ電車だ。世界各国で人気のLRTは超低床方式のスタイリッシュなものが多いけれど、こちらは高床式で、プラットホームが必要なタイプというのもレトロな感じで古い人間には親しみがわく。
TW6000形 運転台付近

  運転台横のドアの写真を見て欲しい。左右ふたつの折り戸があり、斜めになった手摺りがついていて、床を見ると切れ込みがある。つまり、床が下に降りてステップとなり、手摺りにつかまれば、プラットホームのない路面にも降りられるというわけだ。ホームのある停留所では床はフラットのままだから、運転手もドアの開閉にはさぞ気を遣うことだろう。

 アエーギディエントプラッツAegidientorplatzsを出発した電車は、人が群がるドイツ国鉄の中央駅Hauptbahnhofの駅前広場を注意深く徐行しながら通り過ぎ、ショッピングモールや企業のビルが建ち並ぶクルト=シューマッハ通りに入っていく。ここは現在、道路整備の真っ最中で、大型重機を使ってプラットホームの新設と道路基盤の造り直しが進んでいる。ドイツは徹底した車社会だから、市内を走る自動車はかなりのスピードを出すので、ペンキによる安全地帯表示だけでは人の安全に不安が残るのだろう。
 ドイツの街並みの中にはところどころに広場が点在し、どこも緑が豊かに茂っている。ゲーテプラッツGoetheplatzもその一つだが、ここが面白いのはその広場をまあるく線路が敷かれて、三方向から進入できる電車のラウンドアバウトになっていることだ。日本ではあまり馴染みのないラウンドアバウトだが、ヨーロッパの街角ではよく見掛ける風景だ。左回りの円形交差点には信号機がなく、車はゆっくり流れに沿って交差点の輪に入り、目的の道まで来たらそのまま輪から抜けていくしくみで、ここではそれを電車が行っているのだ。このラウンドアバウトを南に抜けると、地下鉄区間に繋がっていて、ハノーファーの中心クルプケに行くことができる。
Limmerstraße

 今乗っている10号線はこのまま西に進んでいく。次のグロックゼーGlockseeには大きな電車基地がある。枝分かれした線路の先には屋根付きの車庫と吹き晒しの留置線があって、数多くの電車が停まっている。通勤通学の人々を乗せ終わって休憩時間に入っているのだろう。電車はライネ川を渡り、右に大きく曲がると、また賑やかな街並みが現れる。歩道いっぱいに広がったカフェや色とりどりに飾り付けられたショウウィンドウが並ぶ活気あふれたリンマー通りLimmerstraßeである。道幅が狭いので路面電車と車が完全に同じ道を共有した区間であり、速度制御が難しく急停車のできない電車は、最徐行で通過する。前を走る路線バスが敏速に走る優秀な乗り物に思えてくる。
ホームの先で折り返し
Ahlemにて

 通りに面した4、5階建ての集合住宅が尽きると、緑が増えて一戸建て住宅の区域になる。いつの間にか電車は道路と並行した専用軌道を走っている。スピードもあがって郊外電車の様相を呈してくる。このあたりは美しいバロック式庭園で有名なヘレンハウゼン王宮庭園に近いはずなのだが、緑豊かな地域で、庭園がどこにあるかは見分けがつかない。ライネ川に続く運河を渡れば終点アーレムAhlemは近い。


(2016/8/6乗車)

ハノーファーのシュタットバーン 後篇

旅の終わりは、旅の始まり

 長い間、私はこのことばを述べたのは安部公房とばかり思っていた。が、調べてみると、正確には「終わった所から始めた旅に終わりはない」(『終りし道の標べに』)であった。さすが公房先生、喪失感が人の心をむしばんでいくような、実存的不安をよく表現している。似たような状況を表現しながら、重みがまったく違う。

 それにしてもである、ハノーファーには実存的不安とは無縁だが、終わりのない鉄道が実在する。それは「まあるい緑の山手線、まん中通るは中央線」とは全く異なるものだ。前篇を読んで下さった方は、ハノーファーの路線図に環状線がなかったことを覚えているかもしれない。
 ふつう鉄道で終わりと言えば終着駅、始まりと言えば始発駅のこと。そこにドラマを感じる人は多く、そのどちらも明確でない山手線にはドラマ性が欠如している。ハノーファーの終りのない鉄道にはちょっとしたドラマがある。
木立を左回りに巡って戻ってくる。
郊外にあるファサネンブルグは、
プラットホームのない停留所。  

 ファサネンクルグFasanenkrugは旧市街地から直線距離で8㎞ほど離れた郊外の終着駅。森と牧草地と緑豊かな住宅地が広がる傍らを専用軌道で爽快に走り、アウトバーンの高架橋を抜けると到着だ。
 停留所はブルクヴェーデラー通りから少し引っ込んだところにあるので、プラットホームは設置されていない。あたりにはよく注意してみないと見落としてしまうようなレストランとバス停があるだけの閑静な場所だ。ドアが開きステップが下されて、乗客全員、といっても数名が石畳の上に降り立つと電車はそのまま前進して行ってしまった。引き込み線があるわけではない。林の中をぐるっとひと巡りして再びここにもどってくるため、運転手はそのまま運転し続けるという塩梅なのだ。遊園地のミニ列車でも見ているようで楽しくなる。広い土地さえ確保できれば、手間のかかるポイントを設置するより維持も楽だろう。行き止まりのない駅だから、終わりのない鉄道というわけだ。ぐるっと戻ってきた電車は行く先がエンペルデEmpeldeに替わっていた。さあ、終わった所から旅を始めよう。私はそのまま車上の人となった。
ミスブルグ駅 
屋根の上のUは地下鉄乗り入れ
の意味。          

 ところで、ハノーファーの街を北東から南西に貫くブルーラインは、3系統が集まった路線である。北東側にはファサネンクルグ以外にアルトヴァルムビューヘンAltwarmbüchenとミスブルグMisburgとがある。終点がループになっているのはファサネンクルグだけだ。
ミスブルグ駅とTW3000形

ミスブルグはちょっとした買い物には困らない店舗と落ち着いた住宅が建ち並ぶお洒落な街。その一画に瀟洒なプラットホームがあって端に車止のある終端駅だ。駅舎の上にはU-bahn(地下鉄)を意味するUマークが載っている。今回の旅でたいへんお世話になった美人先生が、長身のエリートビジネスマンのご主人と、赤ちゃんと共に暮らす町と聞いている。裕福な家庭が多いそうだ。モダンなデザインの最新型車両TW3000形電車がとても似合うと思う。
ポイントを少なくした
簡易型の引き上げ線。

 もう一つの終点アルトヴァルムビューヘンAltwarmbüchenは、いかにも新興の住宅街という感じで、郊外型の大型店舗や研究施設のような建物が途中に点在している。ホームの先には引き上げ線があり、雑草が生えていたりしてちょっと殺風景な終点である。第2世代のTW2000形愛称シルバーアローの無機質な感じが、あたりのぶっきらぼうな雰囲気と妙にマッチしている。


たかがつり革、されど吊り革
TW2000形の車内

 TW2000形が登場したのは1997年のことで、かれこれ20年近くが経つ。近未来的なデザインで、綺麗に磨き上げられた窓とコンパクトにまとめられたクロスシート、安全のための握り棒のカラーリングが洒落ている。こんなところは、とかくありきたりに規格化されがちな日本の鉄道にも見倣ってもらいたいところだ。なかでも一番感心したのは、吊り革である。
革製吊り手

 最近では「吊り手」と呼ぶようになった吊り革だが、それは日本から吊り革そのものが消えてしまったからだろう。牛革製の吊り手は強度に問題があり、殺人ラッシュが当たり前の東京の鉄道には不向きだった。昭和年代では見慣れた革製の吊り手は、長年の酷使によって痛み、ちぎれ、消えていった。その後塩ビや麻・綿を重ね合わせた耐久性の高いものに取り替えられたが、機能優先でなんの味わいもなくなってしまった。ここハノーファーでは、新しいデザインの吊り革が活躍している。天然素材の革製品は手にも馴染み、意匠性にも優れている。そんな逸品を普段使いにしている贅沢が羨ましい。

街の中心部へ
 
 アルトヴァルムビューヘンを起点とする3号線とミスブルグからの7号線がパラケルススウェグParacelsuswegで合流し、しばらくポトビールスキー通りを進んでいくと、道を挟んで街路樹の向こう側に旧市民病院が見えてくる。施設が古くなったので取り壊し、ショッピングモールとして再開発しようとした矢先に、欧州で難民問題が勃発し深刻化する。ハノーファーはドイツの中でも比較的裕福な、ドイツ的良心の息づく街である。市民の多くは難民の受け入れに積極的で、壊される筈の病院施設はすべて難民に開放されることになった。あたりは手入れの行き届いた庭が美しい閑静な土地で、厚遇された難民の多くは地域住民とトラブルを起こすことなく暮らしているという。ただしもの珍しいからといって、じっと見つめるなど誤解されやすい行為は慎まなくてはならないと、ここで暮らすドイツ人に念を押された。市はかなりの額の補助金で難民を支えているというから驚きだ。それが秩序をもたらしていることは間違いない。今年はドイツ各地でも難民をめぐるトラブルが生じている中、ここハノーファーでは、将来はともかくもまだ比較的平穏な日々が続いている。
Spannhagengarten付近

 電車はファサネンクルグFasanenkrugからの9号線と合流すると、ミッテルラント運河にまたがったノルテメイヤーブリュッケNoltemeyerbrückeに到着する。透明の樹脂で覆われたドーム型の屋根を持つ洒落た駅である。下を流れる川は、ライン川とエルベ川を結ぶ全長389㎞、世界第5位の大運河だ。この運河を利用した水運によってハノーファーは交通の要衝地となり、それによって殷賑を極めたのだが、見た目は都会を流れるふつうの川に過ぎない。近くにはブルーラインの車庫があり、ここから市街地に向けてもっとも頻繁に電車が行き来する区間となる。

 ハノーファーは森の街というくらい緑の豊かなところだ。ポドビールスキー通りの南側にはこの街で最大の森があり、市民の憩いの場となっている。沿線は4階建ての住宅が連なり、ギムナジウムや「森のレストラン」(ビアガーデン)が点在する。少し足を延ばすとクラインガルテンと呼ばれる、市によって貸し出される農地がある。農地といっても、小屋を建てることが許され、ほとんどの人はガーデニングを楽しんでいるので、日本人から見ると別荘そのものだ。都会の集合住宅に住む人々が、格安の別荘を利用しているという、なんとも羨ましい限りの施設だ。こんなところにも、緑豊かな都市を造ろうという努力の跡がある。
 中央駅Hauptbahnhofまであと二駅のところにあるリスタープラッツLister Platzから地下鉄区間となる。 

U-Bahn(地下鉄)

Hauptbahnhof

 ベルリンやケルンからの高速列車が行き来するドイツ鉄道中央駅Hauptbahnhofの地下2階には、ブルーラインとレッドラインが乗り入れる地下鉄ホームがあり、同一ホーム上で乗り換え可能な2面4線の便利な構造となっている。
切符の自動販売機

 ドイツでは改札口がないため、乗り降りは実にスムースだ。切符はホームに置かれた自動販売機で購入する。運賃はゾーン制が採用されているので、タッチパネル上に表示される路線図で確認しながらタッチして選ぶ。英語表示を選べるので、ゆっくり落ち着いて考えればなんとか購入できるが、使用人数や割引切符、使用日数など多種類の中から選択するので、最初は戸惑ってしまう。後ろに人が並んだりすると、プレッシャーでヒア汗の流れること請け合いだ。気の小さい私は、とてもこの駅では買うことが出来ず、わざわざ乗り降りの少ない駅で購入した。もちろんクレジットカードが使える。

クルプケKröpcke

ニキ・ド・サンファール・
プロムナード 正面奥は中央駅

 中央駅からクルプケにかけてはハノーファーで最も賑やかなショッピング街だ。路上では大道芸人が巧みなパステル画を描き、たくさんの風船を持った売り子が歩き回って、街に彩りを添えている。休日ともなると、結婚式を控えた男性が、仲間からボールを当てられたりしながら、羨望と嫉妬と揶揄が入り交じった<いじめ>にあう光景に出会う。もともとは幸福を分けてもらうイベントだったようだ。関係のない人も参加して、大いに盛り上がる。
 ショッピング街に沿って地下一階からの吹き抜けになった遊歩道がニキ・ド・サンファール・プロムナードだ。
王宮庭園の洞窟にて
ニキ・ド・サンファールはフランスに生まれスイスに帰化した女性芸術家であり、生命感・躍動感あふれる抽象化された女性像を得意とする。ハノーファーの王宮庭園ヘレンハウゼンには、洞窟と呼ばれる彼女の残した一大作品があって、この街と深い関わりを持つことから、敬意を表してプロムナードの名前に抜擢された。
 
 このプロムナードの先がハノーファー・シュタットバーンの中心駅クルプケKröpckeだ。エスカレーターで地下二階に降りるとブルーライン、さらに地下三階のコンコースを挟んで、更に地下四階に降りると、レッドラインとイエローラインのホームが現れる。一日中、人々の行き来が絶えない重要な駅だけに、利便性ばかりでなく、美しくデザインされた空間としても工夫された駅である。マッシモ・イオサ・ギニというイタリアの建築家・デザイナーによって、駅全体がガラス素材を用いたモザイクアートで美しくコーディネイトされている。エスカレーターや階段部分は極力壁を廃した吹き抜け構造となっていることもあって、駅全体が開放的で心地よい。地上に出れば重厚な建物があり、地下に潜れば近代的なデザインの駅がある。そのようなところに、ヨーロッパの街の懐の深さが感じられる。と同時に、必ずしもドイツ的であることに拘らない街づくりという点でも、我々日本人にとっては示唆に富んでいる。

再び地上へ
 
 ヴァッターローWaterlooは英語でウォータールー。フランス語でワーテルロー、ナポレオン1世がイギリス・オランダやプロイセン軍に敗れたベルギーの地名だ。ロンドンでは最も乗降客の多い駅であり、かつてはユーロスターの発着駅だった。ナポレオン好きのフランス人にとって、パリとロンドンを結ぶユーロスターがウォータールーに到着するのは面白いはずがない。駅名変更要求運動まで起こったというから、欧州の近所付き合いも厄介なものだ。その後発着駅がセント・パンクラスに替わったので問題は解消した。ハノーファーの場合、ヴァッターローはブルーラインが分岐する乗り換え駅に過ぎないから、フランス人も気に留めることはないだろう。
Bernhard-Caspar-Str.にて
市の南西側はホームが整備され
ていない。         

 終わりのないファサネンクルグFasanenkrugから出発した9号線は、地上に出ると道幅の狭いファルケン通りを車と共存しながら進む。一階が店、二階以上が集合住宅になっている市街地だ。ダヴェンシュテッター通りあたりからは次第に集合住宅もまばらになっていく。近くに子ども博物館があり、知育に最適な手作りオモチャが数多く展示され、実際にそれで遊ぶことができる。多くの人が住むこの辺りには、倉庫や工場も点在していてやや雑然とした街並みだ。Sバーンの駅からの引き込み線はおそらく貨物用だろう。観光で欧州を訪れる際にはあまり目にすることが少ない風景だろう。道幅が広く車も比較的少ないこのあたりでは、プラットホームのない停留所が続く。
 終点はエンペルデEmpelde。駅全体が大きなループとなっていて、真ん中にバスターミナルを配し、降車ホームと乗車ホームを平行に設置した、終わったらそのまま前進してぐるっと回り新たな運転が始まる駅である。ということで、9号線は終わりのない旅を続ける電車なのであった。
終点Empeldeの乗車側ホーム 
右側にバスターミナルがある。

 電車を降りると、乗車ホームの方から女性のわめく声が聞こえ、車両から数名の人が飛び出してきた。男性のわめく声も聞こえてくる。車内でカップルの口げんかが始まったのだ。何をわめいているのかはわからないが、周囲を憚ることなく、手振り身振りを交えた痴話げんかだ。電車やバスの運転手達が集まってきて、げんなりした顔で二人をなだめるが、どちらも聞く耳を持たない。叫んでいいる二人がいる限り発車もできない。この先この二人は一体どうなるのだろう。
 このふたりにとって、終わったところから始まった旅に終わりはない、などということがないよう祈るばかりだ。

タイムオーバー
Wettbergenは終端駅

 ヴァッターローまで戻り、ブルーラインのもう一つの終着駅ヴェットベルゲンWettbergenに足を伸ばした時点で、とても陽の明るいうちには全ての路線に乗り尽くせないことが明らかになってきた。中心街から一番近い終点は動物園なので、最後にそこに向かうことにする。クルプケでイエローラインに乗り換える。

名所を結ぶイエローライン

 イエローラインは観光巡りに最適な路線だ。まずそちらの紹介から始めよう。
ヘレンハウゼン王宮庭園

 イギリスのジョージ1世の妹、ハノーファー選帝侯妃ゾフィー(ゾフィー・シャルロッテ・フォン・ハノーファ)は、夏の離宮を美しく造り替えた。それが名所ヘレンハウゼン王宮庭園である。幾何学模様で飾られた大庭園、王侯がアバンチュールを楽しんだ秘密の花園、ヨーロッパでも屈指の大噴水、意匠の凝った多段式の滝カスケード、野外演劇劇場等々、贅を尽くした庭園はいつまでも散策していたくなるような所だ。クルプケで紹介した、ニキ・ド・サンファールが造った洞窟が最新の見どころとなっているが、歴史好きには、新しい抽象芸術がヘレンハウゼンに調和していると思えるかどうかは微妙なところだ。でも、地元の人達は面白がっているところが興味深い。
 王宮庭園に隣接してハノーファー大学があり、こちらはかつての宮殿が今に残る歴史ある大学だ。微積分を考え出したライプニッツにちなんでライプニッツ大学ともいい、機械式計算機を発明した天才でもあることから、大学構内に博物館が設置されている。業績を眺めていると、ドイツのレオナルド・ダ・ビンチに思えてくるほどの多才ぶりだ。
Fahrschule行などない!

 これらの名所をめぐるにはクルプケからイエローラインに乗るのが一番便利で、中心街を地下鉄で北西方向に離れ、地上に出てすぐのところにある。
 ホームに立つと見慣れない表示のTW6000形がやって来た。Fahrschuleと書いてある。辞書で調べると自動車教習所という意味のようだ。しかし路線図をつぶさに調べても、そのような停留所はなかった。中央駅近くに自動車学校があるので、そこの停留所の別名なのかとも思うが、なんともしっくりいかない。だがschuleはどう見ても学校だ。行き先不明の電車は、どうにも気持ちが悪かった。
 帰国後、何度も写真を見ているうちに、あることに気がついた。運転手の横に白いYシャツ姿の人物が横向きで写っている。出入り口に背を向け、運転手と話しているのだろう。勿論、走行中に乗客が運転手に話し掛けるのは禁物だ。そこで気がついた。<車の学校>、ドイツでは車の練習をそう呼ぶのだろう。つまりこれは教習車、見習い運転手が練習中なのだ。白いYシャツ姿は教官に違いない。ちなみに日本では、回送とか試運転とか表示して走るのだろうなと思う。確信はないけれど。
Zooにて

 さて、今回の旅の終わりは動物園Zoo。ドイツ語ではツーと発音する。クルプケを出て地下鉄区間を抜け、ドイツ鉄道の車両基地を左に眺めつつ進んでいく。本線と分かれて、市立公園や国際会議場の前を通過すると、また線路のラウンドアバウトが現れたが、ほかからの合流がない。ただ路線に付属したループになっているだけで、終点はその先にある。いったい何のためのループなのだろうか。それは今も謎のままである。
 動物園は行き止まり式の普通の終着駅。鬱蒼とした木立に守られた静かな佇まいだった。
(2016/8/6乗車)

2016年8月3日水曜日

雨のケルン


ホーエンツォレルン橋周辺

 ケルン大聖堂のてっぺんまで登ると、ライン川に架かるホーエンツォレルン橋をひっきりなしに行き来するドイツ鉄道を眺めることができる。右から二階建ての快速列車レギオナル・エクスプレス(RE)。電気機関車に押されてこれから橋を渡ろうとしている。中央がドイツ新幹線。ICE1とICE2の混合編成がやってきた。左から2両目、窓がほとんど無いのは電気機関車で、編成の前後に電気機関車をつけた動力集中型のICE1。3両目は制御室付の客車でICE2、こちらも動力集中型だが機関車は橋に隠れて見えていない。左が普通列車レギオナル・バーン(RB)。
ドイツでもっとも鉄道が行き交う  
ホーエンツォレルン橋をケルン大聖堂
から眺めた風景。         
ホーエンツォレルン橋はケルン中央駅に接するように
あって、ホームから眺めると実に迫力がある。   

ICE

 鉄道先進国が集まる欧州では、在来線そのものが日本よりも高規格に出来上がっていたために、高速列車のためだけに別線を造る必要がなかったので、新幹線はどこの駅にでも自由に出入りができる。これは開発が進んだ大都市に新幹線を通すために新駅や新路線を造る必要がないだけに経済的なシステムである。シュタットバーンにせよICEにせよ、既存の社会インフラを最大限に活用できることは、地面の深く深くまで掘り抜いて新路線を造らなければならなかったり、完成までに何十年も掛けなければならなかったりする日本と比べて、圧倒的に有利と言える。
 地方路線についても同様のことが言える。長崎新幹線は、建設コストを下げるために線路幅の異なる在来線と新幹線をつなぎ合わせ、そこに車輪の幅が変更可能なフリーゲージトレインを走らせようとしているが、開発に手こずり実現が危ぶまれている。その点電化されている限りICEは原則としてどこへでも行くことが可能だ。最近では気動車仕様のICE-TDが登場し、非電化区間にも行けるようになった。その結果、ドイツの国土全体にICEネットワークが張り巡らされている。

フランクフルト行きのICE3。日本の新幹線と同じよう
に電気機関車を使わない電車タイプ。       

縦型のヘッドライトは九州新幹線に似ている。

5番線はICE3のフランクフルト行き。4番線ハノーファー
経由ベルリン行きはまだ到着していない。      

レギオナル・エクスプレス

 電気機関車が牽引と推進を兼ねるドイツの鉄道は、密着式の連結器の性能がよいこともあって、静かで揺れが少なく、実に乗り心地がよい。路盤の貧弱な日本では決して真似ができない。揺れという点では日本の新幹線は素晴らしいが、モーター音は何とかならないかと思う。鉄道やアウトバーンなどは、どうしてもドイツ贔屓になってしまう。

快速列車の入線。
快速列車の最後尾は、制御室付の客車。帰りは
ここに機関士が乗り、電気機関車に押されて戻
ってくる。                

電車型の快速列車

シュタットバーン

 切符は車内に設置された自動販売機で購入する。ところがあいにく販売機が故障中。運転席まで遠く、すぐに下車しなくてはならなかったので、コインを握りしめたまま降りてしまった。無賃乗車は高額の罰金を取られる。悪気はないものの、冷や汗ものの乗車であった。

(2016/8/3乗車)