2012年8月21日火曜日

東北本線昼景色 第3章 福島




4.郡山11:06  福島11:54 1137M クモハ701-1516

 昼間の優等列車がなくなった今、まさか抜かれることはあるまいと思っていたが、接続の待ち時間に通り過ぎていったのは高速貨物列車だった。当駅始発ということで発車までまだ4分ほど残っていたが、関東から乗り継いできた者にとって、追い越されたことには違いがない。昼間の東北本線には数多くのJR貨物が活躍している。
 この列車の見所は何といっても安達太良山が綺麗に広がるところだろう。東北本線は奥羽山脈の東側を北上するため、進行左側の車窓に名山が集中する。智恵子抄で有名な二本松の駅には「ほんとの空」という謳い文句が掲げられているが、空の広さを感じるには何もない砂浜よりは裾野の広い山の方が適切のようである。昼近い南からの光を浴びた安達太良山は、東側を回っていくこの列車からは刻々と色が深まって行き、見ていて飽きない。更に柔和な山肌にちょこんと二つのピークがあって、ちょうど形良い女性の胸を想像させる。控えめながらしっかりと色気を漂わせる姿であり、十和田湖に残る高村光太郎の力強さを帯びた裸像とは大分イメージが違うが、これもまた智恵子を彷彿とさせる形なのではないかと思いをめぐらす。安達太良山は別名乳首山(ちちくびやま)という。
いつもながら思うことだが、風景は福島県から輝き出すのだ。人口が少ないから森林や耕作地と家屋の釣り合いがとれてくるし、猥雑な看板がぐっと少なくなる。だからその後ろに控える山並みが引き立ってくる。余分なものがなくなって、そのもの自身がもつ美しさに直接触れることができる。
 福島に近づき坂を下り始めたとき、こんなところが東北自動車道にもあったなと思っているうちにトンネルに突入した。やはりここは東北道南側唯一のトンネルである福島トンネル地点ではないかと思いつつトンネルを出ると案の定、眼下に高速道の急坂が見える。高速を走っているときは長い坂を快調に飛ばす所だが、その上を鉄道が走っているとは全く気づかなかった。ここを抜けると左側に吾妻連峰が見えてくる。今日は列車の乗客なので、吾妻小富士の姿が細かいところまでゆっくりと堪能できた。
(走行距離46.1 48分 通算269.2㎞ 5時間5分経過)

5.福島1200 白石1233 1185M クモハ701-1501

 国見峠が近づいた。内田百閒は東北本線阿房列車のなかで、「大分大きな勾配で、遠景の田圃や川が随分下の方に見え出した」、「高くなった所から、遠くの底の川のある盆地を隔てて、その向こうに空へ食い込んだ山脈が見える。山の姿が私なぞには見慣れない形相で、目がぱちぱちする様な明るい空に、悪夢を追っている様な気がする」と記した場所だ。川は阿武隈川、盆地は福島盆地、そして山脈は吾妻連峰のことである。さすが百閒だけあって、大きな風景の向こうに聳える吾妻の山々をうまく表現しているなと思う一方で、その悪夢のようだ評した吾妻連峰に、一切経山や浄土平という霊験あらたかな有り難い場所があることを百閒が知ったら、あの偏屈先生、一体どんな言い訳をするのだろうか。
 それはともかくこの風景はもちろん新幹線では見ること叶わない。東北本線と併走する東北自動車道からは見ることができる。かつて車を運転して峠に取りかかった時、それまでスコールのような雨の中を走っていたのに、上り坂になって急に晴れ渡ったことがあった。夕暮れ近づく西からの日差しが峠に差し込んで、見事な虹が山麓から峠上空に向かって亙っていった。その虹に向かって車を走らせる快感は実に忘れがたい。ただ雨上がりの高速の峠越えだけに、ゆっくりと堪能するわけにはいかなかった。同乗する妻は、ずうっと見とれながら感嘆の声を上げている。その声を悔しく思いながら、やはり風景は鉄道に限ると思わないではなかった。
 白石までのローカル電車は相変わらずのロングシートで、わずか二両編成のワンマンカーには大勢の地元の人達が乗っている。伊達、桑折と律儀に停まるたびに人が降りていく。もともと景色を楽しむために乗っている人など皆無なので、ロングシートから車窓を眺めるのには随分と気を遣わなければならない。見たいとなったら、あっちもこっちも見たくなるから、必ず誰かと視線があってしまう。峠が近づいた時、視線があってしまったその男性は、iPhoneを見ながら髪の毛をいじっていた。見過ぎちゃいけないと控えつつ、「不潔な奴だなあ。どうして電車の中でふけなど落としているんだ」と憤っていても、なかなかやめようとしない。こうなると百閒先生も虹の架かる峠も台無しである。電車は次第に高度を上げていくが、そんなこととは無関係にスマホ片手にふけ落としは続いている。男にとって見れば日常のことかもしれないが、こちらは35年に1度の大切な時なのだと思ったとき、おや? 髪の毛掻きむしっているんじゃない! じっとiPhone見つめながら顔の向きが左右に回転し、髪の毛を触っている。ここで気がついた。男はiPhoneに自分の顔を写しながら髪の毛を整えていたのである。掻きむしっていたのではなく、手櫛だった。スマホを鏡がわりに使う人を初めて見た。
気づいた時には電車は軽やかに坂を下り始めている。すでに峠は越えたのだった。というわけで、今回の旅の中で国見峠の印象はすこぶる薄い。
 (走行距離34.0 33分 通算303.2㎞ 5時間44分経過)






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