2012年8月22日水曜日

札沼線の終着駅 

急行寝台列車、札幌へ

   国鉄時代には全国に夜行列車網が広がり、時間はあっても金のない貧乏学生の強力な助っ人になっていた。知らない土地には行ってみたいが、食事代は節約できても宿泊代までは浮かせにくい。夜行列車は移動と宿泊が同時にできる実に重宝な存在だった。
 その典型が北海道だった。

1983年8月時刻表より
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   21:33→48(小樽回り)→05:01
   23:15→すずらん62号→06:12 
 札幌                 函館
   06:04←すずらん61号←23:35
   06:51←41(小樽回り)←23:51
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   22:10→まりも3号→06:15 06:24→ノサップ1号→08:54
 札幌                 釧路                根室
   06:25←まりも4号←22:35 22:30←  274D  ←19:36
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   22:15→大 雪 5号→07:26
 札幌               網走
   06:15←大 雪 6号←21:14
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   21:25→利  尻→06:22
 札幌              稚内
   05:56←利  尻←21:00
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 札幌を21時から23時に出発し、目的地には6時から8時に到着するという無駄のないダイアであった。北海道の主要都市が夜行急行で結ばれているおかげで、宗谷・知床・納沙布・阿寒・摩周・函館などの道北・道東・道南は、宿泊代を浮かしながら旅することが可能だった。日中は見学先で過ごし、夜になれば一日おきに札幌に戻ってくる。札幌周辺では市内見学はもちろんのこと、小樽や積丹半島に足を伸ばせばよい。実に便利な夜行列車だったが、盲点は道央で、80年代に入って人気が高まる富良野や大雪山系は行きづらい(宿泊代にお金が掛かる)場所の一つであった。

急行はまなす

青森発
全国的に夜行列車が廃止される中、今でも昔を彷彿とさせるスジで走っている列車がある。それが急行「はまなす」だ。札幌と青森を結ぶ急行「はまなす」は、北海道内だけでも利用できる最後の夜行列車といえるだろう。函館通過が深夜となるため、本来は青森・札幌間で利用する急行だが、夜中の1時に函館で乗車して6時過ぎに札幌下車というように宿泊用としても十分に利用価値がある。上り列車で函館の乗り降りは余程のことがない限り利用はしづらく、あくまでも青森からの乗車が良いのだが、それにしても乗り換えなしに寝ている間に札幌に到着するのはありがたい。

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   22:00→はまなす→02:52/03:22→はまなす→05:39  
 札幌            函館             青森
   06:07←はまなす←01:23/01:00←はまなす←22:42
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 さて、今回の北海道乗り尽くしの旅は、札沼線や留萌本線、石勝線の枝線などに乗ることが目的で、終着駅を訪ねる旅でもある。北海道への第一歩として、時間の有効利用からはまなすを選んだ。

急行はまなすのエンブレム

1号車7下、久し振りに二段式B寝台を利用する。7下は車両中央で揺れの少ない所だが、14系客車はディーゼル発電機が床下に設置されているのでとてもうるさく感じる。寝台に入ってカーテンを閉めてしまえば気にならないのだが、こんなところにもこの車両が時代に取り残されているなあと思う。もっとも寝台列車好きには、穴蔵のような空間に入ってしまえば心がウキウキしたまらないのだが。
 さっそく酒宴。今日の日本酒は弘前六花酒造の吟醸酒じょっぱりと龍飛。じょっぱりは頑固者の意味だそうで、水は白神山地の伏流水を使っているという。龍飛の方は文字通り竜飛岬の水。摘みは、やはり土地の名産、ほたて十万石という笹かまぼこで、ほたて、むきえび入り。あっという間に出来上がって、そのまますぐに寝入ってしまった。函館停車で一度目覚めたが、そのあとは5:15の車内放送までぐっすりだ。
朝もやの中を走る
 起きて気付いたのは、同乗者が生活感漂う中高年ばかりで、実に庶民的なことだ。ブルートレイン全盛期の7〜80年代は贅沢だったB寝台も、より豊かになった今では昔を知る人しか乗らない車両となったのかもしれない。繁忙期直後で1(号車)と2(号車)の間に21(号車)を増結している上に、上段を使用していないため、車内は人数が少なく快適であった。列車は函館でスイッチバックするので、機関車の次だった1号車が最後尾に変わっているので、道内では後方車窓が楽しめる。目覚めた時は千歳線を走っていた。このあたりの風景は曖昧で大雑把なな感じなので、北海道好きな自分だが、この風景はいただけない。札幌には6:15、やや遅れての到着。
札幌着

【編成】
スハネフ14 551+オハネ24 501+オハネフ25 3+スハフ14 555+…

 朝食はキオスクで済ます。とうきびおにぎり、野菜ジュース、キウィヨーグルト。”大通公園名物”と銘打ったおにぎりは、だいぶ期待はずれだった。甘辛たれはベトベト、コーンはぽろぽろ。やはりおにぎりはさっぱしてないとね。”名物”に騙されてはいけない!

学園都市線と呼ばれる札沼線

 札沼線の名称は札幌と石狩沼田を結ぶ路線として開業したことに由来するが、昭和40年代に新十津川・石狩沼田間が廃止となってしまい、実情に合わない線路名となっていることもあって、近年は学園都市線の名前で親しまれている。しかし、その名前も北海道医療大学駅までがぴったりで、電化されて通勤通学電車が通うのもここまでだ。
札幌にて クハ731 205
札幌7:02発普通石狩当別行535M電車は、三つ扉のロングシートだった。前日青森までの各駅停車の旅がほとんどロングシートだったこともあり、いささかうんざりだが所詮通勤電車なので仕方がない。札幌から一駅めの桑園で函館本線と分かれ、しばらく高架のまま札幌の市街を走る。石狩当別までは通勤電車そのもので、外の風景が次第に郊外から農村に変っていく。石狩当別には7:47定刻通り到着する。

 さて、ここからが旅の始まり。電化されて比較的本数が多いのは一つ先の北海道医療大学なのだが、この地域の主要駅はここ石狩当別である。ここから終点新十津川まで走る列車は一日わずかに3本、朝・昼・夕だけしかない。途中の浦臼まではあと3本あり、要するに札沼線末端はローカル線以上の閑散路線なのである。
 石狩当別7:51発新十津川行気動車が接続するのだが、これが大混乱なのだ。先ほどの通勤電車からこの1両編成気動車にほとんどの人が乗り込むので超満員。乗客の半数は1駅めの北海道医療大学で降りるが、それでも通路やデッキは高校生でいっぱいだ。せめて2両編成にすればいいのにと思うが、通学定期相手にはサービス無用と考えているのだろうか。ようやくガラガラになったのは、石狩月形でDK(男子高校生)JK(女子高校生)が下車してからだった。30分以上満員で揺られていたことになる。 

ローカルな札沼線

石狩月形にて キハ40 401
ここからが旅の仕切り直し。札沼線は石狩平野の北側のへりをゆくのどかな路線である。稲があり、そばの白い花も見える。札沼線の「沼」とは、石狩川の蛇行で取り残された有名な三日月湖(沼)が至る所にあるからだろうと、勝手な想像をするが、実際は先ほど述べた通り、札幌と留萌本線の石狩沼田を結んでいたからである。月形という地名は三日月湖そのものだから、沼の由来もこちらの方が由緒正しい感じなのだが。

石狩月形に交換列車が接近する
広がる石狩平野のへりには集落ができる。集落とは言っても広大な農地をほこる北海道だから人口は多くない。そこを走る札沼線だから月形の高校をあとにすると、乗客は鉄道ファンばかりである。乗客はおそらくフリー切符で乗っているから、この線にはお金は落とさない。従って空気を運んでいるばかりである。この効率の悪さが、鉄道に情緒を与えるのだから始末が悪い。

ピンネシリ方面を眺める
ところがちょっと興ざめなのが、こんなローカル線でも車内テープ放送があり、その声がおなじみの女性の声、東京の通勤電車で流される声と一緒だったこと。「次は○○です。お降りの方は前の方にお進みになり、運賃箱にお金と整理券をお入れ下さい」と流れるが、誰も立とうとはしない。それも当たり前である。何の用向きもなく、ただ終点に行くことだけを目的としている「鉄ちゃん」ばかりだからである。私などは、左右に一つずつボックスシートを占有して、両側の風景を楽しんでいる。駅に近づくと顔を窓から出して、乗ってくる客のいないことを確認し、席にふんぞり返る。極楽である。
 
先は廃線。建物が建っている
ところでテープのアナウンスでは「この列車は…」と正確に案内しているのにも関わらず、運転手がマイクで告げる案内では「この電車は…」と言っている。電車は電気で走るもの、軽油で走る列車は気動車だ。「そんなこまかいこと、どうでもいいじゃん」と言われそうだが、それなら蒸気機関車も電車って言えるのかと突っ込みたくなる。JR職員がそれでいいのか。終わってる!!
 終点新十津川には9:28到着。線路前方遥か先に車止めがあり、その向こうには2階建ての集合住宅が立ち塞がっている。どうしてここが終点なのか、その根拠は曖昧に違いない。かつてはこの先があったくらいだから、駅は途中駅の作りだ。終着駅とは言ってもその風情があるわけではない。
 ホームに降りると、なにやら賑やかだ。地元の幼稚園児が可愛い浴衣に着替えてよさこいソーランで出迎えてくれていたのである。列車はこの先昼まで来ないから、この列車のためにわざわざ踊ってくれているのだ。ただのおじさんとしては、望外の出迎えにいささか照れるが、嬉しくなった。ここへ来て良かったと思う。園児の踊りや到着した列車をテレビカメラが追っていた。HBCのロゴが見える。趣味に現を抜かしている姿など撮られたくないから、ホームの先までそおっと歩き、小さな駅舎を通らずに、新十津川の駅前にでる。
花で飾られた駅舎

 地図を見ると、ここから滝川の駅までは石狩川を隔ててほんの近い位置にある。歩けない距離ではないだろうと高を括っていたら、だだっ広い北海道の風景は歩いても歩いても変化に乏しく、思いの外時間がかかった。炎天下、早足で50分歩かされた。

   新十津川 9:37<歩き>10:26 滝川

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