6.白石12:37 → 仙台13:26 445M クモハ719-19
白石は東京からちょうど300キロ地点、蔵王の麓に広がる城下町である。麓といっても蔵王と白石の間には1800メートル級の山が立ちはだかっているから蔵王自体は見えないようだが、それに連なる山が楽しめる。今日は天気がよいので、進行左側に見えるはずだが、あいにくそこにはあの手櫛男が座っている。なにやら山塊が見えるようだが、男は僕の視線を気にしていて、こちらも先程の非礼を申し訳なく思うので、観察はちょっとだけにしておく。
途中から研修で熊本からやって来た大学生が横に座った。旅で出会った人と話すなんて面倒くさいからずうっと外を見ていると、大学生は人懐っこい性格のようで
「こちらの方ですか?」
と尋ねてくる。
「いや、東京です」
「有給休暇とって来ているんですか? 有給は働く者の権利ですよね。どんどんとればいいんです」
などと勝手に話を進めてくる。人の良さそうな顔して迷惑な奴だなあ、他人の迷惑も顧みず権利としての有給をとっている奴にこっちは困っているんだよ、頼むから黙っていてくれないかなあと思いながら、曖昧な顔で相手していると、とうとう仙台まで一緒になってしまった。下車するとき爽やかな顔と声で、
「お疲れさまあ。気をつけて!」
とにこにこ笑う。
だから、いい人というのは困りものなのだ。
(走行距離45.0㎞ 49分 通算348.2㎞ 6時間37分経過)
7.仙台13:41 → 一ノ関15:22 クモハ721-41
家族の者が2年間ほど仙台で暮らした縁で、この駅にも大分馴染んでいた。だから仙台で接続が15分あれば充分駅弁とビールが買える余裕はあるなと思っていたのが甘かった。隣のホームではすでに電車を待つ列が出来つつあった。何としても進行右側の席を確保したいし、しかも跨線橋を渡らなければならない。乗車記録写真も撮りたかった。
今まで乗り継いできた電車よりも新しい外見がモダンな721系が入線してきた。ドアが一斉に開きクロスシートを目指すが、あいにく窓側には年老いた母親と付き添っている中年のご婦人が座っている。どちらも品の良い女性だ。通路側の席を確保し、デイパックからカメラを取り出し、記録撮影して戻ってくると、
「どうぞ、こちらを使って下さい」
と窓側の席を譲ってくれる。こちらが旅の途中と知って、中年の女性が席を替わってくれたのである。食事にはありつけなかったが、有り難い心をいただいた。
多少なりとも黒磯で蕎麦を食べたのは正解だった。この先、接続時間が充分あるのは八戸しかなく、しかも300㎞も先である。
721系は新しい形式の車両で、しかもクロスシートが採用され車窓を楽しむには最適なのだが、惜しいことに座る部分の奥行きが足りず、太ももの尻に近い一番肉づきの良い所に座面の端が当たって長い間座るのには不都合だ。JR東日本としてはサービスとしてクロスシートを導入しつつ、シートピッチを詰めて定員増を図っているのだろう。こういうところがこの会社の「うまい」ところで、確かに優良企業かもしれないが、東京駅改築には多額の投資をするものの、岩泉線の復旧は遅々として進まず、震災でズタズタになった三陸各線への投資を渋る体質は、企業論理からは当然であっても、どこか非人情で顧客重視の姿勢が感じられない。
多賀城着13:55、上野を発って7時間経過。これだけ乗っても全然飽きることはなく、疲れも感じない。
塩竃を過ぎ、松島に近づく。光の加減がよく、島が美しく見える。海も穏やかで、車窓から見る限りこの付近は復興した感じがする。
品川沼辺りからは穀倉地帯に入り、黄色く色づいた田圃の中を721系は疾走する。
小牛田に着いた。上り方面のホームに石巻行のキハ48が停車している。古い気動車だが、綺麗に塗装し直されてピカピカ光っている。ここにも復興への努力が感じられ、この列車に乗って石巻を訪ねたくなる。
小牛田は交通の要衝で、列車が一ノ関へ向けて発車すると、まず石巻線が右に分かれて行き、続いて陸羽東線が左に分かれていく。とても広い構内に対して町がとても小さいことをかつて宮脇俊三が書いていたことを思い出し、
「まったくその通りだ」
と景色を見ながらひとりごつ。
親切な女性二人は田尻で降りていった。向かい側の進行方向の席に移って、改めて車内を見渡すと人もだいぶまばらになっている。日が西に傾いてきて、初めて急行「十和田」で青森を目指し、小牛田に着いた時のことを思い出す。あの頃とは駅舎もプラットホームも異なり、何よりも今では客車編成の列車が絶滅してしまったが、この日差しだけは変わっていない。午後の黄金色の日差しは人を感傷的にするようである。
同じ田園地帯でも東北もここまで北上して気がつくことは、景色の中から工場が確実に減っていることだ。農業一つになるため、風景が落ち着いてくる。瀬峰には407 1/2ポストがある。いつの間にか400㎞を越えていた。
車内は人がまばらで、運転台脇に立っている人くらいしか目に入らない。実にローカルな感じだが、車内放送だけは少し興ざめだ。というのも、録音された声が東京でもお馴染みの女性の声であり、英語放送まで同じだから、目を閉じるとここが東北だとはとても思えない位だ。ただ、外の風景は確実に東京からの距離を感じさせてくれる。穀倉地帯を疾走する東北本線は、どこまでもまっすぐでどっしりして立派な路線だ。
このところある同僚の結婚前の名字を思い出せなかったが、停車した駅名をみて思い出した。ここは新田。縁もゆかりもない駅だが、ふと「ありがとう」と口からこぼれた。
次に石越のプラットホームにある駅のベンチを見ていて気がついたのは、合板に熱を加えて成形したそれは、職場の講堂に据え付けてあるものと全く同じだということだった。日に焼けて色褪せたところまでそっくりである。肘掛けが付いている分、こちらの方が上等だが。
なんだかんだ言いながら仕事が忘れられない自分にちょっと反省し、再び景色に集中する。田圃、森、それに牧草地まで出てきた。牧草を刈り、専用の車が刈り取った牧草の束を白いビニールで巻いていく。それが刈り取られた土地のあちこちに転がっている。あの白い包みの中で徐々に発酵して美味しい草になるのかなと想像してみる。
(走行距離93.3㎞ 1時間41分 通算441.5㎞ 8時間33分経過)