2012年8月21日火曜日

東北本線昼景色 第5章 岩手


8.一ノ関15:27 盛岡16:56 1543M クモハ701-1015

 一ノ関からは再びロングシートの通勤通学電車になってしまった。2両しか繋がっていない編成なのに、たくさんの人が座れるクロスシートにしないのは、よほどお客を立たせたいのだろうと、ここでもJR東日本を恨めしく思う。東北人や関東人は思っていることをむやみやたらに口にはしないという嗜みというか、我慢強さを持っている。一方それは、グローバル時代にはそぐわないかもしれないけれど、それ位のことは言わなくてもわかるでしょということでもある。もっと顧客を大切にしなさいよ、JR東日本さん!
 とはいえ、乗客はほとんど乗っておらず、ここまですいているとロングシートでも快適ではあった。それだけ人口が少ないとみえて、風景の中から家屋が少なくなる。何もないといってもいいくらいで、水沢に近づいた時はちょっとした町に着いた感じがした。高層ビルがあるわけではない。23階建ての地方銀行の建物や商店街があり、そこに民家が混じっていたりするような町である。ここに来るまで何もなかったから賑やかな感じがするといったらよいだろうか。
ただ水沢からは人が乗ってきて、あっという間にロングシートは埋まり、立ち席の人もいるほどになった。電車が出発すると、仙台以北では少なかった工場もちらほら見えて…と思っているうちに、あたりは再び穀倉地帯となった。
 金ヶ崎に着く。この地名には覚えがある。以前、東京の銀座に住むある方(東京の田舎者である僕は、銀座にも人が住んでいるんだと改めて思ったものである)から、お歳暮に「金ヶ崎金札米」を戴いたことがある。豪華絢爛、とんでもない名前だなあと思いつつ食してみると、これが滅法旨いご飯であった。以来この地名は忘れられない。なるほど、あたりは午後の日差しをうけて黄金色に輝く広大な穀倉地帯である。
 北上は新幹線停車駅。反対側のホームに北上線のキハ110が停まっている。この6月に乗る予定だったが、季節外れの台風で中止になった恨めしい路線だ。また近いうちに来ることもあるだろう。北上からは部活を終えた男子高校生がたくさん乗り込んでくる。先頭車両の運転席反対側のロングシートに席を占め、前方展望を楽しんでいたのだが、混雑のため見えにくくなってしまった。高校生達はみなゲームに興じている。全国どこへ行ってもゲームなんだなあと改めて思う。
 花巻からは女子高生が群れをなして乗ってきた。前方展望は完全に見えなくなった。時計を見ると16:42、もうすぐ10時間が経過しようとしている。これが飛行機だったら昨年行った米国のシアトルに着く頃である。遠くに来たものだなあ、盛岡とは、つまりそういう所なのだ、仙台とは意味が違うなどと取り留めもないことを考え、その考えに納得しながら感動を噛みしめる。車内は男子高校生と女子高校生の熱気でムンムンする。下校時間とぶつかるなんて、各駅停車の旅でなければ味わえないことだ。現地密着型電車の旅だから、僕だけが異邦人であり、ふたたび景色を見るためにキョロキョロするのが憚られるようになった。
 盛岡までは新幹線なら3時間、しかしこちらは10時間。これだけの時間距離があるから寝台特急で移動するのもいいなあと思う。かつて上野〜盛岡間には寝台特急「北星」が走っていたが、新幹線開通と共にその役割を終えている。30年近く前のことになる。
北上川の流れが近づいてきた。新幹線の橋脚もすぐに脇に迫っている。水沢とは比べようがないほど立派なビルも見えている。電車は入り組んだ複雑なポイントを通過するために徐行しながら盛岡駅にゆっくりと入っていく。定刻通り7番線に停車。
 さて、ここでJRの旅は一旦終了となる。東北本線の終点は盛岡? 新青森?
いずれにしても僕の心の東北本線はこの先青森まで続いている。さあ、これからIGRいわて銀河鉄道に乗り換えだ。
(走行距離90.2 1時間29分 通算531.7㎞ 10時間7分経過)

9.盛岡17:04 八戸18:51 IGRいわて銀河鉄道4539M  IGR7001-3

 盛岡からIGRに乗車するのは今回で2回目になる。ただJR在来線から乗り継ぐのは初めてであり、乗り換えてみて呆れたのは、JR改札からIGR改札までがやたらに遠いのだ。跨線橋をまたぐのだって利用者には不便きわまりないのに、延々と歩かされる。別会社だからといえばそれまでだが、もともとは同じ国鉄JRではないか、自分の都合で切り離しておいて、なおかつこの仕打ち。どう考えてもJR東日本は配慮が足りない。なんとかなりませんかねえ、この体質!
 結局トイレもいけず、IGRの車内は男女高校生で大盛況。その上この通学電車にトイレはなかった。もっとも水分もろくにとっていないし、その上皆汗になってしまうので、それほど行きたいわけでもなかったのが幸いだ。寒い時期でなくて良かった。
 盛岡といえば岩手山が有名だし、山裾に向かって描くその優雅な曲線は見ていて飽きず僕の大好きな山の一つだが、渋民や好摩から車窓右側に見える姫神山はなだらかなピラミッド、もっとわかりやすく言えば、慎ましやかな女性の乳房のようで、とても美しい。啄木も見惚れたというが、センチメンタルな彼のことだからそれもむべなるかなである。列車は河岸段丘のような高所を通り、民家は眼下に隠れ、あたりは豊かな森林が広がり、その向こうに姫神山が大きく裾野を広げて佇んでいる。
 好摩から先の風景はほとんど僕の記憶にはなかった。上野から在来線でここまで来る頃には日が沈んでしまうからである。今日はまだ陽が残っている。
 いわて沼宮内あたりからは土地が狭くなり山が迫ってくる。ここに来るまでに乗っていた人達の多くは降りてしまった。IGRの列車もその多くがここで折り返しとなる。
ここは新幹線との乗換駅でもあるが、架線を見てやはりここの新幹線軌道は260㎞対応なのだなと納得する。というのも架線の張り方がほぼ在来線と同じ簡略なものだからである。盛岡以南や東海道山陽新幹線などは、高速走行するパンタグラフからの衝撃を吸収するために、直接接触するトロリー線をもう1本の架線が支え、更にその上をもう1本が支えると言うように二重構造になっている。ところが建設費節約の北陸新幹線やこの辺りの東北新幹線は、トロリー線を支えるのは1本で済ませている。300㎞対応にしないと函館まで繋がったときにメリットが少ないのではないかなと心配になるが、そもそも新幹線はいらないよなあと、地方の人には申し訳ないが思ってしまう。
 空いた車内に巨大なオニヤンマが飛び込んできた。虫の苦手な僕としては、こっちに来ないでくれよと祈るばかりである。びくびくする姿を見せるわけもいかず、必死に泰然自若の体を装う。地元のお兄さんが逃がしてやろうとするけれど、開けた窓から強い風が吹き込んでなかなかうまくいかない。奥中山高原という、降りてみたくなうような駅で漸く捕まえ、外に放つことができた。オニヤンマもホットしただろうが、一番なのは僕に違いない。
 目時は何もない山間の駅でありIGRはここまでだが、岩手県は数百メートル手前で終わっていて、ここはすでに青い森鉄道最初の駅である。しかし、運転手の交替もなく、またこの先三戸で降りる人も結構いて、まだ岩手の圏内であるかのようだ。乗客の中には綺麗な女性もいて、見た目は東京人とまったくかわるところがないものの、外はもの凄い田舎である。携帯・スマホ・インターネットそしてコンビニの普及は、地方の開化を確実に推し進めたのではないだろうか。情報に差がなく、物は宅配を利用すれば確実に手に入る。どう見たって、おじさん姿の僕の方があるかにダサイ格好をしている。女子高生や男子高生、そして若いお嬢さんなど、地方と都会の差が想像以上に縮まっていることを痛感する。
 夜のとばりが降り始めた。人もほとんど降りてしまった。この分だと八戸に到着する頃には真っ暗になっていることだろう。
(走行距離107.9㎞ 1時間47分 通算639.6㎞ 12時間2分経過)




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