2012年8月21日火曜日

東北本線昼景色 第2章 栃木

2.宇都宮8:20 黒磯9:18 1535M クモハ211-3026

 ここから先、グリーン車はない。予想通り普通電車は汚いし、ロングシートのため景色を見るには具合が悪い。しかもクモハだから床下からのモーター音がうるさい。やれやれと思ったが、ひとついいのは、警笛が使い古された機関車の音に似て、美声ではないものの実に渋くて旅情をそそることだ。今日は天気が良く、左側の山並みが見たいので、反対側の日の当たる右側に席を取った。
宝積寺の駅舎は隈研吾設計のモダンな作りである。このような駅を毎日利用できる人が羨ましい。特に駅舎・東西通路の天井に意匠が凝らしてあるのだが、このロングシートからはちらっとしか見えず残念だ。地方で活躍する車両にまでロングシートを平気で採用するJR東日本の姿勢には感心しない。
さて、肝心の山並みは那須岳らしきものが見えるようだが、左側をずうっと走る新幹線の橋脚に阻まれて、噴煙がみえたのか、それとも雲だったのか皆目わからないまま黒磯に着いてしまった。
(走行距離53.8㎞ 50分 通算159.7㎞ 2時間21分経過)
 

 黒磯では30分近く時間がある。架線を流れる電気が直流から交流に切り替わるこの駅に、以前から降り立ちたいと思っていた。ホームを進んでいくと青森側には赤い交直両用の機関車が見える。一方ホーム後方の上野側には直流専用の機関車が控えている。そしてこのホーム辺りの複雑な架線は、直流と交流を切り替えることが出来る特殊な構造になっていて、どちらからも進入可能で、一旦停止してから先へ進むことになっている。
芭蕉が訪ねた頃は白河に関八州と陸奥を分ける関所があったが、鉄道ではこの黒磯が関所であって、青い都会育ちの青い機関車はここから<みちのく>に出て行くことを許されず、<みちのく>で活躍する赤い機関車は行き来自由だが、都会に出ることは限られている。言い方は悪いが、田舎侍と江戸侍を見ているようで面白い。田舎侍の名誉のために言っておくが、交直両用の機関車の方が格段に高価なため、都会側は安価な機関車で済ませているのだとも言える。今日は<みちのく>で一生を過ごす交流専用機関車はいないようだ。
 次の列車までまだ時間があるので、一旦改札口を出て駅そばを食べる。一杯270円の黒々とした掛けそばは、どうということはないものの、冷房で冷え切った体を心地よく暖めてくれてとても美味しかった。その時はわからなかったが、ここで腹を膨らませておいて正解だった。このあと八戸まで食うや食わずの旅が続く。


3.黒磯9:39 10:40郡山 2131M クモハ701-1024

跨線橋を渡り郡山行きに向かう。乗り継ぐ客のことなど全く考えていない感じがする。高価な交直両用電車などは投入する筈もなく、従って直通電車は全くないので、乗客の方が移動するのはわからないでもないが、それにしても不便ではある。乗ってみると1両に156人しか乗車していない。がらんとしたものである。そりゃそうだよね、だってこれから国境なのだものと一人で合点する。この先しばらく行けば、奥州である。それでも5両の堂々とした編成である。堂々としたガラ空きの電車は先程の211系より断然いい感じである。
 黒田原あたりからは新幹線も離れ、周囲の風景が高原風に変わって見晴らしが良くなった。那須岳上空には雲がかかって、相変わらず雲だか噴煙だかわからなかったが、あたりはすっかり夏の装いで気持ちよい。線路は右に左にと曲がりながら高度を稼いでいく。先程から見えなくなっている新幹線はモグラのように地中を驀進しているのだろう。こんな時、改めて在来線の良さを思い知る。カーブが多いとはいえ、そこはかつての特急街道東北本線だけあって、路盤がしっかりして曲線にも大らかさがあり堂々としたものだ。豊原は山中の駅で乗降客なし。次は白坂、いよいよ関東とはお別れである。白坂トンネルでサミットを越え、やや下ったところに白坂駅はあり、ここから福島県となる。
 丘陵地帯が退き、耕作地が広がって右から水郡線が寄り添ってくると安積永盛の駅は近い。更に広大なJR貨物ターミナルを越えて、いわきに向かう国道49号線の陸橋を潜れば郡山駅である。
(走行距離63.4㎞ 61分 通算223.1㎞ 3時間51分経過)







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