2012年8月21日火曜日

東北本線昼景色 第1章 関東平野


 東北本線の風景が見たいと思った。若い頃は何遍も北海道との行き来をしたが、その殆どは時間とお金の節約から夜行ばかりだった。昼間に上野から青森まで乗り通したことが3回ほどあるが、あれからすでに35年も過ぎている。最後に乗った初秋の東北本線は、北上するにつれて稲穂が黄緑色から見事な黄金色に変わり、収穫あとの稲藁を干す風景が広がっていた。その季節はまだ先のことだが、福島から白石に抜ける国見峠越えは、雄大な福島盆地を見下ろす絶景路線だし、塩竃を過ぎたところで一瞬見える松島も捨てがたい。北上川と寄り添うように盛岡を目指し、岩木山が見えてくるのも悪くない。岩手から青森にかけてのもの寂しい風景に浸るのも、新幹線では決して味わうことの出来ない旅の醍醐味だと思う。あの風景にもう一度逢いたくなった。
 北海道連絡としての在来線鉄道の役割が終えた現在、東北本線には昼間の急行や特急は一切走っていない。震災前までは仙台行きの「スーパーひたち」が常磐線回りで34本走っていたのだが、あの忌まわしい原発事故によってそれさえも失われてしまった。だから青森まで行くには各駅停車だけを乗り継ぐことになる。9回乗り換え10本の列車に乗って青森を目指すのだが、果たしてどうなることやら。昔から鈍くさい各駅停車は余り好きではないから、旅の醍醐味だなどと気取っておきながら途中で飽きてしまい、乗りたくもない新幹線にさっさと乗り換えてしまうかもしれない。

1.上野6:49 宇都宮8:18 3521M 快速ラビット
   サロE231-1027 5号車9D  

 821日月曜日。快晴。上野駅高架8番線には649分発の快速「ラビット」宇都宮行きが、まばらな乗客を乗せて出発を待っていた。美しい実りの秋にはまだ早いが、喧噪のお盆を終えた上野駅は普段の落ち着きを取り戻し、気儘な旅にはうってつけの時期になった。上りのラッシュまではまだ時間があるし、ましてや下りに乗る人など大勢いるわけがない。席はどこでも自由に選べるのだが、ここは少し贅沢をして、グリーン車2階席を選び、少しでも旅の気分を盛り上げようと思う。
 サロE2312階席は定員が44名、出発までには7名ほどの乗客が座った。隣が気にならない最適な乗車率だ。そうこうするうちにホームのベルが鳴る。いよいよ東北本線各駅停車の旅の始まりだ。ドアの閉まる音が聞こえ、よし行くぞと気分が盛り上がる。
 東北の旅だから本当は地上ホームから重々しく出発したかったが、高性能の電車は素っ気ないほどさっさと加速して、あっという間に国立科学博物館のラムダ4Sロケットが視界後方に流れて行ってしまった。西日暮里で上りの寝台特急「あけぼの」とすれ違う。今では数少ない貴重なブルートレインであり、大好きな列車の一つだが、「今回は昼間の風景が目的だから乗るのは我慢」と自分に言い聞かせる。この宇都宮行きは快速なので東北本線最初の駅、尾久は通過。広々とした操車場には「北斗星」の予備車が止まっていて、行き先表示板には札幌の文字が見える。今回の旅は青森の後に北海道に渡る予定なので、明日の今頃は札幌だなあとワクワクする。ところがその後すぐ火事で黒こげになった建物が目に飛び込んでくる。王子の飛鳥山の麓に長い間放置されたままの建物だ。毎日通勤電車から見ている人もいるはずだが、皆どんな思いで見ているのだろう。近くによったら今でも焦げ臭いにおいが鼻をつくのだろうなと、殺伐とした思いがよぎる。
 赤羽を過ぎると、まだ柔らかさを残す朝日の光が荒川鉄橋を照らしている。にわかにレールを走る車輪の音が大きくなった。それにつけても鉄橋を渡る轟音は、東京を離れる際に鳴り響くファンファーレであると思う。東海道本線の六郷川橋梁、東北本線の荒川橋梁、常磐線や総武線の江戸川橋梁という風に、東京はその周囲を川で囲まれている。出掛けるときは、「いよいよ東京とお別れだ」としみじみ思い、帰路は「ああ、戻って来ちゃった」とがっくりくる。この轟音は東京人にとって、日常と非日常、現実と夢を截然と区分けする魔法の音楽なのだ。その点中央線はもの足らない。多摩川を渡ってもまだ東京は続き、緑豊かな郊外風景の中を高尾まで行けば漸く東京の外れに着く。それはそれでいい所だなとは思う。しかし中央線ではファンファーレが鳴り響かない。中央線ファンの方には申し訳ないが、小仏トンネルの轟音には華がない。トンネルの前の東京も、出た後に山梨と思いきやまだ神奈川でうろうろしていて、どこもみな素晴らしい自然が広がっていながら、旅立ちのけじめをどこでつければ良いのやら皆目わからないのである。
 湘南新宿ライン用のホーム建設中の浦和駅を通り過ぎると、早くも睡魔が訪れる。うつらうつらするうちに大宮に着いた。大宮からは10人ほどの乗客があり、2人がけのシートはほぼ片方すべてが埋まった。多くはスーツに身を固めたビジネスマンだ。宇都宮で働く人にとって、快速ラビットは818分宇都宮着の通勤電車である。ということは、彼らは宇都宮まで毎日グリーンで出勤するのだろうか、そんな贅沢が出来て羨ましい限りだ。
仙台に次ぎ沿線有数の殷賑を誇る宇都宮の存在は大きく、いつの頃からか関東地方では東北本線とは呼ばずに宇都宮線と愛称で呼ばれるようになった。新幹線ができて以来、上野発の在来線列車が東北地方まで行かなくなったからごく自然のことのように思えるが、もともと上野からは高崎線があったのでそれに併せて宇都宮線にしたとも思える。となると残る常磐線は水戸線にしなくてはならないが、こちらの方は既に友部・小山間のローカル線で使われているから見送られているのかもしれないなあ、などととりとめもないことを考えているうちに蓮田に近づく。この辺りから緑が多彩になり風景に深みが増してくる。稲穂が少し黄色く色づいている。収穫の秋はまだ先のことだが、この先北上するにつれて田圃の様子がどう変わっていくのか楽しみである。
 東北自動車道の下を潜り、ゴルフ打ちっ放しの大きなフェンスが見えれば久喜は近い。建設中の圏央道はコンクリート製の橋脚だけがドミノ倒しのドミノのように見事に連なっている。完成もそう先のことではなさそうだ。続いて田圃の中を新幹線の高架橋が徐々に近づいてくる。
久喜で先行の各停を抜くため乗客が入れ替わり、発車のチャイム「アマリリス」が鳴り始める。駅のチャイムファンには叱られそうだが、僕は有名な曲をアレンジした駅チャイムが嫌いである。アマリリスはまるで小学生になったかのようで子供っぽく感じるし、路線は違うが山手線の高田馬場を通るたびに「鉄腕アトム」を聞くと恥ずかしくなる。同じく駒込の「さくらさくら」もソメイヨシノゆかりの染井墓地が近いからだろうが、季節を無視して一年中流すのは如何なものかと思ってしまう。一年中ジングルベルを聞きたい人などいるはずがないではないか。発車の合図は、ビシッとけたたましいベルでいい。うるさいと駅周辺の人からは苦情がくるかもしれないが、だからといって一日中「鉄腕アトム」を聴きながら仕事や勉強できるとも思えないので、なまじメッセージが込められた有名な曲よりは、特別な意味のない、ただの合図に過ぎないベルが相応しいと思うのだが。
 東武伊勢崎線の下を通り、栗橋に向かう。栗橋は東武日光線との接続駅であり、新宿からの日光・鬼怒川温泉行き特急「スペーシア」が東武線に乗り入れる駅でもあるが、快速「ラビット」号はお構いなしに通過して、進路を大きく右に切った。空が大きく広がり徐々に高度を上げていけば、その先は長大な利根川橋梁である。滔々と流れる利根川には大河にふさわしく丈も幅も頼もしい、聳えるような堤防がある。草で覆われた堤防に守られた農家がちんまりと見える。緑はより濃くなり、山並みがより近くに見えてきた。だいぶ関東平野の端に近づいている。橋梁を渡りきると、右に切った行き先を元の方向に戻すために、列車は左に向きを変えながら徐々に高度を下げていく。
かつての貧しかった日本では、建設費のかかる橋梁を造る際には、出来るだけ短くて済むように、大河と直交するように線路を敷いた。だから列車は一旦進路を変えて大きくカーブしながら堤防を駆け上り、渡りきれば再びもとの進路に戻りながら下っていく。これは古い時代に建設された在来線ではどこでもおなじみの光景だ。勿論大河それぞれによって味わいも大きく異なり、そこがまた車窓の楽しみの一つとなっている。
 綿雲があちこちに浮かび、水蒸気をたっぷりと含んだ曖昧な空模様となってきた。次の停車駅古河には高層とまではいかぬまでも結構高い中層マンションがいくつも建っていて、ここがベッドタウンであることを示している。上野からここまでは快速「ラビット」で50分だから、都心へはギリギリの通勤圏なのだろう。駅周辺は開けているが、緑も多く、見事なヒマワリ畑もある。その向こうに薄く広がる山並みと併走する新幹線が見えてくれば、交通の要衝小山である。
 小山には両毛線と水戸線が乗り入れ、新幹線も停まるこの辺りでは有数の駅である。次の小金井に車両基地があって、小金井止まりの中距離電車が走っているのは、昔から上野と小山を行き来する人が多いからであって、これは高崎線の熊谷と籠原の関係と似ている。ところで小山を「こやま」ではなく正確に「おやま」と読める人が多いのは、おそらくテレビCMで「小山ゆうえんちの唄」を聴いていたからに違いない。現在は遊園地も倒産して、跡は更地になったという。ひょっとしてすでに別の施設が出来ているかもしれない。ただ、CMが流れなくなった今、駅名を「おやま」と読める人は次第に少なくなっていくのではないだろうか。新幹線停車駅ではあるが、東京人の多くが利用する速達型のはやぶさ・はやてなどは200キロ以上のスピードで通過してしまい、車内アナウンスで駅名が流れることはない。
それでもこの地方の中核駅だけあって、ホームからこのラビットに乗車してくる人は多い。快速運転はここまでで、この先宇都宮まで各駅停車となる。現在時間は752分、つまり宇都宮までの通勤通学電車になるわけだ。グリーン車内に乗ってくる人はいないが、古河や小山で下車した人が少しいて、残るは13名である。
両毛線のホームは新幹線ホームの真下にあり、しかも高架がかなり高い所に位置するため巨大な柱に囲まれている。その柱には、東日本大震災後の対策だろうか、補強のため夥しい数の鉄筋が10㎝ほどの間隔で巻かれている。頼もしいと言えばその通りだが、実に無骨で物々しい感じがする。これだけのことをしなくてはだめなのかと、改めて地震が来たら怖いだろうなと思う。
 関東平野も端近になると、土地に起伏が出てきて新幹線の高架橋の高さが目まぐるしく変わり、小金井駅脇では小山同様に太く高い柱だが、次の自治医科大駅では柱も細く短くなってホームの跨線橋よりも低いところを走っている。石橋では新幹線が進行右側に移ってしまい、日差しを避けるためにブラインドを下げてしまっているのでわからないが、ちらっと見える柱はそれ程太くないようだから低いままなのだろう。雀宮からは住宅が多くなってきた。あと7分ほどで宇都宮、このグリーン車ともお別れだ。この先本格的に各駅停車の旅となる。宇都宮での乗り換え時間はわずか2分、果たして写真は撮れるのだろうか、次の列車はおそらくすでに混んでいることだろうなと思いつつ、下車の準備に取りかかった。

(走行距離105.9㎞ 1時間29分経過)



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